色彩鮮やかな季節はきっと 〜ほろ苦いチョコは恋の味 2月14日はなんの日か、と尋ねられれば大半の人はバレンタインデーと答えるだろう。 チョコを渡す前から結果を妄想して一喜一憂する女の子。 もらう前から悶々として眠れぬ夜を過ごす男子諸君。 が、ここに登場する男女は基本的にそうではない。 あげたあと、もらったあとも円満な関係が築かれるはず……で。 そう、バレンタインは戦争だ その日小学校と中学校で期せずして同じ議題の会議をしていたのは偶然の一致でもなんでもない。 基本的に学校というところはお菓子の持ち込みは禁止で、当然バレンタインといえども同じことだ。 だがしかし、児童ならびに生徒たちにとっては学校でやりとりするというのも手段の一つだから禁止するのも可哀想だ。 中学校の会議室では校長のシオンが愛用の孔雀扇をゆったりと揺らしながら黒板の前に座っていた。進行しているのは1年生の学年主任であるサガだった。本当なら3年生の学年主任であるカノンがやるべきところなのだが3年の担任は進路が決まっていない生徒のために駆けずり回っているのでこの会議には出ていない。 チョコの持込を許可するか否かよりも生徒の人生がかかった高校受験のほうがはるかに大事だ。 2月中旬というと私立高校の受験も終わって今度は公立高校の受験が待っている。 「えー、では今年も持込を許可する、ということで、よろしいですね」 「意義なーし」 ほぼ全会一致で問答無用に決まったチョコレートの持込許可は後日校内放送で告知することにして、会議は踊る前に閉会した。 空水色の髪を結った理科担当のアフロディーテがサガの隣に並び立つ。 「お疲れ様、サガ」 「ああ、大した会議じゃないからね」 恋人の笑顔はいつだって安らぎだ。どんな胃薬よりも効果があるが、時としては永遠よりも残酷な毒となりうることを、サガは身をもって知っている。 「私、サガのためにバレンタインには頑張っちゃうから!」 「嬉しいな、期待してるよ」 「うふふふふ」 アフロディーテの華やかな笑顔を見ていた数学担当のデスマスクが隣にいた家庭科担当のシュラの肩をぽんと叩いた。が、シュラはその細い目でギラッとデスマスクを睨みつけた。 「カニ、セクハラ」 「なんでぇ、肩叩いたくらいで。なあ、バレンタインは」 「さ、チョコ作りたい子のために家庭科室開放する準備でもしてくるか」 バレンタインのために家庭科室を開放するなんて進みすぎた学校だ。一応放課後の課外授業ということで押し通したのは校長のシオンであったことは言わずもがな。 華麗にスルーされたデスマスクはチッと舌打ちしてみせた。 「ほほほ、若い、若いのう」 「シオン、お前面白がっているだろう……」 教頭の童虎は長い付き合いのシオンに少々呆れながらも、笑みを崩さない。 「だって、楽しみではないか、バレンタイン。ふふふ、何個もらえるかのう……」 「もらうつもりでいるのか、おぬし……」 日本におけるバレンタインは女性から男性に愛を告白するものだが、外国では男女関係なく、お世話になった方へ感謝の気持ちを込めてチョコを贈るのである。 シオンはそこに期待しているのだ。 「んふふふふふ、とりあえず瞬と紫龍からは固いかのう」 「紫龍は男だぞ、シオン」 「ヤツは義理堅いからな」 ばっさばっさと扇を揺らし、シオンは高らかに笑いながら会議室を出て行った。 童虎はあとで紫龍に連絡を入れておこうと思いながら、部屋の電気を消して彼女のあとを追っていった。 が、バレンタインと浮かれてばかりもいられないのが世の常というもの。 例えば、受験生。例えば、会社員。 ミーノスが書類とノートパソコンを抱えて社長室に入ったとき、部屋には濃紫のスーツをあでやかに着こなした顧問弁護士のラヴェンダーが立っていたのみだった。 「おや、どうなさいました。ラヴェンダー先生」 振り返る彼女の耳元には水晶の中に淡く開いた薫衣草を閉じ込めたイヤリングが煌いた。 彼女はいつものポーカーフェイスでつややかな唇を開いた。 「ミーノスさん、これを」 ラヴェンダーは実に淡々と一枚の紙切れを差し出した。そこには社長の筆跡で『恋人に会いに行ってくるv』と書かれていた。なんともふざけた置手紙である。 ミーノスはとりあえず書類をテーブルの上に置くとため息をついて、突っ伏した。 「真っ白に……真っ白に燃えつきそうです」 同僚のラダマンティスは既に燃え尽きて灰となって散ったが、その有名すぎるフレーズを丁寧語にアレンジして言えるあたり、彼女にはまだ余裕がありそうだ。 ラヴェンダーにも見当がついているのか、うーんと口の中で唸っただけだ。 「確か、城戸の娘のところ……」 それだけ呟いて時計を見ると、中学校は既に放課後という時間。しかし会社員はまだ就業中。それは社長だって例外じゃないはずだ。 要するに、逃げられたということだ。 