ペパーミントと銀の月



いたずらっぽいのではなく、本当にいたずらが好きで
ときどき自分でも引っかかってしまう君といると不思議と楽しい
孤独が誰よりも嫌いなくせに甘えない君に少しイライラしてしまう


そんな思いを『恋』とは呼べないまま



「あれからナジョーの手掛りがさっぱりつかめませんねぇ」
青年はため息をついて乗っていたほうきから降りた。
彼の名はロジャー。魔法の国の情報局所属のエージェントである。
魔法の森が封印されてからというもの、エージェントとしてナジョー探しをしてきたがいつもながらに手掛かりが見当たらない。うろうろと探し回っても時間の無駄なのでロジャーは少し休憩もかねて情報を整理することにした。
まず、ナジョーの封印場所に法則はない。基本的には『何かの中』なのだが、それが生物なのか無生物なのか、あるいは現象なのかははっきりしない。雲の中だったり、宝箱の中だったり、虹の中だったりと気まぐれである。
場所もばらばらだ。魔法の森周辺からそう遠くではないものの、まさにあっちゃこっちゃゴーの状態だ。しかしその近辺では必ず怪異現象が起こっているのでそれが決め手といえば決め手だ。
そして――ナジョーのいるところに必ず現れるあの女。
さらさらの金の髪に蟲惑的な黒い瞳を持つあの狐。いたずらが好きでいつも訳の分からないことを言っているが不思議と憎めない。
双子のイノシシを従えて旅を続ける彼女と出会ったのは魔法の森の調査を始めて間もないころだ。
彼女の行くところ、必ずナジョーが現れる。エージェントとしてのロジャーにとってそれは由々しきことでもある。
魔法も使えない彼女になぜナジョーが解放できるのか不思議だった。ナジョー本体と思われる生き物も彼女になついている。
「…不思議な女だ」
旅の理由を聞いたこともなかった。自分には関係のないことだと思いながらも気になってしまう。
なにより、ときどきふいに見せるあの悲しそうな顔。
ロジャーはゆっくりと目を閉じた。
彼女の笑顔も肌のぬくもりもこんなに簡単に思いだせる。なのに自分は彼女を突っぱねてしまう。
それが何故なのか、彼が気がつくのはもう少し先のことだ。
ロジャーは木の幹に自分の体を預けた。疲れを知らないとは言わないがここ数日の調査で疲労がたまっていることは確かだ。
少し眠ろうかと思ったそのとき。
ロジャーの頭にこんと木の実が当たった。
「な…なんだ?」
手にとって見ればそれは普通の木の実で変わったところは何もない。自然に落下したものが偶然に自分の頭に当たったのだろうと思ったらもう一個、さらにまとめて数個ほど落ちてきて、最後は自分の膝の上に黄色と青と緑色がまとめて落ちてきた。
「なっ…」
落ちてきたものを受け止めて、ロジャーもその物体も言葉もなくしばらくの間、ただ見つめあっていた。
「……」
「……」
「……よぉ」
落ちてきたものはよぉと片手を挙げた。それが何なのかようやく理解できたロジャーはそれでもなお落下物を抱いたまま苦い顔をした。
「何をしているんだ、君は」
「木の実を取っていたら足を滑らせて木の実と一緒に落ちた」
そう言ってたははーと笑ったのはゾロリだった。彼女こそナジョー探しのポイントたる存在だ。
「まさかお前が下にいるなんて知らなくて。全身打撲くらいは覚悟してたんだけど」
「受け身が取れるだろう、君は」
「まあとにかく助かったよ」
ゾロリはにっこり笑うとロジャーの膝からするりと降りた。相変わらず滑らかな身のこなしだ。
彼女は落としてしまった木の実を自分の菅笠に集め、それからロジャーの横に座りなおした。
「お前こそ、こんなところで何してるんだ?」
「ちょっと休憩だ。ナジョーの情報が途絶えてしまってな」
「エージェントも大変だな」
「君たちのお気楽さが羨ましいよ」
そう言ってロジャーはちらりとゾロリのほうを見たが、彼女はさして怒っているふうにも見えなかった。ただ少しうつむいてそばにある草を何気なく弄んでいる。
「お前から見たら、俺はお気楽に見えるんだろうな…」
「なに…?」
ゾロリが少し泣き出しそうに見えて、ロジャーははっと口を噤んだ。
