小さな手紙 「GPS持たせてるんならそんなに心配することないんじゃないですかい?」 少年がそう聞くと背中を向けていた青年は振り返らずに言った。 「GPSも場所によっては誤作動を起こすんだ。それに場所だけ分かったって彼女が何をしているか、どんな目に遭っているかまではわからないだろう?」 さして旅路を急ぐというふうでもなく少年は歩き続けた。 そして雇い主の言葉を思い出してなるほど、と思った。 確かにGPSで位置を確認することはできるがそこで他の男と何をしていてもさっぱり分からないというわけだ。 与えられた情報は一枚の写真だけ。しかも盗み撮りしたらしくカメラ目線ではない。 何でこんな写真なのかと問うと雇い主ははあっとため息をついて『撮らせてくれなかったんだ……』と呟いた。 なんでこんな女がいいのかと問えば『黙って行け』と追い出された。 報酬は特に決めていない。面白そうだと判断したからだ。 しなやかな美貌の持ち主なのにしとやかとは程遠く、イタズラが大好きでかなり無茶をする。イノシシの双子と石人形を連れているというその女性の名はゾロリ。 世に『かいけつゾロリ』と呼ばれている、現在指名手配中の女性の尾行が少年に与えられた任務だ。 雇い主はこれといって心配事はないが、たったひとつ気になるのは彼女の交友関係の広さだと言った。科学者、王室・政府関係者、海賊、魔法使い、薬剤師、恐竜怪獣、妖怪おばけなど多岐に及んでいるらしい。行き先も特定不可能、彼女が言うには天国と地獄も見てきたとか。 「…なんなんだ、この女」 見る限りでは絶対普通で、そんなに変わったところがあるようには思えない。 が、少年はすぐにそれを実感する。 最初に出会ったときは雇い主の言うとおりお腹をすかせていた。ただで食べ放題のバイキングがあったと嘘をついたらまっすぐ向かっていった。正直に言えばアホだと思った。 そうこうしているうちにたどり着いた町でお姫様の婿を探していると言う情報を得た。 道の反対側にはゾロリ一行がいる。 「せんせ、お姫様が結婚だって」 「ふーん…まあなんにせよいいお婿さんが見つかるといいな」 弟子の言葉にゾロリは優しいことを言っている。 「せんせにはガオンがいるから、そんなに余裕なんだねぇ〜〜」 もう一人の弟子の言葉に今度はからかうなよと突き飛ばしている。 相変わらずの師弟関係らしい。少年はこれも初期情報どおりだと確認した。 『さて、これからどう動く?』 少年は雨宿りした先の人のいい男を思い出した。旅人の自分を怪しむことなく家に入れてくれ、さらには温かい食事まで出してくれたピエールという粉ひき職人に何とか恩を返したい。 そう思っていると馬車がやってきた。 乗っていたのは王様とその娘姫であるデイジーだ。彼女はどこか浮かない顔をして座っていた。 それを、ゾロリと少年は目にした。 「せんせ…お姫様、なんか寂しそうだね」 「そうだな…」 じっと弟子たちに見つめられていたゾロリは何かを決心したようだった。 「よし、行くか。お腹すいたろ」 「わーい、ご飯ご飯」 城に向かって歩いていく一行に少年はさっと目を向けた。 彼女がどう動くにしろ、雇い主の希望と自分の恩返しを同時にかなえるため彼も動かなくてはならなかった。 少年の名はペペロ――長靴のペペロである。 ペペロはあまり乗り気ではなかったピエールをなんとかお姫様と結婚させる事に成功した。 姫はあまりにも横暴な父王のやり方が気に入らなかったのだが、さりとて反抗できるだけの力もなく、ただ無為に日々を過ごしていたのだ。 だがここに至って彼女は心優しいピエールとともにあることを選んだ。彼女が自分で下した、最初の決断に誰もが嬉しそうに目を細める。 ゾロリたちもデイジー姫とピエールならいいだろうと安心してくれた。 金色の狐は思い思われる嬉しさを知っている。知っているからこそ、デイジー姫を幸せにしてやりたかった。 その手から零れ落ちない程度の幸せが何よりも大事なのだと、ゾロリはそっと目を閉じる。 「よかっただねー、お姫様…」 「やっぱり、好きな人と一緒にいるのがいちばん幸せなんだよ」 いつも重なる双子の言葉にゾロリはにっこり笑ってその柔らかい茶色の髪をなでた。 その様子をペペロは感歎の思いで見ている。 (こういう女か…) 雇い主の目は案外節穴ではなかった。 