DEPARTURES たったひとこと ごめんねと言わせて すべてはこの地上の愛と平和のためだったの いつものように冥王ハーデスを見送ってから朝食の準備をしていた瞬は突然景色が変わったことに呆然としていた。 「……ここ、どこ?」 「ここは宝瓶宮だ」 瞬は自分の腹辺りを抱いている腕の感触にはっとして振り返った。見上げた青年の顔には覚えがある。 「ミロ! いったいなんで?」 薄藍色の髪がふわふわのミロは蠍座の黄金聖闘士、いったいなんで自分を拉致する必要があるのか。 わけがわからずに瞬が狼狽していると彼女を下ろしたミロがうわっと泣きついてきた。 「瞬!! お願いだー!! 俺のカミュを助けてくれー!!」 腰の辺りに抱きついてわんわん泣き出した彼が本当に黄金聖闘士なのかと疑わしく思いつつも瞬はよしよしと頭を撫でてミロを宥めた。 「カミュが、どうしたんですか?」 カミュはこの宝瓶宮を護る水瓶座の黄金聖闘士で、瞬の同朋である氷河の師匠だ。 情熱的な緋色の髪をもつクールな美女は同じ女性として瞬も憧れるところ。その彼女を助けてほしいというからにはよほどの大事なのだろうと瞬も少し心配になってきた。 「ミロ、落ち着いてください」 「うー……」 ミロは瞬の優しい呼びかけに落ち着いたのかふっと顔をあげた。その視線が星矢にそれとよく似ていて瞬は思わず笑みをこぼすがそれも僅かにとどめた。 「カミュ、昨日の夜から熱出してんだ」 「だったら、静かに寝かせてあげればいいんですよ。それに私じゃなくったって他に誰か……」 「みんな出張とか休暇でいないんだー。サガは教皇だから忙しいし、カノンは飲んだくれて役に立たねー」 瞬は状況を把握できた。 カミュが急病で倒れた。看病できる人間は誰もいない。なのでミロに拉致されたのだ、と。 「カノン……あなたって人は」 こんなことで聖域は大丈夫なのかと思わなくもない。 特にカノンにいたっては冥王と対峙してまで自分をと望んでくれているのに、いざという時に飲んだくれているだなんてこれじゃなんとなくだが将来が不安になってきた。 が、とりあえずカノンとの将来よりもカミュの病状のほうが心配だ。 瞬はカミュの寝ている部屋に静かに入っていった。 カミュがそっと目を開けると、覗きこんでいた少女の亜麻色の髪が目に付いた。 「瞬……じゃないの?」 「ああ、起こしちゃいました? すみません……」 額に乗せられていた冷たいタオルは彼女によるものだと察したカミュが赤い頬を向けて笑った。 「いいの、少しうとうとしてただけだから……でもどうしてここに?」 「今朝方……ああ、日本でいう今朝方、ミロにつれて来られたんです、あなたを助けてほしいって」 「ミロ……」 カミュは苦悩に満ちた表情で目を閉じた。 二十歳になった大の男が恋人がぶっ倒れたからとわざわざ十三歳の少女を拉致してどうする、いや、それ以前に水と氷の魔女と謳われた自分が風邪引いて倒れるだなんてなんという失態。 「ごめんなさいね、瞬……」 「いいんですよ。聖闘士だって人間なんですから」 そう言って笑ってくれた瞬はアンドロメダを拝命する青銅聖闘士だ、その心根の優しさたるや八十八の聖闘士の中でも随一だろう。 カミュは微笑した。そしてきょろきょろと周りを見回す。 「肝心のミロはどうしたの?」 「ああ、よく効くお薬をもらいにいくってたった今五老峰に……止めたほうがよかったですか?」 「……いえ、もういいわ」 友と弟子とに手を焼いてきたカミュはこれしきの事、想定の範囲内だったとみえる。 瞬も苦笑してベッドサイドに置いたトレイを思い出した。 「薬を飲む前に何か食べたほうがいいですけど……食欲はありますか?」 「ええ、そんなにつらくないから。普段から体温が低いからちょっと熱いだけでミロがひどく心配するの」 「仲がいいんですね、おふたりは」 「六歳の頃から一緒にいるの。もう腐れ縁ね」 カミュがゆっくりと体を起こすのを、瞬もそっと手伝う。そしてスープを差し出した。 「すみません、勝手にキッチン使って」 「いいの、気にしないで。とってもおいしいわ」 そう言ってカミュは瞬の髪を優しく撫でた。 瞬は子猫のように首をすくめて誉められる喜びにはにかむ。あの氷河の異母の妹であるなどとは信じられないほど周囲に気を使う子だ。 「あなたが私の弟子ならよかったのに……」 「そうですか? 私はぜんぜんクールじゃありませんよ?」 「あの氷河だってクールとは言いがたいわ。でも私だって女だもの、育てるならやっぱり女の子のほうがよかった……」 そう言ってカミュは心ならずも手放す事になってしまったもう一人の弟子を思い出す。 その弟子の名はアイザック。彼女は海将軍のひとりとして海底神殿に暮らしている。 「こうしているとアフロディーテがあなたを手放したくないっていう気持ちがわかるわね」 「カミュ……」 スープを飲むカミュの横顔を見つめながら瞬は思った。 アフロディーテの瞬に対する気持ちは妹や娘に対するものに似ているけれど、その奥にあるのは深い懺悔だけ。 