乙女革命カタルシス 少女はいつまでも乙女のままにあらず 日々の中に恋という革命を得て 愚かな男たちの先を行くのだろうか 夏もそろそろ終わろうかと思いたい9月上旬、沙織のそばで書類を捌いていた瞬が盛大にため息をついた。 「あら、どうしたの?」 灰褐色の髪も麗しい、眼光鋭いアテナ沙織はキーボードをたたいていた手を止める。沙織は女神であると同時にアジア最大のグラード財団総帥としての顔も持っていたから、齢十三歳にしてすでに多忙だったのだ。 それでも女神としての慈愛に溢れる彼女は悩める乙女の声を聞き漏らさない。 ましてや今そばにいる少女はいつも自分のそばで戦ってくれたアンドロメダの女闘士。 瞬ははっとして口を噤んだ。 「すみません、仕事中に」 亜麻色の髪の乙女は心底申し訳なさそうに謝罪の言葉を唇に乗せたが沙織は面白そうに笑う。 「いいのよ。それよりなにかあったの?」 「うーん……」 書類をぱらぱらと扇のように動かして自分を扇ぐ瞬は話したものかどうか迷っていたのだが沙織が興味津々に覗き込んできたので、黙るのを諦めた。 「実は昨日の夜、ハーデスとちょっと意見の相違があったんです……」 「あらあら、喧嘩したの!?」 爛々と目を輝かせる主たる女神に瞬は疑惑の目を向ける。 「……心配してるんですか、それとも面白がってるんですか?」 「いやねぇ、心配してるのよ。あなたと私は同じ年の女の子ですもの。で? 何があったの?」 なおも疑いの目を向ける瞬だったが、やはり沙織は心許せる同年代の少女でもある。彼女は静かに唇を開いた。 「……すっごく気が早いと思うんですけどね、結婚した後のことで揉めちゃって」 「まあまあまあ!」 身を乗り出してくる沙織に瞬は激しい後悔を覚えながらも先を続けた。 「私は、許されるなら結婚後もアンドロメダの聖闘士を続けたいと思ってるんですけど……でもハーデスは専業主婦になれって言うんですよ」 「専業主婦とはこれまた懐かしい響きね」 「別に専業主婦がイヤだって言ってるわけじゃないんです。だいたいハーデスのお妃様が専業主婦なのかどうかも疑問はあるんですが、それはまあ置いておいてですね。私は地上の平和のために生きていきたいんですよ。ハーデスと結婚してもそれはずっと変わらないでいたいんですよね」 「あなたのそういう心、私は大好きよ。誰のためでもない、地上の生きとし生けるもののために生きていこうとするあなたが、ね……」 瞬の亜麻色の髪に優しく指を差し伸べて、女神は穏やかな微笑を浮かべた。 女神の後を追うようにこの世に生を受けたアンドロメダの聖闘士はその美しく清らかな魂ゆえに冥王ハーデスに見初められ、今は敵対した過去を乗り越え、恋人としての関係を築いている。 愛を知らなかった冥王にその喜怒哀楽のすべてを教えている瞬に苦労は耐えないようだが。 「でも頭ごなしにってわけじゃないんじゃない?」 「え……」 「ハーデスはきっと……もうあなたに傷を負ってほしくないんじゃないかしらね」 「沙織さん……」 まるで彼の心が分かるかのような沙織の言葉に瞬はほんのわずかに驚いたが、彼女はただ笑うだけだ。 「どうしてって顔してるわね」 「え、だって」 「私も、同じだもの。あなたには幸せな結婚をしてほしい。聖闘士を続けるかどうかはあなたの気持ちひとつだけれど、もう傷ついてほしくないとも思うのよ。もちろん、あなただけじゃなくて星矢も、他のみんなもね」 女神の深い心はどこまでも地上と、その護戦者である聖闘士たちに向けられている。 「あなたがハーデスを選んだ、という前提で話すけどね。きっとハーデスはあなたに主婦的なことは求めていないのよ。ただそばにいてほしいだけなんだわ」 「そう……なのかな」 そっと握った拳を口許に当てて呟く瞬に沙織は優しい笑みを向ける。 「そこまで話さなかったのね?」 「いつもなんです。いつも……突拍子もないことばっかりで、汲んであげようにもなかなか難しくて……」 「ハーデスの相手も大変なのね」 「ずれてますからね、あの人」 ふたりの少女は楽しそうに笑いながら今日のスケジュールを確認している。パソコンとアナログな手帳の両方で確認を取りながら沙織の手が夜の時刻で止まる。 「そうだわ、今日のパーティーは、大丈夫よね?」 「はい、ハーデスには前々から言ってありますから、今日は大人しく城戸邸にいてくれるはずですけど……」 「まあ大丈夫ね。いくら喧嘩しててもあなたに嫌われるようなマネだけは避けたいはずだもの」 今宵瞬は沙織お嬢様の補佐及び護衛としてパーティーに出席することになっている。彼女ほど護衛と思われにくい護衛もまた貴重な存在だ。 「じゃあ夕方の17時にこちらに来てちょうだい。いつものようにドレスとアクセサリーを用意しておくわね」 「はい」 沙織にとって瞬はただの聖闘士の一人でも、ましてや部下でもない。友であり、仲間であり、そして妹のように愛しかった。 