迷子の子犬 ほんのちょっぴりむかしのことです。 小さな犬を拾いました。 子犬の名前は『こうてんか』といいました。 「うし、今日の稽古はこれくらいにしとくさ」 「ありがとう、天化兄さま」 武成王・黄飛虎には4人の息子がおり、うちふたりは仙人骨を持っている。ひとりは次男の天化、彼は崑崙山脈・青峯山紫陽洞の清虚道徳真君の弟子である。もうひとりは四男の天祥で、彼は仙人界入りしていないので師匠がいない。人間界で父とともに天然道士として暮らしている。仙道の素質があるふたりは今日も仲良く、けれど真剣に武術の稽古に励んでいた。 「おお、ふたりとも稽古は終わったか」 「師叔」 「あ、太公望だぁ」 そこへやってきたのはどうみても16歳前後の、けれど実際は80歳前後の太公望だ。 一介の少女のようでいて実はいろんな意味ですごい。元始天尊の直弟子で十二仙と同格の彼は封神計画を実行する道士であり、また西岐を周という国家として発足させるために権謀術数をもって補助する軍師でもある。もちっと補足するなら天化とは恋人同士でもある。 天祥は人懐っこくて、誰にでもすぐ懐く。あのナタクが素直に背中に乗せるくらいだ。もちろん太公望にも子供らしい甘えを見せる。太公望はそんな天祥を優しく抱きとめると柔かい笑みを浮かべてくしゃっと髪をなでてやった。 「どうじゃ、これから昼食にするがつきあわんか」 「わーい、行く行く」 天祥は勝手に行くものと決めている。天化も断わる理由はないので付き合うことにした。 食堂に向かう道すがら、太公望はじっと天祥を見つめている。視線に気がついて天祥は顔を上げた。 「なあに?」 「いや、お主は父親似だと思ってのう。天化は母親のほうに似ておるが…ここまではっきり分かれるとはのう」 そう言って太公望はくすくす笑った。 「師叔は母ちゃんにあったことあるさ?」 「ああ、一度だけ、な」 それはたった一人で禁城に殴りこみに行って返り討ちにされたときのこと。そのとき武成王に助けられた太公望は彼の秘密基地に運ばれ、そこで手当てを受けた。このとき飛虎の妻であり、天化天祥の母である賈氏と会ったのだ。 その後太公望は朝歌を離れ、賈氏は妲己の姦計にかかって自害した。天化が下山したのはちょうどそのころである。 「しかし…姿形はそれぞれのものでも中身は全く一緒だのう」 「え? そう?」 「当たり前さ、同じ親から生まれた兄弟さね」 「…今の天祥をみておると、幼いころの天化を思い出すのう」 「へ!? 臨潼関で会ったのが最初じゃないさ!?」 「なんじゃ、覚えておらんのか」 太公望は左手で頬杖をつくと少し昔に記憶をはせた。 それは今から十数年前――天化6歳の秋のこと。 「よーし、じゃあジョギングがてら崑崙山を案内するからついて来るように」 そう言われて…入山したての天化はさっそく道徳真君に置いてけぼりを食らった。十二仙のランニングにまだ子供の天化がついていけるはずもない。追いかけようとも思ったがとっくに姿は見えない。あの人は運動馬鹿さ、と内心思いながらも天化は師父が引き返してくるのを待った。いずれ自分がいないことに気がつくだろう、ならば下手に動くよりもここにいたほうがいい、と思ったからだ。 太陽の位置で方角は大体わかる。武成王だった父が教えてくれたことだ。けれど洞府である青峯山の方角はわからない。 待てど暮らせど師父は戻ってこない。 だんだん心細くなって、天化の縹色の瞳はぽろぽろと大粒の涙を零し始めた。 「コーチ…」 そのころ。 「泥酔拳!!」 「ツルの舞!!」 太公望と白鶴童子は格闘術に勤しんでいた。太公望が違和感を感じたのはそのときだ。 「ん?」 「どうしました、太公望師叔」 「しっ…」 静かに、と身振りで示されて白鶴はあわてて口を塞ぐ。 「…子供の泣き声がするのう」 「子供ですか? はて…」 小首をかしげた白鶴に太公望は方向を示す。 