テレビゲーム危機一髪!〜FOR GIRLS この世界は真っ暗な場所 誰かが開いてくれるのを待っている そして決められた道があってそのとおりに進むだけそれでいい それがこの世界だから でも外の世界はとても明るくて筋書きがなくてセーブもリセットもない ほんの少しでいいんだ そんな世界で生きてみたい 「外の世界?」 「うん」 青年が3人、真っ暗な場所に座り込んで話をしていた。その場に明かりはなかったが青年自身が光っていて互いを認識するのになんの困難もなかった。真ん中に座っている青年はやわらかそうな茶色の髪に猫の様にくりっとした瞳を隠している。うつむいているのだ。耳もへにょんとしている。ただ尻尾だけが上下に振れている。左右の青年は真ん中の青年のつむじを見て、それから互いの顔を見合わせた。 「なあ、ミャン……」 「なに?」 ミャンと呼ばれた青年はゆっくりと顔を上げた。その顔はまだ幼さを残していたが人懐っこい印象も与える。右の青年はふっと表情を緩めた。 「お前の気持ちも分からなくはないけどさ。俺たちはゲームのキャラなんだぜ? ここで生きていくしかないんだ。外の世界にも興味はあるけど出られないんだ」 「それはわかってるよ。でも外の世界には違う何かがあるような気がするんだ」 そう、気取ったお姫様との決まった恋愛じゃなくて。 膝をそっと抱えて示す憧れと挫折に、左右の青年は顔を見合わせてため息をついた。 「ミャン、しょうがないだろ。諦めろよ」 「うん……」 ミャンが呟く様に言ったとき、ポンと軽い音がして灯りがついた。直後に【スタンバイ】と書かれたランプが点灯する。 「誰かがゲームをスタートさせたみたいだな。行こうぜ」 左の青年が二人を促して立ち上がった。ミャンと右の青年も倣って立ち上がる。そしてそのままゆっくりと歩き出した。 ミャンの手の中に、一枚のメモがしっかりと握られていたのには、誰も気づかなかった。外の世界とゲームの世界を繋ぐ唯一の道を開くウラ技が書いてあったのを……。 「ふーん、このゲーム前にやったことがあったけどガールズサイドが出てたのかぁ……」 旅の途中で立ち寄ったゲームショップで金色の狐がゲームを物色していた。テレビもゲーム機もソフトもないけれどゲームをやるのは大好きだ。幼いころ、仕事が忙しくて構ってやれないからと、その寂しさを紛らわすために母親はゲームを与えてくれた。ゲームはそれなりに面白かったが、やはり母のいない寂しさには代えられなかった。ゲームにはそんな思い出がある。 「ゾロリせんせー、なんか面白そうなのあっただか?」 「んー? ああ、これちょっとやってみたいなぁ」 足元の双子・イシシとノシシに声をかけられてゾロリはふっと笑顔を見せた。彼女が手にしていたのは恋愛シミュレーション、双子にはつまらないゲームと映った。しかしゾロリの目はゲームに釘付けだ。 「恋愛シミュレーション……ってなんだか?」 「要するに男と仲良くなるゲームなんだよ。これは王子様をたぶらかすゲームらしいけど」 身も蓋もない言い方だが当たらずとも遠からず。ゾロリは近くに仕込まれていた体験版のスタートボタンに触れた。 軽やかなメロディが流れ、オープニングが始まる。3人の美形王子様と結ばれるためにがんばるというのがこのゲームの趣旨らしい。体験版だからほんの僅かしかできないけれどそれでもストーリーは面白そうだ。プレイヤーは姫になって、自分を魔王から救ってくれた3人の王子と恋愛を繰り広げるのだ。 一人は黒豹の耳と尻尾を持った目元の涼しい大人っぽい王子様・グウィン。 一人は背の高い、おどけた感じのクマ耳の王子様・エド。 そして最後の一人はネコ耳ネコ目の可愛い王子様・ミャン。 「うわー……みんなかっこいいなぁ……」 「せんせはどれがタイプだか?」 ゾロリの右にいたイシシがひょっと背伸びして画面を覗き込んだ。コントローラーを操作してカーソルを動かし、コマンドを選択する。 「んー、見た目だけだとミャン王子かな。なんか可愛いよな。でも男は外見じゃないもんな」 3人の王子がかわるがわるゾロリの前に現れる。そして王子として姫である自分に接してくれる。いくらゲームといえどなかなか憎いことを言ってくれる。そんなゲームを前にしてゾロリは久しぶりに女の子の顔だ。 「あ、なんか萌え」 「せんせ、がんばれー」 「おうよっ」 とは言っても体験版だ、ほどなく一つのイベントが終わるとゲームは終了した。ゾロリはゆっくりとコントローラーを置こうとした。 しかしゲームの画面は最初のスタートに戻ろうとしなかった。黒い画面のまま、ジジッとノイズを立て始めたのだ。故障かと思い、ゾロリは置きかけたコントローラーを再び握った。けれどリセットを押してもスタートを押しても、電源を切っても画面は戻らない。 「ど、どうなってるんだ!?」 ゾロリは闇雲にボタンを押し続けた。 「ミャン! お前何をやったんだ!?」 