蓮華が咲いたら瑠璃の鳳 別れ流れゆく川のほとりに 蓮華の花が咲き乱れる ぼくらはここから生まれ、また戻る 求めたのは幸せだけだった 「御主人、こんなもの拾ったッス」 「なんじゃ、こりゃ」 四不象の手のひらに乗っている小さな物を覗き込んで、呂望はおおと感嘆の声をあげた。彼の手のひらにいたのは瑠璃色の、小さな鳥の雛である。雛はスープーの手が暖かいのか機嫌よさそうに目を細めていた。 「おお、可愛いのう。どこで拾ったんじゃ?」 「散歩してたら木の枝に引っかかってピーピー言ってたッスよ。下から猫がこの子を狙ってたんでつれてきたッス」 呂望はスープーの手からそっと雛鳥を受け取った。ふわふわと柔らかい産毛が呂望の手に移ると彼女の顔は自然とほころんだ。姜族の出身である彼女は基本的に動物が好きだ。 「おお。可愛いのう」 くりっとした瞳できょとんと呂望を見つめる雛鳥に彼女は完全に心を奪われた。そっと指先を差し出すと雛は少し固い嘴で呂望の指をツンとつつく。そんな小さな動きでさえ愛らしい。 「しかしなんの雛かのう」 「ボクもこんなの見たことないッス」 雛は呂望の手のひらでピーピーと鳴いた。 そこに書類を抱えた武吉がやってきた。先ほど書庫に使いに出したのがもう帰ってきたのだ。呂望は相変わらず仕事が速い彼を労った。武吉は嬉しそうに笑い、そして呂望の手のひらを見つめた。 「お師匠さまぁ、何を抱えてるんですか?」 「うん、スープーが鳥の雛を拾ってきてのう。そうじゃ、武吉。お主は動物園でバイトしたことがあったのう。なんの雛か知らんか?」 武吉は呂望から丁寧に雛を受け取ると真剣に瑠璃色のそれを見つめた。雛は新しいなにかに興味を持ったのか、愛くるしい声でピーピーと鳴きつづけた。 「僕、こんな雛は初めて見ました。綺麗な瑠璃色の雛ですけど…」 「うーん、武吉でもわからんのか」 「ごめんなさい、お師匠様」 がっかりと頭を垂れる武吉を慰めて、呂望は再び雛を受け取った。なんの雛かわからなければ親元へ戻すことも育てることもできない。 「とりあえず普通の鳥の餌でもやってみるかのう」 「じゃあ、僕用意してきます! 鳥の世話は任せてください!!」 そういうと武吉はすぐに笑顔に戻ってばびゅーんと走り去った。そしてすぐに戻ってきた。餌はすり潰した穀物をわずかな水で糊状に練ったものだ。水も与えなければならないかもしれないので平均的な量を武吉の感覚で持ってきてくれた。 「雛だからあんまり食べないかもしれませんけど」 武吉は程よい太さの木製のさじの先に餌をくっつけて雛の前に出した。雛はなにこれーと言わんばかりに首をかしげて餌を見つめていた。が、すぐに食べ物だと認識できたのか、雛は餌がついたさじの先をつんつんとついた。 「食べとるのか?」 「食べてますよ」 武吉はしっかりさじを握っている。呂望と四不象は小さく感嘆の声を上げて雛を見つめている。 「可愛いッスね、御主人」 「ああ。しかしいつまでもここで飼うわけにはいかんのう。親鳥が必死で探しておるやもしれん」 呂望の言葉に武吉も四不象もはっとして雛を見つめた。 武吉も四不象も離れてはいるけれど母親がいる。でも呂望には誰もいない。離れてしまう悲しさと寂しさを知っているのだ。 「でも御主人、なんの雛かわからないッスから返しようがないッスよ」 「もしかしたら親鳥が育てない種類かもしれませんし」 「それは青鸞の雛ですよ」 突然聞こえてきた声に二人と1頭はくるりとそちらを向いた。そこには道化た道士と最強の霊獣がいる。 呂望は少し呆れぎみに声をかけた。 「なんじゃ、申公豹か。また窓から入ってきたな?」 「一応声はかけたんですけどね。返事がなかったものですから」 そんな申公豹の足元をするりと抜けて最強の霊獣が呂望に近づいた。 