導きの風 周の国の初代王は名を姫昌と言った。彼は26人の后と99人の実子、一人の拾い子がいた。 晩年、太公望という軍師を得て殷王朝を放伐すべく立ち上がった。 が、寄る年波に勝てず、王位を得ないままこの世を去った。 姫昌の後継となったのは長子の伯邑考ではなく、次兄の姫発である。伯邑考は朝歌で妲己の姦計に係り、殺害された後肉餅となった。 そんなわけで現在周の王位にあるのは武王、実の名を姫発という。 武王はまったくやる気がなかった。 父親のことはこの世の誰よりも尊敬していたけれど、まさか自分が後を継ぐなんてぜんぜん考えていなかった。自分は兄の治めるこの西岐という一地域の、さらに小さな邑でも治めて一生を終えるんだと思っていた。なので兄が先に死ぬだなんて、彼にとっては青天の霹靂だった。 タナボタともいうべき形で即位した彼だったが、王として立った以上は国と民を守っていかなくてはならない。 が。 「カーッ!! やってられっか!! 毎日毎日!!」 「うるさいのう、黙ってやらねば今夜は寝れぬやもしれんぞ」 軍師に投げつけられた空の硯を片手ではっしと受け止めて、武王姫発ははあっとため息をついた。 「けどよー。ちっとも終わらないじゃん!! 終わったかと思ったらまた次の日もまたあくる日も書類の束じゃねーか、いや、束じゃねぇ! 山だ山。もうやってらんねーぜ!!」 そういって姫発は机の上の書類を腕で払い落として突っ伏した。 「もうやだ…」 そばにいた周公旦が突っ伏した姫発の上に書類を積みなおそうとすると、姫発は今度こそ拗ねて机の下にもぐりこんだ。 「…やれやれ」 周公旦と軍師・太公望――古名を呂望という――は盛大にため息をつく。こうなると日長一日かけて説得し宥めでも彼が机の下から出てくることはあるまい。 「どうします?」 「どうしようもないのう。あれがおらんでもやる仕事は泰山の如くじゃ」 黙々と書類に向かう軍師のうなじを見つめて、宰相様は柄にもなく頬を染めていた。 結局姫発は夕食も机の下で取り、これ見よがしにそこで眠ったのだった。 翌朝、呂望は天化を姫発のもとに遣した。見た目だけは似たような年頃の彼らはなにかと仲が良いのだ。 「すまんのう、天化。あのバカ王めにやってもらわねばならぬことがたくさんあるのじゃ。まったく、即位式のときの凛々しい武王はどこへ行ったのか」 「王様だって休みがほしいんさよ」 「わかっておるわ。これが終わったら少し時間をやろうと思っておったのに…」 そういって目を伏せた呂望の髪を天化はぽんぽんとなでた。 「師叔はこんなに優しいのになんでわかんないかねぇ、王様は」 「そりゃ、思いがけず王様になったのだからのう」 天化はもう一度彼女の髪を撫でて部屋の中に入っていった。 「王様ー」 「…なんだよ、天化か」 姫発は拗ねて机の下で膝を抱えて座っていた。 「朝ごはんさ」 天化は持ってきた盆を姫発に差し出した。彼はそれでも机の下から決して出てこようとはせず、にゅっと手だけを伸ばして朝食を得た。 「…俺、王様になりたかったわけじゃないんだ」 「王様…」 姫発の目元が僅かに潤んだのを、天化は見逃した。 「兄貴が朝歌で殺されたって聞かされて…遺体も返ってこなくて…親父だって、ぼろぼろにしたのはみんな、殷のせいだ。敵は討ちたいって思うよ。けど思うんだ、俺にはそれが重過ぎるって。王様じゃなくったって良かったんだ、みんなを引っ張っていくなんて柄じゃねーから。国のことはみんな旦に任せて、俺は戦場を駆け回るくらいで良かったんだよ…」 小さな国の長でいい、そうでなければ一武将でもいい。 父や兄の支えになれる自分でよかったのに。 まだ若いこの青年は重責に押しつぶされそうになっていた。 「…俺っちだって、母ちゃんと叔母さんを妲己に殺されてる。親父もすげー辛そうにしてた。天祥なんか、なんて母ちゃん死んだのかわかんないで、いきなり家中で朝歌を逃げ出してきたから、多分大変だったと思うさ」 「…天化」 机の下から、姫発はようやく顔をあげてくれた。 