誰かの願いが叶うころ ノシシが軽く熱を出したのはその日の夕方のことだった。寒いからと何度も上掛けを直してやったのに寝相の悪いノシシのこと、何度も何度も跳ね除けて結局冷やしてしまったのだ。 いつものようにご飯を作っていたゾロリはなんだかノシシがふらふらしているのに気がついて額をあわせてみる。やっぱり熱かった。ほっぺも真っ赤だ。 「もー、なんで早く言わないんだよー」 「んー、なんか鼻水だら〜んってするなーって思ってただよ」 そういうとノシシはふわっとゾロリに抱きついた。 「こら、ノシシ」 「んあ〜〜〜」 ノシシは大好きなせんせに抱っこされても熱のせいでいまいちピンとこない。ほわほわと柔らかい乳房に顔を埋めているというシュチエーションなのにもったいない。 ゾロリは汗で湿りつつあるノシシの髪を撫でた。 「あったかいものを食べてあったかくして寝ような」 「ほわ〜〜」 イシシとプッペも心配そうにノシシを見つめていたのだがゾロリが大丈夫だよと微笑むと彼らもほっとしたのかやっと笑みを取り戻した。 ご飯のしたくはイシシとプッペに頼んで、ゾロリはずっとノシシを抱っこしていた。熱が上がってきたノシシが何故か自分から離れるのを嫌がり、泣き出したからだ。 もちろんゾロリも一晩中看病するつもりでいたからノシシを抱っこしたまま夕飯を済ませ、それから魔法の国いちばんの薬剤師であるダポンが調合してくれた薬を飲ませた。 「よしよし、泣かなくていいから。薬も飲んだし寝ような」 「んだ…」 汗と涙と鼻水でべとべとのノシシの顔を拭いてやりながらゾロリはその背中を撫でた。 「イシシとプッペも寝ていいよ。俺がずっと見てるから」 そう言われるとイシシとプッペは顔を見合わせたが、邪魔にならないように寝ることにした。 「んじゃー、なんかあったら起こしてほしいだよ」 「うん、頼りにしてるぞ」 ふたりはもう一度ノシシを覗き込むとちいさく頑張れと声をかけて寝ることにした。 縞の合羽でくるりとくるんだノシシを抱き、彼が穏やかに眠れるように少し体を揺すった。 抱きしめて祈るのはノシシが何事もなく回復すること。 そうして思いを込めることで薬はよく効くのだとダポンは言っていた。 「せんせー」 「どうした?」 「熱いだぁ〜〜」 ノシシはがばっと顔を上げ、合羽の端から足をにゅっと出した。外気に触れてほっとした顔を見せたノシシだったがゾロリに戻されてしまう。 「こら、足出すな。治らないぞ」 片足出したら戻され、もう片方も出せばそっちも引っ込められる。 「でもあっついだぁ〜」 暑さを訴えるノシシを見れば顔がトマトのようで、さっき拭いたばかりの額にもう汗が滲んでいた。辛そうだが我慢してもらわなくてはならない。風邪を引いたら温かくしておくのがいちばんなのだ。 しかしだいぶ汗をかいているので喉も渇いただろうと思い、水を飲ませてやることにした。 が、ノシシを抱っこしているので動くに動けない。 しまったと思うのだがどうしようもない。困っているとプッペが起き出してくれた。 「プッペー」 ゾロリが小声で呼びかけると、プッペはそっと寄ってきた。 「どうしたっピ?」 「悪いんだけど、お椀に水汲んできてくれないか?」 「わかったっピ」 プッペはとことこと歩き出し、水を汲みに行ってくれた。ついでに手ぬぐいも濡らしてくれた。それで拭いてやったのでノシシはよりさっぱりしたようだった。 水を飲ませてやると乾いた唇が柔らかく湿っていく。 「ありがとう、プッペ」 誉められてプッペは嬉しそうに微笑んだ。 「ノシシさん、大丈夫っプ?」 「うん、だいぶ落ち着いてきたし。イシシはよく寝てるな」 「交代で寝ようって言ってたんだけど…」 プッペがそういうとゾロリは小さく笑った。 「心意気だけもらっておくよ。