黄昏の賢者  〜前編



夕映えに溶け込む緋色の鳥に
AU REVOIR!
さようならと手を振って
大丈夫、世界は丸いし、俺たちは背中合わせだから。


燭台の明かりだけがぼんやりと周囲を照らす。そんな中にひとりの男が立っている。
「そうか、王妃が」
「はい、本性を現したというか、別人になったというか」
部下の報告を聞き、男は考え始める。
黒豹の耳に少し浅黒い程度の、言うなれば日焼けしたような肌を持っている彼はまだ壮年には達していない。
しかしその風情は老練にして老猾。
一瞬見せる鋭い視線は何かを感じ取った獣の瞳だった。
彼は分かったとつぶやくと部下に今後も王妃の動向を探るように命じ、退出させた。
「やれやれ」
どう見ると振り返らずに言った彼の背後にひとりの少女。
ウサギの耳をした彼女が静かに唇を開いた。
「独自の調査ではどうも後者の方が強いように思えるのう」
「ほう」
詰まるところ、王妃は別人になったということか。
黒豹の男は面白そうに、そこでやっと振り返った。
「そろそろ、あなたに本格的に動いてもらわねばならぬようだ」
こつと靴音をならし、男は少女の頬にふれた。
先ほどと打って変わって優しい顔で。
「くれぐれも、気をつけて」
「うん」
少女は少女らしく微笑んだ。
その屈託のない笑顔に男は思わず微苦笑する。
月の欠け終わり、満ち始め――新月の夜のことだった。



「あ、もうだめぇ」
ずいぶん色っぽい声でゾロリが倒れたのがかれこれ5分ほど前。それよりもっと前にイシシとノシシも空腹を訴えてぶっ倒れた。プッペの中に備蓄していた食糧も3日前に尽きていた。
唯一食事を必要としないプッペだけがおろおろと3人を揺り動かしたりぺちぺち叩いてみたりしたが、ゾロリたちは空腹のあまり気を失っているようだ。
「ど、どうしたらいいっピか」
「なんじゃ、旅人か?」
「ピ」
プッペが顔を上げるとウサギ耳の少女が虎耳のがっちりとした男性と、犬耳の青年を連れて歩いていた。
困ったときは迷わずあじゃぱーではなく、誰かを頼ること。
プッペはその一行にゾロリたちを助けてほしいと頼み込んだ。
すると少女はお安いご用だと、倒れ伏しているゾロリたちを担いでくれた。
「ありがとうっピ、えーっと」
「わしは呂望じゃ。望ちゃんと呼んでくれればいいよ」
呂望はプッペをよしよしと撫でて、安心させてくれた。
「よし、じゃあ天化はそっちのちびっ子ふたりを頼む。飛虎はそっちのキツネさんをな」
「わかったさ」
「よっしゃ」
そういうと天化と呼ばれた犬耳の青年がイシシとノシシを担ぐ。ゾロリは飛虎がその背に背負った。
プッペは呂望に手を引かれて歩いている。
「ありがとう、呂望さん。ボクはプッペっていうっピ」
そして気絶している3人をそれぞれ紹介した。
「そうか、旅をしているのか」
「うん。3日前から何も食べてなくって」
「そりゃあ大変じゃのう」
そういうと呂望は飛虎の背中で眠るゾロリを見つめた。濃緑色の瞳がくるりと揺れる。プッペはそれを少し不思議そうに見ていた。
感じた違和感は拭えない。けれど呂望がにっこり笑ったので、そのままうやむやになってしまう。
「綺麗な御仁だのう」
「あ、ああうん。ゾロリさんは綺麗な人だっピ」
この世の煌めきを背負った人だとプラスの電気ウナギが評した人だ。
呂望がなにか一言発する度にプッペの中に不思議や違和感がいっぱい落ちてきた。
しかし今はゾロリたちのことが心配だ。それにプッペひとりでは飛虎や天化から彼らを奪い返すことはできない。
(ど、どうしよう)
かといって今更どうすることもできず、プッペは呂望に手を引かれたまま、歩くことしかできなかった。



ゾロリたちがたどり着いたその国は王政を敷いている。
首都・朝歌に王家と行政府があり、四方を伯侯と呼ばれる人たちが治めていた。たとえば西の地区なら西伯侯、と言った具合に。
ゾロリたちを拾ってくれた呂望はその西伯侯の秘書として働いているのだ。
西伯侯の治める西地区は周と呼ばれ、その周都・西岐は朝歌に負けず劣らず栄えていた。
「ほえぇ」
人々は明るく、にぎやかに笑いあっていた。
いい街みたいだと、プッペは思った。しかし担がれているゾロリたちは異様に目立つらしく、ときどきざわざわと噂する声は聞こえてきた。
「ピー」
プッペが不安そうに声を上げると、呂望はきゅっと手を握り返してくれた。
「ピ?」
「大丈夫じゃ。なにせ行き倒れのほうが珍しいんじゃからのう」
「そ、そうだっピか?」
背負われているゾロリはうんともすんとも言わない。そのかわり、天化に担がれているイシシとノシシは大いびきをかいていた。耳を押さえたいけれど子供たちを担いでいるのでそれもできない。天化に唯一できたのが顔をしかめることくらい。
そんな一行の遙か視線の先に遠く霞む建物が見えた。
「あれは何だッピ?」
「ああ、あれは鹿台といって行政府の新しい建物じゃよ」
そう言った呂望の瞳に、またくるりと揺れる何かが写る。
彼女の中に見える、陰と陽の感覚。
プッペはただぼんやりと感じるだけ。
「さ、急ごうか。西岐城までもう少しじゃ」
「ピっ」
そうだ、早くゾロリさんを助けてもらわなくちゃ。
プッペは呂望に促されるまま、すたすたと歩いていた。