世界がとまっているのを見、二人の王子は戸惑いながら怒声をあげた。 「グウィン! エド! ぼくは決めたんだ!! これから外の世界に行って、他の世界を見てくる!!」 「やめろ! 外の世界でゲームキャラの俺たちがやっていけるわけないだろう!?」 「それでもっ……ぼくはっ……!!」 「ミャン!? ミャン!!」 ミャンは二人の王子が止めるのを振り切って走り出した、画面の向こうに向かって。グウィンとエドは呆然とその後姿を見送るしかできなかった。 グウィンはその場に座り込んでがしがしと長い前髪を掻きあげた。 「ミャンの野郎……」 「よっぽど思いつめてたんだな。こんなウラ技で外に出ちまうくらいに……さ」 エドは手にしていたメモを差し出した。いくつかのコマンドがミャンの筆跡で記されている。 「これは……」 「これはコピーだけどな、外界に出る唯一のウラ技……らしい」 エドはミャンの消えたほうをゆっくりと見つめた。キャラがひとり消えるとゲームにかなりの影響が出る。ミャンを早く連れ戻さないと大変なことになる。わかっていたのにグウィンもエドも動かなかった。ミャンの気持ちは痛いほど分かったからだ。 「あーあ、もう、どうすりゃいいのかな〜」 「他のキャラと相談してみようぜ。俺たちだけでどうこうできる問題じゃなさそうだしな」 振り仰いだ天にある青いグリッドが僅かにゆがみ始めていた。 「ちょっ、故障か? 動かない〜〜」 画面は未だに真っ暗なまま。ゾロリはコントローラーを握り締めたまま画面を見つめていた。 そこにノイズが人型をなしていく。そしてふっと柔らかな笑顔が現れた。 「な、なんだ?」 『まだゲームは終わってないよ』 画面の男はふっと手を差し出した。 『さ、コントローラーを握って。そしてこれからぼくの言うとおりにボタンを押して』 「え? え?」 ゾロリは促されるままにコントローラーを持ち替えた。それを見届けて画面の男はにっこり微笑んだ。 『じゃ言うよ。まず上上下下左右と押して』 「上上下下左右…っと」 かちかち、と音を立ててボタンが押されていく。次はAボタンを3回、Yボタンを4回、言われるままに押した。 「何が起きるんだか?」 「そんなこと、俺にもわかんないよ」 心配そうな双子以上に、コントローラーを握っているゾロリのほうが不安でいっぱいなのだ。 『最後はそのコントローラーにそっとキスをして』 「キス…?」 ゾロリはおそるおそるコントローラーに口づけた。 次の瞬間、画面がぱあっと光りだした。あまりの眩しさにゾロリも双子も目を覆う。そしてゾロリは画面から飛び出してきた何かにぶつかった。 「うわあっ!?」 イシシとノシシはぱっと脇によけたがゾロリは直撃を受けた。が、痛みはなかった。おそるおそる目を開けると目の前に柔らかい布の色が飛び込んできた。 「え? え? 何事!?」 「やっと出会えた…ぼくをゲームから出してくれてありがとう」 ゾロリを抱きしめていた男はそっと体を離して彼女の顔を覗き込んだ。ゾロリの瞳は困惑を湛えて目の前の男を見ている。 「あの」 「はい?」 「事態がうまく飲み込めないんだけど……それに……」 店内にいた数名の客が何事かとこちらを見ている。ゾロリを抱きしめている男性を美形と見て騒ぐ女性客も現れた。 「はあ……目立っているんですね。わかりました。じゃあ行きましょう」 男はゾロリの背中にさっと手を回してエスコート。彼女も満更ではなさそうにはにかんでいる。こんなに優しくされるのは悪い気はしないらしい。 「でもどこに行くだか?」 「とりあえず外に出よう。ここじゃ目立ちすぎるから」 一行はこそこそと店を出た。 「で? 君は一体何者なんだ?」 店を出て第一声、ゾロリは男の身元を尋ねた。すると男は人のよさそうな笑みを浮かべた。笑うと可愛い。 「ぼくを覚えていませんか?」 「……どこかで会ってる?」 ゾロリがそういうと男は彼女の両手をそっと持ち上げる様に包んだ。 「ぼくの名前はミャン。さっきまであなたがプレイしていたゲームのキャラです」 一瞬の沈黙があって、それから3人は驚くことは驚いたのだが声は出なかった。ミャンはにっこりと微笑んでいる。 「でも、でもなんで……」 「ゲームから出てきたのかと、聞きたいんですね?」 ゾロリはコクコクと頷いた。ミャンも覚悟を決めたのかぽつりぽつりと語りだした。 「ぼくがいるゲームの世界はとても真っ暗なところで誰かが世界を開いてくれるのを待っているしか出来ないんです。そして開かれた世界ではぼくらは決められた行動しかできない。ぼくはそんなのいやなんです。恋愛って筋書きのないものでしょう?」 決められた選択肢、組み合わせは限られてくる。 「そりゃそうだけど……」 「ぼくは外の世界を体験してみたかったんです。筋書きのない世界がどんなものか……」 ミャンの告白にゾロリは何か動かされたものがあったらしい。自分だって決められた道の上を歩くのは嫌いだ。