起きてくれてありがとうな、プッペ」 「なにかあったらまた言って、ゾロリさん」 ゾロリはプッペの頭を撫でた。 プッペはイシシのとなりにまたころんと横になった。 あの子も随分何でも出来るようになったな、と思った。傍から見れば随分無茶をしているように見えるだろう自分たちの旅にねを上げることなくついてきている。きっと元来が優しくて頑張りやさんなんだろう、ただちょっとおどおどしすぎてはいるけれどそれさえなければ。 すやすやと寝息を立てるノシシを抱いたまま、ゾロリは小さく微笑んだ。 そして寂しそうに視線を落とす。 ノシシの額に手を当てると汗でしっとりと濡れていた。 「プッペもお前たちも、いつか俺の手を離れるのかな…」 親にとって子供がいつまでも子供であるように、お師匠様にとって弟子はいつまでも弟子で、いつか自分のそばを離れていくのだと知っていても認めたくなくて。 「いつまでも抱きしめていられたらいいのにな…」 叶わないと知っているのに、願う。 自分が父母とともに過ごした時間があまりにも短かったためか、ゾロリは弟子たちに微妙に甘い。 けれど弟子たちが確実に成長しているのを、ゾロリはすぐにでも知ることになる。 翌朝、ゾロリが目を覚ますとノシシはまだ眠っていた。 熱はすっかり下がっていて顔色もすっかりよくなっていた。まだまだりんごのほっぺだがノシシはもともとこうなのでさして心配しなかった。 「よかった…」 「ゾロリさん、おはようっピ。ノシシさんは?」 すぐ近くにプッペがいて、ノシシを覗き込んでいる。 「もう大丈夫だよ。心配させたな」 ゾロリはプッペを撫でてやろうと手を上げる。撫でてもらっている時、プッペはいつもと違うことに気がついたのだがそのときはそれがなんだかわからなかった。そうしているうちにイシシも起き出してきて、昨晩と同じようにご飯を作ってくれた。 「せんせ、あーんして」 「甘えるな、もう自分で食べられるだろうが」 さすがダポンの妙薬、すっかり熱も下がってフルマラソンにも出られるほど元気になったノシシは未だにゾロリに抱きついたまま離れない。 「重いんだよ、おーりーろー!」 「いーやーだー!」 ゾロリはなんとかノシシを引き剥がした。ノシシは不満そうに頬を膨らませたが風邪は治ったのだから仕方がない。 彼女も起き上がろうとして体の節々が痛いことに気がついた。 「くぅ〜〜、昨日一晩中同じ姿勢でいたから…腰がっ…」 「ゾロリさん、大丈夫っピ?」 プッペに助け起こしてもらいながらなんとか鍋までたどり着いた。 「イシシ、ごはん…」 「はいだー」 こんもりとよそってもらったごはんを、ノシシはあっという間に平らげたのだが、ゾロリは何故か食欲がわかなかった。箸をつけようとしては下ろし、持ち上げては下ろす。なんとか口にしてもそれ以上は受けつけない。 「せんせ、大丈夫だか?」 「うん…なんか食欲がなくて……」 昨日ひと晩中ノシシを抱っこしていて疲れたんだと思った。三口ほど食べたご飯をイシシとノシシに分けてやり、その日の朝食は終った。 「んじゃ、オラが片して来るだよ。せんせは休んでて」 「悪いな、イシシ」 そういってごろりと横になったゾロリのそばにノシシが不安げに座っている。 「せんせ…もしかしておらのせいで…」 そっと触れるノシシの小さな手に、異常な熱さが感じられた。熱があるらしい。心なしがどんどん呼吸も荒くなっている気がする。 「せんせ、せんせ!」 ゆさゆさとゆすってみるとゾロリは少しだけ億劫そうにノシシの頬に手を添えた。 「大丈夫だから…心配するな…」 あきらかにノシシの風邪がゾロリに感染(うつ)っていた。自分のせいだという罪悪感ともしせんせが死んじゃったらどうしようという不安にかられ、ノシシは大声で泣き出した。