Dear,my Saviour 〜我が運命の君よ 戦神アテナに愛された希望の天馬 その星宿を抱きし少年こそ我が運命の君 「なあ、瞬! お散歩行こうぜ、お散歩! こんな天気のいい日に部屋にこもってたら退屈で死んじゃうよ!!!」 そろそろ冬が始まろうかというある日、リビングのソファで本を読んでいた瞬は駆け込んできた星矢に苦笑しながら栞を差し込んだ。彼の可愛らしい我侭には瞬でさえも逆らう術を持たないのだ。 ただあんまりしつこくすると怒られるとわかっているのか、星矢も瞬が了解してくれるのを待っている。その様子は号令を待つ子犬のようで、瞬は思わず星矢の茶色の髪をなでた。 「そうだね、いい天気だしお散歩しようか。ついでの夕飯のお買い物も手伝ってくれると嬉しいな」 「おう! 今日はハンバーグがいい!」 とりあえず瞬が遊んでくれるというので星矢はそれだけで嬉しくなり、そこらへんを跳ね回っている。 「星矢、そんなところで跳ねてないで行くよ」 「おう!」 瞬とデートと小声で歌いながらリビングを出て行く星矢に失笑したのは氷河と紫龍だった。 「いつの間にデートになったんだ?」 「さあ、星矢がデートだと言い張ればデートなんだろうさ」 暖かい烏龍茶を飲みながら、紫龍はほうと息をついた。14歳なのに落ち着き過ぎている。それは普段からクールに徹しているはずの氷河も同じだった。 「相変わらず瞬にべったりだな、星矢は」 「お姉ちゃん子だからな。瞬のことも……まあ、実際異母姉だし」 「同い年だしな、あの二人」 氷河が壁に飾られている星座版をちらりと見た。上質なブラックベルベットで作られた背景にスワロフスキーの最高級ガラスを埋め込み、あるいは散らした全天図はそれだけで高価なものとわかる。 紫龍がそばによって大きな四角形を探した。ペガサスを探す基準となるその四角形は秋の夜空だけに見られるものだ。 彼の手が、つっと硝子越しに星座をなぞる。 「離れるわけがないんだ。神話から星図まで、ずっと一緒なんだから」 天馬と王女の出会いは遥かギリシア神話にまで遡る。 故国エチオピアを救うために生贄として海神に捧げられた少女こそがアンドロメダであった。そしてその王女を救ったのがペルセウス、彼が騎乗していた馬がペガサスなのだ。 ペガサスは後に戦神アテナのお気に入りとなって、その後も英雄譚に姿を見せる。最後は思い上がった英雄を振り落とそうとして暴走し、天井にぶつかってそのまま星になったという伝説を持っていた。 「夫ペルセウスではなく、ペガサスと繋がれたのは何の皮肉だ?」 「俺に聞くな、プトレマイオスに聞け」 「……誰だ、それ」 「古代エジプトで48の星座を制定した天文学者だと以前老師からお聞きしたことがある」 ペガサスとアンドロメダは全天88の星座の中でも星を共有する珍しい形をしている。近代に至って共有していたその星は科学者たちの手によって王女アンドロメダの冠とされてしまったが、それでもなお天馬と王女を繋ぐ星として秋の夜空に輝いていた。それを現代に体現してみせるのがペガサス星矢とアンドロメダ瞬なのだ。 二人はふと窓の外に視線を移した。 星矢に引っ張られるようにして駆け出した瞬が見えて、ふと笑みをこぼす。 「やれやれ、天馬の手綱は姫が引く、か」 「おやつまでには帰ってくるだろう」 お茶のお代わりを尋ねる紫龍に、氷河はもらうと頷いた。 城戸邸別館の門を出て二人はまっすぐお気に入りの公園に向かう。小春日和、というにはまだ早いが、それほど暖かい日だった。 