「こんにちわ、呂望。何がいるの?」 「鳥の雛じゃ。ああ、黒点虎、食うてはならんぞ」 「そんな小さな雛食べないよー。見せてー」 黒点虎がのっそり顔を出すと雛は急に怯えて武吉が差し出していた木のさじをヨチヨチと登った。人に助けを求めるとは随分人懐っこい雛だ。 「怖がっておるではないか」 呂望は武吉から雛を受け取ってよしよしと撫でた。 「ボク何にもしないってば」 「わかっとるが、雛がおびえておるからのう」 雛を抱いた呂望はふと、申公豹を見た。 「そういえば申公豹、この雛のことを知っておるようだが」 呂望の言葉に彼はゆっくりと笑顔で頷いた。 「ええ。その瑠璃色をした雛は青鸞という霊獣の雛です。500年に一度しか生まれない貴重な雛なんですよ」 「ほえー、おぬしなかなかすごい雛なのだのう」 呂望の手のひらで雛はぴ? と鳴いて首をかしげた。 「ということは母鳥は」 「この子を探しているでしょうねぇ」 そんな人間の言葉を解さないのか、雛はぴっぴと歩きながら呂望の手のひらを突いた。 「よし、この子の親を探しにいこう」 「いいですね。私なんか暇をもてましていますからお付き合いしますよ」 「おぬしが居ってくれると助かるのう」 亀の甲より年の功、伊達に5千年も生きてはいない。申公豹の経験とそれに裏付けられて知識、それに語る真理はどんな書物よりも深い何かを見出せるだろう。 呂望は申公豹とともにすぐにでも親探しに出たかった。しかし彼女の前にはまだ片付けなければならない仕事があったし、仕事が終わっても周囲の男たちが彼女の外出、ましてや申公豹と行くことなど許すはずもない。 「ん〜〜、困ったのう」 「見られて困るような仕事でなければ手伝いますよ」 「お師匠様、ぼくも頑張ります!」 「ボクも手伝うッス!」 はいはいっと手を上げる四不象の頭を撫でて、呂望は袖をまくった。 「ではこの雛のためにもさっさと仕事を終わらせるか」 そんなこんなで呂望と申公豹は並んで書類を作成し、それを武吉が検査して、さらに四不象がくるくると巻いていく。 黒点虎はその間じっと雛を見ている。先ほど怯えていた雛もよろよろとではあるが羽ばたいて黒点虎の頭の上に乗ってさえずっていた。 ぽてぽてと羽を動かす雛は相変わらずよろめくように飛んでいる。 一同が僅かに目を放している間に、黒点虎がのっそりと動いた。そしてあろうことか雛をぱくりと食べてしまったのだ。 それを申公豹が見ていた。 「ちょっと、黒点虎! 食べてしまったんですか!?」 「なんじゃと!? 吐け、吐くのだ、黒点虎」 呂望が椅子を蹴って駆け寄る前に武吉が黒点虎の口を開かせた。すると雛は黒点虎の舌の上でどうしたのと言わんばかりに一声ぴっと鳴いた。 「お師匠様、黒点虎は雛を食べたんじゃありませんよ」 「な、なんじゃと?」 「雛が火鉢の上に落ちそうになったから危ないと思って。でもぼくの手はこうでしょ。手で捕まえるより口に入れたほうがいいと思って」 「僕も気がついたときには雛は火鉢の上でしたから」 武吉は黒点虎によって救われた雛を抱いて籠の中に移した。こんなに飛べるのなら放し飼いにしておくのはとても危険だ、先ほどのように焼き鳥にならないとも限らない。 呂望は黒点虎を優しく撫でた。 「怒って悪かったのう、黒点虎。あーあ、下あごの毛が焦げとるではないか」 見れば黒点虎の白い毛がちりちりになっている。呂望は自らの手でその毛先を整えてやった。黒点虎は満足そうに目を細めている。 「お仕事どう? 終わりそう?」 「ああ、なんとかなぁ。しかし外出は出来るかどうか…」 そういって俯いた呂望に額に武吉の手がそっと触れた。 「なんじゃ、武吉」 武吉は手を離すとにっこり笑った。 