蒼い宝石の君



光を浴びて透きとおる
深い深い森の奥で見つけた蒼い宝石の君



崑崙山脈の一角にある鳳凰山。ここに仙人界きっての美仙女が住んでいる。彼女の名前は竜吉公主。仙人の両親を持つ彼女は存在そのものが奇跡といわれる『純血の仙女』だ。
その純血さ故に浄室からめったに出ることはないが篭ってばかりでははっきり言って退屈なのでときどきふらっと外出する。
ここは鳳凰山の南の森。きらきらと零れるような木漏れ日のなか、公主は漆黒の長髪を揺らしながらさくさくと歩く。ルリビタキのさえずる声が輪唱する。足元を流れる沢水に手を触れると冷たく清らかだ。
深い深い森のなか。いつもとかわらぬ風景になかに、公主は不思議なものを目に止めた。
(――なんだ?)
きらりと光ったものに興味を引かれ、公主はそれに近づいてみた。青く光ったように見えた。木の葉が反射した光かもしれない。だんだん近づいていくと大きな足…いや、靴が見えた。
(人…仙道か)
公主はその人の傍らにしゃがみ、観察を始める。
踝のところに大きな輪っかをつけた黒い靴。白いズボンに上下に繋がった黄色の上着。よく見るとアンダーは黒だ。そしてその顔は、と見ればよく眠っていた。年の頃は16…多くみても18くらい。もっともそれは外見年齢であって実際はもっといっているかもしれない。
白磁の頬に薄く赤味がさし、艶やかな黒髪が年若さを引き立てる。
その人は胸の上に手を組み、すーすーと規則正しい寝息を立てていた。
(…可愛らしいのぅ…女の子だな、これは)
鳳凰山に篭っていては見つけられなかっただろう。
(今日の外出は吉と出ておったが真じゃったのぅ…)
図らずもこのような可愛いものに出会えた公主はそのまま少女を眺めていた。少女はぴくりとも動かない。それをいいことに公主はまたまじまじと観察を始める。少し大きめの服を着ているが全体的に体が細い。けれどひょろっとした感じがしない、しなやかな筋肉のつき方をしているのだろう。まつげが意外と長く、ともすれば少年とも見紛うほどに愛らしい顔つきだ。
この子を手元に置きたいのう…などと思う。

 
空に雲、草に花、風に鳥、そして傍らに眠る少女


どれくらいそうしていただろう、風がさわさわと木々を揺らす。木陰はいつの間には陽だまりになってぽかぽかとあたりを暖め始める。少女はなおも眠りつづける。
「しかし…よく寝る…」
公主が呟いたときだった。それまで呼吸以外微動だにしなかった少女の瞼がぴくりと動いた。目を覚ますのだろうか、公主はわくわくしながらその瞬間を待った。これまで観察してきたが、その瞳の色と声だけはわからなかった。
花開く瞬間のようだったろうか、少年の瞼がゆるりと開き、ぼんやりとあたりを見回す。
少女は傍らに人がいるのをぼんやりと感じていたのだろうか、まだ浅い眠りを漂っているように見えた。
「…ははうえ?」
その声を聞き、公主は穏やかに微笑んだ。決してこの少女の母ではないのだが何故だかそういう気持ちになっていた。名を呼んでやろうにもわからぬので優しく髪をなでてやる。少女はほんのりとした温かさに安心したのか、再びその目を閉じてしまった。
青とも緑ともつかぬ、けれど深く優しい色の瞳。少女らしい、張りのある声。
(あとは名前だけ…)
知ることができたら…。
もう少し少女のそばにいたかったが霊獣が迎えにきてしまったため、公主は名残惜しそうにその森を去った。