「……見失った」 少年は呆然と辺りを見回した。ちょっと道を聞かれている間にゾロリ一行はあっという間にどこかへ消えてしまって、四方をぐるっと見回して、隠れる場所もないというのに見当たらない。もっとも自分から隠れる理由も見当たらないのだが。 「はあ…俺としたことが……。ま、いつか会えるだろ、世界は丸いんだ」 そういうと少年は一枚の金貨を放り投げた。とりあえず表なら北、裏なら南に行こうと決めたからだ。金貨は表だった。今度は東と西を決める。表なら東、裏なら西。金貨は裏なので総合して北西の方向を目指した。 抱えた林檎はあと3つ。 「イシシ、ノシシ。ちゃんと拭いて、また風邪引くぞ」 「せんせ、ここ届かないだよ〜」 「せんせ、おらせんせの耳の後ろ拭いてあげるだ」 ノシシはゾロリに耳の後ろを拭いてもらいながら幸せそうにほおっとため息をついた。 プッペは飛び込んだ洞窟からひょこっと顔を出しどんよりと曇る空を見ていた。おばけの森の空もいつもこんなふうに深くて暗い灰色だった。 「ピ…」 おばけの森はどうなっているだろう。マイナスのデンキウナギを連れて帰ってくるって決めたのになかなか見つからない。ゾロリのせいにするわけじゃないけれど彼女もすっかり忘れているみたいにあっちこっちに寄り道をしている。 ふと、プッペの前を一匹の蛙がぴょこぴょこと飛んでいった。 「ピ?」 プッペの声に反応したかのように蛙はちょっと止まって振り返り、小首を傾げてさも『お前に興味はないぜ』とばかりに飛んでいく。プッペは緑色の蛙に興味を持ったらしく、雨がひどいにもかかわらず外に出た。 そのときだった。 ドッシャーン!!! ガラガラゴロゴロ!! ピカッと稲妻が天を裂き、大地を揺るがした。 「ヒッ!」 雷の音にプッペは竦みあがり、蛙はひょこひょこと茂みへ消えた。 おそるおそる空を見上げると運悪くまた雷鳴が轟いた。 「ピーっ!!」 プッペは鷹に襲われた小鳥のような声を上げて洞窟に逃げ込んだ。あまりの声にゾロリたちもびっくりして拭きあっていた手を止めた。 「な、なんだ?」 「ぞ、ゾロリさ〜ん!!」 プッペは半分泣きながらゾロリのところへ戻ってきて、その膝に飛び込んだ。 「ゾロリさぁん…」 「どうしたんだよ、プッペ。なんかあったか?」 「かかかかかか、かみなり…」 ゾロリの膝にうつぶせているプッペがやっとそう言うとイシシとノシシはなんだとつまらなそうに呟いた。けれどゾロリはプッペの背中を優しく撫でた。 「そっか、さっきの雷、大きかったもんな。しかも続けて2回だし」 「ゾロリさんは平気だっピ?」 ようやく顔を上げたプッペにゾロリは微苦笑した。 「小さい頃は怖かったけど、今は平気かな……」 「なんで?」 「……一人じゃないから、かな」 「ピ……」 ゾロリは自分の膝に縋って怯えるプッペの頭をなでた。 「……お前も拭いておかないと、風邪とか引く?」 「ボクは怪我も病気もしないっピ……」 おばけだから、とは言わず、石だから、と答えた。 「そっか。けど、危ないから外には出るんじゃないぞ」 「うん……」 ゾロリに言われるまでもなく、プッペはもう外に出るつもりもなかった。 「ひどい降りになってきたな……」 さっきの村で雨宿りしておけばよかったと、ペペロは後悔した。だが戻るにしてもだいぶ行き過ぎていたし、進むにしても先の見えない豪雨だ、足場はどんどん悪くなる。どこか山小屋か洞穴でも見つけて飛び込むしかないとペペロは跳ね返る雨を蹴立てるように走り出した。 ゾロリを見失ってしまったけれどそれはそれでいいと思うことにした。 この世界は地図のように平らじゃない、くるりと微妙な楕円球――どこまでも歩いていけばどこまでも繋がっている。 平らだったら出会えなかった。 世界に果てがないからこそ出会えた旅の女と、外界に憧れた男。 (なんて、詩的な表現にはまってる場合じゃねぇ……) このまま雨に打たれ続ければ体力を奪われて旅先で倒れることにもなりかねない。 つい先ごろタテジマ師匠に拾ってもらって『身体は大事にしろ』と言われたばかりだというのに。 とりあえず道らしい道を進むと山の中に入った。 そして小さな洞穴を見つけ、ペペロはそこに飛び込んだ。 ぼんやりと、炎が見えた。 「あ……先客がいたのか……ま、いいや。濡れなきゃ……」 そういうとペペロはぐっしょり濡れた上着を脱いで絞る。