丑三つタイマー 〜肝試し大作戦! 夏といえばやっぱりこれでしょう! って言い出したのは誰なのよう!! 「戦慄の夏休み! 肝試し大作戦! ってことで」 後ろに『大作戦』なんてつけたがるのは彼女以外にはいなかった。ゾロリは美しい金色の髪を高い位置で結い上げ、晒されたうなじに冷たく濡らしたタオルを当てている。冷やっこいのが気持ちいいのか、ほわーといい表情をしている。 それを聞いていた呂望が面白そうじゃのうとけらけら笑う。 そこに瞬が遠慮がちに口を挟んだ。 「あの、肝試しってなんですか?」 幼い頃、その手の遊びから強制的に遠ざけられていた瞬に肝試しの経験はない。そんな彼女のためにクリフトが優しく教えてくれた。 「肝試しっていうのはわざと怖いことをして度胸を試す事なのよ」 「へぇ……面白そうですね」 「実は妖怪学校の夏の実技実習でさ、人を驚かせる練習をしたいって言ってきたんだよ」 ゾロリは妖怪学校の校長先生と旧知の仲なのだ。旅の途中で何度もお世話になっている。夏の実技実習にも何度か付き合ったことがあるのだ。 「というわけでどうかな」 ゾロリがそう問うと呂望は小脇に抱えていた桃ゼリーを食べながらうんと頷いた。 「ワシは参加するぞー」 「私も。懐かしいですね、サントハイムにいたときは王子と二人でよくお城の地下室を探検したものです……」 「星矢が退屈してたからちょうどよかったです」 呂望とクリフト、そして瞬が参加の意を表明するなか、逃げ出そうとしていた少女が一人。 ゾロリは手を伸ばして彼女の長い髪を掴んだ。 「ふぎゃっ!?」 狐の手に偏光する紫の髪。ゾロリはにいっと口元を歪めた。 「ふふふ、逃げようたってそうはいかないぞ、シグナルちゃん」 ぐいぐいと髪を引き寄せられ、シグナルはゾロリに羽交い絞めにされた。 「ぞ、ゾロリさん……」 「いいんだよねぇ、シグナルちゃんみたいにキャーキャー怖がってくれる子がいると盛り上がるんだよなぁ」 ヒヒヒと笑って見せたゾロリのほうが怖くて、シグナルは思わずウフフと笑う。 「だって私ロボットだから肝ないし。だから」 「だーめ、強制参加!」 「いやああああああ!!」 じたばた暴れるシグナルはさすがロボット。ゾロリでも抑えきれるものではなかった。 「瞬ちゃん! 頼む!」 「シグナルさんごめんなさい! グレートキャプチュアー!!」 「キャー!!」 ぎゃらららあんと鎖の鳴る音がして、シグナルはあっという間に拘束された。オリハルコンとガマニオン、銀星砂で作られた聖衣に付属している銀河鎖はちぎってもちぎっても再生する。MIRA製のシグナルも流石に諦めて大人しくなった。ただどうしても参加したくないのかはらはらと涙を流している。 「で、肝試しの会場は何処にします?」 「あー、それなんだよなぁ。どこかいいところ知らない?」 シグナル抜きで肝試しに関する会議は着々と進められた。 「封神台でやるか?」 「いいんですか、封神台を肝試しに使って」 「じゃあいっそ冥界でやります?」 冥界――それは冥王ハーデスが支配する死の世界。だがそのハーデスは瞬の尻に敷かれているも同然なので実質冥界の支配者は瞬だといってもいい。 ゾロリはうーんと唸った。 「そりゃ願ったり叶ったりだけど、大丈夫? 貸してもらえるのかな」 肝試しの会場なんかにおいそれと貸してもらえるんだろうかとゾロリが心配していると、瞬がさっそく冥王と連絡を取ってくれた。 瞬がアンドロメダレッドの携帯電話を耳に当てていると刹那と待たずに冥王本人がやってきた。 「瞬ー!! 呼んだかー?」 いきなり飛びつき、ごろごろと猫のように頬を寄せてくる冥王に苦笑しつつ、瞬はひょいと彼を押しのけた。もうっすっかりコツを掴んでいる。 「早かったですね、ハーデス」 「そなたが呼んでおるのだ、当たり前であろう」 夏の暑い最中にいちゃいちゃといちゃつきまくる冥王と瞬はつい先ごろ婚約した仲だ。 だが地獄のエンマでさえ恐れないゾロリにハーデスが怖いはずもない。 「瞬ちゃん、例の話お願いしていいか?」 ゾロリに言われ、瞬ははっと本題に戻る。 「ねぇハーデス。今度肝試しをやろうと思うんですよね」 「肝試しとはなんだ」 「度胸試しだそうですよ」 「なんだかよくわからんが、瞬は参加するのか?」 冥王にとってはそれがどんなイベントであろうとも瞬がいるか否か、それが大問題らしい。 瞬がこっくり頷くとハーデスは快く冥界を肝試しの会場として提供してくれた。 「ありがとう、ハーデス」 「なんの。瞬のためなら余は何でもしよう」 誰か突っ込めるものから突っ込んでほしかった、瞬のためではなく、肝試しのためなんだと。 「さて、会場は片付いたからあとは人員だな。何人参加するだろ、裏方も少しほしい気がするし……」 「ゾロリちゃーん、また面白いこと企んでるんですってぇん!?」 またしても飛び込んできたのは妲己だった。殷王朝最後の王、紂王の妃にしてその正体は九尾の狐。男を虜にしてやまないその美貌でありながら大好きなのは呂望と妹分のゾロリ。 妲己はゾロリを押し倒すように抱きついた。 「ゾロリちゃん」 「妲己姐さん……また企んでるって。企画してるって言ってくれよ」 瞬に頬を寄せていた冥王はああやって抱きつくのかと参考にしている。 ゾロリは妲己の肩をやんわりと押す。 「肝試しやるんだ。