「すみません、新年度開始する新事業の法的調整においでいただいたのに」 「いや、今日の予定はもう入れていませんから」 こんなこともあろうかと、と口にしないあたり、ラヴェンダーも人間ができている。 「で、どうしますか、探しにいきますか?」 「そうですねぇ……とりあえず連絡を取ってみましょうか」 そういうとミーノスは携帯電話を取り出してとある番号を呼び出した。 ラヴェンダー女史の妹のシグナルは高校生である。今日は友達の呂望と普賢、そしてご近所の瞬をつれて近所のショッピングモールに来ていた。 今度の連休に集まってチョコレートを作ろうということになったのだ。土日は部活があるが、月曜日は祝日で部活も休みになったので、その日呂望の家に集まるのだという。 高校生のお姉さん方の輪の中にぽつんといる瞬はまだ中学生、どきまぎしていたのだがシグナルとは顔見知りなのですぐに馴染んだ。 「いいんですか、私まで」 瞬が不安げにそういうとシグナルはにっこり笑って瞬の手を引いた。 「いいんだよー、女の子だもん。ねぇっ」 「そうそう、女の子だもん」 こくこくと頷く呂望と普賢。彼女らは新しいお友達は大歓迎なのだ。 「瞬は、料理は得意なのかのう」 「はい、一応ひととおりは……」 自身を含め、食べ盛り育ち盛りの兄弟を抱えた瞬にとって朝晩の食事作りは料理を通り越してもはや労働でもあった。でもやっぱり愛する兄弟たちのためとあれば、瞬はためらわずに腕を振るうのだ。 それはシグナルも呂望も同じこと。 まずは何を作るのかということを決めようということになり、本屋さんに行くことになった。レシピも手に入るし、ラッピングの目処も立てられるからだ。 「じゃあ行こうか」 「うむ」 「瞬ちゃん行こうか」 「はいっ」 お姉さん方に連れられて瞬は素直についていく。 紫色の長い髪が鮮やかなシグナル、艶やかな黒髪がステキな呂望、空銀色の髪と瞳が理知的な普賢。 いつかこんなステキな高校生になれたらいいなと、瞬は羨望の眼差しで彼女らを見つめていた。 ふと、普賢が瞬の頬に触れた。瞬はびっくりして動けなくなっている。 「な、なんですか?」 「いや、ニキビとかないなーって思って」 普賢がそういうと呂望が羨ましそうにため息をついた。 「これが10代前半と後半の哀しい違いなのかのう……」 「私もニキビ出来ちゃってさー、痕残らないようにするの大変!」 「いいなぁ、瞬ちゃん肌きれい……」 普賢がうっとりと瞬の頬を撫でている。だが瞬だって13歳、そろそろニキビの一つや二つ出来て来る頃だ。 瞬が憧れるお姉さん方もそれぞれに悩みがあるようで、瞬はちょっとだけ安堵のため息をついた。 本屋さんに到着すると一行はまっすぐバレンタインのコーナーを目指した。本屋も商売だけあってバレンタインコーナーは充実していた。レシピからラッピング、関連童話までなんでも揃えてあるあたりが商魂逞しいと言える。 それくらいの意欲を持って仕事に当たってほしいと思える男が瞬の視界にさりげなく飛び込んできた。 シグナルたちについて歩いていた瞬は目の端に移った黒尽くめの青年の姿を見止めて立ち止まる。彼女はシグナルに断ってからその男に近づいた。 彼は真剣にタウン情報誌を読んでいた。 「あの……何やってるんです?」 ん、と男が振り返る。彼はややあってから雑誌を戻し、にっこりと笑った。 「そなたに会いにきたのだ。ここに来れば会えるような気がしたのだが……愛の力は偉大だな」 かつては愛などなんになるとひねくれていた青年の言葉とも思えない。しかしこんな不特定多数の人間がいる場所で愛を語るのは恥ずかしいので止めてもらいたいとも思う。 が、それは遅すぎる後悔でもあった。 彼は瞬の手をとると自分がここに至るまでの経緯を切々と語り始めたのである。 「あの、ハーデス……」 それは2時間もののスパイ映画も恋愛映画も裸足で逃げ出すほどの壮大な一大スペクタクルで、聴衆の中には感動したのか、すすり泣く者の姿さえあったという。瞬は既に逃げるタイミングを失っていた。 彼が瞬に会うための努力を語り終えたそのとき、何故か聴衆から拍手が沸き起こったことを付記しておく。 「そっか、瞬ちゃんの彼氏さんなんだー」 シグナルは同じ恋人を持つ身として幸せそうに微笑んだ。 「恋人には何をしても会いたいもんじゃ」 中学生の彼氏を持つ呂望がうんうんと頷いた。 「愛があれば年の差なんてねぇ、関係ないんだよー」 大学でマラソンのコーチをしている彼氏がいる普賢がにこにこと笑っている。 瞬は彼氏じゃないんだと必死に言おうとしたのだが、聴衆は幼いこの少女が恋人なのだと瞬にも温かい視線を向けていた。 「瞬……余は世界を敵に回してもそなたを一生守り抜く」 ここでさらに大きな拍手が起こったことは想像に難くないだろう。 が、彼らを引き離す敵は存外すぐそこにまで来ていた。 「ハーデス様、見つけましたよ!」 「うわっ、ミーノス!?」 「お姉ちゃん!?」 人を掻き分けてやってきたのは銀髪の淑女ミーノスと法曹の美女ラヴェンダーだ。 