星のららら



いつまでも君と一緒だと約束した十三年


時を同じくしてこの地上に生まれ出たふたりは今




「まったく、この忙しい時に……」
愛しい恋人に会うために毎晩地上に出ていることを棚に上げ、冥王ハーデスは二頭の神馬に引かせた漆黒の馬車を繰りながら神々の座たる遠き頂を目指していた。
逆巻く闇の黒髪も陽光を受けて鮮やかに煌く、その姿は例えようのないほど美しかった。
世界の西の果て、海の向こうに命の終わりのための世界がある。
その世界の名を冥府、あるいは楽園と言う。
冥王はその世界を司る王神である。日一日として命の循環が途絶えることがあろうはずはないので滅多に実家であるオリンポスに帰ることはなかった。
が、なんとしたことか彼は大神ゼウスから呼び出しを受けて実家に戻っている最中なのである。
「つまらない用事だったらただではおかぬぞ」
同じ父母を持つ兄弟神でありながら決して仲がいいとは言えないのは彼らの出生によるものであろう。
オリンポスに着いたハーデスは馬車から降りると彼の正装とも言える黒衣を翻し、天界の玉座の前に進み出た。
腰掛けていた男は冥王を見て懐かしそうに、けれどどこか胡散臭く笑う。
「ハーデス。わざわざ呼びたててすまんかったな」
「ああ、わざわざ来てやったぞ! 余は忙しいのだ、用はさっさと言え!」
ハーデスの物言いに楽しそうに笑いながら大神ゼウスは落ち着けと手を振った。
「まあまあ、久しぶりに来たんだからゆっくりしていけ。今度の聖戦の話も聞きたいしな」
「それなら先日報告書を出しただろう。お前の娘はだんだんひどくなっとるぞ」
「……一応、お前の姪でもあるんだがな」
軍神アテナは知恵の女神メティスとゼウスとの間に生まれた姫神である。だが彼女は母の胎から生まれ出たものではなかった。自分の地位を脅かす存在を恐れたゼウスが身ごもっていたメティスを飲み込んでしまったのだ。母自身の復讐か、それとも仇討ちだったのか、それはわからない。わからないがアテナはゼウスの頭部から鎧を着た姿で生まれ出てきている。
ハーデスは額に手を当てて深いため息をついた。
「……甥っ子だの姪っ子だのその子孫だのと、一体何人いるのやら」
「実は私にもよく分からんのだが……まあ座れ」
「言われるまでもない」
ハーデスは自分の背後に紫檀の椅子を出すとそこにゆったりと腰掛けた。それと同時にニンフたちが現れ、大神と冥神の前に神酒と神饌とを供する。
「一杯やろう」
「だから用件はなんだ。死がない日などないのだぞ。余は忙しいと言っただろう」
「お前が直接裁かなければならん大罪人などそうそうおるまいに。どうせ部下任せだろうが」
「う……」
言われればそのとおりなので、ハーデスは黙って杯を受けた。
「それにちょいちょい地上に出てるじゃないか」
「ぶっ」
思わず噴出したハーデスにゼウスははやりと神酒を含んで笑った。
「ハーデス、お前結婚するんだそうだな!」
「だっ、誰に聞いた!?」
結婚ではなくまだ婚約状態なのだが面倒なので説明を省くハーデスだった。
ゼウスはいやらしい笑みを隠そうともしない。
「聞かんでもわかるわ、私は大神だぞ! アテナからも報告があったしな」
やっと顔をあげるハーデス、その瞳にはゼウスとその愛娘に対する欺瞞の色だけが浮かんでいた。
「なんでもアテナの聖闘士にベタ惚れして追い掛け回しているそうだな。ガツンと浚えばいいだろうに」
「お前の理性の欠片もない下半身と一緒にするな! 余には余なりの考えがあるのだ!!」
ダンっと大きな音を立てておかれたハーデスのグラスに注がれていたネクタルがまるで彼の心情を示すかのように激しく揺れた。
「お前、お兄ちゃんに向かってなんちゅー口の聞き方を」
「誰がお兄ちゃんだ、誰が!! 余のほうが先に生まれたんだろうが!!」
母神レアの母体から生まれ出たハーデスは父神にして時神クロノスに飲まれた。自分の王位を脅かす子の存在を恐れたためである。唯一その危難から逃れたゼウスがクロノスの腹中から兄弟姉妹を助け出したのだが、その際ハーデスが出たのが一番最後だったので末弟にされただけである。