その声を聞きつけたイシシが慌てて戻ってくるとその辛さがわかるのかイシシさえも泣き出した。 「うわ〜ん、せんせえええええ」 「死んじゃやだぁあ〜〜」 「勝手に殺すな…そして騒ぐな、大丈夫だから…な?」 伸ばされた手が弱々しい、と二人は思った。でもどうしたらゾロリを助けられるのかわからない。おろおろとするばかりのふたりにプッペの声が響いた。 「泣いてる場合じゃないっピ!!」 はっとして二人がプッペを見ると、彼は泣くのを堪えているように見えた。ふるふるとわななく体を必死で押さえている。 怖くて怖くてたまらないのは自分だって一緒だ。泣いて泣いて、まだ足りないってくらい泣けばゾロリが助かると言うのならいくらでも涙を流そう。けれどそれでは彼女を助けることは出来ない。 プッペは昨夜のことを一生懸命思い出していた。おばけは病気をしないから看病の知識はない。でも昨日ゾロリがノシシにしていたことを彼女にもしてあげればいいんだと思った。 「ゾロリさんにお薬を飲ませてあげて、それから暖かくしてあげて…汗も拭いてあげて、えっとそれから…」 「おら、水汲んでくる!」 立ち上がったのはノシシだった。弟子の弟子であるプッペに先を越されたのでは立つ瀬も浮かぶ瀬もないというものだ。おらも行くというイシシとふたりで必死になって走った。 「イシシさん、ノシシさん…」 二人が行ってしまうとプッペはゾロリの横にちょこんと座った。額に触れると熱くなっていた。 「ゾロリさん…」 「ありがとう、プッペ…」 ゾロリはかすかな声で言った。差し出された手をそっと握り、プッペは布団代わりに来ている縞の合羽の中に戻そうとした。けれどゾロリは少し強い力でそれを遮る。 「ゾロリさん、冷やしちゃうから…」 「気持ちいいんだ、プッペの手…握ってて…」 細くて綺麗な指をじっと見つめ、プッペはまたゾロリを見つめた。熱で苦しいはずなのに微笑んでいるのはどうしてだろうとずっと思っていた。 「プッペ…」 「なあに?」 ゾロリはごそごそと胸元をあさると携帯電話を取り出した。 「ピ?」 「あのな、ここの茶色いボタン、押してくれるか。長めにな」 「ここっピ?」 携帯電話の通常ボタンの下に隠されていた小さな茶色いボタンを、プッペは恐る恐る押してみた。音もしないし、光も出ない。でも隠されていたということは大事なボタンに違いない。 「ゾロリさん、これ…」 「うん、秘蔵ボタン。イシシとノシシには教えてない。あいつらは…絶対に押さないから」 彼らが絶対に押したくないボタンとはなんだろう。 にっこり笑うゾロリはすうっとまぶたを落とした。 「! ゾロリさん! ゾロリさん!!」 握った手を解けないまま、プッペはゾロリを呼び続けた。 その背後でがさがさっと草の鳴る音がする。 プッペは振り向いた。 「ピ…」 「…初めて使ったね、ゾロリ」 現れたその人にプッペは安心したのかぽろりと涙をこぼした。 そのボタンの意味はすぐにわかった。 なぜ、イシシとノシシが押したがらないのかも。彼らはその男に頼るくらいなら自分たちで何とかしようと思うに違いないからだ。ゾロリもそんな彼らの気持ちがわかるからあえて教えないでおいた。しかし今回のようなことがあるならやはり教えておいたほうがいいとも思う。 「軽い風邪だよ。数日安静にしていれば大丈夫だ」 「よかっただぁ」 「よかったっピ」 部屋から出てきた男をプッペは頼もしそうに見ていた。 ひとりで何でも出来るゾロリが唯一頼りにするその男はプッペのもうひとつの目標でもある。 「ガオンさん、ありがとうっピ」 プッペがそういうとガオンは少し照れたように笑った。 「いや、大事な人を守りたい気持ちは君たちと同じさ」 イシシとノシシにしてみればガオンはゾロリせんせにちょっかいを出す悪い狼だ。ライバルでもある。