ハーデスは彼女らを見て顔色を変える。そしてシグナルも突然の姉の登場に声を上げる。 彼女らは本気で怒っているように見えた。 「ハーデス様っ、新年度の事業について法的調整をするとスケジュールをお伝えしましたよねっ!? そうですよねっ!?」 「う……」 ここでミーノスは懇々と企業経営から倫理について語りだした。今度の聴取は営業途中のサラリーマンがほとんどのように思えた。中には頷きながらメモを取っている人もいる。 「というわけで社の方にお戻り願いますっ!」 「瞬〜〜」 襟首を美女二人に引っ張られるハーデスに、瞬はそっと声をかけた。 ――ちゃんとお仕事してくださいね、と。 それからシグナルたちは気を取り直してレシピ本を買い、ラッピング用品や材料を買って帰宅の途に着いたのだった。 以上は社長を含む会社員の場合である。 さて受験生はというと、それはそれで幸せな時間を過ごしていたという。 バレンタインと私立大学の受験日とは重なることも多く、アリーナもそれは良く分かっていた。 だから。 「ねぇ、クリフト」 「なんですか、アリーナ様」 ぱら、とページをめくる音がする。クリフトは問題集を見直している最中だった。蛍光ラインが何本も引かれ、付箋がたくさん貼られているその本からは彼女の努力のあとが見て取れた。 が、それはアリーナも同じことだ。 彼はくるくる回していたペンを置くと隣のクリフトを横に見た。 「ちょっと休もうか」 「そうですね、ココアでも入れてきましょうか」 そう言ってクリフトは膝掛けを椅子の背にかけ、立ち上がろうとした。 が、少し早くアリーナがそれを制する。 「たまには私が行くよ。君ばっかり働かせるのは気が進まないよ」 彼がそういうとクリフトは微苦笑した。幼い頃からずっと一緒だった、彼女にとっての大切な人。生涯をかけて守ると誓った人だから。 だからクリフトはやっぱり立ち上がった。 「では、ご一緒しましょう。座ってばかりだったのでちょっと動きたいんです」 「そうだね。一緒に行こう」 「はい」 ふたりは上着を羽織って部屋を出、キッチンに向かう。 アリーナが大好きなメーカーのココアの瓶を取り、クリフトはきゅっと蓋を開けた。アリーナがマグカップを並べる。そこに適量のココアをいれて、温めたミルクを注ぐのだ。 甘いココアがふんわりと香り立つ。マドラーでくるっとかき回すと、クリフトはどうぞとそれを差し出した。 「ありがとう、クリフト」 アリーナはそれを静かに口に含んだ。温かいそれにほっと息をつく。 さてクリフトはと顔をあげると、彼女は黙ってカップを抱いていた。 「飲まないの?」 「いいえ、ちょっと手先を温めていたんです。悴んじゃって」 そういう彼女の手はふわっとした感覚の薄紅色の手をしていた。しかしアリーナは全く気がついていなかったのだ、彼女が寒そうにしていたことなど。 かたん、と彼女がカップを置いた時、アリーナはクリフトの手を取った。 「あ、アリーナ様?」 「ごめん、気がつかなくて……」 そういうと彼はクリフトの指先に口づけた。 手のひらは温かだったが、甲はとても冷たかった。 「あ、アリーナ様……離してください、冷たい手ですから……」 「でも私はこの手が好きだよ」 アリーナは彼女の手を自分の頬に当てたまま囁いた。ココアで少し火照った頬に彼女の手は気持ちよかった。 こうなるとアリーナはてこでも動かないので、クリフトはなされるがままにしておいた。 「ねぇ、クリフト」 「なんですか?」 「今年のバレンタインは、ココアと君のキスでいいよ」 欲しい物の自己申告は助かるが、それでいいのかとクリフトは笑った。が、アリーナは大真面目だ。 「君だって受験生だから、煩わせたくないんだよ」 「アリーナ様……」 「毎年ちゃんと作ってくれたから……今年だけ出来合いなんてヤダ」 「ココアとキスで、よろしいんですね?」 少し苦笑を含ませた確認、クリフトはわざわざ「で」を強調していった。「で」ということは他の選択肢の中からしぶしぶ選んだといった意味が含まれることが多々ある。 気がついたアリーナはくすっと笑ってもう一度彼女の指に口づけた。 「訂正――君が入れてくれたココアと、君の甘い唇以外は欲しくない」 「畏まりました、アリーナ様」 くすくす笑いながら、ふたりはココアを飲み干した。そして仲良くカップを洗って後片付けをし、キッチンを立ち去った。 もうすぐ私立大学の入試、さらに半月後は国公立大学の試験が始まる。 もうひと頑張りと、ふたりはペンを握りなおした。 「ただいまぁ」 「お帰り、ゾロリ。寒かったじゃろう」 「これまでがちょっとあったかすぎたんだと思うよ、じいちゃん」 コートを脱ぎ、腕にかけたゾロリはちょっと二階を見てくると上がっていった。二階は子どもたちの部屋で、イシシとノシシが住んでいる。これは学校には隠し通さなければならない機密事項なのだ。 