「お師匠様、大変です! すごい熱です! これじゃお仕事できないじゃないですかー、当然面会も謝絶ですー!!」 「え? あ? 一体なんじゃ?」 熱もないのに大騒ぎする武吉を、申公豹だけがくすくすと笑った。 「出かけましょう。武吉君が仕掛けを作ってくれている間に」 「仕掛け?」 まだよく分かっていない呂望の手を引いて申公豹は窓の桟に足をかけた。 「黒点虎、四不象、行きますよ」 「行こう」 「ラジャーっス!」 窓から飛び出した黒点虎には申公豹、四不象には呂望が乗り込んで一行は南の空を目指した。 四不象の手に握られていた鳥籠はいつしか呂望の手の中にあった。 「どういうことなんじゃ?」 遥かに小さくなりゆく武吉の姿を見止めて、呂望は少し不安げに申公豹に尋ねた。彼はまだくすくすと笑っている。 「まだわからないんですか? 武吉君はあなたが病気だと言って仕事も夜伽も自然と断れる状況を作ってくれたんですよ。面会謝絶にしておけば居なくったって誰もわかりはしないんですから」 言われて初めて呂望はぽんと手を打った。細かいことまで気のつく武吉の心配りにはいつも感心していたがまさかここまでとは思いもしなかったのだ。 「帰ったら充分に労ってやらんとのう」 「そうしてあげてください」 黒点虎がにこりと笑った。 「さて。この子の親鳥じゃが、どこに居るんかのう」 「私も青鸞の習性には詳しくないんですよ。でも鳥ですからきっと温かいところに居るんじゃないでしょうか」 「うー、まさか子供をとられたと勘違いして襲ってはこんだろうなぁ」 「大丈夫、青鸞は鳥形の賢い霊獣ですから。話をすればきっと分かってくれますよ」 「だといいがのう」 南へ下れば下るほど温かくなっていく。上空の空気はまだひやりと頬に触れはするものの降りれば日の光が温かい。 「あまり高く飛ばぬほうが良いようだな。雛が元気ないような気がする」 鳥は変温動物だから体温を外気とあわせることが出来る。しかし雛の状態でそれがどこまで出来るかはわからない。 「ではなるべく温かいところを飛びましょう。うそが本当になっても困りますからね」 申公豹は忍び笑いをもらしながら黒点虎とともに高度を下げた。四不象もそれに倣う。 一行は親鳥を探してあちこちを飛び回った。しかし有力な情報を得ることが出来ないまま、もう日没も間近になっていた。 茜色に染まる西の空を見つめながら呂望はあせりを感じていた。 武吉が自分の不在を隠してくれて入るもののそれもあまり長い時間は期待できないだろう。 親探しにあまり時間をかけてもいられない現実がそこにあった。 「御主人…」 四不象が不安そうな声を上げた。呂望の焦りが霊獣にも伝わったらしい、彼女は四不象の前髪を柔らかく撫でた。 それから数分ほど飛んでいると紺色と茜色が同居する南の空が視界に入り始めた。それとは別に淡い紫に染まる大地が見える。 「なんすかね、御主人」 「さあのう、降りてみれば分かるじゃろ」 呂望がふっと申公豹のほうを向くと彼も興味を引かれたのか、黒点虎を促して少しずつ高度を下げていた。 近づいてみればよくわかる。 そこは誰が作ったものでもない、広大な大地一面に鮮やかな蓮華、蓮華、蓮華。 鳥の羽のような小さな花弁を幾重にも重ね、鞠のような形を成している。先端は緩やかに天を目指していた。 ふたりは霊獣から降りて蓮華の花にそっと手を添えた。 「これはなんと見事な」 「一面の蓮華ですねぇ」 「小さい花っスねぇ」 鼻先でふんふん匂いをかいでいた四不象のそれを小さな蜂がちくりと刺した。 「イタっ」 「どうした、スープー」 「蜂に刺されたッス」 鼻を押さえた四不象の手をそっと退けさせると、彼の鼻はぷっくりと大きくなっていた。 「おお、いい男になっとるぞ、スープー」 「本当ッスかぁ?」 