臥待月を歌う船 ゆらゆら揺れる船の上 水面に煌く銀の月 ふわりふわりと美酒に酔えば きらり金髪 君の膝 「じゃあ、新入り、荷物はひとつ残らず積んでおけよ」 「はいっ、船長!」 黄色と黒の長い尻尾を上下させて、船長は甲板へと上がっていった。新入りのジャンは目の前に積まれた木の箱をよいしょっと勢いよく抱えてみたが、普段持ちつけない重さに思わず尻餅をついた。周囲からは笑い声が飛ぶが、それらは決して彼を嘲り笑ってのことではなかった。 「しっかりしろよ、ジャン。これくらい持てないようじゃ嵐のときに一番に海に放り出されちまうぞ?」 「は、はい…」 先輩に言われてジャンは再び荷物を持ちなおす。まるで這うようにのろのろと荷物を運んだが、今度は一度も下ろさなかった。 「やりゃあできるじゃねーか」 「海賊は体力勝負だぜ! まあ、うちのお頭は頭も切れるけどな!」 「そーそー、お頭の左腕はすげーもんな!」 軽口を叩きながら先輩の海賊たちは次々に荷物を運び終え、結局ジャンは木箱を2個運んだに過ぎなかった。 (まだまだだなぁ…) 自分に対する失意と、先輩たちに対する憧れとを織り交ぜるように、ジャンはそこに立っていた。 「…誰だってすぐになんでも出来たわけじゃねーよ」 ぽんと、軽く頭を叩くように撫でてくれた年長格の男に、ジャンははにかむように笑った。 「お前はまだ船に乗って日が浅いんだ」 「…はい!」 「よし。じゃあ全員乗りこめ! 荷物を積んだら即出航との、お頭の命令だ!」 「へーい!」 そういってぞろぞろと海賊たちが長板に短い半月形の丸太を打ちつけた粗末な階段を登っていると、後ろから空色のドレスを着た女とそのお付の者と思われる少年が二人、男たちを突き飛ばすように駆け上がって来た。まだ港にいた数名の男たちは跳ね飛ばされて海に落ちた仲間を引き上げながら船に向かって叫んだ。 「おい! 変な連中が上がっていったぞ!!」 「おまえらこそ、早く上がって来い!! サツの連中が来やがった!!」 「そりゃやべぇ、早くしろ」 板階段の男が上りきってしまうとそれはすぐに回収され、かわりに3本の縄梯子が下ろされた。船は徐々に港を離れつつある。残っていた男たちは縄梯子をしっかり掴むと石造りの港を蹴ってするすると登っていった。 ジャンはやっとの思いで梯子を登り終えた。はあはあと息が苦しい。 けれどしっかりしなくては足手まといになると思った彼は乱れた呼吸を整えながら視線を上げた。 彼は思わず息を呑む。 屈強な男たちが、先ほどの女性と少年を取り囲んでいるのだ。 女のほうはよく見れば空色のドレスに同じ色の帽子をかぶって、おまけに傘まで差している。どこかの令嬢かとも思えるほどに美しかった。 「なんの騒ぎだ、手前ら!!」 「あーっ、お頭、変な女が乗り込んできやがったんで!」 突然のお頭登場に、一同の空気がぴんと張り詰めた。彼は不機嫌そうに耳の後ろを掻いている。風にそよぐ漆黒の髪は襟足からまた少し伸びていた。 「なんだ、お前の船だったのか。もうちょっと選べばよかったかな」 そういうと女性は傘を閉じ、帽子を取った。さらりと揺れる金色の髪は太陽の色そのものだった。 「よう、タイガー。久しぶりだな」 「なんでぇ、お前か」 タイガーはにやりと口元を歪ませた。まるで最愛の好敵手に再び出会えたような笑顔を浮かべる。彼はその女性につかつかと近づくとぐいっと顎を掴んで上を向かせた。 「わざわざ俺の船を選ぶたぁえねえ」 「好きで選んだわけじゃないさ。一番近い船がこれだったんだ」 「…ただじゃ乗せねーぞ?」 「じゃあ、俺様特製のカレーでも振舞ってやるよ」 タイガーがこうと言えばその女性も負けじと言い返す。二人はそれを楽しんでいるかのようだった。 「決まりだ、しばらく乗せてやる」 そういうとタイガーは女性の頬に軽く口づけた。女は髭がくすぐったいとばかりに笑う。 ジャンは呆けたままその一部始終を見ていた。 