女神の戦士として、闇に染まったサガを討つこともなく従い続け、瞬の師であるケフェウスのダイダロスの命を奪った。 『私は瞬に対して責任があるのよ……』 そう言って薄く赤く目元を染めながら自分を抱きしめたアフロディーテを思い出し、瞬はカミュに見えないようにきゅっと拳を握った。 かちゃん、とスプーンが皿に触れる音がして、瞬ははっと顔をあげる。 「ご馳走様、おいしかったわ」 「いいえ。ミロが戻ってくるまで少し休んでいてください。あ、汗をかいているなら着替えたほうが……」 何から何までてきぱきと動く瞬はやはり女の子だった。 「今はいいわ。ミロが帰ってきたら教えて。少し寝るわ」 「はい、私は隣の部屋にいますね。なにかあったら呼んでください」 「ありがとう、瞬」 横になったカミュにきちんと布団を着せてから、瞬は静かに部屋を出た。 ミロが五老峰に発ってからまだ数十分しか経っていない。 ミロが戻ってきたのは正午を少し過ぎてのことだった。 いかに黄金聖闘士といえども自分の宮に行くためにはいちばん下の白羊宮から登っていかなくてはならない。 彼は一気に石段を駆け抜けた。途中の双児宮で石畳の上に寝転がって二日酔いに唸っていたカノンを轢いたことは言うに及ぶまい。 そのころすっかり気分もよくなっていたカミュは横にこそなっていたが瞬を話し相手に穏やかな時間を過ごしていた。 氷河やミロを話の肴に盛り上がっている。 「ペンギンの後ろをついていって迷子になったんですか、氷河は」 「聖闘士の修業をしようっていうやつが何やってるんだかって思ったわよ」 カミュと瞬はよく似た笑顔を見せた。 「ミロとね、もしお互い敵同士になったらどうするかって、話したこともあったわ……」 「カミュ……」 水と氷の魔女の横顔がふっと曇るのを瞬は悲しそうに見つめていた。 「私たちは聖闘士だからね。敵になることなんかないってミロは笑ったんだけど……」 「同じ女神を掲げて戦うと……カミュと一緒にって思ってたんですね、ミロは」 「そうね……私はただ、誰を前にしてもクールでいようって話をしていただけなんだけど……あんな事になるだなんて思ってもみなくって」 そう言ってカミュは苦笑して見せた。 彼女らは、敵として聖域に現れたのだ。 『余の器を深く傷つけた罰を受けよ』 先代の教皇にして牡羊座の聖闘士でもあったシオンを筆頭にまず蟹座のデスマスクと魚座のアフロディーテが先鋒として十二宮に乗り込んできた。 続いて双子座のサガと山羊座のシュラ、それにこの水瓶座のカミュさえもアテナの首を狙ってやってきたのだ。 誰もが信じられないという思いで戦いぬいた十二宮、操っていたのは冥王ハーデス。 胎なる闇の底にいた冥王ハーデスは穢れていく地上を黙認する事が出来ずに、地上の護戦者であるアテナを排除しようとして、あろうことか死したる黄金聖闘士を用いた。 あの悲しい記憶をカミュは忘れない。 「同じ聖闘士だったんだもの、敵同士になるなんて本当は思ってもいなかった。でもあのときは敵として接するしかなかった」 冥王ハーデスを討つために大切な事をアテナに伝えようと、彼らは逆賊の汚名を着てまで女神のもとへ急いでいた。もちろんハーデスのほうでも用心を怠らず、復活させた聖闘士以外にも正規の冥闘士を派遣していた。彼らは冥王の監視下にあったのだ。 「本当の心を隠していなければならなかったから、ミロもつらかったと思うの……」 シャカがある真意を持って沙羅双樹の園に散ったあと、天蠍宮を勝手に降りてきて自分たちと対峙したミロだった。 カミュたちは本当の目的も心も隠したまま戦わなければならなかった。 ミロも、愛しい恋人が本当に敵になったのだと思い込んでいた。 瞬は激しい不安を感じてはいたものの、まだ氷河とともに下方の宮にいたのだ。 「でもあなたは、どこかでミロと会わなきゃいけないんだって思ってたんでしょう?」 「ええ、その覚悟は出来てた。私とシオン様だけだったんだもの、大事な人を残して死んだのは……」 「……そうですか」 神々の意志の元、聖戦に散った戦士たちは地上に戻って今は平穏に暮らしている。 アフロディーテはサガと。 シュラはデスマスクと。 シオンは童虎と。 カミュはミロと。 アテナの首をと命じられたサガたちの慟哭は計り知れない。 そして覚悟していたとはいえ最愛の同朋との対峙はいかばかりの苦痛であったか、それを思えば瞬の胸は張り裂けそうだった。 「真に敵ではなかったとはいえ……ミロには辛い思いをさせたと思ってる。私が宝瓶宮で氷河を導いて死んだ時も、処女宮で再会したときも……何も言えないまま、私はミロの手を離してしまった」 「カミュ……」 「小さい頃からずっと一緒にいたの。このギリシアの暑さに慣れない私を気遣ってくれたのも……ずっとずっと一緒だって約束したのもミロだった…………だけど私は」 「それは私も同じですよ、カミュ」 「瞬……」 瞬はにっこり笑ってカミュの冷たい手を取った。 