色彩鮮やかな季節はきっと〜秋のいろんな安全運動 小学校も終業時間を迎え、児童たちがわらわらと自宅に向かって帰っていく。 「せんせーさよーならー」 「はい、さようなら」 金色の豊かな髪をきっちり結っているのにきつい印象を見せないのは彼女の目元が柔らかいからだと思う。薄の穂のように柔らかなその尾に纏わりつく双子に、ゾロリは尻尾を振ってからかった。 「何やってるんだよ、用がないなら早く帰れよ」 「だってせんせ、この頃」 遅いんだもんと言いかけて、イシシは口を噤んだ。特殊な事情のせいで一緒に暮らしているということは秘密なのだ。 ゾロリはイシシとノシシに目線を合わせるようにしゃがむと二人の耳にささやいた。 「最近中学校の周りを変質者がうろついてるとかで、小学校のほうも注意するようにって言ってきてるんだよ。んで、そのことでPTAと話し合いとかしなくちゃならなくてさ」 「そんで遅くなるだね?」 「ああ。でもちゃんとご飯食べるから、大変だろうけど用意しておいてな」 「わかっただ!」 ふたりが元気よく立ち上がったのでゾロリもゆっくりと立ちあがった。 「じゃあ、気をつけて帰れよ。遊びに行ってもいいけど、必ず大人の人に言ってな、一人にならないように気をつけるんだぞ」 「うん!」 黒いランドセルを背負ったふたりは同級生の貴鬼を見つけて一緒に帰ろうと声をかけた。双子だから友達は要らない、寂しくないなんて、彼らは思わない。ふたりぼっちだったからこその寂しさを彼らは知っているからだ。 元気よく駆け出した三人の背中を見送って、ゾロリはほうとため息をついた。 そして振り返った先にガオンが立っている。彼はゾロリの秘密を知る数少ない一人だった。 「ガオン……」 「子供たちが帰っていくね」 「そうだな……」 未来を担う子供たちを育てるという教職についたふたりは、今度は自分たちの未来を見ている。 「ゾロリ、そろそろ」 「結婚はしないって言っているだろう。一体いつまでその話をするんだ」 ガオンがいきなり抱きしめるので、ゾロリは周囲を確認してから身を捩った。 「離せってば! ガオン!!」 「結婚しても仕事を続けていいと言っているじゃないか。私一人の稼ぎでも君と子供くらいちゃんと養うよ」 「だからそういう問題じゃないってば!」 露になっている首筋に口づけられて、ゾロリはいよいよ暴れだしたのだが、ガオンも伊達に彼女との交際を望んでいるわけではない。彼女を押さえ込むポイントなど当に抑えていた。 「ほら、暴れると誰か来るよ。私とこういう関係になっているだなんてばれたら」 「一蓮托生」 ゾロリはガオンの腕が緩んだ隙を突いて彼から離れた。 「まったく、油断も隙もない」 「あるほうが悪いとは思わないかい?」 「襲うほうが悪いに決まってるだろうが。案外この辺をうろついている変質者ってお前じゃないのか?」 びしっと人差し指で指名されてガオンは激昂した。 「そんなわけないだろう! 言うに事欠いて!! 相手が君ならいつでも襲うが、それ以外に興味はない!」 いろいろ問題発言があったように思うが、それでもふたりは押し合い圧し合いしながら職員室に入っていくのであった。 その頃の中学校では、いつものように星矢とお供の瞬が職員室に呼び出されていた。 そこに理科担当のアフロディーテがいて、瞬を呼び止めた。 「瞬、どうしたの?」 「アフロディーテ先生……また星矢のことで呼び出されて」 「あららん」 バラの花がよく似合うアフロディーテは先に教師になったサガを追いかけ、庭師になる夢を捨てて教師になったという経歴を持つ。ガーデニングは趣味に留めて尚、彼女の薔薇は美しかった。 一方、デスクの前に立っている星矢は先頃行われた中間試験の結果のことで叱られている最中だった。 「星矢……私はお前のクラス担任として、数学担当として、学年主任として悲しいぞ。何のために夏休みを費やして勉強したと思っているんだ!」 「だって……」 「だってじゃないっ! 数学だけかと思っていたら見ろ! 社会も理科もだめじゃないか! 国語と英語だけはかろうじて平均点以上だが」 サガは星矢の成績表を眺めながらため息をつく。が、星矢は平均点以上だったことが嬉しかったのか、やったと手を叩いている。それがサガの神経を逆撫でした。 「やったじゃない!! 平均点以上なんだぞ! むしろ平均点ギリギリだ! ギリギリ崖っぷちなんだぞ!?」 「うー、けど……」 星矢は瞬に助けを求めたのだが、あいにくと彼女には何の責任もない。瞬はアフロディーテによって髪に薔薇の花を挿され、遊ばれていた。 「瞬〜〜」 「瞬は関係ないだろ! 彼女だって夏休みにお前の勉強を見てくれていたんだろうが!」 「だってサガ、瞬と俺じゃ頭の出来が違うよ」 「先生をつけろ先生を」 サガはため息をついた。方や叱られ中の険悪な雰囲気、方や花に囲まれて恋を語らう華やかな空間。同じ職員室から漂う異質な空気に廊下の外はドン退きだ。 「そーいえば瞬、彼氏が出来たんだってぇ?」 アフロディーテの問いかけに瞬はぽっと顔を赤らめたが唇はすぐに否定の言葉を吐いた。 「違いますよ、彼氏なんかいませんよぉ」 するとアフロディーテは真っ赤な薔薇で口元を隠しながら言った。 「だって、この前の週末に瞬が大人の男の人と歩いてるの、見たのよ? 