瞬が去ったあと、沙織は彼女のためだけに誂えたドレスを眺めて一人で悦に入っていた。 「流石、アフロディーテにデザインをお願いしただけのことはありますね、よい出来です」 魚座のアフロディーテも瞬を妹と慈しむ女性の一人だった。そして彼女こそが冥王とカノンの対立のきっかけを作ったといっても過言ではないのだが、それはまた別の話である。 沙織は静かに唇を開いた。 「ふたりの男にひとりの女……最後にひとり取り残されるのは誰なのかしらねぇ」 取り合い系の演劇を好むアテナ。アテナは智略を尊ぶ武神であり、学問や工芸を司る神でもある。 沙織は瞬を巡る男たちの動向を興味津々に眺めている。 それからあっという間に夕方になり、瞬は紫龍に追いたてられるように城戸邸本館に出かけようとした。 「瞬、今日はパーティーなんだよなー。いいなー、お土産な!」 こどもっぽい星矢の言葉に瞬も紫龍もくすくす笑いながら双方で彼の栗色の髪を撫でまわした。 「なにすんだよ!」 「ごめんね星矢。遊びに行くわけじゃないんだよ。一応護衛っていうお仕事だからね。でも明日、星矢の好きなもの作ってあげるから」 「ほんとか!?」 お土産は無理だと言われがっかりした星矢も、瞬のひとことであっさりと立ち直る。 「うん、だから今夜は紫龍の言うこと、ちゃんと聞いてね」 「子供扱いするなよ! 瞬と同じ年だぞ!」 ほんの数ヵ月生まれた月が違うだけで、瞬は星矢のお姉さんになってしまうのだ。父を同じくする彼らはみな兄弟だから。 「じゃあ行ってくるね」 「気をつけてな……ああ、そうだ瞬」 数歩歩きかけていた瞬を追いかけて紫龍が立ち止まる。 「その……彼のことなんだが」 「言い聞かせてあるから、こっちに来ると思うけど……来ないかもしれないね、今夜は」 「そうか」 「ごめんね、紫龍……」 そう言って少し俯いた異母妹の髪を紫龍は優しく撫でた。 「お前が謝ることはない。だが気になるなら仲直りしたほうがいいだろう。どんな些細なことでも争ったままなのはいやだろう?」 「……うん」 この異母兄はいつだって理知的で優しくて、なんでも分かりやすく諭してくれる。なによりこの手が瞬は好きだった。 「気をつけて行っておいで」 「うん!」 兄弟たちに見送られ、瞬は沙織の補佐兼護衛としてパーティーに出向いた。 その頃の冥界では、ハーデスが項垂れて玉座に鎮座していた。 「……余はもう生きていけないかもしれない」 首をつりそうな勢いのハーデスを必死に宥めているのがパンドラとラダマンティスである。 「何を気弱な事を仰っておいでですか、もっと御気を強くお持ちください!!」 「ハーデス様がそのようではあのカノンめにアンドロメダ様を取られてしまいます!」 ラダマンティスとしてはこのような茶番劇、早々に切り上げて仕事に戻りたい一心なのだ、ときどき胃のあたりをさすっているのをミーノスは見逃さなかった。 「で、喧嘩の理由はなんなのですか?」 ミーノスの問いかけにアイアコスがそうなんだと首を巡らせる。ハーデスは静かに抱えていた頭を上げた。 「……余はまだ喧嘩したなどとは言ってはおらぬぞ」 「でも大体察しはつきますので」 三巨頭唯一の女性である彼女はチーム・トロメアを率いている。トロメアでは通常業務の他に『いかにしてアンドロメダ様を妃として御迎えするか対策室』もたちあがっており、ハーデスの相談を受けている。ちなみにチーム・トロメアは全員女性だ。 いつもハーデスの身の回りを世話するパンドラはこういうときまったくといっていいほど役に立たない。何故なら彼女もフェニックスに恋する乙女の一人だったからだ。 ハーデスは静かに唇を開いた。 「瞬に、余と結婚したら専業主婦になれと言ったのだ。そしたら瞬は聖闘士は辞めない、自分はずっと地上の愛と平和のために尽くしたいと……」 「それで喧嘩になったんですか」 「まあ、その、なんだ。喧嘩というか言い争いというか……」 「なるほど、あのアンドロメダ様ならそう言いそうな気はしますけど」 ステキな博愛・平和主義を謳いながら鎖を振りまわし、鳳凰を召還するアンドロメダの聖闘士。 ハーデスはよりにもよってとんでもない少女を憑代に、そして妃に選んでしまったものだ。 「それで、アンドロメダ様は口もきいてくれなかったのですか?」 「そうなのだ! 余がこんなに愛しているのに昨夜瞬はペガサスの部屋で寝ると言って出ていき、朝になっても見送りもしてくれなかったのだ!!」 よよよと泣き崩れたハーデスを宥め励ますのはやはりパンドラとラダマンティスのふたりだ。 そんな王神とパンドラ、それに同僚を眺めながらミーノスはとなりでのんきにお菓子を食べていたアイアコスの髪を撫でた。 「なんだよ」 「いえ、男なんてみんなバカだなーって思ったんですよ」 「ふーん」 ミーノスの言葉も耳に届かないくらい、ハーデスはさめざめと泣きながら鼻をすすり上げていた。 「余は、どうすればよいのだろう」 「……ハーデス様、ひとつお伺いしてもよろしゅうございましょうか」 「なんだ?」 