「私は神の器、冥王ハーデスの憑代……」 「瞬……!」 銀河の瞳は亜麻色の髪に隠れて見えなかった。けれど少女の手は柔らかく温かだった。 「私も、何も言えなかった。言う隙すら与えられなかった」 冥界の最奥、ジュデッカの玉座の前でアンドロメダの少女は冥王ハーデスとして君臨した。 アテナを裏切り、冥府の王となるためではない。 その脆弱な人間の体に冥王の魂を留めた、まさに楔となるべく、瞬はその身をハーデスに差し出した。 「私は星矢と、琴座のオルフェといっしょにジュデッカにいました。オルフェが倒れてから、星矢とふたり……星矢に目的も別れも何も言えないまま……私はハーデスと心中するつもりでした」 カミュも瞬も同じだった。 アテナの聖闘士として散る覚悟のために大事な人を苦しませた。 それが戦士としての道、いつか戦場でばらばらに散る身だとわかっていたとしても。 男たちはその最期の一瞬まで一緒だとどこか夢を見ている。 女たちはくすくす笑いあった。 「結局私たちがいないと」 「ダメってことなんですかね」 「カーミュー!! 薬持ってきたぞー!!」 宮の外から聞こえてきた足音と大声にカミュと瞬はまた笑い出した。 「教えるまでもなかったみたいですね」 「バカなんだから」 「でもそこが可愛いんですよね?」 静かに席を立ちながら瞬が言うのを、カミュは皮肉を込めて目を細めた。冥王とカノンとに愛される少女は日に日に大人っぽくなっていく。 「言うじゃない?」 「ミロって星矢に似てますから」 「……なるほどね」 男はいつまでも子供のままだと、瞬と入れ違いになったミロを見ながらカミュはやはり苦笑を隠せなかった。 ミロが戻ってきたので宝瓶宮でやることがなくなった瞬は教皇宮に出向いた。彼女がここにやってきた理由を聞いたサガがミロは何やってんだかと俯いたが仕方がないので留め置いてくれた。瞬はサガの昼食を運びがてら仕事を手伝っている。といってもコピーやホチキス止め、ファイルの整理などごく簡単なものだ。 「すまないね、瞬」 「いいえ。アフロディーテはお仕事ですか?」 「いや、休暇でスウェーデンの実家に戻っているんだ。ついでに北欧地方を視察してくるとも言っていたよ」 「お忙しいんですね、黄金聖闘士は。なんか日本でのびのび暮らしているのが申し訳ないです……」 とんとんと書類を揃える瞬を横目で見ながらもサガはキーボードを叩く手を止めない。 「君たちは日本でアテナのそばにいて、アテナをお護りしているじゃないか。それに……君たちはのんびりする資格も義務もあると思うよ」 「サガ……」 サガは何も言わなかった。ただ片手で数枚の書類を突き出し、コピー五十部と教皇印の捺印を命じた。 「私が押していいんですか?」 「かまわん。いつもはアフロディーテが押しているんだ。一枚目に押印を、それから二枚目から最後までを拾って資料の体裁を整えてくれ」 「わかりました」 瞬はさっと会釈するとコピーをはじめた。言われたとおりの仕事は卒なくこなす子だ、出来上がった資料も落丁や歪みもなく、大きいものはきちんと屏風のようにたたまれて綴じられている。 「カミュはどうなんだ?」 「微熱だったので、少し寝たらよくなったみたいですよ。今日の夜にまた発熱するかもしれませんから……その、ご迷惑でなければもう一晩様子を見ようかと思うんですが……」 ご迷惑でなければ、と念を押すように言ったのは彼女の身の上によるものだ。 薄紅色の可愛い少女は咲きかけのハナミズキの花のように恋の途中にいる。相手はサガの実弟カノンと冥王ハーデスだ。 そのハーデスは瞬の心を得るべく、一夜も欠かさずに彼女のもとを訪れているという。 サガは笑った。 「そうしてくれると助かる。アフロディーテは昨日発ったばかりで二、三日戻らないんだ。ミロもそれで安心するだろう。天蠍宮にでも泊めてもらいなさい。拉致された責任は負わせるといい」 「はい、そうします」 近隣の村の鐘が三時を告げる。サガはここで必ず休憩を入れた。仕事は山積しているが根を詰めればいいというものではないと知っている。疲れたまま作業を進めれば必ずミスが出るのだ、能率を上げるための休憩は大事だ。 「じゃあ、お茶を入れてきますね」 パタパタと小さなキッチンに消えた瞬の背中を見送ったサガは冥王つきでも構わないから彼女を補佐にほしいと本気で思った。そしてもしアフロディーテとの間に子供が出来たら、そのときは瞬のように優しくて可愛くて元気な女の子がいいなとかなり切実に願った。 何故なら彼は双子だったからだ。 よろよろと教皇宮に現れた弟に冷たい一瞥をくれてやる。 「……遅いぞ、カノン。今日は人がいないんだから手伝いに来いと言っただろう」 「二日酔いで……うえっ」 のろのろと休憩用のテーブルに着くカノンにサガはこれ見よがしにため息をついた。 「瞬など暇になったからとわざわざ補佐を申し出てくれているというに、お前というやつは……」 恋しい少女の名が出て、カノンはびくっと背筋を伸ばした。