絶対彼氏な冥王様 〜営業課長と鎖姫の鮮やかなる昼下がり 死者の国、冥界。 そこには最高府ジュデッカと、下部組織があった。 ジュデッカには冥王ハーデスの玉座があり、そこには大抵冥王本人とその現世の姉であるパンドラが常駐していた。が、乙女座の彼らは毎日恋愛談義に花を咲かせており、はっきり言ってしまえば冥界を統治する上においては存在していようがいまいが大した問題ではなく――ミーノスはそれを“冥王機関説”などと呼んではいたが――結局のところ、第一獄の裁きの館と、カイーナとトロメアさえあれば冥界は機能するのである。 そのカイーナの長官ラダマンティスは空になった胃薬の瓶を見つめてため息をついた。 先日“労働基準法違反です!”と部下達に説得されて休暇を取ったのだが、そのときに胃薬を買ってくるのを失念してしまっていたのだ。それほどに、冥界を離れた数日は彼にとって充分リラックスできた時間であったわけだ。 「俺としたことが……」 既に旧知の友状態の胃薬たち。ラダマンティスは珍しくも空の瓶を弄んでいた。 彼ら――と擬人化してしまうほどに慣れ親しんだ胃薬たち――が体内にいてくれればまた働ける、まだ動けると自分を騙し続けることができたものを。 幸いミーノスがかわって休暇を取るというので胃薬の件は彼女に頼んだのだが、戻ってくるのは明日だ。彼女は一日早く帰ってきても構わないと言ってはくれたのだが、それでは悪い気がして、明日でいいと言ったのだ。 予備がまだひと瓶ある。ミーノスが戻ってくるまでは大丈夫だろう。 大した事件さえなければ。 しかし彼の希望とは関係なく、事件は執務室ではなく現場で起こっているのだ。 ほんの少しだけ開いたドアの隙間からドラッグイーターな上司を見つめていたのはクイーン。そんな彼女が切なそうに顔を背けた。 「お労しいっ」 クイーンがそういうとシルフィードやゴードンもうんうんと頷いた。 可愛い恋人と過ごす時間も短く、ましてや寝る暇もほとんどなく。ラムネ菓子のように胃薬を食べている上司のどこが不憫でないだろう。 「それもこれも、多忙なせいなんだよなぁ……」 地上のどこかで起こる欺瞞、憤怒、怨嗟。 罪もない子どもたちが争いに巻き込まれ、撃たれ、刺され、あるいは辱められ、飢えて死んでいく。この冥界にいてもそんな惨状はいやと言うほど聞かされる。 手にしたファイルには政変に巻き込まれて死んだ子どもたちの名が連ねてある。ごく軽い罪をほんの少しだけ――そんな子どもが裁かれるために並んでいるというやるせない現実にルネが涙を我慢しているのを、クイーンは見たことがあった。 ほんのひとにぎりの愛も、一人の子どもも救えないほどに小さいのだとしたら。 「でも、私たちがそんなこと考えてもどうしようもないのかもね」 「俺らは神様じゃないんだし。地上の連中が頑張るっていったんだしさ。任せっぱなしってわけじゃないけど、でも俺らには俺らで出来ることをしようや」 例えば、子どもたちが死後、少しでも楽になれるように。 彼らとその上司はそのために心を砕いているのだ。極悪人には極刑を、普通の人には軽刑を、そんなふうに。 そんな辛苦な思考に沈みかけていたとき、シルフィードがふと顔を上げた。 思えばこれが事件の始まりだったのである。 「けどさ、考え方は悪くないと思うんだよな」 「どういうこと?」 シルフィードの言葉にゴードンもふと顔を上げた。 「いやな、ラダマンティス様の多忙の原因は死者数の増加だろ? これは悔しいけどどうしようもないけどさ、他にも忙しい原因があるじゃん?」 「例えば?」 ゴードンは何も思いつかないらしい、いや、思いついていても口にしないだけかもしれない。 それを臆することなく唇に乗せるのがシルフィードという男だった。 「ほら、アンドロメダ様のことでハーデス様がちょいちょい相談に来るじゃん」 ああと納得するクイーンとゴードン。 彼らが奉じる神は冥王ハーデス。この冥界の王にしてオリンポス祖神のひとりである。そんな彼も今期の聖戦で憑代として定めた少女に一度は拒絶されたにも関わらず、それでも思うところがあったのか、今では幼いその少女を恋人として追い回しているのである。 