一歩前に進み出たミーノスは白銀の髪麗しい淑女であった。長い前髪に隠した瞳は切れ長で涼やかだ。 運命の星は天貴星、怪物でありながら中世欧州において紋章の中に生き続けた霊獣グリフォンの冥衣を纏う。 ミーノスはほんのり笑顔を浮かべて言った。 「どうして専業主婦してほしいのか、ちゃんと言いました? まさかとは思いますけど、“黙って余について来い”なんて言ったんじゃないでしょうね?」 彼女の問いかけにハーデスは少し考えて答えた。 「そんな古いことは言わぬ。ただ余は瞬に、もう傷ついてほしくないだけなのだ。地上の愛と平和のために尽くしたい、それもよかろう、だが余は……」 そばにいて、笑っていてほしいだけ。 嬉しいことがあれば一緒に喜んで、哀しいことがあれば共に泣いて。 そうやってずっとずっと暮らしていければいいと、それだけを願って。 「次代のアンドロメダが現れるまで聖闘士を続けても、それはそれでかまわないのだ」 「で、それをちゃんとアンドロメダ様におっしゃいました?」 「…………」 しばし、ジュデッカを駆け抜けた沈黙。 それは十分すぎるほどの肯定でもあった。一同やれやれとため息をつく。 「なっ、なんだそなたら! 余をアホだと思っておろう!」 「いえ! 決してそんなことはございません!!」 強く断言したパンドラであったが、プロポーズのときと同じ展開に流石に頭を抱えたくなった。 「けれど、よろしいではございませんか。これからどうすればよいのかわかったのですから」 「……余の思いを、ちゃんと伝えてくればよいのだな!」 「御意」 少し可笑しそうに頬を緩めながらも頭を垂れるミーノス。 ラダマンティスはやっと仕事に戻れるとばかりにこっそりため息をついた。 恋をするのに神様も人間も関係ないし、なにより思いを伝えることの重要性は変わらない。冥王はそれをときどきうっかり忘れるだけのこと。 冥王はそれだけ瞬を愛しく思う、だから突っ走って失敗することもある。 ハーデスが地上へ赴いた後、ミーノスはパンドラの横で笑っていた。 「何が可笑しいのだ、ミーノス」 「いえ。ハーデス様は初めての恋、アンドロメダ様はまだ13歳の少女。まるでままごとのようだと思いまして」 恋を知らぬ神と、その想いに揺れる乙女と。 だがパンドラは答えなかった。 ままごとのような恋なら、それはそれでいい。黒衣の乙女は鳳凰の眩さを想いつつも、その羽根に抱かれる幸福感をまだ味わったことがないのだ。 告げられぬ思いと、遂げられぬ恋と、果たしてどちらが寂しいだろう。 「パンドラ様も、ハーデス様のように頑張られませんと」 そう言ってにこっと笑ったミーノスに、パンドラはぼっと顔を赤らめた。 つい先頃一輝とドイツデートをしたばかり。しかもあれが冥王からの誕生祝いだったと後に知ったのだが、全く進展を見ていない。 パンドラはついうろたえてしまったのだが、シオンの『うろたえるな小娘』はこの冥界までは届かない。 「わわわわ、私のことはよいのだ、それよりもハーデス様のご成婚のほうが先であろう!?」 「いいんじゃないですか、どっちが先でも。ねぇ、ラダマンティス?」 いきなり水を向けられてラダマンティス、パンドラ同様にうろたえたがやはり『うろたえるな小僧』もこのジュデッカまでは及ばない。 「おおおお、俺は別に。ただ臣下としてハーデス様を支えて差し上げるだけだ!」 「じゃあルネをアンティノーラの誰かとお見合いさせてもかまいませんね?」 「グレイテスト……」 「ええい! やめんか! ハーデス様の玉座を血で汚すつもりか!!」 「お菓子のくずならいっぱい落ちてますけど」 なおもぱりぱりむしゃむしゃとスナック菓子をほおばっていたアイアコスが足元を見た。 「あちゃー……」 「……誰かある! はやく掃除を!」 ハーデスそっちのけで盛りあがっていたジュデッカであった。 その頃、瞬は沙織と共にパーティー会場を出ていた。力を抜くようにため息をついた瞬を微笑ましそうに見つめながら、沙織は笑顔だった。 「疲れちゃった?」 「いいえ。ただすごく緊張しちゃって……」 沙織のお供をしてパーティーに出ることは数回あったのだが、やはりこういう煌びやかな世界には慣れないでいる。それも無理からぬことと、沙織は密かに思った。 彼女は――瞬たち聖闘士は、幼い頃からこの世の地獄と呼ばれる辺境の地で修行をし、生き延びてなお血で血を洗う戦場にあって傷を負い続けてきたのだ。 だから沙織はそっと瞬を抱きしめた。 「沙織さん?」 「……やっぱりハーデスはあなたに傷を負ってほしくないんだわ。いいえ、この世に生きる人の誰が自分の大切な人を傷つけたいなんて思うかしら。それだけハーデスはあなたを」 「それ以上言うな。余のセリフがなくなるではないか」 かつ、と靴を鳴らして少女たちの傍に立つのは冥王ハーデス。その類希なる美貌に敵うものはこの地上にはほとんどいないだろう。