西岐城でゾロリたちは手厚い看護を受けた。
空腹にいきなり食べ物を入れるとよくないのでまず粥から始めた。
暖かいお風呂にも入れてもらい、着ていた服も洗濯までしてもらった。
まさに至れり尽くせりの歓待にさすがのゾロリも目を見張る。旅装束を洗濯されたゾロリは周の衣装を着せられていた。
「え、いいのか? すっごい高そうだけど」
絹ではないが上等の綿布で、染めもとても綺麗だ。
幾重にも布を重ねるその着方は着物と大差ない。
ゾロリの着替えを手伝っていた女官たちもほうと見とれている。
「ただの旅人さんにしておくのは惜しいようだのう」
「これは、呂望様」
いきなり入ってきた呂望に誰もが腰を折って下がる。呂望はこの西岐では高位の女性のようだ。
椅子に座っていたゾロリが裾を踏まないようにそろりと立ち上がる。
「あなたが呂望さん?」
「いかにも。わしが太公望呂望じゃ。みな望ちゃんと呼んでおる」
元気になってよかったと呂望はゾロリの手を取った。
その優しく小さな手を、ゾロリも迷わず握り返す。
「旅の途中で空腹でぶっ倒れるなんてよくあるから。でもそのたびになんとかなってたもんで」
「ふふ、なかなか逞しいのだな」
そこで早速だがと、呂望が再び着座を求めた。
言われるままに座ると、呂望がまじまじとゾロリを見つめてきた。
「な、なんだ?」
「いや、アルバイトをしてみる気はないかと思ってな」
「アルバイト?」
「うむ、どうせまた旅立たれるのだろうが、先立つものが必要だろう?」
呂望の言うとおりだ。これまでも行く先々でバイトもしたし、事件を解決したり、あるいは本業のかいけつ仕事で稼いできた。もちろん、ご厚意に甘えた例も少なくない。
ゾロリは先を促した。
「で、どんなバイトなんだ? あんまりやばい仕事は困るが」
「そう危険な仕事じゃない。実は王妃様が退屈しておいででな。側にお仕えする新しいメイドさんを募集しておるのじゃよ」
「へぇ」
基本的には長期勤務なのだが、退屈しのぎということで短期募集もあるという。実際のところ行儀見習いということで貴族の子女が1年ほど勤め、結婚が決まったのでやめていくことも多い。
「どうじゃ? あなたほどの美貌ならすぐに王妃様も気に入られようと思うが」
「うーん」
「連れのお子方はこちらで預かってもかまわないが」
呂望がそう言ったとき、闇を模したゾロリの瞳がきらりと光った。
「なにをやらせようっていうんだ? あいつらを人質にして」
「考えすぎだ、ゾロリ――かいけつゾロリさん」
ざわっと空気が揺れた。
彼女の本能すべてが警戒せよと叫んだ。
狐の耳をピンと立たせ、揺らしていた尻尾を静かにさせる。
丹念に空気を探れば、周囲に数人、人が居ることがわかった。
「是が非でもいうことを聞かせようってか。そのために助けたのか?」
「そう言うわけではないが、まあ手頃じゃったしな」
詳しいことは主人が話すからと、呂望が身を返す。
その背後から現れたのは西伯侯その人。
彼の名は姫昌という。


野生味あふれ、しかし一方で理知的にも見えるその男はどこかでゾロリの恋人を思い起こさせた。
四大諸侯のひとりにすぎないはずの彼なのに、王族と言っても通じるほどに気品にあふれている。
彼はゾロリの手を取ると、腰を折って優雅に口づけた。
その仕草にゾロリは思わず頬を染め、後ずさる。
「あ、あの」
「私の部下が失礼いたした、流浪の狐姫」
「その名を知っているってことは」
ゾロリが凄んで見せても、姫昌はけろりと笑っている。
つかんだ指先を離さないことからも、彼の意図は明らかだ。姫昌の目がきらっと光を捕らえる。
「こう見えても一国の大臣なので。他国の情勢もちゃんとつかんでいる。あなたが何者で、何をしてきたのかも」
「!」
逃げよう!
ゾロリは姫昌をふりほどこうとした。しかし逆に手首を押さえられ、簡単に抱き込まれてしまう。
「あうっ!」
「手荒な真似はなるべくしたくないんだが」
かふっと耳をかまれ、ゾロリは再びひゃあと声を上げる。
尻尾と耳がゾロリの意外な弱点だ。
「まずは話を聞いていただきたい」
「わ、わかった! わかったからやめてええええええ」
きゃははははとゾロリが身を捩っているのは、呂望が脇腹をつついているから。
「やめっ、ちょっ、マジで苦し〜〜」
じたじた暴れるゾロリにちょっと苦戦している姫昌がひょいと呂望をのぞき込む。彼女は実に楽しそうにゾロリの脇腹をつんつんしていた。
「呂望、それくらいにしないか」
「いや、反応が面白くてつい」
ついで遊ばれてたまるかと反論したかったが、笑いすぎて腹が痛かったのか、足に力が入らぬまま、ゾロリはぺたんと床に座り込んだ。
「もうだめ」
ゾロリは弛緩した体が言うことを聞くようになるまで丸まっていた。



