silver rain これしきのことでと君は笑うけれど 雨が降ると思い出す 風が吹けば抱きしめる そんな自分でありたいから しとしとと銀色の線が窓の外を走った。今日は朝からどんよりしていて湿っぽかったので雨が降るだろうとは思っていた。 普賢は窓の外を見ながら遠い地にいる友に思いを馳せた。 彼女の友人は太公望呂望といい、つい先だって元始天尊から指令を受けて封神計画なんてものを遂行している。 「望ちゃん、元気かな…」 あいにくとこの窓は南向きで呂望のいる西岐を向いていない。それでもその窓の外は下界とつながっていて、こうして窓辺にいるだけでまるで彼女と向かい合っているような気がするのだ。 修行時代は一緒に下界へ逃亡したり、花を摘んで飾りあったり…楽しかった。 でも普賢が仙号を得てからは、呂望が封神計画を授かってから、そんな娘時代は終わりを告げた。 戦いの鐘の音がする。魂の揺らめく、鈴の音がする。 この世界のどこかで争いを誘導する何かがあるのだとしたら。 (望ちゃん…) そしてその根幹にたどり着く羅針盤があるのなら。 (ボクは望ちゃんに何をしたらいい?) 振りはじめの雨は優しく窓をたたいた。細い指でそっと窓をなぞれば庭に咲いた白い花が鮮明になる。 ふと庭の隅に目をやると鮮やかな色の衣が目に入った。その人は傘も差さずに、片手にたくさんの百合を抱えていた。普賢はあわてて飛び出していく。 「ちょっと、道徳。どうしたの、傘も差さないで」 「いや。走ってくれば降られないだろうと思ったんだよ。でも、雲のほうが早かったみたいだな」 まるで子供のような物言いに普賢は思わず吹き出した。 「雲に勝つつもりでいたの?」 「勝てると思ったんだけど」 普賢も道徳もそれ以上は何も言わなかった。普賢はただ微笑を浮かべて道徳を洞府へ招き入れた。 「濡れちゃったね」 「仕方ないさ。はい、おみやげ」 「わあ、ありがとう。これどうしたの?」 道徳は百合の花束と柔らかい布を交換するとガシガシと頭を拭き始めた。 「ああ、それね、玉鼎にもらったんだ。今年はたくさん咲いたからおすそ分けだって。このまえヨウゼンがこっちに戻ってきたときも呂望にって持たせたからって言ってたよ」 「そうなんだ。あとでお礼しなくちゃ」 そう言うと普賢は白磁の花瓶に真っ白な百合を生けた。白い花弁に白い壺、それでいてさりげなく緑が映えた。 「ところで何で玉鼎のところに行ってたの?」 まるで勝手知ったる我が家かのように椅子に腰掛けた道徳に普賢は柔らかい笑みを浮かべる。こんな雨の日に恋人がわざわざ来てくれたのが嬉しかった。黄山毛峰の茶葉を壺から茶さじで掬い、温めていた茶壷に湯を注いだ。 「そんな正式にやらなくてもいいよ、普賢」 「いいの。今日は美味しいのを淹れてあげたいんだから」 さらに茶壷に湯をかけ茶葉を蒸らし、茶海に茶を移した。こういうことが苦手な道徳は茶葉をばさっと入れてお湯をどさっと入れてだばっと茶碗に入れて飲む。以前こんなのよく飲めるね、と普賢にいわれたことがあったが、道徳にしてみればそれが普通だったので違和感を感じたことがなかった。しかし普賢の手つき、しぐさ、そして出来上がったお茶を口にしてああ、やっぱり普賢はいいなぁなんて思ったりしたものだ。 「どうしたの、道徳」 「いや、普賢って可愛いなあって思って」 「それはいいから質問に答えてよ。なんで玉鼎のところに?」 自分の前に供された茶をぐいっとあおって道徳はふうと息をついた。 「いや、別に用事ってわけじゃなかったんだけどな。お互い弟子持つ身だろ? どうしてるかなって思ってさ」 「そうなんだ」 「お前だってモクタクのことは心配だろ?」 道徳は子供のように茶碗を差し出した。おかわりの合図だ、普賢は微苦笑しながら2杯目をついでやる。 「本当は香りを楽しむものなのに…」 「普賢が淹れてくれればなんだってうまいよ」 普賢はゆっくりと湯を足した。道徳のことだ、どうせ3杯目も飲むに決まっている。3杯目は流石に香りも減ったくりもない、ただの白湯になるのにそれでも道徳はおかわりと茶碗を差し出すのだ。 