StarDust Side:L 愛していると叫んでも誰も何も答えてくれなかった それが寂しくて悲しくてたまらなかった。 だが構ってほしいなどと子供じみた事を思ったことはない。 地上を、人間を滅ぼそうとしたのはあまりにも腐敗しきっていたからだ。 天馬星座の少年が女神を庇って冥王の魔剣を受けて倒れた。 激昂したアテナが黄金の尺杖に小宇宙を絡ませて投げつける。 女神と、少年の兄弟たちの≪想い≫は愛を知らぬ冥王の身体を打ち抜いた。 「な……なんだと……!?」 「これが愛です、愛の力です。ハーデス……」 「ば、ばかな……余が、死を司る余がこの冥府において倒されるというのか……」 信じられぬとばかりに自分の身体を見つめる冥王の背後で彼が司る世界は確実に崩壊を見せていた。冥王は自身を貫いた女神の杖を引き抜くと苦悶の表情とともにその口許をこの形に歪める。 「だがアテナよ。人間がいつまでも地上の覇者でいると思ったら大間違いだ。いつか、いつか必ず滅ぶぞ、そして貴女自身も……」 女神は愛した天馬を膝に抱いたまま消えゆく冥王を見つめた。 「分かっています。でも、その≪不確定な未来≫が訪れる日を私は少しでも先にしたい。そのためにこれからも戦い続けます……」 眠った様に動かない少年の髪を梳いて、女神は少女の様に微笑んだ。 その微笑が冥王は敗因と、地上の未来を想わせる。 「そうか……では、貴女の行く末を見ていよう。世界のすべてを……さらばだ、アテナ」 「……ごきげんよう、ハーデス」 相容れぬ闇と光はこうして進むべき道を別った。 「さあ、帰りましょう。光溢れる世界へ……」 翼持つ天馬は、今は飛べない。 かわりに氷の白鳥と炎の鳳凰が天馬の少年を丁寧に抱き上げ、龍が女神を護る。 だが鎖を宿す少女だけが遠い背後に倒れる冥王を見つめていた。 その王女の肩を、眼光輝く軍神がそっと押した。 「――いってらっしゃい、瞬」 「沙織さん」 姫の心を見透かすように女神は微笑んで言った。瞬は星矢もさることながら冥王のことも心配していたのだ。 「気になるのでしょう、あの人が。大丈夫、あなたは私の血を受けているからこの世界の崩壊に飲まれることはないでしょう。何かあっても必ず助けに来ます。星矢も必ず私が……だから心配しないで」 「……我侭を聞いてくださって、ありがとうございます」 少女は小さく頭を下げると不満そうな顔をする兄に笑いかけて不安定な足場をものともせずに駆け出していった。 「あんな男にも優しいものだな」 「こうなると天性だな、あの優しさは」 「星矢が心配です。急いで地上に戻りましょう。一輝、瞬の事はあとで私が必ず」 「……頼む」 ぶっきらぼうにそれだけ言って、鳳凰の戦士は異母弟を抱きなおした。 壊れていく世界に不自然な温かさ。 傷ついた自分を癒す不思議な小宇宙。 「だ、れ……だ」 「よかった、気がついたんですね」 逆さまに現れた亜麻色の髪、銀河の瞳。ジュデッカで憑依する寸前の輝きを取り戻した少女は眩しいほどの微笑を見せて冥王の前に現れた。 「なっ……瞬ではないか!? 何故だ、アテナと一緒に逃げなかったのか!?」 居るはずのない少女の姿に驚いた冥王が起き上がろうとするのを瞬は強引に押し留めた。 「動かないで、傷は深いんですから」 少女の小さな手が冥王の胸元から腹部にかけて広げられ、薄紅色の温かな小宇宙を放出させている。その行為の意味がわからず、冥王は少女の腕を掴んだ。 「何をっ…している」 「あなたはどこまで節穴なんですか。見れば分かるでしょう、傷を治してるんですっ。あ、でも私の力でどこまで出来るかはわからないけど……」 額に滲む汗をそのままに、瞬は冥王に小宇宙を与え続けた。 そんな瞬を冥王は不可解だとばかりに見つめている。思わず掴んでいた腕を放し、彼女のしたいようにさせている。 「何故だっ……」 「え?」 「余はそなたを……そなただけではない、地上も人間も完全に壊そうとしたのだぞ、このまま余を見捨てればよかったものを。余を助ければ余はまた地上の制圧に乗り出すぞ」 「あ……そうですよね。でもね、ハーデス。あなたがいなくなったらこの世界の命の循環はどうなるんです? それこそ地上は大混乱ですよ、きっと。あなたが此処で消えて地上が混乱するくらいなら生きていてもらったほうがずっと良いに決まってます」 「瞬……」 「ね? 