幻想楽園組曲第二楽章 〜蟹の行進曲






かにさん かにさん どこいくの?
「うっせぇ! 書類の提出期限を1週間も過ぎてたってんでサガに追われてるんだよ! 話かけんじゃねえ!!」



……だそうで。




アテナを守護する88の聖闘士の中で、最高位に位置するのが十二人(増減あり)の黄金聖闘士である。
彼らは占星術でも有名な黄道十二星座を守護星座に持っており、その技量も他の聖闘士とは比較にならないほどだ。
しかしそれはあくまで外部的な、しかも聖闘士としての評価であり、じゃあ人間性はと問われるといささかならずとも首を捻らざるを得ない。
その代表とも言えるのが、蟹座のデスマスクであった。
酒もタバコも大好きで、それで身上つぶしてももっともだと歌えるほどに彼の日常は出鱈目だ。
書類の提出期限などあって無きようなもの。
故に現教皇の双子座のサガが黒くなりかけるのも無理からぬことと言えよう。
イライラトントンとデスクを叩く彼の元にやってきたのは太陽のように明るい蠍座の彼だった。
「サガー、書類持ってきたー」
「なんだ、ミロか。珍しく早いな」
抱えてきたのは段ボール。そんなに書類があっただろうかとサガが目を見張ると、ミロはふーと息をついてそれを脇のテーブルに置いた。
「書類はカミュに手伝ってもらった!」
あんまり威張って言うことじゃないだろうと思いつつ、それでも期限内に提出しようという心意気だけは買ってやりたい。サガは書類を受け取ると御苦労だったとミロ(とカミュ)を労った。
「ところで、その段ボールは?」
「ああ。これか」
ミロは段ボールを開けてごそごそと中身を漁る。出てきたのは鮮やかなオレンジだった。
じゃーんと自分で効果音をつけるところが彼らしい。
「実家からたくさん送ってきたから、お裾分け!」
ミロの実家はミロス島、風光明媚で気候もよい。
サガはデスクの上に転がされたオレンジのひとつをとった。柑橘類独特の甘く爽やかな香りが漂う。
「これはこれは。いつも済まないな」
「いやー、俺も書類遅いほうだからさ。オレンジで許してもらえるとは思わねーけど」
「いやいや、その気持ちだけで十分だ」
そういうとサガは薄く開いた扉の向こうをぎらっと睨みつけた。
「ギクッ」
「今自分でギクって言ったな……」
流石のミロも多少呆れ気味にいう。
「デスマスク! 何度言えば分かる!! 書類の提出期限は一週間前だぞ!!」
サガの言葉にミロも驚いて声を上げた。
「えーっ!? 俺だってそんなに溜め込んだことはないぞ!」
「カミュに叱られるからだろ!」
「おう!」
威張って言うことじゃないだろうとまた思いつつ、サガはデスマスクをとっちめに席を立つ。
「待て! 今日こそ書類を提出してもらうぞ!」
「出せねーもんは出せねぇ!!」
高利貸しじゃあるまいししつこいんだよと思いながら、デスマスクは逃げ出した。
が、黒になりかけていたサガは執拗にカニを追い掛け回す。
二人は光速で移動していたが、ミロにはちゃんと見えていた。
「これって、ヤバくね?」
このままサガが真っ黒になってしまったら大変なことになると、ミロは蜜柑箱を抱えて執務室を飛び出した。