「あのね、道徳…」 「ん?」 冷えた黄山毛峰の茶碗をそっと包んで、普賢は僅かに下を向いた。 「ボクはモクタクのことはそんなに心配してないんだ。東伯のところで頑張ってるみたいだし、大事にしてもらってるって。今のところ大きな戦闘に加わったとかも聞かない。一番心配なのは」 「太公望のこと…だよな」 普賢はこくりと頷いた。 「望ちゃんのためにできることってあるのかな…」 「普賢…」 ときどき帰ってくる仙道から呂望の話を聞くことがある。その度に負の感情が普賢の全身を包むのを感じた。 最初で最後の恋だった姫昌を亡くし、助けたいと願った殷郊、殷洪の王太子の兄弟を殺さざるを得なかった。そして自身も左腕を失った。 そしてそんなに苦しんでいるだろう呂望に追い討ちをかけるように周りの男たちがバカばっかりときたもんだ。寝る間も惜しんで仕事をして、ようやく寝れるかと思ったら夜這いに来た連中が寝かせない。休まる暇がないのだ。 取れた左手を携えて呂望がこの洞府にきたとき、普賢は少しきつく包帯を巻いたのを思い出した。 『普賢、そんなにきつく巻いたら痛いではないか』 『なんで…』 『ん?』 『なんで望ちゃんばっかり…』 あの時呂望は笑っていたけれど失った痛みは大きかったはずだ。それを隠すように笑うしかなかったのだろう。 「ボクがここでこうやって道徳とお茶を飲んでいる間に望ちゃんは…」 「普賢…」 道徳はすっと立ち上がって椅子の背もたれごと普賢をそっと抱きしめた。 「道徳?」 座っている普賢はとても小さい。それでも道徳はしっかりと抱きしめていてくれる。 「太公望のことが心配なのはわかる。でもお前がここでくよくよしてたら太公望はなおさら心配するんじゃねーの?」 「道徳…」 普賢はそっと顔を上げた。目の前の青年は穏やかに微笑んでいた。 「大丈夫。俺たちは俺たちの出来ることをしよう。弟子たちが帰ってきたらちゃんと休ませて太公望の役に立つようにしてさ。太公望自身が戻ってきたらうまいもんたくさん食べさせてやってさ。俺たちの力がいるときは助けてやればいい」 道徳の言葉のひとつひとつが普賢の心に広がった。まるで乾いた大地が雨を吸って豊かな土壌になるように。 抱きしめる腕も、温かい。そんな何気ない優しさに普賢はつい笑みをこぼした。 「今日は雨が降ってるから、望ちゃんは軍師殿に缶詰かもね」 「かもしれないな」 道徳は下界に遣っている天化のことを思い出した。彼は太公望に恋をして今は仲睦まじいと聞く。普賢のかわりに彼女を守ってやってくれているといいと思いながら、道徳は普賢の首筋に顔を埋めた。 「なにやってるの、くすぐったい」 「んー、いい匂いがするから」 「お茶の匂いだよ。あ、そうだ。あのね、道徳が好きなかぼちゃの煮物を作ったの。食べていかない?」 普賢はさらりと道徳の腕から逃れるとそのまま台所に入っていった。 居間には道徳と、湯気も立てない茶器だけが残された。 「まあ、普賢にとっては俺より太公望のほうが大事なんだろうけどなぁ…」 窓の外を眺めて雨の降り方を見る。自分がここに来たときと変わらないくらいだ。 「あなたを思えば勇気がわく…か」 すっかり冷めてしまったお茶の残りをすすって道徳はふうとため息をついた。 自分に比べればだいぶ年若い仙道の少女たちの心は目まぐるしく揺れ動く。ならばしっかりと抱いて守らなくてはならない。 太公望は天化が、そして普賢は自分が。 そばにいなくても、遠く離れてても思っている人がいる。 「ねー、道徳ー」 「あん?」 台所からひょっこり顔を出した普賢はにこやかに笑みを浮かべている。機嫌がいい証拠だ。 「ちょっと早いけどご飯にする? かぼちゃの煮物を温めなおしてたら他のも作りたくなっちゃった」 「ああ、ちょっと小腹がすいたし。手伝おうか?」 「ううん、大丈夫。それに道徳ったらちっとも手伝いにならないんだもん」 つまみぐいばっかりするんだから、と笑いながら台所に戻る普賢の横顔を眺めて道徳は苦笑して茶をあおろうとした。が、既に空で、急須の中にも湯はなかった。 「普賢、お湯もらえる?」 