生きるってこと、死ぬってことはそんなに軽いことじゃないんです」 死闘の果ての小宇宙の放出、瞬の優しい力は徐々に揺らぎ始めていていた。 「んっ……」 加えて彼女はその身に冥王を受け入れている。その疲労はすでに極度に達し、限界を超えているはずなのだ。 人なる少女の奮闘に冥王は自身に鞭打つ様に身体を起こした。 「う……」 「だめ、起きないで」 「人なるそなたがそこまでしておるのにっ……つ、神である余がいつまでも寝ておれぬ」 冥王は起き上がると苦しげに瞬を見つめた。 まだ傷は完治していないが動けないほどではない。 「……そなたはどこまでお人よしなのだ。余はそなたを殺すつもりだったのだぞ? 今も……こうしてそばにいるそなたを……」 「今のあなたにそんな力はないでしょう? もっとも、私もあなたを相手にする余力はっ……」 座っているのに揺らいでいる少女の上半身を抱きとめて、冥王も顔をしかめる。 共に手負いなのだが、それでも支えたいと思った。 軽い少女の体に重い運命を負わせたのは神々の仕業。 聖闘士としての運命と、神を宿すべき巫女としての宿命。 生まれてくるために死んでいったもうひとりの誰か。 それぞれにそんな誰かを持ちながら出会うために今日まで来た。 戦うためではなく、ひとつになるために。 だけど今此処に個として存在する以上、ふたりは永久にひとつになることはないのだ――繋がる以外には。 「大丈夫……なはずはないな」 「あなたこそ」 「余は神だ、そなたより回復は早いぞ」 闇に近い紫水晶のような冥衣が瞬の体を抱き込んだ。薄紅黄金に輝く神聖衣とぶつかって清涼な金属の音を響かせる。 「瞬……そなたの望む≪戦争のない世界≫は未来永劫、創造られることはない。それでもそなたは地上の愛を信じ、平和の為に戦い続けるのか?」 冥王の問いに瞬は静かに頷いた。 何故と重ねられる問いかけにも彼女は淡々と応じる。 「あなたは人間の醜い一面しか見ていない。人にだって優しさも愛し敬う心もあります。誰だって争いなんてしたくないって思っているはずなんです。だけど我侭ですからね。私だって、自分のこの手で護れるだけの人間だけ守れればいいと思っていますよ」 「随分と謙虚ではないか。地上すべてを護ろうとするアテナとは違うな」 「私は人ですからね。でもこの手に護った人が、今度はその手で誰かを護る、そうやって広げていけば」 きっと世界は共存と博愛と繁栄を辿るのだろう――その先に再び破局が待っていたとしても。 「繁栄の先に破滅が待っていたとしても、それが人の手になるものでなければそれでいいと思います。神様の傲慢によるものもいやですけど」 「……そなたとならうまくやっていけると思ったのだがな」 同質の願い、異質の道、神と少女はそれでも手を取り合った。 「こんなに温かい手をしているのに、どうして何もかも壊そうとするの?」 「……それがよいと思ったからだ。壊すほうが創るより簡単だからな」 「でも壊してばかりでは何も出来ない。今そこに何かがあるなら見守ってみるっていう方法もあったはず」 「見守って、もうだめだと思ったから壊そうとしたのだ。それをそなたたちが余を一方的に邪悪だと決めつけて……」 むくれて顔を背けるハーデスに瞬は小さく笑いかけた。声を立てて笑うようなことでもなかったし、今の彼女には言葉を返すだけでも精一杯だった。 「死ぬのは誰だって恐いですよ。恐いからだんだんおぞましくなって、そして忌み嫌うようになって」 「わかっておる。だが何故たったひとつしかない命を、人間は粗末にするのだ。命が命を支えているという流転の基本さえ忘れて貪るだけ。もはや惑星さえも悲鳴を上げている」 母なる大地と父たる天空に手を伸ばす――腕の短さにさえ気付かぬ愚かな傲慢さ。 「余が地上に手を出せぬ時間など、ほんの少しだぞ」 「それは人間にとってはどれほどの長い時間なんでしょう……」 結局アテナの言を入れて地上の覇権を望まないということの裏返しなのだと瞬は笑ってみせた。 「バカにするな、余がその気になれば本当に……今回はそなたが逆らうからだな」 「逆らいますよ。私はアテナの聖闘士ですよ? どんなにあなたが言っていることが正しくでも簡単に地上を破壊されてたまるもんですか。私を選んだのがあなたの最大のミスです」 十三年前の小さな侵略を失敗したことが大きな仇となって冥王の計画を破綻させてしまったという事実だけが圧し掛かる。 だけど。 