色彩鮮やかな季節はきっと 〜カボチャの幻燈 先頭にいるのはジャック・オ・ランタン 笛こそ吹いていないけれど それぞれの思いを胸にパレードは何処へ向かっているのだろうか ハロウィンがクリスマス同様に行われるイベントとなったのは数年前のこと。 それでもまだ馴染みが薄いのは否定できない。 なにせイースターと同様にキリスト教に関する聖人を祭るこのイベントが恋人たちをうっとりさせるような行事でもなかったのがその要因と言えよう。 ハロウィンは子どもこそ楽しいものなのである。 しかしイベントはイベント。ここに一人の男がやっぱり考え込んでいた。 「何をお考えですか、ハーデス様」 社長室の秘書用デスクでミーノスがパソコンから視線をそらす。先ほどからハーデスがあーでもないこーでもないと煩く唸っているのだ。 これが企業経営に関することなら実によいのだが、彼が考えているのは会社の将来より自分と恋人の未来の事だから質が悪いと言えよう。そういうことは終業後にこそやってほしいもんだとミーノスはため息。 しかし彼の恋の話を聞くのはなかなか面白くてつい口を挟まずにはいられないのだから、自分もなかなかどうして楽天家だとミーノスは思う。 ハーデスは逆巻く麗しい黒髪をかきあげてミーノスを見た。 「世間はそろそろハロウィンだと騒いでいよう」 「ああ、そうですねぇ」 道端に突然現れるジャック・オ・ランタン。 ミーノス風に言えば『カボチャの脳髄をぶちまけて作った頭蓋骨に蝋燭をねじ込んでカタカタ言わす』もの、だそうだ。それが街中にあふれ出すとハロウィンだなと思えるから不思議だ。 「それがどうかなさいましたか」 「どうしたではない、大事ではないか」 「はあ……」 どこがどう大事なのかよく分からないが、とにかくハーデスにとっては大事なことらしい。 ミーノスが説明を求めるとハーデスは苦悩をありありと浮かべて説明してくれた。 「ハロウィンでは“トリック・オア・トリート”と言ってお菓子を要求するそうではないか。そしてお菓子をもらえなければかわりにイタズラをするのだ」 「ええ、そうらしいですね」 そろそろ言わんとしていることがわかってきたミーノス、しかしもう逃げ出すことはできない。 ハーデスの話は佳境に差し掛かる。 「その場合、余はどうすればいいのだろうか。瞬の来訪を待ってお菓子をやるべきか、それともイタズラされるべきか。あるいは余のほうから尋ねていってお菓子をもらうか、さもなくば余が瞬にイタズラをするべきか」 「どーでもいいですけど、4つ目のは犯罪ですからね、ハーデス様」 ハーデスの恋人である瞬はまだ13歳、中学1年生だ。 おそらくイタズラといっても玩具のお面や蛇で脅かしたり怖がらせたりする程度なのだろうが、ハーデスが言うと卑猥な方向に聞こえてしまう。 「まあ、余としてはイタズラされる方向で進めてみたいのだが」 いったい何を期待しているのやら、この社長は。 会社の明日が見えないと、ミーノスはパソコンで自社株の動向を調べてみた。 この不景気にも関わらず株は相変わらず安定している。 なんなんだこの会社。 しかしミーノスは知らなかった、というよりまだ気がついていなかったのである。 瞬との輝かしい未来のために会社を潰さず、また、彼女にふわさしい男であろうと彼が必死に努力している事を。 「ハロウィンが楽しみだなー」 「……そうですね」 愛の力は偉大なのだ。 そんなある日曜日、崑崙高校剣道部では他学校を招いての練習試合が行われていた。 3年生引退後の試合ということもあって1年生も試合に出ている。 コードは母校という事もあってその練習試合を見に来ていた。 男女で剣道場を二分し、試合が行われている。剣道独特の気迫にも圧されないのは彼が高校から通算で大会5連覇中だからだろう。そんなコードが観戦しているともなれば後輩たちは果然張り切る。 その中には当然彼の恋人もいた。 崑崙高校剣道部で藤姫と綽名される一年女子の音井シグナルがその人だ。 彼女は生まれたときからコードに纏わりついていたといっても過言ではないほどそばにいた。剣道を始めたのもコードと同じことをしていたかったからで、今ではその腕前はかなりのものになっていた。 そんなシグナルの隣には同じく桃姫と呼ばれる友人にしてライバルが座っている。 彼女の名は太公望呂望――通称・望ちゃん、あるいは師叔だ。 ふたりの出番はまだのようだ。 そこにひとりの少年がふらりと現れた。 「あ、カシオペア先輩!」 「ん? ああ、天化か」 黒髪の少年はぺこりと頭を下げた。彼は呂望の彼氏で、中学ではシグナル、呂望の後輩に当たる。ゆえに学年が離れてはいるがコードにとっても後輩に当たるのだ。 以前シグナルを賭けた中坊との戦いでも会っているし、シグナルの友達の彼氏なので満更面識がないわけではない。 「なんだ、姫の応援か?」 「先輩こそ。だけど俺っちはそれだけじゃなくて、やっぱここの剣道部を見ておきたくて……」 「ここを希望しているのか?」 コードの問いに天化はまっすぐに答えた。 「ええ。せっかく続けてるんだから強いところに行ってもっと自分を磨きたいから」 コードが琥珀の瞳で若い剣士を見る。彼が“桜の剣士”と呼ばれていた頃もやはり同じように考えていたものだ。 