二人は既に高鼾で眠っていた。が、二人揃って寝相はよくない。双子らしく同じ格好で寝ていたのが笑えた。 「もー、お前らは。風邪引くぞ」 聞こえていないだろう小言も、どこか笑みを含んでいる。 ゾロリは二人の布団をかけなおすと、ぽんぽんと軽く叩いた。 「おやすみ、イシシ、ノシシ」 ふたりはゾロリが来たことも知らずにぐーすか寝ている。それでいい、健康な子供の証拠だから。 起こさないようにそっと部屋を出て階段を下りると祖父のコンロンが夕飯を温めなおしてくれていた。今日はシチューらしい。給食のメニューとかぶらないようにしなければならないし、なにより子供優先のメニューになりがちなのでコンロンにとっては大変だろうと思う。 「いつもごめんな、じいちゃん……」 「なあに、構わんよ。お前さんがちびっ子だったころからやっとるんじゃし。それに動いた方が体にも脳にもいいんじゃよ」 「それならいいけど……」 「それに子どもたちに合わせるから肉も食べるじゃろう。この間の健康診断で骨密度やらヒアルロン酸値が正常じゃったわい」 ふぉふぉふぉと笑うコンロンは父母を失ったゾロリを引き取って男手ひとつで育ててくれたのだ。 元気な祖父を見ていると、いつまでもそのままでいてほしいと願う。 それがいつか叶わぬ絶望に変わると知っていても。 「じいちゃんのシチュー、美味しい……」 「お前さんが大好きだったからのう」 ゾロリの母はゾロリーヌといい、コンロンの一人娘だった。それが駆け落ち同然に家を出て、ゾロリを生んだのだ。 愛されて生まれてきた子だったはずなのに、父は何故か二人を置いて失踪した。何故、何故なのと呟き始めた時、ゾロリーヌの体は悲しみに苛まれ、数年しないうちに幼いわが子を残して彼岸の向こうに旅立ってしまった。 葬儀も何もかも終わったとき、コンロンはようやく駆けつけることができた。 家出同然だったので連絡先が分からなかったのだ。 娘を奪い殺した男の姿はない。けれどたったひとり、泣くことも忘れて座り込んでいる孫娘をみたとき、彼は亡き娘が戻ってきたような気がした。 「ゾロリーヌの、娘かい……」 「ゾロリって言うの。おじちゃん、誰?」 会ったことのなかった祖父と、孫。 ゾロリは差し出されたコンロンの手を拒んだ。彼女は小さく冷たい手をしていた。けれどその漆黒の瞳はまっすぐにコンロンを見ていた――敵意に満ちた、眼差しで。 コンロンは彼女の拒絶の理由が分からず、ただ混乱するだけだ。 「ゾロリ?」 「知らない人について言っちゃダメだって、ママが……」 毅然としてそう言った子どもに、コンロンは目を細めた。娘は子どもを生んでちゃんと育てていた。その事実だけでよかった。 そう、一度も会ったことのない男なのだ、名乗らなかった自分に非があるのは確かだ。 コンロンは膝を折ってゾロリと視線を合わせた。 「ワシは、お前のおじいちゃんなんだ。ゾロリーヌのお父さんなんじゃよ」 「おじいちゃん……なの?」 「そうだよ」 こうしてコンロンはゾロリを引き取って今日まで育ててきた。あれから20年近く経ち、ゾロリも妙齢になったというのに浮いた話に乗ろうとしないでいる。 「お前さん、バレンタインはどうするつもりなんじゃ?」 祖父の問いに、ゾロリはスプーンを置いて答えた。 「……平日だし、連絡日だからデートは土曜か日曜かってことにしてるんだけど」 連絡日、というのは学校や教育委員会からの文書が回って来る日のことで自治体によっても曜日はまちまちだ。この日は管理職が忙しい日なのだが、だからといってゾロリたちにも仕事がないわけではない。 コンロンは茶を啜りながら頷いた。 「うん、わしは構わんよ。行っておいで」 コンロンは孫の恋には賛成らしい。ガオンをひと目見て気に入ったその理由は自分の若い頃に似ているからだそうなのだが。 「じいちゃん、バレンタインにはやっぱりチョコ?」 「当たり前じゃ。お染ちゃんもチョコをくれると言っておったぞ」 お年寄りはチョコなんて嫌うだろうと思うなかれ。コンロンは子どもと暮らしているだけあって舌は意外と若いのだ。以前羊羹をあげようとしたらいたくがっかりされたのを思い出して、ゾロリは小さく笑った。 「ごちそうさま、じいちゃん」 「おそまつさまじゃ」 「ああいいよ、片付けは自分でやるからお風呂でも入ってきてよ」 袖をまくっていたコンロンをそっと押し留めて、ゾロリはにっこり笑った。 「じゃあ、任せるかのう」 コンロンはよっこらしょと立ち上がるとダイニングを出て行った。 その後ろ姿には確実に老いが忍び寄っている。 あとどのくらいそばにいられるかは分からないけれど。 「大きくなったら楽させてやろうと思ってたんだけどな」 教師として働き始めてから経済的には楽をさせてやれるようになったと思う。けれど彼を安心させるのとはまた別なのだ。 ゾロリは天を仰いだ。思い出すのは母の最期の顔。 幸せになりなさいと、頬を撫でた細い指。 