冥王さんが冥界を会場に貸してくれるって言うから、あとは裏方がほしいなって」 「あらん、それならわらわの下僕たち貸したげるゎん」 妲己の下僕とは齢数百年を越える妖怪仙人たちである。妖怪学校のおばけさんたちと比べるとだいぶ落差があるような気がするが、と呂望は思った。 「だったら四不象飛ばすか? 空飛ぶカバも充分びっくりすると思うが」 「スープー君泣くぞ……」 呂望は桃プリン二杯目に取り掛かっていた。 ふと、妲己が顔をあげる。 「そうだわん、ゾロリちゃん。あの男にも手伝わせましょん」 「あの男?」 誰だろうときょとんとしているゾロリの耳に、妲己が優しく囁いた。その名に納得のいったゾロリは早速立ち上がり、妲己と共にある町を目指した。 「すぐ戻ってくるから、イシシたちが帰ってきたらよろしくね」 「はい、わかりました」 クリフトはにっこり笑ってゾロリたちを見送る。 と、そこに今の季節でも鮮やかに咲き誇る桜の君と出会った。 「あら、コードさん」 「シグナルはいるか?」 「はい、こちらに」 それはシグナルの恋人<A−C CODE>その人であった。彼はいつものようにすたすたと部屋に入って絶句した。シグナルは鎖に巻かれたまま、しくしくと涙の水溜りに沈んでいる。 「な、なんだこれは」 「あ、いけない。解いてあげなくちゃ」 忘れてたとばかりに瞬が銀河鎖を解くと、シグナルはうわあんと声を上げてコードに抱きついた。 ハーデスは瞬もあんなふうに抱きついてくれたらなと羨ましそうに見ている。 「なんだ、シグナル、一体どうしたって言うんだ」 「ゾロリさんが肝試しやるって言うんだもん……」 「……お前おばけの類が嫌いだったな」 コードに言われ、シグナルはこっくり頷いた。 嫌いになるにはわけがある。それはシグナルのベースデータによるものだった。 生物と呼ばれるものは基本的に体の一部を着脱する事はできない。トカゲの尻尾や歯、爪、髪の毛などのように外れていくものもあるが、一度外したものは特殊な技術でなければ取り付けることはできないし、ましてや再生することもない。けれど俗におばけといわれる存在は着脱可能らしい。 その事実はシグナルの生物における基本理念をかなり逸脱しており、ゆえにわからないという思いがおばけきらいという感覚を生み出したのだ。 「コードぉ……」 「あーあ、わかった。わかったから抱きつくなっ!」 コードは必死にシグナルを引き離しにかかったが、彼女は頑として離れなかった。 瞬はそんなシグナルがハーデスにそっくりだなあと、なんとなく思った。 「コードぉ、コードは肝試しやらないよね?」 「俺様か? いや、面白そうだとは思っているが……」 コードの言葉にシグナルはいやっと声を上げて縋った。 「まさか参加する気なの!?」 「ああ、そのつもりだが」 シグナルの顔色が見る見る変わっていく。コードがいくのなら私もと言いたいところだが事情が事情だけに即答できないでいる。けれどと、シグナルはコードの袖をきゅっと握った。 「コードがいくなら私もいく! へ、平気だもん、一緒なら平気だもん!」 「シグナル……」 それは生まれたときから結ばれていた、ふたりの絆。 まだ見ぬ相棒をなくし、友たる人間を失い、電脳の中で暮らしていたコードが見つけた地上への糸。 それがコードにとってのシグナルなのだ。 いつかあんなふたりになれるだろうかと、冥王と瞬は不思議な思いで抱き合う桜と藤の花を見ていた。 さて、その頃妲己とゾロリは『あの男』を探しに童守町に来ていた。 「この街でお医者さんをしてるって聞いたゎん」 「相変わらずいけ好かないヤツ」 カッと靴を鳴らして病院の前に立つふたり。綺麗なんだけど微妙な迫力を持つこのふたりに周囲は奇異の視線を注いでいる。が、いちばん奇異に感じていただろうその男は窓から脱出しているところを見咎められた。 「妲己姉さん、あそこ!」 「逃がさないゎん! 金毛玉面九尾のわらわに勝てるとでも思っているのん!?」 白衣の男は猛然と走り出す。妲己とゾロリも負けじと追いかけるが、男の足には追いつけない。 走りながらゾロリはその手に黄色いボールを握ってかまえた。 「ゾロリンボール!!」 ひゅるんと音を立ててゾロリ印のボールは男の足元に命中したが、それでも足を止めるには及ばない。 くそっと舌打ちするゾロリに妲己がウフフと笑った。 「なにがなんでも」 「とっ捕まえる!!」 赤いスポーツカーの行き先を、妲己とゾロリはなんとなく察していた。 そのころ行き先と目されていたアパートでは、住人である鵺野鳴美とその生徒・稲葉郷子が鍋を見つめていた。 鵺野はうーんと唸りながらぽりぽりと頭を掻いていた。 「郷子……」 「だって、鍋いっぱいにお湯を沸かして、沸騰したら食べる分だけ素麺入れて、そしてまた沸騰したらコップ一杯の水入れるんでしょう?」 「そう、そして冷たくなるまで洗うんだよ、でもな……」 洗いあがったそうめんが入っていた鍋。その鍋からはオオオオオと妖気的効果音が上がってきている。 素麺を茹でるうえでそんなに難しい事ではないのに、料理が苦手(本人自覚なし)の郷子にかかればたとえそれが茹でるだけのものであろうとも妖怪化するらしい。 鵺野は頭を抱えた。家庭科の授業で調理実習もちゃんと教えていて、そのときは普通に作れるのにいざひとりで、となるとどうしてこうなるのか。 