「星矢、この辺は車も多いから走っちゃだめだよ」 「わかってるよ!」 せっかく瞬とデートなんだからと、星矢はちゃんと彼女の横にいた。 「ほんと、星矢の言うとおり、おうちにいるのがもったいないくらいの天気だね」 「だろだろっ? デート日和だぜ!」 「いつの間にデートにしちゃったの?」 瞬はくすくす笑いながら、嬉しそうな星矢の横顔を見つめる。彼はいつだって少年のままの笑顔なのだ。 「俺がデートって決めたらデートなの!」 そういうと星矢はきゅっと瞬の手を握る。暖かい少年の手に瞬はなにか懐かしささえ感じていた。 「? どーした、瞬」 「えっ、あっ、なんでもないよ。星矢の手があったかいからびっくりしちゃって」 一瞬動かなくなった瞬を心配していた星矢だったが、何でもないとわかるとまたいつもの笑顔に戻って歩き始めた。 「俺さ、瞬の手って好きだな。白くてすべすべしてて、綺麗であったかくって」 瞬がが大好きな星矢には、彼女を好きだと思えるポイントがたくさんある。 例えば、亜麻色の髪。 例えば、銀河のような瞳。 例えば、今握っている手。 けれど星矢の笑顔とは逆に瞬は寂しそうに笑った。 「そんなことないよ。アンドロメダ島にいたときは炊事や洗濯や訓練のせいであかぎれや傷ばっかり。やっと普通の生活をするようになってからずいぶんましになったけど」 「そーなんだ……」 「それにこの手は」 そう言いかけた瞬の手を強く握り、星矢はその先を封じた。思わぬ強さに瞬はびくりと震えた。 「星矢?」 「……みんな同じなんだ。俺も紫龍も氷河も一輝も。聖闘士だけじゃない、海闘士も冥闘士も、みんな同じ」 「……うん」 殺したのは瞬だけじゃないんだと、星矢はその掌で言った。 それぞれの正義と力を持って、誰もが自分が奉じる神こそ正当だと信じて。 けれどどんな理屈をつけてもそれはただの戦争で、殺し合いにしか過ぎなくて。 そんなことをしなくちゃいけなかったのはこの世界を貪り、其れを愚かだったと自重しない人間に罪があるのに。 ほんの一握りの人間がもたらしてくれた“破滅からの回避”を人はただ奇跡と呼んだだけだ。 正当化しようなんて思わない。賞賛や喝采は望まない。 ただ欲しかったのは普通の少年少女としての時間と、そして祈れば許される程度の罪だけ。 「……不思議」 「ん?」 瞬は星矢の手を握ったまま呟いた。 「不思議。星矢といると甘えたくなっちゃう。いつも甘やかしてるって言われるのは私なのにね」 少女の声がほんの少しだけ涙を含んでいることに気がついた星矢は、少し乱暴に瞬の手を引いて駆け出した。 「行こう!」 「星矢っ!?」 「誰がなんて言ったって、瞬は綺麗なんだっ! 俺のお姫様なんだから!」 少年の背中に翼が見えた。少女の足首から楔が消える。 「星矢! 走っちゃだめだってば!」 「そういう瞬だって走ってるじゃんか」 「もう! 星矢が引っ張るからでしょ!」 信号に止められた二人は顔を見合わせて笑い出した。13歳の少年たちにはやっぱり笑顔が良く似合った。 昼下がりの公園は人もまばらで、散歩や日向ぼっこをしている人も少ない。 だから微妙にふたりっきりなのが星矢には嬉しかった。 芝生に座り込んでのんびり日向ぼっこをするのは幼いころの瞬の数少ない楽しみだった。それは今でも変わっていない。そしてそばにいてくれる少年もあのときのまま。 「懐かしいねぇ」 「ん?」 瞬は静かに空を見上げた。淡い色をした空はもう冬の気配を孕み、けれど日差しは変わらずに降り注ぐ。 