「あの」 「あん?」 彼は近くにいた先輩海賊にさっきの女性のことを聞いてみた。すると先輩はにやりと笑って鼻を擦った。 「ああ、ありゃあゾロリっていう名の通った女盗賊さ。お頭のお気に入りでね」 内緒だがこの船には彼女のファンが多いのだと、先輩は耳打ちしてくれた。見た目もさることながらカレーが異様に美味なのだという。 先輩は肘でジャンの脇腹を小突いた。 「惚れるんじゃねーぞ、あいつに惚れてお頭から海に突き落とされたまんま帰ってこなかったやつもいるからな」 するとジャンは慌てて手を振った。 「そ、そんなんじゃありませんよ」 「じゃあなんだよ」 「お頭を相手にしてもぜんぜん怯まないから、すごいなあって思って…」 「伊達に女盗賊はやってないってことだろ。さあ、仕事だ、仕事」 先輩はジャンの肩を少し強く抱いて連れて行った。彼は船首に立つゾロリの姿を横目でちらと見た。海風に溶けてしまいそうなほど、彼女はキラキラと煌いていた。 ジャンが船倉の荷物を解いていた頃、ゾロリはまだ船首に立って海を眺めていた。日差しが強いせいか、持っていた傘を再び差している。 「今度はなにやらかしたんだ、いいとこのお嬢さんみたいなカッコしやがって」 ついっと横に立ったタイガーに、ゾロリは小さく微笑んだ。 「宝石泥棒。やっぱかいけつゾロリは華麗に優雅に、宝石でも盗まないとな」 「ほーお」 タイガーは楽しそうに笑う。 「令嬢のふりをして宝石店に入ったまでは良かったんだけど、また双子がドジ踏んでなぁ」 「それで警察に追われたんか」 「そ。で、一番近くにあった船がこれだったから乗ったんだ。まさかお前の船だとは思わなかったけど」 金色の髪が風にそよぐ。何を着てもよく似合う女だと、タイガーは思った。 「…しばらくその格好でいろ」 「…なんで? 気に入った?」 まるで茶化すような口調だったが、タイガーはさして怒りもしかなった。かわりに彼女の腰をぐいと抱きよせる。弾みでゾロリが落とした傘は甲板の上をころころを転がった。 「貴族様のご令嬢を乗せているとなるとこっちも巡視船の目を誤魔化せるんでね。今のところお前がうってつけだ」 相変わらず、タイガーの腕は熱かった。自分でエンジンの整備もするという彼から少し機械油の匂いがして、ゾロリはそっと目を閉じた。 懐かしい匂いだと思った。 飛行機の整備をしていた父を思い出す。ガオンも機械を弄るけれど、そんな香りは全くといっていいほどしない。彼からはいつもバラのいい香りがしていた。それも嫌いじゃないけれど、ゾロリにとってはやはりタイガーの匂いが好きなのだ。 「…ゾロリ?」 「もうちょっと」 思わずこぼした言葉に、ゾロリははっとし、タイガーはきょとんとした。 「あっ…」 珍しくうろたえるゾロリにタイガーはふっとため息をついた。 「…いいぜ。もう少しだけな」 「…うん」 タイガーはそっと腰を抱き寄せた。ゾロリは安心してことんと彼の肩に頭を寄せる。 お互い泣き出しそうなほどのほんのりとした温かさに、眠気にも似た安息を感じていた。 夕方、ゾロリは約束どおり特製のカレーを海賊一味に振舞った。イシシとノシシもちゃっかり相伴している。 「おかわりもあるからな」 イシシとノシシに手伝わせてカレーを配るゾロリの言葉に一同歓声を上げる。 「はい、タイガー」 「おう、お前は俺の横に座れ」 それは自動的に鍋と釜の横だったのでゾロリは逆らうことなく座についた。そのゾロリの横にジャンがさりげなく座るのを、タイガーは黙ってみていた。 「あ、あの」 「ん?」 ゾロリに優しい視線を向けられてジャンはぼっと頬を赤らめた。彼女に恋をしてはいけないとの先輩からの忠告だったのだが、それさえ忘れそうなほど彼女の何気ない笑顔は彼を魅了した。 「聞きたいことがあるなら聞いとけよ。こいつもいつまでも船にいるわけじゃねえからな」 お頭の言葉に今度はピンと背筋を伸ばす。