「夏休みの間に何とかしたいって言うから付き合ってるけど……」 「ううう……」 これじゃあなあと半ば呆れる鵺野と悔しそうな郷子の耳に聞こえてきたのは妙に忙しいエンジン音。 なんだろうとアパートの窓から顔を出すと階段を駆け上がってくる白衣の男と、その後を追っているらしい二人の狐姫が見えた。 「ぬ〜べ〜、あれってやっぱり妖狐なの?」 クラスの中でも霊感の強い方である郷子は狐姫に目を止める。ふたりとも憎いくらいセクシーな体つきだ。 「いや、一人は違うみたいだけど」 もう一人はよく知っていると言いかけた鵺野の声を遮るように扉が乱暴に開かれる音がした。 「鵺野先生!!」 入室の許可も取らずに勝手に入ってきたのは玉藻。彼もれっきとした妖狐で、齢四百年を数える。その彼が血相を変えて逃げ込んでくるほどなのだからあのふたりは余程の手練なのだろう。 「どうした、玉ちゃん」 「こんなことであなたに縋るのは妖狐としての矜持に関わりますが、今はそんなことを言っている場合ではないのです、匿ってください!!」 玉藻は鵺野と二度戦って、引き分けている。あのふたりは玉藻が戦うことを諦めて逃げ出すほどの大物らしい。 鵺野は郷子を背後に庇う。玉藻はふっと姿を消した。 途端、どんどんと扉が叩かれる。インターフォンがないのだ。 「ごめんくださーい、金毛玉面九尾の狐ちゃん、略して妲己ちゃんでーす、開けてくださぁいん」 「えっ!? 金毛玉面九尾の狐!?」 どこをどう略したら金毛玉面九尾の狐が妲己になるのかは永遠の謎だが、それは鵺野にとって知らない名ではない。 驚いた鵺野は慌ててドアを開けた。金毛玉面九尾の狐といえば玉藻に新しい魂をくれた、妖狐の総大将である。そして妲己といえばその狐姫が最初に災厄をもたらしたという、殷王朝最後の王妃の名である。 「やっほー、鳴美ちゃんおひさだゎん」 きゅっと抱きついてきた妲己に鵺野はひゃあと声を上げた。あのとき対峙した金毛玉面九尾の狐様はもっと威厳と脅威に満ち溢れてたのに今の姿はただのお色気キャラだ。その傍らにいるのはこれまた別の意味で名高いイタズラの女王様。 ゾロリは鵺野に抱きついていた妲己にコラコラと声をかけた。妲己は目的を失いかけている。 「妲己姐さん、鳴美ちゃんとの再会を楽しむのはあとにして早くおたま探そう」 「そうだったわねん」 「あのー、おたまってこれですか?」 郷子がおずおずと料理器具のお玉を差し出すと、妲己とゾロリは可愛い子がいると郷子を撫で繰り回した。 「さて、これくらいにしてん」 「おたま、出て来い! 肝試しやるから付き合え!!」 鵺野でさえ玉藻のことは玉ちゃんと呼ぶのにこの二人には全く遠慮がない。しかも呼び出しの理由は『肝試し』。 これでは流石の玉藻も逃げ出そうかというものだ。 どれだけ呼びかけても一向に姿を見せない玉藻に業を煮やし、妲己は最後の手段とばかりにぐわしっと鵺野の胸を鷲掴みにした。郷子が敬慕する鵺野の乳房がふにゅんと妲己の手に収まる。 「いっ!?」 「おたま、早く出てこないと妲己姐さんが鳴美ちゃんにイタズラするぞ!」 「いや、もうしてるから! っていうか教育上よろしくないからっ!!」 子どもの目の前で何をするんだと喚く鵺野の前に玉藻は仕方なく姿を現した。教育上反応したのか、鵺野の乳房が侵攻されるのが嫌だったのかは定かではない。 「玉ちゃん……」 「すみません、鵺野先生……このおふたりに関わると昔から碌なことがないので……」 玉藻は天を仰ぎ、深くため息をつく。 金毛九尾の狐が伝説上最後に使った名を与えられた玉藻は妖狐のホープであると同時にいい玩具だったらしい。そんな彼女が可愛がっていたのがゾロリである。彼女は金毛玉面九尾に変わって世界を渡り歩いている。狼の王子と恋に落ちたのはご愛嬌だが。 とにかく目的のものは手に入れたと、妲己とゾロリはご満悦。 「あ、そうだ。近いうちに肝試しやるから鳴美ちゃんも生徒さんつれて参加してな!」 「じゃあねん」 こうして狐の三人組は玉藻を真ん中にして去っていった。 あまりのどたばたに郷子が茹でた素麺も妖力を失って伸びていた。 「ねぇ、ぬ〜べ〜」 「ん?」 「肝試しって、いいの?」 郷子は以前妖怪に騙されて百物語を遂行したときのことを思い出した。あのときと同じようになにか良くないことが起こるのではないかと危惧しているのだ。だが鵺野はあっけらかんと笑って見せた。 「大丈夫だよ、肝試しって根性試しで別に霊とか呼ぶわけじゃないから」 「でも怖いって思う心が呼んじゃうこともあるでしょう?」 「あはは、大丈夫だよ」 それよりみんなに連絡してみてくれと鵺野は郷子の髪を撫でるのだった。 そしてやってきた肝試し当日。 冥界に至る前にどーんと横たわるのは三途の川だ。いつもは専用の船が浮かんでいるのだが今日は大人数だということで小型のフェリーが浮いている。船長はもちろん天間星アケローンのカロン。 生きている人間で三途の川岸がにぎわうのも異例中の異例だ。 童守小学校五年三組は全員がぬ〜べ〜公認だし、面白そうという理由で集まった。ふと彼らの目に同じ年頃の少年が映る。少年は紫苑色の髪が美しい女性と手を繋いでいる――というか、むりやり引っ張られている感じだ。 だがそれはそれ、妙に連帯する五年三組はその男の子に声をかけた。 「なあ、君何年生?」 「え、俺五年生だよ。