「何で俺が旅をしているのか、お前には言ったことなかったもんな」
「君がなんで旅をしているのかなんて、私には関係ないからな」
「言うと思った」
ロジャーの言葉にゾロリは小さく笑みをこぼした。なんだか見透かされているようで居心地が悪い。それなのになぜか彼女のそばを離れられない。
彼女の口から旅の目的が語られるかと思ったが、ゾロリは何も言わなかった。
ここで肩を抱いてキスのひとつでもすれば彼女も何かしゃべってくれたかもしれないのに、ロジャーは何もしなかった。いや、できなかった。
何故なら前方からものすごい足音が二つ聞こえてきたからだ。
「せんせー――――――――!!」
やってきたのは双子のイシシとノシシだ、両手いっぱいに木の実やキノコを抱えている。
彼らの姿を見止めて、ゾロリはぱっと笑顔に戻った。
「おーお、お前たちぃ、大漁だな」
「んだー、たくさん取れただよー」
師と仰ぐゾロリに誉められて嬉しいのか、イシシとノシシはえへへと笑った。しかし次の瞬間にはぎろっとその背後をひと睨み。
ロジャーは自分がこの双子によく思われていないことは知っていたが相手にするまでもないと無視を決め込んだ。しかし双子がこうして睨みつけるのはロジャーだけではない。ゾロリの恋人(と思いたくない)ガオンにもこうやってガンを飛ばす。街でゾロリに見惚れているものあればぎらりと鋭い眼光を飛ばして護っている(つもりな)のである。双子にとってロジャーも『せんせにちょっかいを出す悪い男』でインプットされてしまっている。
そんな双子の心情も知らず、ゾロリは双子の採ってきたキノコを調べ始めた。以前それと知らずに毒キノコと全身に毒があって食べられない河豚を調理した事がある。せっかくの収穫を無駄にするようで悪いのだが命には代えられない。毒と腐りものには手を出さない、それが食の基本だ。
ゾロリは丁寧に収穫を見定めた。
「お前たち、だいぶキノコの見分けがつくようになったな」
「全部食べられるだかー?」
「ああ、全部一緒に鍋にぶち込むわけにはいかないけど食べられるよ」
「わーい、やったあ!」
イシシとノシシはきゃっと声を上げて喜んだ。木の実のほうも問題はないという。
「よくやったぞ、お前たち。これでキノコ鍋にしようなー」
「わーい、せんせのキノコ鍋ー」
双子はまたも大はしゃぎ。どこに担いでいたのか大きな鍋を取り出すとかまどを組んで火をおこし、水を汲んできた。
「よかったらロジャーも食べてけよ。さっき助けてもらったしさ」
「いや、私は…」
「遠慮しなくていいって。食べられるうちに食べておいたほうがいいだろ?」
そういって微笑んだ彼女に、ロジャーは思わず頷いてしまった。了解の返事にゾロリはいっそう華やかな笑顔になる。
ゾロリは再び調理に戻った。ナイフを手にキノコの石づきを取っている。
「あ…手伝おう」
「ああ、悪いな」
並んでキノコの下処理をするふたりを見つめながら、イシシとノシシは出汁のもとを湯に加えた。
「なぁ、イシシ」
「なんだぁ、ノシシ」
呼びかけられたイシシはぐるぐると湯をかき回し、出汁のもとをよく溶いた。
「せんせとロジャーなら、もしかしたらお似合いかもな」
「…んだな。ガオンと違ってわりと自由がききそうだしな。せんせを寂しくさせないかもな」
「んだな」
今ゾロリの恋人という男は博士を名乗ってはいるものの実は一国の王子で、彼女と会うこともなかなか出来ないでいる。そんなときゾロリがひどく寂しそうな顔をしているのをふたりはよく知っている。
そんな男でもせんせが好きならと諦めもしたけれどガオンがこんなに寂しい思いをさせるのならもう他の男にしたほうがいいのかもしれない。
ロジャーはなんとなくいけ好かないけれど、せんせの笑顔を見ていればここは考えなくてはと思う。
「いたっ」
「大丈夫か、ゾロリ」
「ああ、ちょっとかすっちゃったけど、ほら、血は出てないし」
ロジャーの前に手をかざすゾロリはどこか幸せそうに笑っていた。
双子が願うのはいつも彼女の幸せばかり。
それぞれに思うところがあって――そこに魔法の木の実が紛れ込んでいたことなど、誰も気がつかなかったのだ。