「待て! このカニ野郎!! 道楽にも程があるぞ!!」
「だからあと一日……いや、半日くれ!!」
「待てるか!!」
走りながらサガが両手をクロスさせた。
「もう容赦はせんぞ、食らえ!!」
高まる小宇宙は異次元の入り口などという生易しいものを造ってはいなかった。
「い゛!?」
「ギャラクシアン」
カニは防御の体勢に入りながら角を曲がった。サガはそのまま追いかけた。
「エクス」
カニは誰かとぶつかった。サガはそこで立ち止まった。
しかし走り出した衝動はもう止まらない。
「プロージョン!!」
銀河を爆砕する激しい光が爆音と共に教皇宮いっぱいに溢れた。十二宮の住人たちは一瞬だけその方向を見たが、どうせデスマスクが原因だろうと、別段気に止めたりはしなかった。
が、今回だけは別だったのである。
ミロが教皇宮を出て大変だと駆けまわっていたせいもあるが、住人たちはそれより少し前に自宮を通りすぎていった少女の存在を思い出していたからだ。
被害を被ったのはデスマスクではなく、彼がぶつかったその人であった。
技を放ってスッキリしたのだろう、サガの髪はいつもの砂子色に戻っており、実に晴れやかな顔をしていた。
が、それとこれとはやはり別。さっさとカニから書類を奪おうと彼は瓦礫に向かって叫んだ。
「デスマスク、何処だ!!」
「う……」
サガの耳に、小さく呻く声が聞こえてきた。
そこかと一歩踏み出した途端、サガは違和感を覚えて足元を見た。
瓦礫だらけの廊下、その片隅に見えた小さな白い手。
まさかと、サガは瓦礫を退けて驚愕した。
現れたのは亜麻色の髪、煤けた白い頬。
「瞬!? 瞬じゃないか!!」
彼は瓦礫をひょいと放り投げる。起きあがりかけていたデスマスクの頭にそれがあたり、カニは再び昏倒する。
そこにみんなを連れてやって来たミロがああっと声を上げた。
「なんで瞬が!?」
サガの腕にいるのはアンドロメダの聖闘士。どうやら巻き添えを食ったらしい。
「瞬、しっかりしなさい、瞬!」
「う……ん……」
「きゃああ! 瞬! 瞬がああ!!」
突然の惨事に取り乱したアフロディーテがサガと瞬のそばに駆け寄ろうとして途中でデスマスクを踏んづけたことは言うに及ぶまい。
サガは意識を取り戻さない瞬を揺すり続けている。
アフロディーテも瞬の頬をぺちぺちと叩いた。
「瞬! 瞬!」
かなり無防備な状態でギャラクシアンエクスプロージョンを受けたのだろう、この狭い廊下では避けることも難しい。
技を放ったのが自分であることを棚に上げ、サガはアフロディーテに瞬を預け、デスマスクの頭部を踏みつけた。
「ぶべっ!?」
「デスマスク! 貴様……よくも瞬を盾にしたな……」
「違ぇ! 俺が逃げた先にこいつがいただけで、そもそも最大必殺技をぶっ放したのはお前じゃねーか!!」
デスマスクの証言に間違いはない。
瞬はもともと教皇であるサガを手伝いに教皇宮に出向く途中だったのである。
そこで彼女はサガの小宇宙が高まるのを感じたのだ。まさか敵襲かと思い、慌てて駆けつけ、そして巻きこまれたのだ。
これが真相である。しかし第三者は誰もおらず、瞬が意識を取り戻す以外にカニの潔白を証明する方法はないのだ。