天化は小さく笑ってなおも続ける。 「師叔なんか、一族郎党皆殺しさ。俺っちも聞いただけの話だけど、師叔が12歳の時に人狩りがあってみんな殷の王様と一緒に墓の下だって」 「…ひでぇ」 「けど師叔は言ってた。もちろん敵討ちとか復讐とか、そんな感情がないわけじゃないけど、それじゃ同じ事を繰り返すだけだって。師叔はみんなが幸せに暮らせる世界を作りたいんさ。それがどんなに遠大でも」 (もしかしたら姫発の孫の代までかかるやもしれんのう) そういってけらけらと笑う呂望を思い出し、天化も小さく笑った。 「王様…姫発なら大丈夫だって、師叔は言ってたさ」 「…なんで?」 「んー? だって、王様は王様の器さ。少なくとも民はみんなそう思ってるさよ」 「天化…」 民を率いる時、その党首の呼び名は様々だ。王が統べる場合もあれば、民衆から選ぶ首脳の場合もある。しかし違うのは呼び名や与えられた特権だけで、その本質はいつだって民のために何かをなす存在であること、だ。 姫発が王として立たなくとも、民衆は彼を持って一族の長としたはずである。 「王様っていう立場にこだわることはないさ。王様はこれから何をしたい?」 「俺…俺は…」 姫発はぐっと拳を握り、机の下からようやく這い出してきた。 「俺は…」 じっと天化が見守る中、姫発はこう言った。 「とりあえず、休みが欲しい」 しばらくして、天化が部屋から出てきた。 「おお、天化。武王は?」 呂望が尋ねると天化は顔も上げずにくいっと親指だけで部屋の中を示した。見てみろ、というのである。そしてそのまま彼は立ち去った。 (なーんか変だのう?) 遠ざかっていく天化は廊下の角を曲がる。途端にバタバタと走り去る音が聞こえた。 呂望はますます不審を色濃くしたがとりあえず王が仕事を始めたらしいので部屋の中に入った。 「おーお、やっとるな」 「あ、ああ仕事する…さ」 「さ?」 聞きなれた語尾に呂望の耳がぴくりと動く。 少し大きめの靴でぺたぺたと歩くとなにやら筒状のものを踏んづけて転びかけた。天井が彼女の視界を掠めていく。 「うおう!?」 「危ない、師叔!」 飛び出してきた姫発に間一髪抱きかかえられた呂望はその顔を見て愕然とする。そして自分の感じた違和感に確証を持った。 「…天化ではないか。何ゆえにそんな格好をしとる。今流行のコスプレとか言うやつか?」 踏んづけた筒状のものは宝貝の莫邪の宝剣、天化が師である道徳真君からもらったものだ。それがこんなところに転がっている理由とは。 「一体何があったんじゃ!?」 「んー、それがさぁ」 天化はその場に呂望を抱いたまま腰を下ろした。姫発の格好をした天化もなんとなく可愛いなあと思いながら彼女はもごもごと話す天化を見つめていた。 「…王サマがさ。気分転換に服をとっかえっこしようっていうからそれくらいならいいかなって思ってさ。服をとっかえっこしたら王様、俺の身代わりよろしくって逃げちゃったんさ…」 「んで、仕方がないからそこに座っておったわけか」 「…あんまり王サマを責めないであげて欲しいさ」 呆れてため息をつく天化を見上げて呂望は大きな瞳をぱちくりさせた。 被害者であるはずの天化がなぜあのアホをかばうのかよくわからないのだ。 「王サマはまだ遊びたい盛りなんさよ。うにゃ。むしろ今の今まで遊んでたんさ。それがいきなり王様になれって言われて、王様になったけど自分の思ってた王様と違ったんでイライラしてるんさ。きっとそうさ」 そういって笑った天化の顔が不思議と姫発にかぶってみえて、呂望は思わずこっくりと頷いた。 理想と現実の間に揺れる若き王の心がわかるのはやはり同じ世代の男なのだろう。 姫発を支えるのはここにいるみんななのだ。 彼が自分は一人ぼっちの王でないと心から知り得たとき、姫発は稀代の王となれる。例え彗星のように短い在位であったとしても。 「…どうあれ、あれが王位についておることは紛れもない事実じゃ。天化を巻き込んで脱走するとはけしからん。お仕置きは必至じゃ」 お主もな、と言いながら、呂望は天化に口づけた。 