今日は友達と一緒に来たんだ。俺は音井信彦っていうんだ」 同じ五年生だというと三組のみんなはおおと声を上げた。ここに童守小学校五年三組とトッカリ小学校五年生との友好が出来上がることになる。 子供同士は友達になるのが早いものだ。 子どもたちが仲良くなっている間に、フェリーのそばには瞬と冥王が立っていた。 瞬は拡声器を手にしている。 「マイクテスマイクテス。はーい、みなさんこんにちわー!!」 「こんにちわー!!」 子どもたちの元気な声に瞬はにっこり微笑んだ。 「本日は冥界肝試しにようこそいらっしゃいました。みなさんはこの後フェリーに乗って冥界の本土の方に向かいます。そこで順路や注意事項について説明しますのでとりあえず乗ってください」 「はーい!!」 かなりの団体だが冥界においてこれくらいは日常茶飯事である。 星矢はイシシとノシシの双子と一緒に真っ先に乗り込んだ。ゾロリせんせは裏方に回っているので今日は双子とは別行動なのだ。もちろんプッペもいない。 船に乗っている間も子供たちはわいわいと賑やかだ。 持参したお菓子を食べたり、シグナルやクリフトをナンパして怒られたり、天化やコード、紫龍などのイケてる男性陣にうっとりしてみたり。なんか空間が異様に華やかで騒がしい。 「ふふ、不思議そうですね、ハーデス」 「不思議……かもしれんな。余はなんとなくこんなかんじを知っているような気がする」 「ハーデス……」 まだ冥界に下る前に、オリンポスでほんの少しだけ過ごした日々。 女誑しのゼウスと、お調子者のポセイドンと、ちょっと怖い姉妹たち。懐かしい日々が彼の脳裏に静かに蘇る。 「でも寂しいわけではない。余には瞬がいるからな」 「ええ、一緒ですよ」 瞬はそっとハーデスの手を握った。 そうしてフェリーはあっという間に三途の川の向こう岸、すなわち彼岸に辿りついたのである。 点呼を取り、全員が船から下りたことを確認すると瞬は再び拡声器を取った。 「はーい、お疲れ様でしたー。みんないますかー?」 「はーい」 いない人は手を上げてーなんて言わずに瞬は先に進める。 「では、今から肝試しを始めます。ルールは簡単です、順路どおりに歩いてもらって、各チェックポイントに係員さんがいますからスタンプをもらってください。ゴールはいちばん奥のジュデッカです。そこで私が待ってますのでそれでゴールになります」 途中にある立ち入り禁止区域には絶対に入らないこと、リタイヤ、あるいは緊急の場合は係員の指示に従うことなど注意事項を与えて、瞬の説明が終わる。 「なんだよ、瞬は一緒にいけないのか?」 星矢がつまらなそうに言うと瞬はごめんねと困ったように笑った。瞬のほかにもここには見当たらない人がいる。 ゾロリとプッペもそうだが、他に呂望や妲己の姿も見えない。 「それじゃ、童守小学校五年三組A班からスタートしてくださーい」 鵺野が気をつけてと背中を押す前に子供たちはわーっと歓声を上げて走り出していた。 童守小学校五年三組は三十名、一班を五人に分けてA班からF班までの6班となる。A班がスタートしてから五分後にB班が、そして最後にトッカリ小学校チームがスタートする予定だ。 そこで瞬があっと声を上げた。 「どうしたのだ、瞬」 全員がスタートするのを見送ってハーデスとともにジュデッカに戻る予定なのでふたりそろってここにいる。 瞬はどうしようとハーデスを見上げたが、事情がわからないので対応の仕様がない。 「なんだ、どうしたのだ?」 「ええ、子供たちにおばけにイタズラしちゃいけないって言うの忘れちゃって……」 もっと端的に言うとおばけを殴ったり蹴ったりしてはいけない。ごく一部においてだが倒してもいけないのである。 妖怪学校のおばけの皆さんは基本的に無害だし、それ以外にも冥闘士の一部が脅かす側として参加している。 そんな心配をする瞬を優しいなあと思いながら、ハーデスは大丈夫なんじゃないかと軽く口にしたのだった。 だがハーデスは知らなかったのだ、子供たちは妖怪慣れ、修羅場慣れしていたことを。 ゆえに、相手がなんだろうが突っ走っていってしまうことも。 「じゃあ俺も裏方に行ってこよう」 「ええー、ぬ〜べ〜も行くのぉ?」 肝試しの引率はしてくれないのかとブーイングの子供たち。だがよく考えれば霊現象に詳しい彼女が裏方にほうが盛り上がるにはちがいない。子供たちは仕方ないかと聞き分けよく鵺野を見送るのだった。 A班の引率は紫龍と氷河だった。先の聖戦において純粋に冥界を全部巡ったのは彼らだけである。星矢と瞬は途中で別ルートをたどっていたし、一輝兄さんはいつものとおりに神出鬼没だ。 6人の子供たちを率いている、という感覚の二人だが実際には3歳下なので子どもとも言えない。 とにかく一行は第1チェックポイントである裁きの館を目指した。 裁きの館で待っていたのは天英星バルロンのルネである。彼女の鞭で裁きを与え、適当な地獄を見せるのがここの出し物だ。 出たところには天魔星アルラウネのクイーンがスタンプを持って待っている。 静寂を尊ぶ裁きの館では子どもたちも流石に静かにしていた。 そこにルネが現れ、突然子どもの一人を締め上げる。そして適当な地獄に放りこむというと子どもは怖がってわーわー泣き出した。余興だと分かっているので紫龍も氷河も手を出さない。 しかし子どもとは団結すると恐ろしい。 