「んはー。せんせのキノコ鍋は最高だぁ」
「んだー、おら、おなかいっぱいで動けないだぁ〜」
「お前らよく食ったあぁ。じゃあデザートの果物は無しな」
ゾロリの手に明るい色の木の実があった。イシシとノシシははっと起き上がる。
「ああん、ほしいだよぉ〜」
「せんせー、意地悪しないでそれちょーだいぃ」
「ああ、ああ。わかったわかった。ほら」
ゾロリはイシシとノシシの手にそれぞれ木の実を握らせた。ふたりはとても喜んでむしゃむしゃとかぶりついた。果汁たっぷりで柔らかく、甘い香りがしてきた。
「あまーい」
「んまーい」
嬉しそうな双子を見つめてゾロリも嬉しそうだ。
そして事件はそのとき起こった。双子がデザートに取り組んでいる間に所用で席をはずしていたロジャーはゾロリが口にしていた木の実を見て猛然と彼女の元に走った。が、時すでに遅し。ゾロリは最後の一口を嚥下している最中だった。
「ぞ、ゾロリっ!?」
「んあ?」
「た、食べてしまったのか、それを…」
ロジャーはゾロリの肩をがくがくと揺すった。見たこともない慌て様にゾロリもきょとんと目の前の男を見つめていた。
「な、何だって言うんだ? ロジャー」
「君が食べたのは魔法の木の実だぞ」
「……へ?」
ゾロリも双子もさらにきょとんとした。そしてわーーーーと慌て始めた。
「っど、どうなるんだ!?」
「おらたちも食っただよー!?」
慌てふためく3人を見てロジャーは一人落ち着いて木の実の食べかすを見た。
「君たちふたりは大丈夫だ。ちゃんと熟した実を食べている」
「ど、どういうことなんだ?」
ロジャーはゾロリが残した木の実の皮を持ち上げた。
「この双子が食べたものと、君が食べたのは同じものだ。だがこの木の実は熟してしまえばただの木の実になってしまう。ゾロリ、君は熟していないのを食べてしまったんだ」
ロジャーの説明でゾロリはようやく自分が魔法の効力を残した木の実を食べてしまったということを理解した。
「で、俺様はいったいどうなるんだ?」
「毒ではないから心配することはないんだが…」
心配そうにゾロリに寄り添った双子は、ほっと安堵のため息を漏らした。
「この木の実は若いうちに収穫して、果汁を絞ったり、乾燥させたのち粉にしたりして使うんだ」
「いったい、何に?」
「もったいぶってないで教えるだよ」
「…若返りの薬だ」
「…へ?」
3人が一瞬固まったところでゾロリの心臓がドクンと高鳴った。そして全身の苦痛が走る。
「あうっ…っ…」
「せんせー!?」
「始まったか。お前たちは離れろ」
「だども…」
ロジャーは不安でいっぱいの双子をゾロリから引き離した。今の彼女に双子を思いやる余裕がないのだ。
苦痛に顔を歪め、己が身を抱いて悶え苦しむゾロリを見ながら、双子も泣き出しそうだ。
「あっ…くうっ…あっ、あああああああっ!!」
一際高く悲鳴を上げた彼女の体が煙に包まれた。なおも駆け寄ろうとする双子を強い力で制しながらロジャーは彼女を包む煙が引くのを待った。現れた彼女の状況次第では本部に連れて行って治療をしなくてはならないだろう。若い果実を誤まって食した例があるので治療法も確立されている。胎児にまで戻ったという例は報告されていない、せいぜい赤ん坊止まりだ。だから彼女が死んでしまうという恐れはないが、赤ん坊に戻っているなら厄介だ。
何故なら赤ん坊の世話などしたことがないからだ。
ぽんっと軽い音がして煙が消えた。
ロジャーと双子はゾロリがいた辺りを覗き込む。現れたのは5歳程度の女の子、小さくなったゾロリだった。
「…ほえー」
着物に埋もれて呆けたようにロジャーたちを見つめるゾロリはちょこんと座り込んでいた。
「せんせがちっさくなっちまっただよー!?」
「おらたちよりちっさいのかな」
ノシシが着物の海から小さくなったゾロリを助け起こした。大人用の着物は5歳児程度のゾロリに合うはずもなかった。
「まさかこんなにちっちゃくなっちゃうとは…」
「ふむ、記憶は大人のままか」
「ロジャー、これ、戻せるよな?」
たとえ相手がゾロリでも小さな子供に見つめられて、ロジャーは視線を合わせるためにしゃがんだ。
「ああ、私にも薬の調合は出来るからな。ただ材料を集めないと」
小さなゾロリは双子よりも小さかった。が、変装用に使っている衣装がぴったり合った。
「服があってよかっただよ」
「せんせ、かわいいだなぁ」
ノシシが着せてくれたのは水色のワンピースである。
「取っておいてよかったぁ…」
「ごめんなー。イシシ、ノシシ」
「いいだよー。こんなかわいいせんせが見られたんだし」
なー、とふたりは顔を見合わせた。ゾロリも微苦笑してみせた。
「なあ、ロジャー」
「ん?」
「早く元に戻りたい。…お前の言うとおりにする。だから薬作ってくれ」
ゾロリはそういってロジャーに抱きついた。記憶は大人のままでも子供の体が無意識のままに子供らしい動きをしてしまう。
ロジャーは一瞬驚きはしたものの、抱きついたままの彼女をそっと撫でた。
「…言うとおりにしてもらうぞ」
「うん」
頷いた彼女の笑顔は今までないほどに無邪気だった。