ゾロリのそばにいるということは総じてお頭のそばにいるということなのだ。直接声をかけられてジャンは緊張気味に声を出した。 「あの、カレーの作り方を教わりたくて…ぼく…じゃなかった、俺、間近で見てたけどよくわからなくて…それで…」 消え入りそうな語尾をゾロリは笑って聞き届けた。 「俺を手伝いながら近くで見てたなら分かるだろう、特別なことは何もしてないよ。一晩寝かせたわけでもないし」 「じゃあなんで? 俺もカレーは作るけどあんまり評判よくないし」 「聞いたことがないんじゃないか、お前のカレーのこと」 ゾロリにかわって答えたのはタイガーだった。 「お前のカレーはまずくないよ。お前の前にメシ作ってたやつのは、正直食えたもんじゃなかったからな」 「じゃあ、何でゾロリさんのカレーはこんなに評判いいんですか?」 「そりゃ簡単なことさ」 タイガーはおかわりの皿を無言でゾロリに突きつけた。彼女はだまってご飯を装い、カレーをかけて手渡した。 「女が作るもんだからな。珍しいのさ」 「言ってくれるねぇ」 「けど、お前の飯でも俺はまずいものはまずいって言うぞ」 今度はコップを差し出され、ゾロリは水をなみなみと入れてやる。 「せんせー、おわかりー」 「おらもー。お水もちょーだい」 ちょこちょこと走り寄ってくるイシシとノシシの後ろに俺も俺もと海賊たちが群がる。ゾロリは次から次に繰り出される皿を処理しながら自分の皿を死守した。 タイガーはけらけら笑っている。 「良かったな、ジャン」 何が良かったのか、ジャンはきょとんとお頭を見つめた。 「今日はゾロリがいてくれるからいいけどな。今度からあれがお前の仕事だ。よく見とけ、自分の食い扶持を守りながら給仕をこなすんだぜ」 ゾロリは千手観音さながらにおかわりの皿を処理し終えた。ようやくひと匙食べたころに今度は水を求める声が出て、ゾロリは水の入ったピッチャーを投げつけた。海賊たちは慣れたものでそれをひょいと抱きとめるとコップに水を注ぎ分けた。 「全く」 「ははははは、相変わらず見事だな」 それはゾロリにも一味にも向けられた言葉だった。 みんなのようになれるのは、一体いつだろう。ジャンはそんなことをぼんやり考えながらまたカレーをひとくち食べた。 「ジャンは最近船に乗ったのか?」 ぼうっとしていたジャンはゾロリに話しかけられたことに気がついて、はっと顔を上げた。 「は、はい。お頭に拾ってもらって…俺、病気で両親とも死んじゃって…親戚もいなくて街でふらふらしてたんです。そしたらたまたま上陸していたお頭が船に乗らないかって言ってくれて」 「料理できるやつが欲しかったんだよ」 「俺、両親の看護してましたから家のことは一通り出来るんです。そう言ったら…」 ジャンの目頭が急に熱くなって、視界が少し潤んできた。けれど彼は涙をこぼさなかった。 ここにいる誰もが似たような境遇で、誰もがタイガーを慕っているのだ。 そして突然現れた金色の花に、別の思いを寄せている。 「ジャン、おかわりは?」 「あっ、はい」 ジャンは残りを慌ててかき込んだ。 「お願いします」 ゾロリは小さく笑ってカレーをよそってやった。タイガーは水を飲みながら嬉しそうに鼻で笑った。 夜もすっかり更けたころ、波音が甲板を揺すった。 タイガーはひとり、甲板の上に胡坐をかいて座っていた。月はまだ遠く、海の向こうに眠っている。 「ひとりで酒なんて、ずるくないか?」 タイガーは枡に注いだ酒を煽りかけていた。振り返れば空色の衣に草色の袴を履いたいつものゾロリが立っていた。夜の風は優しく二人を包んでいる。 タイガーは自分の膝をぽんと叩いた。 「…来いよ。酒も大盤振舞してやらぁ」 「そうこなくっちゃ」 ゾロリはタイガーのそばに臆することなく腰を下ろした。 「一人酒は寂しいだろ、付き合ってやる」 「お前が酒を飲みたいだけだろうが」 こつんと肘でつつくと、ゾロリの体がふらりと揺れた。もちろん遊んでいるだけだ。 