自由気ままな風のように生きてきた彼女にミャンの想いは深く届いていた。 「わかったよ、ミャン王子」 ゾロリはミャンの手をそっと握った。 「わかってると思うけどここはゲームの世界じゃないからいろいろ大変だぞ。それでもいいんだな?」 「…はいっ!!」 ミャンはキラキラと瞳を輝かせた。新しい世界に心を躍らせているようだ。舞い上がらんばかりに喜んでゾロリの腕をぶんぶんと振った。 「ありがとうございます、えーっと……」 「俺はゾロリ。こっちがイシシでこっちがノシシ。ほくろがあるほうがノシシだから見分けはつくよ」 「よろしくお願いします」 ミャンはぺこりと頭を下げた。柔らかそうな髪がさらりと流れている。 「でもゾロリさんは女性ですよね。なんで男のふりなんか?」 「ああ、旅をしていると男のふりをしているほうが何かと楽なことが多いんでね」 ゾロリの金色の髪は丁寧に結い上げられたままだった。普段はこのうえに三度笠を被っている。体のラインはさらしで包んで誤魔化しているがそれでもさりげない仕草や声、雰囲気は隠し果せるものではなく、ときどき女だとばれてしまう。最近は隠すのも面倒になっているがそれでも隠さないよりはましだった。 「そうなんですか…でも今はぼくがいます。安心して女の子に戻っていいんですよ」 そういうとミャンはすっとゾロリの髪に手を伸ばし、彼女が止めるのも聞かずに髪留めをはずした。さらりと絹がこぼれるように金の髪が広がった。 そこにいるのはどう見ても普通の女の子だった。 ゾロリはなんとなく照れてうつむいてしまう。ミャンはそんなゾロリの頬に優しく手を添えて上を向かせた。 「ほら。そうしていればとても可愛いです」 「あ……」 ミャンの温かさがゾロリの気持ちに柔らかいものを落とした。この旅の途中でいろんな男と知り合ったけどミャンほど優しくて可愛いのは初めてだ。 「ミャン王子……俺は……」 「女の子に戻ってください、ゾロリさん」 指摘されてゾロリは小さくあっと声を上げた。一人称をずっと『俺』で通していたから急に女の子に戻れといわれてもそう簡単にはいかない。それになんだか気恥ずかしいような気がするのだ。目の前にはミャンが期待して待っているのでリクエストにはお応えせねばなるまい。 「えっと……ミャン王子……」 「ミャンでいいです。ここでは普通の男になります」 「じゃあ、ミャン。わ、私……ミャンに協力する。この世界で恋愛がしてみたいんだ……ね?」 話すのにこんなに気を遣うのも初めてなような気がする。王女のふりをするのとは違った緊張感がゾロリの中を流れている。 ミャンはゆっくりと頷いた。 「はい。この世界の恋愛だけじゃなくて、いろんなことを体験してみたいんです」 「でも恋をするのに一人じゃできないと思う……よ? こんな女性がいいとかいうのがあったらそういう子を探したほうが……」 「ゾロリさんがいいです」 ミャンははっきりとそう言った。イシシとノシシはヒューと声を上げ、ゾロリは大きく黒い瞳をぱちくりさせた。 「俺……じゃなくて、私? 本当に私!?」 「はい、ゾロリさん」 今度はミャンがうっすらと頬を染めた。 「ゲームを抜け出す時にコマンドを実行してもらう必要があったんですけど、誰でもいいというわけではなかったんです。私はあなたがゲームをしている時にあなたならきっと私のことを理解してくれると思いました。……機械のぼくにも感情があるとすればぼくはあの時あなたを好きだと思いました」 彼の告白にゾロリはうわーと、喜色を抑えつつ微笑んだ。 「よしわかった! 俺……じゃなくて、私が何とかする!」 「よかった」 ミャンとゾロリはにこにこと微笑みあい、イシシとノシシは財布の中身とにらめっこした。 「その格好じゃいくらなんでも『王子様でーす』って言ってるようなだよねぇ」 翌朝のゾロリはすっかり女の子に戻っていて、語尾も自然になっていた。 ちなみにミャン王子の格好はといえば仕立てのいいコットンベルベットのスーツ上下だ。 王子様ではなくてもその辺のお坊ちゃんに見えなくもない。 「ちょっと洋服やさんに行ってみようか? なんかいいのがあるかも」 そう言って微笑むゾロリの袖を、イシシとノシシがぐいぐい引っ張った。ゾロリは抗議の声を上げる。 「な、なんだよ」 「せんせ、お金のことも考えて欲しいだ。おらたちにはいっつも無駄遣いはするなって言ってるでねーか」 「これは無駄遣いじゃないからいいの」 「お金だったらぼくも少し持ってますよ」 言い争っていた3人の輪に入ってきたミャンの手のひらに数枚の金貨が乗っていた。イシシとノシシはおお〜と感歎の声を上げたが、ゾロリだけがあちゃーと、額を叩いた。 「? どうかしましたか?」 「せんせ、金貨だよ?」 キラキラと光る丸くて小さな金色の円盤を持ち上げて、ゾロリはため息をついた。 「気持ちは嬉しいけど、ここはゲームの世界じゃないんだ。だからこれはこの世界では使えない」 ゾロリの指摘にミャンははっとした。 