紫龍と氷河になんとかしろよと詰め寄ったり、いきなりルネに食って掛かったりするのだ。 予想外の展開にルネはおろおろと取り乱し、子どもを地獄に放る前にビシバシと鞭を振りまくった。 「こっ……ここは静寂の館なのよ! 舐めてんじゃないわよー!!」 「ぎゃああああ!!」 「やばい、ルネが錯乱している!! 氷河、ここは急いで抜けるぞ!」 そういうと紫龍と氷河は子供たちを3人ずつ拾って鞭の間隙を抜け、走り去っていった。 「このこのこのーっ!!」 裁きの館を抜けるとそこには様子を見に来たラダマンティスがクイーンと立ち話をしているところだった。 「あら、ドラゴンじゃないの。引率してるの?」 クイーンが嬉しそうに声を上げると紫龍はそれどころではないとラダマンティスに向き直った。 「ルネが中で錯乱している、止めないと次の班が困るぞ……」 「ああ、だと思って来たんだ」 仕事以外のことではパニックになりやすいルネの性格を見越したラダマンティス。 彼は鞭が乱れる裁きの館の中に入っていき、紫龍はクイーンから名残惜しそうにスタンプをもらって次のチェックポイントを目指した。 B班の引率は呂望と天化だった。イケメンに目がない美樹が大喜びしている。 「天化お兄様ってステキよね……」 だが天化はとなりの呂望と仲睦まじくしている。それが美樹には気に入らなくて、克也も同じ班にいるのに眼中にないとばかりに天化を見ていた。 「ご主人、そろそろ第二獄らしいっスよ」 「おお、そうか」 今日は四不象に乗らずにぽてぽて歩いている呂望に冥界マップを見せながら、スープーはちょっと先を指差した。 余談だが四不象は『空飛んでしゃべるカバ』と子供たちから認定されている。さらに余談だが彼は妖怪ではなく霊獣だ。 第二獄には天獣星スフィンクスのファラオと愛犬ケルベロスがいる。スタンプ係員はその先の花畑にいるオルフェとユリティースだ。 ここではケルベロスが死人を貪り食うというパフォーマンスが見られるのだ。子供たちは地獄の魔犬に気づかれないようにここを一気に走り抜けるのである。 が、やっぱり美樹は問題児だった。 「ああん、天化お兄様ぁ、美樹こわああい」 「うわっ、ちょっ……」 「コラ天化どこを触っておる!!」 と、こんな感じで美樹がしなだれかかったためにバランスを崩した天化が前にいた呂望を背中から押し倒したのだ。 「ぎゃー!!」 「ご主人!!」 騒ぎが聞こえたのだろう、ケルベロスの3つの首がいっせいに子供たちに向かう。 ヤバイ、と思った呂望は本当に咄嗟だった。咄嗟に四不象を囮にして逃げたのだ。ケルベロスは丸々太った四不象をぱくりと食べるとそのままがしがしと噛んだ。 「ぎやあああああああああああああああああああああああ!!」 「スープー、すまん!」 「ご主人んんんんんん……」 四不象の断末魔が遠くなる。一同はスープーの犠牲に敬意を払いながらその先の花畑でスタンプをもらって第3獄を目指したのだった。 仮初の空に追悼の追想曲が浮かぶ。 C班の引率はアリーナとクリフトである。彼らはクリフトの適切な指導のもと、特になんでもなく順調に第四獄を目指していた。ここにいるのはリュカオンのフレギアス。筏に乗って第五獄に行かなければならないのだ。 だが係員である彼を倒してはいけない。ここでは妲己の下僕である妖怪仙人のみなさんが子供たちを脅かすのだ。 しかしやっぱりぬ〜べ〜クラスの子どもたちは目が肥えていた。カマキリやミミズのお化けごときではもはや驚かないのである。矜持を悉く傷つけられた彼らが肝試し終了後に飲み屋で愚痴っていたのは後日談だ。 「なんかこれまでのほうが怖かった気がすんなぁ」 おばけなんかよりも第一獄で鞭と髪を振り乱していたお姉さんのほうがよっぽど怖いぜといったのは広である。 残るポイントはあと三つ。 第五、第六獄と抜けたらあとはジュデッカだけだ。 「さ、皆さん参りましょうか」 「はーい」 典雅に振舞うクリフトを、女の子達は憧れの思いで見つめている。 「いいなぁ、私もいずれクリフトさんみたいになりたい……」 キャビンアテンダントを目指している郷子にとってクリフトのような所作は身につけていて困るというものではない。 しかし憧れは憧れのままで終わらせてはいけないのである。 広がけらけら笑った。 「クリフトさんみたいに? 無理無理! お前は死ぬまで不器用なまんまだよ!」 「なんですってぇ!?」 必殺おさげアタックを食らわせて、郷子はふんと怒ってみせる。クリフトは喧嘩はだめだと嗜めながらも、顔が笑っていた。 「懐かしいですねぇ」 「ん?」 「私たちも幼い頃、あんなふうに喧嘩してましたもんねぇ……」 「そうだね」 ぎゃーぎゃー言い合う広と郷子をなんとか宥めて先に進ませるアリーナとクリフトだった。 童守のD班、E班、F班もスタートし、トッカリ班もスタートした。 トッカリ班は信彦とクラスの友達にシグナルとコードである。 「はい、では行ってらっしゃい」 スタンプカードは信彦が持っている。子供たちはやっぱりわーっと歓声を上げて走り出していったが、シグナルはコードにしがみついたまま離れようとしないでいる。 「こら、歩き難いだろうが!」 「やだやだやだ、絶対に離さないもん!!」 瞬とハーデスは半ばいちゃついているように見えるシグナルとコードの背中を見送った。