君と同じ青空〜もうひとつの『星屑の革紐』




繋いだ手と手
もう離さないって決めたんだから




生命の終端、其を司るは冥王ハーデス。
彼には何者にも換えがたい可愛い可愛い恋人がいた。それは悠久の宿敵であったアテナ……本人ではなく、その彼女に付き従っていた聖闘士の一人、アンドロメダ瞬という少女がお相手なのである。
聖戦で敗北を喫したハーデスをいつもの仏心で助けてしまった瞬は、それがきっかけで冥王に惚れられてしまう。
けれど何のかんのと言いながら結局瞬は冥王に絆され、とうとう婚約までこぎつけてしまったのである。
この事態は、実は割りと賞賛を持って迎えられた。
『敵だった神と聖闘士がなんてこと!』と頭の固いことを言い出す御仁が一人もいなかったのである。
ふたりにそのつもりがないことは重々承知だが、冥王と瞬が結ばれる事で地上と冥界の間に友好関係が築かれることは、元来争いを好まないアテナには好都合だったのである。それに瞬を妹とも娘とも愛してやまないアフロディーテなどは、瞬が幸せになってくれるのなら相手がサガ以外ならハーデスでもいいじゃんと思っていた。
要するにほとんどの人間が面白がっていたのである。
しかし恋路には必ず馬に蹴られたがるアホが存在するのである。
瞬を庇護下においていた一輝兄さんなどはまあ身内だから除外しよう。
例えば某双子座の弟さんのほうだったり、例えば某蛇頭さんだったりといろいろいたわけだが、今回のアホはアホな部分が下半身に集中していたが故にかなり性質が悪かったといえる。


そのアホの名はゼウス。
今更説明を必要としない、ギリシア神話の最高神である。


ある日、ゼウスは瞬のところから冥界に戻ろうとしていたハーデスを呼び止め、呪いをかけてしまった。
彼はハーデスの小宇宙を封じた上で黒銀の毛並みを持つ犬に変え、地上に放り出してしまったのである。さらに12時間以内にハーデスを見つけられなかった場合は、ハーデスの身の安全と引き換えに瞬を愛人として差し出せと要求してきたのである。
下半身にも程がある。
かくして『子犬になったハーデスを探し出し、瞬を守るプロジェクト』が発足したのだった。




恋人が突然不慮の事故に遭い、行方不明になっているという2時間ミステリーばりの展開に誰もが呆然とする中、妙に柔軟性のある青銅聖闘士たちは電話の前でへたり込んでいる瞬の肩を掴んだ。
「瞬!」
「星矢……」

うつろな瞳で星矢を見つめる瞬に、一同は彼女のハーデスに対する思いの深さを知る。
星矢はそんな瞬の肩をばんっと叩くとニカっと笑った。
「大丈夫だって! 俺、動物探すの得意だから!」
「星矢……でも」
既に諦めかけている瞬は首を横に振った。だがそんなことに屈しないのが星矢という少年のよさでもあった。
「諦めんなって、お前らしくもない! 最後まで諦めないのが聖闘士だろ!?」
「そうだぞ、瞬」
「俺たちはお前に幸せになってほしいんだ。お前がハーデスを選んだのならそれはそれで祝福すべきことだからな」
「氷河……紫龍……」
潤み始めた瞳で兄弟たちを見つめる瞬は、星矢に促されてやっと立ち上がった。
足が震えているのが自分でもわかる。
でも諦めてはいけないのだ、ハーデスのために、そして自分のために。
「……ありがとう、みんな」
「ああ」
「あまり気は進まんがな」
言いながら一輝は気を失ったままのパンドラを刹那視界に留めた。
ハーデスの身を案じる彼女もまた、不幸な少女時代をすごしてきた。そして一輝は何があっても瞬の幸せを守らなくてはならないと――それが亡き母との約束だったからと拳を握る。
「ハーデスを探しに行こうぜ! 意外と近くにいるかもしれないしな! 大正デモクラシーって言うじゃん!」
「燈台下暗しだろ」
そうだっけと言いながら駆け出していく星矢の背中を見つめ、瞬はやっと笑ってくれた。
細い指先で涙を拭い、しっかりと顔をあげる。
「必ず、見つけるからね……」
永遠にあなたのものと誓った星を握り締め、瞬は城戸邸を飛び出した。