「よう似合うておる…」 まだ日も高いというのに執務室の二人はぎゅっと抱きしめあっていた。 そしてその日の夜。 すっかり日も暮れたころ、天化の格好をした姫発は西岐城の城門へたどり着いていた。 「う〜〜〜ん、よく遊んだぜ。天化のやつ替え玉だってばれてねーだろうな」 ここでみなさん、一斉に『んなわきゃない!』と突っ込んでいただきたい。 とりあえず姫発は城に入ろうとして門番に止められた。 「本日は閉門した。また明日来るがよい」 門番の強い口調など、姫発は意に介さなかった。王様の自分と下位の門番とでは身分が違うので顔を知らないものがいても不思議ではないのだ。なので自分が王様だと言えば問答無用で通してもらえるものと思っていた。 「ちょ! 俺だよ、王様だよ!」 そういって姫発が強引に通ろうとするのを門番は槍を重ねて押し留めた。 「ならぬ。これ以上無理強いするなら不審者として召し取る!」 随分と厳しい門番であるが、これくらい厳しくなくては勤まらない。姫発はうんうん頷いて次策を取り出した。 「じゃあ、軍師の太公望に取り次いでくれよ! 王様が戻ってきたって!」 門番は軍師の名を出されて顔を見合わせた。しばらく何事かを話し合って、ひとりが中へと消えていった。もう一人は彼の身元がはっきりするか命令が下るまで見張っているつもりなのである。ややあって城内に消えていた門番の一人が現れた。 「武王姫発様におかれては本日外出はなさっておらぬ。また、黄天化殿は既におやすみとのこと。ゆえに両名の名を騙る者は城内に入れてはならぬとの軍師様よりのお達しだ」 「んなアホな! 俺が王様なんだよ!! 中に入れてくれ!!」 「ええい、うるさいぞ! 今日はもう誰も入れてはならぬとのきつい御下命だ!! ごちゃごちゃ言わずに帰るがよい!!」 「あーあ、わかったよ!!」 姫発はべーっと舌を出してそのままのっしのっしと正門を後にした。 何も正門だけが入り口ではない。行商人のための通用門とか、侍女たちのための勝手口とかあるもんね♪ と姫発は意気揚々と通用門に向かった。 するとそこに普段はあまりいない門番が通常の3倍もいるではないか。勝手口も同様で、ここから入る侍女たちも名前と外出理由を述べてからでないと入城できなくなっていた。 「う・うそだろ…」 ほんのちょっぴり外出しただけで何でこんなことに… 姫発はその場にくず折れた。 「武王さーん!!」 のんきそうな声に姫発はちょっとむっとしながら顔を上げた。そこには太公望の愛獣・四不象と押しかけ弟子の武吉がなにやら抱えて宙に浮いていた。 「ちょうどよかった! カバ!! 俺を乗せて城に入れてくれ!!」 ここで姫発は言葉を選ぶべきであった。彼は四不象の逆鱗にあっさりと触れてしまったのだ。そしてそれはご主人である太公望からの命令を実行するきっかけともなった。武吉はあーあとため息をつく。 「キーッ!! ボクはカバじゃないッス!!」 「武王サマ、お師匠様はスープーをちゃんとスープーと呼んだら乗せて帰ってくるようにって言ってましたよ。でもカバって言ったらこれをおいて帰ってくるように言われましたんで、帰りますねー」 「えっ…ちょっ…」 そういうと武吉は持ってきていた荷物を放り投げてそのまま城内へと戻っていった。下に降りなかったのは無理やり騎乗されるのを防ぐためである。 「明日の朝になったら入れてやる、だそうですから頑張ってくださいねー」 武吉の笑顔はいっそ小気味よかった。 姫発は与えられた荷物をごそごそとあさる。寝袋と、水筒とおにぎりが3個。これで一夜を明かせというのである。宿代をくれないあたりが手厳しい。 「俺、本当に王様なのかなぁ…」 ふとつぶやいた言葉に、姫発ははっとして口元を覆った。 王様としての仕事はいやがって逃げ出したのに、都合のいいときだけ王としての自分を持ち出す。まるで思春期の子供が自分を大人と言い、子供でもあると言い張るのに似ていた。 父・姫昌は王として立つ事はなかった。ただこの一地域を治める盟主として殷王朝に使えていた。