あたりはすっかり暗くなっていたので今日は材料探しをやめて寝ることになった。
双子はゾロリの言うことを聞いて先に寝たがゾロリは寝ていなかった。
「火の番は私がすると言っているだろう、寝たらどうだ?」
「俺がやるって」
そう言いながらも子供の体はすでに睡眠を要求しており、彼女のまぶたはとろんと落ちかけ、頭はこっくりと船をこぎ始めた。そんな自分を戒めるようにときどきはっと頭を上げるが長いこと持たない。
「眠いんだろう?」
「眠くない」
子供の強がりにいつまでも付き合っていられない。ロジャーは火の中に薪を投げ入れた。
「何でも言うことを聞くんじゃなかったのか、ゾロリ」
「うっ…」
ロジャーの言うとおりにするから薬を作ってくれと願った以上、その条件は絶対だ。
「どうするんだい?」
「…分かったよ、寝るよ」
そういうとゾロリは荷物を枕に、そして大きくなってしまった合羽を布団のかわりして包まった。
「じゃあ、あと頼むな…」
「ああ、心配するな」
「お休み、ロジャー…」
ゾロリはゆっくりまぶたを閉じるとそのまますやすやと眠りについた。
そんな彼女を見つめて、ロジャーはそっと双子を見やった。彼らもよく眠っている。
ゾロリの髪を優しくなで、現れた額にそっと口づける。
見た目だけならこんなに可愛い時期があったのに、今の彼女はどうだろう。
一人になるのを嫌うくせに強がって、誰にも甘えようとしない。
ゾロリの過去など気にならないと思っていたはずなのに、今は彼女のことをもっと知りたいと思っている。
恋を知らないとは言わないけれど自分にここまで思わせるゾロリという存在はやはりロジャーにとって不思議だった。
うにゅと寝返りを打ったゾロリの側を離れ、ロジャーは炎を見つめた。
自分の心の中に小さく灯った火種が少しずつ大きくなるのを感じながら。
(ああ、そういえば)
ロジャーはくるりと周囲を見渡すと、ある一点に視点を止めた。そしておもむろに近づくと物言わぬ緑の香草をそっと摘み取った。
(これも材料のひとつなんですよね)
ロジャーは小さく微笑むとその草を丁寧にしまった。
ちょこんと大地に根付くその香草の名はペパーミント、特有の清涼感と浄化作用を持つ。
そして見上げる空に銀の月。
さわやかな夜に君と出会えた――とても小さく幼く、かわいらしい君に。