ぼたぼたと水があふれてきた。 ついでに帽子も絞ってみるとこっちも同じように水が滴り落ちた。 雨はまだ止みそうにない。 少し奥のほう見える炎が温かそうに見えた。 ペペロの目がくるりと揺れる。あんなに穏やかな火を見たのはいったいいつ以来だろう。 そんなことを考えていると、頭の上にふわっと乾いた布が乗る感触がした。ペペロは驚いて上を見上げる。 さらりと揺れる金はいま雲の向こうにいる太陽の色。その瞳は夜の闇。 世界中の煌きを一身に集めたかのような、穏やかな美貌の狐。 「ゾロリ……」 「……随分派手に濡れたな。雨雲が迫ってたのに気がつかなかったのか?」 旅慣れているゾロリは天気の変化にも敏感だ、降り出す少し前に気がついてイシシとノシシ、それにプッペをこの洞穴に放り込んだ。もう少し遅かったらゾロリたちもペペロのようにべっしょり濡れていたことだろう。 ペペロはフッと自嘲した。 「ちょっとふもとの町に居過ぎたんでね」 「じゃあそのままいればよかったんだ。どうせお前も当てのない旅人だろ?」 ゾロリの手がそっとペペロの髪に触れる。 柔らかく温かなその手がわしわしと濡れた髪を拭く。その感触にペペロは思わず言葉をなくした。 どこか懐かしい、ほわほわとした感覚。 「……悪いな、これ一枚しか残らなかったんだ」 「…なんでだ? 何で俺にかまうんだ?」 ペペロの言葉にゾロリの手が一瞬止まる。が、それはほんの一瞬でまたがしがしと髪を乱すように雨を拭っている。 「お前だからじゃないよ。濡れてるやつはほっとけないだろ?」 「じゃあそうやって濡れてるやつ全員にかまうのか?」 すると今度はゾロリが笑う。 「できるわけないし、するつもりもない。俺は自分のこの手に抱えられる分だけで手一杯だ。ただ……なんとなくだよ」 ゾロリがちらりと奥の炎を見る。その傍らに双子のイノシシがぐーすかぴーと寝息を立てていた。 石人形はプッペは眠らないらしく、雨が降る前に集めておいた小枝を火にくべている。 「来いよ」 「え?」 「え、じゃないだろ。そのままにしとくと風邪ひくぞ? 暖かくしといて損はないだろ」 ゾロリは半ば強引にペペロを立たせると火のそばまで連れて行って再び座らせようとした。 「だから、何で俺に構うんだ? 放っとけばいいだろ?」 「何でそうやっていちいち一人になろうとするんだよ!」 「なっ……」 思わず出してしまった大きな声にプッペがびくっと顔を上げた。イシシとノシシはまだむにゃと眠っている。 ゾロリは口を覆っていた手を退けてほっと息をついた。 炎に揺れる横顔は影を仄かに深く、彼女に憂いを着せ掛けた。 「ひとりほど寂しいものはないんだ。誰かといるときまで一人になろうとか思うんじゃねぇよ」 ぺしっとペペロの髪を払って、ゾロリはプッペの頭を撫でた。 「ひとりは寂しくて悲しいんだ。な、プッペ」 「……うん!」 プッペはゾロリの膝の上でうんと頷いて見せた。その笑顔には微塵の嘘もない。 ああこれか、とペペロはゾロリから借りたタオルでがしがしと頭を拭いた。 雇い主の男がこのゾロリを愛した理由の欠片を拾ったような気がして、ペペロはこっそり笑った。 (ま、これで報告は出来そうだな……) ペペロはゾロリは貸してくれたタオルをそのまま頭に乗せ、ゆっくりと火に当たって身体を温めた。 ここ数日だけでゾロリという存在のすべてを知ったわけではないが、自分には知る必要がない。与えられた任務はただ彼女のそばにいてさりげなく男を遠ざけておき、必要があれば助けることだけだった。 だがほんの僅かに過ごしたこのときでさえ、何故かペペロ自身がゾロリに惹かれたように感じたのは否定できない。 すべてはどこから始まっていたのだろうか――そして、この想いは。 恋じゃない、ただあの温かさが心地いい ああ、それは憧憬 雨が上がるとゾロリ一行は眠っていたイシシとノシシをたたき起こして洞窟の外に出た。 森の木々は雨露に濡れてキラキラと光を弾いている。 雲が取れた真っ青な空に七色の架け橋を見つけ、プッペが綺麗とはしゃぐ。 「虹だ……」 それは少年の穏やかな囁き。 はじめて見たわけでもないのにこんなに深く印象に残るのは、きっと一人じゃないからだろう。 ペペロは乾いた帽子を深く被りなおし、くるりと背中を向けた。 