逆立つ黒髪は夜と同じ、澄んだ水底のような瞳には愛しい少女しか映さない。 「あら、ハーデス。こんなところまでのこのこと」 「悪いか」 「いいぇえ、誰もそんなこと言ってはいませんわ。なんのご用ですの?」 わかっているくせにいけしゃあしゃあとのたまうアテナにハーデスはキレそうになりながらも必死で耐えた。 「瞬に用があってきたのだ。瞬……」 将来専業主婦になるかどうかで散々言い争った昨日の今日で、ハーデスがこんなところまで迎えに来た。その事実を瞬はなにがあっても認識しなくてはならなかった。 「瞬……余はただ話がしたいだけだ。危害を加えたりはせぬ。余が約束を破ったことがあるか?」 「……い、いいえ」 毎晩会いに来る。夜を共にしてもその肌と最奥には決して触れない。ハーデスはそれをちゃんと守っている。 元始なる河の女神に立てた誓いを破ることは神であろうと許されないのだ。 それだけではない、ハーデスにとって無理強いすることは愛しい瞬を傷つけることに等しいから、やはりできなかっただけのこと。 でも、それが彼らしい愛の形なんだと、瞬はちゃんとわかっていた。 「沙織さん……」 自分を庇うように立っていてくれた沙織の腕に瞬の指先が触れた。 「私、ハーデスと行きます。ちゃんと話をしなくちゃいけないことがあるから……」 「瞬……」 薄紅色のドレスの裾を清かに滑らせながら、瞬はハーデスの手を取った。姫たる星を持って生まれた彼女はまさに現代のアンドロメダに相応しい。 「あなたが直々に来て下さったんですから、受けて立ちますよ」 「それもなんか違う気がするが……まあ、話を聞いてくれるのならよい」 そういって瞬をつれていこうとしたハーデスを沙織が何故か慌てて止めた。 「瞬! あなたに言っておきたいことがあるのよ」 「なんですか、沙織さん」 沙織はウフウフ笑いながらハーデスにも聞こえるように言った。 「もういっそのこと朝帰りしなさい! 一輝たちにはうまくいっておきます」 「なっ……あ、朝帰り!?」 「ふむ、それはいい考えだな」 二柱の意志に呆然としたまま、瞬はハーデスによって何処かへ連れ去られた。 瞬の耳には“頑張るのよ!”という沙織の声しか残っていなかった。 空は雲ひとつない漆黒で、星が少し瞬いているだけだった。人の営みは不夜城、天の灯りを霞ませてなおその愚かさを悟らない。 静かな石畳の上を歩く神と少女はその手さえ繋いでいなかった。 「余は、謝りに来たわけではないからな。そなたを余の妃に迎えたいという気持ちは変わってはおらん」 「私だって謝りませんよ。苦労してなった聖闘士の地位、惜しいですもん。弱くて、泣くだけしか出来なかった私が頑張って得てきた力や仲間たち……地上のためにこれからやっといろんなことが出来るんです。だからあなたのそばでぬくぬく暮らすなんて、私には出来ない」 少し俯いて話してはいるが、その語気に弱さは微塵も感じられなかった。 ふたりは真っ直ぐ前を向いたまま、視線を合わせようともしない。 「あなたの妃になるならないの話じゃないんです、私は」 「分かっておる。余も聖闘士を辞めて余に尽くせなどと度量の狭いことは言わぬ。ただ、余はそなたにもう傷ついてほしくないだけなのだ……」 「ハーデス」 今まで僅かに離れていたふたりが急に接近した瞬間だった。 ハーデスの腕に抱かれた瞬は頬を赤く染めながら明後日の方向を見ている。 「は、ハーデス?」 「そなたの身体に……」 「え?」 瞬の両腕をそっと掴み、神はじっと彼女を見つめた。 「そなたの身体に、無数の傷があった。腕や足、胸にも深い刺し傷が……そなたに憑依したとき、余はそなたが負った傷をすべて消した。醜い痕があるのが気に入らなかったのだが、それ以上に、そこまでして地上を守る価値があるのだろうかと……余はそんなことを考えていた」 首を締め、魂の奥底から互いを殺しあう葛藤の中、冥王は少女の傷を消していた。 「そなたが傷ついてまで守る地上ではあるまい……と、本当は言いたいところなのだがな。この地上に愛と平和がほんの少しでもあるなら……それを守りたい人間がいるのなら。余はそれでもいいと思う。だが、それをするのはそなたでなくともよいのではないか? 戦う以外にも守る術はあろう?」 ハーデスの言葉を一音一音響かせながら、瞬は静かに目を閉じた。 「私は、戦うのは嫌いなんです。でも戦わなくては守れなかったから、戦ってきた。きっとこれからもそうします。だってそれが聖闘士なんだから。あなたの気持ちは嬉しいんですけど……でも私は……」 瞬の想いを聞きながら、ハーデスは静かに問うた。 「やはり聖闘士は辞めぬと?」 「はい」 「余の妃には?」 「それは……まだ考え中です。聖闘士のままでもいいのなら……」 「問題ない。そなたが聖闘士だろうがなんだろうが、瞬というひとりの人間ならなんでもかまわぬ」 ぎゅっと抱きしめて。そしてそっと謝ろう。 あなたの気持ちを全く察していなかったこと。 「ハーデス……」 「ん?」 