「あっちの岩場のほうじゃ」 「行ってみますか、師叔」 「うむ」 ぽんぽんと岩場を飛び越えていくとだんだん声が大きくなる。近づくにつれそのシルエットも鮮明になってきた。 「あれのようじゃのう…」 太公望は泣いている子供のそばによってしゃがみ込んだ。 「どうした? 何を泣いておる」 声をかけると子供は泣くのをやめて顔をあげた。澄んだ縹色の瞳は涙で潤んでいるが、力強いしっかりとした光を持っている。子供は見知らぬ人間に怯えているように見えた。太公望は子供に目線を合わせるためにしゃがみこんだ。 「怪しいものではないよ。わしは玉虚宮に住む太公望という。こっちは白鶴童子」 「よろしく」 「うわあっ! つ、鶴がしゃべったさ!!」 子供はびっくりして声を上げた。白鶴は複雑な表情を浮かべたが、あまり変わらないのでわからない。そんな白鶴の心中を察し、太公望は慌ててとりなす。 「しゃべるだけだ、なにもせんよ」 こういって子供の頭をなでた。 「お主、名はなんと言う?」 「…黄天化」 「ここで何をしておる?」 「…コーチにおいてかれたさ。でも帰り道がわかんなくて…ここで待ってたら迎えに来てくれると思ったさ」 「そうか、賢い子だな」 太公望は再び子供――天化の頭をなでた。この崑崙山にはたくさんの仙人が住んでいるが、『コーチ』と呼ばれるのは体育会系の道徳真君だろう。走り始めたらまっしぐらな仙人だ、きっと天化をおいてきていることにも気づいていないはず。 (こんな子供についていけるはずはないだろうに…) 再び天化に視線を戻すと、彼はもう警戒していないのか太公望をみてにっこりと笑うようになった。 「よし、天化。わしがお前を青峯山まで送ってやろう。歩けるな?」 「うん!」 天化の小さな手が太公望の手に包まれた。 小さな未来がここから始まることなど、今のふたりには想像すらできなかったろう。 太公望に連れられた天化が青峯山に戻ると、ばったり道徳真君と出くわした。どうやら洞府に戻ってから天化がいないことに気がついたらしい。 「コーチ!」 「天化!!」 天化は小さな足で駆け出し、道徳に抱きついた。安心した天化はまたわっと泣き出し、道徳はごめんと何度も謝りながらその髪をなでた。 「いやー、ついてきてると思ったんだけど…」 「あほか、お主は。わしでもおぬしの足にはついて行けんというのにまだ幼い天化がついていける道理はなかろう」 「ごめんごめん、走り始めると周囲が見えないもんで」 たははと笑ってごまかす道徳に呆れながら太公望は洞府をあとにしようとした。けれどなにかが自分を引っ張っているのに気がついてそっと振り向いた。それは先ほどまでしっかり握っていた天化の小さな手だった。 「まだ、お礼言ってなかったさ。送ってくれてありがとうさ」 ぺこり。天化は頭を下げた。その仕草が可愛らしくて、太公望は思わず笑みを零した。 「どういたしまして」 「それから封神計画を授かり、下山するまで天化と会うことはほとんどなかったんじゃ」 それはお互い修行中の道士であったことが大きな理由である。 「な? 天祥と同じで人懐っこかった」 「…んな小さいときのことは忘れたさ」 思いかけず幼いころの話をされた天化は少し赤くなってそっぽ向いている。太公望と天祥は楽しそうだ。 「ぼくが生まれたときには兄様、もういなかったもんなぁ」 自分の知らない兄の姿に天祥は嬉しそうに笑う。かっこよくて強い天化にもそんな子供時代があったことを知って、だったらいつか自分も兄様みたいに頑張って強くなれる日がくると、その目を輝かせている。 「そうそう、この話は続きがあったのう」 「えー、なになに?」 迷子になった天化を送って数日後のこと。 あの日のお礼にと、道徳が天化をつれて太公望に会いに玉虚宮にやってきた。 「コーチ、俺っち一人で行きたい…」 「…じゃあ行っておいで。私は元始天尊様とお話しているからね」 「はーい」 天化は道徳から手を離すと静かな廊下を一目散に駆け出した。そして太公望を見つけると、その足に抱きついた。 