翌朝一行は森の中で薬の材料を探し始めた。イシシとノシシは足元を探し、ロジャーは高いところを探した。ゾロリもいつもなら高いところを探すのだが今はロジャーの側でちょろちょろと薬草を探している。
「なー、あと何を探したらいい?」
「そうだな、大体揃ったが…あとはセントジョンズワートが必要だな」
「ああ、西洋オトギリソウだな」
「知っているのか」
ロジャーはごそごそと足元を漁るゾロリの頭頂部を見つめながら木のつるを引っ張った。先端になっている赤い実を取るためである。
「薬草の代表みたいなもんだろ。旅をする以上は最低限必要な薬草の知識は身につけてるつもりさ」
「でも魔法の木の実の知識はなかった、と」
真紅の果実を指先でもぎ取るロジャーの言葉にゾロリはむっとして顔を上げた。
「仕方ないだろ、俺は魔法使いじゃないんだから」
「口答えをしないでさっさとセントジョンズワートを探せ」
「むっか〜〜、あとで覚えてろよ〜〜」
ゾロリは込み上げる怒りを抑えながらそれでも足元をさらっている。
「あ、あった」
西洋オトギリソウと呼ばれるその草は鎮痛作用を持ち、その容姿は濃い緑の葉を持ち、先端につつじにも似た小さく黄色い花を咲かせるのだ。本来は植物油に漬け込むのだが今回は生の花を使用する。
「花を摘んでくれ、君の両手いっぱいに」
「わかった」
ゾロリは言われるままにまずは片手いっぱいに花を摘んだのだが持てないとわかるとイシシに菅笠を持ってこさせ、その中に入れた。たくさんの黄色が笠の中に集まるとロジャーは摘み取った小さな果実を一緒に入れた。
「落とさないようにしてくれよ」
「わかってるよ」
「せんせー、メリッサあっただよー」
「これでいいだか?」
報告はゾロリにしたのに、薬草の鑑定はロジャーにしてもらう。ゾロリをないがしろにしているのではなく彼女を元に戻したいがための双子ならではの心遣いだった。
ロジャーはイシシが差し出した葉を取るとふんふんと匂いをかいだ。その葉からはレモンの香りがした。
メリッサはレモンバームとも呼ばれるハーブの代表格である。
「ああ、これだ。これで材料は全部揃ったな」
「揃っただかー」
双子とゾロリの顔がぱあっと明るくなった。
「ロジャー、早く薬を作って」
そういってマントをくいくい引っ張るゾロリをすっと抱きあげた。ゾロリは驚いて抗議の声を上げる。
「なっ、なにするんだっ、降ろせっ!!」
「大人しくしろ、あとは君の涙だけなんだ」
「はあっ!?」
抱き上げられたままのゾロリはロジャーの腕の中で素っ頓狂な声を上げた。