それに彼の言うとおり、屈強な造作の教皇宮を一廊下はいえここまで破壊できたのは、関係者内で言えばやはりサガの銀河爆砕以外にはありえない。
瞬を傷つけたのは状況を見る限りサガだ。
ところがそうであってもサガを責める者はいなかった。
何故ならじゃあサガに銀河爆砕を撃たせるほどの悪事を働いたのは誰か、という根本的な原因解明に皆の思考が移っていたからだ。
シャカが目のかわりに口を開いた。
「サガ、君は何故ギャラクシアンエクスプロージョンなどという物騒な技を放ったのかね?」
技の物騒さで言えばシャカもムウも似たり寄ったり。
お前に言われたくないと思いつつ、サガは半ば八つ当たり気味に足に力をこめた。
「このカニが一週間経っても書類を出さないからだ!」
「ほほう、原因はやはりカニかね」
「ああ、カニだ」
サガとシャカはくるりと後ろを振り返った。
アフロディーテの腕に抱かれた瞬はまだ目を覚まさない。魚座の女の悲痛な声だけが聞こえてくる。
「アフロディーテ、落ちついて。頭を打ってるかもしれないから、あんまり揺らさないほうがいいわ」
「でも、でも……」
カミュの繊手が瞬の口元に翳される。細い呼吸を感じ、彼女はアフロディーテに微笑んで見せた。
「大丈夫、気を失っているだけのようよ」
「瞬……」
カミュに諭されて、アフロディーテはようやく落ちつき、瞬の名を呼び続けた。
「こんなところじゃなんですから、とりあえず運びましょう」
ムウがサガの許可を得て教皇宮の一室を開けた。
「ほかの傷も確認したいですね、ほら、男の方は出てください」
心配そうに瞬を覗きこんでいたミロが慌てて出ていく。
彼が部屋を出たとき、デスマスクはサガとシャカ、それにいつのまに駆けつけたのかカノンにまで足蹴にされていた。
「あれ、そういえばシュラは?」
カニの保護者である(はずの)シュラの姿が見えず、ミロは蜜柑箱を抱いたままきょろきょろと周囲を見渡した。
答えたのは獅子座のアイオリア。
「シュラなら、先週から二週間の予定でスイスに出張だよ」
「ああ、そっか」
だからデスマスクの書類が一週間も放置されていたのかと、ミロはやっと合点がいったのである。
そのデスマスクはといえば男三人から足蹴にされている屈辱に耐えかねたのか、シャカの足をぐっと掴んだ。
押し返されたのが不満だったのだろう、シャカは忌々しそうに目を細めた。
「なんの真似かね?」
「サガとカノンにはまだしも、お前に足蹴にされる言われはねーぞ?」
ぐぐっと押し返すカニ、腐っても黄金聖闘士なのだ。
そう言われればそうかと見物人たちは考える。シャカの保護者はムウであり、瞬とはなんでもないはずだ。
しかしシャカはふふんとせせら笑った。
「瞬は私と同じ乙女座。それに仲間に迷惑をかけるような輩に天誅を加えてはいけないかね?」
シャカの言い分にサガは激しく同意した。
「とにかくお前がさっさと書類を上げていればこんなことにはならなかったんだ!!」
瞬は未だに意識を取り戻さない。
そんなわけでデスマスクは罰として教皇宮の一室に押し込められた。
もちろん、書類を提出させるためのものである。