背が高くて髪が長くて」 「あ、あれはその、見たい映画があるっていうからお付き合いしただけで」 「ふーん……」 何か不満足な顔をして見せたアフロディーテに対し、瞬は星矢に助けを求めたのだが、あいにくと星矢はサガにお説教されている最中だった。成績の事から日常生活のことまで事細かにくどくどと叱られている。 星矢の担任になったその日から彼の周囲に胃薬は絶えない。 「彼氏じゃなかったらなんなの? 映画に付き合うんだからそれ相応の仲なのよね?」 「あの……その」 「んふふふふー。まあいいわ。授業が必要になったらいつでも言ってね」 おかしそうに笑うアフロディーテに瞬はきょとんとしながら立っていた。 「授業って、なんですか?」 「なにってぇ……×××」 周囲に聞こえないように囁いたその言葉に瞬は真っ赤になって職員室を飛び出した。帰り際に『失礼しました』と叫んでいくのを忘れなかったあたり、彼女らしいといえるだろう。 「あららん、髪に薔薇挿したまま行っちゃった……」 まあいいかと思いながら、アフロディーテはサガを見た。 彼が星矢を叱るのは生徒の事を思ってなのだが、そろそろ目と髪の色が変わりかけている。彼女はもうそれくらいでとサガをやんわりと諭し、今度は頑張るようにと告げてから星矢を帰らせた。 「はい、お水」 「すまない……」 引き出しいっぱいの胃薬を見、アフロディーテは今夜はお粥にしようとひっそり決めたのであった。 「望ちゃん! 普賢ちゃん!」 紫苑色の長い髪の少女が駆け寄ってくるのを、ふたりの少女が振り返った。 「シグナルではないか。ちょうどよかった、わしらも今から帰るところなんじゃ」 定期試験が終わり、今日は部活も休みとあって、生徒たちは開放感いっぱいに校門を出て行く。三人は連れ立って歩きながら午後から何をしようかと話し合っていた。 すると空銀色の髪をした普賢が言った。 「実はさっきまで望ちゃんちで焼き芋しようかって話してたんだぁ。望ちゃんちのお庭広いしさ」 「うわぁ、楽しそう!」 「芋をいっぱいもらってのう。近所に配ってもまだあるんじゃよ」 呂望の自宅はこの近辺でも指折りの豪邸だ。シグナルも数回遊びに行ったことがある。 手ぶらで来てくれてかまわないという呂望に紫苑色のシグナルがあつかましいんだけどと前置きをして手を合わせた。 「弟を連れてきてもいいかな?」 「へぇ、シグナルちゃん、弟いたんだぁ」 普賢には初耳だったらしく、明るい驚きの声が優しい。 シグナルは可愛い弟を思い浮かべて笑った。 「うん、今3歳になる弟がいるの」 「シグナルそっくりなんじゃよ」 彼女の弟も、同じ紫苑色の髪と瞳を持つ幼児だ。幼いころのシグナルに似ているために愛称をちびというが、本当はミラという。ちびは楽しかった夏休みが終わったせいか、どこか寂しそうだ。夏は暑くても彼の周りには誰かいて遊んでくれていたのに夏休みが終わったとたん、すぐ上の兄姉は学校へ、自身も幼稚園に通う身だ。 友達といる時間は楽しいけれど、家族といる時間も子供ながらに大事にしたくて。 「ちびちゃん、寂しそうだから……」 「シグナルちゃん……」 構ってやらないわけではないのだが、それぞれに世界を持っていることも確かで。 自分より下に弟妹のいない呂望、兄弟を持たない一人っ子の普賢。 そんな彼女らにもシグナルの優しさが分かった。 「わしはかまわんよ。一人増えてもどうってことないからのう」 そう言ってくれた呂望に、シグナルはありがとうと笑顔を見せた。さっそく携帯電話で連絡を取ると、ちびはすでに自宅にいた。焼き芋をすると伝えると彼は電話を置き去りに小躍りしていた。 電話を代わった兄も嬉しそうにシグナルに応える。 「ちびちゃん、すごく喜んでた」 「じゃあ、荷物置いてから、望ちゃんちね」 「うん!」 少し家が遠い普賢だけはそのまま呂望のうちへ向かう。 その頃、中学校の前には一台の黒塗りの車が止まっていた。 外から車内を見ることはできないが、車内からは外がよく見えた。 「ハーデス様、あと五分ですからね。あと五分で瞬様がいらっしゃらなかったら車出しますからね」 「分かっておる! 愛の力で呼んでみせようではないか!」 カメラを構えているのは冥王ハーデス。髪が邪魔にならないようにバレッタで留めているあたりいろんな意味で愛嬌がある。 「瞬来い〜瞬来い〜」 「瞬様はUFOじゃないんですから」 運転席に座っていたミーノスがあと二分と時計を見た。校門からはたくさんの生徒が出てくるのにハーデスはこの中から瞬を見つけ出すのだ。 「あと一分三十秒」 「キター!!」 「えっ!?」 叫ぶハーデスにつられるようにミーノスは窓の外を見た。 瞬が星矢と一緒に学校を出てきている。彼の愛は確かだと思った瞬間だった。 「流石ですね、ハーデス様」 「愛の力を思い知れ!」 そういうとハーデスは急いで車を降りて瞬のもとに駆け寄って行った。 「瞬!」 聞き覚えのある声に瞬がぱっと振り向く。校則で、肩を越える髪は黒か紺のヘアゴムで結わなければならない決まりになっている。瞬は後ろでひとつに括っているのだが、白いうなじに後れ毛がかかってちょっと色っぽい。 瞬は笑顔で彼に応えた。つい先日一緒に映画に行ったばかりなのに。 「最近よく会いますね。でもどうしたんですか? まだお仕事なんじゃ……」 「移動中に偶然見かけてな。今帰りか? なんなら送ってやってもよいが」 いけしゃあしゃあと嘘をつく冥王様。