誰のために強くあるのか、という事も。 やがて練習試合が始まった。 団体戦ではなく、個人戦のようだ。 最初に出て行った2年生の女子生徒は僅かな隙を見せたのがまずかったのか、篭手をとられた。 周囲は惜しかったねなどと声をかけていたが、コードや天化からすれば自業自得。 「踏み込みに隙を見せたさね」 「そういう足どりだったしな、見破られるだろう。だが剣筋は悪くないからあとは足捌きが課題だな」 まだ若いふたりは剣の事となるとまるで老練な剣士のような鋭い眼力を見せる。 傍から見れば一体何者だろうかと訝しむだろう。 しかしかれらもまたれきとした剣士だった。 コードは現在、高校時代から数えて大会5連覇中の強者だし、天化も中学生ながら2年、3年次と続けて全国大会優勝という栄誉を残している。 そしてその恋人たちもまた、16才の若輩ながら剣姫の名をほしいままにしている。 それも日ごろの鍛錬あってのこと。 次の試合場にあがったのは桃姫こと太公望呂望――通称望ちゃん。 短く切られた漆黒の髪に藍色の瞳が楽しそうに揺れている。 「ふむ」 構えた呂望を見て、コードはそれだけ呟いた。もうすでに彼女の勝ちを確信しているようだ。 シグナルの友にして好敵手ともいえる彼女の手を見ておきたいと思うのはコードの剣士としての想いか、それとも。 審判がすっと手を上げた。そして両者が静かに立ち上がり、剣先を合わせる。 相手は呂望を威嚇するように声を上げているが、彼女はただ静かにそこに立っているだけだ。 動かない彼女を動けないと判断したのが相手の失策だった。 呂望は動けないのではなく、敢えて動かなかったのだ。 何かの動作に入るとき、必ず隙ができる。呂望はそれを待っていたのだ。 剣を振りかぶり、どうか面を狙ってくる相手に呂望は迷わず竹刀を振るった。そして軽快な音を立てて相手の胴をなぎ払った。 あまりにも早い試合運びに審判も一瞬反応が遅れた。 しかしすぐに呂望の勝ちを宣言する。 天化は恋人の活躍に安堵などしなかった。勝つものと知っていたからだ。ただ鮮烈なまでの印象を彼に残したことは否定できない。 「見事だな、剣は振りかぶればいいというものではない。彼女はまるで柳のようだな」 ゆらりゆるりと攻撃をかわし、一転して容赦なく敵を絡め取る。 天化のほうが上背があるぶんだけ強いと思われがちだがなかなかどうして。天化でさえ呂望に勝つことはできないのだ。 「的が絞りにくいんさよねー、師叔小さいから」 「ああ」 天化の評価にコードがくすりと笑った。同じようなことをシグナルが言っていたのを思い出す。彼女の剣先を見失わないようにするのが精一杯だとも言っていた。 「あ、音井先輩だ」 「ん」 次なる剣士はコードの恋人のシグナルだ。偏光する紫色の長い髪をさらりと揺らし、彼女は道場の中央に立つ。 ただ美しいだけなら、彼女がもてはやされることもない。 しかしシグナルは可愛いだけの女ではなかった。コードと一緒にいたいがために弱冠5歳にして剣道を始めた彼女はいわばコードの最初で最後、そして唯一の愛弟子なのである。 ゆっくりと剣を構えるシグナルと対戦相手。 呂望と互角に戦える実力の持ち主である藤姫の戦いぶりには天化さえも期待を寄せる。 「はじめっ」 審判の手があがり、腰を落としていた二人がすっと立ち上がる。 そして呂望のときと同じように勝負はあっさりとついた。シグナルはしなやかな動きで相手の篭手をいとも簡単に打っていたのだ。 竹刀で打つ音さえも軽く響く。 「ひゅー、流石は音井先輩」 天化はシグナルの勝利を喜んで軽く口を鳴らしたが、しかしコードの顔つきは険しい。 一言も発しないコードを訝しむかのように天化は恐る恐る声をかけた。 「どうかしたさ、カシオペア先輩?」 「あ、ああ。別に……な」 珍しく歯切れの悪いコードに不振を拭えない天化は、ふと道場に視線をやった。 見ればシグナルのそばに呂望がいて、なにやら話しかけている。さらに前主将らしい女性もやってきた。 先ほどの試合運びにも審判の下した結果にもなんの不備もなかったはずだ。 どうしたんだろうと天化が眺めている横でコードは一人舌を鳴らす。 (あのバカめ……) どんなに隠していてもわかるんだと、コードは言ってやりたかった。 だがまだほかの部員たちの試合が残っている。 コードは残った試合を眺めながら、けれどちょこんと座り込んでいるシグナルから目を離せずにいた。 その頃、ゾロリはガオンと一緒にいた。 「これだからやだねっ、男の一人暮らしは」 「好きで一人でいるわけじゃないんだけどねぇ……」 ガオンがちらりとゾロリを見れば彼女は存じませんとばかりにそっぽ向いた。どうやら微妙に分かってはいるらしいのだ。だが何故かそれを認めようとしない。 照れているのかそれとも。 ガオンは熱でだるい身体を動かす。寝返りを打たないと汗で湿って気持ち悪いのだ。 そんな彼のそばにゾロリは思わずさっと駆け寄る。 そして不安そうな唇に彼の名を乗せた。 「ガオン……」 「寝返りを打っただけだよ」 「あ……」 デートの約束をしていたのに、ガオンは風邪で倒れて来なかった。 だから看病ついでに文句でも言ってやろうと思ってガオンの部屋を訪ねたら、彼はひとりで眠っていた。 