ところで、瞬には結婚を前提にした恋人がいる。
長きに渡る聖戦でアテナと相争ってきた冥王ハーデスがそれだ。彼は瞬の優しい魂に触れ、聖戦で敗退した後に彼女を妻にと望んでいる。
そんな彼は遠く離れた冥界から瞬の異変を感じ取り、まだ日の高いうちから聖域に姿を見せた。
「牡羊座、通るぞ!」
「ああ、瞬ならいちばん上の教皇宮ですよ。寝てますからね!」
「わかった!」
瞬至上主義の冥王様はまさに神速ともいえる速さで十二宮を駆けぬけていく。
そして瞬が眠る部屋の扉を静かに開けた。
「瞬?」
振りかえったのはアフロディーテだった。彼女の顔に不安と焦燥がありありと浮かんでいる。
けれど冥王の顔を見てほっとしたのか、口元を僅かに歪めた。
「神様……」
「瞬はまだ目覚めぬのか」
冥王の声も切なく響く。恋人の頬に貼られた白いガーゼが痛々しい。
「いったい何があったのだ、地上はこのところ穏やかで、アテナが出ていくほどの争いはなかったではないか」
冥王の問いかけにアフロディーテはなんと答えようかと一瞬迷った。
原因はデスマスクにあるが、瞬に手傷を追わせたのは結果として恋人のサガということになる。
アフロディーテは極力サガをかばった。
「その……まあ、瞬がいつもどおりの優しさで、男同士の内輪もめに巻きこまれちゃって……」
それでなぜか冥王は納得出来たらしい。犯人探しよりも今は瞬の回復のほうが最優先だったのだ。
「ああ瞬、だから余は言ったではないか、そなたの優しさは時に罪だと。さっさと余のもとに嫁いできておればこんなことには!」
心底悔しそうに唸る冥王にアフロディーテはしゅんと鼻を啜った。
これだけ冥王が騒いでも瞬はぴくりとも動かない。
「瞬、神様が来てくれたわよ。起きないの?」
「瞬、余だぞ」
アフロディーテが譲ってくれたチェストに腰掛け、冥王は瞬の手をそっと握った。
「瞬、起きてくれ。起きて笑ってくれ、瞬……」
サガのギャラクシアンエクスプロージョンをまともに食らったのだ、無理もない。瞬は不死鳥ではなく鎖姫、灰になっても戻ってくるわけではないのだ――灰にはならなったが。
すると冥王は何を思ったのか、やおら小宇宙を燃やし始めた。
「神様?」
「余の小宇宙はあまりこういうことには向かぬのだが」
ふわりと立ち上った幽冥の小宇宙、紫檀色に揺らめくそれが繋いだ手を通して瞬に流れ込んでいる。
死界を司る王のものとは思えぬほど、それは温かく慈愛に満ちていた。
しかしアフロディーテはそれに希望を託した。
なんでもいい、瞬が助かるのならと。
「瞬、頑張って……」
「ん……」
惹かれあう深遠の闇と薄紅の光。
瞬が小さく唸る声が聞こえて、アフロディーテがああと声を上げる。
「瞬!」
ゆるりと持ち上げられる瞼、現れた銀河の瞳は焦点があっていないのか、ぼうっと天井を見上げている。
「あ……ここは……」
ハーデスは小宇宙を消した。瞬が回復したのでもう必要ないのだ。
握った手を惜しそうに離し、アフロディーテに席を譲る。
入れ替わる男神と女闘士。美しいその顔が嬉しさでより一層の深みを増す。
アフロディーテは優しい声色で言った。
「ここは教皇宮の一室よ。あなたはカニのせいで怪我をして運ばれたの。覚えてる?」
「あ……そうだ、デスマスクは」
怪我をしたのは自分なのに瞬は加害者のカニの心配さえしている。
どんだけ優しいんだと思いながら、アフロディーテは起き上がろうとした瞬をそっと制した。
「大丈夫、カニならちゃんと生きてるわ。今書類作らされてるから」
「全く、瞬は優しすぎるぞ」
そう言って呆れ掛けたアフロディーテとハーデスに、瞬はいいえと首を振った。
「ちがうんです、デスマスクは私を庇ってくれて」
「はあっ!?」
瞬は今何を言った?
あのデスマスクが瞬を庇った?
何を言われたのか分からないとばかりに、アフロディーテはきょとんとして見せた。
ハーデスはカニのことをよく知らないので、とにかく優しい瞬が加害者を糾弾しないでほしいと願っているのだと、まあほぼ正確に察しをつけた。
「わかった、瞬。とにかく今は傷を癒せ。カニのことはあとでな」
「はい……」
乱れた上掛けを胸元まで引き上げ、冥王とアフロディーテはその部屋を後にした。
「神様は本当に瞬が好きなのね」
「好きどころではない、愛しているのだ」
閉じられた扉、その向こうに瞬がいる。
抱きしめたかった。
けれど今は手負いの恋人、苦しめたくはないと冥王は静かに振り返った。
「アテナは神殿か?」
「ええ、いらっしゃるわ。わかってるだろうけど」
「ああ、わかっておる。瞬が哀しむことはしたくないからな」
ひらひらと手を振り、冥王はアテナの神殿へ。
その後ろ姿を見送ってアフロディーテはほうとため息をついた。
愛など知らない孤高の王をあそこまで変えたのは恋――それも瞬との、ままごとにも似た恋。
けれどそれでいいのだ。
アフロディーテにとっては瞬が幸せになってくれるほうが大事なのである。