「鼻が高くなっとる」 そういってケラケラ笑う呂望にスープーはキィっと声を上げて怒った。申公豹も黒点虎も笑っている。 「それはそれとしてだ、わしらは親鳥を探しに来たんじゃ」 呂望の下げている鳥籠の中で雛がぴーぴー暴れている。 「ここではぐれたのか?」 彼女の言葉に雛はさらに興奮した様子で鳥籠の中を駆け回っている。このままでは怪我をしかねないので呂望はそっと籠のふたを開けた。とたん、雛はばさばさっと羽をばたつかせて飛んでいってしまう。どこへ行くのか分からないまま、一行は再び霊獣に跨りあとを追った。 「わしらが仕事をしていたときよりも大きくなっとらんか?」 「霊獣は成長が早いですから。成獣になってからの寿命は長いですけどね」 よちよちのひよこはいつの間にか小鳥ほどの大きさになっていた。ふわふわだった毛もしっかりとした羽になっている。 「もしかしたらこのあたりで親とはぐれたのかもしれませんね」 「ならばすぐに会えるといいのだがのう」 飛び行く小鳥のあとを追って霊獣も飛び始めたものの、小さな小鳥の速度にすぐに追いついてしまう。並行するように宙を駆けながら呂望はその先に二人の人影を見止めた。 「誰か居るようじゃ」 さらに近づくとその人たちは二人の女性であり、間に瑠璃色の大きな鳥がいるのが見えた。 呂望の直感が、それは親だと叫んだ。 呂望は一度その一団の上空を旋回してから地上へと降りた。足の踏み場もないほどの蓮華で溢れたその地にいたのは赤雲と碧雲の二人だった。彼女らは鳳凰山に住む竜吉公主の弟子である。 「何しとるんじゃ、おぬしら」 赤雲と碧雲のふたりはその人が太公望と見るや深々と頭を垂れた。 「ああ、太公望様。実はその…」 「もしやおぬしらはそこなる青鸞の雛を探しておるのではないか?」 呂望の言葉を聴いた途端に二人の体がこわばった。困惑を隠せないでいるようだ。 「ど、どうしてそれを」 「いや、実はうちのスープーが瑠璃色の雛を拾ってな。雛はもう小鳥ほどまで育っておるがの。ほら、あれに」 申公豹に付き添われるようにしていた小鳥が母鳥を目指して降りてくる。母鳥はほとんど泣きながら幼い我が子をその羽に抱きとめた。 「親が見つかったんだね」 「どうやらそのようですね」 黒点虎と申公豹も、その親子の再会を眺めていた。みなが一様に満たされた顔をしている。 「よかった。随分探したんですよ」 そういったのは赤雲だった。 「ときどき青鸞を散歩させに降りてくるんですけど、そのとき雛も一緒に連れてきていたんです。でもちょっと目を離した隙に雛がいなくなっててそれで…」 「なるほどのう」 「でも親子が会えてよかったッスね」 四不象の目が僅かに潤んでいた。彼も親元を離れて呂望の下で働いているという経歴を持つ。呂望や武吉が優しくしてくれるから寂しくはないけれどやはり両親のこととなるとこみ上げるものがあるらしい。 赤雲と碧雲、それに青鸞親子は一行に礼を述べて鳳凰山へ帰っていった。 鮮やかな羽を広げて飛びゆく母鳥とその背にくっついている小鳥を見送る呂望はいつまでも手を振った。 やがて彼女らが見えなくなると、呂望はゆるりと腕を下ろし、ふうとため息をついた。 「行ってしまいましたね」 「そうだのう…」 空に朧な三日の月が見えた。今日という日の栞になりそうな細い月である。 「ねぇ、呂望」 「ん?」 黒点虎がくりくりの瞳で彼女を見上げている。 「雛がいなくなっちゃって、やっぱり寂しい?」 「んー、そうだのう。やっぱりちょっと、な。ほんの僅かでもあれの面倒を見たのだからのう、情が移ってしもうた」 そういうと呂望はしゃがみこんで足元の蓮華にそっと触れた。 ほんのわずかな寂しさを花で紛らわそうとしているのか、何も言わずにそれを見つめている。 