「……ごめんなさい、あなたの気持ちを全然わかってあげられなくて……つい、いつもの勢いで言ってるんだって思ったから」 瞬が小さく笑いながら言うとハーデスは少し照れたように指先で頬を掻いた。 「んー、そう言われると返す言葉もない。だが余は余なりに考えて言ったのだ」 「はい」 「……余こそ、その……済まなかったな」 まさか神から謝罪の言葉をもらおうとは思わなかった瞬は目をぱちくりさせてはいたが、強く抱きしめられていたのでその表情をハーデスに見られることはなかった。 ただ、背中と髪に添えられている手が暖かくて、心地良かった。 「瞬……瞬……好きだ。愛している……」 「ハーデス……」 私もと、小さな小さな囁きが口づけに飲み込まれた。 何度か角度を変えて触れ合う、優しいだけのキス。それがいつしか物足りなくなって。 ハーデスはちろりと瞬の唇を舐めた。 「んぅ……」 瞬の唇が熱さと呼吸の辛さに耐えかねて薄く開いたころを見計らい、ハーデスがするりと舌を瞬の口内に差し入れた。 「んっ!?」 突然侵入してきた生温かいものを追い返そうと瞬は必死で舌を動かした。だがハーデスは執拗に瞬の舌を追ってくる。まるで絡み合うかのように深く深く犯されて瞬の瞳からひと筋の涙が零れ落ちた。 「んぅん……」 瞬が泣いても、ハーデスは止めようとはしなかった。 あとでどれだけ叱られても、今の彼は瞬を愛したいだけなのだ。肌に触れられないのなら、最奥へ達することが出来ない今なら。 こうするしか、なかった。 ようやく唇を離したハーデスを、瞬は涙で潤んだ瞳でじっと見つめた。あまりのことに声も出ないらしい。 「ハーデスっ……あなたっ……」 「愛したいだけだ。そなたを愛したいだけだ……」 涙を吸うようにそっと目尻に口づけ、ハーデスは瞬の背中を撫でた。 「驚かせたなら謝ろう。だが余は……本当に」 出来るなら、夜よ明けないで。 あともう少しだから。 「瞬……余はそなたがなによりも愛しい」 だから。 だからほんの少しでいいから。 地上が朝を迎えたので、ハーデスは冥界へ戻ってきた。 るんって感じで鼻歌でも歌っていそうだった、とは第二獄に住まうオルフェの言葉である。 ジュデッカの玉座でウフフフフフーッと笑うハーデスを見て、パンドラはちょっと引きながらも、うまく仲直りできたことを悟った。 「お戻りなさいませ、ハーデス様。そのご様子ですと、瞬様とは仲直りできたのですね」 「うむ、仲直りどころか少し進展したぞ!」 ガッと拳を突き上げてみせるハーデスにパンドラは感歎の声を上げつつ、僅かに頬を染めた。 「ど、どのようにでございますか?」 「気になるか? 気になるか、そうであろう! ンフフフフー」 にやにやと笑う冥王様、昨日の瞬との出来事を思い出しその笑顔は不気味だった。 「ほんの少しだけ肌を許してくれたのだ。白くて綺麗でふわふわしておった……」 「は、ハーデス様!」 「な、なんだパンドラ」 いつになく強く出てきたパンドラにちょっと驚きながらもハーデスは彼女から目をそらさなかった。 「肌の露出を増やせば、フェニックスは食いついてまいりましょうか!?」 「いや、それは男の好みというものでだな。余は清楚でいて、それでいて余の前でだけ少し妖艶な瞬が愛しいがな!」 「さようでございますか……」 微妙な方向転換をしようとしたパンドラをハーデスはさりげなく止める。 だが男のために変わろうとする心意気は悪くない。 (頑張るのだぞ、パンドラよ……) そっと祈るのはなんのためか。 ハーデスはパンドラの口紅の色が変わっていることにも気付かない。 結局瞬は日付が変わる前にハーデスと共に城戸邸へ戻ってきて一輝たちを安心させたが、逆に沙織をがっかりさせた。 夜が明けるまでのほんの僅かな時間を睡眠に使おうとしたのだが、瞬は眠れなかった。 ハーデスとのあのキスを思い出し、なかなか寝つけなかったこともあるのだが、その前にもハーデスは大胆な行動に出ていた。 瞬はドレスを汚さないように早く着替えようと背中のファスナーに手を伸ばしていたのだが、その手をハーデスに遮られたのだ。 「あの……ハーデス?」 「これを降ろせばよいのか?」 「え、ええ……」 瞬の言うとおりにハーデスは背中のファスナーをゆっくりと下ろし始めた。徐々に露になる白い背中にハーデスの中の男は確かに高まっていくのだが、瞬にはそれがわからない。 背中の中ほどまで下げると、あろうことかハーデスはその白い肌にそっと指先を這わせた。 「きゃっ!」 「……綺麗だな」 ハーデスはそう言って少し屈み、震える瞬の背中に刹那、口づけた。 「……!!」 「そう怯えずともよい、何もせぬ……、と言いたいところだがな。余も男だ、そのように震えられては……」 襲いたくなる、と囁いたハーデスはくるりと瞬を向き直らせると、大きく開いていた胸元の際どいところに口づけ、強く吸いついたのだ。驚いた瞬は力いっぱいハーデスを押し返したのだが、男神はびくともしなかった。 