最後まで待っていたイシシとノシシにネリーちゃん、それと星矢である。 「ごめんね、最後にしちゃって」 「ううん、俺は大丈夫」 「おらも平気だぁ!」 「んだ! 最後がきっといちばん楽しいだよ!」 ねーっと顔を見合わせる三人の子どもを可愛いなあと見つめていると、シグナルの悲鳴が聞こえてきた。時間にしてまだ第一獄にさえ辿りついていないはずだ。 あそこに誰か待機させていたかなーと、瞬は計画書を開いてみたが、そこに人員は割かれていなかった。 「おかしいですねぇ」 瞬が首を傾げるとハーデスがうーんと唸りながらも恋しい彼女のそばに立った。 「あの娘、異様に怖がりなのではなかったか? 今回の肝試しとやらも、あの男が参加しなければ絶対に行かないとかなんとか言っておっただろう」 ハーデスがそういうと瞬も思い出したのか、そうでしたねと頷いている。 それを聞いていた星矢と双子がにやりと笑った。 「なあ、瞬。俺たちも行っていいか?」 星矢にそう言われ、瞬は時計を見てああと言った。 「ごめんね、イシシ君、ノシシ君。楽しんできてね」 「うん!」 「地獄巡りは二回目だー!!」 やっぱり星矢たちも歓声を上げて走り出していった。ちなみにイシシとノシシはゾロリと一緒に閻魔大王が統括する地獄を巡ったことがある。 子どもっぽい後ろ姿を私はいつまで見ていられるだろうと、瞬は隣のハーデスを見上げた。 近い将来、瞬は兄一輝や星矢たちのそばを離れてこの冥王の妻になるのだ。 瞬は切なそうに冥王の手をそっと握った。 「瞬?」 不意に寄せられた温かさと、ほんの少しの不安。 けれどハーデスはそれを離そうとはしなかった――愛しい瞬のために。 「瞬……」 誰もいなくなった彼岸の始点、愛する少女のために自らの雄を抑えつづけた男はほんの少しだけその片鱗を覗かせる。 抱き寄せられ、瞬は珍しく頬を赤く染めた。 「あ、ハーデス……」 「誰も見ておらぬから、少しだけ」 そっと肩を抱き寄せられ、瞬はゆっくり顔を上げた。そして近づいてくる唇を静かに受け入れた。 恋の前には誰だろうと残酷になれるのかもしれない。 そんなことを考えながら瞬はハーデスの胸板に頬を寄せる。死神と呼ばれて寂しい日々を送った彼でも、こんなにも温かいから。 星矢とイシシ、ノシシの双子が走っていたのは前のグループ、つまりシグナルたちに追いつくためである。 彼らは今回いちばん脅かし甲斐のある人物を発見したからだ。 そう、ターゲットはもちろんシグナルである。 星矢たちは第一獄をあっさりと抜けた。というのもルネが鞭の振りすぎで腱鞘炎を起こして救護所に運ばれていたからである。第二獄も慣れたもので、ファラオからスタンプをもらい、ケルベロスの頭を撫でて通りすぎた。 傍らには傷だらけの四不象がぐったりと転がっている。 目指す第三獄の入り口で星矢たちはやっとシグナルたちに追いつくことができた。 「いただよ」 「んだ、間違いなくシグナルおねーさんだ」 「よし、行くぞ!」 「おー」 以上の会話はあくまで小声で交わされていた。しかしロボットとしてどんなに小さな気配も逃さないシグナルがコードの腕を掴んだままばっと振り向いた。腕を引かれる形になるコードが反動的に振り向く。 「なんだ、シグナル」 「今何か聞こえたの……私の名前呼んでたよぉ……」 きつく目を閉じ、コードの腕をぎゅううっと握るシグナル。ぽわんと胸を押し付けられてもコードの頬が緩むことはない。 もしかしたら緩まないように必死なだけかもしれないが。 とにかく歩き難いとどんなに突っぱねても離れないシグナルにコードもいい加減慣れていた。 「落ちつけシグナル。風の音だろう」 「う〜〜、で、でも……」 まだ聞こえるとシグナルは半べそをかいている。それもそのはずで、岩場に隠れた星矢と双子がシグナルの名をぼそぼそと呼び続けているのだ。ネリーちゃんは参加せずにそっとその様子を見ている。 びくびく怯えるシグナルの背中を面白そうに見つめながら、星矢たちは最後の仕上げにかかる。 ノシシがつつっと彼女の背後に忍び寄ると、わざと濡らした手でシグナルの足を掴んだ。 「きゃあっ!?」 なんだろうとシグナルがばっと振りかえる。 そしてそこには首のないノシシがいた。いや、彼の首は自身の小脇にしっかりと抱えられていた。 それなのに、ノシシはそこに生きて立っている。 「うけけけけ」 挙句の果てに小脇の首が笑っている。 「…………」 「うきゃきゃきゃ」 もちろんこれは仕込みである。ノシシの首はちゃんとあるべき場所にしっかりとある。小脇の首は彼がそっくりに作り上げたもので、笑い声は首の後ろに仕込んだスイッチを押すだけだ。 コードにしてみればこれはよく出来た仕掛けだった。子どもながらによく作ったものだと感心しているとその横で硬直しているシグナルに気がついた。 「…………」 「? シグナル?」 「い」 「い?」 コードが鸚鵡返しにつぶやいたときはもう遅かった。 硬直しているシグナルをじっと見つめていたが、彼女は突然ガタガタと震えだした。 そして。 「い、いやああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」 冥界中に響き渡るすさまじい悲鳴。 ジュデッカで冥王の膝に乗っていた瞬がびっくりして落ちそうになったほどだ。 「な、何事だ?」 