けれど瞬は仕事中なんだからと丁重に断った。 「余なら、大丈夫だぞ」 「でも……」 「不審者の車に乗るなと指導しているからな」 ふと頭上に聞こえたバリトン。ふわと頬をくすぐるのは金と銀が綾なす髪。三年C組担任のカノンが瞬と星矢を庇うように立っていた。 「カノン先生……」 ハーデスとカノンに間に見えない火花が散る。彼らはまだ13歳の瞬を巡る恋敵なのだ。 彼の挑戦を、ハーデスは受けて立つ。 「おお、この変態教師が。今日も生徒をストーカーか?」 「お前に言われたくないわ! 偶然を装ってずっと車を止めていただろうが! 職員室から丸見えだボケ!!」 「誰がボケだ!!」 ぐぎぎと歯軋りしながら睨みあう二人を見、瞬は職員室に走ってサガを連れてきた。ハーデスはミーノスが引き摺って車内に戻す。 「このバカ弟! 学校の前で恥をさらすな!」 「生徒を守ってたんじゃないか!」 カノンもサガに引き摺られるようにして校内に戻っていった。 「え、えっと……」 「帰ろう、瞬」 困惑する瞬の手を取ったのは星矢だった。いつも寝坊して遅刻寸前、テストの成績も芳しくなく、喧嘩はしょっちゅうの星矢がこういうときは頼もしく見えた。 瞬は星矢に手を引かれるままに学校を後にした。 中学校の前の騒動を窓越しに眺めていたクリフトは生徒会長であるアリーナの前に書類を置いた。テストが終わっても会長に休みはない。すぐに引継ぎの準備にかからなければならないのだ。 高校三年生、彼らはもう受験生になっていた。 「何かあったの?」 「いいえ、中学校の前で先生らしい方がもめていらっしゃいましたので」 もう終わりましたと、クリフトは笑った。 けれどそれとは反対にアリーナは浮かない顔だ。 「どうなさいました?」 「ああ、この生徒会室ともお別れかと思うとね……」 文化祭の後片付けもままならない、無造作に書類や段ボールが積み重ねられた部屋に、1年半過ごした。 生徒会の会長と副会長としてこの部屋に篭った時期もある。 時には口論にまで発展し、手をあげてきたアリーナに泣きながら抗議したときもあった。 そんなことも今ではいい思い出だ。 「そうですね、もうお別れなんですねぇ……」 ここには直に新しい生徒会がやってくる。会長選挙を終えたら彼らの仕事は終わるのだ。 「ところでアリーナ様、進路はもうお決めですか?」 「なんなのさ、藪から棒に」 クリフトの藍色の髪を弄んでいたアリーナはその絹のような手触りがなくなることを惜しんで。 秋の日差しが差し込む中、彼女は小さく笑った。陰になった部分を持ってなお美しく見える。 「アリーナ様のお父上が心配なさっておいででしたよ」 「父上が……」 どうしてそういう話をクリフトにするんだろうと思いながら、アリーナは頭を抱えた。 「そういうクリフトは?」 「質問に質問で返さないでくださいませ」 「進路……まだ決めてないや。はいこれが答え。クリフトは?」 「私は、いつもアリーナ様のおそばに」 幼い頃からずっと一緒にいたアリーナとクリフト。幼稚園から高校まで、クラスが違う事はあっても離れることはなくて。 「それでいいの? せっかくいろんなところの推薦もらってるんだろう?」 「アリーナ様のいらっしゃらない暮らしなんか、考えられませんから」 微笑むクリフトのいる景色、どんな季節でもそれは美しいひとつの風景画。 「クリフト、君は……」 そっと席を立ち、アリーナは彼女の頬を自分の手で包んだ。 「目を閉じて」 「はい」 言われるままに、クリフトは目を閉じた。 触れてきた彼の唇。カーテンを閉め忘れても、もうどうでもいい。 駅向こうの呂望の家まで、シグナルが自転車を走らせている。前籠には3歳になった弟を乗せている。 「ちびちゃん、あんまり乗り出さないでね?」 「あい!」 もぞもぞと体を動かし、シグナルと向かい合うちびはしっかりと短い腕を上げた。 自転車を漕ぎながら呂望の家を目指す。実は隣の塀はもう彼女の家なのだが入り口は角を曲がってまだ先だ。 「望ちゃんち、広すぎる……」 「おっきいお家ですねぇ」 庭に植えられた楓がやっと赤く色付いている。今年の夏は暑くて、そのせいで秋が短くなっているのだ。もみじの季節はさらに短いらしい。 ゆっくりと角を曲がり、つーっと自転車を滑らせて、シグナル姉弟はやっと呂望の家に着いた。 前籠から弟を抱き上げ、ドアベルを押す。 すると呂望の姉である竜吉公主が応対に出てくれた。彼女は庭にいると言われ、そのまま通される。 緑の黒髪が麗しい淑女にシグナルもちびもほうっとため息をつく。彼らの姉のラヴェンダーとはまた違う、美しい女性だ。 庭では既に呂望が普賢と共に焚き火を起こしていた。そこに少し年上の女性がいて、呂望に纏わりついている。 「ああん、焼き芋なんて久しぶりぃん。小さい頃やったっきりねぇ」 「妲己、危ないから」 「やれやれ、妲己は相変わらずだな」 公主はそういって苦笑する。 「望、お友達が見えたぞ」 「おお、シグナル。そっちは弟さんか?」 姉の声に振り返った呂望の顔は少し煤けていた。ちびはシグナルの腕の中からみんなに向かってご挨拶。 「こんにちわです。ミラって言います」 「こんにちわ。わしは呂望じゃ。望でいいよ」 「はい望ちゃん」 にこおっと笑ったちびの顔はシグナルのそれとよく似ていた。 