が、ゼウスはさらりと話題を変えた。
「で、可愛いのか?」
「は?」
「だから。お前の恋人は可愛いのかって聞いてるんだよ」
「死ね。頭かち割って死ね。腸をぶちまけて死ね」
「残念! 神だから死なないんだ! で、可愛いのか? どうなんだ?」
なおもしつこく尋ねるゼウスにほとほと愛想が尽きて、ハーデスは頷くしかできなかった。
確かにハーデスの恋人は可愛らしい少女だ、外見だけは。
「アテナの聖闘士は八十八おるが、その中でも五指に入る愛らしさだ。まあ……余は、いちばん可愛いと思う」
「へぇ……」
ゼウスはごく薄く頬を染めた弟神を見ながら面白そうに顎を撫でた。
「じゃあ紹介しろ!」
「はあっ!?」
目を吊り上げるハーデスにゼウスはずずいっと身を乗り出し、ただにこにこと笑うだけだ。
「はあっじゃないだろ。紹介しろって言ったんだよ」
「……手を出すつもりじゃないだろうな」
「まあ、好みなら考えなくもないが」
「殺す。この場で殺す」
かなり大振りの剣をゼウスに向かって振り下ろすハーデス、その目は真剣そのものだ。
ゼウスは鼻先一寸のところで真剣白羽取り。
「と、時に落ち着けハーデス、冗談だから」
「冗談に聞こえんわ、この下半身バカめが!!」
「黙って聞いていればいい気になるなよ、この引きこもりが!!」
「なんだと!」
「やめんか! 愚弟ども!!」
まるで卓袱台でも吹っ飛ばすかのように二柱を吹っ飛ばしたのは女性だった。その技は前牡羊座にして前教皇でもあったシオンの『うろたえるな小僧』にも似ていたがこちらのほうが本家本元かもしれない。
吹っ飛んだハーデスとゼウスは壁に叩きつけられ、瓦礫とともに墜ちてきた。
「うう……我らをここまで吹っ飛ばす貴女は」
「ヘラ、お前……」
絹の音も清かに、けれど威厳ある姿で現れたのは女王神ヘラ。彼女はオリンポス神族の祖となる六柱――すなわち、大神ゼウス、海神ポセイドン、冥神ハーデス、家庭神ヘスティア、農耕神デメテル、女王神ヘラ――のひとりである。
彼女は真直ぐな金髪を結わず、そのままに背中に流していた。
「まったく、久しぶりに我が弟なるハーデスがオリンポスにおると言うので来てみれば愚かにも兄弟喧嘩とは」
「姉上……」
「よしよし、大事無いか、ハーデスよ」
吹っ飛ばしておいてそれはないだろうと突っ込みたいハーデスではあったのだが、敢えて逆らうことはしなかった。何故なら相手は女王神にして自身の姉だったからである。
姉神はハーデスの顎をそのきらびやかな指で掬い上げ、切れ長の目を細めた。
「で、アホらしい兄弟喧嘩の理由は何か?」
「は……実は、ゼウスめが余の恋人にちょっかいを出すと言い出して、それで……」
「なんと!」
ヘラは逃げ出そうとしていたゼウスの首根っこを掴んで締め上げた。
「ぐへっ!!」
「こんのバカ下半身が!! わらわという妻がありながら〜〜!! まだ懲りぬか!!」
「ちょっ、ちがっ、私は兄としてハーデスの婚約者が気になっただけだ!! アテナの聖闘士だということは人間だろうが!!」
「何の言い訳にもなっておらぬわ!! ハーデスの思い人が神だろうが人間だろうがそなたと何の関係がある!!」
なおもぎりぎりとハンギングベアー並に締め上げられるゼウスの顔面は蒼白だ。あの技もこちらのお家芸だったのかもしれない。
「姉上、ゼウスが死ぬぞ」
「大丈夫、神だから死なぬ。それよりハーデスよ」
「なんだ? 姉上」
ヘラはゼウスの首を絞めたまま、愛しい弟にはにこりと笑いかけた。
「わらわも、そなたの恋人とやらを見てみたい。誤解するな、好奇心ではないぞ。わらわとてそなたの姉、結婚を司る神でもある。わらわのような失敗をさせぬためにも姉として一応会っておきたいと思う。ゼウスはわらわが首に鎖でも巻いておくゆえ、心配いたすな」
そう言って微笑みながらゼウスを締めるヘラに、ハーデスはただただ頷くしかできなかったという。