が、彼女の姿はない。 カノンはふふんとせせら笑ってソファにふんぞり返った。 「ふん、瞬の名を使って俺を働かせようなどと片腹痛いわ!」 「私がどうかしました?」 カノンのすぐ後ろにティーポットと二脚のカップをトレイに乗せて持っていた瞬が立っている。なんで瞬がここにいるんだと言わんばかりに弟の背中がぎくっとこわばるのを見てサガがこっそり笑う。 瞬はあまり音もさせずに二人の前で紅茶の支度をはじめた。 「サガはマリアージュフレールのアールグレイフレンチブルーがお好みでしたね」 「ああ、私の好きな銘柄を覚えていてくれたとは嬉しいな」 いつのまにそんな間柄になったのかとカノンがふたりを交互に見る。瞬は褐色の容器からティースプーンで正確に分量を測っていたのでカノンの狼狽する様子はわからなかった。 「うろたえるな、愚弟。瞬は聖域を訪れるたびに私の補佐をしてくれていたんだ。お前が寝ている間にな!」 透明なグラスポットの中で青い花弁がくるくると踊っている。アールグレイフレンチブルーの色は紫褐色だ。ベルガモットとブルーエの花の香りがふわりと周囲を包んだ。 「いろいろお話しているうちに親しくなったんですよ。アフロディーテは私のお姉さんですから、サガはお兄さんみたいで……あ、失礼ですよね」 「いや、いいんだよ。私も(こんな愚弟より)君みたいな妹が出来るのは嬉しいな」 「そう言っていただけると光栄です」 瞬はそっと二人の前に紅茶を差し出した。 「どうぞ」 「ありがとう、瞬」 カノンは瞬が入れてくれた紅茶を飲みながらふと思った。 サガを兄のように慕っているということはもしかして、俺も同類? そんな不毛な兄弟喧嘩が始まりかけた頃、宝瓶宮ではミロが煎じてくれた薬をカミュが困惑を隠せない様子で見つめていた。 「老師が五老峰にいなくてさ、ジャミールまで行っちゃったぜー。でも薬はちゃんともらってきた! 煎じ方も聞いてきた! 袋はちゃんと開けられた! これ飲んで早くよくなってくれよな!」 「え、ええ。ありがとう、ミロ……」 ミロがにこにこ笑いながら差し出す薬は漢方の名薬なのか、独特の匂いがした。 が、問題はそこではない。 「ねぇ、ミロ」 「なんだ?」 「なんか、すっごい色なんだけど……」 まるで毒の沼のような、耽美を通り越して不吉な濃紫色の少しどろどろした液体。カミュはこのとろみは一体なんだと小一時間問いつめたい気持ちでいっぱいだった。 が、ミロは早く飲んで寝ろというので意を決して飲んだ。 そして数分後。 カミュの悲鳴を聞きつけた瞬と双子が何事だと宝瓶宮に駆け下りてくるまでそう時間はかからなかった。 「カミュー!! カミューううううううう!!」 見ればミロがカミュを揺さぶっている。 床には割れたカップとその中身が不気味に流れ出し、飲みきれなかった液体がカミュの口角からあふれ出していた。 双子は飲んだ薬が原因だろうとあっさり察しをつけた。キッチンに入っていった瞬があーっと声を上げる。そして空になっていた薬の袋を掴んで出てきた。 「ミロ! あなたもしかして全部煎じちゃったんですか!?」 「だって、早くよくなったほうがいいと思って!」 二十歳のミロに十三歳の瞬が詰め寄った。どっちが大人だかわかりゃしない。 「なんで全部入れちゃうんですか!? 一体何を聞いてきたんです!?」 「だっていっぱい入れろって言われたんだ!! いっぱい入れるんだろ!?」 おそらくひとさじを意味する『一杯』とたくさんを意味する『いっぱい』を勘違いしたのだろうがそれにしたってあんまりだ。カミュが白目を剥いて気を失っているのも頷ける。 「カミュ、しっかりしてください」 瞬が揺り起こすとカミュの瞳は綺麗な色を取り戻した。 そしてきょろきょろと周囲を見回す。荒く息をしながらカミュは起き上がって額の汗を腕で拭った。 「冥王ハーデスが何やってんだって言ってたわ……」 どうやらカミュは三途の川さえ越えてジュデッカまで逝っていたらしい。 瞬はキッチンにもどり、彼女のために水を持ってきてくれた。ミロは叱られた子犬のようにしゅんとして、それでもカミュのそばを離れなかった。 「俺、カミュを助けたかったんだ。それだけなんだ……」 「ミロ……」 勢いあまってとんでもない失敗を演じてしまったけれどそれでも愛しい人を思う気持ちは誰にも負けていなかった。 瞬はちょっと叱り過ぎたかなと思い、ミロに席を譲った。 「じゃあ、カミュにお水を飲ませてあげてくださいね。カミュ、何か食べられそうですか?」 「味覚が落ち着いたら食べられると思うわ」 「じゃあ、瞬。君はここに残って夕飯の支度をしてやってくれ。カノン、お前は瞬の代わりに私を手伝え」 ここに残ろうとしていたカノンを牽制するかのようにサガは弟を引きずって教皇宮へ戻る。 「迷惑かけちゃったわね……瞬、サガとカノンもここで食べられるようにしてあげて。もちろんあなたも。あ、五人分は大変かしら」 「いいえ、城戸邸ではいつもやってますから。