「へぇ、シグナルちゃんそっくりだね」 「よく言われるわ」 十三歳年の離れた弟をしっかりと抱き、シグナルは彼が大事そうに微笑んだ。 姉の腕のぬくもりを、ちびはしっかりと覚えている。彼が姉と過ごした時間は短かった。 シグナルは大学卒業と同時に幼馴染だった4歳年上のコードと結婚するのである。たった7年後の事だ。 アルミホイルに包んだ芋と、万が一に備えた水入りバケツの用意も済んで、それぞれ焚き火の中に芋を放り込んだ。火の様子を見ながらときどき火鋏でかき回す。 じっと待っている間も退屈で、女の子たちはいろんな話を始めた。 「ねぇ、そういえば中学のあたりで変質者が出てるんだって」 「あー、聞いたよ。担任の先生が言ってたねぇ」 クラスが違うシグナルもその話を聞いていたのか、うんうん頷いている。ちびは妲己と竜吉公主に代わる代わる抱かれ、ほっぺをつつかれていた。 「うちのクラスでも話題になってたよ。なんか黒ずくめの服で、髪はぼさぼさで、登下校中に電信柱の端に立ってじーっと見てるんだって。それで先生が注意しに出て行ったら逃げていったんだってぇ」 「へぇ……」 三人が通う高校は中学からだいぶ離れているのでその不審者を見たことがない。 その中学出身のシグナルが言った。 「あの学校の先生はみんな強いんだよ。校長先生とか、すごくかっこいいんだぁ」 「へぇ、どんな人?」 「うん、髪の毛が若草色で、ちょっと目が切れ上がってて……そう、ナイスバディーなんだよ」 シグナルはうっとりとその校長先生を思い出していた。生徒ほぼ全員の憧れだったボディライン。どうやったらそうなるのかと聞きに校長室に駆け込んだ女生徒の数は知れない。 校長先生は可愛いものが大好きな変わり者で、シグナルも学校内だというのにこっそりと飴をもらったことがある。卒業した時は本気で泣かれたくらい、今思うと少しおかしい人だった。 「早く捕まるといいよね、その変な人」 「そうだのう……」 そう呟きながら、呂望は軍手の手に芋を掴んだ。 その日の夜のことだった。 小学校と中学校が合同でパトロールをすることが決まり、今日がその初日である。 中学校校長のシオンは目立つ濃い紫のスーツでやってきた。手には変わらず扇を持っている。 「シオン……なんだ、その格好は」 「いや、防犯によいかなーと。扇は鉄扇に変えてきたし」 童虎がその扇を持ってみると、それは確かに鉄の重さがあった。 「それにほれ、ここに仕掛けがあってな」 そういうとシオンは扇の先から細い針を出してみせた。これには流石の童虎もツッコミを入れないわけにはいかない。 「アホか。こんなの持っておったらおぬしのほうが捕まるぞ」 「そういうお前こそなんだ。なんで竹刀やら木刀やら担いでおるのだ?」 「いや、いるかなーと思って」 どちらも銃刀法違反で確実に捕まる。しかたなくふたりはそれらを学校においてきた。 それを見ていたゾロリとガオンが自分たちのメカはどうなるだろうとずっと考えていたが、いろいろ考えてそれもやっぱりおいていくことにした。 パトロールなのにいつのまにか犯人逮捕にまで盛り上がっている。 一同は二手に分かれて町内を探索することにした。 「サガぁ、なんか怖い……」 パトロールに参加していたアフロディーテがきゅっとサガに抱きついた。懐中電灯を手に足元を照らしていたサガがその手を握り返す。 「大丈夫だよ、アフロディーテ。私がついているからね」 「サガ……」 見つめ合う二人の周囲に舞う星を邪魔そうに払いながら、カノンはふと思う。 犯人が憎きハーデスではないという、悔しい事実を。 変質者の特徴――黒尽くめの服装にぼさぼさの髪。だが先日現れた変質者は彼ではなかったのだ。何故そう言いきれるかというと、実はあの日変質者に詰め寄ったのが自分だったからだ。 そのとき瞬は自分の背後にいて、星矢とハーデスを同伴させて登校していたのだ。 完璧なアリバイは思い出しても腹立たしい。 見上げた空には秋の気配。月が遅く昇る今夜は街燈のないところをいっそう暗くしてみせた。 一方、ゾロリ、ガオン、シュラ、デスマスクの班も町内を回っている最中だ。途中で煙草を買いにデスマスクがいなくなったり、心配したガオンの母親から電話がかかってきたりとこっちも愉快なパトロールを続けている。 「デスマスク! ポイ捨てするんじゃないの! 火事になったらどうするの!?」 シュラに怒鳴られながらもデスマスクは小指で耳をかっぽじりながら言った。 「ちゃんと消して捨ててるから問題ないだろ」 「ああそう、それなら……って、そういう問題じゃないっ!!」 環境美観だの、教員としての倫理観だのと懇々と諭すシュラ。ガオンもゾロリも彼女の話になるほどと耳を傾けている。 「あの……何やってるんですか?」 騒がしい我が家の前、亜麻色の髪の少女を見たゾロリがああと声をかけた。 「あれ。瞬じゃん? あ、ここ瞬のうちか」 城戸の表札のかかった家の前で暴れている教員たちに、ゴミを出しに来た瞬が困惑しながら見つめていた。この地域は夜間にゴミを取りに来てくれる。今日は燃えないゴミの日だ。 すると瞬の目が懐かしそうに煌いた。 「ゾロリ先生ですか? お久しぶりです」 「半年ぶりかぁ。元気にやっているか?」 「はい!」 瞬は13歳、半年前までランドセルを背負って小学校に通っていたのだ。ゾロリはそのときの担任である。