その相手はアテナの聖闘士なのだが、いずれ冥妃になるかもしれないということで彼らはその星座の名、あるいは本人の名に“様”を着けて呼ぶのが慣例になっていた。 したがって彼らの言う“アンドロメダ様”とは、アテナの聖闘士であるアンドロメダ瞬その人をさす。 そう、彼らが主神の冥王ハーデスは現在アンドロメダ瞬と結婚を前提にした恋愛中なのである。 そんなハーデスが何かにつけてラダマンティスに恋愛相談を持ち掛けるものだから、その分だけ彼の仕事の手は止まってしまうのだ。故に睡眠時間は愚か恋人との時間もなくて。 クイーンはため息をついた。 「恋する男の気持ちも分からなくはないんだけどねぇ……」 「だからさ」 「なによ」 「俺たちでアンドロメダ様に根回ししてさ、それとなくハーデス様をお諌めしてもらうってのはどうだ?」 根回し、それは政治的に正しいとされる判断用語だ。 クイーンとゴードンはそれを自らの中の回路で解析し、結論を導き出した。 「それだ!」 「そうと決まれば善は急げだ!」 決行は勤務明けと決めた。ラダマンティスに知られてはいけないし、なにより仕事に穴をあけるような真似をしたくなかったのである。 かくして彼らの目論見は功を奏することとなる。 何故なら人命がかかっていると言われてぼーっとしていられるほど、鎖姫は薄情ではなかったからだ。 しかし薄情ではなかったが、困窮しているのも確かで。 「そう言われても……」 「お願いします、どうか我等がハーデス様のおそばに!」 「っていうか、ハーデス様をそれとなく諭していただければ!」 ハーピーのバレンタインに作らせたケーキを彼女の前に供物として捧げ、クイーンとシルフィード、ゴードンの3人は深々と頭を下げていた。その様子を瞬の兄弟たちがどうしたものかと見守っている。 自分より年上の男女に頭を下げられて、瞬はおろおろとするばかりだ。 仲間を思う気持ちは聖闘士でも冥闘士でも変わらない。それはとてもよいことなのだが。 「ほらっ、ドラゴンもなんとか言ってやって!」 「いや、俺がどうこう決める問題ではないような気もするが……」 妖花の女王に指名され、紫龍が非常に珍しくも後退る。 そんなクイーンと紫龍のやり取りには目もくれず、シルフィードは必死に説得を試みた。 「今すぐ結婚してほしいって言っているわけじゃないんです。せめて日中の数時間でもハーデス様のお相手をしていただければ、ラダマンティス様も仕事がはかどります!」 「はあ……」 瞬はなんとも気の抜けた返事を返した。 確かにハーデスがラダマンティスの仕事の邪魔をしているというのは事実らしいし、(かなりの遠因とはいえ)その原因が自分との恋愛のことにあるというのも確かなようだ。 「お願いします!!」 「人命がかかってるんです!!」 「そう、ですか」 人の命がかかっていると言われれば、瞬とて動かないわけにはいかなかった。 瞬は信じていたのである――ハーデスは話せば分かってくれる神様だと。 実際のところ、彼は瞬のいうことしか聞かないだけなのだが。 「じゃあ、ちょっと今夜にでも話してみますね」 即決ではなかったが、なんとか了承を得られた3人はほっと胸をなでおろした。 彼女に対するわがままだということは分かっている。瞬にだって自分の時間は必要だろう。 しかし彼らにはラダマンティスが大事だったし、なにより冥王が瞬と結ばれて幸せになってくれることも大事だったのだ。 そして冥王と親交を深めておくことも瞬にとって悪いことではあるまいと、そう考えたかどうかは定かではないが、とにかく考えてのことだっだのだ。 ただし、瞬という少女が“それとなく”物事を運べる人間だったかどうかを見誤ったのが失敗だったといえよう。 さりとても、事態はいい方向に進みつつあるようだ。 「余は瞬にこっぴどく叱られたぞ、ラダマンティス」 「も、申し訳ございません」 ジュデッカの玉座の間にラダマンティスを呼び寄せたハーデスは不機嫌全開で階下に跪拝する彼を一瞥した。 昨夜彼は瞬から丁寧に事情を聞かされ、「お仕事の邪魔はしちゃいけませんよ」とやんわりとたしなめられたのである。 