ミロはカミュをお願いしますね」 「え、俺?」 薄藍色の髪もおろおろとミロが瞬とカミュを交互に見やった。 彼女たちが笑っていたのでミロはようやく落ち着いたのか、おうと胸を叩いた。 駆けつけてくれた三人がいなくなってから、ふたりの間に沈黙が走る。 「えっとー……ごめんな、カミュ」 「……いいのよ。ちょっと失敗しただけだもん」 ベッドに横になったカミュはよしよしとミロの髪を撫でた。 「カミュ……」 「私のためにしてくれただもん……嬉しかったわ」 「だって俺、もうカミュをなくしたくないもん……」 きゅっと下唇を噛んだミロにカミュも僅かに目を伏せた。 「ごめんね、ミロ……」 「なんでカミュが謝るんだよ」 カミュが伸ばした手を、ミロがそっと握った。 「だって、そんな顔するから……」 「俺は、カミュが好き。カミュのためなら何でもしたい……カミュをなくす以外のことなら」 「ミロ……」 ミロはまるで少年のようなカミュを見つめた。 「俺、バカだからあんときのカミュが何考えてたのかわかんなかった。永遠の命がほしくて本気でアテナ裏切ったんだと思ったんだ……ただ、カミュが言ったこと思い出した」 「私が言ったこと?」 ミロはゆっくり頷いた。 「どんな敵を前にしてもクールでいろって。俺は、アテナの聖闘士としての誇りをおまえに取り戻してほしかったんだ。アテナの聖闘士としてのカミュも大好きだったからさ」 炎のような緋色の髪を持ち、水と氷を自在に操る美しき女性聖闘士。 そんなカミュはミロの自慢だった。 「ここにこうしてカミュと戻ってきて、本当のことを聞かされたとき、俺マジで自分のこと嫌いになった。なんでわかってやらなかったのかなーって」 「あの時は分かれって言うほうが無理だったのよ。シャカだって最期の最期に気がついてくれたんだから」 朝の光に仮初の命を散らしたカミュを看取ったのはミロではなく氷河だった。 最後の言葉さえ選べないまま、そうとは知らずに二人は二度目の別れを迎えたことになる。 「俺、カミュとずっとずっと一緒にいる。カミュがやだって言っても一緒にいる」 「ミロ……」 今度は敵ではなく、仲間として、友として、そして生涯の伴侶として。 「死ぬ時はいちにのさんで一緒に死のう、な?」 そんなこと約束できないと分かっていたのに、カミュは思わず頷いてしまった。 それほどまでにミロは熱く深く自分という存在を望んでくれている。 嬉しくてたまらなかった。 「ミロ……大好きよ」 「うん。俺もカミュ大好き」 ミロは体を折り曲げて横たわるカミュに口づけた。そして眉間にしわを寄せる。 「苦ぇー。老師ってばなに寄越したんだよー、俺のカミュを殺す気かー?」 カミュは少しずつ戻ってきた味覚でミロを感じた。 そしてあなたの煎じ方が悪かったのだとは言わなかった。 折角立ち直ったミロをまたがっかりさせる事はないと思ったからだ。 「ふふふ、死ぬ時は一緒なんでしょう?」 「うん!」 そう言ってにっこり笑ったミロに安心して、カミュも小さく笑った。 ひとりでキッチンにいた瞬にはカミュとミロの話は聞こえなかった。 けれどふたりの温かくて強い絆は部屋のあちこちにあって、どことなく羨ましくなった。 自分だって大事に思う仲間はいる。 アテナ沙織と、星矢、紫龍、氷河と兄の一輝。 みんな大事な仲間で兄弟だ。 でも恋という心で繋がる誰かを、瞬はまだ持たない。 この十二宮に住まう聖闘士たちはみんな……カノンを除けば、みんな恋人がいる。 いつか自分もあんなふうに寄り添い、心も体も許しあう運命の人に出会えるのだろうかと、少女の心は幼くも願う。 戦士だけれど、その身その心は人間の少女のものだから。 君が恋しいと囁くのは冥王ハーデスとカノンのふたり。 揺れる王女の心は今宵も闇なる冥王を待つ。それが冥王と交わした約束だった。 ことこととシチューを煮込みながら、瞬は手際よく五人分のサラダを作り上げる。 そこにミロがひょっこり顔を出した。 「なー、なんか手伝おーか?」 青年というよりはまだ少年のようなミロは星矢のそれと本当によく似ていて、瞬は思わず小首を傾げるように微笑した。 「いいえ、あとはシチューが煮えれば終わりですから。カミュのよりはおいしくないかもしれませんけど」 味見をしてもらおうと瞬は小皿に分けたシチューをミロに差し出した。 彼はすっと啜って、ぺろりと唇を舐めた。 「うん、カミュが作ってくれたシチューは世界で一番うまい! だから瞬のは二番目だな!」 「二番目……なら、光栄ですね」 ミロにとってのいちばんは何でもカミュなのだ。 とりあえず味に問題がないと分かると瞬はにっこり笑って火を止めた。 「瞬は料理も上手なんだなー。うんうん。でも残念ながら俺にはカミュがいるんだ!」 「分かってますよ」 きっぱり言ったミロに苦笑しつつ、瞬は教皇宮から戻ってきた双子の青年を迎え入れた。 「おかえりなさい……で、いいのかな? お仕事ご苦労様でした」 宝瓶宮で出迎えてくれたエプロン姿の瞬にふたりは似て非なる感想を抱いた。 