幻想楽園組曲第壱楽章 〜私のお父さん それが私の浪漫 それが私の正義 そしてそれが私の恋 どれひとつ罪ではなかったとして けれどあなたを悲しませているこの事実だけが 私の罪なのかしら さても暢気な昼下がり、しかし教皇のサガは天候の良好に関わらずひとり執務室に閉じこもって書類とにらめっこ。 裁けども裁けども減らない書類の山、楽にならないのでじっと手を見る。 「なかなか……」 自分が犯した罪を思えばこれくらいなんということはない。 けれど彼も人間である以上休息も必要だ。こきこきと首を鳴らし、腕を回す。 すると軽やかにドアをノックする音が聞こえてきた。 「どうぞ」 サガが応じるとドアの隙間から鮮やかな水空色の髪が見えた。自然と頬が緩んだのは否めない。 ひょっこり入ってきたのは魅惑的なボディラインの淑女。 「えへへ、サガ」 彼より六つ年下の恋人は魚座の女。 キュプロスの女神の名を持つ――そう、アフロディーテ、と。 「サガ、お仕事どう? 何か手伝おうか?」 「いや、大丈夫だよ。君だって出張から帰ってきたばかりじゃないか」 するとアフロディーテはいいえと首を振った。 「サガに比べればどうってことはないわ」 「ならいいけれどね。ところで何か用なのかい?」 仕事の邪魔はしないようにと、休憩時間以外は教皇宮を訪れることのないアフロディーテである。 彼女はこっくり頷いた。 「あのね、サガ。教皇印貸してほしいの」 「ああ……って、ちょっと待ちなさい、アフロディーテ」 いくら恋人と言えども教皇印なんてそう簡単に貸し出せるものではない。サガはいつものくせで返事をしかけて、慌てて彼女を止めた。 「今度は何をする気だ?」 今度は、ということは前科があるらしい。アフロディーテはえへと笑って誤魔化したが、サガにはそれも通用しない。アフロディーテは素直に言った。 「瞬を養女にしようかと思って」 サガは彼女の手にあった書類を奪い、見た。 見ればそんなことがつらつらと書かれている。 サガは呆れて溜息をついた。 「この前教皇命令だとか言って呼び出して一緒に遊んだばっかりだろう?」 「だって寂しいんだもん。それに瞬にはいろいろ教えてあげたいし」 「だったら君が行けばいいだろう」 「一昨日行ったばっかりだもん」 瞬はアンドロメダを拝命する青銅聖闘士。女子の中では最年少だ。 その瞬は冥王ハーデスに恋人として懸想されており、瞬も彼が愛を知ってくれるのならとそのままごとのような恋を続けている。 アフロディーテにとって瞬は妹のように可愛い存在だった。 それ以上に、瞬はある意味遺児でもあった。 サガが作る世界こそ正義の園だと信じていた頃――それは彼が幼い女神を殺そうとし、それを阻止しようとした友をも手にかけてから過ぎ去った13年間――のこと。 アフロディーテは瞬の師であるケフェウスのダイダロスを抹殺しているのだ。 白銀聖闘士の中でも屈指の実力を持ち、信望も厚かった彼は聖域乃至教皇に対し疑念を持っていた。そしてそんな彼に同調する聖闘士も日に日に増えていた。 サガは彼が徒党を組んで聖域を侵すことを恐れたのだ。 だから殺した。 サガの手を煩わせるまでもないわと、アフロディーテが変わりにその手を血で染めて。 だが愛を信じる女神の前にサガが自らの過ちを認め、贖罪の道を歩き出したとき、アフロディーテもそれに従った。サガが彼女にとってすべてだったから。 そして残された一人の少女を、今度は慈しんだ。 死んだ――死なせてしまった彼の変わりに。 アフロディーテは伏せ目がちに言った。 「瞬にいろいろしてあげたいの。お料理もお化粧も、恋も――女の子のこと、なんでも教えてあげたいの」 その願いはとても優しい。サガもそれにはかなり同意したい。 けれど叶え方が極端だ。 アフロディーテはたびたび瞬を自分の養女や弟子として手元に引き取ろうとした。そしてサガに止められることもしばしば。 「君が瞬を可愛がっているのは知っているけどね」 「だったらいいでしょう?」 「それとこれとは別だよ。私だって瞬には幸せになってもらいたい。無論、瞬だけではないがね。だけど、恋のことは相談されてからでもいいんじゃないのかな。冥王とは比較的うまくいっているようだし」 確かに瞬と恋仲になってからの冥王は地上に手出しすることはないし、瞬自身も幸せそうに笑っている。 