そしてスタスタと歩き出すペペロの後ろ姿にゾロリだけがゆっくり声をかけた。 「……ペペロ?」 「世話になったな」 そういって背中越しに投げられた赤い果実を受け取って、ゾロリは苦笑して見せた。 「もっと素直に礼言えよ」 「へっ」 ただそれだけの言葉、そして横顔を残し、ペペロは再び旅路へ。 そしてゾロリたちも彼とは反対の方向へ。 「気をつけて行けよ、ペペロ」 ゾロリの手が林檎を高く投げ上げた。その林檎はほんの一瞬だけ太陽となり、また彼女の手の中へ。 「せんせ、おらそれ食べたい」 「ノシシずるいだ! おらも食べるだ!!」 一個の林檎を巡って争う幼い双子をよそに、ゾロリはプッペの頭の蓋を取って中にそれをそっと入れた。 「ピ?」 「預かっといてな、プッペ。あとでおやつにするから」 「……うん!」 封印を施すかのようにプッペの頭をなで、ゾロリは喧嘩する双子をぐりぐりと撫でて歩かせる。 「ほら、いくぞ。こんな泥んこ道で野宿したいか?」 泥のように眠りたいけど泥になるのはイヤだと、双子は声をあわせて小走りに駆け寄ってきた。そんな兄弟子の様子にプッペは小さく可愛い笑みを漏らす。 「みんな一緒だと、楽しいっピね!」 「……そうだな。嬉しいことや楽しいことはいっぱい。悲しいことや辛いことは半分になる」 ひとりでは、分かち合うことはできないから。 ゾロリはふと後ろを振り返った。山中に道を別ったペペロの姿はもうない。 彼は何故、ひとりでいることを選ぶのだろう。 それは少年期特有の孤独を愛する何かとは違う寂しさ。 だけどまたいつか会えるような気がしたから、ゾロリはそれ以上彼の背中を探さなかった。 それから数日後。 王子の部屋をひとりの家臣が訪れていた。 「王子、先日お遣わしになった少年から報告書が届いておりますが」 「すまないが、そこに置いておいてくれないか。今手が離せなくて」 「は、仰せの通りに」 黒服の青年は、彼が日常に使っている物からすれば粗末といえるような封筒をデスクの端に置いて退出した。 静かにドアが閉まると同時に、王子の手がパソコンから離れる。 彼は天を仰ぎ、背伸びとともに深く息を吐いた。そして置かれていた封筒を手に取ると長い狼の爪でピッと封を開いた。 出てきたのは一枚の、これも粗末な紙。 ざっと目を通し、王子は唇を弧の形に歪めた。 「相変わらずだね、ゾロリ」 そこにはゾロリがいつものいたずらを駆使してデイジー姫を幸せな結婚へ導いた、とだけ記されてあった。 そして末尾に至り、王子はその紙から目をそらした。 「……余計なお世話だ」 ――ガオン王子の御苦労、察して余りあるほどゾロリはいい女だ 年端もゆかぬ少年さえ惑わすのはその美貌か、優美さか。 「彼女も女だから、母性本能全開だったのかもしれんが……」 せっかくの報告書をくずかごへ捨てる気にもなれず、ガオンはそれをそっと引き出しに仕舞った。 そしてふと賑やかになった外へと視線を投げ、微笑む。 「来てくれたか……」 時折ふいと訪れるゾロリ王女御一行にメイド達が浮き足立ってお出迎えしているのが分かる。 自分だって本当は今すぐにでも駆け出していき、抱きしめて口付けたいのだ。 けれど自分は王子だ――恵まれているように見えて、その実は恋愛も自由にならない身の上。風のように雲のように飄々と流れる恋人を手許に置くだけの力はあっても、追うことはできない。 その、自分には出来ない“追う”という行為を一人の少年に託し、ガオンはそっと窓から離れた。 ネクタイを締めなおし、髪を整えて部屋の外へ。 悲しいほどに十中八九、ゾロリはこの城に自分の妃として留まってはくれないだろう。 だから。 「次の報告を待っているよ、ペペロ……」 静かに開かれた王子の部屋の扉、外界へと彼を吐き出した。 望むが故の苦悩と 望まれるが故の苦労と 花鳥の使いはふらふらと 今日も林檎を携える ≪終≫ ≪ぺぺろんちーの≫ IYH! ペペロはガオン王子の放った密偵だ! というネタ。やっと書いたね自分! 短いですけど、まあこれが限度かもしれん。 ペペロはなんか難しい子じゃった! 掴みにくい子じゃった! でも可愛いと思ってしまった自分がいるのも確か。でも可愛いと思うのと、SSで動かすのはまったく別問題じゃった!! リベンジ希望。機会があったら是非またやりたい。今度はせんせとふたりっきりにでも。うん。 |