もうひとつ――おそらく彼女がやってくるだろうことを予見して用意した――もうひとつの枡に酒を注いでやる。小さな星の輝きがキラキラと光って見えた。 「酒はいけるのか?」 「ああ。子供づれだからあんまり飲まないけどな。酒に回す金があるならイシシとノシシには腹いっぱい食わせてやりたいし」 ゾロリが枡の酒を一気に煽った。もらした吐息は満足げ、タイガーは気持ちよくなって彼女の枡に酒を注ぎ足した。 「いい飲みっぷりだ、気に入ったぜ」 そういうとタイガーも一気に飲み干した。そうして二人で笑いあう。 「…俺たちゃ、どこか似てるな」 「…そうかもな」 タイガーの呟きに応えるように、ゾロリもまた呟いた。 身寄りもなく、たった一人で生きてきた。悲しみと寂しさに染まる暇もなく明日のわが身を探す日々。そうして見つけた仲間たち、そしてこの世のなにを犠牲にしても構わないと思えるほど愛しい人。 ゾロリはそっとタイガーの腕にしなだれかかった。 「けど、俺らけっこう幸せだよな」 「…ああ」 手はかかるけれど、自分を慕ってくれている子分たちがいる。 彼らがいる限り、自分が求めるものとは違っていても寂しくはないだろう。 そこまで考えて、タイガーはひとつ頭を振った。 「よそうぜ、辛気臭くなっちまった」 そういうとタイガーは左腕にゾロリをしっかりと抱きこみ、ぐいと枡を差し出した。 「注げよ。今夜は飲み明かそうぜ」 「飲み比べでもするか?」 「面白ぇ、乗ってやらぁ」 海は静かに船を揺らす。 酒の瓶が甲板を数本転がっていた。 「なんでぇ、そんなに強くねえじゃねーか」 左腕に抱いたままのゾロリは最後の酒を飲み干すとそのままかくんと首を折った。力なく手から枡が転がり落ち、木と木のぶつかる音がした。 「ん〜〜〜」 タイガーはまだ酒をあおっている。 枡を床に置くと、彼は酒に眠るゾロリの体を自分の膝に抱き上げた。 なんとも無防備に、しかし穏やかに眠るゾロリの頬にかかる髪を払い、その寝顔を見つめる。 薄く開いた唇から漏れる寝息は酒の匂いがしたが、それはどことなく甘く感じられた。 唇に指を添え、タイガーは薄く笑う。 「…今度は本気で奪うって言ったよな、ゾロリ」 そういうとタイガーは彼女の唇に指を当て、自分のそれを押し当てた。一度離してからゾロリの反応を見る。彼女は何の反応も示さないまま眠っていた。 ならばと、今度はもう少し長く口づける。ぺろりと舌先でゾロリの唇を舐めても、悲しいかな、無反応。 ある意味やりたい放題だが、タイガーはそれ以上は何もしなかった。 「…寝こみを襲うのは趣味じゃねー」 意識がはっきりしているときに自分という存在を植えつけることこそ、彼女といる意味だとタイガーは本能的に知っている。 話しかけても、どんなに愛していると囁いても、なんの応えも返さない空しさ。 屍に縋り、何度も揺すった、あの虚無感。 優しさや穏やかさだけでは生きていけなかった自分の半生を重ねて、タイガーはゆっくりと腰を上げた。 いつの間にか、月が昇っていた。ほんの少しだけ、三日月の分だけ痩せた月は臥待月――横になって待つ、深更の月。 「ああ、そういうことか」 ゾロリの髪が、風にさわりと揺れた。 波に揺られて臥待月を歌う船に乗り合わせたのはほんの小さな、欠片のような必然。 何が導くのかは知らぬ、ただ、導かれるままに進めばいい。 「ジャン」 「は、はいっ」 物影から二人を見ていたジャンはタイガーに声をかけられてびくっと背筋を立てた。海に突き落とされるかもしれないと思ったが、タイガーはすっと彼の横を通り過ぎた。 「甲板を片しとけ。それから酒を飲めるようにしとけ。気が向いたらお前も混ぜてやる」 「…」 「返事!」 「はいっ!!」 ジャンの瞳は生き生きと輝いていた。お頭があんなに目を掛けてくれるんだから頑張らなくちゃ、と思った。そうして彼は意気揚々と甲板を片付けようとして、転がってきた瓶を思いっきり踏んづけて転び、後頭部を強打した。 