少女は傍らの星矢を見つめた。 「小さいころ、私がこうやって日向ぼっこしてると大抵いじめっ子が来てさ、いじめられてると兄さんか星矢が飛んできて助けてくれたね」 「瞬は可愛いからいっつもいじめられてたもんな。でも俺がちゃんと助けてやるって約束したから」 そう言って星矢は瞬のひざを枕に寝転がった。こんなふうに甘えられるのは嫌いじゃなくて、瞬はちょっと体勢を変えて彼が寝やすいようにひざを動かした。 星矢はいたずらっぽい笑みを浮かべながら、満足そうに目を閉じた。髪をなでてくれるその手はやっぱり温かく柔らかい。 「泣いたらお嫁さんにしてあげないって言われたよ?」 「……俺そんなこと言ったっけ?」 「うん、言った」 やっぱり覚えのない星矢はそれでも瞬のそばにいるのが心地よくてくすくす笑った。幼い頃のことだ、泣いている彼女を慰めようと、あるいは励まそうと口をついた言葉は、ある意味では本音だったのかもしれない。 「気持ちいい……」 「そう?」 「うん……」 幼い頃、瞬をかばっていじめっ子と対決し傷を負った星矢と、半分泣きながら彼の手当てをした瞬。聖闘士になるために引き離されるその日まで、ふたりは仲良く過ごしていたのだ。 そして聖闘士となってからも星矢と瞬は星の定めるところによるのか、行動を共にすることが多かった。 黎明のアテナ沙織を奉じて乗り込んだ十二宮の戦い、残す双魚宮を前にして、瞬は星矢を先に進ませている。誰か一人でいい、アテナを救うには誰か一人教皇の間へ乗り込めばいいと、王女はペガサスの翼を護って薔薇の前に散った。 また、冥界ではアケローン河を越え、ジュデッカに乗り込んでいる。オルフェの花箱の中で、瞬は星矢をかばってパンドラの刃を受けた。けれど最後まで彼を庇い通すことは出来ず、瞬はハーデスにその身を任せてしまう。 あのときの刺し傷はもうない。ハーデスが憑代の身体に醜悪な傷があることを嫌って憑依の際に消してしまっていたのだ。 でも、どんなに身体の傷は消えても、消せない罪だけがいつまでも残る。 いつかこの身が滅んだとき、その罪における罰は甘んじて受ける、その覚悟も出来ている。 戦いのない日々は大罪を生まない。 瞬にはそれが、それだけが嬉しかった。 「星矢がいてくれたから……」 「んん?」 「……星矢がいてくれたから、私は戦えたんだと思う」 「そうか?」 「うん。ほら、双魚宮に行く前のこと、覚えてる?」 星矢はさっと起き上がり、瞬を見つめた。瞬はただ笑っていた。 双魚宮の守護者は黄金聖闘士、魚座のアフロディーテ。聖闘士の中でも最高の美を誇るその闘士は瞬の師、ダイダロスの仇でもあったのだ。 「沙織さんのために時間がなかったものあったんだけど、私は私のために一人で戦いたかった」 「瞬……」 「星矢は私が一人じゃないんだって証拠にキスしてくれたでしょ。アレのおかげだね、生きていられたのは」 戦場に散った幼すぎる想い、それを恋と呼ぶのなら彼らの決意はあまりにも悲壮と言えるだろう。 お守り代わりの口づけを思い出し、瞬はそっと自分の指で唇をなぞった。 そして天馬は翼なき王女をその背に乗せて、神しか越えられぬ超次元さえも越えた。 「私、星矢が好きだよ」 「瞬……」 「大好き」 にっこり笑って小首を傾げる瞬に星矢もにっこり笑い返した。 「俺も瞬が好き。大好きだからな」 「うん」 手と手を重ねて、唇をほんの少し合わせて。 わかってる、姉弟だってこと。 だけどほんの刹那、忘れさせて。 触れ合う唇にぬくもりを、重ねた心に未来の絆を。 