そうだった、ここはもうゲームの世界ではないのだ。 この世界では街から外に出て、現れたモンスターを退治してお金を稼ぐということは出来ない。 「この世界ではどうやってお金を稼ぐんですか?」 「それはアルバイトをして…」 「じゃあぼく、そのアルバイトをしてみたいです」 「そっか。じゃあ本式のアルバイトに行く前にちょっくら稼ぎますか」 そういうとゾロリは旅合羽をばさっとひらめかせた。次の瞬間には艶やかな歌姫の姿になっている。イシシとノシシもはじめてみるお師匠様の姿にほおっと感嘆のため息をついた。 コツリ、と靴の音が鳴る。彼女は一段高いところに上るとあたりをきょろきょろと見回し、頷いた。 「ここでいいか」 「ゾロリさん、何をするんです?」 「まあ見てて」 ゾロリはいたずらっぽくウインクするとすうと息を吸った。 ――あなたがどんなに遠ざかっても 草が行き先教えてくれる あなたがどんなに私を忘れても 風が覚えていてくれる 恋よ恋 月の前でうそはつけないわ あなたは私のもの 私はあなたのもの 永遠に約束したわ あの太陽のように輝く指輪に ゾロリの声が町の片隅で朗々と響いた。道行く人たちは突然現れた声の主に興味心身で近づいてくる。歌っているのが若い女性だとわかると現金なもので男連中が全体の7割を占めた。が、ゾロリにしてみれば金を落としてくれる連中ならそれが男でも女でも構わないのだ。 彼女はなおも歌い続けた。 その美声と容姿に何事だと人が寄ってきた。稀に見る美貌の狐の歌に皆がうっとりと聞き惚れる。 ミャンはそんなゾロリを憧憬のまなざしで見ていた。 リアルな世界はこんなにも色鮮やかで、澄んだ音色に満たされている。これまで暮らした世界を支配する電子音とは全く違う旋律が彼の心に響いた。 ゾロリは切なくも激しいアリアをソプラノからアルトまでひとりで歌い上げた。 彼女の歌が途切れ、一拍経ってから歓声と拍手が鳴る。そこにすかさず小箱を持ったイシシとノシシが観客の間を回って小銭を集めた。 「ねーちゃん! もう一曲歌ってくれや!!」 「そうね、聞きたいわ!」 するとゾロリは最初に声をかけた初老の男性のもとにあでやかに歩み寄った。 「あら、リクエスト? じゃあお代は弾んでもらわなきゃ」 そういってゾロリの指先が男の顎をするりと撫でる。 男性は僅かに頬を赤らめて快諾してくれた。 ゾロリはもう一度段の上に立つと今度は小粋に踊りながら明るい恋の歌を歌う。 先ほどのアリアの続きだ。許された男と女が我が世の春よと恋の喜びを体中に溢れさせる、そんな歌だ。 ただ、それはほんの少し先の未来を思えばあまりにも皮肉な歌曲であった。 「よし、大漁大漁」 路地裏でこっそり小銭を数えていたゾロリはにんまりと笑った。 「せんせ、こういうこと出来るならいつもやってほしいだよ〜〜」 「んだー」 そうしたらおなかをすかせてふらふらになることもないのにとイシシとノシシはゾロリをじとーっと見つめたがゾロリはどこ吹く風だ。 「ばか、俺……私たちはイタズラ修業の旅の最中であって全国津々浦々公演の旅じゃないんだぞ。今回は特別なの」 一人称を徐々に女性のものに直しながら言うゾロリにイシシとノシシはため息をついた。 それから一行はミャンの服を普通の男の子のものに揃えた。 白いスニーカーにインディゴブルーのジーンズ。空色のポロシャツはゾロリの着物の色とおそろいだった。 ミャンはきょろきょろと自分の体を見回し、鏡を見ては驚いた顔をしていた。 「これ……ぼくですか?」 そういうミャンの肩に後ろから手を置いて、ゾロリがイタズラっぽく身を寄せる。 「そうだよ、ミャンだよ。大丈夫、どこからどう見ても普通の男の子だから」 少し背の高い彼の髪に触れ、ゾロリは優しく微笑んだ。 「ゾロリさん……」 「さ、恋の始まりだ」 「はい!」 シミュレーションじゃない、本当の恋。 しかし恋愛ゲームの中にいたミャンはゾロリをエスコートするその仕草も慣れている。隣を歩くゾロリと腕を絡めるように手を繋ぐ。ゾロリは一瞬戸惑ったがすぐ慣れたのか、にっこり笑ってミャンと楽しそうに歩いている。 その日は一日遊園地で過ごして、4人は公園に戻った。 公園は最初に夜を過ごした場所だった。宿に泊まる金まではなかったし、ミャンも野宿には慣れていると言ったのでそのまま落葉のベッドに寝る事にした。 ミャンはゾロリを先にベッドにあげ、それから彼女の手を取ってその甲に口づけた。 「ミャン……」 「おやすみなさい、ゾロリさん。ぼくがあなたを守ります。だから安心して寝てください……」 「……ありがとう」 ゾロリはにっこり笑って横になった。イシシとノシシもゾロリに倣う。 そうしてミャンも横になると彼はすうと寝息を立てた。 しばらく寝てからゾロリは目を開けた。 「やっと寝てくれたよ……」 絹のように滑る前髪をかきあげてゾロリはほうとため息をついた。