「のう、申公豹」 「なんです?」 「もう少し、ここに居ってもいいかのう」 呂望の言葉に、申公豹はこっくりと頷いた。 「ええ。あなたの気が済むまで、いつまでもどうぞ」 そういって申公豹も呂望の隣に座り込んだ。黒点虎はのっそりと歩み、四不象とともに蓮華の野に遊んだ。 「蓮華がこんなに咲く季節になったか」 「そういえば、あなたと出会ったのも蓮華の花のころでしたね」 「何の因果かのう」 「因果…ですか? もっとこう運命とか必然とかいう言い方はないですか?」 申公豹はそう言いながらも笑っている。 「言葉を選ぶような出会いでもないだろう」 「でも私には大事な一瞬だったんですよ」 この世にあってこの世のものではないような、強くて眩しい輝きを持った原石――それが太公望呂望という女性だった。 「磨けば綺麗というものはたくさんありますがあなたは磨かなくても綺麗でした」 「うまいこと言いおって」 「本当ですよ」 そういうと申公豹はさっと彼女のわき腹に手を添え、そのままぎゅっと抱き寄せた。呂望の体はぽんと申公豹の胸の中に飛び込む。 「うわ」 「ねぇ、呂望」 呂望の耳に、申公豹の優しい声が響いた。 「蓮華の咲き乱れる野原で、こんなふうに肩寄せあうのも、素敵だと思いませんか?」 ただ幸せを夢見る――そんな世界を作る仕事の真っ最中。 ほんの一時の安らぎは穏やかな紫の花と細いけれどたおやかな光をこぼす月の野原。 そして愛しい君。 「蓮華はね、呂望」 「なんじゃ?」 「紫の雲の英(はなぶさ)とも書くんですよ」 「なるほどのう。確かに紫の雲の上におるようじゃ」 ふわふわと心地よい春の夜に。 はぐれた子供と親が出会い、疲れた軍師はのんびりと羽を伸ばす。 その恋人は緩やかに彼女を抱きしめ、霊獣たちはそっと彼らを守りゆく。 月を眺めていた申公豹は急に呂望がなんの反応も見せなくなったのを訝しみ、そっと覗きこんでみた。そしてくすっと小さな笑みをこぼした。 「寝ちゃいましたか」 くーくーと寝息を立てる呂望を起こさないようにそっと姿勢を変えて、申公豹は四不象を呼びつけた。 「御主人、寝ちゃったんスね」 「このままそっとつれて帰りましょう」 申公豹は彼女をゆっくり抱きかかえると自身はそのまま黒点虎に跨った。 「重くないっスか? 申公豹さま」 「大丈夫ですよ。さ、西岐までまっすぐ行きましょうか」 「了解ッス」 春の夜風に晒さぬようにと四不象が先頭に立ち、その後ろに黒点虎が従う。申公豹もその大きな袖に呂望を包んだ。 西岐城にある呂望の部屋に着くと武吉が師匠の留守をしっかりと守っていた。 「武吉君」 「あー、申公豹さま。親は見つかったんですか?」 武吉は声を潜めて聞いてきた。呂望はもともと高熱を出して寝ていることになっている。 彼の小さな問いに申公豹はきちんと答えた。 「ええ、ちゃんとね。それより寝床の用意は出来てますよね」 「はい。お師匠様が帰ってきたらすぐに休めるようにしてあります」 「それはよかった。もう寝ちゃっているのでお願いしますよ」 武吉は申公豹から呂望を受け取るとそっと寝床へ運び、布団を着せ掛けた。呂望は何も知らずにすやすやと眠っている。 「よほど疲れているんですねぇ。ゆっくり寝かせてあげてください」 「わかりました」 黒点虎がつかつかっと呂望の寝台に近づいた。白く柔らかい頬に鼻先でつんと触れるか触れないか、それほどまでに顔を寄せる。 「おやすみ、呂望」 そんな彼の行動に微笑を浮かべながら、申公豹はきょろきょろと辺りを見回した。小さな一輪挿しにはなんの花も飾られていないと知ると、あの野原から失敬してきた蓮華を挿した。 「またゆっくり遊べるといいですね」 その呟きは誰にも聞かれない。 