兄のサガは娘に、弟のカノンは新妻に迎えてもらっているかのように感じていたのだが、双方それを表に出す事はなかった。 「すみません、私が途中で抜けてしまったのでお仕事のほうはどうなったのか心配だったんですけど……」 「ああ、それは全部カノンに任せたから大丈夫だよ、というか本来はカノンの仕事だったのだから君が気にすることはない」 そういうとサガは大きな手で瞬の髪を優しく撫でた。 かつては生涯の敵とさえ思えたこの男の手を、瞬は逆らうことなく受け入れられるようになった。 そう、ここに集う事を許されたのは女神を奉じて地上の愛と平和のために戦う聖闘士たちだけ。 「だと思ったら大間違いだぞ」 愛する瞬のために石段を一歩一歩登っている法衣姿の男こそ、冥王ハーデス。アテナの聖なる小宇宙が立ち込めるこの聖域に入れるのはひとえに愛の力、だけではなく女神の許可があってのこと。 「しかし瞬。最近いやに聖域におらんか?」 少女の小宇宙を辿って今宵も冥王様は瞬のもとへ。 徐々に近くなる薄紅色の小宇宙に思わず口元が綻ぶ。 宝瓶宮で食事の後始末とカミュの着替えを手伝った瞬はミロとサガとカノンと一緒に天蠍宮にいた。カミュは普通に薬を飲んで今は静かに眠っている。 「今日は天蠍宮におるのか……蠍座の男は瞬にとって良き友、良き兄ゆえ、大事はないと思うが……」 これ以上ライバルが増えるのはたまらないと冥王様、心なしか足が速くなる。 そして天蠍宮につくと扉を蹴破りたい気持ちを抑えてこほんとひとつ咳払い。 「瞬ー、余だー」 「はーい」 扉の向こうから現れた瞬にハーデスはにっこり笑顔を見せる。 「今宵もちゃんと会いに来たぞ。ただいま、瞬」 「おかえりなさい」 もはや普通となっていたそのやり取りに双子が同時に飲んでいたカクテルを吹いた。 先に冷静さを取り戻したのはサガだった。さすが兄。 「な、なんだ今のやり取りはっ!!」 ダンッとテーブルを叩いて抗議するのはカノン。さすが恋する二十八歳。 するとハーデスはくるりと瞬を抱きこんで彼女には見えない様にせせら笑った。 「余はもともと地上の生まれ、よって“ただいま”“おかえりなさい”でよいのだ」 「なるほどな!」 ひとり納得して見せたのはミロだ、さすが蠍座の男。 そして場の空気を一瞬で明るくしたのも彼だった。 「まーまー、喧嘩しねーでさ。神様も一緒に飲もうぜ! ジントニック作ってやるから」 「蠍座は話が分かるな」 ちらりとカノンに一瞥をくれて、ハーデスは瞬を伴って席に着く。 「そんなに怖い顔すんなよカノン。酒は楽しく飲もうぜ」 昨日の敵は今日の友と言わんばかりにミロは手際よくシェイカーを振る。 「俺の大事なカミュが風邪引いちゃってさ。んで瞬に手伝ってもらってたんだ。瞬は世界で二番目にいいお嫁さんになれるぞ。俺が保証してやる!」 そう言ってミロは紙製のコースターにジントニックを注いだグラスを乗せて冥王の前に滑らせた。 「二番目とは聞き捨てならんな。一番は誰だ?」 「カミュ! 絶対カミュ!」 自信たっぷりに言い放つミロに瞬は優しい笑顔を見せた。 「ハーデス、ミロにはカミュがなんでもいちばんなんですよ」 「うん。見れば分かる。蠍座にとって水瓶座の女がいちばんであるように瞬、余にとってはそなたがいちばんなのだ」 瞬の手にあるグラスは薄紅色の銀河のように炭酸を弾いている。アルコールは入っていない。 「愛とは」 ぽつりと冥王の唇をついた言葉に、誰もが聞き入る。 「愛とは複雑で難解で……だが一度手にするとなかなか捨てる事も出来ぬ。愚かでもあり、美しくもあり。哀しくもあり楽しくもあり。余はこの世界に愛なるものはないとばかり思っておったが……」 「ハーデス……」 「アテナとそなたたちに教えられたな、愛たるものを……改めて礼を言おう」 ハーデスの黒髪がさらりと揺れた。 ミロが照れくさそうに指先で頬をかいた。 「俺もさ、ハーデスにお礼言いたい。俺たちをこの世界に戻してくれたから、今幸せにやってる。また死ななきゃならないその日まで一生懸命カミュを愛して生き抜くぜ!」 「私も……」 今は北欧の地に滞在する愛しいアフロディーテの顔を思い浮かべ、サガも目を閉じる。 「そうですね……」 瞬の大事な人は戻れなかったけれど、それでも今は愛してくれる兄と、友と、仲間たちと。 愛にはいろんな種類と形がある。 (そなたたちを戻したのは余の力ばかりではないが……) ハーデスはジントニックを飲み干した。 「それより、水瓶座の女はよいのか? なにやら昼間ひょっこりやってきたぞ、なんか薬臭かったが」 「本当にジュデッカまで逝っちゃってたんだ……」 「俺、ちょっと見てくるな」 その言葉だけ残して、ミロの姿はすでに小さくなっていた。 瞬がおずおずと顔をあげてハーデスに問う。 「本当に来てたんですか?」 「嘘を言ってなんとする。余がジュデッカで超極悪人どもを裁いていたら突然現れてな。何やってんだって言ったら、なんか呆けたまま帰っていったぞ。