離れていくその瞬間さえいとおしくて。 「あ」 「どうしたの、星矢」 小さく声をあげた星矢が気になって、瞬は彼の手元を覗く。そこに小さな小さな緑色の芽が噴き出していた。 「うわあ、何かの芽だね」 「なんだろな、なんの芽だろうな」 花なんて興味なさそうな星矢だけど、偶然見つけた小さな命には感動しているらしい。瞬はくるっと周囲を見回して、見当をつけた。ここは春になると一面に乳白色の小さな花が咲く。 「多分、シロツメクサだね」 「シロツメクサ?」 やっぱりわからないかと、瞬はくすくす笑いながら手振りで花を説明する。 「ほら、小さくって鞠みたいに丸くて……私が冠作ってあげてた」 「ああ! あの花! シロツメクサって言うんだ!」 「そうだよ、クローバーとも言うんだよ」 “幸運”という花言葉を持つシロツメクサの葉は四つ葉をもってその象徴とする。 指先でそっと触れたその芽はともすればすぐにでも死んでしまいそうなほど弱々しいのに、温かだった。 「命って、あったかいよね」 「……春になったらさ、こいつももっと大きくなっててさ、いーっぱい花咲かせてるよ!」 その頃には見分けもつかないだろうと思いつつ、それでも瞬は星矢の無邪気さの前に笑わずにはいられなかった。 「ほんと、星矢といると幸せな気分になれる……」 亜麻色の髪を風になびかせ、瞬は祈るように目を閉じた。 こんななんでもない時間が少しでも長く続きますように、と。 「なあ、瞬」 「なあに、星矢」 「なんでもかんでも一人で背負うなよな。俺だって紫龍だって氷河だって一輝だっているんだしさ。瞬は一人で考えすぎっ!」 じっと強く見つめられ、瞬は一瞬きょとんとしたのだが、未来を秘めたその瞳に笑み以外の何も出来なかった。 「うん……私は一人じゃないよ。ちゃんと分かってる」 ことん、と頭を星矢の肩に乗せ、瞬は静かに瞑目した。そんな瞬の肩をそっと抱く星矢の手にぎこちなさはない。触れ合う時だけに感じる温かさも好きだ。 そんなのんびりした昼下がり。 きゅるる〜と聞こえてきた音にふたりは声を立てて笑った。 「おなかすいたなぁ……」 「じゃあおやつに何か買って行こうか。ついでに晩御飯のお買い物もね」 「おう!」 おやつはなんにしようかと考えながら立ち上がる瞬の手を取って、星矢はいつでも笑っている。 「またデートしようなっ」 「そうだね、またしようね」 約束だぞと頬に触れてきたのは星矢の唇。瞬はくすぐったそうに笑った。 ずっとずっと一緒にいられればいい――それぞれの道が見つかるまで。 デートを兼ねた散歩から戻ってきた星矢と瞬を出迎えたのは紫龍だった。黒髪麗しい紅顔の美丈夫は多少疲れているらしい瞬から荷物を受け取るとなにかあったのかと尋ねた。 すると王女の星持つ異母妹はよくぞ聞いてくれましたとばかりに顔を上げる。そばにいた星矢はすでに逃げ出していた。 「聞いてよ紫龍! 星矢ったらひどいんだよ。ピーマンを籠に入れたそばから戻すの!」 「そこまでピーマン嫌いか、星矢……」 聖闘士の中でも冷淡さでは一二を争う鷲座の魔鈴に師事していたわりには星矢には好き嫌いがあった。その代表例がピーマンなのである。 「好き嫌いなんて贅沢だよ、食べ物があるだけましなのに……」 「瞬……」 彼女が聖闘士として修行を重ねたアンドロメダ島には自生する植物がない。いや、あるにはあったのだが毒を持っていて食用にはならなかったのだ。だから必要な物資は師であるダイダロスが買出しに出かけていたのだが海が荒れると何日も食事が出来ないこともあったのだ。