愛し、愛される存在がある幸せは彼自身もよく知っている。 サガには本当に瞬が女の子として幸せそうに見えた。 しかしアフロディーテは同じ女、いろいろ気がつくところがあるようだ。 珍しくもサガに食ってかかったのだ。 「そんなこんなしているうちにあんなことする仲になったらどうするの!?」 「あんなことって……」 アフロディーテは半ば興奮気味に言った。 「私はまだ教えてないっ! 瞬はね、赤ちゃんはコウノトリが運んでくるって信じてたのよ!?」 「それは問題だな……」 メルヘンにも程がある。そんなことで冥王の妃になって大丈夫だろうかとサガは軽い頭痛を覚えた。 そういうサガも幼い頃は、赤ちゃんはキャベツの中にいるのだと信じていた。じゃあ食べているキャベツはどうなんだと言うと赤ちゃんを取り出してから収穫されたキャベツだからいいんだとか言っていたらしい。 人の事を言えた義理ではないと思うが、今はその話ではない。 「そんな瞬だもの、心配だわ……」 「まあ、冥王もバカ……じゃないんだから」 いまいち自信が持てないのは何故だろうと、サガはふと思ってしまう。 実弟カノンと争ってでも瞬と添い遂げたいと願う冥王。 地上制覇に関しての戦略は微妙だったが、瞬との恋愛に関して言えばバカのようでバカではない……かもしれない。 恋というのはある意味、対象に対して貪欲なほど盲目になりがちだ。 もっとも瞬本人はそんな抜けている冥王も可愛いと思っているようだが。 ここでサガはふと本題に戻った。 「でも教皇印を駆使するのは止めなさい。それはなんでもかんでも押していい物じゃないんだ」 「はぁい」 サガに諭され、アフロディーテは素直に印を返した。 けれど瞬を手元に置きたい、愛しみたいという願いは消えないらしい、書類を握ったまま離さないでいる。 「でも本当につまんない。瞬はお料理できるの。女の子がやるだろうことは大体出来るんだもん」 「アフロディーテ……」 「瞬に、してあげたいこといっぱいあるのに……」 彼女の師を奪ってしまったのはほかならぬ自分たちだから。 都合がいいかもしれない、虫が良すぎるかもしれない、だけど。 「サガぁ……」 「その気持ちだけでいいんだと思うよ、アフロディーテ……」 サガは寂しそうに顔を伏せた魚座の彼女をそっと抱きしめた。柔らかい薔薇の香りがする淑女、初めて愛したのは彼女がちょうど瞬くらいのとき。 ああ、だからかとサガは自身で納得した。 重ねているのだ、あのときと。 「大丈夫、瞬はきっと幸せになれるよ」 「……うん」 冥王が奮迅し、瞬がそう願えばきっと。 「ごめんね、お仕事の邪魔して」 「いいんだよ。休憩しようかと思っていたからね。お茶を入れてくれるかい?」 「ええ!」 豊かな海と空の髪を揺らし、アフロディーテは花のように微笑んだ。 それだけで癒されると、サガは思った。 そして静かに昇った月がほんのりと菫色 止まらない浪漫が今宵も恋人たちを煽るのだろうか 翼日の朝。 双魚宮にある私室に、サガとアフロディーテが仲良く並んで眠っていた。 「んー……」 もぞもぞと身を動かし、先に目を覚ましたのはアフロディーテ。 サガはまだ眠っているのだろうかとそっと身を起こし、隣に寝ている男を見た。そして大いに仰天したのである。浅い覚醒だったのがすっきりと目が冴えてしまうほど驚いた。 アフロディーテは慌ててサガを揺すった。 「ちょ、サガ! サガったら!!」 「う……」 サガは無理やり揺り起こされ、はっと目を開けた。そしてゆっくりと体を起こす。意識がまだ混濁するのだろう、二、三度目を瞬いて、それからやっと笑ってくれた。アフロディーテもほっと胸を撫でおろす。 「アフロディーテ……」 「もう、サガったら。怖いから泣きながら寝ないで」 指摘を受けてサガはようやく自分が泣いていたことに気がついた。目尻のあたりがいやに湿っている。 それを指で拭い、サガはふうと疲れたようにため息をついた。 アフロディーテが不安そうに見つめてくる。 「どうしたのサガ。悪い夢でも見た?」 まだ苛まれているのなら私にも分けてと、アフロディーテはサガの手を握る。 大丈夫だよと再び重なるサガの手。 彼はゆっくりと思い返してみた。すると不思議とその夢のことは良く覚えていた。 