さてゾロリをどこで寝かそうかとタイガーは部屋を見て回った。もちろん野郎どものところに放り込む気はなく、船倉に転がしておく気にもなれず、ゾロリの双子がいる部屋も彼らの寝相の悪さに辟易した。 結局自分の部屋に連れ込む以外に道はなかった。 「…結構軽いな」 抱き上げたのは初めてではなかったが、それでもタイガーにしてみれば彼女は軽い。吹けば飛びそうな女なのにそのうちに秘めているのは眩しいほどに輝く強さ。 だから、愛した。 自分のものにしたいと願いながら、遠い日にいた女を重ねて、そうすることを自分の奥で拒み続けた。 矛盾、していると思う。 タイガーはゾロリの体を自分のベッドにそっと乗せた。そして上掛けを引っ張り彼女に着せ掛けると、ゾロリはまるで虫の様にそれに身を包んだ。あくまでも、無意識に。 「ん〜〜〜」 ベッドの上で小さくまとまるゾロリに、タイガーは小さく苦笑をもらす。 どこまでも無防備で、大胆。 そのくせ男にはちらりとだが警戒を見せる。 「…厄介な女を相手にしたもんだぜ」 それは彼女にまつわる男すべての感想だろうが、タイガーは知らず知らずのうちに漏らしていた。 そしてそんな呟きなど忘れたかのようにゾロリの隣に寝る。 ぎゅっとわが身を抱く彼女を守るかのように、タイガーは自身の左腕をそっとゾロリの体に乗せた。 無防備かつ大胆、そのくせ意外と身持ちの固いゾロリは翌朝目を覚ました時は衝撃のあまりに声が出なかった。 昨夜、タイガーと酒を飲んでいたところまでは覚えている。飲み比べをしようと言い出したのは自分で、何倍も杯(正確には枡)を重ねたのも覚えている。 だがどうやってこの部屋に来たのか覚えていない。そしてなんでタイガーに抱きついて寝ているのかについては全くといっていいほど記憶にない。 「うそ…なんでっ…」 背中を冷たい汗が流れている。 ゾロリが困惑と衝撃に震えながらタイガーを見つめていると、彼もふっと目を覚ました。 「なんでぇ、起きてたのか」 「な、何で俺様お前とっ…!」 ゾロリが上掛けでばっと乱れてもいない胸元を隠すとタイガーはぼりぼりと頭をかいた。 「…どーでもいいじゃねーか、んなこたぁ。お前結構いい体してるのな」 「な、なななな!?」 実際のところ、、タイガーは何もしていない。ただ寝ている間に抱きついてきたのはゾロリのほうで、のけてものけても抱きついてくるからそのままにしていただけのことだ。背負ったこともある、腰や肩を抱き寄せたこともある、だからゾロリのボディラインなど見なくともわかる。それに顔や手の感触からして胸など推して知るべし、だ。タイガーだって伊達に船長をやっているわけではない。好き者の女たちが港にいて戯れのごとき夜を過ごす。女を知らないわけではない。 しかし今のゾロリにはそこまで考える余裕がなかった。 それを見越したかのようにタイガーはゾロリの頬にそっと手を伸ばす。 「お前見たいないい女はなかなかいないからな。言っただろ、今度は本気で奪うってな」 「んっ!!」 不意をつかれて、唇を奪われた。 息もつけないほどの熱い口づけに涙がこぼれた。 「んーっ!! んんーーーーっ!!」 どんなに胸を叩いても彼はびくともせず、口づけを続けた。 ようやく唇を離した時、タイガーはゾロリの目尻に溜まった涙をそっと吸い取った。 何故か、泣き顔は見たくなかった。 「…冗談だよ、昨日の夜も何もしちゃいねー。酒に酔ったお前を寝かす場所が、ここしかなかっただけだ」 「…本当だな?」 「…自分の体に聞いてみな」 そういうとタイガーはそっとゾロリのそばから離れた。ベッドから降りるとその辺に脱ぎ捨てておいたペッパーレッドの上着を拾って袖を通した。 「タダ飯は食わせねーぞ。ジャンを手伝って朝飯の用意だ、いいな」 「…わかってるよ」 タイガーの足音がどんどん遠くなっていき、代わりに波音が聞こえ始めた。 酒のせいで頭は重かったが、体は不思議と動いた。 