3年生を担当していたガオンに面識はない。 「先生たち、何をしているんですか?」 瞬の問いかけにシュラがはっと目的を思い出した。 「うん、ほら、変質者が出てるっていうから、PTAで話し合って、中学と合同でパトロールやってるんだ」 言い争いをしていたシュラがふと襟元を正す。この城戸家には彼女が指導している紫龍も住んでいるのだ。玄関先で何事だろうと伺っている彼の姿を見、ちょっとうろたえるシュラ。シオンがいなくて本当によかった。 そんな周囲に気づかないまま、ゾロリは瞬と二言三言交わしている。 「君たちも夜間出歩かないようにね」 「はい。先生たちも気をつけて」 「ありがとう。じゃあな!」 遠ざかっていく懐中電灯の明かり。この辺は住宅地で街路灯も多いから安心だがひとつ通りが違うともう真っ暗になる。 「瞬、なんだったんだ?」 黒髪鮮やかな紅顔の紫龍が瞬を迎え入れるようにドアを支えて立っていた。 「うん、巡回だって。最近学校の近くで不審者が出てるでしょう?」 「ああ、それでか」 言いながらドアを閉めようとした二人の背中に、銀の玉振る鈴の声がかかった。振り返ればそこに女郎花の少女。瞬よりも四つ年上の彼女は現役の高校生であり、有名なモデルでもあった。 「あ、カシオペアさん」 「エモーションでよろしいですわ」 フルネームはエレメンタル・エレクトロ・エレクトラ・カシオペア。長い。 親しいものはエレクトラ、あるいはエモーションと呼ぶ。彼女はコードの妹。エララ、ユーロパとともに3つ子で、その長女だ。 「どうしたんですか?」 「いいえ、今帰ってきたところなのですけど、何やら騒がしそうでしたので様子を窺っておりましたの」 「そうなんですか」 そういうと瞬はエモーションに事情を説明した。すると彼女も納得したのか、ときどきまあと小さく声をあげながら頷いた。 「それなら、気をつけなくてはいけませんわね」 「エモーションさん、お綺麗ですもんね」 瞬の正直な感想に彼女は嬉しそうに笑った。 そして紫龍と二人で彼女が帰るのを見送る。カシオペアさんちはお隣だ。彼女が家に入るのを見届けて、瞬たちも家に入った。 駅前にはまだ人通りがあった。が、住宅地に向かう路地に明かりは少ない。 先ほどシオンの一行と出会った人たちは、特に女性は安心してこの道を抜けたのだが、今ひとりの女性がハイヒールの足で歩いている。コツコツと響く靴音が閑静な住宅街に人の存在を知らしめた。 淡い紫色の水晶に薫衣草の花を閉じ込めたイヤリングをしているその女性はハーデスの会社の顧問弁護士だった。 書類の入ったバッグは重そうなのに軽々と抱え、家路を急ぐ。 そのときだった。 ふと背後に不穏な気配を感じたその女性がばっと振り返る。 黒尽くめで髪がぼさぼさの男がぎくりとしながらも、やけになったのか彼女に向かってきた。 「来るか、狼藉者めが!!」 そういうと彼女は持っていたかばんで男の視界を遮った。そして男が怯んだ隙にハイキックを見舞う。顔面を鮮やかにクリーンヒット。倒れた男はひいひいわめきながら這いつくばった。 「た、助けてくれー!!」 男の声が響き渡る。 するとご近所から住民の皆さんがぞろぞろと、けれど遠巻きに現れた。 手には竹刀だのバットだのゴルフクラブなどを持っている。なんか熱い街だ。 もちろん、音井さんの一家も見に来た。そして輪の中心にいる女性を見て、目を見開いた。 「ラヴェンダーお姉ちゃん!?」 人垣を掻き分けるのは妹のシグナル。彼女は姉の元に駆け出した。 「お姉ちゃん、何してるの? その人誰?」 「ああ、こいつか?」 すっかり伸びていた中肉中背の男をぶらんとぶら下げ、ラヴェンダーはなんだっけと思いながらかばんを探した。 「ああ、思い出した。こいつは痴漢だ。私を襲おうとしたので返り討ちにしておいた」 「しておいたってお姉ちゃん……怪我してない?」 「私が傷を負うと思うか?」 「……思わない」 ラヴェンダーは合気道の有段者である。その妹のシグナルも剣道の有段者だ。 住民の皆さんはまあラヴェンダーちゃんが無事でよかったと、ほっと胸をなでおろす。 「姉さん、ちっとやりすぎじゃないですかい?」 「こういう不埒者は多少のお仕置きが必要だと思わんか?」 「……まったくもっておっしゃるとおりで」 弟のオラトリオは自分よりも小柄な姉に逆らえない。ラヴェンダーはバッグをオラトリオに預けると男を引きずっていく。 「お姉ちゃん! どこに行くの?」 「警察に突き出してくる」 「き、気をつけてね」 こっくり頷いたラヴェンダーは駅前の交番まで痴漢男を引きずっていた。どちらが加害者なのか、正直よく分からない。 「だから! 余は変質者ではないといっておろうが! 知人の家に向かっておっただけだ!!」 交番の安い机を拳で叩き、わめく男におまわりさんは多少辟易していた。ほかの巡査たちは学校の先生たちと一緒にパトロールに出ていて、残ったのはイヌタクひとりだ。 彼はふうとため息をつきながら書類に何かを記入している。 「しかし、黒尽くめで髪もぼさぼさの男がうろうろしていると通報があったので」 イヌタクも毅然とした態度で男に向かう。が、彼を刺激するいくつかのキーワードに触れたようで、男はまたガンガンわめき始めた。 「黒は余のイメージカラーだ! この髪型も毎日セットしておるのだ! いつもはその家まで車で行くのだが、今日は歩きだったので迷子になっただけだ!!」 