「師叔っ」 「おお、天化。あれから迷子になっておらぬか?」 太公望の優しい笑顔に天化もにっと笑った。 「大丈夫さ!」 「それはよかったのう」 元気に笑う天化に、太公望はよしよしと頭をなでた。 「これ、お礼さ」 「わしにか?」 「うん、もらってほしいさ」 差し出されたのは小さな花束――白や黄色や藍色を集めた天化お手製だ。天化がもじもじしているので太公望は彼に視線を合わせてしゃがみ、受け取った。 「ありがとう、天化」 「へへっ」 そして天化ははっきり宣言する。 「俺っち、大きくなったらおねーさんをお嫁さんにするさ」 「おねーさんて…誰だ?」 花瓶に花を挿していた太公望は振り向きもせずに問いかける。きっとかなり年上の仙女か女道士に会って、恋をしたのだろう。随分ませていると思った太公望は天化に視線を戻す。すると天化はじーっと自分を見つめていた。 「…もしかして、わしか?」 「他に誰かいるさ?」 この世に生を受けて50数年、こんな小さな子供から嫁にと望まれた太公望はただ苦笑するしか出来なかった。 「それは光栄じゃのう。こんな婆をもらってくれるか」 「うん!」 太公望は天化を抱きあげた。あのまま地上で何事もなく暮らしていれば今ごろこれくらいの孫がいてもいいはずだ。 けれど時代は彼女に家族を与えなかった。 逆に奪うことで、彼女の闘争心を駆り立て、世界を変える力にしようとしている。 今はまだ何も出来ないけれど。 太公望は天化をぎゅっと抱きしめた。 「…師叔?」 「…強くなるんじゃぞ、天化」 愛しい誰かを護れるように――強くなれ、強くなれ。 「やだ! 俺っち帰らないもんね!!」 ぎゅっと太公望に抱きついたまま離れない天化を引き離そうと道徳は躍起になっている。 元始天尊と話を終えて天化を迎えに来てみれば太公望にべったりだ。 「帰るんだって、天化。太公望から離れなさいっ!」 「いやさー、今日は師叔と一緒にいるぅ〜〜」 「わがまま言うんじゃないよ、天化!」 師弟のつまらない争いを見かねた太公望はやれやれとため息をついた。 「のう、道徳。わしなら一晩くらい構わんぞ。明日の朝送っていけばいいじゃろう?」 太公望の言葉に天化はぱあっと笑顔になった。道徳も天化を引っ張る手を止める。 「本当にいいのかい? この子寝相悪いよ?」 「悪くないさー!」 天化の反論に太公望は小さく微笑むとそのまま道徳を見つめ返した。 「なに、寝相が悪いくらいどうということはないさ。のう、天化?」 「うん、俺っちおとなしく寝るさ!」 だからお願いと拝まれればしょうがない。道徳は太公望に迷惑をかけないと約束させてから玉虚宮をあとにした。 天化はご機嫌である。大好きな人と一緒にいられることは嬉しくてたまらないのだ。さっきから子犬のようにきゃんきゃん跳ね回っている。尻尾があるなら振っているに違いない。 「ほらほら、暴れてないでもう寝るぞ」 「はーい」 太公望は天化の服を脱がせると真っ白な夜着を着せてやった。小柄な太公望のそれは子供の天化にはやはり大きい。腰のあたりをたくし上げ、袖も折ってやる。この間、天化は大人しくしていた。柔らかい薫りが幼い天化の記憶をくすぐったのだ。 (このにおい…おふくろ?) 女性特有の薫りに天化はじっと佇んだ。 「どうした、天化? 布がたたくって気持ち悪かろうが我慢してくれ」 「ちがうさ、そうじゃないさ…」 「…天化?」 太公望はしゃがみ込んで天下の顔を覗いた。 天化は顔をくしゃくしゃにして、泣くのをこらえていた。太公望の薫りが、遠い地上にいる母親の賈氏を思い出させたのだ。 「天化…」 「俺っち…泣かない。泣かないさ…うえっく…」 太公望はさっと天化を抱き上げると寝台の上に腰掛けた。天化を優しく抱きとめ、背中を摩る。天化はえぐえぐと嗚咽をもらしたが、決して涙は見せなかった。 「天化は強いのう…」 「師叔…」 そういうと太公望は天化の小さな手を取り、自分の懐に導いた。