「さ、尋問の時間です」
瞬が滞在している部屋とは別室に、デスマスクが軟禁されていた。
書類を作成し終えてやっと介抱されると思っていたのに今度は尋問が始まるという。
にっこり笑うアフロディーテの手には真っ白な薔薇――血に染まれば赤くなる、ブラッディーローズ。
デスマスクは乾いた笑いを浮かべた。
「尋問ってなんだよ! っていうかだったら煙草吸わせろ!!」
「教皇宮は全館禁煙だ! この前の朝会で言ったばかりだろう!」
「っていうかなんでそんなに偉そうなのよ」
目が据わった美女というのは怖いものだ。デスマスクはそれをよく知っている。
秀でた額に尖った薔薇の茎をちくちくと当てられ、カニは静かに降参した。
「で、なにが聞きてぇんだよ」
「まず一週間も書類を放置した理由を聞こうか」
サガがあくまで静かな声色で尋ねると、デスマスクは面倒だからの一言で片付けた。
本日二発目の銀河爆砕を放とうとしたサガをアフロディーテが慌てて止める。
「落ち着いて、サガ!!」
「止めてくれるなアフロディーテ、こいつは黄金の面汚しだ!!」
「気持ちはわかるけど上にはアテナもいらっしゃるし、瞬がまた心配するから!!」
主君たる女神と、やっと目を覚ました瞬の名を出され、サガは渋々ながらも振り上げた拳――正確には発動しかけてた技をおさめた。
「じゃあ、なんで瞬を盾にしたのかも聞こうか」
「そこにいたからだよ。お前はアンドロメダを妹とか娘みたいに可愛がってるから、顔見りゃ逃げられると思ってよ」
もし彼が煙草を吸っていたのならここで紫煙が揺らめいただろう。
要するにカニは卑劣にも瞬を人質にして逃げようとしていた、ということだ。
だがそうでないことを知っていたアフロディーテがふーんと言っただけ。
彼女はずいっとカニに迫った。
ちくちくと彼の頬を薔薇の茎でつつく。
「違うでしょう、瞬を庇ったんでしょう?」
「だーれがあんな小娘を庇うかよ!!」
あくまでしらを切ろうとするデスマスク。
とにかく青銅を盾にしてでも自分だけが逃げ出そうとした事実が、サガを落胆させる。
「まあ、今回は瞬に免じてスニオン送りだけは勘弁してやる」
「じゃあ無罪放免だな!」
「無罪じゃないでしょう!?」
ぷすっと脳天に白い薔薇。
痛ぇなと怒鳴るデスマスクに、綺麗よと笑うアフロディーテ。
そんな風景は昔のまま、そう思いながらサガはやっと笑みを浮かべるのだった。