気がついたら黒銀の毛並みを持つ子犬になっていた。
犬になってもなかなかイケているとか思っている場合ではない。もとの姿に戻れない場合、瞬に可愛がられこそすれ、可愛がってやる事ができないという重大な事実に気がついたハーデスはどうしたものかと思案しはじめる。
とりあえず瞬の元に戻れば、忌々しいがあの――人間としても神としても非常識な――アテナが何とかしてくれるかもしれないという一縷の希望を抱いた。
ハーデスは城戸邸へ行こうととことこと歩き出した。
しかしあっという間に問題が生じた。
城戸邸近辺とご町内しか知らないハーデスにここがどこなのかまったくわからなかったのである。
看板は読めるが日本の地名などほとんど知らないハーデスにとって城戸邸などもはや未知の世界なのだ。
要するにどっちに向かえばいいのか分からない。
道を聞こうにも今は犬の姿、人語を操る事もできないし、できたとしても捕まって実験体にされるというベタなオチが待っている。
「がるる〜(くそっ、ゼウスめ……)」
しかしハーデスの瞬に対する本能と根性は賞賛すべきものがあった。伊達に13年も彼女を追い掛け回していたわけではなかった彼は勘に頼ったつもりだったが、その足はまっすぐに瞬の元に向かっていたのだ。
「わん(必ず戻るからな、瞬)!」
ハーデスは自分の勘と鼻を頼りにまたとことこと歩き出した。
彼の首に約束が輝いている。



その頃、瞬は細い路地にも入っていって、必死にハーデスを探した。
愛を知らず、それゆえ頑なにそれを認めようとしなかった彼が自分という人間と出会ったことで変わっていった。
いきなり結婚しようといわれた時はそれはそれで驚いたけれど、でもふたりで一緒に時を重ねていくうちに、いつの間にか一緒にいないことを不安に思い始めていた。
そして瞬はハーデスのそばにいることを選んだ。
それは聖闘士としてはあるまじき姿なのかもしれない、そう悩んだ事もある。けれど自分の中に芽生えたハーデスへの想いは止める事ができなかった。
幸いアテナも星矢たちも瞬がそれでいいのならと納得してくれた。
それなのに、それなのに。
ハーデスは子犬に姿を変えられて行方不明、タイムリミットが過ぎれば自分はゼウスの愛人。
せっかく彼が優しい顔をするようになったのにこんなつまらないことで引き離されなければならないなんて。
「ハーデス……」
名を呼んだら、ひょっこり現れて背中から抱きしめてくれる。そして耳元で瞬と甘く囁いてくれる。
そんな気がした。
でも今は誰も自分を抱きしめてはくれない。
足元に縋る子犬もなく。
「どこにいるの、ハーデス……」
瞬は空を仰いだ。先ほどまで天気はよかったのにいつの間にか雲が立ち込めていて今にも泣き出しそうだ。
まるで自分たちみたいだと不吉な予感に襲われながら、瞬はもう一本向こうの路地を捜しに行く。
お願いだから無事でいてと、何度も何度も呟いていた。