ときどきおるのだ、モイライが紡いだ生命の糸が切れておらぬのに冥界へやってくる者が……」 エイトセンシズに目覚めるのとは違った行き方もあるらしい。 「蠍座は本当に水瓶座の女を愛しておるのだな……」 「……羨ましいですか、冥王」 未だ我が物とならぬ少女の心を手に入れたいと日夜努力する冥府の神は、危害さえ加えなければ普通に話が出来る普通の恋する青年に見えた。 サガの問いにハーデスは半分だけ頷いた。 「余は瞬を愛しておる。その思いの強さは蠍座のそれに負けるとは思わぬ……だが」 ハーデスの横にいた瞬は無防備にも彼の左腕に寄りかかって眠りかけていた。 「水瓶座も蠍座を思う……余は瞬に思われていないとは思わぬが、羨ましいとすれば、そこか」 「瞬は我が愚弟と争う価値がある娘ですよ、冥王」 からん、とサガのグラスから氷の音がした。 ハーデスは瞬が落ちないように抱き直す。 「そなたはカノンの味方をするのか? まあ、兄弟だからな」 「いいえ、私とアフロディーテは瞬の味方をいたしますよ。我らにはその責務があると思っていますから」 「中立を保つか。賢いな、双子座よ」 サガはごく小さな笑みをこぼした。 「サガ! お前兄なら兄らしいことをしろ!」 「だから。瞬の兄らしいことをしているではないか。彼女はアフロディーテを姉と、私を兄と慕ってくれている」 「ほー、そうだったのか」 男たちがどんなに騒いでも眠っている瞬。 彼女は伊達に騒がしい盛りの男四人と暮らしているわけではなかった。 「カーミュ?」 宝瓶宮についたミロはカミュの寝室の扉をそっと開けた。 水と氷の魔女と謳われた彼女はまるで冬の花のように静かに眠っていた。 「息してる?」 口元にそっと手を当てて呼吸を確認し、僅かに上下する胸元に安堵する。そしてスツールを寄せてカミュのそばに座る。 眠っている彼女にそっと話しかけた。 「なー、覚えてるか? 俺とお前で、ここで訓練してたときのこと」 今から十四年前、六歳の夏。 「こら、ミロ。これは訓練なんだぞ! ちゃんとかかって来い!!」 緋色の髪を後ろでひとつに束ねた戦乙女がミロの前に仁王立ちしている。尻餅をついたミロは腰を払いながら立ち上がった。 「でも、女は殴れないよ」 「戦場に男も女も従兄弟もあるか! ほら、かかって来い」 「……出来ないよ」 すっかり戦意、というよりやる気をなくして俯いているミロにカミュは呆れた様にため息をついた。 「そんなことでアテナをお護りできると思っているの? だったら聖闘士なんか」 「聖闘士にはなる! でもカミュは殴れない」 「……なんで?」 「だってカミュは敵じゃないもん、悪いやつじゃないもん。俺、悪いやつだったらぶん殴るけど……」 「ミロ……」 この空みたいに明るい笑顔と髪の色をした少年は、少年らしいポリシーを持っているらしい。 その優しさはいつまでも大事にしてほしい、だけど。 「ミロ」 「カミュ……」 「あなたの気持ちは分かった。だけど敵が真っ向、肉弾戦や技の掛け合いだけ狙ってくるわけじゃないの。精神を攻撃してくるものもいる、人質を取るものもいる、私そっくりに成りすました者や……裏切り者だって出るかもしれない。だけどそれを『知っている人だから』って全部護る事は出来ないの。私たちが護るのは友ではなく、女神なの。分かるわね」 「うん……でも……」 ミロはぶんぶん首を振った。そしてカミュに抱きついた。 「でもやっぱり、カミュは殴れない」 「ミロ……」 「殴れないよ……カミュは俺の敵にはならないだろ!?」 「……当たり前じゃないの、バカね」 ふわふわしたミロの髪を優しく撫でて、カミュは笑ってくれた。 「……あんとき、カミュは敵にはならないってちゃんと約束してくれてたのにな」 同じアテナの聖闘士としてずっと一緒だと、誓い合った。 あの日から十四年。 楽しい事ばかりじゃなかった。カミュが弟子を取ったり、そのうちの一人がいなくなったり、白鳥が巣立っていったり……一緒だからと繋いでいた手を離してしまったり。 ミロは布団の中に手を入れてごそごそとカミュの手を捜す。 「あ、あった」 カミュの指先が冷たいのはいつものこと。ミロはそっとそっとその手を握った。 「カミュ……大好き」 ミロは静かに目を閉じた。 それからしばらくして、カミュが目を覚ました。指先にずっと感じていた温かさに違和感を覚えたからだ。 温かさの先を辿ればよく知ったふわふわが幸せそうに、でも器用な姿勢で寝こけている。 「ミロ……」 「カミュ〜〜好きぃ〜〜〜」 それだけ呟いて静かになったミロに、カミュは笑いを隠せなかった。 「バカね、これじゃミロが風邪引いちゃうじゃない……」 カミュはミロの手をそっと離し、ベッドから降りてブランケットを持ってきた。それをミロにかけてやり、もう一度ベッドに戻って今度はミロの手を握り返した。 「バカミロ……でも、大好きよ」 あなたとふたりがいい。 もう少し落ち着いたらふたりでシベリアに行きましょう――あの懐かしい氷の大地へ。 