けれどこうやってさらりと現れてさらりとゾロリを助けていくあたり、小憎らしいと言うか癪に障るというか。早く大きくなってゾロリを守りたいのに自分たちはまだそれも出来ずにただ泣いていただけだった。プッペに大声を出してもらわなかったらきっとゾロリを最悪な状態まで追い込んだかもしれない。そう思うと今回はガオンを睨み据える資格はないように思えた。 今眠ったばかりだというゾロリの部屋のドアを見つめ、イシシとノシシは後ろ髪を引かれる様にしてその場を離れた。 「食欲はあるみたいだね」 「うん。でも少しだるい、喉も痛いし…」 そういうゾロリの額に手を当て、首筋に触れるガオンはそれでも幸せそうに笑っている。決してゾロリが病気であることを喜んでいるわけではない。ただ珍しいシュチエーションを体験しているのが嬉しいのだ。倒れたゾロリを看病するなんて結婚できるまではないだろうと思っていただけにひとしおだ。 リクライニング式のベッドの背もたれを起こしてもらい、ゾロリはゆったりと息をついた。片に掛けられたケープは上等な純毛だ。 「…なんか楽しそうだな、ガオン」 「ああ、楽しいよ。君の看病を出来るんだからね。千載一遇のチャンスだ」 「風邪が感染(うつ)っちゃうよ、王子様」 「君からの風邪なら構わない」 傍で聞けば恥ずかしいようなことも平気で言ってしまうこの王子様のせいで、ゾロリは少し熱が上がった様に思った。 「な、なあ。イシシたちはどうしてる?」 ゾロリの問いに、ガオンは林檎を剥く手を止めて少し考えた。 「…まだ泣いてる?」 「いいや、もう泣いていないよ。でも元気がなかったな」 「…だろうな」 肩掛けを引きよせ、外の景色に目をやる。もうすぐ夕方になろうかという黄昏時は庭師もメイドさんたちも外での仕事を終え、戻ろうとしていた。代わりに夜勤の衛兵が出て行く。 「怖かったんだと思うよ」 「君が倒れたことが?」 ガオンの問いにゾロリはこっくり頷いた。 「死なないと思っている人が倒れるって、怖いもんだから。このまま死んだらどうしようって。助け方を間違えて、自分が殺したらどうしようって。意外と何も出来ないんだよ」 遠い昔の春、たんぽぽの花が綿毛になる頃。 元気だったゾロリの母は突然倒れた。過労だった。母が倒れるとすぐに近所の人を頼って病院に運んでもらったのだがすでに亡くなっていたのだ。 もう、目を開けない。 どんなに呼んでも泣き叫んでも、起きてはくれない。 その温かい手で撫でてくれることもない。 あの時の感情を、ゾロリは今でも忘れない――大事な人を早く亡くしてしまう怖さと寂しさを。 だから。 「ああ見えてイシシもノシシもプライドだけは一人前だから。お前に頼るくらいなら自分たちで何とかするっていつも言ってたけど…」 「あのボタンを押したのはプッペ君だね」 「あのときはプッペがいちばん冷静だったから」 「何で君が自分で押さなかった?」 言われてゾロリはそっぽ向いた。確かに彼の言うとおり、自分で押せばよかったのだ。 彼女の態度にガオンはうさぎの形に切り終えた林檎を置いてぐりぐりと頭を撫でた。 「君もあの双子と同じだろ。なるべく私に頼りたくない、と」 「だって」 「だってなんだい。私は君の婚約者だよ? 遠慮なく使ってくれていいんだから」 「…こんにゃく?」 「婚約。お決まりのボケはいいから。林檎でも食べて早く寝なさい」 ぽんぽんと頭を撫でられるのは不思議と心地いい。 きっとガオンのことを好きだから、そういう何気ないことでも気持ちいいんだと思う。 「なあ、ガオン」 「ん?」 「…イシシたちのこと、頼むな」 お前だけが頼りだから、と止めを刺してゾロリはくすくす笑った。 おんぶに抱っこでとことんまで甘やかして、甘えて、そして愛したい。 