ぱたりと落ちた、冷たい音。 「ママ……じいちゃん……」 まもなく春がやってくる。父が消え、母を失った春が。 そしてあっという間にバレンタインを迎えた。 登校する女子生徒はチョコの入ったバッグを別に持っている。男子生徒は特に何も持っていないが、万が一に備えて紙袋をこっそり持参しているものもいる。 昼休み、星矢が机の中に無意識に手を突っ込むとまた小箱に出会った。 「ありゃ、また入ってた」 「だから紙袋持っておいでっていったのに」 瞬が呆れたようにため息をつきながら2年生の教室に向かう。そこに紫龍と氷河がいるはずだ。 ちょっと背伸びをして教室を覗くと、背後から声をかけられた。 「瞬じゃないか、どうしたんだ?」 「あ、氷……どうしたのそれ」 見れば紫龍も氷河も腕いっぱいにチョコらしい箱を抱えている。 「一応、断ったんだがな」 そうして話をしている間にも一個また一個と乗っかっていく恋心、あるいは感謝。 特に紫龍は優しいわかっこいいわで大人気だ。瞬はそんな彼らを誇らしく思いながらもため息をつく。 「星矢の分の紙袋なんて……無理そうだねぇ」 「……無理だな」 「ああ」 済まなそうに言う紫龍と氷河にかえって済まないことをしたと瞬は首を横に振った。 ここは諦めて3年生の教室へ行く。兄ならきっと……という期待はどこか切なかったが、瞬にとっては最後の砦であることも確かだ。 「兄さん……」 瞬がそこで見たのはええい面倒と叫びながら窓からチョコを投げ捨てている兄とそれを必死で止める天化と、泣きそうになっている女子一同の顔だった。瞬がすぐに回収に走ったことは言うまでもないだろう、カノンの怒鳴り声も聞こえてくる。 「こら! 一輝! 窓から物を捨てるんじゃない!!」 「すみません、すみません」 ぺこぺこと頭を下げる瞬はカノンにとってはただの教え子ではない。図らずも抱いてしまった恋心を留める術はなくて。カノンは頭に当たったチョコとその投擲主を睨みながらも瞬には笑顔を向けていた。 「お前も大変だな、あんな兄で」 「慣れですよ」 慣れで何とかなるならそれはそれですごいなと思いながら、カノンはゴミ袋にチョコを入れていく。 「あっ、勘違いするなよ、捨てるわけじゃないからな! 適当な袋が見当たらなかったんだからな!」 「分かってますよ……先生、その袋分けていただけませんか?」 「構わんが……」 「よかったぁ」 カノンの快諾を得て、瞬は心底嬉しそうに笑う。その笑顔が可愛らしくて、カノンは自分の中心を走る何かに身を引き締められる。15も年下の少女、手を出せば確実に犯罪なのは明らかだが。 「あっ、また降ってきた!」 「鳳翼天翔ー!!」 「兄さーん!!! 折角のチョコを捨てないでくださいってば!!」 「黙れ! 俺が直接受け取らないからと机やロッカーに入れておくような惰弱な女に興味はない!!」 じゃあ直接ならいいのかと思えばそうでもなくて。 中には一輝に直に渡そうとした強者もいたにはいたのだが、その少女は鋭い眼光に怖気づいてしまい、泣きながら去ってしまっている。 一体どうしろってんだ、一輝。 「すまんが瞬、これ職員室で預かっておくから放課後取りに来てくれ」 「はい……」 手のかかる一輝と星矢を抱え、瞬は安息の時を得られない。 得られないのは彼の場合もほぼ同じといえるが、周囲に言わせれば贅沢だそうだ。 カシオペアさんちの長子、コードはアトランダム工科大学に通う大学生である。その彼には下に3歳離れた三つ子の妹がいて、さらには4歳年下の彼女がいる。 そのコードの彼女は寒風吹き荒ぶ玄関前で彼の帰りを待っていた。 「うわぁ」 風に乱される紫苑色の長い髪が翼のように広がる。が、絹のようにさらさらした髪は彼女の手ですぐにもとに戻った。 「うう……コードまだかなぁ……」 彼のスケジュールはきちんと把握している。今は高校生たちが大学受験で校舎を使用しているため、学生たちは強制的に長い春季休暇に入っているはずなのだ。ただコードは剣道部に所属しているのでその練習がある。もちろんそれも把握済み。 「寒いよぅ……」 「だったら中で待っていればいいだろう、シグナル」 ぽふっと頭の上に乗った柔らかい何かに彼女ははっと顔をあげた。 「コード、おかえりなさい」 「ただいま。それよりお前なぁ……」 この寒空にどれくらいそうしていたのだろう。お気に入りだという紺色のコートを着てはいるが、白い頬は寒さのせいで赤く染まっていた。もう16歳だというのにこういうところはまだ子ども子どもしていてコードの苦笑を誘う。 「ずっと待っていたのか?」 「10分くらいだよ」 「充分だろうが。ほら、中に入れ。風邪でも引かせたらオラトリオに厭味を言われるからな」 そういうとコードはごく自然にシグナルの腰に手を回し、家の中に連れていった。 「誰もいないのか?」 「ううん、いるんだけど、外で待ってる方が健気でしょう?」 