「いいお天気ー」
そのころ当の本人はのんきに洗濯物を干していた。
少女の名は瞬。最下級の青銅でありながらも歴戦の勇士として名高い彼女はアンドロメダの聖闘士。現在は冥王ハーデスと結婚を前提にした交際中であった。
それはアテナを含め、一部を除く周囲が認めるところである。
亜麻色の髪、夜空の瞳、日焼けの痕もない白磁の頬、しなやかな手足は戦士というよりも天使のそれに近かった。
風にたなびくシーツを眺め、彼女は自分の仕事に満足そうに笑っている。
「このぶんだと早く乾きそう……」
蒼天に輝く黄金の日輪が大地に与える陽光を手で遮りながら、瞬はやはり笑みを絶やさない。
「今日も暑くなるのかなー」
アンドロメダ島にいた頃に比べればはるかに涼しいのだが、それでも日本の湿度の高さには辟易する。
瞬は洗濯籠を抱えて部屋の中に戻っていった。
「あれか? あの乙女がそなたの恋人か?」
すでに三人の神の母であるヘラはまるで恋にはしゃぐ乙女のようにハーデスをぐるんぐるん揺さぶっている。
ハーデスとゼウス、ヘラの三神は物陰から瞬の様子を伺っていたのだ。
「あああ姉上、落ち着いてくれ」
「あれがアンドロメダの聖闘士か。なるほど、確かに姫のようじゃのう」
神々における瞬の評価はまずますのようだ、外見は。
「しかし中に入ってしまったぞ、どうするんだ?」
ヘラの後ろからゼウスがひょっこり顔を出したが、額を叩かれて押し黙る。
「乗り込むのじゃ、ハーデス。そなたには押しが足りぬぞ!」
「そーだぞ、押して押して押しまくるのも大事だぞ!」
兄夫婦にめちゃめちゃに言われながら、ハーデスはやれやれとため息をついた。



一方の邸内。
「うわっ、相変わらず寒くない?」
外気との異常な温度差に思わず我が身を抱きながら、瞬は犯人を見た。
「これでも熱いくらいだろう」
「というわけだ。つきあってやってくれ」
薄手のカーディガンを差し出すのは黒髪の麗しい紫龍だ。瞬は礼を言って薄桃色のガーディガンを受け取ると星矢の隣に座った。
「瞬、寒いよな? 今ここ十二度なんだってさ」
「ふふふ、アンドロメダ島にいるときは昼は五十度、夜はマイナス四十度まで下がってたからこれくらい平気なんだけど……やっぱり寒いかな」
そう言って紫龍が入れてくれたダージリンを口に含むと少しだけ温かくなった。
「星矢の隣にいると暖かいんだよね」
「星矢はお子様体温だからな」
「じゃあ、あっためてやる!!」
まるで子犬のようにじゃれてくる星矢に瞬はくすぐったいと笑いながらも突き放さない。星矢の子供っぽさや温かさは本当に心地よいからだ。
「ところで瞬」
「なあに、紫龍」
紫龍は氷河の横でふと窓の外に視線を投げた。そのさりげない仕草に瞬も彼が何を言いたいのか理解できたようだ。
「窓の外にハーデスと……あと、誰かいるようだが」
「うん、洗濯干してたときから気がついてたんだけど、なんか声かけにくくて……」
すると瞬に抱きつくように甘えていた星矢がふっと顔をあげて年近い異母姉に話しかけた。
「なに? 外に誰かいたのか?」
「うん、ハーデスを入れて三人かな。沙織さんみたいに大きな小宇宙……だと思うんだけど、何にもしてこないところが不気味でね」
「ふーん……」
星矢はおもむろに立ち上がると窓辺に近づいて、外を見た。
「誰もいないみたいだけどなー」
「いるよ、このあたりに」
窓を開けたのは瞬の手。乗り出したのは星矢。
「だーれだっ!?」
「うわあっ!?」
窓の下に三神が肩を寄せ合うように隠れているつもりだったらしい。
瞬は深くため息をついて見知ったハーデスを問い質した。
「ハーデス……まだ日も高いのになにやってるんです? そしてそちらのお二人はどなたなんです?」
乗り込む前に見つかってしまった彼らは、一応神様である。
そして見つけた少年たちはアテナの聖闘士、普通の人間ではなかった。
だが立ち上がって答えたのはハーデスではなく、妙齢の女性。
冴え凍るような美しさは彼女の冷酷さを如実に示しているようだったが、浮かべた微笑は母のように温かだった。その笑顔に瞬たちは思わず言葉を失う。
ヘラは紅に染められた唇を開いた。
「アテナの聖闘士たちよ、わらわの名はヘラ。オリンポス十二神が一柱にして女王神である。ハーデスが愛したそなたという少女を見に来てやった。危害を加える気は毛頭ないので安心するように」
「……ええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?」
少年たちの絶叫が青い空に消えていった。