そのせいか、瞬は絶対に食べ物を無駄にしない。 「それでピーマンは?」 「ちゃんと買ったよ。下のほうに隠したの」 「それはご苦労だったな」 そう言うと紫龍は瞬の髪を撫でた。実兄、一輝の手とは違うそれも、瞬はとても大好きだった。 「でもね紫龍」 「ん?」 キッチンに並んで立つ兄と妹は薄暗くなってきた外に気配を感じながら夕飯の材料に手を伸ばした。 「星矢と買い物するの、いやじゃないんだ。今日もピーマンを買う買わないで大変だったけど、それもすごく楽しいんだ。なんか、ほんと楽しいの……」 「星矢といると、そうなんだよな。俺もそうだよ。もちろん、おまえといてもな」 「うん。みんなでいられるって、いいよね」 ひき肉を刻んだたまねぎと合えている紫龍の横にこっそり星矢、ポテトサラダをつまみ食いしている。 「あっ! コラ星矢!」 「つまみ食いはだめだってあれほど言ってるのに……」 手が塞がっている瞬は仕方なくネビュラチェーンで星矢をキッチンから遠ざけた。 この鎖に一万ボルトの電流が流れていることを知っている星矢はううと小さく唸りながら晩御飯の出来あがりを待つしかない。 その日の夜、瞬は静かに星空を見上げていた。雲一つない綺麗な夜空に煌く星は過去の儚い光。 天馬も王女も季節の移ろいの中、見せかけの天空にその座を失っていた。 それでも、この広大な宇宙のどこかに確実に存在していることも知っている。 吐く息の白さが冬の訪れを確実に示していた。 「瞬? 冷えちゃうぞ」 窓辺に立っていた瞬を呼びとめたのは風呂を出たばかりの星矢だった。髪を洗ったらしく、栗色のそれにお気に入りの赤いタオルを乗せている。 「星矢……うん、大丈夫。ちょっと空を見てたの」 「空?」 「うん。今だとちょうどオリオン座とかおおいぬ座とか見えるんだよ」 邪悪を焼き尽くすとされた天狼は青白く輝く、全天一明るい星だ。その近くに紅白のベテルギウスとリベル。冬の星は探しやすい。星矢はガラス越しの夜空を見上げて、すぐに視線を瞬に戻す。 彼女の横顔はいつも綺麗だと思った。 「ふーん……星もいいけどさ、瞬。ずっと見てたのか?」 「そうだけど?」 「せっかくお風呂入って温まってたんだろ? 冷えちゃってるじゃん」 触れた指先の冷たさに、星矢はなにやってるんだと瞬の背中を押した。促されるまま歩き出す瞬に星矢の温かさが心地いい。 「さすがお風呂上りだね、星矢あったかい……」 「瞬が冷え過ぎなんだよ!」 「じゃあ星矢があっためてくれる?」 「へ?」 薄紅色の少女が天馬の胸に飛び込んだ。 星矢はそんな瞬をしっかりと抱きとめる。温めてほしいという彼女の願いを、星矢は不思議と受け止めていた。 「……なんかあったのか?」 「ううん。ただ、私も星矢に甘えたかっただけ……」 「俺に?」 瞬は声を立てずに小さく頷いた。 戦うたびに傷を負い、いつも先頭にあって女神を護ってきたペガサスの少年。 その希望の翼を望むのは人々の愚かなる願い。 「星矢、少し背が伸びたね」 「そうかな」 「うん。再会したときは同じくらいだったのに、今じゃ星矢のほうがちょっとだけ」 ほんの少しだけど、星矢の瞳を見つめるために上を見る。少年はこれから心も身体も成長して、やがて青年になるのだろう。 そんなとき、自分は彼のそばにいてやれないかもしれない。 だから。 「うんと甘えたいの」 「……なんかわかんないけど、俺でよかったらいつでも甘えろよな!」 「ありがとう、星矢」 瞬は自分を抱きしめてくれていた星矢からそっと離れた。