すったもんだの余興のあと、ゾロリは姫昌の執務室に通された。余分なものの少ないシンプルな内装。
ごてごて飾りたてるよりも質素である方が為政者としては正しい姿なのかもしれない。
椅子を勧められ、ゾロリは迷わず腰掛けた。
「で、俺に王妃付きのメイドになれってどういうこと?」
「うむ、実はな」
姫昌はこの国の王室の内情を語り始めた。
王の名はチュウ王、第28代国王である。彼には皇后との間にふたりの王子がいた。しかし皇后が病を得て急逝したのちは残された子のことを思い、独身を通していた。
ひょんなことから王はひとりの女性と巡り会う。
それが現王妃だ。
現王妃は民間の出であったため、形式的に東伯侯の養女となり、それから王妃となったという経歴を持つ。
そこまではなんの問題もないと姫昌は言った。
問題なのはその後だという。
「王妃は王子様方とも打ち解け、しばらくは平穏に暮らしておられたのだが、ある日を境に遊興がすぎるようになってね」
民間出身の王妃が慣れぬ暮らしの辛さや寂しさを紛らわそうと遊興に耽ることはままある。すぐに収まるだろうと思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。
なぜならそれ以前の王妃は慣れないながらも一生懸命王妃としての勤めを果たそうとしていた。実用性があるかは別にしていろんな改善案も出してきていた。
そんな王妃がある日突然、人が変わったように乱痴気騒ぎを始めたとあれば、大臣たちもそう黙ってはいられない。
「そんなわけで俺が動いてみたわけだが」
「どうも、王妃が誰か別の他人と入れ替わっている可能性が出てきたのじゃ」
呂望と、姫昌が顔を見合わせて肯いた。
しかしわからないとゾロリが首を傾げる。
「人が変わったなら王様や王子様たちがおかしいって思うだろ。側にいる人だってそうだ」
ゾロリの意見ももっともだと、姫昌が肯いた。
呂望がかわりに口を開く。
「王の妹君のご結婚が決まってな。王様と王子様方はその結婚式に出席なさった。総務大臣の聞仲殿をつれて国外におられるのだ」
「じゃあその隙をついて?」
「おそらくな。だが確証が何もない」
「だけど姫昌さん、あんたも大臣だろ?」
なんで直接城に乗り込まないんだというゾロリに、姫昌はぎりっと奥歯をかむ。
国を思うが故に、動けないという苦しみが彼の瞳に炎を宿した。唸るように彼は言った。
「俺は、登城を禁じられたんだ。王妃の命でな。いかに大臣といえども――王妃が偽物かもしれなくても、王がいない以上、最高責任者は王妃なのだ。命令には逆らえない」
ふうと息をついて、姫昌が立ち上がる。
呂望も悲しそうにうなだれた。
「わしも城に潜入したいが、あいにく面が割れておってな。そこで」
「俺に城に入ってもらって、なにか情報を掴んできてほしいってわけね」
「飲み込みが早くて助かる」
そう言って姫昌はゾロリに笑いかけた。
「かいけつと名高いあなたなら、これくらいはお得意だろう? もちろん、我らも全力であなたをサポートさせていただく」
姫昌の提示にゾロリは少し考えた。
明日は我が身かもしれないとどこかで考えていた自分がいる。
王妃にいったい何があったのかも気になるが。
刹那の逡巡ののち、ゾロリは意を決したかのように顔を上げた。
「――いいだろう。そのかわりこっちの条件も飲んでもらう」
「聞きましょう」
ぼぼっと蝋燭の明かりが揺らめく。
ゾロリと呂望、そして姫昌の密談は夜遅くまで続けられた。



翌日、ゾロリはあっさりと城に入ることができた。姫昌と志を同じくする南伯侯の推挙という形で女官に採用されたのだ。
そしてさらに驚くほどあっさりと王妃に面会する機会を得たのである。
「なんかあっさりすぎて怖いな」
「ゾロリさん、大丈夫ピ?」
白いプッペがふわりとゾロリの耳元に話しかけた。声を出す代わりに、ゾロリはこっくりと肯く。
結い上げた髪に鼈甲のかんざしを挿すゾロリはほかの女官さえ霞ませて、しずしずと廊下を歩んでいく。
やがて通された部屋で、ゾロリは控えていろと言われた。
そのままじっと待っていると、さやさやと衣擦れの音が聞こえてきた。許されるまで顔を上げてはいけないのでまだ王妃の顔を見ることができない。
誰にも姿が見えないプッペだけがぼおっと顔を上げていた。
「王妃様からお言葉がある。顔を上げよ」
肌が泡立つような、イヤな響きの男の声。
ゾロリが静かに頭を上げる。プッペもはっとして、目の前の王妃を見つめた。
そしてふたりは唖然とする――それぞれの理由で。
王妃は燃えるような赤い髪の、けれど優しい顔をした女の人だった。
(こんな優しそうな人が、みんなを困らせてるっピか?)
とてもじゃないが、国民から集めたお金を無駄遣いするような人には見えなかった。そのかわり、隣に立っている太っちょの男はなんだかイヤな感じがする。
その男の視線の先にゾロリがいる。
プッペにはそのイヤな感じの正体が分からなかった。ただこの男の人をゾロリに近づけてはいけないと、直感がそう言っていた。
一方のゾロリはといえば、まさかという面立ちだ。
(な、なんで?)
ゾロリの記憶が鮮明に幼い頃を思い起こす。
しかしその回想も王妃の声に遮られた。
「あなたが、南伯侯がご推挙になった新しい女官なのですね」
あらかじめ答えることを許されていたゾロリは銀の玉振る鈴の声で、朗々と言った。
「はい、王妃様。華陽と申します。これから王妃様も無寥をお慰めいたしたく参じました」
「そうですか、わかりました。ではよしなに」
「はい」
ゾロリはこの城内では華陽と名乗る手筈になっていた。
ここまでは姫昌たちの思惑通り。
しかし現実はそう甘くなかった。
(妲己姐さんが――王妃だったなんて)
ゾロリはただ、じっと床を見つめていた。その横顔をプッペは不安げに見つめている。
(ゾロリさん?)
この世界にはまだ幼いプッペ、彼にはゾロリがなにを見つめているのかわからなかった。