知らせを受けて駆けつけたアテナ沙織も、ただ呆然と立ち尽くすしかできなかった。
ソファにはゼウスとヘラが、その向かいに瞬とハーデスが並んで座っているという異様な光景を目にすればそれも致し方あるまい。
瞬に至ってはゼウスの視線がイタイのか、ハーデスに庇われている。
「ゼウス! 貴様これが目的で余を呼び出したのだな!」
「引っかかるほうが悪いわ、この世間知らずめが!!」
「黙らぬか! アンドロメダが怯えておるではないか!!!」
流石のアテナ沙織も口を挟む余地もなく、瞬が視線で助けを呼んでいても応えてやることが出来ない。
(がんばって! 瞬!)
(そ、そんな……)
瞬の兄弟たちはアテナ沙織とともに遠巻きに神々とその花嫁候補を見ていた。
「しかしまぁ、ほんに愛らしい乙女じゃな。ほれ、こちらにおいで」
ハーデスの袖を握っていた瞬はおずおずとヘラのそばに近づいた。けれどどうしたらよいのかわからないのでただ呆然と立ち尽くしている。そんな様子が可愛いのか、ヘラは瞬の手を引いた。
「あっ……」
「初々しい反応じゃ。可愛いのう。ハーデスよ、よい娘を見つけたな」
「私にも触らせゲフゥ」
ヘラの肘打ちが見事に決まり、ゼウスはただ唸るだけ。
少年たちは戦々恐々と事態を見守った。
「見たならもういいだろう! 姉上、そろそろ」
「うむ、多少物足りぬがまあよかろう。ゼウス、わらわたちは帰るぞ」
「えっ、私は触ってなゲハァ!!」
「なっ……なにい!?」
女王神のアッパーカットが大神ゼウスの顎を確実に捕えて吹っ飛ばした。軍神アテナの父神を殴り倒すとは、本当に恐ろしいのはこの女神かもしれないと、聖闘士たる少年たちはさりげなく肝に銘じるのであった。
「アンドロメダよ」
「……はい?」
幸福な結婚を司る女神は瞬の亜麻色の髪を撫で、白い頬に手を添えて、言葉を与えた。
「我が弟ハーデスは我らのなかでもわりとまともな男ゆえ、大事にしてやっておくれ」
「姉上……」
瞬は緊張のあまりこっくり頷くしか出来なかったが、それでもヘラは満足したらしい。大きく頷くとそのままゼウスを引きずって帰っていった。
「アテナよ、邪魔をしたな。引き続き地上をよしなに。頼んだぞえ」
「お任せください」
女王神は優雅な微笑一つ残して城戸邸を去っていった。
「まったく、迷惑な兄夫婦だ」
天空を忌々しそうに見つめるハーデスの後ろで、瞬が倒れる音がした。緊張の糸がばっさり切れたらしい。
「瞬!!」
真っ先に駆け寄ったハーデスは瞬を抱き起こす。だが彼女はなかなか目を覚まさなかった。
「瞬、しっかりしろ――!!」
いくら聖闘士とはいえ、瞬とて普通の人間の少女に変わりはない。
神々の大いなる意思の前に気を失わなかっただけでも立派だったと言えよう。