霊獣の名は青鸞という。鳳凰の一種で五色の羽を持つが青色が多いのが特徴である。
「また公主様はかってに浄室を抜け出されて…赤雲たちが心配しておりましたよ」
「よいではないか、こうしておぬしが迎えにくるのだし」
「よくありませんよ」
青鸞の背に乗って連れ戻される間も、公主は森で出会った少女のことを考えていた。
「のう、青鸞」
「何ですか、公主様」
「誰ぞの弟子に見かけが16,7の少女がおらんかのう」
「16,7…ですか?」
「うむ。髪の色は黒でな、瞳は…そうだな、青緑」
いわれて青鸞は少し考える。公主の言うような道士がいるだろうか。ここ崑崙には仙人が多く住み、その弟子ともなるとその数は膨れ上がる。が、青鸞はたった一人思い浮かべていた。
「ひとり該当する人物がおりますわ」
「おるのかっ?」
青鸞がそういうと公主は掴みかからんばかりに声を上げた。青鸞は小さく溜め息をつく。
「40年ほど前に元始天尊様が人間界から拾ってこられた弟子という方がそうです」
「40年前…ああ、あのときは元始天尊が数百年ぶりに弟子を取ったとかで話題になったのう」
思い当たる節がある公主はぽんと手を打った。
「黒髪に鮮緑の瞳ならその方しかおられません」
「で? その者の名は?」
「……公主様」
「なんじゃ?」
「どうしてそのようなことを?」
「あー…それは…」
「また悪い癖が出ましたね? それで父君から勘当されたのをお忘れですか?」
「ぎくっ(-_-;)」
そう、実は竜吉公主はもともと天界に暮らす仙女だったのだ。が、彼女の『可愛いものを愛でる』という趣味のせいで父親と喧嘩、天界を飛び出し、元始天尊の許しを得て鳳凰山に住居を構えることになったのだ。
「勘当されたのではない、家出じゃ」
「…似たようなもんでしょうに」
「…そんなことはどうでもよい。して、その者の名は?」
青鸞は呆れたようにその名を呟いた。
「…太公望」
「太公望か…」
公主はその名を何度も胸に刻んだ。洞府に戻ってからも森の少女のことを思い出し、弟子たちの小言など馬耳東風なのであった。



しばらくは雨で出かけることさえままならず、それから10日ほどがすぎた。久方振りの晴れ間に公主は再び洞府を抜け出し、南の森へと急いだ。森を潤していた雨は止み、地面はすでに乾いていた。
視線と足取りが速くなる。宝石のような煌きが彼女を導いている。果たしてそこにあの日の少年が眠っていた。
「おった!」
公主は少女を起こさないようにそっと近づいた。あの日と同じように少女はすーすーと軽やかな寝息を立てている。
(愛くるしいのぅ)
傍らに座り、そっと髪をなでる。どんな夢をみているのだろう、少女は幸せそうに微笑んでいた。
(かっ…可愛い……)
まるで小動物のような少女に公主はたまらず微笑んだ。
「ん…」
(お…)
少年が動いた。手の甲でこしこしと目を擦り、うにゅと起き上がった。そして寝ぼけまなこで公主を見つめている。
「母上…?」
少年はあの日と同じことをいった。どうやら人間界にいる両親の、特に母親の夢をみているらしい。そばにいた公主を母親と間違えている。無理もないか、と公主は微笑んでいる。
やがて少年は意識がはっきりしてきたのか、隣に母親ではない若い女性が座っているのに気がついて慌てて起き上がった。
「なっ……」
声にならないほど驚いている様子なので公主はおかしくなってくすくす笑った。何故笑われているのかわからない少女はきょとんとしている。やがて公主は笑いを収め、少女に向き直った。色素の薄い緑の瞳は少年のそれとは違った光を弾く。
「笑ってすまない、おぬしがあまりに可愛いのでな」
「かっ、かわいい?」
これまで可愛いなどといわれたことがないのであろう、少女は白磁の頬を赤く染める。ますます可愛いと思いつつ、公主は先を続けた。
「私の名は竜吉公主。この先の鳳凰山に住む仙女だ」
「あ…わしは崑崙山は玉虚宮、元始天尊門下の太公望という」
やはり太公望であったか、と公主は嬉しくなった。弟子になったのが40年前であることと一人称が『わし』ということから 50代後半であろうと見当をつけたが公主にとって太公望はまだまだ幼子に過ぎない。
「…その仙女がどうしてここに? 竜吉公主といえばめったに浄室から出ぬと聞いたが…」
太公望がそういうと公主はふっと笑った。
「浄室にこもっておるのも退屈でのう、ここなら空気も良いし。それよりおぬしは何をしておる。修業をサボってよいのか?」
公主の突っ込みに今度は太公望がうっと呻く。
「…瞑想が苦手でのう、どうしても眠ってしまう。それならいっそ眠ってしまえと…」
元始天尊は千里眼をもつ。どこでサボっていようとバレバレなのだが、この森を選んだ理由に
「この森が美しかったから」
と答えた太公望に、公主は宝石の煌きを見た。