彼は主としての自分の立場を混同することはなく、長子・伯邑考が殺されても紂王を殺逆するとは公言しなかった。ただその思いを内奥のさらに奥に秘めたまま、西伯侯として生涯を終えた。公私混同することのなかった父である。常に民を思いやり、家族を殺されても騒がず、焦らずにただじっと時期を待っていた父のようになれるのだろうか。 「親父…」 なんで死んじまったんだよ… 姫発は傍らに置いた荷物をぎゅっと抱きしめた。 「さて、おぬしにもおしおきをせねばならぬのう…」 武吉と四不象の報告を受けた呂望は予想通りの展開に情けないやら呆れるやらのため息をつき、二人を下がらせた。 天化はいつもの服に着替えて軍師の前に立たされている。 「俺っちもおしおきさぁ?」 「当たり前じゃ、姫発にまんまと利用されおってからに」 「面目ないさ…」 天化はしゅんとうなだれた。しかし呂望は面白そうに笑っている。 「で、俺っちはどんなおしおきが待ってるさ?」 姫発は今夜ひと晩外に放り出されるという子供のような罰を受けている。もしかして自分も外に放り出されるのではないかと天化はどきどきしていた。外に出されるのが怖いわけではない。問題はいい年をして外に出されるという屈辱を味わうことなのだ。 「なに、外に出したりはせんよ。わしはこれから風呂に入ってくるからのー。部屋で待っておれ」 「あ、ああ、うん」 そう言うと呂望はお気に入りのアヒルの玩具を連れてお風呂に向かった。 (なんだ、おしおきっていってもいい感じのおしおきかも…) 天化は若いのでそういうことを思いつく。今夜は寝かさないつもりならこっちもそのつもりで頑張るぞ、なんて思いながらぶんぶんと腕を振りまわず。胸の前で十字に組んで軽く柔軟体操などしてみる。 しかしこれが仇になろうとは、このときの天化は考えてもいなかったのだ。 待つこと30分ほどで呂望は風呂から戻ってきた。髪を洗ったのか、黒髪が濡れて艶めき、彼女をいっそう引きたてた。上気した肌は薄紅色に染まってこれまた美しい。これが自分の恋人なのだというから天化は嬉しくてたまらない。 「よいか、天化」 「ん?」 「これからおしおきのスタートじゃ。明日の朝、日が昇るまでわしに指一本触れてはならぬぞ」 「…ハイ!?」 天化は思わず煙草を口から落とした。呆然とする天化の代わりに呂望が煙草を拾って捨てた。 「翌朝雨が降っておったら、わしが良いと言うまでとする。もしわしから触れそうになっても必死で逃げよ。良いな」 「もし、失敗したら?」 「そのときは姫発ともども翌晩も叩き出すゆえ覚悟せい」 楽しそうな呂望とは対照的に天化はがっくりと肩を落とした。そして今夜頑張るために集めた動力源がムダに自分を高めているのに気がついた。 「じゃあ、一緒に寝るぞ」 「なんでさ!? 指一本触っちゃいけないのに!?」 「アホか、別々に寝たら簡単に目標を達成してしまうではないか。ほれ、はよこい」 これから天化の受難の夜が始まる。 そのころ姫発は与えられた3個のおにぎりを一口一口しっかりと噛み締めていた。 米は民が汗水たらして作ったものだからひと粒たりとも粗末にしてはならぬと幼い頃から父に言われた言葉が今も身に染みているからである。 米だけではない。布も、この水筒も、城もみんなみんな民が自分たちに与えてくれているものだから大事にしなさい、と。そしてその代償として自分たちは命を賭して民を守っていくのだと。 力強かった父はもういない。 でも民が自分を支えてくれるのなら、きっとやっていけると思った。 いや、やっていかなければならないのだと。 (おしおきじゃない…拷問さ…) 天化は呂望の寝台でぷるぷる震えながら一睡も出来ないでいた。呂望は風呂上りに来ていた木綿の羽織一枚だけで寝台に転がってすぴすぴと寝息を立てている。肌蹴た胸元から小ぶりの乳房がちらちらと見えて、天化はたまらずにころりと寝返りを打った。見なければいいのだ、見なければ。 そうは思って背を向けるけれど、見えないなら見えないでいっそう気になって悶々とするばかり。 (ぐあああああああ) 呂望の手が睡眠時の無意識で伸びてくるのも避けなくてはならない。 どうしたものかと寝台の隅に逃げた天化の目にかさかさっと走る黒い物体が映った。 「???」 その物体はかさかさっと走りいくと天化の視界から消えた。 そこで呂望が浅い眠りから目を覚ました。 「ん〜〜〜…ん?」 こしこしと目をこすって呂望はぼんやりと目の前の物体をみる。そしてそれがなんなのかはっきりと認識すると声にならないほどの叫び声をあげた。驚いた天化は寝台から転げ落ち、腰をさする。 「い、一体何さ!?」 「ててててて、天化ぁああああああ」 天化は続いて寝台から落ちてこようとする呂望を受け止めずに避けた。呂望はそのまま落っこちる。 「何をするんじゃ天化、受け止めぬか!!」 「指一本触っちゃいけないのに受け止めたらダメさー!!」 呂望はそこで初めて自分の与えた課題を思い出して打ち付けた部分を撫でた。が、今はそれどころではない。 「よい、もう許すから」 天化が持ってきてくれた灯りに呂望の顔が浮かび上がる。彼女は半泣きで今にもしがみつきたがっている。 「わかったさ、おいで」 呂望は広げられた天化の腕の中に真直ぐに飛び込んだ。彼の腕の中は青年らしい熱さに満たされていた。 「どうしたさ、師叔。怖い夢でも見たさ?」 「…ごきかぶりが…目の前におった…」 「ごきかぶり…」 ああ、と天化は納得して呂望の背中を撫でた。小さい背中に大きなものを背負った軍師にも怖いものがあったとは。 「ど、動物とか虫は大体平気なのだがあの…ご、ごきかぶりだけはどうも…」 「うん…」 天化は呂望に見えない様に微笑んだ。そして懐かしい思い出に浸る。天化の母・賈氏もこの虫が大嫌いだった。武成王・黄飛虎の妻としていつも凛としていた母もごきかぶりが出ると大騒ぎをしていたものだ。皿を割り、鍋をひっくり返すくらいならいいのだが、そこは武成王の妻らしくごきかぶりを発見して一声叫んだあと刀剣を持ち出してごきかぶりの抹殺を行うのだ。 「ええい、台所を害虫めが、いずこへ消え去ったか…」 「母ちゃん、怖い…」 天化は呂望を腕に抱き、何度もその背を撫で上げた。 「もう大丈夫さ、ごきかぶりは師叔が大声出したからどっかいっちゃったさ」 「もう嫌じゃ、この部屋では寝られん」 「じゃあ武吉っちゃんに言って他に部屋を用意してもらうさ」 覗き込もうとすると呂望は何故か顔を背けてしまう。軍師ともあろうものが虫一匹に声を上げたのが流石に恥ずかしいらしい。 「師叔」 「ん…」 結局彼女の声が聞こえた武吉がすっ飛んできて、呂望はその夜天化とともに部屋を移ったのだった。部屋は武吉が明日一日かけて徹底的に掃除をするという。 「天化…」 「大丈夫、俺っちがそばにいるさ」 「うん…」 呂望は天化の腕枕ですやすやと眠った。 この人が守りたいものと、彼女自身をずっと守って生きたい。 天化はそれだけを思いやっとのことで寝ることが出来た。 翌朝早く、呂望は天化とともに城の外に転がしたままの姫発を迎えにいった。彼は寝袋に包まって眠っていた。 「きーはーつ、起きよ」 「ん〜〜〜」 寝起きの悪い姫発はここが城外だということも忘れているようで、暢気にあと5分と言った。 呂望と天化は顔を見合わせて噴出した。 「このまま運んでやろう」 「ほい、俺っちに任せるさー」 そういうと天化はそっと寝袋ごと姫発を担いだ。 それからしばらくして目を覚ました姫発はばつが悪そうに朝食の席に現れた。 「…おはよー」 「うんおはよう。さっさと飯を食え。朝の会議を始めるぞ」 「あ、う、うん」 昨日の夜外に出されていたことなど、誰も気にしていないようなので姫発はもそもそと朝食を取った。 会議はいつもどおり物資の調達と軍備に関することが主な議題であった。 殷の首都である朝歌へ向かって進軍とともに道を整備すること、南伯と東伯のところに仙道を派遣して軍備が整うよう援助することが決定された。 