「……」 確かに健気だが、どこかずれているような気もして、コードはただ押し黙るしかできなかった。 たとえバレンタインデーといえどもチョコは単なる菓子に過ぎない。それに命をかけようとする少女たちの心理がコードにはいまいち分からないでいた。 重ねて言うが、それは贅沢である。 コードの周囲には妹と幼馴染から昇格した恋人とがいて、ついでに文武両道の美男子でもあったから彼はバレンタインにチョコをもらえないという惨事を体験したことがないのである。 「はい、コード。今年も甘くないの、作ったからね」 「……すまんな、シグナル。ありがたくいただこう」 「えへ」 どんなに想い思われても照れくさいものがあるのだろう、シグナルは顔いっぱいで照れている。 「……シグナル」 コードにはそんな彼女が可愛らしくて。 玄関先で靴も脱がずに、コードはシグナルに口づけていた。 「コードっ……」 「ば、バレンタインだからな。もらっておいてやる」 「う、うんっ!」 嬉しそうに笑う恋人に苦笑ひとつ漏らすコード。 彼がシグナルから捧げられたすべてを受け取るのはこれからさらに6年ほど先のことである。 シグナルがコードと幸せなキスをしていた頃、こちらも同じように幸せそうに寄り添っていた。 「すまんな、呼び出したりして」 「師叔が呼んでるんさ、俺っちはどこでも行くさー」 ネイビーのダウンジャケットを着た天化は中学三年生。一応受験生なのだが彼は昨秋に推薦で崑崙高校に進学することが決まっている。なので追い込みに苦しむ他の学生と違ってのんびり過ごしていた。と言っても彼が人より早く、そして何倍も努力を重ねてきたがために今のこの時間があるのだ。彼を暢気だと責めるのは筋違いも甚だしい。 そんな彼の努力をたった2ヵ月年上の彼女もよく知ってくれている。 天化にはそれが嬉しかった。 彼の恋人は呂望――彼が進学する崑崙高校の1年生である。 「今年は天化が中学を出るしのう。ま、それはそれで祝ってやるが、少し張り込んだぞ」 「へへっ、嬉しいさねぇ」 それは先週末にシグナルたちと作ったチョコレートだ。彼女の手にはチョコらしい小箱のほかにクラフトバッグが握られている。 「それも?」 「うむ、マフラーじゃぞ。おぬしのために編んだのだからなー」 そういうと呂望は自分で袋を開けて中からごそごそとマフラーを取り出した。男子が好むシックな青だ。 呂望は少し伸び上がって天化の首をマフラーで絞め……いや、かけてやっている。 「どうじゃあ?」 「うん、長さもちょうどいいし、あったかい……」 ふわふわとした毛糸の感触に天化はほうと目を細める。そして自分のことを思ってくれる呂望の手をとった。 「天化……?」 「ありがとう、師叔。この手で編んでくれたんさねぇ……」 そういうと天化は自分の頬に呂望の手を押し当て、さらに自分の手で包んだ。 「冷たいさね……」 「おぬしは温かいのう。しかし、ぎゅっとしてくれた方がもっと温まらんかのう」 呂望がふふふと笑いながら言う。抱きしめて、というおねだりもそう言われると可愛いと思えてしまうあたり、天化はまだ若かった。いや、幼かったのかもしれない。 とにかく天化はほんの少し年上の恋人の言うことを素直に聞く素直な少年でもあったので、彼は迷わず呂望を抱きしめた。 背丈は小さな恋人が天化の胸にすぽっと頭を埋め、幸せそうに笑う。 「天化も、高校生になるんじゃのう……」 「よろしくさ、呂望先輩」 「浮気は許さんぞー」 「わかってるさ」 いっそ清々しいほど初々しい二人から少し離れたところを歩く青年たちも会話にも耳を傾けてみよう。 もしゃもしゃとチョコを食べているミロの横で燃えるような赤い髪の女が笑う。 忙しくて出来合いのチョコだというのに彼はそれでも嬉しそうに食べてくれるから、カミュも自然に笑顔になる。 ふたりは聖域大学医学部に所属する学生だ。カミュはともかくミロまで、と周囲を驚かせたのは2年前のこと。彼らの出身高校では学校創立以来の奇跡と呼ばれている。 その後ろをムウとシャカ、アルデバランとアイオリアが歩いている。 「ムウ、今年はまともなチョコをよこしたまえ」 「ちゃんとチョコですよ、ほら」 「うむ」 去年はチョコだといわれて固形のカレールーを渡され、何の疑問も持たずに食べて胸焼けを起こしたシャカ。ゆんゆんなのにもほどがあるとムウに笑われたのを思い出す。 ちなみにムウとシャカは文学部で、アルデバランとアイオリアは体育学部に在籍している。 これからみんなで久しぶりに飲みに行こうと集まっているのだ。彼らも受験のために大学を追い出された身ゆえに、春までは暇なのだ。 「しかしカミュ、よかったんですか? 医学部は忙しいでしょうに」 「うん、でもたまには息抜きしないとね」 「そうそう! みんなで飲むのは久しぶりだもんな!」 ムウらしい気遣いとミロらしい明るい声に一同笑う。冬の寒さも彼がいればなんでもないような気がするから不思議だ。 