犬の姿になってもハーデスは冥王神としての意識をちゃんと持っていた。持っていたからこそ彼は憤然としながらなおもとことこ歩いていた。
「う〜〜(人間どもめ)」
もし彼が青年の姿だったら愛剣を振り回し、大いなる神の裁きとばかりにそこかしこと首を跳ねていただろう。
しかし幸いなるかな人間ども、今の冥王はただの黒い子犬に過ぎないのだ。
ハーデスが道を歩いていると頭にペットボトルをぶつけられた。ぶつけようと投げられたものではなく、ただ捨てられたものだ。しかしまるで誰かが片付けてくれるといわんばかりの傍若無人な態度に、ハーデスは怒り心頭に発する。
彼の身に降りかかってきたのはペットボトルだけではない。
弱い風でもビニールが飛んできてハーデスの顔を塞ぐ。もふもふと顔を振るとやっとビニールが外れた。ようやく息をつくことができたが誰も彼を助けようとはしなかった。
暦の上ではもう秋なのに照り付ける太陽は夏のままの強さでアスファルトを焦がす。地面からより近いところを歩いているハーデスにとっては肉球が焼けるような熱さだ。それに輪をかけて途切れることなく排気ガスやエアコンの室外機からのぬるい風も受けた。
人間は我が物顔で、のしのしせかせか歩いている。ハイヒールの甲高い音も耳障りだ。
自転車はびゅんびゅん彼の脇を抜け、ときには轢かれそうにもなった。
火がついたままの煙草が彼の前で煙を上げる。でも誰に気にしない。
街路樹が弱々しく立っている。根元にはたくさんのゴミ。でもやっぱり誰も気にしない。
見下ろしていたら分からなかった、人間の愚かさ。犬の目線になってみたらそれがより一層鮮明になった。
もっとも彼が見たのはそんな愚かさだけではなかった。
アスファルトを突き破るように小さな花が咲いていたし、街角にはいろんな生き物が生きていた。
みな人間に住処を追われているかのように見えたけれどそれでも生きていた。
「くう〜ん(これが、地上なのか……)」
もっともそれはごく一部だけれど。
瞬はこんな醜さと清らかさが、憎しみと優しさが交差する世界に生まれ、そしてそれを守るために生き抜いてきたのだ。
滅ぼすに値するように見えたこの地上。
世界にはもっと醜い争いを続ける地域もある。
だがハーデスはそのまま歩き続けた。
人間どもはいずれ知るだろう――神の手によらずとも自滅するだろう事を。
そして今のハーデスは瞬の柔らかい膝の上に寝て、あの細い指でよしよしと撫でられる事を夢見ていたのである。
ハーデスは空を見上げた。
瞬が見上げていたものと同じ、今にも雨が降り出しそうな空で。
彼がそう思った途端、ぽつりぽつりと降り始めた。
そしてあっという間にアスファルトを冷ましてしまったのである。
子犬だったハーデスにはひとたまりもない。彼はとりあえずどこかで雨宿りをしようと近くの公園に飛び込んだ。
ここには人間がいなかった。
みな雨に降られて室内に逃げ込んだのだ。
ハーデスは木の陰に身を寄せた。雨は降っているが葉が茂っているので傘代わりになり、小さなハーデスの身体を守ってくれている。
子犬の彼は一息ついた。雨で毛がぺったり寝てしまって、自慢の毛並みが台無しだ。ぶるぶると身体を振って水を飛ばすという行為も彼には思いつかない――だって元来の犬ではなかったから。
濡れた体が冷たかった。このまま死ぬだなんて思いもしないが、瞬に会えないことが何よりも苦痛だった。
今頃心配しているだろうか、それとも。
ハーデスは顔を伏せて弱々しく鳴いた。