とても遊興に耽っているとは思えないほど、王妃の自室近辺は静かだった。
「おかしいっピね」
「ああ、静かだ」
見回す周囲にも松明の明かりが密やかに煌めいているだけ。
すんなりと華陽に化けたゾロリは花も寝静まったかのような城内を歩いていた。
ほわりと香る、百合の香り。
彼女が好きだった、優しくて甘い香りはゾロリにも覚えがある。自分より少し年上の綺麗なお姉さんだった。
きょろきょろと周囲を気にしながら先に進むゾロリの側には石人形プッペがいて、ゾロリの側を歩いている。。
「ゾロリさん」
「ん?」
プッペが不自然にならないように囁く。
「ゾロリさんはもしかして、王妃様のこと知ってるっピ?」
プッペの問いに、ゾロリはああと肯く。
「知ってる。小さい頃、一緒に遊んでくれた近所のお姉さんなんだ。だから俺は王妃様の顔を見てびっくりしたけど、でも向こうは何の反応も見せなかった」
だからおかしいと思ったとゾロリは言う。
王妃という身分から考えられることはいくつもある。
しかしどんな事情があるにせよ、彼女は表情も変えなかった。
さらに廊下を進むと、白い人影がぼんやりと浮かび上がっているのが見えた。手近な柱の陰からそっと見守る。
「誰?」
「たぶん王妃だ」
白い夜着を着ていても赤い髪をそのまま夜風になぶらせる。彼女の視線は遠く、北の方を見つめていた。
「どうするっピ?」
「決まってる。一か八か当たってみようぜ」
そういうとゾロリは自分の上着を脱いでまっすぐに彼女の元に向かった。
「王妃様」
「あ……華陽殿」
先ほどとは打って変わって、ゾロリは穏やかに微笑さえ浮かべている。王妃はあわてて目元を拭うと、ゾロリをじっと見つめる。
何かを話したくて仕方がないような王妃の唇に、ゾロリはそっと指一本たてた。
そしてその耳元にそっとささやくと、彼女は理解してくれたらしい、こくこくと肯いてくれた。
「冷えますわ、王妃様。私のものですが、どうぞ」
「ありがとう、華陽殿」
そしてさやさやと部屋に戻ると、ふたりはほうと息をつく。さらに盗聴器の有無を確認する。すると寝台の下、鏡の裏から出てきた。これじゃ話も出来やしない。
「どうするっピ? ゾロリさん」
「ふふふー。こんなこともあろうかとダビングしておいてよかったぜ」
「なにを?」
まあみてなとウインク一つ。ゾロリは盗聴器のそばに小さなスピーカーを取り付けた。そのスピーカーから細いコードが延びていて、それはダイヤルのついた小さな箱につながっていた。
「なんだっピ?」
「プッペもよく聞いている奴さ」
それっとゾロリがスイッチを入れると、スピーカーからいびき声。ボリュームはさすがに絞っているけれど、とても女性のものとは思えなかった。
「あ、イシシさんとノシシさんのいびき!」
「せいかーい。盗聴器をはずすと怪しまれるからな」
でもこれで話ができると、ゾロリとプッペが王妃を振り返る。王妃はすがるようにゾロリを見つめた。
「華陽殿、あなたは」
「西伯侯姫昌さんからの使いだよ。城の内情を探ってきてほしいとね」
「姫昌様」
王妃はそう呟くと、金の瞳を潤ませた。そしてうつむき、ひくっと体を揺らす。彼女は泣いているようだった。
「やっぱりあなたは偽者なんだね?」
「ピ!?」
驚くプッペに、澄まし顔のゾロリ。
王妃はゾロリの胸に飛び込んでしくしくと泣き始めた。
やっぱりと、ゾロリは彼女の髪をなでた。
「どうして、私が偽者であると?」
「俺は王妃と面識があるんでね。王妃様はもっと明るい、しとやかとは縁遠い人だったんだよ」
イタズラの女王様を目指すきっかけは父親だったが、そんな彼女に本格的にイタズラを仕込んだのは実は本物の王妃、妲己なのだ。
「近所に住んでて仲良くしてもらってた。妹みたいに可愛がってくれてたんだ」
妲己は父親の仕事の都合で引っ越していき、ゾロリとはそれっきりになっていた。
「ああそれとな」
ちょっとごめんとゾロリは王妃の肩を覗く。
彼女の肩は傷一つない白い肌だった。
ゾロリは確信を持つ。
「妲己姐さんの肩には狐の形をした痣があったんだ。あんたを送り込んだ奴はそこまで知らなかったんだな」
「そうだったんですか」
いつまでも泣いていられないと思ったのか、王妃はすすっと涙を拭い、きりっと顔を上げた。
「おっしゃるとおり、私は偽者です。王妃様に似ているという理由で私は――夫や子供と引き離されてここに」
「家族がいるのか」
「北伯侯に人質に取られているのです」
北伯侯は国家を牛耳ることをもくろんだ。そのために、本物の王妃をどこかに幽閉し、替え玉を使って偽の命令書を乱発していたのだ。それに気がついた西伯侯は確証をつかみたかったに違いない。北伯侯も本当なら邪魔な姫昌を追放したかったのだろう。しかし何の落ち度もない彼を罷免するわけにはいかず、当分登城を禁止するという措置しか取れなかったようだ。
「言うとおりにしなければ夫と子供を殺すと言われて仕方なく」
このままでは大勢の民を苦しめる、でも彼女は守りたかったのだ――自分の愛する家族を。
無茶な増税、乱暴な徴兵。
とんでもないことだと反論したくても、彼女はただ愛する家族のために押印せざるを得なかった。
「とんでもないことをしているとわかっていても、私は……私は」
「大丈夫だよ、えっと」
「私は伽陵と申します」
「俺はゾロリ。でもここじゃ王妃と華陽で通そう」
「はい」
うんと肯きあって、ふたりはしっかりと手を握った。
大好きな家族と引き離される辛さはゾロリもよく知っている。
ゾロリはさらりと立ち上がった。
どこぞの姫といっても通りそうなほど凛としたその姿に伽陵もほうとため息をもらす。
「ゾロリさん」
「一つ聞いていいか?」
思わずゾロリに見とれていた伽陵がはっと背筋を伸ばす。
「なんでしょう」
「何で俺を信用する気になったんだ? まだ入ってきたばっかりの俺を」
ゾロリがそう問うと、伽陵はふふっと笑顔を見せた。
「かんざしです」
「へ、これ?」
王妃がすっと手を伸ばし、かんざしをとる。赤い宝石のついた金色のそれはゾロリによく似合っていた。
王妃が目を細める。
「この緋色の珠は王族と西伯侯ゆかりの者だけが身につけることを許されているものです」
西の緋石、東の碧玉、そして南の琥珀。
各伯侯はその土地で取れる宝石をそれぞれ持っている。
ゾロリは西伯侯と南伯侯、それに養女とはいえ王妃となった娘の身を案じる東伯侯を背後にしているのだと、その身を飾る宝玉が密やかに語っていたのだ。
「ほー、これがねぇ」
「それがあればゾロリさんの身を守ることもできます。私はそれを見て、あなたが西伯侯のお使いであると信じました」
「じゃあ、北伯侯さんも気がついているかもしれないっピ?」
プッペの言葉にゾロリがそうかと王妃を見る。
彼女もこっくり肯いた。
「詰めは微妙に甘い方ですが、おそらくは」
そういうと王妃はゾロリの髪に簪を戻した。
「本物の王妃様は地下牢にいらっしゃいます。私、これだけはがんばって調べましたの」
「地下牢ね」
「ゾロリさん、イシシさんとノシシさんのいびきが終わりそうだっピよ!」
「じゃあそろそろお暇しようか」
そう言うとゾロリは少しずつボリュームを絞って、自然にいびきが遠のくように聞かせてからスイッチを切った。
二人はすぐに王妃と華陽に戻る。
王妃はなにも言わずにゾロリの背中を見守った。
そして祈りの形に手を組んで、空ならぬ天井を見上げる。
思い出すのは優しい夫とかわいい子供たち。
ここと比べると決して豊かではないが、それでも楽しかった。王宮内で、私は一人だ。
早く家族に会いたいと、それだけを願って。
王妃は静かに目を閉じた。