「さ、帰りますよ、黒点虎」 「またねー」 来た時と同じように窓の桟に足をかけ、先に出ていた黒点虎に跨って自分の洞府へと去っていく。 その後姿を武吉と四不象が見送ってくれた。 「ねぇ、申公豹」 「なんです、黒点虎」 二人が飛んでいる空にきらきらの星が舞っている。 「申公豹、本当はあれが竜吉公主のところの雛だって知ってたんじゃないの?」 黒点虎の指摘を受けて申公豹はふっと一笑に付した。 「あはは。何でそう思うんです?」 「申公豹に知らないことなんてないもん、そうでしょう?」 「おやおや。随分過大評価されたものですね。知らない事だってありますよ。でも確かに、あの雛が竜吉公主のものだって知っていましたよ。青鸞を乗騎にしているのはあの方くらいですしね」 そう聞かされて、黒点虎もうふふと笑う。 「知ってたのにまっすぐ公主のところに行かなかったんだね。悪い道士様だ、申公豹は」 「でもそのおかげで呂望と遊べたでしょう? 実はあなたもうすうす感づいていたんじゃないですか?」 「えへへ。実はねー」 主従ともに楽しそうに笑って。 「悪い霊獣ですね、あなたも」 「お互い様だよー」 ともに呂望に会えた嬉しさで顔がほころんでいる。 「まだ寒いですから、呂望が本当に風邪を引かないといいですけどね」 「そのときは看病に行ってあげればいいよ。申公豹の時も来てもらったし」 「黒点虎、あなた天才ですねぇ」 当る夜風は浅春の寒さでも誉められて浮かぶ笑顔はぬくもりに溢れている。 呂望が寝台の上で目を覚ました時、すでに日は高く昇っていた。 「んあー…」 「あー、お目覚めッスか、御主人」 ぴるるっと軽い音で近づいてきた四不象をぐりぐりと撫でて、呂望はようやく朝だと知った。 そしてゆっくりと記憶を辿る。あの蓮華の大地で、申公豹に抱かれて、温かくなって…そこから記憶がない。 「のう、わしはどうやって戻ってきたんじゃ?」 「申公豹さまに抱っこされて帰ってきたんスよ」 「お師匠様、これどうしましょう?」 寝台の上に起き上がっていた呂望の目に改めて映ったのは大量の花や果物に菓子類。中には美しい造詣をした瑠璃色の瓶もある。武吉によると、呂望が病気で臥せっていると触れ回ったあとで届けられた見舞いの品だという。 武吉は6本並んだ瓶の中からひとつとって呂望に差し出した。 「これは良く効く薬酒だから必ず飲んで欲しいって、元始天尊様のお使いで太乙さんが来ましたよー」 「う…これは…」 「どうしたんスか、御主人?」 「いや、これは崑崙に伝わる薬酒の中でも最高に不味いんじゃ。べったりと甘くてのう…ああ、思い出すだけで吐きそうじゃ…」 ふうっと後ろに倒れこんだ呂望に、四不象と武吉が笑いながらその瓶を開けてみる。 ためしにと飲んでみた四不象は気分を悪くして寝込んだのに、武吉は全く平気だった。 「ぼく、モニターをバイトでやってましたから。もっと不味いのもありましたよー」 「じゃあ中身はおぬしにやるから。瓶は置いとけ」 「はーい」 「ううう〜〜、気持ち悪いッス…」 そんななんでもないある日、彼女の部屋。 一輪の蓮華だけが優しく見守っていた。 雷鳥は寒かろう 冬の終わり 蓮華が咲いたら瑠璃の鳳 とてとてたったと飛び立つ雛は 今ごろ紫の雲の上 いつか君と出会ったこの春の日のように 何にも邪魔されずに会いたい ≪終≫ ≪植木屋井戸替えお祭りだ≫ 申公豹×呂望。エロなし。前々から書きたいと思っていたお話です。 タイトルと、それから本文中にある『雷鳥は寒かろう』と『とてとてたったと飛び立つ』というフレーズは北原白秋の『五十音の歌』からいただきました。フレーズが大好きで、特にハ行以降が好きでした。 今回は2ヶ所ほどパロディを仕込んでみましたので探してみてください。 |