そんなときだったのだ。
ふたりの胸の≪約束の星≫が煌いたのだ。



突然の雨に星矢が慌てて立ち去ったあと、ハーデスがやってきた。
さらにそのあとになんと瞬がやってきたのである。
瞬は公園の入り口に導かれるように立っていた。亜麻色の髪が雨に、頬が涙に濡れている。
ハーデスは知らなかったが、タイムリミットが刻一刻と近づいていたのである。
胸元の星を、瞬はぎゅっと握り締めた。
彼を見つけられなかったらそのときは――ああ、でも彼が無事でいてくれるのなら。
諦めかけた瞬の手から、そう、それは突然の出来事だった。
突然鎖が切れて、彼女が手にしていた星が転がっていったのだ。
「やだ、ペンダントが」
星は器用にも倒れることなくまっすぐにころころと転がっていく。そしてそれはかの犬の前にぽとんと落ちた。
「わん(これは)?」
黒銀の毛並みを持つ犬はその星をよく見知っていた。見知っていたから咥えて、その持ち主を探した。
この星を持っているのは自分と彼女以外にはありえない。
そしてこの星がここにあるということは彼女も近くにいるということだ。
雨が弱くなってきた。
子犬はとことことぬかるむ道を歩いた。
少女は星を追いかけ、その犬と出会う。
「あ……」
円らな瞳のその犬は瞬を見上げて小首を傾げ、そして嬉しそうにその足元に頬を寄せてきた。
濡れた毛が瞬の足元を湿らせる。
瞬は苦笑してその犬を抱き上げた。
「拾ってくれたの? ありがとう」
子犬が差し出したペンダントを受け取って、瞬はにっこりと笑った。
けれどすぐに顔を曇らせた。
瞬が探しているのは黒い子犬。この子も黒いけれど、そう簡単に見つからないよねと思っていた。
「あなたはハーデス?」
「わん!」
瞬の問いかけに応えるかのように子犬は瞬の腕の中でじたばたと暴れた。
そこでやっと気がついたのだ、この子犬の首輪が≪約束のエトワール≫であることに。
YOURS EVER――永遠にあなたのものと捧げられた永久の約束。
瞬は瞠目した。そしてその瞳からぽろぽろと涙を零した。
「あなたは、ハーデスなの?」
「わん!」
子犬は嬉しそうに、けれど泣かないでと慰めるように瞬の頬をぺろぺろと舐めた。そしてその涙が唇に触れるにいたり。



やがて恋人たちは元に戻った。



おとぎ話は語っている――呪いを解くためには想いを込めた口づけが必要だと。



瞬に口づけることでハーデスはもとの美麗な青年の姿を取り戻した。
彼女の視線が上向きであること、涙を拭ってやろうとしたその手に肉球ではなく指があること。
そして彼女を抱きしめるべく腕と胸がまっすぐにあること。
ハーデスはその指で恋しい少女の頬を撫でた。
そしてよく通る低い声で呼びかける――その、恋人の名を。
「……瞬」
「あ……」
瞬は溢れる涙を抑えることができなかった。冥王の腕にそっと抱かれ、いよいよ声をあげて泣き出した。
「ハーデス……ハーデスぅ……」
「瞬、心配をかけた。すまなかった」
ひくひくと揺れる背中を撫で、ハーデスはぎゅっと瞬を抱きしめる。
会いたかったのは自分だって同じなのだ。
胸元を握りしめる瞬の手をそのままに、ただただ抱きしめて。
「あなたが子犬にされて放り出されたって聞いたから、それで……てっきり冥界に戻ってるって思ってたから……」
「余もそのつもりだったのだがな、ゼウスめ……」
「でも、無事でよかった」
冥王の胸で泣いていた瞬が、やっと顔をあげてくれた。涙のあとが幾筋も残るその顔で笑って見せたからよりいっそう痛々しくて。
こんなに不安にさせた。
でもこんなになるまで自分を探してくれた――それほどまでに、想われているということ。
そのことに関しては、きっと自信を持っていいんだと思うから。
「こんなになるまで余を探してくれたのか?」
「当たり前じゃない、私はあなたの恋人でしょう?」
「瞬……」
雨がやんだ。
上空の空気の流れは速いのか、雲の切れ間から眩しいほどの光が差し込んでくる。
冥王は思わず袖で顔を覆った。
「やっぱり太陽は苦手?」
「いや、急だからな。眩しかっただけだ」
そんな冥王の腕の中から空を見上げ、瞬は小さく呟いた。
「ねぇ、見て」
「ん?」
「虹が出てる」
あっという間に雲は流れ、少しずつ青空が広がってきた。ふたりで並んで七色の橋を見上げる。
「……綺麗だな。地上では虹はめったに見れぬのであろう?」
「ええ。だから一緒に見れて良かった……」
言葉にすればするほど安堵感がじわりと広がっていく。そしてまた涙となって流れていった。
「瞬……」
「変なの。もう泣かなくていいのにね……」
瞬は自分で涙を拭った。ハーデスもそうしようとして、でもやめた。
頬に手を添えて上を向かせ、そのまま静かに口づける。
触れる頬、手、唇。
ああ、紛うことなく君がいる今。
ハーデスは何度も角度を変えて瞬の唇に触れた。ときどき舌を差し入れて口内を弄る。瞬は息が上がって、そして恥ずかしくて苦しかったけれど、それでも彼を拒まなかった。
もう二度と彼に会うことも、こうして口づけあうこともないだろうと半ば諦めていたのだから。
「んっ…ぅん……」
キスだけじゃ足りない、もっと触れていたいけれど。
「瞬……」
「ハーデスったら」
髪を撫で、頬を撫で、もう一度軽くキスをして。