瞬が目を覚ましたのは夜も遅くになってのことだった。
「う……ん……」
気がついたらベッドの上だったという瞬は我が身に起こった事を思い出し、ようやく息をついた。
「……大変な一日だった」
まさか自分とハーデスの恋模様がオリンポスまで届いているとは思いもよらず、ただただ困惑するだけだ。
「瞬」
「ハーデス……」
瞬は額に伸ばされた彼の手を拒むことなく受け入れた。拒むだけの力もないことは、ハーデスにもわかっていた。彼は深い苦悩を眉間に刻みながら瞬の髪を撫でた。
「すまなかったな、瞬。余のせいで……」
「……いいえ」
少女はただ微笑むことしかできず、それ以上言葉をどう繋いだらいいのか分からなかった。
「ハーデス、私は」
「余はそなたが愛しい。何があってもそなただけは守り通したい……」
項垂れる男が本当に神なのだろうかと、瞬は切ない思いで見つめていた。そして女王神が残した言葉を思い出す。
彼を、大事にしてやってほしいと。
人の身の、聖闘士という立場の自分に求められているものはただひとつ、愛なのだ。
ただそれが神の意思によるものではなく、彼女自身の決断に委ねられているという事実は何も変わってはいないわけだ。
それが何ものにも束縛されない――少なくとも、束縛の少ない愛の形なのだから。
「私なら大丈夫ですよ。ただ、戦うよりちょっと疲れましたけど」
「瞬……」
「顔をあげて。あなたの顔が見たい」
ハーデスは促されるままにゆっくりと顔をあげた。情けない表情は晒すまいと頑張ってみるのだがなかなか上手くいかない。それでもハーデスはなんとか笑顔を作って見せた。
「あなたは、私がいいんですよね?」
「うん……余はそなたがいい。そなたでなければダメだ……」
遠い神話の時代から、自分の中にあった孤独を埋めてくれる乙女。いつかペルセポネを冠する少女が現れるのを、ハーデスはずっと待ち続けていた。
そしてこの時代、憑代という形で出会った神と少女は。
「私もあなたが好きですよ……」
「瞬……」
「一緒に、いてくれますよね?」
「約束したからな。夜は一緒にいると」
生きてきた時間の長さも、暮らした場所も、種族も違いすぎるふたり。けれど、それでも分かり合い、想いあうならそれでいい。
「瞬」
「ふふふ、こんなことであなたを振ったりするほど私は弱くありませんよ」
薄暗い部屋に月の光だけが鮮やかにふたりを照らしていた。



それから数日後のオリンポス。
テラスでのんびり横たわっていた大神ゼウスは馬の嘶く声を聞いて身を起こした。
やってきたのは漆黒の馬車を駆る冥王ハーデス。相変わらず黒ずくめの冥府神に兄神は苦笑した。
「よう! ハーデス。アンドロメダちゃんは元気か!?」
するとハーデスはゼウスに一瞥くれただけで彼の前を素通りしてしまう。ゼウスは慌てて彼の馬車に飛び乗り、彼に話しかけた。
「こら、お兄ちゃんを無視するな」
「黙れこの変質神が! 今日は姉上に用があってきたのだ!」
ハーデスはゼウスを馬車から蹴落とすとそのまま姉の住まう神殿へと急いだ。落ちたゼウスは腰を擦りながら弟の背中を見ていた。
「いったー、ありゃ相当怒ってるな……」
彼は当分実家に帰ってくることはないだろう。それでいいんだとゼウスは遥か天空から地上に思いを馳せた。
あくまで、地上にである。
そのころヘラは弟神を自分の神殿に招き入れていた。
「忙しいところを済まぬな、ハーデス。アンドロメダはその後倒れたというが、大事無いかえ?」
「うむ、あれでアテナの聖闘士だからな。それで姉上、御用というのは?」
ハーデスは勧められた椅子に腰掛け、姉神の言葉を待った。ヘラのお気に入りである孔雀がゆったりと羽根を広げていた。
「ああ、アンドロメダの容態を聞きたかったというのもあるのだが、それだけではなくてな。そなた、大丈夫なのか?」
「……大丈夫、とは?」
姉の言いたいことが分からず、ハーデスはきょとんと彼女を見返していた。
ヘラはじれったいとばかりに弟をつついた。
「アンドロメダに懸想しておる男がおるそうではないか。押して押して押しまくってガッツリ掴まねばならぬぞ! わらわはそなたを応援しておるでな」
深く暗い父の腹中にあったとき、幼い弟と妹たちを抱えて奮戦してくれたハーデスにヘラは深い愛情を向けている。ハーデスは冥府という闇の中にあってもその職務に忠実で、女性を追い掛け回すという乱暴なこともしない。忌み嫌われる『死』というものを統括するがゆえに彼自身も死神として嫌われてはいるがその本質はそうではないことを、知っているのはこの姉たちと瞬だけでいいのだ。
死神として生まれなかったのに、死神になってしまった自分。
愛してくれる誰かを望んで、ようやく見つけた君という生命をいつまでも愛しぬくと約束した。
「姉上」
「なんじゃ」
「余の結婚式には来てもらえるか?」
弟神の幸せそうな笑顔に女王神はにこやかに笑って頷いた。
「無論じゃ」
「……ありがとう」
オリンポスの神々は人間を見下しながら愛する。