そしてかねてからの指示通りイシシとノシシも目を覚ました。彼らも寝てはいなかったのだ。 ミャンは目を覚まさない。 「……何とかなると思ったけど、服に意外とかかっちまったな」 「ご飯にもお金かかっただ。明日はカラオケに行きたいって言ってたけど……」 イシシが財布を開けて小銭を数える。昼間ゾロリが稼いだお金も明日の朝食には消えてしまうだろう。 なんとかして今晩中にお金を稼がねばならない。いくらなんでもこの世界では世間知らずのミャンにアルバイトはさせられなかった。 「……しょうがない、確か酒場があったな」 公園の向こう側に見える夜の灯りにゾロリは遠く目をやる。 「ノシシはミャンと一緒にいてくれな。イシシは私と一緒に」 「せんせ……」 「ん?」 ふたりの声にゾロリはいつもどおりに反応したが、双子はどこか不安を隠せなかった。 (せんせ、いま……私って言っただ) 『俺』ではなく『私』と、彼女の口は自然に動いていた。 ゾロリには幸せになってほしい、それは双子の切なる願い。だけどそれは同時に、もしかしたらではあるが自分たちとの別れの時かもしれない。 覚悟はしていたけれどこんなに早くそのときが来るだなんて。 「……どうした? お前たち」 ゾロリの声に双子はううんと首を振った。 「なんでもないだ」 「せんせ、早く行くだよ」 イシシに背中を押されて、ゾロリはじゃあと歩き出した――双子の中に潜む不安に気づかずに。 ゾロリは一軒の酒場の扉を開ける。 そこはテーブルとそれを囲むようにいくつかの椅子が置いてあり、カウンターで品のいいマスターがシェイカーを振っている店だった。 マスターがゾロリを見てああと声を上げる。 「昼間の歌姫さんじゃないか」 と言われてもゾロリのほうには面識がないので、とりあえず曖昧に笑っておいた。 「何を差し上げましょう」 「……お酒飲みに来たわけじゃないんだ。その……ここで働かせてもらえないかと思ってさ」 「何か事情がおありのようだね」 そういうとマスターは隣によいしょと座ったイシシの前にオレンジジュースを出した。 「おごりですよ、昼間あんなにいい歌を聞かせていただいたお礼です」 そう言って微笑んだマスターにイシシはきちんとお礼を言ってからジュースを飲んだ。 ゾロリの前には鮮やかな黄色の液体が入ったグラスが置かれる。 「これもおごり?」 「ええ、どうぞ」 ラムをベースにオレンジジュースとレモンジュースをシェイカーに入れて振り、カクテルグラスに注がれたそれをゾロリは静かに口にした。 「……おいしい」 「プランナーズと言うんですよ」 ゾロリの形良い唇がそのカクテルの名を呟いた。計画者たちとでもいうだろうその酒は自分には似合わないような気がして口許だけで自嘲する。 マスターが他の客のためにシェイカーを振っていた。 「ここに来る方は大抵いろんな事情を抱えていますよ。そうですね、あなたは器用なようですからここでシェイカーでも振ってもらいましょうか。君はお皿を洗ってもらえるかな」 意外とあっさり決まって、ゾロリはふっと顔をあげた。 「いいのか?」 「ええ。そしてときどき客引きに歌ってもらえれば」 マスターのイタズラっぽいウインクにゾロリは苦笑した。 が、次の瞬間にはもう黒くタイトなスカートをはき、白いシャツにベスト、赤い蝶ネクタイというバーテンダーの服装になっていた。マスターはあまりの早着替えだったにもかかわらずほうと声を上げただけだった。 「……旅の身の上だから、いつまで居られるか分からないけど……」 「構わないですよ」 「ありがとう」 そう言ってゾロリはマスターの横でシェイカーを振った。 昼はミャンとデート、夜はマスターの好意に甘えてバーデンダー兼歌姫としてアルバイトの日々。 さすがに寝る時間がなくて少々お疲れ気味だが、ゾロリはミャンのためにスタミナドリンクで今日も無理やり元気に振舞っている。 朗々たる歌声は霞むことなく、ミャンの前の笑顔は曇る事もなく。 迎えた、7日目の夜。 ゾロリはいつものように双子の一人を連れてバイトへ赴いた。今日はイシシをつれて、ノシシを残す日だった。 制服に身を包み、髪をきっちり結い上げてゾロリはカウンターで銀色のシェイカーを振り、リクエストがあればその格好のままでも即興で歌を歌った。 「なあ、マスター」 「なんです?」 「……なんで私を雇ってくれたんだ? 身元もよくわからない、いきなりやってきた私を……」 グラスを拭いていたゾロリは何気なくマスターに聞いてみた。 するとマスターはシェイカーからブルーのカクテルをグラスに注ぎ、コースターに乗せて客の前に出した。 「娘に、似ていたからね……」 「……娘さんがいたんだ」 マスターは小さく頷いた。 「歌手になりたいっていって、五年前に家出同然に家を出たまま、何の連絡もなくてね……」 「……ごめん、変なこと聞いて」 「いいんだよ」 カウンターが急に静かになった。 ゾロリの父親も、彼女が幼い頃紅の翼持つ機械に乗って大空に飛び立ったまま消息を絶った。