そうしたら急に不安に駆られて、気がついたらガオンを殴り起していた。 「ゾロリ……母親のことでも思い出したのかい?」 びくっと彼女の身体が震えた。 ガオンの硬くて熱い手がゾロリの頬をそっと撫でる。それが彼女の琴線に触れたのか、ゾロリの瞳からぼろっと涙がこぼれた。 「ガオン……俺……」 たんぽぽが綿毛になる晩春にゾロリの母は亡くなっていた。彼女はまだ幼かった。 それから程なくしてゾロリは母方の祖父に引き取られ、今日に至る。 ゾロリの父親は幼い頃に失踪しており、彼女はひとりで母を看取ったのだ。 幼い少女にそれはなんと残酷な現実だっただろう。 だから彼女は誰かが病に倒れるたびにひどく狼狽するようになっていた。 ガオンはそんな苦しみを知らない。一人で暮らしているとはいっても両親は未だに健在なのだ。 悪いことを言ってしまっただろうかと、ガオンはぽろぽろと涙を零すゾロリの頬を撫でた。 「すまない、ゾロリ」 「ガオンのばか……」 抱きつけば熱い胸、キスをすれば風邪がうつるかもなんて思っても触れたくてたまらなくて。 「ガオン……」 「風邪をうつしてしまう」 「そう思うならはじめから看病になんか来ない……」 違いないと苦笑し、ガオンはそっとゾロリを抱き寄せ、口づけた。 「……熱い」 「だろうね」 いちばんそばにいて欲しかった人はもういない。 だから今となりに立ってくれる彼を失いたくなくて――遅かれ早かれ避けられぬ別れが来るまでは。 「死んだら承知しないからな、ガオン」 「君を置いて死ぬもんか」 いつも気丈に振舞っているゾロリが唯一本当の自分になれる場所。 ゾロリははっと我に返っておずおずとガオンを見つめた。 「あの……」 「ん?」 「学校にはナイショな」 「分かっているよ」 たまには風邪を引くのも悪くはないなとガオンはゾロリをぽんぽんと撫でてほくそ笑んだ。 すべての試合が終わると、コードも剣道場を出た。 シグナルを捕まえて言ってやらなければならないことがある。無茶をすればどれだけ後でしっぺ返しを食うのかということを。 しかし捕まえる前にコードはある女性に呼び止められた。 「カシオペア先輩」 「ん?」 振り返るとそこに立っていたのは藍色の髪持つ淑女、かつてはこの崑崙高校剣道部の主将を勤めていた藍姫ことクリフトだ。 藍色の長い髪を凛々しく結い上げた彼女には未だにファンが多い。シグナルもその一人だ。 そんな彼女ももう3年生だからすでに引退しているだろうに、今日はわざわざ見に来たというのだろうか。 かく言う自分も卒業生、わざわざ恋人の試合を見にきたとは言いにくい。 苦笑するコードにクリフとは一瞬きょとんとしたが、彼がすぐに表情を戻したので気にしないことにした。 もっともクリフトには彼がここにいる理由などとうにお見通しなのだが。 「先輩、今日の音井さんの試合、どのようにご覧になりました?」 問われ、コードは途端険しい顔になる。 今日のシグナルの試合、剣捌きは悪くはなかったが、足元がどこかおぼついていないようだった。 おそらく足を怪我しており、無意識に庇っていたのだろう。 相手にそれを見破られているふうではなかったが、間違えれば逆にやられていたのはシグナルのほうだっただろう。コードは少し考えて言った。 「そうだな……ま、もう少し手早く済んだ試合だったかもな」 「やはりそうご覧になりますか」 くすりと小さく笑みを零したクリフト、彼女も何かを知っているようだ。 「シグナルは足をやったようだな」 「はい、先日生徒会室の荷物の運び出しを頼みまして、その際に」 古い脚立から降りるときにうっかり足を踏み外して軽くひねったのだそうだ。アリーナがあわててシグナルを保健室に連れていってくれたので大事には至らなかったらしい。 骨折や捻挫でなかったのが不幸中の幸いだ。 「本人が大丈夫だというので今日の試合には出しましたが……」 「まったく、無茶をする」 「本当に」 よく言えば負けず嫌いの頑張りやさんなのだろうが、それでもこれから先も剣道を続けたいと言うのなら普段から些細な怪我にも気をつけなくてはならない。 コードは呂望と一緒に会場の片づけをするシグナルを見ていた。 「それでは先輩、私はこれで。あまり音井さんを叱らないであげてくださいね」 「ん……ん?」 思わず返事を仕掛けて、コードは詰まった。彼女は何をどこまで知っているのか、と。 シグナルが余計なことを言いふらしているのか、それとも。 無自覚な騎士様はぽりぽりと後ろ頭を掻きながらほてほてと廊下を歩いていた。 さて、一方の自覚ありすぎる騎士様はお目当てのお姫様をとっ捕まえ、姫のほうもうきうきで着いて行った。 「今日の師叔もかっこよかったさね」 「ふふふ、天化が見ておるからのう」 背の高い年下の彼氏にぶら下がるように抱きついている呂望はそれはそれは幸せそうで。 今は中学と高校と離れているけれど、離れているからこそ一緒の時間がとても大切なのだ。 「そういえば天化、もうすぐ推薦入試だのう」 「おう、師叔と同じ崑崙高校一本で決めた。俺っちが大好きなスポーツもここならできると思うし」 まっすぐな少年の瞳は未来を見つめている。その煌きに呂望は頼もしささえ感じていた。 でも、どこか寂しくて。 