「分かりました、落ち着いてください!」 椅子を蹴立てて立ち上がる男、ちなみに彼は素面だ、酔ってはいない。 しかしそこそこいい年齢だろうに自分で迷子と言い張るあたりはどうかと思う。 そこに先ほどの痴漢男を引きずったラヴェンダーが現れた。 「すまん、痴漢を取り押さえたのだが……ハーデス社長?」 「ラヴェンダーではないか、何をしておる」 顔見知りに交番で出会おうと思わなかったハーデスは顧問弁護士の顔を見て、思わずほっとした。 彼女に証言してもらえば自分がこの界隈を騒がしている不審者ではないことは明らかになろう。 イヌタクは彼女がぶら下げていた男の特徴が通報によるものと一致したと判断、ハーデスを釈放し、かわりにラヴェンダーから詳しい当時の状況を聞くことにした。 しばらくして、ラヴェンダーは交番を出てきた。 「ん、社長……」 「送ってやる。ついでに城戸の家を教えてもらえるとありがたい……」 本当はそっちが目的かと、ラヴェンダーは思わず微笑んだ。あまり笑うことのない彼女の笑顔はただ、妹のためだけに。 ハーデスとラヴェンダーは並んで歩き出した。 ひとつの区画に六軒の住宅。角の土地に城戸家、その隣がカシオペア家、その裏が音井家である。 「社長は何故、わざわざここまで? 確か自宅は……」 「ああ、まだ駅二つほど先だ。だがちょっとこのあたりを見ておきたくなってな」 「何故、とお聞きしても?」 かまわないとばかりに、ハーデスは頷いた。 「実はな、恋人がおるのだ」 「それが城戸の……」 「うむ。余は本気なのだ」 恋人はまだ13歳の中学生。彼が本気を出したら犯罪だ。 ラヴェンダーは弁護士として言った。 「社長、私は他人の恋愛に口出しする気はありませんが、条例に引っかからない程度にお願いいたしますよ」 「分かっておる」 美しい、ハナミズキのような少女。その蕾を無闇に刈るような無粋な手を、心を彼は持っていない。 でも初めてキスをした、映画館からの帰り道。泣かれたので必死に宥めたのを思い出して。 月のない、夜だった。 不審者逮捕の知らせを聞いたのはパトロールに同行していたロジャーだった。彼は来春の人事で情報局局員に昇進することが内定している。 シオンたちはほっと胸をなでおろす一方で、なにやら消化不良とばかりに唇を尖らせる。 「つまらんな。この手でぼっこぼこにしたかったのに」 「まったくだな」 しかも捕まったのが正真正銘の変質者だったというから、カノンにしてみればやるかたない。 そう、ハーデスを不審者として通報したのは彼だったのだ。 憎い恋敵が消えてしまえばとりあえず一安心、というところだったのに。 そんなカノンに気がついたシオンが、ぽんと彼の方を叩いた。 「まあ、懲戒免職にならん程度にがんばれ」 「ガンバレー」 「無駄だと思うけど」 「なんだと!?」 カノンの突っ込みも華麗にやり過ごし、アフロディーテはばら色の携帯電話でシュラに連絡をとった。 電話を受けたシュラたちも安堵のため息をつく。 パトロール隊は一度本部の小学校に戻り、解散した。 「それでは、気をつけて帰ってくださいね」 「はーい」 人のよさそうな小学校の校長先生もニコニコと笑いながら一同を見送る。 女性陣を男性が送っていくということになり、ゾロリにはガオンがついた。 「一人で帰れるよ、ついてくんな!」 お気に入りのコートを羽織り、ポケットに手を突っ込んで歩くゾロリの隣を、ガオンが幸せそうに歩いている。 「校長命令だからね。それに」 そう言うとガオンは壁にぐっと彼女を押し付けた。 「っ!」 「君だって女性だ。言っただろう? 私は君なら襲う、と」 ごくり、と息を飲む。唇が奪われても動けないのは何故だろう。 それは彼女の中でガオンを嫌いきっていないからなのかもしれない。 母と自分を捨てて消えた父。働いて働いて、くたびれて死んだ母。 愛していたのに、いなくなるのなら。誰も愛さないでいるほうがつらくないのなら。 「ひとりのほうがっ、楽だっ……!」 「ゾロリ……」 彼女に瞳に、涙が浮かんでいた。ガオンはゾロリを押さえていた手を離し、その手首に口付けた。 「……すまない、乱暴にして」 「バカ……」 自分の胸に飛び込んできたゾロリを、ガオンはしっかり受け止める。 「なんでお前は、俺を一人にしてくれなかったんだよ……」 「出来るわけないだろう。愛してしまったんだから」 ガオンの言葉にゾロリの感情が一気に噴き出した。ふえーんと声をあげて泣き出した彼女を連れて、道を行く。 彼女の秘密は、自分と、あの双子だけが知っている。 しばらく彼の胸で泣いていたゾロリはこんな顔じゃ帰れないと、涙をぬぐった。 「誰にも言うなよ」 「泣いたことかな、それとも」 「家のこと」 ゾロリを取り巻く環境は実に特殊だ。父母はなく、母方の祖父に引き取られ、育てられた。そして今は同じ小学校に通うイシシとノシシと一緒に暮らしている。 ガオンは彼女の耳元に囁いた。 「分かってるよ。そうしたら君は転勤だ。私とも離れることになるしな」 自分に不利なことはしないと、ガオンはそういって笑う。癪に障るけど、彼のことは嫌いじゃないから。 「送ってくれて、ありがとな」 たとえ校長命令ではなかったとしても、彼はきっとそうしただろう。軽く彼の頬に口付けて、ゾロリは逃げるように家の中に入っていった。 