怪我をさせた責任を取って、デスマスクは夕飯を抱えて瞬の部屋を訪れていた。
「入るぞ、アンドロメダ」
「どうぞ」
薄暗くなった部屋、ベッドの上に手負いの少女。
ランプの明かりに照らし出されるその頬は影を深めて儚くも見えた。
細い腕に巻かれた白い包帯が彼の罪の証。デスマスクはあまり見ないようにしながらサイドテーブルに持ってきたトレイを置き、乱暴に椅子を引っ張り出すとどっかりと腰掛けた。
「……ひとりか? 神様はどうしたよ?」
「ハーデスなら昼間一度来て、一旦帰りました。もうすぐ来ると思いますよ」
ということは瞬は一人なのだ。
デスマスクが明後日の方向を見ながら話すのを、瞬は黙って見ていた。
いつも自信たっぷりに見える彼でも気まずいことがあるらしい。
「……悪かったな、怪我さしちまってよ」
そっぽ向きながら呟くように言ったデスマスクに、瞬は小さく笑った。
「いいえ、あなたが庇ってくれなかったらもっと大きな怪我してました。それに事情もわからないで突っ込んでいった私にだって」
「もういいだろ、その話は。書類を出さなかった俺が悪い、ってこった」
「デスマスク……」
降参しますとばかりに両手を上げるデスマスク。
彼が心底からの極悪人でないことを知っているから笑えるのだ。
「腕、痛ぇのか?」
「いいえ、アフロディーテが念のためって巻いてくれたんです。私だって聖闘士なんだから多少の傷は平気なんですけど」
「大事にしろや。嫁入り前だろーが」
「……はいっ」
そんなふうに瞬が素直に返事をしたものだから、デスマスクもいよいよ居心地が悪くなってきた。
そこで持ってきた夕飯を瞬の前に差し出した。
「晩飯……作ってきてやったから、食えよ。味のほうは絶対を持って保証してやる」
「デスマスクが作ったんですか?」
「俺は聖域一料理が巧いんだよ! 聖域のシェフと呼べ!」
瞬が本当に聞きたかったのは味の云々ではない事は明白だろう、なんたって彼女は蠍だろうが蛇だろうがなんだって食べるのだ。そうしなければ飢えて死ぬのがアンドロメダ島。故に彼女は味の優劣にはこだわらない。食べられればそれでいいのだ。
絶対に手を出さないのは腐ったものと毒だけ。
それを察したデスマスクが瞬の額を軽く弾いた。
「いたっ」
「毒なんか入れてどーすんだよ」
「それもそうですよね、あはは」
屈託のない笑顔で、瞬はいただきますと手を合わせ、スプーンを取った。
それはデスマスクが普段余り目にしない日本の作法。
「なんだ、日本じゃ簡単に挨拶するんだな」
「そうですか? でも命を捧げてくれた食材と、作ってくれた方に感謝してるんですよ」
「ふーん……」
かちゃっとスプーンと皿が当たる音がする。
今夜のメニューはカニドリア。本当はあつあつが美味なのだが、瞬のことを考えて少し冷ましてあり、しかも柔らかく作ってある。
一口で気に入ったらしい、食欲もあるのか、瞬はどんどん口に運んでいく。
「美味しいですね」
「当たり前だ、俺が作ったんだからな。けどまぁ……無理して全部食わなくていいぞ」
「食欲はあるんですよ。そんなにやわじゃないですから」
「いや、お前の心配はしてねぇ。さっきから背中に冷たい視線を感じてよ」
ん、と瞬が扉の向こうを見るとそこにはニヤニヤ笑うアフロディーテと女神、心配そうなサガと、それから恨めしそうなハーデスが立っていた。正確にはドアの隙間から覗いていた。
「あれですね、日本で俗に言う“ツンデレ”というやつですね」
「あああ、余も瞬の看病をしたい……」
「瞬の看病なら私だって!」
「カニなんかに任せて大丈夫だろうか……」
言いたい放題の連中にデスマスクはつかつかと近づくと大声で叫んだ。
「だーっ! 見せものじゃねーんだよ! 散れ散れ!!」
が、敵もさるもの、更に言いたい放題だ。
「あら、女神である私に向かってなんという口のきき方、散れなどと……」
沙織がわざとらしくよよよと泣いてみれば、当然サガが激昂する。
ついでにアフロディーテは瞬の姉と言い張り、ハーデスは夫だと主張する。
デスマスクは頭を抱えたくなった。そこでサガがぽんと彼の肩を叩く。
アテナは泣いていた振りをしていただけだから当然彼もお芝居をしただけ。
「わかったか? さっさと書類を出さないからこういうことになるんだ」
「あーあ、分かったよ」
そしてデスマスクは思い知るのだ、瞬の介抱をしてからかわれたり恨みをかったりするよりも、書類を作っているほうが何倍もマシだと。