「天化はどんどん進んでいくのう。わしはもう要らぬか」 「そんなことないさよ? 俺っちには師叔が必要さ」 「けど、わしがここにおるから同じ学校にとは言うてはくれなんだな」 「師叔……」 女とは時に我侭な生き物だ。それは天化も、そして呂望自身もよく知っている。 天化には自分の進路は自分で決めろと口をすっぱくして言ってきた。彼の将来を自分の存在が邪魔をするようなことだけはしたくなかったからだ。でも必要とされているという事実も知りたくて、ついつい意地悪を言ってしまう。 天化は自分のやりたいことができると言った。でもそこに自分がいるからとは言ってくれなかった。 それがほんの少し寂しくて。 「天化……」 「試合のときとは別人さねぇ」 そういって苦笑しながら、天化はふと周囲を確認し、少し屈んで呂望の額に口づけた。 温かくて少し硬い少年の唇に呂望は思わずきつく目を閉じた。 「大好きさよ、師叔……」 「あう……」 「あうって何さ」 夕日のせいかキスのせいか、頬をうっすら染めながら呂望はじーっと天化を見つめていた。 もっとも、もうほとんど日は沈んでいて紅潮させるのは至らない。 「師叔?」 「……」 うんともすんとも動かない呂望を天化は見つめ返す。 そして。 「……ぶわっくしょい!」 「うわあっ!?」 飛んできた飛沫をうまく避けてた天化はずずっと鼻をすすった呂望にティッシュを差し出す。 「ほら、鼻かんで」 「子ども扱いするにゃ」 しゅるるっともう一度鼻をすすって、呂望はとてとてと歩き出した。その後を天化があわてて追いかけてくる。 「師叔、マフラー! ほら!」 「ラーメン食べたい……」 「じゃあ食いに行くさ」 並んで歩いて、お揃いのマフラーをして。 これからラーメン食べに行くんだぞ、わしら。 「わ、もう真っ暗になっちゃった」 「秋の日はつるべ落としというからな」 紫龍と瞬がスーパーから出てきたときはもうとっぷり日も暮れていた。星矢がおなかすいたと喚いているかもしれない。 「今日はカレーだね」 「ああ、これさえ作っておけば星矢がどんなに喚いても対処できるからな」 たくさんの野菜類とカレールー、それにフルーツを抱え、紫龍がふと空を見上げた。 つるべ落としといった空はもう紺色の帳に金星の飾りをつけて広がっていた。 西の空は鮮やかに、でも刹那の金橙色に溶けかかっている。 もう冬が近づいているんだなと感慨深く思っていた紫龍の背後に誰かが近づいていた。 そしてその誰かは紫龍には目もくれずに隣にいた瞬を浚っていきそうな勢いで突進してきたのだ。 「しゅーんー!!」 「きゃあっ!?」 薄暗くなった秋の夕方にその誰かに抱きつかれればあっという間に視界は真っ黒になる。 亜麻色の髪にすりすりと頬を寄せてくるその彼を瞬はよいしょと押し離した。 「ハーデス、やっぱりあなたなの……」 「瞬の姿が見えたのでな。ああ、これも神の導きであろうか」 細かいツッコミはこの際なしにしよう。 世界屈指の大企業であるオリンポス、その支社の社長を務める26歳のハーデスは13歳も年下の瞬に一目ぼれ、こうして折あるごとに愛を語り、体現して見せる。 それ以外は特に害もないので瞬はよしよしとその髪をなでてやった。 「今日は日曜日ですもんね」 「うむ。しかしそなたに会いに行きたくとも余に日曜はないのだ……」 いつもは終業時間と同時に逃げ出すので残務が終わらないと嘆いていたミーノスも、瞬がハーデスを躾けてくれたおかげで会社は大事に至らないで済んでいる。 もっともハーデスは会社を潰す気などないのだが。 本当なら瞬以外はどうなろうと知ったこっちゃないハーデスは呆然と立ち尽くしている紫龍の存在にやっとのことで気がついた。 「なんだ、そなたもいたのか」 「ええ、まあ……」 「今日はカレーにしようって、タイムサービス狙ってきたんです」 「タイムサービスってなんだ?」 セレブなお育ちのハーデスはスーパーなど行ったこともないし、更にタイムサービスなんてのがあることも知らない。 彼は瞬からいろいろと教わりながら、日々を新鮮に過ごしている。 「タイムサービスっていうのは時間帯によって商品を安くすることなんですよ」 「賞味期限が微妙なものとか、売れ残った在庫を一掃するためにな」 「なるほどなー」 黒いコートのハーデスが大手と言われるスーパーを見つめた。 「ところで、今日の夕飯はカレーか?」 「ええ、そうですけど……」 紫龍はなにかいやな予感を感じながら、それを必死に否定していた。しかし否定しているだけではどうにもならない。彼のいやな予感は十中八九的中するものと決まっている。 案の定ハーデスは、というよりも瞬本人がここであったも100年目とばかりに彼を夕食に誘っていたのだ。 もちろんハーデスも否とは言わない、絶対に。 瞬はいつもの笑顔でハーデスの隣に立っている。 「紫龍ー、早く帰ろー」 「あ、ああ。ああ」 まあいつものことかと思いながら、紫龍はふたりの後を追った。 すっかり暗くなったころ、シグナルが部室から出てきた。 痛めた足をしっかりテーピングしていたのだ。痛くもなんともないのだが念のためと言われてしっかりと足首を巻いた。 「ふう……」 夏でなくてよかったと思いながら、ふと見上げた空にはいくつかの滅びの煌きが輝いていた。 