この森より…世界のすべてよりもこの少女が美しい


そんな気がした。その美しさゆえに儚く壊れていくのではないか、とさえ…。
「…お主とは、10日ほど前にも会った。そのときお主はぐっすり寝込んでおって…私を母と間違えたぞ」
今日もな、と付け加えると太公望はまた赤くなった。しかしすぐに視線をそらした。照れ隠しかと思ったがその顔にどこか寂しさがあるのに気がついた。
「…殺されたのだ」
「え…」
「父も母も…村中みんな殺された」
太公望は姜族の出身である。姜は遊牧民族であり穏健派でもある。40年前のあの日、武力を持たぬ太公望の村は殷の人狩りに遭い、12歳だった呂望ひとりを残して全滅してしまったのである。その裏で糸を引いていたのは時の皇帝・太丁の后、王氏――のちに紂王の后となる妲己である。たった一人生き残った呂望は元始天尊に拾われ弟子となり、そこで『太公望』と名乗ることになる。
愛らしい少女の思わぬ過去に触れた公主はかける言葉もなく太公望を見つめていた。
この子の傷は深い……感じた儚さはこのためか。
太公望がふっと顔を上げる。その顔にもう憂いはなかった。
「父母の仇を討ち、仙道のおらぬ人間界を作ろうと思ってのう…」
「太公望…」
この子の夢は大きい…感じた煌きはこのためだ。
公主はそっと太公望の手に自分の手を重ねた。太公望はさして驚いた様子もなくじっとそのまま。ふたりはしばらく微笑んでいた。
「…またここに来てもいいかのう」
「ああ、この森は誰のものでもない。この世界が誰のものでもないように…な」
「…そうだのう」
「…また母親代わりになってやろう」
ははは、と笑いあってふたりは別れた。再会の日はわからない、約束しなかったから。
でも、それでもいいと思えたのは太公望が放つ温かい輝きのせいかもしれなかった。


後になって公主はこの言葉を少しだけ後悔した。
「母親代わりでは進展せぬではないかっ!!」
女同士で恋人にでも、と言いはしないものの、元始天尊の下を離れて鳳凰堂に来ないかといえば太公望はまたあの柔らかな頬を赤く染め困惑したに違いないのに…。迎えにきた青鸞の背中でひとり声を荒げた公主に驚きながらも青鸞はまっすぐに鳳凰山を目指した。
(やれやれ…)
また始まったとばかりに溜め息をつく。
「? どうした、青鸞」
「いいえ、随分ご機嫌だなぁ〜と思いまして」
「んふふ。そうかぁ? 実はなぁ〜〜」
青鸞は不用意に突っ込みを入れた自分をかなり後悔した。これから3時間にわたって公主ののろけが続こうなどとは思いもしなかったからである。  



君の傷と選んだその夢こそ
この地球を回していく未来の風になるということを
いったい誰が知りえるだろう 



深い深い森で眠る 蒼い宝石の君―――。












封神計画発動まであと20年





≪終≫




≪にょほほ( ̄з ̄)≫
じゃーん! 竜吉×太公望!! 竜吉公主が太公望にちょっかい出してます!(←そうかい?)
私、竜吉公主と太公望はかなり似合いなんじゃないかと(勝手に)思ってるんですがどうでしょう? 結構いけると思うんですが…。
モチーフになったのは緒方恵美さんのアルバム『Marine Legend』より『青い宝石の君』です。

ちょッくら補足
@太公望の瞳の色…実は『封神大全』(藤崎竜 集英社 1999年)を見てもよくわからんのです(-_-;)。緑だったり青だったり紫だったり…太公望に限らんのですが。紫も捨てがたいのですがアニメで緑だったのでそっちのほうで書いてます。
A竜吉公主の経歴は本当は家出ではなく『勘当』です。青鸞については資料がないので適当(←をい)。注: 文字用の領域がありません!

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