「……そなたでなくてはならなかった。どうしても」 「なんでですか?」 「余の憑代はその時代にいちばん清らかな心を持つ人間と決めているのだ。だから、そなたでなくてはならなかった」 「ハーデス……」 瞬は複雑な思いでハーデスの横顔を見つめていた。 自分がそんなに清らかではないことを彼女はたった十三年という歳月を振り返って思うのだ。 誰も傷つけたくない、戦うのはやめにしようというこの唇とは裏腹に握った鎖でいくつもの命を奪ってきた。 それでもハーデスは瞬から離れようとはしなかった、それは何故なのだろう。 彼が回復するにつれて崩壊の地鳴りが少しずつやんでいるのがことだけは分かる。 神の力の偉大さを知ると同時に、彼女は孤高の存在であることの拭いがたい寂寥も知ってしまったのだ。 「寂しかったんですね」 「は?」 思いがけない言葉に冥王は思わず蠍座な反応を見せた。瞬の見せる笑顔は戦士のそれではなく、普通の少女のものだった。 「だって寂しくてかまってほしくて」 「そんなわけあるか! 余はもっと崇高な目的を持ってだな……そなたと話していると調子が狂う」 誰も知らない冥王の心。自分を否定し続けた想い。 悠久とも思える刻の中、深遠なる闇とともに眠り続けた歳月。 それを寂しいとも悲しいとも思わなかったのに。 だが瞬に指摘されて気付く、自分の心の奥の願い。 「なら、そなたが余の無聊を慰めるか?」 「え……」 「え、ではない。そなたのいう愛というものを示して見せろ」 見返りを求めない愛などないと知っているのに、何故か彼は瞬にそれを求めた。その行為がのちに天地、大海、冥府の三つの世界を巻き込む壮大な恋物語の序奏であることなど、今は誰も知らなかった。 瞬は少し考えて言った。 「……無理です、だって私はあなたを愛してないから」 「……そうだな、あんなことをした余を愛せというほうが無理か」 冥王は残念そうに、けれど少し嬉しそうに苦笑した。彼女は拒否したものの、その理由が嫌悪によるものではなかったからだ。 魂の奥底の交わりは愛ではなく陵辱、破壊するための無残な行為。アテナの血によって清められたのか、彼女はそのことを覚えてはいなかった。 でも、だからこそ始まったのかもしれない。 「ハーデス」 「ん?」 「あなたは地上を愛しいと思った、それだって立派に愛ですよ」 「だが一方的だろ。地上が余を愛してくれるわけではないし。神とは往々にして見返りを求めるものだぞ」 「なんか私たち、分り合えないみたいですね」 それは出会いも重ねた時間も最悪だったからだろう。 「……そなたなら、構わないのにな」 「何か言いました?」 「いいや」 冥王の身体に流れる幽闇と、薄紅の小宇宙。敵だった自分を助けようとわざわざこの崩壊しかけた世界に留まったたったひとりの少女がくれた贈り物のひとつを、冥王はそっと目を閉じて感じる。 温かくて美しい銀河、瞬という心。 「余は……そなたを選んだことは間違いだとは思わぬ。願わくは、これから先、そなたのような人間が増えていくことを」 何を思ったのか冥王は瞬の頬に手を添え、自分のほうに向かせた。 「ハーデス?」 「また会いたい。もっと話をしてみたい。故に、生きろ」 神の口づけは祝福か呪詛か。 突然触れてきた冥王の唇に瞬は大きな瞳をさらに見開いた。 「ん……」 ほんの僅かな触れ合い。離れていくその刹那、愛しさはまだなくて。 冥王は遥か天空を仰ぎ見た。 「……アテナが迎えに来たぞ。アテナの血と余の加護を受けて地上に戻るが良い」 「あなたは、どうするの?」 不安げに神を見つめる少女の瞳、冥王は瞬の亜麻色の髪を梳き、ひと房すくって口づけた。余り長くない瞬の髪に触れるためにはかなり近づかなければならない。 「あの……」 頬を紅潮させる瞬に微笑みかけ、冥王はすっくと立ちあがった。 六枚の黒翼は生と死、覚と眠、創造と破壊とを司る。 「そなたたちに地上をしばし預けよう。理想通りの世を作るために戦い続けるがいい。だがそれでもなにも変わらぬ時は、今度こそ容赦はせぬ」 冥王は投げ出されていた白銀の剣を拾い、鞘に収めるとすっと腕を上げて何かを指した。 その先に、純白の軍神アテナ。 「行くがよい。ついでにこれも持っていけ」 瑠璃色の硝子状の瓶に入れられた何色ともつかぬ球体――数もよくわからない。 「これは……」 「持っていけば分かる。