アルデバランの腕にぶら下がっていたアイオリアが何かを思い出したかのように口を開いた。 「そうだ、お姉ちゃんが帰ってくるんだよ!」 アイオリアには8歳年上の姉がいる。現在は海外留学中とのことで、アイオリアは寂しい思いをしていたのだが、つい先日、春になったら帰ってくるとの連絡を受けたのだという。 「そうか、アイオロスさん戻ってくるのか」 「うん!」 「俺遊んでもらったし、勉強見てもらった! うわ、久しぶりだな!」 ミロが嬉しそうに笑う。が、アイオリアはちょっと複雑そうな顔をした。シャカがふと目ではなく口を開く。 「どうしたのかね、アイオリア」 「うん、お姉ちゃんが帰ってくることをサガに言ったらね、なんかすごく長い時間沈黙してたの」 「気でも失っていたのではないのかね?」 「うーん……」 さもありなんと、一同が頷いたが、アイオリアはまだ思案の中にいる。 サガにとってアイオロスは何故か鬼門なのだ。 実は学生時代に理不尽に虐げられていたという事実を、幼かった彼らは知らない。 で、そのサガはといえば恋人のアフロディーテと穏やかにディナーなんて楽しんでいる。 カノンは一応瞬からもチョコをもらえたので一人だって構わないのだ。 とにもかくにも、アイオロスは帰ってくる。それが新たなる聖戦のはじまりだということを知ったのは新年度になってからのことだった。 さて、カノンと同じく瞬からのチョコを待っていたもう一人の男は先日の脱走が仇となって就業中は社外に一歩も出られない状態にあった。当然といえば当然なのだが、とりあえず出られなくなっている。 「……瞬に会いたい」 「お仕事が終わればいくらでも会わせて差し上げますよ」 「くぬう……」 パソコンの画面は(彼から見れば退屈な)書類作成画面で、無機質な文字を打ち込んでいくだけの空しい作業だ。これが瞬に送る恋文の原案ならば彼は夜通しだって入力し続けるに違いない。 「今日はバレンタインなのだぞ!」 「分かっておりますよ。しかしハーデス様が脱走なさるからこうして就業時間が終わっても超過勤務しなくちゃならないんです、お分かりですか?」 「瞬……」 そう呟いたハーデスの手元の電話が鳴った。これは外部とは繋がっていない、要するに内線である。 電話の主は警備員のカロンからだった。ハーデスに会いたいと女の子が一人訪ねてきているのだという。 通信を受けたミーノスは苦笑して、その子を入れてあげるようにと言い渡した。 バレンタインという日に、神様はこうして遊ぶのだろうか。 「サイコロ遊びは好まないくせに」 「何か言ったか」 「いいえ。ハーデス様、突然の来客だそうですよ」 「余にか?」 来客と聞いてハーデスは居住まいを正した。普段は瞬瞬と薬缶のように煩い彼でも歴とした社長だ、立ち居振る舞いも真面目で優雅だ。 「誰が来るのだ?」 「お会いになれば分かります」 何が楽しいのか、ミーノスはくすくす笑っている。ハーデスはパソコンにデータを保存させると、電源を落とした。 コンコンと、ドアを叩く音がする。ミーノスが開けてやるとひょっこりと亜麻色が見えた。 「瞬? 瞬なのか!?」 仕立てのいい黒のスーツを着たハーデスが一陣の風のようにミーノスの横を通り抜けた。 「瞬!」 「うわあっ」 力いっぱいハーデスに抱きしめられた瞬は逃げ出そうと身を捩る。が、自分よりも年上の男の腕は思うよりも力強く、愛ゆえに解くこともできない。 「苦しいです」 「余に会いに来てくれたのだな、瞬!」 「バレンタインですから、チョコを渡しに……すみません、お仕事中でしたよね?」 「なに、大事無い」 本当は残業中だったのだが、今日はもう仕事にならないだろう。ミーノスは明日残業することを約束させて、ハーデスを送り出した。瞬を一人で帰らせるわけにはいかなかったのである。 「では行こうか」 「はい」 瞬は差し出されたハーデスの腕をおずおずと掴んだ。彼女の日常生活の中でこのような紳士的なエスコートにはなかなか出会えない。ハーデスだけが彼女に供してくれるし、彼も瞬以外の女性に本気ですることはない。 それが瞬には不思議と心地よかったのだ。 しがみつけるのなら、しがみついてみたかった。 けれど瞬の中の幼さがそれをさせなかった。 「どうした? 袖を引っ張ったら伸びるではないか。余のことを思ってくれるのなら、構わず抱きついてくれ」 「え……」 言われて瞬は指先で袖を引っ張っていることに気がついてぱっと手を離してしまった。少女の行動というものはときに合理的で、それなのに夢見がちだ。 特に瞬は可憐で清楚な、そう、絶滅危惧種に属している。 そんな少女を自分の望む姿に変えてしまうのも悪くないと、光源氏のようなことを考えながら、ハーデスは自分の腕にそっと寄り添ってきた瞬を愛しく思うのだ。 「寒くないか」 「大丈夫です」 今日は恋人たちの日だから。 学校からの帰り道、と言っても彼らは生徒ではない。