やはり瞬はそれとなくハーデスを諭すことは出来なかったのだ。 しかしハーデスがこっぴどく叱られたと主張するので反論するわけにもいかないし、その材料も――悲しいかな、そんなこととは知らないがゆえに――なかったのである。 ハーデスは更に攻撃を続けた。 「まるで余がそなたをいじめておるようではないか」 これがイジメでなくてなんなのだとツッコんではいけない。ハーデス様は大真面目なのである。 可愛い恋人にパワーハラスメントな男だと思われたくない一心なのだが、彼は聖戦の折に瞬に対してしたことを全部棚の奥に押し上げていた。 一方のラダマンティスはどうしろって言うんだよとばかりに冷や汗をかいている。 「まあしかし、それで昼間の数時間ほど余は瞬と一緒に過ごせることになったからな。今回は大目に見てやろう」 「はっ、ありがたき幸せにございます」 平伏するラダマンティスに、ハーデスは満足そうに微笑む。 あれも愛、これも愛、多分愛、きっと愛。 お互いを思い合い、支え合う冥闘士たちの存在が、ハーデスには嬉しくもあり頼もしくもあった。 「……よい部下を持ったな」 「は……」 ハーデスが言うように、瞬と一緒にいられる時間が少しでも増えたのはハーデスにしてみれば嬉しいことだ。 そしてそのきっかけを作ってくれたのはラダマンティスの愉快な部下たち数名なのである。 下がってよいと言われ、ラダマンティスは立ちあがろうとした。 しかし立てなかった。 何故なら今彼の体内に無二の親友ともいえる胃薬は一人も……いや、ひとかけらもなかったのである。 胃痛がピークに達していた。 そんなラダマンティスを不審に思ったハーデスが声をかけた。 「? どうした、下がってよいぞ?」 「は……うっ」 ラダマンティスはそのまま喀血し、倒れてしまった。 階下で起こる異変にびっくりしてハーデスは声を上げた。まさか三巨頭のひとりが胃痛で倒れるとは思わなかったのである。 「誰か! 誰かある! ラダマンティスが喀血して倒れよったー!!」 まるで緊急サイレンのようなその声にカイーナから部下全員が駆けつけ、彼を抱えていった。 当然彼の世話はルネに一任された。 「あーあ」 担架で運ばれていく彼を見、休暇から帰ってきたばかりのミーノスはため息をつく。 彼女の手には段ボール箱、中身は種々の胃薬たち。 「ミーノス様……」 ミーノスに声をかけたのは天英星バルロンのルネである。彼女はミーノスの部下でラダマンティスにとっては可愛い恋人なのだ。その彼女が泣き出しそうな顔をしていることで、ミーノスは状況を察した。 「またですか」 「はい、またなんです……」 詳細はクイーンに聞いてくださいと言い残し、彼女はラダマンティスのそばに寄り添った。 手馴れてしまったのか、ルネの手には入院用と思しきバッグが握られている。 その後姿を見送って、ミーノスはため息をついた。 「さて、今度はどれくらいになるやら」 段ボール箱に詰められた薬たちに、ミーノスは返事を求めて苦笑した。 ミーノスの胃薬は、間に合わなかったのだ。 それから数日後のある日。 カイーナ長官であるラダマンティスとその愉快な部下たちのおかげで毎日ではないが週に2、3日は瞬が冥界を訪れてくれるようになった。 おかげで冥王は大喜び、ラダマンティスの仕事の邪魔をすることもなくなったのだ。 仔細を聞かされたミーノスが書類片手にふふふと笑う。 彼女の前にはラダマンティスが既に復帰していた。 「一時はどうなることかと思いましたけどね」 「しかし、瞬様がいてくださるので仕事がはかどる。正直言ってハーデス様のお相手をするのも大変なのだ」 「そうですか? 私は楽しいですけどねぇ」 ラダマンティスには部署違いながらも恋人がいる。第一獄、裁きの館にて裁判官を勤めている天英星バルロンのルネがそれで、彼女もまたラダマンティスの回復と共に職場に復帰している。 冥王は瞬と一日も早く添い遂げたくて、恋人がいるラダマンティスにその極意を聞いてみたり愚痴を言ってみたり、はたまた惚気てみたりといろいろやっていたのだ。 それを先日瞬に『お仕事の邪魔をしちゃだめ』と叱られて以来、冥王はやってこない。 