いくつかどうしても見つけられないものがあったが、十分だろう」 地上のために必要なのだと言い、冥王は瞬の背中を押した。 「行け」 「ハーデス……また、会いましょう? そして今度はゆっくりお話しましょう」 「ああ……」 交わした約束に互いに笑いあった。 アンドロメダにはなかったはずの翼を広げ、少女はアテナのもとに。 抱き合う乙女たちを見送って、冥王はため息をついた。 「あの小娘、時代を重ねるごとに恐ろしくなるな……」 戦うたびに破れ、それでもなお地上の覇権を奪おうとするのは。 「余とて、地上も人も愛しい」 地上で生まれ、父の腹中で育ち、冥府に暮らすハーデスは愛と光に飢えていた。 その唇に少女の名を乗せる。 「瞬……」 なんだろう、この懐かしい想いは。 「瞬……そなたは余のなんなのだ?」 この時代の憑代としての存在だけではないなにかが、彼女にはある。 自分の中に漂う薄紅の小宇宙が自分のそれと同化する、それが異様に心地いい。 生命の流転を守って欲しいと願った少女のために。 「余もアテナと同じだということか……」 冥界の崩壊が完全に止まった今、彼は双子神とパンドラ、それに百八の冥闘士の魂を呼び集めた。 「流転は万物の基本、なれど……」 ほんの少しだけだと冥王はくるくると回る魂たちに小宇宙を与えた。 そして季節はめぐって。 「そなた、余の妻となれ」 「……は?」 蠍座な反応をしてみせた瞬に、冥王は顔色も変えずに続けた。 「聞こえなかったのか。余の妻になれと言ったのだ。余のもとに来れば不自由はさせぬ、考えることもあるまい。良き日を選んでおくゆえ、身支度など整えておれ。身一つで嫁いできても構わん」 「ちょっ……」 それだけがっつりと伝えて、冥王は瞬のもとを去った。 ひとり応接室に取り残された瞬は彼がいた場所を呆然と眺めている。 「また会いたい、話をしたいとは言ったけど……いきなり……」 プロポーズだなんて、神様の考えることは本当に良くわからない。 あのとき冥王がくれた瑠璃色の球体はこの聖戦で亡くなった聖闘士たちの魂だった。今は聖域の十二宮に黄金聖闘士と白銀聖闘士がアテナのもとに集い、地上の愛と平和のために暮らしている。 瞬はぶんぶんと首を振った。 「そ、そうよ、私だってアテナの聖闘士なのよ。ハーデスのお嫁さんになんてなれるわけないじゃない……」 自分でそう納得して小さく笑う瞬、だがその笑いも束の間、彼女はそっと唇を辿る。 あのとき冥王は何故自分に口づけたのだろう。 「私はどうすればいいの……」 これから先もアテナの聖闘士として生きることを決めた少女に降って沸いた神との縁談。ギリシア神話において、神と人間の恋物語はたくさんあるけれど。 頭を抱え、少女はただただ困惑するばかり。 一方の冥王もけろりとしていたわけではない。 彼は瞬のもとを去るとまっすぐに冥界へ戻り、自分の神殿に引きこもった。 「な、なんとか言えたな……」 生まれてこのかた、独身を通してきた(というよりそうせざるを得なかった)ハーデスは初めての求婚に高鳴り続ける胸を押さえていた。 ペルセポネとは元来存在したものではない。言うなればそれは冥府の女王としての称号である。故にその冠を戴く少女の真の名は別にあるのだ。 「瞬こそ、余のペルセポネに相応しい……」 自分の傍らにあってともに笑ってくれるだろう薄紅の少女。 冥王の手になる星型の約束は神としての未来永劫を誓う。 彼の中に芽生えた想いは確かな恋心、今は地上よりも瞬が欲しい。 「しかし、なにか大事なことを言い忘れたような気もする……」 それがなんなのか分からない冥王はジュデッカにてパンドラに指摘される。そして慌ててプロポーズのやりなおしに再び地上に赴くことになるのだがそれはまた別のお話。 恋の結末と地上の存続を引き換えにしない冥王の想い アテナとハーデスの間に揺れるアンドロメダの少女 限りなく同質の、地上への想いを重ねて、同じ道を作れるのなら ああ、もう傷つけあうことのないように――愛はきっとそこにある それこそが『ねがい』 ≪終≫ ≪何故なんだ≫ うっはい、あとがきだあとがきー。今回は『Side:L』ということで『Side:E』の続きです。意味もなく続き、うん。Lにも特に意味はありませんです。これで『ねがい』に繋がるんだぜIYH(だからそういう構成は止めろ)。 あれだ、ハーデスもいやに簡単に瞬に惚れたんだなーって思ったね、俺は。 うん、まあ、そういうことだから。 |