そしてにっこり笑うと、星矢も一緒に笑ってくれた。 いつまでも子供のままでいたら死んでいた幼少期。 聖闘士としてこれからも戦い続け、時には恋を知るだろう少年期。 その手を離しても、心は、星はいつまでも一緒にいるから。 「星矢、ちゃんと髪乾かしてから寝るんだよ」 「この寒空にそんな薄着でうろうろしてた瞬に言われたくねぇ……」 さりとてもっともな星矢のツッコミに反論もなく、瞬は肩をすくめた。 「言われちゃった」 「俺だって言うときは言うぞ」 そう言って二人くすくす笑いながら、頬を寄せる。 「おやすみ、星矢」 「おやすみ、瞬」 軽く触れるだけの優しすぎるおやすみのキス。 明日もどうか平和な一日でありますように、と。 其処に美しい神話だけがあれば良かったのに 少年が拳を、少女が鎖を握って戦い続けたあの日々はやがてもうひとつの神話の中へ消える。 ――親愛なる我が運命の君へ 美しいバロック彫刻に彩られた机でペンを取っていたその淑女は、そう書き始めて、でもやめた。 手紙なんかよりも直接会いに行ったほうが絶対に早い。 そう決めたら居ても立ってもいられず、彼女は漆黒のドレスの裾ももどかしくパタパタと廊下を駆けていく。 そして開いた扉の先に居た彼につかつかと詰め寄ると問答無用の笑顔を向けた。その彼は何事かとちょっとビビリながら淑女を見つめた。 「何の用だ? 寂しくなったら今すぐ遊んでやらぬでもないが」 「バカなこと言ってないで仕事しなさい。ハーデス、私これから実家に帰りますね」 するとハーデスは猛然と立ちあがって妃たる彼女にすがる。 「余に何の手落ちがあったというのだ! 頼むから実家には帰らないでくれぇええええ!!」 この冥府の王たる神は情けなくも愛しい妃に縋り付いて哀願した。 すると彼女は穏やかに笑って冥王を宥めるように逆巻く黒髪を梳いた。 「やだなぁ、別にあなたがイヤで実家に帰るんじゃないんですってば。もうすぐ星矢の誕生日なんです」 「それで実家に帰ると?」 「はい」 やっと事態が飲みこめた冥王様、自分の狼狽ぶりをまるでなかったことにするかのように立ちあがるとこほんとひとつ咳をして見せた。 「そうそう兄弟や仲間の誕生日だからとひょいひょい地上に帰られても困るのだが……」 「帰りたいときに帰ってもいいって言ったのはあなたですよ?」 「そりゃそうなんだが……」 数年前、是非にと望まれてこの冥界で王妃となった少女は季節に関係なく、事あるごとに地上に顔を出していた。惚れた弱みで、ハーデスも駄目とは言えず、いつも許可している。 なぜなら、許可を出した後の嬉しそうな笑顔がたまらなく可愛いからだ。 「……ダメ、ですかぁ?」 上目遣いでお願いされるのも弱い。ハーデスはいつものことながらだらんとした笑顔で里帰りを許すのだった。 「誕生日が終わったら帰ってくるのだぞ!」 「もちろんです。私はあなたの奥さんなんだから」 ありがとうと頬に口づけてまたパタパタと去っていく幼い妻に振りまわされる日々。 そんな毎日も悪くはないと思う、けれど。 「ペガサスの誕生日、か……」 神話の時代、自分の肉体に唯一傷をつけた男は幾星霜の時を越えた今なお、彼の前に立ち塞がり、その野望を打ち砕いてきた。そして最愛の妻の心さえも未だに奪い続けたままなのだ。 「かと言って寿命で死にましたーなんて言ってこっちに呼んだらそれはそれで喜ぶんだろうな、瞬は」 ふうとため息をつき、冥王は天を仰いだ。 いかな冥王といえども、今は星となって天空に輝く天馬をどうすることも出来ない。