結局瞬は一日アフロディーテによって寝かされていただけで次の日にはあっけなく床上げすることになった。



「へぇ、私がいない間にそんなことがねぇ」
デスマスクの保護者であるシュラがスイスから戻ってきたのはそれからさらに数日後のことだった。
もちろん更なる罰として吊るし切りにされたことは言うに及ぶまい。
アフロディーテがシュラの前に紅茶を差し出した。
「ローズティーは切らしちゃってね、かわりにマリアージュフレールのカサブランカにしてみたわ。カミュからお裾分け」
「実家に戻ったときにね、いっぱい買ったから」
燃えるような紅い髪の、けれどクールな女がにこりと笑う。
ミントとベルガモットの香りが清涼感を伴って溢れた。
「いい香りね」
「でしょう?」
晴天の昼下がり、水の淑女たちがテーブルを囲む。
その視界にふと映る花畑。
「あら、あれって神様?」
「ほんとだ、神様と瞬ね」
双魚宮のテラスから見える花畑は聖域の外れ。色とりどりの花が咲き乱れるその場所で黒衣の冥王はイヤというほど目立っている。
アフロディーテがふふふと笑った。
それが急な笑みだったものだから、カミュが苦笑して見せた。
「なあに、アフロディーテ。思いだし笑い?」
「まあそんなところね。瞬が最初に神様連れて来たときのこと思い出しちゃって」
悠久の宿敵を飼い犬のように連れていた瞬の姿に呆れたやら絶句したやら。
そして冥王も瞬のそばにいるのが当たり前かのようにそばを離れなくて。
聖闘士である彼女等には瞬と冥王が何をしているのかよく見えた。
瞬が作った花冠を冥王に乗せ、その隙に冥王は瞬の腰に手を回して抱き寄せる。
「おお、やるわね。神様ったら」
「ありゃあ俺が教えたんだよ」
テーブルの中央に置かれていたクッキーを一枚失敬するのは男の手。銀色の髪のカニだった。
「行儀が悪い」
しかしさりとていつものこと、デスマスクは器用にシュラの小言から逃げると手にしていたクッキーを放り投げ、ぱくっと口にした。
「なになに、あれアンタが教えたの?」
「おうよ!」
「ああ、デッちゃんイタリア人だもんねぇ」
見れば瞬は冥王の腕にすっぽり収まっている。何を話しているかまでは流石に聞こえないのだが、きっと睦言でも囁いているのだろう。
アフロディーテはデスマスクのわき腹をつついた。
「憎いことするじゃないの」
「違ーよ、神様がなんか口説き方教えろって言ったからきっかけを教えてやっただけだよ」
「へぇ、そうなんだ」
まだ十三歳の少女の、心の奥に秘められた天秤は力尽くではなく、少しずつ想いを乗せることで傾けて。
アフロディーテはやっぱり笑っている。
「なんだよ、気味の悪い笑いかたしやがって」
「だって瞬が幸せそうなんだもん。私にはそれで充分」
少女時代は少女らしく――誰もが描いた夢だから。
シュラがため息を漏らす。
「あの子だけじゃなくて、青銅全員が幸せになってくれたら……私たちにはこれ以上の幸せはないわね」
「……そうね」
白鳥座の氷河を弟子に持つカミュもしっかりと頷いた。
デスマスクも、静かに空を見上げる。
そしてタバコを一服、そっと燻らせた。




世界は幻なんかじゃない
自分がいて、誰かがいて
そしていちばん愛したい人がいて


君と繋がる物語
途中でカニの行進曲でも聞きましょう




≪終≫





≪カニ誕どぇす≫
昨年に引き続きましてカニ誕でございます。まあ俺もデッちゃん好きなんですよ。サガは鬱だしwww アフロディーテはあんなんだしwww 一人くらい遊び人いてもいいんじゃないかなって。でも瞬は妹です、ええ、妹。
あるいは深窓の令嬢とチンピラでwww G様が言ってた(*゚Д゚)!
というわけでデッちゃんお誕生日おめでとうvvvv注: 文字用の領域がありません!

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