その日の夜の事だった。
いつものように瞬を腕に抱いて眠っていたハーデスは珍しく目を覚ました。腕の中の恋人はすやすやと安らかな寝息を立てている。
彼は亜麻色の髪にそっと手を入れ、梳る。瞬はくすぐったそうに身を捩り、自分の胸に深く入り込んできた。
(お、かわいいな)
子猫のような仕草に愛らしさを覚えながらハーデスは再び目を閉じた。
が、眠る事は出来なかった。
姉神に言われたことが気になって眠るどころではなかったのだ。
自分には押しが足りないのだろうか、などと妙なことを考えながら瞬の頬を指先で撫でる。
かつて相争った敵同士だというのに何の警戒も見せずに眠る彼女、それだけ信じてもらえているという証なのだと思えば嬉しいには違いない。
しかしあまりにも警戒されなさ過ぎるというのは男としては少し寂しい気もするのだ。
かといって襲えば瞬本人のみならず周囲から袋叩きにあうのは目に見えている。
そうこうしているうちに、瞬が目を覚ましてしまった。
「ん……」
「あ、すまん。起こしたか?」
「ん……あなたの髪、くすぐったくて」
彼が動くたびに頬を擦っていたのだというと冥王はすっと後ろに払った。
「すまんな」
「でも私、あなたの髪好きですよ」
そう言って笑う瞬が、冥王には本当に愛らしく思えた。思わずぎゅっと抱きしめる。
「うわ、苦しい……」
「余はそなたを全身全霊で愛しておる」
「知ってます、苦しいですから離して」
瞬はハーデスの胸板を押すのだが、彼は愛しさが有り余っているのか、彼女を離そうとしなかった。
「ちょっと、ハーデス」
一向に離そうとしてくれない冥王から何とか離れて起き上がると、瞬は何故か胸元をあわせながら彼を見た。
「な、何のつもりなんですか?」
「愛しさが余っているだけだ。怒らせたなら謝るから、ほら」
おいでと手を広げるハーデスに瞬は少し渋りながらもおずおずと彼の胸元に戻る。そしてやっぱりぎゅっと抱きしめられた。
「もー、ハーデスったら」
「愛しい。本当に愛しい」
「……ねぇ、ハーデス」
「ん?」
温かい彼の腕、柔らかい少女の身体。触れ合えばそこに浪漫。
「結婚しますか?」
少しくぐもった声は神たる彼の耳にはちゃんと届いていた。けれどそれを理解するだけの機能が働かないほどその言の葉は彼にとって衝撃だったのだ。
冥王は瞬の言葉を聴きなおした。
「今、なんと言った?」
「結婚しますかって聞いたんですけど、いやならいいですよ、このままでも」
そういってイタズラっぽく笑う瞬に冥王は彼女ごと慌てて起き上がった。
「ちょ、瞬。そういう話は寝物語にするものではないぞ!? 寝ぼけておるわけではないのだな!?」
「ちゃんと起きてますよ」
瞬は少しはにかみながら言った。
「今日一日ずっと考えてたんです。あなたの気持ちに応えてもいいんじゃないかなって」
「瞬……!!」
嬉しさのあまりまた抱きしめようと近づいてくる冥王を、瞬は押し返した。
「しゅ、瞬……」
「で、も。私はまだ13歳なんですから。もう少し地上で女の子したいんです」
抑えられていた手を離され、冥王はこっくり頷いて見せた。
「では、それはそれとして余の妻になってくれると?」
消え入りそうな声、薄く染めた頬。それがすべての答えだった。
冥王は瞬を自分の膝の上に瞬を乗せると腰を抱き、空いていた手で瞬の頬をなぞり、そして口づけた。
「愛しいと聞きたいな、瞬……」
「……好きですよ、ハーデス」
まだ愛しているとは聞けないけれど、それでもこの“好き”は出会ってから最上の気持ち。
恋愛中の衝動はもう止まらない。
「瞬」
君の名を呼び、何度も口づける。
「ハーデス……私……」
あなたを見つめ、何度でも唇を受ける。
額に、頬に、唇に。
幼くても間違えないのは、女という生き方。
愛してくれた人の想いに応えるということ。