結った髪を解き、夜風に流す。生まれついて偏光する紫色の美しい髪持つ乙女が泣きそうな顔をしている。 「コード、帰っちゃったかな」 「んにゃ」 突然背後から掛かった声にシグナルはにゃあと背中を総毛立てた。 おそるおそる振り返ると桜色の髪も鮮やかなコードがそこに立っていた。 「コココココ、コード!」 「鶏かお前は」 引き気味のシグナルに向かってふんぞり返るコード。 呂望は先ほど天化と一緒に帰ってしまっているから、シグナルはもちろん一人。 「もう暗いんだからな、お前を一人で帰らせるほど不人情ではないぞ」 ん、とコードが腕を差し出す。掴まれ、ということなのだろうか。 シグナルはおずおずとその腕に触れた。 「コード?」 「足は痛むか?」 言われてシグナルははっとした。 コードは知っているんだ、という事実。うっかり足を踏み外して、でも軽い捻挫で済んだけれど。 でももっと大きな怪我だったら。 「痛くないよ、もともと大したことないんだけど、先輩も望ちゃんも用心に越したことないって」 「そうか……」 「でもね、みんな心配してくれるからちょっと甘えようかなって思ったの」 そういってきゅっと自分の腕を掴んだシグナルにコードはほうと感嘆の思いだ。小学校の高学年のときにはそりゃあもう生意気だと思えるほど負けん気が強くて、やっぱり足を怪我していても根性で乗り切るような子だった。 自分の足をばしばし殴り『私の右足の根性なしっ!!』とか叫んでいたのを思い出す。 けれど年を重ねるに連れてこういった部分は少しずつ清廉な強さへと換価され、彼女は剣士として、そして女性として華やかに育っていった。 なるほど、エモーションのいうとおり今が盛りの花なのかもしれない。 しかし摘み取るのは今ではない。 「歩けるな?」 「うん」 じゃあ行こうと、コードはシグナルを連れて夕暮れとも宵ともつかぬ道を歩いていった。 そんな幸せそうな後姿をアリーナとクリフトが静かに見送っていた。 「あーあ、音井さんはそんなにひどい怪我でもないのに」 「いいではありませんか、仲良しさんなんですから」 部活も生徒会もすっかり引退、引継ぎも終えてしまった彼らはこれから受験漬けの日々。 今日はもしかしたら高校生活の中で普通の学生でいられた最後の時間なのかもしれない。 「いろいろあったよねぇ」 「それ、まだ早いですよ、アリーナ様」 苦笑するクリフトにアリーナはいいじゃんかっと小石を蹴る。 ふと、アリーナが何かを思い出したかのように振り返った。 「ところでクリフト」 「なんでしょうか」 アリーナはクリフトのそばに立ってみる。そしてクリフトを見下ろした。 そう、もう見下ろすことができた。 「ああ、今ならできる気がするっ!」 「アリーナ様!?」 そういってアリーナはクリフトの荷物を奪うと、ひょいと彼女をお姫様抱っこして見せた。 「おお、できたできた」 「降ろしてください、アリーナ様っ!」 「いや、1年生の頃はできなかったからね」 今からちょうど2年前。まだふたりが1年生だった頃、クリフトが貧血を起して倒れたことがあった。そのときアリーナが横抱きにして保健室に運ぼうとした。しかし姫抱きにはコツがあって、抱かれるほうもうまく抱きつかないと抱くほうに負担をかけてしまうのだ。 クリフトは気を失っていた。アリーナはコツがあるなんて知らなかった。 しかたがないのでアリーナはクリフトを背負って保健室へ連れて行ったのだが、今思えば初めからそうしていればよかったのだ。 「あの頃の私はまだ君と同じ背丈だったね」 「まるで雨後の筍のようににょきにょきと伸びられて。クリフトは安心いたしました」 「だからこんなこともできるんだよねぇ」 クリフトを姫抱きにして、アリーナはニコニコと笑っている。 背丈は伸びてもまだまだ子供っぽい彼に困ったように笑いかけ、クリフトはそれでも彼から離れられない自分に気がついた。 温かくて優しくて――ああ、私の永遠をかけて守りたい人。 「アリーナ様」 「ん?」 「私、アリーナ様だけをお慕いしております」 「あ、ああ、うん……」 そろりとクリフトを降ろし、アリーナはきゅっと彼女を抱きしめた。 我が身、我が心は君の剣となり、盾となろう。 「愛してる」 「はい」 彼らの誓いを見守るのは物言わぬ金星のみだった。 10月も終わりを迎える頃。中学校の職員室はイヤな空気になっていた。 1年生の初学期から学級委員をやっている、もしくはやらされている瞬は引き戸を引く手を一瞬止めた。 「……やだなぁ、職員室に入るの」 「えー、いいじゃん、さっさと終わらせて遊ぼうぜー」 頭の後ろに手を組んでいた星矢がしつれーしやーすと戸を開ける。 すると星矢を見つけたある先生がにっこりと笑って出迎えてくれた。 「あら、星矢じゃないの」 「アイオロス先生……だっけ? サガにプリント持ってきたんだけど」 「先生って言いなさい、星矢」 瞬に窘められて、星矢は生返事。アイオロスはくすくす笑った。 そしてついっと彼女が指を差す先には理科担当のアフロディーテに締め上げられているサガの姿があった。 サガは瞬と星矢のクラス担任にして、1年生の学年主任兼数学担当でもある。 その彼がアフロディーテと交際していることはすでに周知の事実。