「いっ、いやあっ!!」 「大声を出すな、フェニックスが来てしまう」 「んっ!」 助けてほしい、止めてほしいという思考より見られたくないという感覚が先に働いたのか、瞬は口を覆い、ハーデスの髪を掴んで必死に耐えていた。そのいじらしい姿が可愛くて、ハーデスはついつい強く吸い付いてしまった。服を着た時には目立たないとはいえ、思い出すにつけ恥ずかしい場所ではある。 やっと顔を上げたハーデスは瞬の頬にそっと口づけた。 「済まぬ、そなたがあんまり可愛らしかったから……」 「だからって……だからって……ふえっ、ふええぇ……」 とうとう泣き出した瞬をハーデスはあれやこれやと宥めすかし、ようやく寝かしつけたのだった。とは言っても瞬は夜中警戒していたのだ。 そういうわけで彼女は寝ていないのである。 「あら、元気ないわね」 「昨日寝てないんです、ハーデスのせいで……」 淡い空色の豊かな髪を指先で弄んでいたアフロディーテが興味津々に乗り出してきた。心なしか目が輝いている。 「もうそんなところまで!? 結婚しちゃえばいいじゃないのん」 「えっ、いや、そういうことじゃなくて……あ、でもそういうことなのかな……」 「なになに、どうしたの?」 「んー……」 お茶を入れていたはずの瞬が逆にお茶を入れてもらいながら昨日のことをアフロディーテに話してみた。すると彼女は可愛いと声を高めて瞬をぎゅっと抱きしめた。 「もー、可愛いわね、瞬は」 「だって、すごく恥ずかしかったのに……」 「最初はね、みんなそんなものよ。私だって……」 自分がまだ瞬くらいの年頃には――そんなことを思い出しながら、アフロディーテは真っ赤な薔薇を一輪、瞬に差し出した。 「うふふ、毒はないから受け取って。思い始めたら止まらない、それが恋なのよね……」 情熱の赤い薔薇、それは羨望という名の穏やかな嫉妬。 瞬は素直に受け取った。 アフロディーテはにこやかに笑う。 「いい感じになってきたわね、瞬と神様」 「そう……なのかな」 「だって、そんなことされても嫌いにはならないでしょう? もちろん驚いたとは思うけど」 「あ……」 魚座のアフロディーテ、その名はキプロスの女神を同じもの。美しさを愛し、恋に生きる女神の名を冠する彼女もまた、同じように愛しい男を胸の奥に抱いている。 そんな彼女の指摘に瞬は自分の鼓動が早くなっているのを感じていた。 今朝方、帰っていくハーデスに『もう来ないで』とは言わなかった。むしろ帰ろうとする彼に手を伸ばしてしまうほどだ。 「愛しちゃったのかな……ハーデスのこと考えない日なんてないんです、私」 「ふーん……」 毎晩寝室訪問を繰り返せばイヤでも刷り込まれようというもの。愛しい少女のために努力を怠らなかった冥王の作戦は効を奏しているようだ。 「ねぇ、瞬」 「はい?」 亜麻色の髪の乙女はふと顔を上げた。 「瞬は、神様のこと、好き?」 突然の問いかけに瞬は一瞬戸惑ったが、素直な気持ちを答えた。 「……好きです」 「そう……じゃあ、その気持ちを忘れちゃダメよ。愛されたから愛さなきゃならないなんてことはないけど、だけど神様も必死だから」 「ええ、私も応えてあげられる努力はしてみようって思います」 瞬の決意に、アフロディーテはよしとばかりに髪を撫でてやった。 「あ、そーだ、忘れてた」 「なんですか?」 ごそごそとバッグの中を捜すアフロディーテの手許を気にしながら、瞬はじっと待っていた。 ややあって彼女が取り出したのは可愛らしい筒状のものだった。 「リップグロスなんだけどね、瞬に似合うと思って。可愛いローズピンクなんだよ」 手渡されたそれは綺麗なピンク色の液体を封じていた。 瞬もやはり女の子なのか、可愛らしいそれを嬉しそうに眺めていた。 「いいんですか?」 「もちろん。可愛い子には可愛くいてほしいもん」 「ありがとうございます。大事に使いますね」 「それでハーデスに仕返しすればいいわ」 「へ、どうやって?」 アフロディーテがそっと耳打ちする仕返しの方法に瞬が頬を赤らめたことは言うに及ぶまい。 その日の夜――瞬と冥王の誕生日を数時間後に控えていた夜、瞬は窓辺に立って星を見ながらかの冥王を待っていた。 天馬と王女を繋ぐ大きな四角形は秋の空の印、そして聖闘士たちの絆。 アルフェラッツはもともとペガサス星座の一部だったのだが、のち学者たちの手によって王女の冠にされてしまっている。 それでも、星矢と瞬の星宿が変わることはなくて。 瞬は笑顔のまま、ふうっと息を吐いた。 「今日は遅いなぁ、何してるんだろう……」 とっくに日は落ちたというのに、今宵冥王は未だに彼女のもとを訪れていない。 うっすらと引かれたローズピンクのリップグロスで、瞬の唇はつややかに色めいていた。 そんな唇で呟いた言葉は冥王の来訪を待ちわびている。 瞬ははっとして天を見上げた。 アンドロメダは海神の怒りを買った母妃のせいで生贄に捧げられた王女、決して冥王のものではなかった。 