ましてやその隣は今や自分の妻となってくれた瞬の守護星座、アンドロメダがある。 彼の悩みはなおも尽きることはない。 地上はすっかり冬になっていた。 けれど黒一色だったドレスのまま、彼女は走り出していた。 「星矢っ!」 弾むような少女の声に、呼ばれた少年が振りかえる。少年から青年へ、少し面差しを変えても、笑顔はそのままに。 「星矢っ」 「瞬! うわ、元気だったか?」 抱きついた胸板は厚く大きかった。相変わらずの温かさに、瞬はうっとりと目を細めた。 「うん、元気だったよ。それにしても星矢、また背が伸びた?」 瞬がひょこっと顔を上げなければ顔を見ることが出来ないくらい、彼はにょきにょきと伸びていた。 「おう! 今は180センチくらいかな。いちいち測ってないから」 「そうなんだ……」 「瞬は相変わらずちっこいな。冥界でちゃんと食べさせてもらってるのか?」 ぽんぽんと軽く頭を撫でられ、瞬は子猫のように首をすくめた。 「もう、ハーデスとは仲良くやってるし、みんなよくしてくれるよ。それに男の子と女の子じゃ成長の度合いが違うの」 「へぇそっか。じゃあ俺はもう瞬に背丈で追い越されることはないんだな?」 「背丈では、ね」 笑い合うふたり、あの頃とちっとも変わらなくて。 「星矢はどう? 沙織さんとうまくやってる?」 「ああ。俺は財団の仕事はよくわかんないからさ。覚えなきゃいけないんだけど難しくって。まぁ、邪魔しないようにはしてるよ。けど沙織さんがそばにいろって言うから。俺そんなことしか出来ないし」 そう言って恐縮したように頭を掻いた星矢に瞬は小さく微笑んだ。 「それでいいんだよ」 「瞬……」 瞬はそっと星矢の手を取った。 「私たち人間が神様のために出来ることなんて、きっとこの指で数えられることしかないんだよ。でもそれでいいんだと思う。星矢は特にね、いてくれないと困るの」 「なんで?」 「だって、星矢がいない地上なんて帰ってきてもつまらないじゃない」 「俺は瞬がいなくて寂しいけどな」 大きな成りをしてもやっぱり星矢は星矢だと、瞬はその栗色の髪を撫でた。 「ごめんね、あんまりちょくちょく帰るとハーデスが寂しがるから」 「けど今日は泊っていけるんだろ?」 いつまでも子供扱いされるのはイヤだけど、瞬にされるんならイヤじゃないやと、星矢は彼女の手をそっと取り、恭しく口づけた。軽く触れただけのそれが、子供らしさを感じさせなくて思わずときめいたのは内緒だ。 「うん、だってもうすぐ星矢の誕生日じゃない。お祝いしたくて来たんだもん」 「そっか。瞬にお祝いしてもらえるなら俺も嬉しいや」 肩に腕を回され、ぐっと引き寄せられる。首筋に回された腕も以前よりずっと逞しい。 彼の唇が触れるのは亜麻色の髪。 「やだ、星矢ったら」 「瞬が可愛いからいけないんだぞ」 「なにそれ」 子犬と子猫のようにじゃれあう二人のそばにほかの兄弟や仲間たちも集まって。 君が生まれた日――寒い冬の朝 太陽の光が銀色の翼と共にやってきた 君が生まれた日――新しい月の始まり その背中の翼は遠い未来まで飛んでいくために 我らが親愛なる運命の君よ 「お誕生日おめでとう! 星矢!」 ≪終≫ ≪星矢お誕生日おめー≫ 07年天馬祭参加だぜ! 俺は酸化するほど疲れきったよ_| ̄|○ えっと、如月は冥王×瞬♀が基本で、でも星矢と瞬っていう13歳カップルも大好物ですv なんつーかもう、愛してる。愛しすぎて意味不明だwww 星矢お誕生日おめでとう! |