そしてサガとアイオロスが幼馴染であったことはつい最近知った事実。瞬はおろおろとしていたが、近づかないほうがいいぜというデスマスクの言葉に、今は不思議と素直に従うことができた。 「あーあ、サガ先生……」 「美しい薔薇に巻き込まれて散りそうだな」 もうやめなさいと家庭技術担当のシュラがアフロディーテを宥めている。それをデスマスクがけらけら笑いながら見ていた。 「何かあったんですか?」 瞬の問いに陽気なアイオロスが答える。 「いやー。痴話喧嘩って言うの? 職員室でいやあねぇ」 「お前のせいだろうが、お前の」 瞬と星矢の背後でそういうのは3年担任のカノンだ。サガの双子の弟である。 アイオロスはカノンに底抜けに明るい笑顔を見せた。 「私は何にもしてないよー。アフロディーテが勝手に誤解しただけで私、サガとはなんでもないもん」 確かに腐れ縁だけどと毒づいて、彼女は笑うことをやめない。 「サガにプリントだったら私が渡しといてあげる。あれじゃ当分手は離せないでしょうし」 ふと見ればサガはぐったりと首をもたげ、なにかが抜けかかっている。 「サガ先生!」 瞬が慌ててアフロディーテを止めに行く。瞬の介入にいたり、彼女はようやく我を取り戻した。 「あれ? 私何をしていたのかしら?」 先ごろ行われた学力検査の結果を見なくちゃいけないのにと、アフロディーテはぐったりとしたサガにようやく驚愕して見せたのだった。 「サガ!! サガああああああああ!! いったい誰がこんなひどいこと……」 お前だお前と、ツッコめるならツッコむがいい。 瞬と星矢は真っ白になっているサガでなく、アイオロスにプリントを渡して職員室を出て行くのだった。 そのころの崑崙高校。 同じ剣道部に所属しているシグナルと呂望が、胴着をつけて道場の真ん中で相対していた。 1年生の実力を見るために行われた試合の最中、ふたりは微動だにせず、時間だけが過ぎていた。 動けば、隙ができる。しかし打ち込む刹那を読みきることもできない。 伯仲する実力に誰もが固唾を呑んだとき、主将であったクリフトが声をかけた。 「もういいわ、そこまでにしましょう」 「先輩……」 新主将はどこで声をかけたものか、迷っていたらしい。 それほどまでにこのふたりは1年生でありながら侮れない使い手だということだ。 クリフトが二人を呼び寄せる。 「おふたりはかつて戦ったことがある?」 元主将の問いにシグナルと呂望が揃って頷いた。 「同じ道場の門下なんです。何度も何度も……ね」 「確か五分五分だっだと」 お互い負けず嫌いなのでどちらかが参ったと言うか、誰かが止めに入るまで続けていたというから、いまどき珍しい剣術少女たちだ。 呂望とシグナルが顔を見合わせて笑う。屈託のない笑顔だ。 クリフトもつられるように笑った。 「いいわ、お下がりなさい。音井さん、足のほうはもういいみたいね」 「はいっ」 とてとてと足早に去っていく二人を見送って、クリフトは1年生だった頃の自分を思い出した。 私もあんなふうに――もっともっと強くなりたいと願っていた。そして、今も。 「では、今日はこれで解散します。もう暗くなっていますから皆さん気をつけて」 「はい」 一同ぞろぞろと剣道場をあとにする。最後にクリフトがでて明かりを消した。 「おっかしー、おっかしー」 「今日はハロウィンだもんな!」 イシシとノシシがうふふと笑っている。なんだか微妙に勘違いされているハロウィン。 本来は収穫祭なのである。 が、お菓子をもらえるということだけはわかっているらしいイシシとノシシはるんるんしながらゾロリの帰りを待っている。寒いのにわざわざ玄関先に座り込んでいる子供たちを見かけて、コンロンがおやとふたりに歩み寄った。 「ふたりとも、そんなところで待っておらんでコタツに入っておったらいいじゃろうに」 「いんや。おらたちここで待ってる!」 ふたりが力強く頷いたので、コンロンは仕方なく、寒くないようにと上着を持ってきた。二人はそれを素直に受けとて羽織る。 コンロンじいちゃんも実はハロウィンがなんだかよく分からない。カボチャを食べるのは冬至なんじゃなかったかのうと思いながら、カボチャのてんぷらを揚げている。 やがてコツコツとアスファルトを叩く音が聞こえて、それがイシシとノシシの待つ門の前で止まる。 ゾロリが帰ってきたのだ。 イシシとノシシはわくわくしながら扉が開くのを待つ。 ガチャと鍵を差し込んで回す音、ドアノブをつかんで開けたそのとき。 「せんせー、おかえりー!」 「ただいまー」 「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」 ただゾロリが帰ってきただけではない悲鳴が響く。なんじゃいとコンロンじいちゃんが台所からひょいを顔を出すと、イシシとノシシが廊下で腰を抜かしていた。 「なにごとじゃ?」 「あー、ただいま、じいちゃん」 「またかね、ゾロリ」 コンロンじいちゃんは慣れたものらしい、早くそれを外しなさいとゾロリを軽く窘めている。彼女はけらけら笑ってお面を外した。片目がひどく爛れた、お岩さんのお面だ。 「どこから仕込んだんだね?」 「ガオンの車の中で」 ゾロリはどうやら近くまで送ってもらったらしい。