けれど故国のためと喜んで岩場に繋がれたその美しい心は幾星霜の時を越え、王女が星になり、聖闘士の称号となったのちも、代々のアンドロメダの聖闘士に受け継がれてきた。そして現代にあってその心は冥王の愛するところとなり、今に至っている。 「私たちは敵同士だった……それでも、なんで私はあの人が愛しいんだろう……」 「愛しいと思ってくれるのか」 ふと瞬が振りかえると、いつのまにか彼女の背後にはハーデスが立っていた。 「ハーデス……」 瞬はきゅっと唇を閉じ、彼の胸元に飛び込んだ。 「瞬……」 「遅かったじゃないですか、心配したんですよ………一応」 自分は何を言っているんだろうと思いながら、瞬はぎゅっとハーデスの胸元を握った。冥王はそんな瞬の柔らかな手を優しく包む。 「済まぬ、いろいろ準備していたら遅くなってしまった。もうすぐ、そなたと余がこの地上に生まれ出た日だからな。共に祝いたいと思って。それも、余がいちばんに」 「ハーデス……」 日付けはまもなく変わろうとしていた。 「そなたはそなたとして、余は余として生まれ、そして巡り逢った。そういうふうに余が定めた。この地上を征服するためのほんの小さな布石に過ぎなかったのだが……今はそれもよかったと思う」 愛しさが、そこにあるから。 「そなたはどうだ?」 「え……」 「余と出会えたことは、そなたにとってなんだ?」 深い色の瞳に見つめられ、瞬はただ考え込んだ。冥王の言葉を、瞬はまだじっくり考えたことがなかったからだ。けれどふと思い出したアフロディーテの言葉に、瞬の心は決まった。 「正直に言って、まだ考えたことがなくて……でも、きっとよかったって思えるように私自身も頑張ります」 「そうか」 冥王は小さな笑みと共に息を漏らし、そっと瞬を抱き寄せた。 「生まれてくれてありがとう、瞬……」 「ハーデス……」 部屋中にたくさんの花々が咲き乱れる。 口づけを交わした瞬間、人が刻んだ時間が動いた。 と同時に瞬の部屋に大勢の人がなだれ込んできた。 「うわっ!?」 「瞬! お誕生日おめでとう!!」 先陣を切って沙織と星矢が飛び込んできた。瞬との幸せな誕生日を祝っていた冥王の時間は1分にも満たなかったという。 ロースピンクに唇を染めた冥王は不満たっぷりにアテナを見据えた。 「なんの真似だ、アテナ」 「あら、なんの真似とは。瞬は私の聖闘士ですから、お誕生日を祝うのは当然でしょう?」 と、沙織。ほかにもごちゃごちゃとアテナの背後にいる。 「瞬は俺のお姉ちゃんだからな!」 「俺の妹だ!」 「私の可愛い妹分だもの。祝うのは当然よ!」 真っ赤な薔薇を瞬の年の数だけ抱えたアフロディーテが華やかな笑顔で瞬に花束を差し出した。 「お誕生日おめでとう、瞬」 「ありがとうございます、アフロディーテ」 「まったく……今日は余も誕生日なのだぞ!!」 ハーデスの抗議の声は一応聞こえたらしく、アテナ沙織がウフウフと笑った。 「ええ、分かっていますよ。これから聖域で冥界と合同のお誕生日パーティーを開きますから」 「……それを早く言わぬか」 こうして瞬と冥王、アテナとその聖闘士たちはギリシアの聖域へ飛んだ。 聖域では今日は特例ということで冥闘士たちも聖闘士に混じってわいわいと賑やかになっていた。といっても冥闘士は108人、それに双子の神様とパンドラという総勢111人のため、宮には入りきらず、会場は沙羅双樹の園ということになっていた。 もちろんシャカは渋っていたのだが、シオンに脅迫――もとい、宥められ、大人しく会場として貸してくれたのだという。 「フッ、冥王はともかく瞬は同じ乙女座だからな! その誼で貸してやる。ありがたく思いたまえ」 聖闘士と冥闘士たちはそれぞれ得意の料理を持ち寄り、ハーピーのバレンタインは大きなチョコレートケーキを作って真ん中のテーブルにチームカイーナのメンバーと共にセッティングを行なっていた。 その中にデスマスクも混じっている。彼は自慢の料理をミロと共に並べていた。 シュラとカミュとクイーンは一緒に花を飾っている。が、いつのまにか聖剣とギロチンのどちらが優れているかで口論をはじめ、止めに入ったシルフィードがぼこぼこにされて戻ってくるという惨事にまで発展していた。 ちなみにタナトスとヒュプノスは役に立たないという理由で隅っこに追いやられている。 そこにラダマンティスもやってきた。彼はカイーナの部下たちから『ここでは休んでいてほしい』と言われて大人しくしていたのだが、実際は彼もなんの役にも立たなかったのである。 仕事は出来ても生野菜を鍋で、色がなくなるまで煮るようではねぇ――とは、ミーノスの言葉である。 ラダマンティスはテーブルマナーに詳しいイギリス人だった。 そこに、アテナとアフロディーテに手を引かれた瞬がやってきた。その後ろには冥王もいる。 全員が瞬と冥王の姿を見止めると手にしていたクラッカーを引いた。 弾ける軽やかな音、舞い踊るのは紙吹雪。 