もうすぐ冬、狐にとって恋の季節だ。 扉越しに彼の靴音を聞きながらゾロリはなんだか胸を締め付けられる思いがした。胸元で拳をぎゅっと握る。 そんな彼女が落ち着くのを待って、コンロンは声をかけた。 「お帰り、ゾロリ」 「た、ただいま、じいちゃん」 「子供たちはもう寝とるよ」 「そっか……」 ゾロリは部屋で寝ているイシシとノシシを寝顔を見にいった。ぐーぐーいびきを掻きながら、互いの腹の上に足を乗せ、ときどきうんうん唸っている。彼女は苦笑して、二人を布団に戻すと、ぽんぽんとあやすように叩いた。 この幸せそうな寝顔を、ずっと守っていたくて。 居間では祖父がお茶を入れて待ってくれていた。 「寒かったじゃろう」 「ありがとう、じいちゃん」 コンロンが淹れてくれた茶を受け取り、しばらくその手に抱く。悴んだ指先が温かさを取り戻し、彼女の手を薄桃色の染める。 「なぁ、ゾロリ」 「なに、じいちゃん」 「わしらにかまわず、結婚してもいいんじゃよ」 「じいちゃん……」 しばらく茶を見つめていたゾロリがはっと顔を上げた。コンロンじいちゃんはずずっと茶をすすってほうっと息をはく。 彼は静かに続けた。 「幸せになるのが、怖いかね?」 図星をさされ、ゾロリの背中がぎくりと震えた。コンロンじいちゃんは昔からそういうところに目ざとい。 「あの、俺は……」 「いい青年だと思うがね」 「じいちゃん……」 祖父は今でも、母を捨てた父を恨んでいるはずだ。けれど孫であるゾロリにはどこまでも優しい。 失った娘の変わりにやってきた少女は、ただほかの誰かと幸せになることを拒み続けて。 「失うことを恐れて、得ることを疎んじてはいかんよ。そんなことはゾロリーヌだって望んじゃおらんだろう」 「ママ……」 ゾロリは茶碗を置き、こつんと机の上に突っ伏した。長い金の髪がさらりと頬にかかる。 「じいちゃん」 「なんだね?」 「ガオン、いい男だと思う?」 孫娘の問いに、コンロンはああと頷いた。 「わしの若いころにそっくりじゃ!」 「じゃあいい男だ」 くすくす笑いながら、ゾロリはよいしょと体を起こした。実際、若いころのコンロンは見目良い男で、モテたらしい。 「お風呂、行って来るわ……じいちゃん」 「んー?」 「ありがとう」 そういってゾロリは少し照れくさそうに笑い、居間を出ていった。尻尾が優しく揺れているのを見送って、コンロンはただ一言つぶやく。 「どういたしまして」 あとどれくらい生きられるだろう、老いは確実に彼の身に降りかかっている。どんなに栄養補助食をとっても、やっぱり若いころのようにはいかない現実がそこにある。 「生きているうちに、見たいもんだな」 可愛い孫娘の、幸せな晴れ姿を。 翌日。 カシオペアさんの家からぞろぞろと兄と三つ子の妹たちが出てきた。 「いいか、変質者は一応捕まったとはいえ、まだどこにいるのか分からんからな。注意は怠るな」 「はい、お兄様」 女郎花の長女がにこやかに笑う。優しい亜麻色の髪の次女も、凛々しい藍色の髪の三女も同じように返事をした。 みな兄の言うことはちゃんと聞く良い妹たち。彼は満足そうに、けれど厳しい顔つきでやはり頷いた。 「だけどコードお兄様」 「なんだ、ユーロパ」 三女のユーロパがニヤニヤ笑いながら兄の腕を指先でつつく。セーラー服は既に冬の装いになっている。 「私たちはいいけど、兄様はちゃんと守ってるの?」 「なっ、ななんだ、藪から棒に!」 「どもってますわ、お兄様」 いつもはほんわかおっとりの次女エララも悪意のない笑顔を見せている。エモーションがナイスツッコミとユーロパを褒め称えた。 「どうなの、お兄様」 「べ、別にシグナルは俺様が守ってやらんでも自分の身くらい自分で守れる! そういうふうにしつけた!」 音井さんちの次女シグナルはコードより4歳年下、三つ子の妹たちより1歳年下だ。エモーションは学校が同じこともあってかシグナルを妹のように溺愛している。 そんなシグナルに剣の道を教えたのがコードだった。剣道場に通うコードの姿に幼いシグナルが惹かれて入門したのが切っ掛けだった。それから彼女はめきめきと頭角を現し、高校でも一二を争う剣姫と名高い。 そう、コードにとってシグナルは優秀な教え子なのだ。 だが妹たちの反応はイマイチだ。エモーションとユーロパはやれやれとジェスチャー付きでため息をつく。 「やだ、兄様ったら朝から惚気ちゃって」 「私たち、誰もエースのことだなんて言っておりませんのに」 「!!」 エースはシグナルの愛称だ。確かに彼女たちは誰のこととも言っていない。もしかしたら『コードは自分のことはちゃんと守っているのか』と尋ねられたのかもしれないのに彼はあっさりとシグナルのことを答えた。 (やられた……) コードは自分の失言を悔いるように額を押さえた。あんまり失言でもないような気がするのだが、彼は失言だと思っているのでそういうことにしておく。 そうこうしているうちに角から幸せそうに鼻歌を歌うシグナルがやってきた。駅に向かうためには必ずこの道を通らなくてはならないのだ。 「あ、シグナルさんですわ」 彼女と一番仲がいいエララがシグナルに向かって駆け出した。ほらとユーロパが兄の腕を引っ張り、エモーションが背中を押す。 「おはようございます、シグナルさん」 「おはようございます。エララさんにユーロパ。