一方、王妃と別れたゾロリはプッペと共に地下牢に向かっていた。基本的に使われていなかったという城内の牢獄は階上の部屋と違って石造りで、むき出しになった岩肌が冷たかった。明かりもろくにない。
懐中電灯で足下を照らしながら、プッペにあわせてゆっくり降りていく。
「大丈夫か?」
「大丈夫……ピー!?」
「プッペ! 言ってるそばからー!!」
プッペは見事に足を踏みはずし、ごろごろと階段を転がり落ちていった。ゾロリはあわてて後を追う。
しかし意外と傾斜がきつくなっていたらしい、勢いのついていたプッペは一向に止まらず、そのままごろごろごろーんといちばん下まで転がっていく。
「プッペー!!」
「とまらとまら、とまらないっピー!!」
そしてプッペはそのまま廊下も転がり、一番奥の扉を撃破した。
「うわーっ、ジャストミートッ! じゃなかった! プッペ大丈夫か!?」
ゾロリがあわててプッペが転がった部屋に入る。
するとプッペはショートカットの女性に抱きかかえられ、すりすりと頬ずりされていた。
残りの二人があーあと呆れたようにため息をつく。
「貴人ちゃんの悪い癖が出たダリ」
「貴人ったら石に目がないんだもん」
いきなり転がってきて扉を破った石人形を一瞬警戒した彼女らだったが、意外とかわいい声でいてててと頭をさするプッペに、王貴人が真っ先に恋に落ちたようだ。
「プッペ?」
「何者ダリ!」
もう一人が、赤い髪の女性をかばってゾロリの前に立ちはだかる。
しかしゾロリが何か言う前に赤い髪の女性がそっと彼女を制した。
ゾロリと緋色の女が同じ耳と尻尾を持っている。
「もしかして、ゾロリちゃんなの?」
「そういうってことは本物の妲己姐さん!」
やっと会えたと、ふたりはうれしそうに抱き合った。
「あ、ちょっと確認させてな」
「いいわよん」
そういうと妲己は自ら肩をはだけてくれた。
彼女の肌も伽陵と同じく雪白だったが、くっきりと狐の痣が浮かんでいる。幼い頃一緒にお風呂に入るほど仲のよかった間柄だから知っている事実。
「無事でよかった、妲己姐さん」
「ゾロリちゃんこそ。大きくなって」
そういうと妲己はゾロリの乳房を掴んでもにゅっと揉みあげた。ゾロリはひゃあと声を上げ、思わず胸をかばう。
妲己はうふんと笑った。
「ほんと、いろいろ大きくなって」
「そういうところは姐さん、変わってないな」
うふふんと笑う妲己は、ゾロリがなにをしにきたのかもうわかっているようだった。
「西伯侯に言われてきたのね」
「うん、まあアルバイトなんだけどね」
ゾロリは妲己の言葉を否定しない。
詳しい事情を話そうと、ゾロリは石の床に腰を下ろした。
プッペは貴人にだっこされたままだ。
ふたりはここに至る経緯を話し始める。
妲己が王妃になってからこの牢獄に閉じこめられるまで。
ゾロリが西伯侯に拾われてバイトとしてスパイ活動をするに至るまで。
「じゃあ妲己姐さんはいろいろ考えていたってわけか」
「そうなのん。蛇をいっぱい集めたのも、蛇の博物館を作るためよん。博物館を作る仕事、管理する仕事、蛇のお世話する仕事。いろんなお仕事ができるからいいんじゃないかって。それにマムシ酒とか蛇皮のバッグとか作って名産にすれば儲かると思ったのん」
これだけ聞けばとてもおもしろい雇用創造と財政案になりそうだ。しかし北伯侯は王妃が自分のコレクションのために蛇を税金代わりに物納させようとしていると吹聴した。
「ほかには?」
「酒池肉林っていう、農業プランも考えたわん」
「それってどんなの?」
「文字通り、お酒の池と肉の林をつくるのん。だけどお酒だと危ないし、子供が楽しくないからジュースに変えようかと思って。アトラクションみたいで楽しいでしょん?」
ジュースがわき出る池なんて確かにおもしろそうだとゾロリが笑う。
「じゃあ肉林ってなんだっピ?」
お肉は木にならないよねとプッペが首を傾げる。
プッペの可愛い声に妲己も思わず笑みをこぼした。
「お肉を木に成るようにしようと思って。だってここのところ畜産関係は餌代があがって大変じゃない? だからそういう木を開発して、畜産関係者だけが栽培できるようにすれば肥料代も餌代ほどかからないだろうし、なにより牛さんを殺さなくてもいいと思うのん」
「じゃあ樹液が牛乳だ!」
「あん、それいいわねん!」
いたずら狐が二人そろえば文殊さえも越えるようだ。
妲己はほかにも自分が持っているプランを話してくれた。
新しい鹿台の建設は老朽化によるものだったし、なにより避難経路も少ないし、エレベーターやエスカレーターが足りないから働いているお年寄りが大変そうだったという。
ビニールハウスにもっと効率よく温風を送るシステムも研究中だった。
「でも、わらわがそうやっていろいろ頑張るのが、北伯侯には気に入らなかったのね」
「妲己姐さん」
うつむいた妲己にゾロリがそっと近づいて、その背中をなでた。
「西伯侯が実用性はともかく面白い発案だと言ってくれたとき、わらわは頑張ってよかったと思ったわ。彼に認められるってことはすごいことなんだもの」
「そうなんだ」
ゾロリは知らないが、姫昌は四大諸侯のリーダー格だ。彼の正妻はチュウ王の叔母に当たる姫だし、彼の母もまた、王族の一員だ。血筋だけでなくその手腕もなかなかのもので、彼は先代の王からも信頼を得ていた。
「なんでその西伯侯が動かないダリ?」
「彼は偽王妃の命令で登城禁止になっているんだ」
「正確に言うと北伯侯の仕業でしょうけどねん」
妲己はある日、いきなり踏み込んできた北伯侯の私兵によって捕らえられ、この牢獄に侍女と共に押し込まれた。
「今、姐さんの代わりをしている人も、やつに人質を取られて仕方なく従っているんだ」
「王のいない隙になんてことを」
貴人は怒ると怖い。プッペは本当に怖くなってゾロリに助けを求めたが、それに気がついた貴人がごめんなさいねと彼をなでた。
「それで、ゾロリちゃんはどうするつもりなのん?」
「もちろん、姐さんも伽陵――ああ、偽王妃さんな。彼女も助けて、北伯侯をぎったんぎったんにする!」
「そしてバイト料もたっぷりね!」
「おうよっ」
ゾロリがそういうと妲己はくすっと笑った。
「元気そうで、本当に安心したわん。引っ越してからもずっと心配だったの」
「妲己姐さん」
「こんなに育って」
言うなり妲己はゾロリの尻尾をきゅっとつかむ。
ゾロリは真っ赤になって尻尾をかばった。
「姐さん! こんなときまで!」
「ひゅーっほっほっほ! いたずらには油断大敵よん!」
久しぶりに元気に笑ったせいか、妲己はほんの少しだけ目を潤ませた。この王宮内で信じられる人間は限られている。いちばん力になってくれるはずの西伯侯も動きを牽制されている今、ゾロリという助っ人の登場はなによりも心強かった。
ふたりはこれからのことをこまごまと話し合う。
「じゃあわらわはゾロリちゃんが助けに来るのを待っていればいいのね」
「そういうこと」
「わかったわん」
じゃあと拳をあわせ、ゾロリはいったん上に帰ることにした。
で。
「あ、そうだ」
「どうしたのん」
妲己たちが立ち止まるゾロリをきょとんと見る。
彼女はおそるおそる振り向いた。
「これ、どうしようか」
「あー」
それはローリングストーンと化したプッペがぶっ壊した、牢の扉だった。
いくら誰も使っていないとはいえ、王妃がいる以上、誰かが食事を運んだり、様子を見に来たりするはずだ。
扉が壊れているということは反北勢力の誰かが王妃と接触を試みようとしたという疑惑となり、妲己さえも危険に巻き込みかねない。
プッペもわざとやったわけではないのだが。
「ゾロリさぁん」
「うーん、ここまで壊しちゃうと俺でも直せないよ」
もはや鉄くずと化した扉に為すすべもない。
しかしそこで妲己の左にいた女の子がダリっと立ち上がった。
「それならこの悪徳ロリータの喜媚ちゃんにおまかせダリっ」
きらんと星を飛ばしながら、喜媚がにまーと笑う。
そしてごそごそと髪の毛を漁り、一本の羽を取り出した。
「出たっ、マジカル喜媚ちゃん!」
やんやと盛り上がっているのは妲己。ゾロリとプッペはなにが起こっているのかわからずに呆然と成り行きを見守っていた。
「この羽は喜媚ちゃんのおうちに代々伝わる魔法の羽さんなのだー」
えいっと羽をかざすと、プッペが壊した扉は何事もなかったかのように元に戻っていた。
魔法使いに知り合いのいるゾロリもさすがに驚きを隠せない。
ペタペタと触っても遜色のない出来映えだ。
「すごいっピ」
「本当にすごい」
感心するゾロリに妲己が苦笑して見せた。
「さあ、あんまりのんびりしている時間はないはずよん。わらわたちはここでもう少し頑張るわん。だから」
「ああ、必ず来るから」
ゾロリは妲己の手を取り、その指先に口づける。
その辺の王子様より王子様らしいその仕草に妲己も思わず頬を染めて喜んだ。
「じゃあ、姐さん」
「お願いね、ゾロリちゃん」
言葉にはせず、ただこっくりと頷いて。
ゾロリは偽王妃の元へ戻っていった。
プッペと別れて寂しそうな貴人を残して。