おそらく母の死も知らないだろうと思っていた。だが父親は母の命日にアザレアの花を供えていた。 どこかで生きていると知ったその日から、ゾロリが旅の足を止めることはない。 会って、言いたい事がいっぱいある。 残された母と自分がどんなふうに暮らしていたか、母がどんなふうに死んだのか。 だけど誰もあなたを恨んでいない、と。 「娘さん、元気だといいな」 「ああ、どこで何をしていてもいい。元気でさえいてくれればいいよ……」 話はそれきりになり、ゾロリとマスターはまたそろってシェイカーを振り始めた。 客もそこそこ入ってきて店はほどほどに盛況だ。 そこに突然の来訪者。 「―――ゾロリさん!!」 ばん! と乱暴な音を立てて入ってきたのはミャン、と困惑しきりのノシシだ。 ゾロリは思わず声を上げる。 「ミャン! ノシシ!!」 ミャンはカウンターにまっすぐ進んできてマホガニーの板を叩いた。 「これはどういうことなんですか! 目を覚ましたら隣で寝ているはずのあなたがいなくて……ノシシ君に聞いたらアルバイトしてるっていうから来てみれば……どうしてぼくに言ってくれないんですか!? そんなにぼくは頼りないですか!!」 「ちがっ、そうじゃなくて……」 「どう見たってお前がお坊ちゃんだからだろ? 」 凛とした限りなくバリトンに近いテノールが響く。振り返ったミャンがどうしてと呟いた。 まあ座れとクマ耳の男がミャンの肩をつかんで椅子に腰をかけさせた。 「ゾロリさん……だっけ? フレンチ・カクタス出来る?」 「え、えーっと」 「私がやろう」 聞きなれぬカクテルの名に困ったゾロリをマスターがさりげなくサポートしてくれた。これはシェイカーを振らずに氷を入れたミキシンググラスにテキーラとホワイト・キュラソーを注いでステアして作るカクテルだ。 バースプーンですばやく混ぜて差し出すとクマ耳の青年の前に置いた。 「どうぞ、フレンチ・カクタスでございます」 「ありがとう」 「私はバラライカを」 「はい」 今度は黒豹の男が注文する。 ゾロリの出番もないほど、突然現れたふたりは思い思いのカクテルを注文した。 ミャンが負けじと口を開こうとするが、何を注文したらいいのか分からない。 「う〜……」 「はい」 ゾロリがそっと彼の前に黄色の液体を置いた。それは彼女が最初の夜にここでマスターに飲ませてもらったプランナーズというカクテルだった。 ミャンがカクテルを口にするのを、ふたりの男は黙ってみていた。 「ゾロリさん」 「はい?」 クマ耳の男がゾロリに話しかけてきた。 「……ミャンが世話になった。俺たちはミャンを迎えに来たんだ」 マスターがそっと席をはずすのをゾロリは背中で感じた。 「それじゃあ……あなたたちは」 「俺はエド、こいつはグウィン。俺たちはあのゲームの住人だ」 「やっぱり……」 ゾロリの瞳がゆっくりと伏せられ、長い睫が影を作った。 今度はグウィンが口を開いた。 「ミャンがウラ技を使ってゲームの世界から抜け出して7日。私たちも限界なんだ。このままじゃ電脳世界が崩壊する。取る方法は二つにふたつにひとつ」 「と、言うと?」 続けるようにエドがグラスの淵を指でなぞる。 「ミャンがひとりで大人しくゲームの世界に戻るか、ゾロリさん、あなたも一緒に来るか、だ」 「……ミャンと一緒に?」 エドがしっかり頷いた。そして厳しい現実を突きつける。 「ただし、どちらの場合ももう二度とこの世界に出てくることは出来ない。ミャンが一人で戻ればあなたに直接会うことはないし、あなたが来ても、あなたはこの世界に帰ってくることは出来ない」 「そんな!! おらたちせんせと離れ離れになるだか!?」 「おらそんなのいやだあ!」 そう言ってノシシがカウンターを乗り越えてゾロリに抱きついた。それをイシシが剥がしにかかる。 「ノシシ、やめるだよ!」 「だって……だってせんせが!」 「ノシシ!」 イシシの厳しい声にノシシがびくっと身を震わせた。おずおずとゾロリの体を離れる。 それは彼らなりの覚悟の表れだった。 「おらたちは、せんせに幸せになってほしいだ。だから……せんせの好きにしてほしいだよ」 「イシシ……ノシシ……」 ノシシはひくひくと肩を震わせながらこっくりと頷いた。 ゾロリがエドを見る。彼も頷いた。 「あんまり時間がない。夜明けまでに戻らないと俺たちの世界は本当に崩壊する。それまでに決めてほしい」 「……わかった」 そういうとゾロリは再びカウンターをマスターに任せて何かを振りきるように店の外に出た。 追おうとしたミャンをエドが止める。 「ミャン、行くんじゃねぇ」 「何で!?」 「……ゾロリさんがひとりで決める事だ。どっちにしても、お前自身が分かっているだろう?」 バラライカを飲んでいたグウィンがミャンの手首をつかんで引っ張った。 ミャンの指先がノイズ状に揺らめいている。 彼は慌てて手を隠した。 