「では以上のように進めるので担当各位はそれぞれに動いてもらいたい」 姫発の締めの一言に軍師を含む臣下一同は左の拳を右の手で包み掲げるという礼をとった。王命のままに、という印である。 彼を王と認めなければ誰もやらない仕草である。 自分が即位してから誰も彼も、姫発に向かってやることなのにこんなに染みたのは久しぶりだった。 だから、彼らを失望させないようにせめて王らしくしていなくてはならないのだ。 会議が解散した後、姫発は呂望だけを残した。 「…昨日はごめん。天化にも迷惑かけちまって…。俺さ、なんで王様なんかやってるんだろうって。親父が死んでから親父みたいに頑張らなくっちゃって思いもしたけど、なんか思ってたのと違うんだよな。だからさ、俺に出来ることをしようと思って」 「うん」 「俺はさ、新しい国の礎だけ作ろうと思う。そのあとのことはまたそのとき考えるよ…」 ぽつりぽつりと呟くように言った姫発に、呂望は温かい視線を向けた。 「おぬしはおぬしらしく、徐々に王になっていけばよいのじゃ。大事なのは王という地位に安住して紂王のようにならぬことじゃ。いつも国と民のことを考えられる王であれ」 「…うん」 姫発は、言い終わらないうちに呂望をぎゅっと抱きしめた。 「親父は、あんたを欲しかったんだと思う。俺もあんたが欲しい」 「それはダメじゃ」 「…王様なのに」 「嫁は別に見つけてやる。とりあえずだな…」 呂望は少し上のほうを見つめて考えを決めた。 「昨日サボった分、みっちり仕事してもらうからな!」 「はう…そうでした」 がっくりと肩を落とした姫発の背中をバンと押してたたき出す。転ぶ様にして部屋から出た姫発は待ち受けていた旦によって執務室に連行され、ほぼ24時間に渡って監禁状態にあった。 そのころ天化は武吉とともに呂望の部屋の大掃除をしていた。 呂望は潔癖症というわけではない。ただ武吉は大好きなお師匠様の安眠を妨害するものは許さないのである。 「箪笥の裏まで徹底的にお掃除しましょうね、天化さん」 武吉は住宅掃除のバイトをしていたというだけあって手際はよかった。壁に出来た小さな穴もさっと塞いでしまい、昼までに全工程を終えてしまうほどであった。 「誰も一人で生きておるわけではないのじゃ…」 蒼天に絹雲が静かに流れている。日差しが和らぐこの時間に呂望は空を見上げるのが好きだった。 「あれは今に稀代の王となるであろうな。のう、姫昌」 『私の息子だからな…』 ゆらり、と揺れる姿は若き日の彼のまま。もうこの世のどこにもいない彼は呂望の前だけに姿を見せる。 『もう少し、生きていたかったかな』 「でも後悔はしておるまい。おぬしは姫発にすべてを任せたのだろう?」 『あなたがいればこそだよ、呂望』 触れ合うことは出来ないけれど、姫昌は呂望の頬にそっと手をそえて口づけた。 『いつでもあなたのそばにいる』 「うん…」 そういうと彼の姿は風に溶けていった。はるか中空を泳ぐ絹雲にまぎれてもう見えなくなった。 周王朝第二代の王は武王。姓は姫、名を発という。 殷王朝最後の王、紂王を放伐し新王朝を樹立したがその在位はあまりにも短かった。殷周戦争の折に受けた傷がもとでこの世を去ったのである。 後の世に父・文王とともに聖王として祭られる彼らの傍らには常に軍師・太公望の姿があった。 武成王の子、黄天化は紂王の臣下によって討たれ封神されるがこれはまだ先の話である。 「王様、少し休んだら?」 「休憩も大事じゃぞ。のう、旦よ。食事くらいちゃんとやらんと死ぬぞ」 旦の監督の下、仕事を続けていた姫発はおなかがすいたと訴えていた。 「そうですね、兄上に死なれたら困ります」 誰しも一人で生きているわけではない 支えあっていることも知っている 導き、導かれ歩いていく ≪終≫ ≪飛んでいけそう≫ うあああああああゞ(゚∀゚ )ノ 鳥になって飛んでいけそうだよ。 王様ってなんだって悩む姫発の話を書こうと思ってなんだコレwww 楽しかったからまあいいや(コラコラ) 姫昌様はいつもこんな感じで望ちゃんのそばにおりますwwww |