けれど世界はそんなに優しくないし、いつか避けられない別れの日が来るから。そのとき一人で歩けるようにある程度の距離は必要だと知っている。 こんなときだけ、許してください。 ガオンはゾロリに頬に口づけた。 「本当なら唇にしたいところだけど…私まで風邪を引いたら、君に頼まれた弟子たちの面倒を見られなくなるからね」 「頼りにしてる…」 ガオンは小さく微笑むと静かに部屋を出た。 夕飯はプッペとメイドさんが持ってきてくれた。イシシたちのことを聞くと彼らも今ご飯を食べているという。プッペだけはご飯を食べないのでゾロリの様子を見に来てくれたのだ。 「いつもどおり食べてるか?」 「うん、いっぱい食べてたっピ」 「そっか。じゃあ俺も早く元気にならないとな」 食事をするゾロリを、プッペは嬉しそうに見つめている。 「プッペ、頑張ってくれたな」 「ピ?」 ゾロリの横に座っていたプッペが小鳥のような声で反応した。 「ボク、何もしてないっプ」 「いや、出来たんだよ」 「…ボクが?」 きょとんとするプッペにゾロリは優しく微笑みかけた。 「イシシもノシシもおろおろ泣いていた時、プッペは泣くなって言ってくれたろ。それでふたりとも自分のやるべきことを思い出したんだ。…プッペだって怖かっただろ」 「…怖かったっピ」 おばけの森がだんだん荒んでいくのに何もできなかった自分を思い出した。 ただ怖い怖いと思い、誰かが何かしてくれるだろうと願い、動かない自分の弱さを正当化した。けれどゾロリと出会って思うだけではどうしようもないんだと思い知らされた時、彼は自分のなすべきことを知った。出来るかどうかはわからないけれど、やらないで後悔するよりはうんといい。 だからあの時叫んだ――泣いてる場合じゃない、と。 「なかなか言えることじゃないよ、プッペ」 「ゾロリさん…」 プッペはエヘへと笑った。 その笑顔に、ゾロリはふと気づく。あの時プッペの手が気持ちよかったのは彼の思いが温かかったからなのだ、と。 プッペの手はいつのまにか大きく温かく、そして強くなっている。 「プッペ」 「ピ?」 「…ありがとうな」 もう何度言われたか分からないお礼の言葉に照れたプッペはその拍子にベッドから転げ落ちてもまだ笑っていた。 その夜のことだった。すっかり寝静まった夜の廊下で巡回中のメイドさんが何か堅い物とぶつかった。 「きゃあっ!?」 「うわととと」 お互い転びそうになったのを必死で堪え、メイドさんが懐中電灯を向けるとそこにいたのはプッペだった。 「プッペさん、どうなさったんですか?」 「大変だっピ大変だっピ大変だっピー!!」 「何事だ、騒々しい」 騒ぎを聞きつけたガオンが研究用の白衣のまま出てきた。メイドさんは王子の登場に居住まいを正したがプッペはガオンの白衣に縋った。 「大変だっピ!!」 「何があったんだい」 「イシシさんとノシシさんがいなくなったっピー!!」 「なんだって!?」 メイドさんもはっと声を上げる。 「巡回中に見なかったかい?」 王子の問いかけにメイドさんはおろおろとしながらも応えた。 「は、はい、私は先程まで東棟をまわっておりまして、こちらの西棟には先ほど…申し訳ございません」 「いや、謝らなくていい。君のせいではないよ。いなくなったと気がついたのはいつだい?」 今度はひざを突いてプッペに尋ねる。プッペも先ほど目を覚ました時にいないことに気がついたのだという。トイレかと思ってしばらく待っていたのだがトイレには誰もおらず、テーブルの上の書置きを見つけて初めて気がついたのだと言った。 『おらたちはせんせのでししっかくだ。 さよならだ。ばいばいだ。 イシシ ノシシ』 ひらがなだけで構成された書置きにガオンはふうとため息をつく。 「覚悟の失踪か…」 「いかがいたしましょう?」 「子供の足だ、そう遠くには行っていないだろう。