こんもりと張ったそれが乳房だと気がついた天化は顔を真っ赤にした。 「す、師叔…」 「母親のことを思い出したのであろう。遠慮せんでいいぞ」 天化の手に、柔らかさと温かさが同居する。とくんとくんと静かな鼓動が小さな心を安定させた。 (やーらかい…) 天化は手を添えたまま、太公望を見上げた。 彼女はどこまでも優しく微笑んでいた。 「師叔…」 「なんじゃ?」 「…このまま、触ってていい?」 「かまわんよ」 こんなわがままは、もう二度と言うことはないだろう。天化はこのぬくもりを忘れまいと幸せそうに乳房に触れた。 「それと、師叔」 「ん?」 「コーチには言わないでほしいさ。言ったらからかわれるし、それに…もう、師叔に会えなくなるかもしんないさ」 迷惑をかけない、という約束を破ったのだと彼は彼なりに覚悟しているようだ。太公望はそっと天化を抱きしめた。 「わしもこのように愛らしい天化に会えなくなるのは嫌じゃのう…このことは二人だけの秘密じゃ」 「…うん!」 天化には元気な笑顔がよく似合う。 翌朝、流石に天化は我がままを言わずに太公望に手をひかれて青峯山紫陽洞に戻った。 「ただいまーコーチ!」 「お帰り、天化。迷惑かけなかったか?」 元気よく飛びこんできた天化を受けとめて道徳はぐりぐりと頭をなでた。天化は少しくすぐったそうにしつつ、その腕から離れ太公望に目配せした。 「大丈夫さ、ね、師叔」 「大人しいもんじゃったぞー」 そう、あれは二人だけの秘密なんさ。 流石の天化もこの話になると煙草をぽろりと落とした。 「俺っち、そんなことを…」 「しょーがないよ、太公望は柔らかくてあったかくて綺麗だもん」 「お、天祥、おぬしも口がうまいのう」 「本当のことだよ」 「…おぬし達、ますます似ておるのう…」 天化にもはや言葉はなかった。 夜になって部屋に戻ってからようやく二人っきりになれた天化は太公望を抱きしめて口付けをした。 「天化も大きくなったもんじゃのう」 初めて会ったときはこんなだったと、太公望は腰に手を当てる。 「あのころの天化は子犬のようで可愛かったのう…あ、今でも可愛いぞ」 そう言ってけらけら笑う太公望に、天化は流石に言葉がない。 「恥ずかしいからもうやめてほしいさ」 「そうか? こんなに立派になってと喜んでおるのだがのう…」 今は頭ひとつ分、天化のほうが背が高い。しなやかに程よく作り上げられた天化の体は青年のもので。あのとき手を握ってやった天化が今は自分を抱きしめる存在となってそばにいてくれる。 『お嫁さんにするさ…』 天化は覚えていなかったけれど、この言葉はあながち嘘でもなかったわけだ。 「…嬉しいのじゃぞ、天化」 「師叔…」 ひとりだと思っていた自分の心に小さく灯った温かい光。 「…師叔も結構可愛いさね」 「どこがじゃ?」 「どこが…って言うか…そうさね、閨の中なんかは特に♪」 「だぁほ(// ̄з ̄//)」 今は身を焦がす恋の炎となって――抱きかかえられて寝台に運ばれる太公望は、そんな天化が愛しかった。 「師叔…」 そのまま口付けて。夜の帳は彼らのもの。 ほんのちょっぴりむかしのことです。 小さな犬を拾いました。 子犬の名前は『こうてんか』といいました。 子犬は立派に育ちましたが 中身はやっぱり子犬のままです。 それでも結構、好きだったりします。 ≪終≫ ≪天化は子犬≫ 『師叔がウサギなら天化は子犬』という戯け話から発展した『迷子の天化を太公望が拾う話』です。道徳が…アホです。ごめんなさい。 でも子犬である必要はなかったな、と今ちょっと思いました。はい。 けどさ、みんなこういう話嫌いか?(好きだろ?) 如月は好きです(をいをい)。 どっかでみたシチュエーションだな…と思った方、忘れてください(をい!)。 そ・れ・と。エロ逃げました。これは可愛い天化が書きたかっただけだもん。 書きたかっただけだも―――ん!!ε=ε=ε=ε=\(;´□`)/ |