「自分の像も結べなくなっている。お前は……俺たちはこの世界にいることは出来ないんだ。世界を越える技がなぜウラ技として隠されているのか、知らないお前じゃないだろう」 「でも……でもぼくは……っ」 ミャンはプランナーズを一気に煽る。 慣れない酒が急激に彼の心を揺さぶった。 「……ゾロリさんが好きなんだ」 「そりゃ、少し違うな」 エドが今度はカリブを注文する。ミャンものもと同じラムベースだ。 唇をぬらす程度に含んで、静かに置いた。 「お前は恋に恋してただけだ。決められたものじゃない、何の筋書きもない恋に憧れただけだ」 「恋じゃないって言うのかよ!」 「……そうは言わねーよ? ただ最初はそうだったってだけさ。お前が今ゾロリさんに対して抱いてる感情は立派に恋さ。でもな……」 「でも、なんだよ」 「……お前は、ゾロリさんを幸せには出来ない。俺たちの誰も……な」 エドはゾロリがゲームの世界に来ない事を願っている、そしてそれはグウィンも同じだ。 「なんでだよっ!! ぼくは……ゾロリさんが好きだっ!!」 「じゃあお前は、他の女性と恋をしなければならない自分を彼女にいつまでも見せるつもりなのか?」 「えっ……」 グウィンはバラライカをもう一度注文する。 「分かっているだろう。俺たちは不特定多数の女性と何度も恋をするために作られた存在だぞ? 彼女を一心に愛することなんか出来ないんだ。俺たちは誰か一人を思い続けるなんてことは出来ないんだ。何度も何度もデータを書き換えられ、最悪リセットされる。俺たちのメインメモリーはそのままだが……お前はいい、何もかも忘れるんだからな。だが彼女はどうなる? 真っ白になって、それでもなお女性のために変わり続けるお前を愛せるか? それに耐えられると思うか?」 「それを思えば、ここは退いたほうがいいと思うんだけどな……」 ミャンはグラスをじっと見つめた。 そして、ゾロリと話をするために店を出た。 今度はふたりとも止めなかった。 「わかって……もらえたのだろうか」 「わからなかったら、最悪引き離すしかない。ふたりのためだ」 杞憂に終わってくれればいいと、ふたりはグラスの残りを煽った。 その頃ゾロリは公園のベンチに座って月を見ていた。 欠けては満たされ、満たされては欠ける月に愛の永遠を誓わないでと、歌ったのを思い出す。 「ママ……私……」 祈りの形に手を組んで、そっと胸元に寄せる。 「私がどこにいても、ずっと見守ってくれるって信じてる……だけど……」 ゾロリの瞳からぽろりと涙がこぼれた。 「もし、俺がここに残ったらミャンは悲しむ。向こうに行ったらイシシとノシシが寂しい思いをする。パパにも会えなくなる……」 そして、と浮かんだ顔をゾロリは必死で打ち消した。 ダーティブロンドにアイスサファイアの瞳を持つスカした博士の顔。 (なんであいつの顔なんか……) ぶんぶんと頭を振っても涙がぽろぽろと止まらない。 「私……」 「ゾロリさん……」 優しい声に、ゾロリはゆっくり顔をあげた。 「ミャン……」 「泣いていたんですか……」 ゾロリははっとして、袖で顔を拭った。だが涙のあとは隠し果せるものではない。 ミャンの手が――消えそうなミャンの手にゾロリがはっとして握り返す。 「ミャン……あなた……」 彼は消え入りそうな自分の指先を見つめた。 「そろそろ、時間がなくなってきました。ぼくはゲームの世界に帰ります」 「ミャン……」 「……ありがとう、ゾロリさん。ぼくはこの7日間、とても幸せでした。あなたと恋が出来たこと、嬉しく思います。あなたはぼくの大事なお姫様だ」 ミャンはゾロリをそっと抱きしめ、その背中を擦った。 温かい感触がゾロリの涙を増やす。 「ミャン……」 「ぼくじゃないのは悔しいけど……幸せになってください、この世界で」 「ミャン!!」 ゾロリは濡れた顔を上げて彼を見た。ミャンは寂しそうに笑って、そっとゾロリを抱きよせた。 「……あなたにはお日様と月と……花と風が似合います。電脳の世界はあなたを退屈させてしまう……」 「私は……あなたを……」 「……言わないで」 決心が鈍ってしまうから。 言葉を封じようと、ミャンの唇がゾロリのそれと優しく触れ合う。 「……あなたは、それでいいの?」 「これがぼくたちにとって最良の方法なんだ……」 あなたはあなたの世界に帰る。 「世界を越えることが不幸だとは思わないけど……ぼくという存在はあなただけを幸せにするわけじゃない」 「それでもいいと言っても?」 「……ぼくはあなたのそんな気持ちに応えられない。応えられるはずもない……ぼくは……誰かと強引に恋をするために作られたんだから……」 さよなら、ぼくの恋。 「ミャン……」 さよなら、ぼくのお姫様。 最後のキスはオレンジの味がした。 夜のゲームやさんにこっそり忍びこんで、ミャンたちとゾロリは最後のお別れをする。 朝日が少しでも昇ってしまう前に戻らなければ彼らとその世界は完全に壊れてしまうのだ。 