瞬をしっかりと抱きとめ、ハーデスはきょろきょろと周囲を見まわした。そのとき瞬の胸に偶然触ってしまったのは役得と言えよう。えへえへと緩みかけた頬をびしっと引き締め、冥王は瞬を伴って肝試し本部に出向した。 「まったく、余と瞬の語らいを邪魔するとはなんというかしましさか」 「あれ、冥王さん。わざわざお出ましか?」 恋人を連れて憤然と現れた冥王に、ゾロリがスルメを噛みながら笑顔で出迎えた。 「あのように凄まじく叫ばれてはやることもできぬわ」 何をやる気だ、ハーデス。 出迎えたゾロリは無線で連絡を取っている。空中警備に当たっていたロジャーによると、紫の閃光が猛スピードでジュデッカに向かっているのが見えた、との事。 ゾロリはああと頭を抱えた。暴走しているのがシグナルならもう誰にも止められないだろう。 彼女は全班の引率者に無線で『暴走シグナル注意報』を発令した。 このとき無線の向こうから全引率者のため息が聞こえてきたことを明記しておこう。 さて、暴走したシグナルを止めるべく、コードと信彦はシグナルのあとを追っていた。 流石に戦闘型として設計、制作されただけあって、足場の悪い冥界でも難なく走っている。ときどき誰かが吹っ飛んでいるのが見えた。 「あーあ、おばけやっつけちゃいけないって言われてるのに……」 どうやらシグナルの暴走を止めようとした係員(主に冥闘士と思われる)が、彼女にぶっ飛ばされているのだろう。 ふたりはやれやれと溜息をついた。ふとシグナルはと見れば彼女は恐怖の余りパニックに陥っていた――周囲が気の毒なほどに。 「いやああああ!!」 シグナルの繰り出した蹴りが鳩尾を直撃してドガァッ!! 「私にっ!!」 シグナルの放った拳が的確に鼻筋を捉えてバキィッ!! 「触らないでええええええ!!」 喚きながらあちこちで係員を無意識に排除し、壊してまわっているシグナルにコードはやっぱり連れて来なければよかっただろうかと甚だ後悔した。しかし後悔先立たずの例もあるから、とりあえずシグナルを取り押さえなければならない。 「信彦!」 「あいよっ!」 信彦は持参していたティッシュで紙縒りを作ると、それをなんの迷いもなく鼻に突っ込んでくすぐった。 「ふえ、ふえ」 シグナルとの距離を詰めながら、信彦の秘密兵器が炸裂する。 「ぶえっくしょん!!」 「きゃん!」 ぼんと軽い破裂音と薄い煙。しゅうううっと収まる煙の向こうにはきょとんと、小さな女の子が座っていた。 自分の記憶を辿っている間の彼女は大人しかったが、コードの姿を見止めると今度は嬉しそうにぴょこんと飛びついた。 「わーい、コードお兄さん!」 ちびになったシグナルは問答無用にコードに抱きついた。ちびちゃんも大きいシグナルに負けず劣らずコードを愛している。 そんな女心を抱きとめて、コードは苦笑して見せた。 「落ちついたか?」 「はぁい」 小さくても女の子、ちびちゃんはしなを作るように身を捩りながらさらにコードにしがみつく。 やれやれと紫苑色の髪を撫で、コードは子供たちを率いて肝試しを続けるのだった。 特に大きな怪我や、シグナルが暴走する以外の事件もなく、肝試しは大盛況のうちに幕を閉じた。 あとはお楽しみの大宴会が待っている。会場はもちろんホテル・エリシオン――冥王ハーデスが瞬との避暑を過ごすためだけに作ったという、冥界には不釣合いにして、しかしながら必要不可欠だと冥王が言い張る施設だ。 子供たちはわいわいと食事を楽しんでいる。その中に鵺野先生が紛れ込んでいるのは当然と言えよう。 色気より食い気が優先する彼女のそばで歯牙にもかけてもらえない玉藻がこっそり涙ぐんでいる。 だが涙ぐんでいるのは玉藻だけではなかった。 「ゾロリさん……」 子供たちを脅かしつかれたおばけたちも一緒に宴会に加わっている横で、ゾロリの裾を引いたのはプッペだった。 「どうした、プッペ」 「ボク、おばけやっていく自信なくなったっピ……」 「なんで」 聞けばプッペは担当していた場所で他のおばけとは別に単独で子供たちを脅かせるように頑張っていたそうなのだが、男の子達からはそれでもおばけなのかよと馬鹿にされ、女の子達からはふよふよで丸くて可愛いとこねくり回されていたのだ。 そう、ぬ〜べ〜クラスの子供たちはおばけ慣れしすぎていた。 そもそもプッペは誰かを脅かすというようなことには全く向かない、優しいおばけなのだ。 「相手が悪かったな、プッペ」 ゾロリはプッペをそっと抱きあげ、抱き上げてふわふわの肌を撫でてやった。 「大丈夫だよ、可愛いおばけっていうのもアリだからさ」 「ピー……」 プッペはしばらくゾロリの腕に抱かれていたが、イシシとノシシが迎えに来たので、はにかむようにしてゾロリから離れた。 「行っておいで」 「うん……」 子どもは些細なことで悩み、でも些細なことでそれから脱することも出来る。 「少し見ない間に、まだ大きくなったかい」 ゾロリに冷えたグラスを渡すのは恋人のガオン。氷がからんと涼やかな音を立てる。彼女はそれを受け取ってにっこり笑った。 「プッペのこと?」 「イシシ君もノシシ君もね」 「あはは、うかうかしてられないかもな」 ガオンの心を見透かすように、ゾロリが笑ってみせる。しかしガオンはそんなことはないと引きつった笑顔で応える。 「君を思う気持ちは誰にも負けないつもりだ。