「いや、とてもステキな夢だったんだよ」 少しうっとりと目を細めていたサガにアフロディーテはますます混迷を深めた。 「じゃあなんで泣くのよ」 「嬉しくて泣くこともあるだろう。悲しくないのに感極まったりとか」 「そうね、あるわね。で、どんな夢?」 いい夢ならぜひ聞きたいとアフロディーテがねだるので、サガは思い出せる限り話してみた。 「よく晴れたいい天気の日でね、窓から穏やかに光が差し込んでいたんだ。そこにね、真っ白なドレスに真っ白なブーケを持った瞬が立っていたんだよ」 サガはドレスの模様まではっきり思い出せそうな気がした。 真っ白なドレスに真っ白な花束。 左手には約束が煌くのだろう。 とすれば瞬は結婚式の直前であるにちがいない。 「瞬が花嫁さんなんだ……」 きっと可愛いだろうなとアフロディーテもうっとりと目を細める。そんな彼女に微笑みながらサガは続けた。 「瞬はにっこり笑ってアテナや私に挨拶をするんだ、長い間お世話になりましたって……私のことを兄のようでもあり父のように慕ってくれていたと……そう言ってくれてね。それで思わず感極まってね。夢でも私は泣いていたよ」 さもありなんとアフロディーテはうんうん頷く。 「いい夢ね、サガ」 「ああ」 彼女の最愛の師を奪い、少女の時間を奪い続けたのは彼等だった。 聖域と女神に仇なすものの存在は許しておけないから。 そしてそんな彼を護らなくちゃならなかったから。 けれど、少女は誰も恨まなかった。あきらめたといえばそれまでだっただろう。けれど少女はそこにそっと時をかぶせ、罪を忘却することで恨む心を消した。 師を救えなかったのは自分にも責任があるからと。 瞬はサガもアフロディーテも責めなかった。ただ一緒にいて笑うだけでいい。 そこにそれぞれの正義があったのだから。 「瞬にお世話になりましたなんて言われたら、感極まるだろう」 「うん、わかるわ。ところでサガ」 「ん?」 「瞬の相手は誰だった?」 そう、花嫁には一人じゃなれない。花婿がいてこそ花嫁は花嫁たりえるのだ。 だがサガは肝心の≪瞬の夫≫の姿を見ていないのである。 「残念ながら、婿は出てこなかったよ」 「なんだあ、残念」 アフロディーテは心底残念そうにため息をついた。 現実にも瞬は冥王とサガの実弟カノンとの間に揺れている。けれど彼女の心はもう決まっているようだ。 どんな道を彼女が歩もうとも、周囲はただ温かく見守るのみ。 「だけど、瞬はとても幸せそうだったよ」 「サガ……」 瞬が幸せならばそれでいいと、サガもアフロディーテも笑うのだった。 乙女は胸に花束を 心に最愛の人を そしてサガはいつものように教皇宮に篭り、アフロディーテは彼のためにクッキーを焼いていた。 そこにひょっこり瞬がやってきたのである。 「こんにちわ、アフロディーテ」 「あらあ、瞬じゃないのっ」 焼きあがるのを待っていたアフロディーテは可愛い妹の来訪をとても喜んだ。 きゅっと抱きしめようとして、その手にあった白い花に気づく。 「あら、可愛い。どうしたの、これ」 「宝瓶宮を通ったら、カミュが分けて下さったんです。アフロディーテにもって」 「嬉しい」 瞬はアフロディーテに真っ白な花束を渡す。 「綺麗ね……」 「やっぱり、アフロディーテは大人の女の人ですねぇ……」 「やだ、なんで?」 瞬の口から思わぬ言葉が出て、アフロディーテは頬を染めた。 「だって、花束がすごく似合うんですもん」 「ありがとう。でも瞬だって。亜麻色の髪の子には白い花束が似合うのよ」 宝瓶宮からここまで花束を抱えていた瞬を思い浮かべ、アフロディーテはうっとりと目を細める。 そしてはたと思いついた。 「そうだ、教皇宮にも少し飾ってあげようか」 「そうですね」 アフロディーテと瞬はにっこりと笑いあった。 白い花束は瞬が、焼きたてのクッキーはアフロディーテが持って一緒に教皇宮へ向かう。 平時においては魔宮薔薇たちも左右に分かれて道を作っていた。 相変わらず美しい薔薇たちに瞬がうっとりと目を細めた。 「綺麗ですよねぇ……」 「誉めてもらえれば嬉しいわ。丹精こめてるもん」 花も女の子も、磨けばいくらでも綺麗になれる。アフロディーテはまだ蕾の瞬を見つめた。 「サガはね、まだ苦しんでる……」 「アフロディーテ……」 美しいその横顔は憂いを帯びても、なお美しいと、瞬には思えた。 