「あ、お茶もうないの?」 普賢は薬缶に汲み置いた水を太極符印で湯にかえるとそのまま道徳に差し出した。 「はい」 「お、おお…」 「分子の活動を活発にしただけだよ」 「…よくわかんないけどお湯なんだな?」 手にした薬缶からほんわりと温かさが漂っている。道徳は食卓に戻り、急須に湯を注いだ。 「あ、茶葉かえればよかったのに」 「まだ大丈夫だよ」 「しょうがないなあ」 普賢はくすくす笑いながらほうれん草をたぎった湯の中に根元からそっと入れた。 ほこほことあがる湯気を換気扇に吸わせる。太乙が取り付けてくれたものだ。 ふと窓の外を見れば雨は降っている。でも扇の動く音がその音をかき消していた。 「望ちゃん、ちゃんと食べてるかな」 「なあ、普賢」 「んー?」 茹で上がったほうれん草をざるにあげながら普賢は背中越しに返事をした。道徳がお茶を飲んでいるのが音だけで分かった。 「…明日あたり、ちょっと下に降りてみないか? そんなに心配ならお前から会いに行けばいいじゃん?」 彼の言葉に普賢はゆっくりと振り向いた。その顔には小さく驚いたと書いてある。 「なんだよ」 「道徳ってさ」 「ん?」 「ときどき、ものすごく天才だよね」 「誉めてんのか、それ」 苦笑する道徳の前にかぼちゃの煮物と芋の含め煮、揚げ出し豆腐に汁物、そして五穀ごはんが並んだ。 「すっごい誉めてるよ」 道徳の前に箸を置き、普賢は彼の向かいの椅子に座った。 君にあえて 優しくされて 初めて知ったのは 人の温かさと、誰かに愛される幸せ 翌朝、雨はすっかり上がって明るい日差しが大地を乾かしている。道徳が運転する黄巾力士が着地すると同時に飛び降りた普賢は呂望めがけてまっしぐらだ。 呂望は受け止めることが出来ないのでかわりに四不象が普賢を受け止めた。 「望ちゃ〜〜〜ん」 「普賢ではないか」 普賢はそっと四不象を撫でてその手から離れると呂望とがっしり抱き合った。 少女二人は歓声を上げながら再会を喜びあう。 「うんうん、やっぱり女の子は華やかでいいねぇ」 「コーチは何しに来たんさ」 天化は師匠である道徳の前でも咥え煙草のままだ。何度注意してもやめないので道徳はすっかり諦めている。 「何しに来たとはご挨拶だな。可愛い弟子の様子を見に来たんじゃないか。さ、俺の胸に飛び込んで来い!」 そういって腕を広げている道徳に一同冷たい視線を向ける。 「普賢さん、コーチになんか悪いもんでも食わした?」 「そういえば昨日の煮物に使ったお芋、ちょっと古かったかも」 「やっぱり…」 天化は煙草の火を足で踏み消すとひょいと拾い上げて携帯用の灰皿に入れた。これは呂望のしつけによるものである。 ポイ捨てで火事になったら、とやかましく言われたのが原因である。 「で、本当に何しに来たんじゃ? 元始天尊様からの勅命か?」 「ううん、そういうんじゃないの。ただ望ちゃんが心配になって来てみただけだから」 普賢がにっこり笑うと呂望もつられるかのように微笑んだ。 「それはすまんかったのう。今はひと段落ついて落ちつい取るんじゃ。みなも良くしてくれるし」 「武吉君が頑張ってるんだね」 そういって普賢はきょろきょろと周囲を見渡したが彼の姿は見えなかった。 「残念じゃな、武吉は母親のところじゃ。たまには武吉にも休暇をやらんとな」 言いながら呂望は普賢を促して城内に入ろうとした。その後ろに天化がゆっくりとついている。 その背中を見守りながら道徳は広げたままの両腕を胸の前で交差して、再び広げた。 「…いい天気だなー」 呟いて見上げた空は澄み切って眩しいほどの青を湛えて輝いた。 できることならどうか、彼女らの進む道の先に明るい世界が待っていますように 雨上がりの空に飛び行く鳥は 雲を突き抜けて未来へ 雨が降るときは君のそばにいて 死ぬまでずっと ≪終≫ ≪なんとなく雨降り≫ エロもなんともないSSを書いてみる。タイトルは緒方恵美さんの同名の楽曲より。緒方さんは普賢の声優さんでもあるのでいつか使ってみたいと思っていました。で、こんな形に_| ̄|○ あっ、いやっ、石投げないでっ |