冥王という男の手が瞬の身体のラインをなぞる。少女はびくんと身体を震わせた。
「やっ、ダメ……」
「少しだけ、瞬」
「でも……」
耳をくすぐる冥王の吐息に瞬は女として追い詰められていく。けれど彼女の脳裏のアフロディーテが簡単に許しちゃダメだと大声で言った。
「す、少しでもダメです!」
「そうか……」
正直残念そうな冥王だが、中途半端に諦めないところが彼の良さといえるだろう。
「では、いつものとおりに刻印を。それならばいいだろう?」
「え、ええ、それなら」
瞬は冥王の唇を鎖骨に受けている。消えるたびに付け直すそれはもう消えないような気がした。
彼女の心に近い、左の鎖骨に冥王の唇が触れる。いつもより強く、噛み付くように刻めば瞬はぎゅっと身を竦めた。つ、と首を舐める彼の舌の温かさが何かを壊していく。
「いやっ、あのっ」
「可愛い」
「やあっ……」
いつものことなのに、いつもより熱いキス。
恋に未熟な少女には少し熱烈すぎて。
冥王が彼女を解放した時にはもう、瞬の瞳に涙が溢れていた。
「……瞬」
「ばかぁ、こんなに……」
付けられた痕は広範囲に紅く、唾液で薄く湿っていた。
けれど流石冥王、少女よりも何倍も長く生きている彼は悪びれずに言う。
「そなたが可愛いからいけないのだぞ。それに余は言ったであろう? そなたへの愛が有り余っておると」
「だからって……」
羞恥のあまり泣き出した瞬と、それを必死で宥める冥王ハーデス。
部屋の外で兄一輝が飛び出そうとしているのを紫龍が止めている。
「離せ紫龍! 瞬があの超次元寝癖の毒牙にかかる前にぶちのめす!」
「いや一輝、ときに落ち着け! 瞬も合意の上のようだし!」
「なお悪いわ!」
一方の氷河は星矢を止めているのだが、そっちのほうが簡単そうだ。
「じゃあ、喧嘩して泣かされてるんじゃないんだな?」
「ああ。あれは仲良くしすぎて泣いてるんだ」
「ふーん」
おこちゃまの星矢を舌先で丸め込むのは簡単なことだ。星矢にしてみれば瞬が泣いていても、いじめられているのでなければいいやと思っている。
瞬はハーデスの腕の中でむくれたままだったが、それでも彼の腕は居心地が良くて離れられないでいる。
兄の熱さとは違う、弟の温かさとも違う。
甘やかな恥じらいを伴った蕩けるような熱をくれるのは恋人と呼べる彼だけ。
ひとことも口を利かなくなった瞬の顔をそっと覗き込むと、冥王は小さく笑った。
「眠ったか……」
冥王は抱き上げていた瞬を起こさないようにそっとベッドに入れ、布団を着せ掛けると外で騒いでいる彼女の兄弟たちに声をかけた。
「こら、静かにせぬか。瞬が起きるではないか」
「あ、ああ。すまない」
「うむ、分かればいい」
それだけ言って部屋に消えた冥王。兄弟たちは理不尽な何かを感じつつ、それぞれ自室に戻るのだった。



婚約から結婚確定へ。
これより二年の後、瞬が15歳になるのを待って挙式するのだが、それはまだ未来の話。
とりあえず少女はまだ少女のまま夜の闇に夢を見る。




冥王星の周りを巡るとされた冥妃星
幻のその星を見つけ、抱きしめた王の幸せ

らららと歌うように瞬く
そんな君と出会えた





≪終≫





≪結婚します≫
ぅよし! 冥王様と瞬、本気で結婚させます! でも御成婚はまだ先だ! でも結婚だ!
というわけでつらつらと書き始めてみたらヘラ様が異常に強かったw というお話です(ん?)。
あ、俺の中に『天界編』はないから! それだけは言っとく!
なんかね、カノン瞬とか、今更俺が出張らなくてもいい気がしてきたから。そして冥王様の幸せは俺が担うって勝手に決めたから。瞬とだったらきっと幸せになれるよ! 頑張れ! 
(´・ω・`)俺が頑張れよ。注: 文字用の領域がありません!

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