紫薬草の煮汁をベースにレモンバームとセントジョンズワード、それに摘み取った赤い果実――その正体はウサギノメという木の実だ――とペパーミントをすべて生のまま煮る。
ロジャーはイシシとノシシに火をおこさせると鍋をかけさせた。
紫薬草をぐつぐつと煮て、さらに集めた材料を順番に放り込んだ。
匂いはさほどでもないが色がすさまじい。
紫薬草を煮終わったときには耽美な紫色だった。それにウサギノメを入れたときはさらに赤みが強くなったがそれでも耽美な色だった。そこにセントジョンズワードを入れたあたりから耽美な赤紫は不吉な枯れ草色へと変わり、そこに緑の葉を2種類混ぜたことでさらに煮えた葉が茶色になって不吉な色になった。
「すごい色だぁ」
「せんせ、こんなの飲むだか」
「し、仕方ないだろ」
ゾロリはロジャーの腕に拘束されたまま、その煮汁を見つめた。ここに自分の涙を注がないといけないのだという。
「魔法の薬って妙なものを入れるんだな」
「この薬には『女性の涙』が必要なんでな。泣く用意は出来たか?」
「そう言われても簡単には泣けないよ」
「そうだな。でも君なら簡単に泣かすことが出来るな」
ロジャーはゾロリをゆっくりと抱きなおした。
「な、何するんだよ。俺様、痛いのはいやだからな」
「別に責め苦を与えようっていうんじゃない。私を何だと思っているんだ」
「頭が固くて冷たくてとにかく嫌味なエージェント様」
ゾロリはにやりと口元を歪めた。ロジャーはむっとして腕の中の彼女を睨む様に目を細めた。
「いいのか、薬が出来なくても」
「へへーんだ、あとは俺の涙だけだもんねー」
ゾロリがロジャーをからかおうとべーと舌を出した瞬間。
イシシとノシシはあっと声を上げて目を覆った。
ゾロリの舌にロジャーが吸いついたのだ。
「んんっ!?」
ゾロリは突然の出来事に声も出なかった。舌を奪われているのだから声が出る筈もないが、ものすごく驚いて目を見開いた。
「んー、んーっ!!」
ロジャーを押し返そうとするけれど子供の体格で大人のロジャーを振りほどけるはずもない。
悔しさと恥ずかしさ、それに罪悪感で胸がいっぱいになり、柔らかな頬が紅潮しはじめた。
「んっ…やっ…」
そのまま深く口づけられ、漆黒の瞳からぽろりと涙が溢れ出した。
ロジャーがようやく唇を離したとき、彼女の小さな唇は赤く腫れ、瞳にあった涙は頬をつうっと流れていた。それを指で受けるとロジャーは鍋の上に指をかざした。
ロジャーの指を伝って落ちた涙は薬の色を鮮明な緑へと変えた。
「悪かったな、ゾロリ。こうでもしないと君は泣かないだろう?」
「ばっ、ばかやろっ! こんなことしなくったって泣けるのにっ…うえっ、うぇええっ…」
ゾロリはぽかぽかとロジャーを殴った。小さなこぶしが肩に当たる。
「だから悪かったと言っているだろう? 痛い、痛い」
「このスケベエージェントがぁ〜〜〜」
「はいはい、わかったからさっさと薬を飲め、煮えすぎてしまうぞ」
「戻ったら覚えてろよ」
ゾロリはさっとロジャーの腕から降りるとイシシに薬をよそってもらって飲み干した。
そしてあることに気がついたノシシが盾になり、さらにロジャーに向こうを向けと言い出した。
「ああ、わかっている」
ロジャーはあんなことをしておきながら頬を染めてそっぽ向いた。
「せんせ、服脱いだほうがいいだよ」
「え、なんで?」
「だってせんせ、元に戻るだよ。破れちゃうだよ」
「あ、そっか」
イシシとノシシが背中を向けて目隠しになってくれており、ゾロリは急いで服を脱いだ。
やがて薬が効いてきたのか、小さくなったときと同じようにどくんと心臓が脈打ち、全身に鋭い痛みが走った。
けれど小さくなるときときと違って緩やかな流れに乗ったような開放感に満たされた。
手足がすらりと伸び、ぺたんこになっていた胸もぷくぷくと膨らんで元の乳房を取り戻した。
「やったー、もどったー!!」
ゾロリの声にイシシとノシシは振り向きかけてやめた。
「せんせ、戻っただか?」
「まだこっち向くなー、ロジャー」
「言われなくても分かっている」
男3人のやりとりにくすくす笑いながらゾロリはまず先に晒しを巻き始めた。柔らかな乳房が白い布で覆われていく。それから一通り着物を着終わると双子の肩をそっと叩いた。
「せんせ?」
ゾロリは唇に食指をそっと当てて静かにするように示した。何をするのか分かった双子は黙ったまま頷いた。
彼女はそっとロジャーの側に歩み寄り、背中から抱きついた。
「…ロジャー」
甘えるような声にロジャーは戸惑いを隠せない。抱きついた背中がぴんと伸びるのを感じながらゾロリは笑いをかみ殺した。
「ロジャー、お前のおかげで元に戻れたよ…」
「ゾロリ…」
ロジャーは本当に戻ったのか確認しようと振り向いた。
そこには元の姿に戻ったゾロリが確かにいた。漆黒の瞳が熱っぽく自分を見つめている。
「ゾロリ…」
「ロジャー…」
ゾロリはゆっくり前のめりにロジャーの胸に倒れこもうとした。ロジャーも彼女を抱きとめようと僅かに腕を上げていた。
そのときだ。
「なーんちゃって」
「なにっ!?」
ゾロリが倒れこもうとして踏み出してた片足を踏ん張り、握った拳でロジャーのみぞおちを狙った。
そしてジャストミート。
「ぐふっ…」
ロジャーは腹を押さえてその場にうずくまってしまった。
「ゾロリ…お前ってやつは…」
「ふんだ。乙女の唇を奪った代償は高くつくんだよ、覚えとくんだな」
そういってゾロリはロジャーの頭をぽんぽんと叩くとケタケタ笑い出した。
「せんせ、見事な右ストレートだぁ」
「あーっはっは。ちょろいちょろい」
それでもゾロリはちょっとやりすぎたかとロジャーを見た。彼はまだうずくまったままだった。
「あれ、やりすぎたかな…ロジャー? おい、ロジャーってば」
いたずらは怪我をさせない程度にというのがモットーの彼女だったのにロジャーはなかなか立ち上がらない。急に不安になったゾロリは膝立ちになってロジャーを覗き込んだ。
「ロジャー?」
そして。
一瞬だった。
ロジャーの唇が、自分のそれに触れていた。
「な、な、ななななな」
「君のいたずらもたいしたことはないな」
さらに止めの頬にキス。ゾロリはその場にぺたんとへたり込んだ。
「機会があればまた会おう、アディオス!」
ちゃっとLサインをきると、ロジャーは呆けたままのゾロリを置いて飛び去ってしまった。
「せんせー」
「せんせー、大丈夫だかー?」
双子にぺしっと頬を打たれてゾロリははっと我に返った。
そしてこれまでのことを思い出し、わなわなと震えだした。魔法しか能のないやつにいたずらで仕返しされようとは。
「ロジャーのやろう…」
握った拳を大地にバンっと叩き付けた。
「覚えてろよー!!!!」