君の弟子達がどんなに立派に育とうと渡すつもりはない」 「熱烈だね、ガオン」 「君に向けているんだけどね」 まるで他人事かのようなゾロリの物言いに、ガオンは苦笑する。 分かっているのだ――彼女が照れていることくらい。 一方こちらは別働隊。肝試しが行われたスタート地点にアイアコスを筆頭にした一軍がいた。 冥界お遊戯班班長のアイアコスと聖域宴会部長のデスマスクの手によって打ち上げ花火の準備が進められているのだ。 「おら、そこ、あと三センチ下げろ。ミロ! 早速遊んでんじゃねーよ!」 「いいじゃん、一本くらい!」 「その一本のせいでほかに引火したら洒落にならねーだろうが!」 珍しい正論に流石のサガも呆然とデスマスクを見ていた。彼自身、ミロが遊んでいる手持ちの一本くらいは大目に見てやろうと思っていたのだ。しかしそのベクトルが何故真面目な方向に向いてくれないのかとサガは嘆く。 「サガー、お茶持ってきたよー。みんなも休憩してー」 「おう!」 「まったく、ミロは遊んでたんでしょ」 カミュがくすくす笑うとミロは無邪気に笑う。アフロディーテとシュラがお茶や食事を運んできたので一同、休憩を入れることにした。 「まったく、俺らはここでおにぎりかよ」 「瞬があとでちゃんと用意してるって。よかったでちゅねー」 「殺すぞ」 言いながらもおにぎりを頬張るデスマスクに、アフロディーテがくすくす笑っている。 ふと、アイアコスの無線に連絡が入った。冥王直々に花火発射命令が下されたのである。なんのことはない、食事を終えた子ども達がそぞろ退屈し始めたのだ。 もちろんこれを見越しての花火の用意、デスマスクがよっしゃあと膝を叩いた。 一方のホテルエリシオンでは子ども達がまだかまだかと花火を待っていた。 広いガーデンエリアに出て冥界の空ならぬ空を見上げる――デスマスクとアイアコス、どちらが一発目を打ち上げるかで揉めているのも知らずに。 「やれやれ、たかが花火だろう、さくっとやりたまえ、さくっと」 おシャカ様はああ無情とばかりに発火スイッチを押した。一発目が綺麗な直線を描いて天に昇り、火の粉を球形に撒き散らすのを確認すると二発目、三発目とばかりにスイッチを入れていく。 「確かこういうときは玉屋とかいうのだな?」 たーまやーと叫びながら次々にスイッチを入れるシャカ。なんだか楽しそうだ。 ちなみに花火を賞賛する掛け声、正しくは『玉屋・鍵屋』である。どちらも江戸時代にその技術に並ぶ者なしと称された花火の名店だ。 「あ、あ……俺の花火……」 「いちにのさんでスイッチ押そうって決めてたのに……」 膝を抱えてしょんぼりしているデスマスクとアイアコスに誰もが気の毒にと思いつつ、発射台を陣取ってしまったおシャカ様になんとも言えない視線を向けるのだった。 「綺麗ですね……」 わいわい騒ぐ子どもたちの輪を抜けてきた鵺野を捕まえて、玉藻が静かに囁いた。 そんな玉藻に鵺野がにこりと笑ってみせた。 「よかった」 「はい?」 なにがよかったのかよく分からない玉藻は目をぱちくりさせながら鵺野の答えを待つ。 「だって玉ちゃん、こういう騒ぎは嫌いかと思ってた」 「ええ、まああまり得意ではありませんが」 実際、鵺野の貞操を盾に取られ妲己とゾロリに強制連行された玉藻ではある。けれどこんなにたくさんの『愛』に囲まれて、玉藻にもいろいろ思うところがあるようだ。 彼は静かに鵺野の腰を抱いた。 「あなたの愛がどんなところに向いていようと……私はあなただけを愛しています」 「玉ちゃん……」 闇に閉ざしていたアイスブルーの瞳が鮮やかに開かれる。 唇をあわせようとして顔を近づける玉藻の顔を、鵺野がぐいっと押し返す。 いったい何事かと鵺野を見れば、子どもたちが下からじーっとこちらを見ているのに気がついた。 「……花火を見てなさい」 「えーっ、こっちのほうが面白そうなのにぃ」 こっちを見てとばかりに花火が虚しく虚空に消える。鵺野はしっしと子どもたちを追い払い、玉藻からも離れた。 「……子どもたちが寝たらな」 さりげなく彼だけに聞こえるように囁かれたお誘いに、玉藻はにんまりと口元が緩むのを隠せない。 「いいなぁ、あの玉藻とやら」 羨ましそうに囁いたのは冥王陛下。相変わらず未来の妃におんぶに抱っこだ。だが瞬もそれはそれでいいとばかりに未来の夫を甘やかしている。 「羨ましいの? 私がいるのに? やっぱり胸が……」 しゅんと項垂れる瞬にいやちがうぞと大いに言い訳をして、冥王は瞬をきゅっと抱きしめた。 そんな彼に苦笑し、分かっていると瞬はハーデスをよしよしとあやした。 「冗談ですよ。分かってます」 「瞬、そなた余を……」 謀ったのかと冥王、瞬を逃がさないとばかりに抱きしめた。 「きゃあっ、ごめんなさいっ。でもあなただってっ」 「ん〜……」 婚約してからより一層仲良くなった冥王と瞬。 そっと男の頬に触れる少女の唇は甘く優しく。 恋が花火のように散らぬように しっかり抱きしめて 想いを言霊にのせて ほら、星空に掲げましょう ≪終≫ ≪今宵、今宵≫ 肝試しというよりスタンプラリー。スタンプラリーというより大宴会。アメジスターズにぬ〜べ〜組参戦です。IYH。 あ、四不象は無事に帰ってきましたのでファンの方、安心してくださいwww もっと出したいキャラとかいたんですけど、無理でした_| ̄|○ ここまでお付き合い、感謝です。 |