人手を出して探してくれ。城内も隈なく、だ。あのゾロリの弟子だ、どこに隠れているともわからない。それから…ゾロリには知らせるな、やっと落ち着いたのにまだぶり返しては大変だ」 「かしこまりました」 王子らしいテキパキとした指示にプッペはほとほと感心したのだが見惚れている場合ではない。メイドさんたちと一緒にふたりが隠れていそうな場所、行きそうな方角を探すのだ。 もちろんゾロリには知られないように極秘のうちに見つけ出さなくてはならない。 「まったく…」 ゾロリが倒れた時に取り乱してしまったことを未だに後悔しているのだろう。たくさん食事をしたのはこれから先いつ食べられるか分からないからだ。師匠を守れない弟子としての覚悟は誉めてもいいが、彼らはその行動がどれだけゾロリを悲しませ、心配させ、そして怯えさせるのかを分かっていない。 ガオンはゾロリの部屋をちらりと覗いた。 彼女は静かに眠っている。双子がいなくなったことなどまるで知らないようだ。 「…君に託されたんだ、必ず見つけ出すよ」 ガオンは小さく呟くとそっとドアを閉じた。 ところがゾロリはそのあとすぐに目を覚ました。 「ん…喉渇いたな…」 そして外がやけに明るいことを知る。 「…何かあったのかな」 外の喧騒は聞こえなかった。けれど悪い予感がして、ゾロリはいてもたってもいられなくなった。旅着に着替え、少し焼け付くような喉の痛みを堪えながら強化巡回中のメイドさんに見つからないように外に出た。 「イシシ様とノシシ様、いなくなられたんですって」 「早くお探ししないとゾロリ様も心配ですわね」 柱の陰に隠れていたゾロリは双子がいなくなったことをこうして知ってしまったのだ。 多分、厨房で当座の食料をせしめ、今頃はとっくにあの抜け穴を使って城外に出ているはずだ。 「バカ…」 ヘトリスのときのように責任を感じたのかもしれない。特にノシシは自分の看病をさせたせいで風邪を感染(うつ)したと思っているに違いない。 「無事でいてくれよ…」 ふらつき始めた体を必死で支え、ゾロリは城の外へ出た。冷たい風が容赦なく身を嬲るのにゾロリにはそれが心地よかった。 「イシシ…ノシシ…」 ふたりの顔を見るまで倒れるわけにはいかないと、ゾロリはゆっくり歩き出した。 「せんせ、ちゃんと寝てるだかな…」 「ガオンと一緒だから、大丈夫だ」 「せんせ…」 ひっくひっくとしゃくりあげるノシシを叱咤して、イシシも歩き始めた。 「どうせガオンと結婚したら、おらたちは邪魔なんだ。だから…だから…」 「ゾロリせんせのためを思ったら、おらたちはいないほうがいいだよね…」 イシシはそっと、ノシシの手を握った。またあの頃のようにふたりで山賊の真似事でもしながら暮らせばいい。 ゾロリせんせが幸せならそれでいい。 とぼとぼと行く宛てもないのに歩きながら、ふたりはゆっくり振り返る。遠くに見える明かりはガオンのお城のものだ。 「せんせ…」 「ここにいるよ」 ふたりは驚いて振り向いた。そこにはいないはずのゾロリが立っていた。 「せんせ…なして…」 「お前たちの考えそうなことくらいお見通しだっちゅーの」 イシシとノシシは近づいてくるゾロリから逃げられなかった。 一歩も動けず、声を出すことも出来ないでいると乾いた音が2発、少し間をおいて響いた。 頬が熱くて痛かった。 けれど泣いているのはゾロリのほうだった。綺麗な右手を左手で包み、ぽろぽろと涙をこぼしている。 「せんせ…」 「イシシのバカ。ノシシのうそつき…」 そういうとゾロリは双子を両腕にぎゅっと抱きしめた。 「ずっと一緒だって約束したじゃないか…それを俺様だけ置いて勝手に旅に出るなんて…」 「せんせ…せんせぇ…」 「バカイシシ。ノシシを止めろよ…」 「せんせー…」 「うそつきノシシ。