彼の言葉を信じていいのかもしれない。 たった一度と割り切れるならいい、あの黒衣のエージェントとの一夜のように。 けれどタイガーにはそれは無理だろう。 ガオンとは違った形で、欲しいものは何でも手に入れようとする彼だから。一夜の清い夢だなんて思いはしないのだ。 でもだからこそ彼はいつだって自分の存在を植えつけるかのようにまっすぐに向かってくるのだから。 似ているのかもしれない、と、思った。 恋に臆病なのも、それでいて欲しいと思うのも。 「タイガー…」 ぽつりと、呟いてみる。 好きになったわけじゃないけど、彼とは一生喧嘩友達でいたいんだ。 ――だから、欲しいとか思わないで。 この身、心はひとつだから。 双子とジャン、そしてゾロリの4人で朝食を作り、昨夜のごとく振舞う。 海賊たちは『1日3食きっちりご飯』がモットーらしく、食事をしないものはいない。 そして朝食とその片づけが終わるとゾロリは着替えのために部屋に戻っていた。 「なー、タイガー」 「あん?」 「ファスナーあげてくれるか?」 タイガーがそっちを向くとゾロリの白い背中が惜しげもなく晒されていた。タイガーは苦笑しながら近づく。今朝方口づけを嫌がって暴れ、僅かとはいえ涙を流したのにそんなことはなかったかのように男の前に肌を晒すのだ。 こうなるともう呆れるしかない。 ファスナーに手をかけ、背中の中ほどまで上げてやめる。 「どうした? 昨日の今日で着れないわけじゃないだろ?」 一晩で太ったはずはないというゾロリの背中に、タイガーの手が触れる。ゾロリはびくっと身を震わせた。 「タイガー?」 「身持ちが固いんだか大胆なんだか」 あるいは無頓着なのか、無防備なのか。 「俺がこのまま手を伸ばせばお前を身包み剥いで乱暴することだって出来るのに」 「…お前はしないよ」 タイガーの脅しにゾロリは呆れるほどあっさりと応えた。 そういわれると返す言葉もなくて、タイガーはすぐにファスナーをあげた。掻きあげていた髪が数本落ちてうなじにかかっている。 寄せられた唇を首筋に受けながら、ゾロリはくすくす笑った。 「痕をつけるなよ、いろいろ厄介だから」 「虫に刺された事にしとけ」 少し強く吸い付いてきたタイガーの黒髪を撫でて、ゾロリはやれやれとため息をついた。 今日もゾロリはヘッドフィギュアよろしく船首に立っていた。 彼女は両腕を広げて、今にも飛んでいきそうなほど踵を浮かせていた。そこにタイガーが近づいてきて、彼女を背後から抱きしめた。 「どっかの船じゃねーんだから」 「けっ、この船は簡単には沈ませねえよ」 そういうとタイガーはゾロリに何事かを囁いてその場を離れた。 実はゾロリはただ立っているだけではなく、見張りもかねているのだ。そんな彼女のそばにジャンが近づいてきた。 「あの、ゾロリさん」 「ん?」 振り向いたゾロリは今日の太陽のように眩しい金の髪をさらりとなびかせた。ジャンはドキッとしてその場を去ろうともしたのだが、意を決して口を開いた。 「少し、お話してもいいですか?」 「いいよ」 ゾロリがその場に腰を下ろしたのでジャンも座ることにした。 「仕事はいいのかい?」 「はい、与えられた分はちゃんと終わらせました」 ジャンがそういうとゾロリはにっこりと微笑んだ。 「船に乗って間がないんだったな。じゃあいいか」 「え、どういうことですか?」 ジャンがわからないという顔をするとゾロリはその栗色の髪を撫でた。 「船…に限ったこっちゃないけど仕事にこれで終わりっていうのはないさ。特に船は気を抜くと沈むぞ」 言われてうろたえるジャンに、ゾロリは落ち着くように諭した。 「今のお前に出来るのはまあ…休憩だな。それと先輩たちをよく見ておけばいい」 ジャンがそっと背後に視線をやる。するとさっき自分が確認したロープを先輩海賊が確認していた。彼が立ち去ってからしばらくしてまた別に人がやってきてほつれや切れ目を丹念にチェックしていた。 