けれどその美しさもサガの苦しみを解放するには至らなくて――アフロディーテにはそれが悔しかった。 「アテナを殺そうとしたこと、アイオロスを死なせたこと、命に従っただけの白銀聖闘士たちのこと、そして、あなたの師のこと……」 アフロディーテは立ち止まった。いや、それ以上歩けなかった。 ぎりっと唇を噛む。 「本当なら、私がサガを討たなきゃならなかった。何をしてでも……でも、出来なかったの」 「アフロディーテ、みんなもうサガを許してます、私も」 「でもサガはいつまでも自分を責め続けてる! 今でこそ笑ってるけど、でもね……」 夜になると髪を掻き毟り、あるいはじっと手首を見つめているのだとアフロディーテは言った。 そんなサガの姿を知らない瞬は愕然とした。 「そんな……そんな……」 瞬の目に涙が溢れたのを見、アフロディーテは泣きそうだった自分を律した。 「瞬は泣かなくてもいいの。大丈夫、私が居るわ。みんなもいる」 罪を罪と認め、贖罪し、誰かが許してくれた瞬間からその罪は終わるから。 「サガ……」 「サガのこと、もっと思ってあげて。笑ってあげて。そうしたらサガは少しでも楽になれる……」 誰ももう、サガを責めない。 サガ自身以外は。 だから笑おう。 「瞬のこと、サガは大事に思ってる。幸せになってほしいっていつも言ってる」 「……はい」 アフロディーテはひとことごめんねと呟いて、瞬の背中を押した。 教皇宮につくと、ちょうど休憩に入ろうとしていたのか、執務室から出てきたサガと出くわした。 「おや、アフロディーテに瞬じゃないか」 「ちょうどよかったわ、サガ。クッキー焼いてきたの。それとね」 アフロディーテがふわりと身体を開けると傍らの瞬が顔を出す。 その胸に白い花束、サガはちょっと驚いたのだが普通の服だったのですぐに落ちついた。 「カミュからいただいたんです。教皇宮にも飾ってあげようってアフロディーテと話してて。お邪魔じゃなかったら」 瞬が遠慮がちにそう言うとサガは穏やかな微笑を浮かべて、彼女の亜麻色の髪を撫でた。 「何を邪魔なものか。ありがとう瞬。あとでカミュにも礼を言っておこう」 サガは本当に穏やかに笑っていた。 その笑顔がどんなに仮面のものでも、失わせてはいけないんだと思えばこそ、その場の誰もが微笑んでいた。 「瞬、サガにお茶を入れてあげてね」 「はい!」 サガに一礼し、教皇宮にもあるキッチンに向かって小走りに駆けていく瞬の小さな背中をふたりで見送る。 アフロディーテがふふふと笑った。 「可愛いでしょ。どう? お父さんとしては惜しい?」 「まあね」 冥妃としてハーデスに嫁ぐにしろ、カノンの嫁になって自分の義理妹になるにしろ、手放すのが惜しいのが父心。 「君だってそうだろう?」 「そりゃ、お母さんとしてはね。でも娘は箱に入れてたって勝手に出ていこうとするものなのよ、うん」 「君が言うと真実味がありすぎて怖いな」 箱の中の娘は外界に飛び出そうと手を伸ばし、箱の外の男は自分だけの少女を求めて手をかける。 そうして幾重にも繰り返す、楽園の創造と喪失。 サガはそっとアフロディーテを抱き寄せた。 「サガ……」 「私も、幸せになっていいのかな」 それは悲しい、けれど嬉しい呟き。 アフロディーテはぎゅっとサガの腕に抱きついた。 「もちろんよ、サガ!!」 「アフロディーテ……」 見つめあって、頬に手を添えて。 唇を触れ合わせればきっとそこに幸せが見えるわ。 「えーっと……いつ入っていったらいいのかな……」 3人分のお茶が乗ったトレイをもって瞬が部屋の外でうろうろ。 真っ白な花は執務室でゆらゆら。 でもアフロディーテと一緒にいるサガはどこからどう見ても幸せそうで。 大人同士のキスに照れている心のどこかで、瞬は安心している自分にも気がついた。 そして自分がサガのためにできることがあるとすればそれは。 「幸せになってくださいね、サガ」 ――私の、お父さん それはよく晴れた、ある日の出来事。 ≪終≫ ≪私のお父さんてwwww≫ 双子誕ですー、サガお誕生日おめでとうってことで。サガとアフロディーテと瞬は親子でいいよ、もうwwww なんか俺がサガに抱いているイメージはこんなものです。 というわけでお誕生日おめでとう! サガ!! (*´Д`)<オメデトー |