俺様のこと大好きだって言ったのは嘘かよ…」 「う、嘘じゃないだよ〜〜おらせんせのこと大好きだよぉ〜〜」 イシシとノシシもたまらなくなってわんわん泣き出した。 その声を聞きつけてガオンたちもやってきた。一人は無線で別働隊に見つかったと連絡を入れている。 「ゾロリ…」 「…見つけた。俺様の大事な弟子…見つけた…」 ゾロリは抱きしめていた双子をそっと放した。 「さ、みんなに言うことがあるだろ?」 ゾロリに促されて二人はこっくり頷いた。振り返ろうとしたそのとき、強い力で無理やり体の向きを変えさせられた。 ガオンだ。彼はこれまで見たこともないような表情で怒っていた。 ぶたれる、と思った。強く目を閉じ、歯を食いしばって衝撃に耐えようとする。が、その衝撃はいつまでたっても来なかった。そろそろと目を開けるとガオンの腕に縋っているゾロリがいた。 「ゾロリ、放すんだ」 「嫌だ!! 俺様の弟子になにするんだ! みんなに迷惑かけたけど、お前には殴らせないからな、ぜったい…に…」 ガオンの腕を掴んでいたゾロリの手が力なく落ちていく。 「せんせー!!」 「ゾロリ!!」 「ゾロリさん!!」 ガオンが抱きとめたゾロリの体は熱かった。落ち着いていたのにこの寒空の中薄着で飛び出したために再び発熱したのだ。 「…無茶をして」 ガオンはゾロリを抱きかかえ、しゃくりあげている双子に背を向けた。 「私は必ずゾロリを助ける。お前たちにその覚悟があるなら…戻って来い」 深く低い声はイシシとノシシにずんと圧し掛かった。 ただ大好きだと思うだけではどうしようもないことがあると、これまで何度も思い知らされてきたはずなのに、自分たちはまた同じことを繰り返した。 せんせが大好きだから、助けたくて大嫌いだと言ったあの時のように。 願うだけ、思うだけ。 でもそれじゃいけないんだって、あんなにせんせに教わったのに。 イシシは腕で涙を拭い、ノシシは鼻水をずずずーっと啜った。ガオンの後ろについてちらちら振り返っていたプッペはようやく笑顔になる。数歩遅れてはいたけれどイシシとノシシがちゃんとついてきていたからだ。 ゾロリはガオンの腕の中で気を失ったかのように眠っている。プッペがガオンを見上げた時、ふと目があって、そして笑いあった。 「世話が焼ける兄弟子だな」 「でもゾロリさんが大好きだって気持ちは同じだっピ」 「よし、急ぐか」 あまり揺らさないようにとゆっくり歩いていたガオンだが城から救護車が来ると彼らにゾロリを預けた。このまま歩いているよりも早く城について適切な治療を受けられるからだ。 イシシとノシシも迷わずその車に飛び乗った。 ゾロリはすぐに治療を受けた。 熱はひどくなっていたが幸い肺炎までは至っておらず、また数日の療養を必要とした。 そんなある日、退屈していたゾロリの部屋にイシシとノシシが顔を出した。 「せんせー」 「起きてるだかー?」 リクライニングを起こして腰掛けるようにしていたゾロリはやってきたイシシとノシシに明るい笑顔を見せた。 「イシシ、ノシシ。ちゃんと食べてるか? プッペの面倒見てるか?」 「もー、ちゃんとやってるだよー」 「そっかー? ならいいんだけど」 ゾロリがそう聞くのは実はここ数日会っていなかったからである。ゾロリは脱走を防ぐために二重扉の部屋に入れられた。さらに外の扉と中の扉の間の小部屋にメイドさんが詰めているので出られなかったのだ。イシシとノシシもゾロリがよくなるまではと遠慮していた。 「もー退屈で死にそうでさ。なんか面白いことなかったか?」 「あるだよー、ノシシがなー」 「ああん、その話はダメだよ〜」 ノシシがイシシの口を塞ごうとするのだが構わず話し始める。 「スパゲティー食べてたら喉につまらしちまって鼻からふいただよー」 「あはははは、鼻からふいたか。