てろよーてろよーてろよーーーー…・・ ・ ・
木霊するゾロリの叫びを聞いて、ロジャーはぺろりと自分の唇を舐めた。
彼女とのキスはいつも不意打ちだが、まあ悪くはない。
「次に会うときが楽しみだ…」
ロジャーはこれまで誰にも見せたことのない満足そうな笑顔で空の彼方へ消え去った。



「ひどい目にあったぜ」
「それは災難でしたね。でもロジャー先輩がいてくださってよかったですよ」
夜もとっぷりふけたころ、ゾロリ一行は同じくナジョー探しをしていたネリーとナジョー、そしてネリーの姉であるミリーと合流していた。
ぱちぱちと音を立てる炎の前にはゾロリとミリーだけがいた。
イシシとノシシ、それにネリーとナジョーは木の根元で丸くなって眠っていた。
「早くナジョーが全部見つかればいいんだけど…」
妹のネリーが熱心さのあまりにしてしまったこととはいえ、大勢の人々が魔法の森の封印により困っている事実は否定できない。必死でナジョーを探す妹のためにも、人々のためにも、一刻も早く見つけ出したい。
ゾロリにもミリーの気持ちは痛いほど分かった。
「ロジャー先輩も休む暇もないみたいで…」
「…ミリーさんは、ロジャーが好きなのか?」
ゾロリの言葉に、うつむき加減だったミリーがはっと顔を上げた。
「な、なんでそんな」
「だってロジャーが心配なんだろ? あれ、俺の早とちりだったかな」
「あ、いや…」
そういってミリーは握った拳を軽く口元に当てた。炎が照らし出す彼女は恋をした女性の顔をしていた。
ゾロリはふいに頬を緩める。
「ロジャーは…いい男だよ。付き合い…っていうほどでもないけど、知らないわけじゃないから。頼りになるし、まじめだし。ちょっとお堅い感じだけど案外面白いんじゃないかな」
「ゾロリさん…」
ミリーはゾロリを見つめ返した。彼女がナジョーの解放に一役かっていることも知っている。なにより妹のネリーを何度も助けてくれた。
そして今は自分も。
「今はナジョーの解放のことで頭がいっぱいなのかもな…」
「そうかもしれませんね」
そういってふたりの淑女は空を見上げた。銀色の月が照らし出す空に星は見えなかった。月が星を霞めてしまっているのだ。
今もこの空のどこかでほうきに乗ったロジャーがナジョーを探しているのだろう。
「ロジャー先輩…」
ミリーの呟きにゾロリはふっと顔を伏せた。
あんなことがあったなんて、ミリーには黙っていよう。聞かせたくないし言いたくない。
ゾロリはそっと口元を覆った。
「しかし魔法の薬って妙なもの入れるんだな。女性の涙とかさ」
「え、涙…ですか?」
自然と話題を変えたつもりだったが、ミリーが思わぬ方向に食いついてきた。ゾロリは軽く驚いている。
「え? え? だってロジャーが…」
「ええ、涙でもできないことはないんですけど…テキストが改編されてるのかしら。私たちは『ひとつまみの塩』を入れるように養成所で教わりましたけど…」
「何だって!?」
ゾロリは思わず声を上げたがすぐに口を噤んだ。炎の向こう側にいるイシシたちは誰も起きていなかった。
ミリーとゾロリは顔を見合わせて、小声で会話を続けた。
「塩がない場合に涙を代用するんです。確かに昔は涙を入れていたらしいんですけど今はもうほとんど塩ですよ。きっとロジャー先輩は塩がなかったんで涙を使ったんですね」
「そ、そうなんだ、へえー」
ミリーの手前、納得したような表情を作ったが、内心はふつふつと怒りがこみ上げる。
(あのやろう…騙しやがったな…)
あの時ロジャーは小さくなった自分を抱き上げて『女性の涙が必要だ』と言った。しかしミリーの話からするとそれは誰のものでもいいらしく、さらに言えば涙である必要はないのだ。
(塩ならノシシが持ってたのに…)