その頃、イシシとノシシは呂望たちと一緒に炊き出しの手伝いをしていた。
重税で生活の苦しい北や朝歌から逃げ出し、周に保護を求める民が大勢いるのだ。
姫昌もできる限り手を差し伸べているが、やはり限度がある。一刻も早く北伯侯による悪政から民と王妃を救わなければ国は乱れるばかりだ。
イシシは呂望と一緒にご飯を作り、ノシシは絵を描いて紙芝居を作り、子供たちを慰めていた。
ゾロリせんせがいないからといって、寂しがっている暇はない。自分たちは自分たちでちゃんと頑張って、あとでゾロリせんせにほめてもらうんだと、一生懸命だ。
そんな双子を、呂望と姫昌が見つめている。
「いい拾いものをしたな」
「うん、よくやってくれる」
そういって微笑む呂望の肩に姫昌は一葉の手紙を乗せる。
「これは?」
「先ほど、ゾロリ殿の手のものが持ってきた。プッペとか言ったか」
「それで?」
呂望の問いに姫昌は苦笑して見せた。
「あなたの言ったとおりだった。今の王妃は人質を取られた傀儡だそうだ。そして本物の王妃は地下牢に閉じこめられている」
「そうか」
わあっと子供たちからあがる歓声に、呂望もまた、いい拾いものをしたと笑った。
「腕が鳴るかい?」
「あまり、怪我人を出さずにおきたいがの」
打神鞭をすっとなで、呂望は顔を曇らせる。彼女の両親は他国と戦争に巻き込まれて亡くなった。ひとりぼっちになった呂望を拾ってくれたのは姫昌の父で、ふたりは兄妹のように育った仲だった。
だから、争いはいやなのだ。
軍を出すにしても、北伯侯を追いつめるだけで済ませたい。
「ゾロリ殿の手腕にかかっているかな」
「だのう」
ばきっと焚き火の炎がはぜた。
国中を巻き込む争乱が起こるのはもうまもなくなのだ。