オーロラにはしゃぐあなたを見たいから。 「約束よ、ミロ……」 もう、この手を離さないからね……。 宝瓶宮に温かい恋の花が咲く 翌朝、瞬は冥王を見送った後、天蠍宮を片付けて教皇宮に入っていた。 「冥王は帰ったかい?」 「はい、なんかにこやかに帰っていきました」 瞬は今朝は早くから謁見の予定がある教皇サガの朝食の給仕についている。 「カノンは」 「はい。言われたとおりに天蠍宮に転がしてきましたけど、よかったんでしょうか」 「かまわないよ、昔からアルコールで育ったような弟だから」 「はあ……」 それでもあとで様子を見にいこうと思っている瞬である。 「カミュももう大丈夫なようですし、お昼まで様子を見て帰国します」 「ああ、他の黄金聖闘士が任務を終えて戻ってくるだろう。わざわざ済まなかったね、瞬。愚弟まで世話になって」 サガの朝の紅茶はマリアージュフレールのアールグレイ・インペリアルだ。 二杯目を注ぐ瞬の手つきに危うさはない。 「いいえ、大したことじゃありませんから」 「ミロの言葉じゃないが、君は世界で二番目にいいお嫁さんになれるな」 「一番はアフロディーテですか」 「私にとってはね……くどいようだが、私とアフロディーテは君に対して責任があると思っている。幸せになってほしいと心底願うよ。私に義理立ててカノンを選ぶことはない。むしろ冥王とのほうが……とも思わなくもないよ。だけど君は言われなくても分かっているね、自分が選ぶべき道は」 「……はい。自分のこの手で掴んで、自分のこの足で歩きます。助けられてばかりがアンドロメダじゃありません」 サガは満足そうに頷いた。 「では、教皇として命じよう。宝瓶宮に赴いてカミュとミロに朝食を。それからカノンの様子を見て、使いものになりそうならすぐに教皇宮に来るようにと伝えてくれ。そして君は帰国しなさい、いいね」 「御意のままに」 瞬は少し畏まって礼を取った。サガも面白そうに笑う。 退出していく少女の後ろ姿を見ながらやっぱり女の子はいいなあと思った。 そして昼下がり。 「わざわざありがとう、瞬。アテナや氷河……みんなによろしくね」 すっかりよくなったカミュが一番下の白羊宮まで瞬を見送りに来てくれていた。 「はい。カミュも無理しないでくださいね」 「ええ、でも黄金聖闘士ですもの、そうそう寝込んでもいられないわ」 「んじゃー俺、瞬を日本まで送ってくるな!」 「そうしなさい。問答無用でさらってきたんだから責任は取らないとね」 カミュがくすくす笑うとミロはちぇーっと唇を尖らせた。 「それでは、また」 「気をつけてね、瞬……」 「はい」 青天駆ける風にさらわれるかのように二人の姿は空間を越えた。 緋色の髪をなびかせながらカミュは真っ青な空を見上げる。 「ミロ……」 風邪も治ったみたいだし。 大地がこんなにも愛しい。 あなたがこんなにも恋しい。 「やっぱり、二人っていいわね……」 すぐに戻ってくるだろう蠍座の恋人を、この白羊宮で待つ。 その頃の教皇宮。 「瞬を帰国させたのは間違いだったか……カノン、一ページでも差し間違えたらギャラクシアンエクスプロージョンだと言っただろう?」 「そっちのファイルはまだ確認してないって言っただろう! 大体なんでミロに瞬を送らせたんだ! 俺が」 「お前だとそのままおかしなところに連れ込んでおかしなことをしそうだからな! それに連れてきた本人が戻すというのは当然だろうが」 弟の抗議を一刀両断したサガはまたどさりとカノンの前に書類を置く。 「なんだこれは」 「書類もわからんのかこの愚弟め。いいか、これらをデータベース化しろ。終わるまでこの教皇宮を出ることは許さん。食事は運んでやるから安心しろ」 「貴様っ……黒だな、黒サガだな!?」 「このサガのどこが黒髪だというのだ、とうとう目までイカれたか」 「なにを!」 「ぐずぐず言っている暇があったらさっさと終わらせたらどうだ? お前がもたもたしている間にも冥王は」 瞬を口説き落とすぞと、サガが言い終わる前にカノンはキーボードをものすごい速さで叩き、マウスを駆使していた。 「やれば出来るではないか」 目の前にえさをぶら下げないと動かない男、カノン。 それでもいいかと、サガは自身もパソコンに向かった。 どこまでも降り積もる勇気とあなたへの想い どんなときもあなたと一緒がいい 永遠より永い未来など誓うことはできないけれど でもそれくらい一緒にいようねって 約束するくらいいいでしょう? この時代この場所で出会えたあなたと ふたりで作る物語 ≪終≫ ≪2周年企画≫ 2周年企画として楠本要氏との合同企画ということで書かせていただきました。 テーマは『もし敵として出会っていたら』ということで、カップリングは俺が水瓶座の彼女だったのでミロカミュですww いえ、本当にそうやって決めたんですよwwww 瞬が出張っているのはいつものこと。でもきっと瞬も同じだったんだろうなーって。それだけです。 |