いくつか燈る愛の詩の、これはほんのひとつ。




それから数日後、憤怒に駆られたハーデスがオリンポスに乗り込んできた。
ご丁寧に冥衣を着用し、愛用の剣を鞘から抜き放った状態で携えていたのだ。そんな冥府神の只ならぬ様子に近習や女官たちはとっくに逃げ出している。
逃げ惑う女官たちには目もくれず、ハーデスは声高に叫んだ。
「ゼウス! ゼウスは何処だ!!!」
「ハーデスではないか、どうした、そのように完全武装で」
臨戦態勢のハーデスを出迎えたのはもちろんヘラ様である。彼女はどうどうとハーデスを落ち着かせると、彼はやっと剣を鞘に収めたが、冥衣は着たままだった。
「姉上、ゼウスは何処だ! あの下半身め、余に何かあった場合は瞬を差し出せとか言ったそうだな!」
「ああ、そのことか。しかし愛の力は偉大よのう」
瞬とハーデスの愛の力はゼウスの謀略さえ撥ね退けた。彼の敗因はふたりの≪運命の星≫を奪っておかなかったことにあるだろう。
正当な結婚を重んじるヘラにとって弟神と鎖姫の絆は純粋であるが故に微笑ましく愛しいのだ。
しかしハーデスは、それはそれとしてゼウスに報復しなければ気がすまないのである。
「余はこう見えても参界のひとつ、冥界を統べる王神なのだぞ。それを子犬に変えた挙句に婚約者を奪おうなどと、許せるはずはないであろう、姉上」
ハーデスの言い分はもっともである。故にヘラはうんうんと頷いた。
「しかし、もう遅いような気がするがのう……」
「は?」
きょとんとするハーデスに、ヘラは着いて来いと命じた。
言われるままに女王の後ろを歩くハーデス、彼が案内された部屋で目にしたのはぼろぼろにされたゼウスの姿だった。
「これは……」
驚愕するハーデスの周囲に場違いなほど優しい笑い声が響く。
「わらわたちで仕置きしておいたからのう。そなたの分も残しておくのだったな」
やりすぎたなと呟いたのは次姉のデメテル、その後ろには末妹のヘスティアもいた。
どのくらいぼろぼろなのかは筆舌に尽くしがたいので割愛するが、このときハーデスは姉神たちを敵に回すまいと必死に誓ったのである。
そんな彼の手にヘスティアが何かを握らせてきた。
「どうぞ、お兄様」
「なんだこれは」
「申し訳ありません、お兄様。これで思う存分落書きを」
渡されたのはオリハルコン製の油性ペン。しかも極太。
さあと勧められ、ハーデスはとりあえずゼウスの頬にデカデカと『天誅』と書き付けるのだった。