学校から帰るのは生徒だけとは限らないのだ。 「あのさ、ガオン。家まで送ってくれるのは嬉しいんだけど……」 「うん、君を守るのは私の義務だと思っているがね」 そういうガオンはゾロリから着かず離れずの距離を保っている。 隣を歩けばいいのに、と思っても言わないのはゾロリのプライドのようなものだ。 それと、ほんの少しの恐怖。 幸せになることを、彼女は幼い頃の体験から恐れている。幸せだった、少なくともそう見えた父母はゾロリを置いてふたりとも消えてしまった。幸せになるということはまた誰かに置いていかれるということなのだろうか。 それだけ考えて、ゾロリは誰の隣にも立たないのだ。 だがガオンは道幅が広がると、自然と彼女の横に立った。 「ガオン……」 「私はね、君を置いて消えたりしない。信じてほしい」 「信じて、か……」 ゾロリはガオンの言葉を、まるで自嘲するように繰り返した。 「何を証拠に、信じればいい?」 「え?」 「お前の何を証拠に、お前が俺のそばから消えないっていう事実を信じればいい?」 「ゾロリ……」 立ち止まって振り返ったゾロリは、きつい視線をガオンに投げかけていた。 その凄艶すぎる笑みにガオンは思わず息を飲む。 ゾロリは誰も愛さないわけじゃない。けれど本気にならない。 心を得ることができない、そしてその空しさは彼女が誰よりも知っているのだ。 「消えなければ、君を置いていかなければいいんだろう」 「へっ!?」 そういうとガオンはゾロリの腕を強引に引き、抱き寄せた。 金色の髪がさらりと揺れて、彼の胸元を僅かに叩く。 「ガオン……」 「君を連れて、逃げればいいんだろう」 「はぃい!?」 ガオンはゾロリをひょいと抱き上げ、そのままどこかに連れ去ろうとした。 「ちょっと、ガオン!!」 「信じてほしい……私は、君を裏切らない」 「ガオン……」 低く響く狼の声、甘い囁きにゾロリの耳がピクンと跳ねた。 「可愛いね、ゾロリは」 「……おまえ、コーヒーに入れる砂糖変えたろ」 「なんで今その話をするのかな、君は」 それが照れ隠しだと分かっていても雰囲気は台無しだ。 確かにコーヒーに入れている砂糖が変わったのは確かだが、それは普段使っているものが生産中止になり、新しいものを買わざるを得なかったと事務員さんが言っていたのだ。だからガオンのせいじゃないのだ。 「で、君は私が好きなのか、嫌いなのか?」 「……す、好きだよ」 お姫様抱っこのまま、ゾロリとガオンは口づけた。 「重くない?」 「平気だよ」 チョコより甘いのは、君の唇とお前の態度。 誰もいないのをいいことに夜の路上でいちゃついていたガオンとゾロリがいなくなったあと、通りの影から現れたのはアリーナとクリフトだった。 彼らは受験生で、気分転換と夜食購入をかねて散歩に出ていたところを先ほどのラブシーンに出会ったわけなのだ。 二人は顔を赤らめるでもなく、ただその道を歩いていた。 今日びの高校生はあれくらいのことで驚いたりはしないのだ。寧ろ瞬の方が本当に天然記念物だ。 クリフトはちゃんとエコバッグの中に商品を入れている。 「アリーナ様」 「んー?」 クリフトの呼びかけにアリーナが振り返ると、彼女は黒光りするラッピングシートに包まれた小箱を取り出した。リボンもちゃんとかけてある。 「どうしたの、それ」 「バレンタインですから、買ったものはいやだと仰いますけどやっぱり……ね」 そう言ってクリフトが差し出してきたチョコをアリーナは遠慮なく受け取った。 チョコと一緒に、自分を思ってくれている彼女の心も。 「ホワイトデーには、相当なお返しをしないとね」 「そんな、アリーナ様がいらっしゃるだけで充分です」 「また君はそういうことを……」 彼女の人生に自分はあまりにも関わり過ぎているのかもしれない、とアリーナは思った。けれどもう離れることもできなくて、だから。 「君の事は私が一生かけて守るよ。約束する」 「私は一方的に守られるのはイヤです。ですから、支えるっていうのはどうですか?」 「そうだね、そうしよう」 愛されることを恐れた女性よりもクリフトの方がずっとずっと大人だったのかもしれない。 だけど恋愛にはいろんな形があるから。 思い、愛し合う恋人たちよ その甘ったるい暗黒の菓子に願いを託すがよい 神はサイコロ遊びは好まない が、漆黒の媚薬たるチョコを駆使して男女を弄ぶのはお好きらしい そして次はマシュマロかキャンディを転がすのだ ≪終≫ ≪ハッピーバレンタインv≫ アメジスターズのバレンタイン2008です。間に合ってよかったー!! 例によって無駄に長いです。ここまでお読みいただいてありがとうございます。受験組がそろそろ受験終わればいいなあと思います(じゃあ終わらせてやれってwww)。 あと、聖域大学の面子が出てきました。そろそろダブルクイーンも出していきたいな、と。 次はホワイトデーができればいいなあと思いながら遠くに逝きます(*゚д゚)。 |