長身のエドがミャンの髪をくしゃっと撫でた。 「……分かってくれたか」 「……ああ」 ミャンは悲しげに目を伏せ、それでもパッチリした瞳をゾロリに向けた。 「ぼく……ゲームの世界で頑張ります。ゾロリさんもどうかお元気で」 両手にイシシとノシシを連れたゾロリは最初に出会った時の旅装束だった。この世界の煌きをすべて背負ったかのような金色の狐は世界を渡ることをしなかった。 それがふたりの願いだったから。 「お世話になりました」 まずクマ耳のエドが画面に戻る。次に黒豹のグウィンがふわりと吸いこまれた。 最後にミャンが名残惜しそうにテレビに足を突っ込んだ。 ――振りかえらずに。 振りかえったら、彼女の手を引いてしまいそうだったから。 じっと堪え、少しずつゲームに戻っていく。 さよなら、ぼくの大事なお姫様。 ミャンの体がゲームの中に完全に入りこんだ。ほかの王子と三人並んで手を振っている。 『ゾロリさん! ありがとう! 大好きです!!』 「ミャン……」 ゾロリは重ねた手を口に当てて泣くのを堪えていた。 やがて画面が真っ黒になって消えるまで、ゾロリとミャンは見つめあっていた。 「ミャン……ミャン!!」 そこになんの光もなくなってから、ゾロリは崩れ落ちた。 ふたりで決めた別れ。前触れがあるというのはこんなに深く悲しいものかと胸元の布を握る。 父も母も、ゾロリの前から忽然と消えていたから。 別れると予告されなかった。 だけど、別れの予感なんてないほうがいい。 (こんなのっ……こんなのはじめてだっ……) 「せんせ……」 不安げに顔を覗きこんだノシシをゾロリはぎゅっと抱きしめた。 今は幼子のぬくもりが愛しい。 「ごめん、ノシシ……ちょっと泣かせて……」 「せんせ……」 ノシシはこくんと頷いてゾロリをそっと抱きしめた。イシシもゾロリの背中や髪を優しく撫でた。 せんせがそばにいてくれるならそれでいい。 双子は忍び音を漏らすゾロリにどこまでも優しかった。 「……よく決心したな、ミャン」 「……世界を壊すわけにはいかない。そしてゾロリさんも」 ほかの誰かを愛することを常に余儀なくされる自分、筋書きのない恋の道は歩めない。 でも、ゾロリと過ごした7日という時間は彼にとって蜜月だった。 (どんなにぼくのデータが書きかえられても……) 彼の手のひらに金色の光が現れた。それを大事そうに見つめ、ミャンはそっと胸に自分の手を当てた。 すう、と彼の中に染みていく優しいヒカリ。 それはゾロリとの大事な思い出だった。 何があっても――自分自身がデリートされない限り消されたくない思い。 ゲームが新たな姫の手によってスタートされる。 ポンと軽い音がして灯りがついた。直後に【スタンバイ】と書かれたランプが点灯した。 エドがまっすぐ伸びた青白い格子が虹色に変わるのを見つめながら背伸びをした。 「さ、行こうぜ。新しいお姫様のお呼びだぜ」 「ああ、行こう」 グウィンがすっとミャンの背中を押す。ぱっちりとした猫の瞳に宿す穏やかな心にふたりは優しい微笑を浮かべる。 「ゲームには支障ないだろう。バグは見当たらなかったし」 「それも大事だけど……いい顔してんな、ミャンのやつ。少しは引きずるかと思ったんだが」 「それはこれからだだろうな……エド、お姫様はお前をお呼びのようだぞ」 「へいへい、行きますかね」 ぽりぽりと後ろ手に頭をかきながら長身の王子は進み出る。王子でありながらも遊び人風の容貌を持つ彼はミャンとは違った意味で人気者だ。 世界はほら、どこまでも色鮮やかで それから数日後、イシシとノシシは数歩前をいくゾロリの背中を見つめていた。 縞の合羽が彼女の動きにあわせてひらひらと舞う。 「どーした、お前たち」 「……いんにゃ、なんでもないだ!」 ミャンと別れてからのゾロリは塞ぎこむのかと思ったがすぐに元気になってまた旅路に戻っていた。 だから自分たちが変に心配するのもやめようと、双子も揃ってにっこり笑った。 「どこ行こうか? 面白いところがいいな」 「せんせ、海行ってみよう! おら海行きたいだ!!」 はいはいっと手を上げるノシシをくしゃくしゃと撫でてゾロリは走り出す。 「よし! 海に行くぞっ!」 「ああん、せんせ待ってぇええ!!」 我先にと駆け出したゾロリを追ってイシシとノシシも走り出す。 この世界の何もかもが優しいだけの恋を許さない でもほんのりと染み入るような、そんな恋だっていいじゃない 出会って、そして繋いだ心は世界を越えてもなお途切れることはない 北の海に狐と狼が再会する そしてそれが長い蜜月のプロローグ ミャン……あなたが願ってくれたように 私はこいつと幸せになるわ ≪終≫ ≪私も危機一髪≫ 2007年のゾロリ祭り参加作品です。ミャン王子とゾロリせんせです。 他の王子は私の趣味が炸裂しました。モデルは……います。ええがっつりいます。 本当にあれです、ごめんなさいだ(*゚д゚)クワッ |