なので仕事がはかどる。のだが、実質は冥王に邪魔される前と量自体は変わっていないのではたして仕事が減ったといえるのかどうかは不明だ。 ミーノスはやれやれとため息をついた。 「それじゃ、私も仕事に戻ります。過去帖のデータベースを作らないといけませんからね。これはできたぶんのコピーです、どうぞ」 「すまんな、ミーノス」 「いいえぇ。ルネに届けさせたかったですけどね」 ウフフフフーッとどこぞの女神のように笑いながら、王の名を持つ天貴星の淑女はカイーナの執務室を去るのだった。 残されたラダマンティスはため息をつく。 自分だって冥王の幸せを――臣下であり、一介の人間ではあるが――祈っているのだ。 今ごろジュデッカで、冥王は幼い恋人と友にささやかながらも甘い時間を味わっているのだろう。それを少し羨ましく思いつつ、ラダマンティスは再び書類にサインを始めた。 で、その頃の冥王はといえば。 「はい、あーんして」 「あーん」 瞬お手製のチョコレートケーキは冥王のお気に入り。 手土産にと作ってきてくれた心栄え、冥王はよい妻を持ったと、まだ結婚していないのにすでに気分は新婚さんだった。 「美味しいですか?」 「そなたの唇には負けるが、まあうまい」 比較する対象が間違っているような気がするが、それでも美味しいならいいかと、瞬は気を取り直してもう一口。 雛鳥のように口をあける冥王に苦笑せざるを得ない。 「自分で食べてくださいよぅ」 「いやだ。食べさせてくれねばいやだ」 瞬はやれやれとため息をついた。 「どんだけわがままなんですか。これくらいのケーキ、子どもだって自分で食べられますよ?」 「技術の問題ではない、心の問題だ。恋人が焼いたケーキを恋人に食べさせてもらうのが恋人同士の基本だろう!」 そんなこと力説されてもと、瞬は思ったのだが冥王はこういうことに関しては一切聞く耳を持たないので諦めるしかない。 瞬は最後の一切れをフォークに突き刺した。 「これで最後ですからね」 「うむ」 こっくり頷いた冥王の口元に運んで食べさせる。彼は迷うことなく頬張る。 やっと終わったかと瞬はもしゃもしゃと咀嚼する冥王を見つめた。 いろいろ大変だけれど、争うこともなく、こうしてケーキでも食べさせていれば大人しいのだから、それはそれでいいことだとも思う。 小さくてもいい、ほんの少しでも争いの種をなくせるのなら、それが大きな平和に繋がるのだ。少なくとも、瞬はそう信じている。 「手がかかるんだから。子どもみたい」 口元を拭いてやるその姿は満更でもなさそうだと思いながら、冥王はにっこり笑う。 「もう一口、残っておるな」 「え?」 そういうと冥王は綺麗な指先で瞬の頬を包むと、ちゅっと唇を触れ合わせた。 「なっ……」 「ふふふ、今のところ最上のデザートはそなたの唇だ」 「今のところはって……」 そりゃあもちろんとは言わず、冥王はただフフフと笑うだけ。 「ほら、瞬」 自分の膝を叩き、ここに座れと言う冥王の言葉に瞬は素直に従った。 「しょーのない人……」 それでも、愛し始めた。 彼を男として意識し始めた。 「瞬がずっとここで暮らしてくれたらいいのにな」 「ハーデス……」 光差さぬ冥界に、冥王がみつけた一条の光明。 それが彼には他のどんなものを差し置いても愛しかった。 瞬のためならどれだけでも優しくなれるし、また、残酷にもなれる。 少女は冥王の唇を煌びやかな指先でなぞる。 ほんの少しでもいい 愛しているって自覚できれば 「愛してる、瞬……」 「きゃあっ」 ぎゅっと抱きしめて。もっと愛して。 少女を抱く男の腕に込められた願い――いつか叶えるのだと息巻いて。 神が、星が定めた出会い 運命は左回りに歯車を回して 絶対彼氏は冥王様、絶大彼女はアンドロメダ 手に手を取って未来をそこに そこにどんな詩を灯すのかしら ≪終≫ ≪またの名をエリシオン≫ 日記で連載していたラダマンティス様の受難の日々を微妙にまとめ、加筆修正してみましたw ぼろぼろのラダマンティスを書くのは楽しいですね! ←鬼かお前はww (*´3`)←冥王様はきっとこんな顔でチュー迫ってるはずですwwwwwwww |