頭上には星屑、足元に花。そして大勢の人々。 瞬は思わず両手で口を覆った。その瞳は感極まったのか、熱い想いで潤み始めていた。 「瞬……?」 「わたしっ……わたしっ……」 泣き出しそうになっていた瞬をそっと宥めるのはペガサスの少年だった。 「なに泣いてんだよ! みんな瞬が好きだから、こうやってお祝いしたくて集まってるんだぞ!」 「星矢……」 「そうだぞ、瞬。俺たちはお前の兄弟だし、仲間じゃないか」 「氷河……」 「こういう時が持てるというのは、お前の優しさがなせることだ。かつて敵として戦ったもの同士がこうやって……すばらしいことだと思うぞ」 「紫龍……」 「だから泣くんじゃない、瞬」 「兄さん……」 兄弟たちから口々に慰められ、励まされた瞬はそっと目尻をぬぐって、きりっと前を見据えた。 その凛々しい少女の姿に、女神も嬉しそうに目を細めた。 「お誕生日おめでとう! 瞬!!」 「ハーデス様、お誕生日おめでとうございます!!」 集まってきた冥闘士と聖闘士にもみくちゃにされながら、本日の主賓たちはようやく席についた。 と言ってもいつものように立食形式なのでみんな思い思いに動いている。 幸せそうに寄りそう瞬とハーデスに、アフロディーテは微笑ましいとばかりに笑みを向けた。 「瞬は、きっと幸せになれる……」 そう呟いたサガの肩に自分の額をこつんとぶつけ、アフロディーテは持っていたロゼのグラスを揺らす。 「幸せになってもらわなきゃ、困る。私たちの罪がそこにあるから……」 「……そうだな」 金銀の髪持つ青年と美貌の淑女は空を見上げた。 アンドロメダのそばに寄りそう父王はケフェウス――その称号を持つ聖闘士はもうこの世にはいない。たった一人の男の正義という名の狂気の前に、彼は自分の義を立てて死んだ。 その正義は、果たしてどちらが力となり得たのだろう。争いの根源は天秤にかけられず、今もこの世界を巡り続ける。 「きっと瞬を見ていてくれる……私たちも」 「うん……」 今は亡き瞬の師に思いを馳せながら、彼らはそっと愛しい少女を目で追った。 「そうだ、そなたに贈り物がある」 「なんですか?」 今日は特別だと、ミロに作ってもらったロゼカラーのカクテルを手にしていた瞬が、静かにハーデスのほうを見やった。彼はごそごそとローブをあさり、中から小さな小箱を取り出した。 箱はホワイトベルベットに覆われていて、中に宝石が入っているだろうことは明らかだった。 ハーデスは自ら箱を明け、中身を取り出すと瞬の左手を取って薬指にはめる。 その行為は彼女が誰のものであるかを如実に示しているかのようにも見えた。 「うむ、サイズは大丈夫のようだな」 「ハーデス、これ……」 「そなたの誕生祝にと作らせたものだ。石は余が拾って磨いたのだ」 プラチナのリングに嵌め込まれた小指の爪ほどの石は瞬が纏うアンドロメダの聖衣の色だ。その煌きに瞬は驚きを隠せない。 「これ、結構高価なんじゃ……」 「冥界にはごろごろしておるから気にするな」 実際、その石はハーデスがそのへんをスコップで掘ったら出てきた石なのだ。硬質に光るその貴石はピンクサファイア、まさに薄紅色のかわいい少女に相応しい宝玉と言えるだろう。 瞬は嬉しそうに手ごと指輪を抱いて言った。 「ありがとうございます。でも私、今日があなたも誕生日だなんて知らなかったから……」 何も用意していなかった瞬は申し訳なさそうに俯いたのだが、ハーデスはぎゅっと瞬の両手を掴んだ。 「ハーデス?」 「余にはそなたがいればよいのだ。だが、やはり祝いはほしいからな」 そういうとハーデスは瞬の唇に触れた。 「んっ……」 みんなの手前、軽く触れるだけにしておいた口づけも今日という日には特別だ。 「ハーデス……」 そっと抱いてそっと囁く。優しい神様は愛しい少女にだけ優しいのだ。 「余はそなたより価値のあるものは知らぬ。恋も愛もそなたに付随してこそ意味があるのだ」 「過大評価ですよ、それ」 「過小と言え。余は本当にそなたがいちばんだと思っておるからな!」 そろっと腰に回された手が払われることもなく――今日は誕生日なんだからと、ちゃっかりしながら。 恋仇のカノンが睨んでいようが構うものかと冥王様、見せつけるようにべったりと瞬に甘えるのだった。 君が生まれた日 君が生きている今 君と共に歩く道 どうかそこに君思う愛がありますように 乙女の祈りが秋の空を駆ける ≪終≫ ≪ハピバです≫ 9月9日。アンドロメダ瞬と冥王ハーデスのお誕生日です。おめでとう! 今回は誕生日直前に喧嘩しちゃった、というシチュエーションでやってますが、案外あっさり仲直りしたようなwww でもそれがゆきのんクオリティであり、冥王品質なんだぜ! だぜ! もう冥王様がいくつかなんて気にすんな! 俺は20代前半くらいで書いてるから(外見年齢24くらいね、ってことはサガより若いのかwww) まあなんだ、とりあえずお誕生日おめでとうだ! おめでとー!! |