エモーションさんもっ」 シグナルは今日も元気いっぱいにカシオペア家のみんなにご挨拶。だがやはりコードと目が合うと頬を染めるのだ。 「お、おはよう、コード……」 「あ、ああ……」 幼い頃から知っているだけに、恋人同士であることがなんとなく照れくさいのか、二人は俯き加減に歩き出す。 なんかぎこちない兄とシグナルに後ろの三姉妹はぼそぼそと囁き会った。 「毎朝やめてほしいわね。見てるこっちが恥ずかしいわ」 「おはようのチューくらいしてほしいものですわ」 とたん、コードがぎろっと後ろを振り向いた。が、妹たちは天を仰いでいい天気ですわーとのたまっている。今日は午後から降水確率60%。朝から曇天だというのにこれのどこが天気がいいのだ。 そう思いながらも、コードはやっぱりシグナルの横を離れない。 「? どうかしたの? コード」 「いや、なんでもない……」 どこかで彼女を深く強く思っていることに気がついて。 駅へと続く道、角を曲がったところでコードはそっとシグナルの手を握る。しなやかで柔らかい、けれど一生懸命剣の道に勤しむ手。 彼女はいったい何のために強くなるのだろう。 「コー……ド?」 「……ちゃんと稽古してるんだな」 「うん。コードが教えてくれた剣道だもん」 「そうか……」 ただ握っているだけの手。繋がる刹那の温かさ。 誰の目も声も気にしない――だって君が好きだから。 「アリーナ様っ、遅刻ですー!!」 「分かってるよ! でも君も寝坊するなんて珍しくない?」 遅刻者の定番、途中で買った菓子パンを咥えて駆け出したアリーナと、後を追うクリフト。電車には間に合ったけど、走らなければ遅刻になってしまう。 昨夜クリフトは遅くまで本を読んでいた。いけないのは分かっているのだがどうしても続きが気になってあと1ページ、あと1ページと思っているうちに二時になってしまったのだ。そのため寝るのが遅くなり、寝坊した次第だ。 「真に申し訳ありません、私としたことが」 「いや、いいんだけどね」 足に自信のある二人、どんどん前方の生徒を追い抜いていく。生徒会長と副会長の珍しい姿に見惚れている場合ではないのだが、ついつい見ずにいられない。 アリーナの髪が揺れ、きらきらと光を弾く。曇天だけど。 クリフトの髪も風を孕んで豊かに舞う。強風だから。 「ねぇ見て見て。先輩が走ってるー」 「本当じゃ。珍しいのう……」 呂望とシグナルが階上から駆け込んでいる二人を見ていた。 そうこうしているうちに二人はなんとか学校に到着、遅刻は免れた。荒い息を整えながら上履きに履き替える。食べながら走ったアリーナは腹のあたりを押さえていた。 「大丈夫ですか?」 「うん、なんとか……」 差し出されたハンカチでアリーナは汗を拭う。が、ついうっかりとそれが彼女のものであることを忘れてしまう。それくらい、アリーナにとってクリフトはなくてはならない存在なのだ。 チャイムが鳴る廊下を歩きながら、アリーナはクリフトに聞いてみた。 「クリフトは食べないの?」 「ホームルームと一時間目の間に食べますから」 「……君が夢中になるなんて、一体何の本?」 「赤本ですけど」 赤本とは、大学の過去の入試問題とその傾向と対策を網羅してある書籍のことである。その表装から赤本と呼ばれているその本は大学受験生にとってはなくてはならない必需品だ。 部活は夏の大会を最後に引退しており、クリフトは少しずつではあったが本格的に受験勉強に取り組んでいたのだ。 アリーナの肩からバッグがずり落ちる。 「赤本?」 「はい、赤本です。T大学と、W大学と……ああ、あとは聖域大と、玉虚大ですね」 並べられた大学名はどこもかなりの学力を有した生徒のみが進学を許される、いわば名門だった。 「すごいところをセレクトしたね……」 「アリーナ様だって、これくらいのところは本気をお出しになったら進学できますのに」 「で、クリフトはどこに行きたいの?」 「え……」 どこと言われても、クリフトはどことも決めていなかった。ただひとつ、彼の行くところにはどこにもでついていくと、それだけを決めていて。 アリーナはため息をついた。 「この前も言ったけどさ、もう私についてくることはないんだよ。君には君の人生があるんだから」 「ええ……でも、私も言いましたよね? あなたのいない暮らしなんか考えられないって」 「クリフト……」 私はそこまで君に思われる男じゃないと、アリーナは思った。けれど彼女がいないということが考えられない自分がいるのも確かだ。 「さ、ホームルームが始まりますよ」 「……ああ」 曇天の空から僅かに光が差し込んだ。 天高く恋燃ゆる秋 ただそれぞれの幸せを願いながら 雲は風にたゆたいながら姿を変えて 君が好きと、そんな囁きが攫われて やがて冬がやってくる ≪終≫ ≪おつかれさまでした!≫ 夏から始めた全ジャンル集合の『色彩』シリーズも秋を迎えました。 秋はいろんな安全運動がありますので、それをネタに頑張ってみました。ウフフフフーッ。 あと、受験生が受験に入ります。うちじゃ、アリーナとクリフト、一輝兄さんと天化ですね。そういうことにしとく! 今回は、前回出せなかったアフロディーテなどいろいろ出せて幸せでした。 次の『色彩・冬』も書ければいいなあ(*゚д゚)。ネタは未定です。 ここまでお付き合いくださいまして、ありがとうございました。 |