上がっていけばと誘ったのだが、今日はあいにく所用とかで帰ってしまったそうだ。 「そりゃ残念じゃのう」 「んー……。あ、これ頼まれてたカステラ。明日のお達者クラブのおやつだよな」 「おお、すまんのう」 そういってゾロリがコンロンにカステラを渡す、その背中をイシシとノシシがぽかぽかと叩いていた。 「もー、せんせヒドイだよぉ」 「おら本気で怖かっただー」 「ああ、悪かったよ。ほら、お菓子」 ハロウィン用のお菓子詰めあわせをもらって、イシシとノシシはぴたっと叩くのをやめた。なかなかに現金なものだ。 「お菓子くれなきゃイタズラするぞ、かね」 「まあね」 はしゃぐ双子の様子を見ながらゾロリは楽しそうに笑っていた。彼女が子供の頃はハロウィンなどなかったし、なにより母と二人暮らし。生活も決して楽ではなかった。 でも今は母方の祖父であるコンロンじいちゃんと双子に囲まれて、騒がしいけれど楽しい毎日が続いている。 「なあ、お前ら俺にお菓子ないのかー」 そういわれて、ふたりはきょとんと顔を見合わせた。 すると双子はゾロリの左右に分かれ、キスの挟み撃ち。お菓子はないけど双子からの甘い歓待にゾロリはにこりと笑った。 「それでいいのならお菓子買うことなかったかな?」 「お菓子は別だ!」 「んだ!」 とられまいと必死に握っているあたり、双子はどれだけお菓子が好きかとわかる。 晩ご飯の前だからお菓子を食べてはいけない、というルールにのっとり、ふたりはお菓子の入ったカボチャを部屋においてくるのだった。 「天化! 今日はハロウィンじゃぞ! 食い物をよこせ!」 さらにより一層の勘違いをしているカップルがここに一組。ハロウィンは食い物をねだる日ではない。 重ねて言うが収穫祭である。日本のお盆に似た風習だと思えばいいのだが。 駅前のコンビニの入り口付近に立っていた呂望と天化はじっと互いを見つめあった。 「師叔、俺っちはお菓子持ってないんだけどな」 「じゃあイタズラするぞ、天化」 「いいさよ」 天化はにっと笑うと掛かって来いとばかりに突っ立っていた。そこに呂望がイタズラしようと手を伸ばす。 しかし身長差がそのままリーチの差、呂望の腕はそんなに悲しくない程度に短く、天化には届かない。 逆に天化に額を押さえられ、空しく腕を振り回している。 「あはは、新喜劇みたいさねぇ」 「くぬぅ、わしはメダカではないぞー」 ほんの2ヵ月しか誕生日が違わないのにその2ヵ月の差で学年を隔てられ、そして世界も分かつことになっても。 「師叔、俺っちのほうが一応年下なんだけどね」 「おぬしのほうが菓子をねだるか?」 「菓子より師叔がほしいけど」 さらりと囁いた彼がまだ中学生だなんて微妙に信じられなくて。 呂望は染めた頬を迷わず天化に向けた。でもうまく口が動かない。 「あうう……も」 「も?」 「桃まん買ってくれたら考えてやらなくもないぞ……」 「随分安いんさね」 買う意思があるのか、天化はコンビニに入っていく。呂望はちょっと年下の彼氏の袖をつかんでゆっくりとついていった。 「師叔、伸びるから」 ずっと掴んでいた袖を、呂望はそれでも離さなかった。 天化は苦笑しながらもコンビニのレジで桃まんを1個と肉まんを1個買う。 「一緒に食べよ、師叔」 「うむ」 機嫌を直したのか、呂望は桃まんを大事に抱え、左手を天化に添えてにっこり笑った。 「あ、晩ご飯は大丈夫か?」 「肉まん1個くらいなら大丈夫さ」 初冬へと向かう季節、空はもう暗くなっている。 星々は滅びへと向かう煌きだが、金星は果たして――愛と美を司る女神の名を冠するこの星は。 「天化、星じゃー」 「地上が明るくても、星は変わらないさね」 いつもの公園でゆっくり食べようと二人は仲良く歩き出した。 その数分後、改札口を出たのはコードとシグナルだった。 呂望とシグナルは同じ電車だったのだが、コードをとっ捕まえたので行動を別にしたのだ。 但し人の多いところではくっついてはいけないという約束なので手は愚か袖を掴むことさえ許されない。 やがて駅前を抜けて住宅街へ向かう路地に入ったとき、シグナルはばっとコードの腕に抱きついた。 「ねぇ、コード。今日はハロウィンだよ?」 「ああ、北欧の収穫祭にキリスト教の聖人を奉る行事が融合したやつだな。それがどうした」 世の中にはそのイベントの趣旨や儀式をきちんと把握していても実際にはそのように行動しない者もいる。その最たる例がコードだ。クリスマスもバレンタインも彼にしてみれば面倒なイベントでしかないのだが、そこに新たに加わったハロウィンは面倒この上ない。 どうしたと言われ、シグナルは返す言葉を失いかけた。が、必死で探して見つけた。 「だ、だから、その……お菓子ちょうだい」 「菓子か」 コードはそう言って立ち止まり、ゴソゴソとポケットを漁った。ふと、小さな物がコードの手に当たる。 「あったぞ」 「何?」 コードの手に握られていたのはのど飴だった。シグナルは思いっきりがっかりして見せた。 「なんでのど飴なのー?」 「ゼミの仲間にもらったんだ。ほれ」 「むー……」 のど飴は医薬品ではない。のどに良さそうな成分は入っているが名称表示はキャンディー。れっきとした菓子類だ。仕方がないのでシグナルは礼を言ってその飴をもらった。 