それから数日、ゾロリは華陽としてなるべく王妃の側で過ごした。歌って踊れる華陽を前に、王妃は笑顔を見せている。
本当なら、こんなに安閑と過ごしている場合ではないのだが、敵を欺くために仕方がない。
「すばらしいわ、華陽殿」
ぱちぱちと指先をあわせるだけの、小さな拍手。遮るように聞こえるのしのしとした無粋な足音。
「ご機嫌ですなぁ、王妃様」
音曲を楽しんでいた王妃の御前に横柄にも現れたのは北伯侯その人だった。でっぷり太った腹、豚鼻に豚耳の男。くるんと巻いた細い尻尾だけがかろうじて可愛いと言えた。
北伯侯の登場に一切の音が止み、女官たちも頭を垂れる。
伽陵はと言えば顔色も変えず、ただ扇の陰に顔を隠した。
北伯侯は恭しく王妃の御前に膝を折る。
「王妃様には本日もご機嫌うるわしゅう」
「――ご多忙の貴方様が、わざわざ何用ですか」
伽陵がそう問えば、北伯侯はわずかにふんと鼻を鳴らす。
わかっているくせに、と唇が動いたのを今は華陽に扮したゾロリが見逃すはずはない。
「実は、鹿台の建設費用のことにつきまして」
彼がそういうと、伽陵はきゅっと唇をかんだ。
まただと、白い顔がいっそう青ざめる。
鹿台の建設費用と言いながらその実はすべて彼の懐には入っていくのだ。
「王妃様」
しっかりと、ゾロリがその背に手を伸ばす。
それに応えるように伽陵は静かに頷いた。
「華陽殿、紙と筆を」
「はい、王妃様」
同じように扇で顔を隠していたゾロリが頷く。
彼女が文箱を持つと、さらにほかの女官が足の長い文机を王妃の前においた。
すべての用意がすむと伽陵は巻紙をさっと広げ、公金使用の許可状をさらさらとしたため始めた。
一番最後に妲己の名を書き、震える手で印を押す。
その一部始終をゾロリは余すところなくダビングしていた。彼女の扇の端についた宝玉にはカメラが仕込んであるのだ。反対の端にはマイクもついている。
その映像と音声は瞬時に西伯侯の元に送られていた。
書き終えた伽陵がかたんと筆を置く。
「これでよろしいですか」
差し出した紙を受け取り、北伯侯は満足げに微笑む。
「ありがとうございます、王妃様。これで鹿台の建設が進められまする」
ではご機嫌ようと去っていく北伯侯のこれまた油分たっぷりな背中を見送ってゾロリはべーっと舌を出した。
「では王妃様、私は一度下がらせていただきます」
外とつなぎをとるのだと知っている伽陵はしっかりと頷き、盗聴されていることも考えて当たり障りなく言った。
「では、また。呼んだら来てくださいね」
「もちろんですわ」
音だけ聞けばにこり。けれど彼女らは笑ってはいなかった。



新人の女官なのに一人部屋を与えられていたゾロリは、ふーと足を投げ出した。着物を脱ぎ、簪も外したかったが、いつ何時誰に呼ばれるかわからず、そのままにしている。
「ゾロリさん」
「プッペ、戻ってきてたのか」
「はいっピ」
西伯侯のところに遣っていたプッペが戻ってきていた。
白い姿で空を飛べば西岐までそうかからない。
そしてゾロリが真っ先に聞いたのは、西岐に置いてきたイシシとノシシのことだった。
「ふたりはどうしてた?」
「元気にしてたっピ。ゾロリさんも無事だっていうと喜んでたっピ」
「そっか」
このスパイ大作戦を決行すると決めたとき、双子も女装してでもついていくと聞かなかったのだ。それをなんとかなだめすかして置いてきた。
離れていてもやはり弟子と師匠、思うところは同じなのだ。そしてその思いはプッペにも向けられている。
「プッペも、大丈夫だったか?」
その優しさが頬に触れた手からじんわりと伝わってきた。
プッペはうんと頷く。
「ボクはオバケだから」
「そっか。よかった」
白く丸く柔らかいプッペをぎゅっと抱きしめ、ゾロリは久しぶりに安堵のため息をついた。
しかしその安堵もつかの間、彼女の部屋に何の前触れもなく、なんと北伯侯が現れたのだ。
卑下た笑いを浮かべ、ゾロリを舐めるように見つめる。
プッペはさっとゾロリの背後に隠れ、石人形の中にあわてて入る。
ゾロリはさっと扇で顔を隠した。
「こちらが華陽殿のお部屋と伺ったが」
「いかにも、私が華陽にございますが」
それを聞いた北伯侯がおもいっきり脂下がり、ゾロリの手を握ってきた。
ゾロリは叫び声を必死に飲み込む。脂ぎった手をおもいっきり叩きたかったが、一生懸命我慢した。ここで要らぬ騒ぎを起こしたくはない。そのかわり、先ほどのカメラとマイクでやはり一部始終を記録する。
やはりというかなんというか、北伯侯がゾロリの手をさすり、袖の中に手を入れてこようとしたところで気持ち悪くなって流石に逃げた。
「な、何をなさいますの?」
「いやいや、鄙には稀なる美形ゆえ珍しくてな。どうだ、王妃ではなくわしに仕えてみんかね?」
「あらいやだ。要するに妾になれと?」
ゾロリがかまを掛けてみると、北伯侯はあっさりと認めた。この一件がのちに彼の首を絞めることになるのだが、それはまだ先の話だ。
石像の中のプッペはおろおろと事態を見守る。ゾロリを助けなければならないことはわかるのだが、どう助ければいいのかわからなかった。
(ゾロリさん)
しかしゾロリは場慣れしていた。のらりくらりと北伯侯の誘いを断り、彼が退室するのを根気よく待った。
やがて彼を呼ぶ声がし、北伯侯は諦めきれぬ様子ながらも去っていった。
ゾロリはへなへなとその場に座り込む。
「ゾロリさん、大丈夫っピ?」
「どわわわわあああああ、鳥肌があああああああ」
なんか痒いと背中に手を伸ばすゾロリ。プッペはさすさすとその背中をさすってあげるのだった。