見たかったな」 「もー。笑いごとじゃないだよ、すっごい苦しかっただよー。綺麗なメイドさんに鼻かんでもらっただよ〜」 思い出してちょっと照れているノシシをゾロリはくしゃくしゃと撫で、そのまますっと頬に触れた。 「…せんせ?」 「…ごめんな、痛かったろ?」 「あ…」 ゾロリはそのまま空いた片手でイシシの頬も撫でた。 「イシシも、痛かったよな、ごめんな…」 「せんせ…」 すると双子は頬を撫でていたゾロリの手に自分の手を重ねた。 「せんせのほうが、何倍も何倍も痛かっただよ。熱もあったのに…辛かったのにおらたちを探してくれて…」 「おらたち、ずーとずーっとせんせと一緒にいるだよ。せんせが結婚してもずーっとずーっと。一緒に天国にも地獄にも行っただ。何にも怖くないだよ!」 「そうか…」 ゾロリは泣きそうに見えた。でも笑っていた。 「…そこに林檎あるだろ、剥いてやるから」 「おらたちがやるー!」 イシシとノシシは手つきも鮮やかにしゅるしゅると林檎をうさぎにしていった。はっきり言ってガオンのより上手だった。 ゾロリと双子が笑いあっているのをプッペとガオンは小部屋から見ていた。 「よかったっピ」 「君も混ざってくればいいだろう」 「…ガオンさんもいくプ?」 プッペに手をひかれていたガオンはその手をそっと解いた。 「いや、私はあとで…」 子供たちがいなくなったあと、ふたりっきりになればいい。それに今は師弟で過ごす時間を大事にさせてやりたい。 そうして彼女の幸せを願うと自分の幸せが少し遠くなる、そんな気がしても。 「…行っておいで」 「…うん!」 プッペの背中を押すより早く、彼は自分の足で走り出していた。 「私は、君にぶたれたことがないな」 叩かれるようなことをしたこともないし、叩こうとした彼女を簡単に押さえ込める。 愛しているから、必要な時だけ手をあげる。愛されていないとは思わないけど少し寂しいとは思う。 でも。 「…叩かれたいなんて趣味はない」 呟きは、メイドさんには聞こえなかった。 この手は守るために、触れて慈しんで、愛するために。 誰の手も、そうであるように。 ガオンはじっと自分の手を見つめた。 「君の願いが叶う頃…」 彼はそっと部屋を出た。背後に響く笑い声だけでも十分だった。 それから1週間ほど滞在して、ゾロリたちは再び旅立っていった。 「ガオン」 「なんだい?」 「世話になったな、ありがとう」 そういうとゾロリは伸び上がって頬にそっと口づけた。プッペはピャッっと声を上げて目を覆ったのだが実は半分くらい見えていた。イシシとノシシは飛びついて引き離したいところをぐっと我慢した。今回の出来事の責任は自分たち、いわば自業自得だと思っている。 「ぞ、ゾロリ…」 「今更なに照れてんだよ、可愛いな」 ふふふと笑って、ゾロリはイシシとノシシの手をとった。ノシシはとっさにプッペの手を掴む。 「じゃあ、またな!」 「ガオンさん、バイバイだっピ〜〜」 「き、気をつけて…」 ガオンはバラを渡すのを忘れて立ち尽くしていた。あんなに鮮やかな、花のような微笑の前にバラなど無意味なように思えた。 遠ざかっていく彼女たちはやがて点となり、見えなくなった。 「誰かの願いが叶う頃…か」 君は君の夢を、私は私の願いを。 叶えようとしたとき、きっと結ばれる。 ただひとこと、忘れないで 愛してるよ、と。 ≪終≫ ≪せんせ大好き≫ ノシシとせんせの風邪の話。んでプッペちょっと活躍。さらにイシノシの家出。楽しかったぁ(・∀・)。 ガオンとプッペがすっかり仲良しwwww またそれもよしwwwwww ガオンが王子様でよかったと思えるよな、こーゆーとき。 タイトルは宇多田ヒカルさんの同名の楽曲より。 えーっと、これでいいですか? |