たいていのものは塩さえあれば食べられるので彼女たちは塩を欠かしたことがない。しかもその直前の食事で塩を使っていたのは明らかだ。
塩を持っていたことを知っていたのにロジャーは嘘をついた。
(でも何のために?)
巡る思いがゾロリの中にありえない答えを導いた。その答えを消すように頭を振るが、一度思いついた考えが消えるほどその答えは軽くなかった。
「あの…ゾロリさん? どうかしましたか?」
ミリーに声をかけられてゾロリははっと彼女のほうを向き直った。
「魔法の薬に慣れない方は副作用を起こすこともあるんです。気分でも悪いのでは?」
「あ、ああいや、違うんだ、大丈夫…」
「でも…」
「本当に大丈夫だから。あーほら、うん。俺が火の番をしてるから、ミリーさんは寝ちゃっていいよ」
なおの心配そうなミリーににっこり笑いかけると、彼女は納得したかのように息をついた。
「じゃあ、何かあったら起こしてくださいね」
「そうするよ」
ミリーはゾロリのそばを離れ、ネリーの横に腰を下ろした。寝返りを打って上掛けをはいでしまった妹の肩をそっと直し、風邪を引かぬようもう一度丁寧に着せ掛けた。それからゾロリに一礼をするとミリーはゆるりと横になった。
ゾロリはその一礼を片手を挙げて返し、彼女が横になったのを見届けてふうと息を吐いた。
(まさか…)
ゾロリは背後の木に背中を預け、立てた片膝に手を組んだ。
確かに出会いは良好なものではなかった。魔法の使えないくせにと罵られ、それでもナジョーを解放すれば目の敵にされた。
会うたびになんとなく張り合ってしまったのはプライドがあったからだろうか。
そこでふっと思い当たるのが、もう一人の男の存在――薔薇の王子様、ブルーの瞳のガオン博士だ。
そう言えばガオンとの出会いも碌なものではなかった。雪山で遭難した自分を助けはしてくれたけれど旅人失格だのトイレで手を洗わないだのと散々因縁をつけられたものだ。それが今では過去を語り、肌を許しあう仲にまでなった。
ガオンのときも最初はからかって遊ぶだけの、それだけの男だったのに。
(好かれてるなんて…うぬぼれも甚だしいけど)
ゾロリはゆるりと目を閉じた。
不思議なことにガオンの顔がぼんやりとしか浮かばなかった。かわりにロジャーの顔は鮮明に思い出せる。
初めてキスをしたのは約束の森の約束の木の下。次は銀の鎖でつながれたいちごみるくの夜。
そして大きなあの腕の中。
思い出すとたまらなくなって、ゾロリはぎゅっと我が身を抱きしめた。
そして罪悪感にも似た感情が体中を流れている。
ずっと自分を思ってくれているだろうガオンと、ロジャーを思って眠るミリーに。
(ママ…俺は…ううん、私どうしたらいい?)

気づいてしまった。
気づきたくなかったのに。


幼いままでいられたなら、こんなに苦しむこともなかったのだろうか。
知らず知らずのうちにこぼした涙が頬を伝って胸元に飛び込んだ。
「ガオン…」
会いたいと、心が叫んでいる。



誰も悲しまなくてすむように





風に揺れるペパーミントは銀の月に照らされて
恋人たちの明日を占うのだろう




≪終≫





≪収拾がつかない予感≫
どうしよう、伏線張っちゃったみたい…。複雑な四角関係になっちゃったよー!? これはもう、アニメの展開を見守るしかないのか!?
いや、あれだよ、散々あんなことやこんなことしといて『からかってただけでした、テヘ』で終わるものどーよ、とか思ってたんで。
すみません、本当に。ピカリコンXの故障に巻き込まれたあと、キエルンガーZで消滅してきます…。注: 文字用の領域がありません!

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