そうか、とジャンは納得する。与えられるものだけこなしていても大海賊にはなれないのだ。 「慌てなくていいさ」 「ゾロリさん…」 「どんなに邪魔にされたってそばにいて仕事を覚えればいい。やることも時間もまだまだたくさんあるさ。それと、一番大事なのはどうなっても仲間を見捨てないこと。タイガーだってああ見えても子分には優しいぜ」 「…はいっ!!」 ジャンは勢いよく立ち上がると、ぺこりと頭を下げて走り去った。 ゾロリはそんな彼を見送ってゆっくり立ち上がると入れ違いにやってきたタイガーに笑いかけた。 「あれでよかったか?」 「ああ、手間をかけたな」 タイガーは右手でぽりぽりと頭をかいた。 「ジャンのやつはいろいろ出来るんだがなかなかそれを生かせなくてな。一番下っ端だから。けどあれはじきにいい海賊になる」 「海賊にはもったいないくらいの可愛い子だけどなー」 「なんでぇ、ああいうのが好みか?」 「可愛いにこしたことはないだろ。イシシとノシシだって可愛いから連れてるんだよ」 後半の言葉は半分本気で半分冗談だろう。イシシとノシシは確かに可愛いけれど、彼らはゾロリのことを大事に思ってくれているから、彼女もそれに応えたいだけなのだ。 「ふん、俺も可愛い女は好きだぜ」 青い海の上をかもめが数羽飛んでいた。 それから数日後、ある港に就航した時にゾロリたちも船を下りた。 「世話になったな、タイガー」 「ああ、気が向いたらまた乗せてやる」 ゾロリはもういつもの旅装束だった。双子に両手を引かれて歩く姿は愛しいもののために生きる背中だった。 そんな後ろ姿を見送ってタイガーは頬を緩める。が、それも一瞬で、すぐに海賊の頭領としての顔に戻る。 「お前ら、さっさと次の荷を入れて来い! ジャン、お前は俺と来い。エンジンの点検だ」 「はいっ!」 一味はわらわらと散っていき、ジャンはタイガーとともにエンジンルームに向かった。 「…お頭」 「ん?」 「何で僕…俺なんですか?」 ジャンの言葉にタイガーは彼を見ようとしなかった。エンジンの基盤に向かい合ったまま手を動かしている。 「ゾロリが言っただろ、何でも見とけってな。そのうち自分が出来そうなことをやれ。とりあえず今は飯の用意と掃除、まあ雑用だな。しっかりこなせよ」 「はいっ!」 「ねぇ、せんせ?」 「なんだ、ノシシ」 いつもながらの可愛い声で尋ねてきたノシシに優しい視線を向けながらゾロリはゆっくり歩いていた。 ノシシは上目遣いに彼女を見上げた。 「船、楽しかっただね。おら、また乗りたいだよ」 「そっか。船は楽しかったか」 ゾロリはぐりぐりとノシシの頭を撫でた。イシシも彼女のそばにいてにこにこ笑っている。 「カレーもシチューもおいしかっただね。おら、せんせの作るのは何でも好きだよ」 「うれしいこと言ってくれるな、じゃあ今日はイシシの食べたいもの作ろうかな」 ゾロリの言葉にイシシはやっほーいと飛び上がり、ノシシは抗議の声を上げた。 「ああん、イシシずるいだぁ! せんせ、おらもおらも」 「わかってるよ。とりあえず山菜とキノコ拾うぞ!」 「おー!」 彼には彼の、私には私の道があり それが陸と海の違いだけでないと知っていても 同じ星の上で同じ月を待つのだ いつかなんでもなかったかのように酒でも酌み交わしながら また臥待月を歌おう ≪終≫ ≪なんとなく萌え≫ 最近はロジャーでもガオンでもなく、タイガーに萌えです。映画のせいです。 ガオン、ロジャー、タイガーのうち、彼だけが原作にいる大人の男ですからなんとなく多用していきたいとは思うんです。 が、彼はいかんせん海の男。そうそう接点があるわけでもないのが辛いですな_| ̄|○アイシテルノニ 互いのことは嫌いじゃないけど、一生の喧嘩友達。それもまた彼らなりの愛の形だと(*´Д`)ハァハァハァハァ ノ \ ア ノ \ ア どうしてくれるんだ、この激しい萌えを!!(いや、どうもしないから) |