たとえ貰い物ののど飴でもコードに貰ったものだ、大事にしようとシグナルはポケットにしまう。 ふと歩き出そうとしたシグナルだったが、コードが歩かないことに気がついた。 「どうしたの?」 「シグナル、俺様にはないのか?」 「え?」 コードの言いたいことがよく分からず、シグナルがきょとんと立ち止まる。 そんな彼女をコードが珍しく――本当に珍しく壁際に追い詰めた。 「え、ではないだろう。ハロウィンは菓子をねだるか、さもなくはイタズラしてもいい日だったな」 「えっ、あのっ……」 「菓子がないなら仕方がない」 迫ってくるコードの顔にシグナルはぎゅっと目を閉じた。それが帰って好都合とばかりに、コードが彼女の唇を奪う。 「んっ!?」 これがコード流のイタズラだとするなら、彼女にとってこんな幸せはないだろう。 口づけはほんの一瞬だった。 それでもシグナルを驚かすには十分すぎて。 「あ、あう……」 「ふふふ、ほら、行くぞ」 つかまっていいぞと腕を差し出されても、シグナルはしばらく反応できなかった。 かわりにぽろぽろと涙を零すのを見て、コードがぎょっと目を見張る。 「お、おい、シグナル……」 「ひっくっ……コードの意地悪……」 いよいよしくしくと泣き出したシグナルにおろおろするコード。嘘泣きではないが故に性質が悪いシグナルの本気泣き。 「ええい、泣くなっ!」 「コードが悪いんだもん、コードのせいだもん……」 いつも寄るな触るなっていうくせに、こんなときだけ優しくて。 「コードにとってっ、ひっく、私はおもちゃだったんだ……」 「ちょっと待て、何でそうなる!?」 「だってイタズラじゃなきゃちゅーしてくれないんだ……」 「それは誤解だっ、ほら、行くぞ!」 やだやだと首を振るシグナル。 泣きたいのはこっちだとコードはシグナルを必死に宥めすかすのだった。 たっぷり1時間かかったと、のちにコードは語る。 更に世の中にはイベントの趣旨や儀式をしっかりと学んだがゆえに突拍子もない行動に出る者もいる。 城戸さんのお家に手土産持参で訪れたハーデスがその極端な例だといってもいい。 「あら、こんばんわ。お仕事終わられたんですね」 「うむ。今日もちゃんと終わらせた。今日の夕飯はなんだ?」 「グラタンとカボチャの甘煮です。あとサラダを」 ここのところハーデスは家庭料理が食べたいとか近くまで来たからだとか理由をつけて城戸家を訪れることが多くなっていた。もちろん食費は入れている。 そこまでして瞬と一緒にいたいと言うのだ。 瞬は寒いでしょうと彼を心配しながら家に入れてあげたのだが。 「ところで瞬、今日はハロウィンだぞ」 「ええ、そうですね」 「しかし余は菓子を持ってはおらぬのだ」 「はあ、そうなんですか」 一体どうしろっていうんだろうと瞬は黙って彼の話を聞いていた。ハーデスは瞬の肩にそっと両手を乗せた。 そして真摯に彼女を見つめる。 「余に存分にイタズラしてよいのだぞ!」 「えーっと……」 「さあ!」 って両手を広げられても。 困惑する瞬の後ろで星矢が目敏く彼の背後にあった紙袋を見つけた。 「あっ、お菓子だ!」 「こら、星矢!」 はっと我に返り、来客の私物を勝手に物色しちゃいけませんと星矢を叱る瞬だが、ハーデスに構わないといわれて放免した。 「どうせそなたに渡すつもりであったのだからな」 そう言ってするっと上がりこむ。そのついでに彼は瞬の頭に何かを乗せた。 「え、なに?」 「これはそなたにな」 ふふふと笑いながらまるで我が家のように振舞うハーデスに、みんなもうすっかり慣れた。 何が乗っているんだろうとふと鏡を見れば黒い猫の耳。 「にゃっ!?」 「ああ、取ってはならぬ。今日はハロウィンなのだからな」 「おーお、瞬すっげー可愛い……」 夕飯の前にお菓子を食べてはいけませんと紫龍に窘められている星矢がぱっと目を輝かせた。 可愛いといわれ、紫龍や氷河もうんうんと頷いている。 うるさい盛りの野郎どもの中に可憐に咲く一輪の花、それが瞬なのだ。 ハーデスは自分の仕事に満足そうに微笑んでいる。 一輝は新聞に顔を突っ込んだまま。 「うー、じゃ、じゃあ夕飯にしようか」 「おー! 俺もうハラペコで死ぬぅ」 その晩、瞬はネコ耳をつけたままで過ごした。 外すことも忘れてぼーっとしているのはハーデスが帰り際にふいに自分の頬に口づけてきたからだ。 まだ13歳の瞬にとってハーデスからのキスはたとえ頬に与えられたものでも大人のそれで。 そっと抑えてみるとまだそこに彼がいるような気がした。 なんだかそわそわして、どきどきして。 恋をしたらみんなこんなふうに感じるのかな、なんて思ってみたり。 子猫はあっという間に大きくなる。 窓の外には銀の月、秋の夜空にぽっかりと浮かんでいた。 カボチャの幻燈は導くだろう それぞれが幸せになれる道へ ≪終≫ ≪大遅刻にもほどがあるだろ≫ すみません、色彩鮮やかなハロウィンです。すみません大遅刻です_| ̄|○ リクエストくださったYさまには死んでもお詫びできません! なので生きて贖います。 本当にすみませんでした。またなんなりと言いつけてください! えっと、だらだらと本当にうわやめなにをすあwせdrftgyふじこlp;@ |