空に私たちの詩を見つけましょう
もう二度と迷わぬように



ハーデスがゼウスへの報復を果たしたその日も地上は雨だった。
雨が降ったその日の夜空は空気が澄んでいて星が良く見える。
ベランダからなんてもったいないと、冥王は瞬を横抱きにして夜空に漆黒の翼を広げていた。
誰にも邪魔されない空中にふたりきり。
「綺麗な星空……」
手を伸ばせば届きそうなほど、今日は星が綺麗だった。
でもハーデスは瞬のほうが綺麗だとは言わない。そんな当たり前のことを言っても仕様がないからだ。
瞬は淡く優しい光を放つ星々にその運命を見たような気がした。
鎖姫の鎧を纏い、地上のために戦う。そして愛を知らぬ冥王のために共に生きていくこと。
「不思議だねぇ」
「なにがだ?」
この地球からは叶わぬ事と知りながら、瞬は星に手を伸ばす。
しかしそれは取るためではなく、ただ辿っていただけ。
こんなにたくさんある星の中で冥王はたった一人、瞬を選び出した。そして戦いの最中ではあったが出会い、そして妙な因果で恋に落ちた。
「出会うために生まれてきたみたいだと思ったから」
瞬の呟きに冥王はさもありなんと頷いてみせる。
「そうだろう、余がそういうふうに仕組んだのだからな。でもこうなることは流石に想定外だったが」
「だからそこが不思議なんだってば」
瞬は冥王の器たる存在、だから出会うのは当たり前。けれど恋に落ちる予定はなかったはず。
ハーデスは瞬を落とさないように抱きなおし、仕方がないだろうと言った。
「なんで?」
「そなただけが毅然と余に向かってきた。そして優しかった。それだけだ」
だから恋をしたのだと、冥王はそれこそ何度も言っただろうと少しむくれた。
どれだけ言の葉を尽くせばいいのだろう、もしかしたら万葉重ねても届かないのかもしれない。
けれど冥王の想いはちゃんと瞬に届いている。何故なら瞬はそんなハーデスを可愛いと思っているからだ。瞬だって相当重症らしい。
恋の病は一輝兄さんの鳳翼天翔でも治せない――もっともそれに恋の焔を煽られた淑女もいるくらいだし。
ハーデスは瞬に敢えて問うた。
「ではそなたは何故余に応えてくれた?」
「あなたが笑ってくれたからですよ」
「それだけか?」
「ええ」
愛を知らなかった男が、愛ゆえに微笑む。その変化がなによりも愛しいと、瞬には思えたのだ。
だがそれは愛を知らない冥王だったが故に気がつかない。
瞬は彼の頬にそっと手を添えた。
「なんだ?」
「もしあなたが愛を知らないままでいたのなら、きっとこんなふうに触れ合うこともなかったんだね」
「そうだな……」
瞬はハーデスの頬に添えていた手をそのまま首に、ハーデスは瞬をさらにしっかり抱き上げた。



ほら、夜空で天使と神様がキスしてる。





差し出された手、最初に触れ合うのは指先
もう二度と迷わぬようにと≪運命の一等星≫を抱きしめて
≪星屑の革紐≫は二人を結んで離さない




≪終≫





≪輝くようにとエトワール≫
今回は『星屑の革紐』で書かなかったハーデスと瞬の再会、そしてその後をメインにしてみました。『星屑〜』を読んでくれた友人が『何故肝心な部分を端折る(*゚曲゚)キィィ』とお怒りになりまして。
それで今回の『もうひとつの〜』と相成ったわけです。
まあ、確かにね。肝心な部分だもんね。ファンタジー色、浪漫色が濃くなりそうだったんで敢えて避けたんだけどな、ダメだったかwwww
しかし改めて書くと楽しいな(*゚д゚)注: 文字用の領域がありません!

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