玉座から王妃が、地下牢から本物の王妃が消えたのは数日後のことだった。
もちろん、ゾロリが手引きしたものだ。
呂望の手のものを何人か借り受け、伽陵には女官に変装させて城を脱出させた。そして本物の王妃・妲己は迎えに来たプッペに導かれ、本来自分があるべき玉座へ堂々と戻ってきた。
さらに西伯侯にも動いてもらい、伽陵の家族を北伯侯の居城・崇城から救い出してもらった。彼女は西岐城で夫や子供と再会することができた。
「さあ、ここからが正念場だぜ、姐さん」
「ええ、ゾロリちゃん。狐をなめると怪我するんだって」
「教えてやらなくちゃな」
ふふふと笑いあう美貌の狐、並んでいればそれなりに華やかなのに二人の背中にどす黒いオーラが見えた。
妲己がはっきりと言う。
「では始めましょう。まず最初に西伯侯・姫昌の登城禁止命令を解除します。直ちに登城せよと伝えなさい」
「はっ」
最初の命令を聞いた部下が去っていく。
妲己は次の命令を与える。
「続いて北伯侯の登城を禁止します。以降、沙汰あるまで朝歌の別邸にて謹慎を命じます。抵抗した場合は逮捕しなさい」
「はっ」
「さらに東伯侯に命じ、北都・崇を押さえさせなさい。人民や降伏するものに手出し無用と。南伯侯はこのまま朝歌に留まり、城の警備を」
「はい」
部下が命令を遂行すべく去っていくのと入れ違うように、早速王妃の元に伯侯が姿を見せた。
黒い丸耳と長い尻尾を持つ、そのすらりとした姿。
妲己が待ち望んだ味方の姿だった。
「王妃様のお召しにより、参じました」
「――よく来てくださいました、西伯侯・姫昌殿」
「はっ」
あまりにも早い姫昌の到着にゾロリが驚く。プッペがこっそり耳打ちしてくれたので事情はすぐに飲み込めた。
姫昌は西岐の守護を息子たちに任せ、自分は呂望と飛虎、さらに天化を伴って昨夜のうちに朝歌に入都していた。
登城は禁じられていたが入都までは制限されなかったとは姫昌の言葉だ。
そして天化の足下から小さな影が二つ、ゾロリに向かってきた。
「せんせー」
「せんせー、会いたかっただよー」
「イシシ! ノシシ!」
ゾロリは駆け込んできた双子をしゃがんで抱き止めた。
「せんせー」
「お前たち、元気だったか? 迷惑かけてないだろうな」
「おらたちそんなことしないだよー」
ぶーぶー文句を言いつつも、ふたりは大好きなせんせに久しぶりに抱っこしてもらってご機嫌だ。
「ははは、ちゃんと頑張ってくれておったよ」
呂望のお墨付きをもらってイシシとノシシはえへんと胸を張る。そっかーと髪をなでてもらえば嬉しさ倍増だ。
そうやってゾロリと双子、そしてプッペが再会を喜んでいる横で、飛虎と天化が妲己の前に膝をついた。
「鎮国武成王、黄飛虎殿。北伯侯の不正の証拠は掴めましたか」
「はっ、すべて西伯侯にお預けしております」
妲己は飛虎の報告を聞くと満足げに頷いた。飛虎は妲己に北伯侯の魔手が伸びる前に密命を帯びて、志を同じくする西伯侯と行動をともにしていたのだ。
さらに妲己にとって有利な報告がもたらされる。
北伯侯の弟が妲己に帰順すると言ってきたのだ。兄の暴政を諫めようと何度も説得したが聞き入れられず、彼は兄を見限ることにしたのだという。
徐々に味方が増えていく。
妲己の瞳に力が戻ってきた。
居並ぶ諸侯を前に彼女は凛として立ち上がる。
「今こそ逆賊たる北伯侯を追放し、善政を取り戻すとき。王妃・妲己の名において命じる!」
「はっ」
ゾロリは妲己を感嘆の思いで見つめた。
自分もいつかーー彼のそばにいることを選んだとき、あんなふうに采配を振るう日が来るのだろうか。
双子を傍らにゾロリは遠く恋人を思う。
諸侯たちが立ち去ったあと、玉座の間には妲己とゾロリたちが残されていた。
妲己がほおと息をつく。
「――ありがとう、ゾロリちゃん」
「姐さん」
事情を知らないイシシとノシシはプッペから説明を受けている。妲己はゾロリをぎゅっと抱きしめた。
「ありがとう、ゾロリちゃん。偶然でもあなたに再会できてよかった。あなたがいたから、わらわはここまで来れたわ」
「妲己姐さん」
ゾロリはそっと目を閉じる。
幼い頃と同じ、百合の香り。
「このお礼はたっぷりしなくちゃね」
「でもまだ、終わってない。すべてが終わってからだ」
「そうね」
いたずらは最後まできっちり。
それが狐の心得。
「さ、俺たちも行こう」
「はいだぁっ!」
「ピっ!」
ばっと女官の衣装を脱ぎ捨てたゾロリはかいけつ姿。
基本的にエナメル素材で色は濃紺。
ノースリーブのカットソーにきわどいホットパンツ。生足に真っ赤なブーツを履き、顔を隠すために黒いマスクをしている。赤地に黒のマントがその魅惑的なボディラインをいっそう強調して見せた。
そんな、大胆に肌を露出したかいけつ姿。妲己は特別驚きもしない。ただ彼女の衣装替えに不安を覚えた。
「どこに行くのん?」
「煙と悪い奴は高いところが好きっていうだろ」
ゾロリの言葉に妲己がはっと思い当たる。
「じゃあ、北伯侯は鹿台に?」
「おそらく。建設中の鹿台は北伯侯が設計したんだろ? だったら逃げ道もちゃんと知ってるし、逆にわからない分こちらが不利だ」
「じゃあ鹿台を囲んだ方が?」
いいかと問い終わる前にゾロリはうんと頷いた。
「崇城の受け取りに行かせた東伯侯を呼び戻すんだ」
西伯侯の軍は別邸を、南伯侯は朝歌城を守っている。崇城が弟の手によって無血開城された今となっては、東軍はやることがない。
「別邸もこの城も開けるわけにはいかないだろう。東軍を鹿台に向かわせて囲むんだ」
「わかったわ」
妲己は力強く頷き、急いで書状をしたためた。
俊足の部下を呼び、北へ向かって進軍する東伯侯を呼び戻しに行かせた。
妲己が彼を見送った後、辺りを見回せばゾロリたちの姿はもうなかった。
「ゾロリちゃん……」
玉座に戻り、妲己はただ待つ。
誰ひとり傷つかぬように祈りながら。



案の定。
自分の身辺に危険が及んでいることを知った北伯侯はさっさと北都・崇も捨て、朝歌の別邸も捨てて鹿台に逃げ込んでいた。
彼は野心家で、とても投降するような男ではなかった。
「ええい、忌々しい! 成り上がりの女狐めが!」
皇后が急な病でこの世を去った後、新しい皇后を立てようと姫選びが始まっていた。王は再婚することを拒んだのだが、母を失った子のことを思い、諸侯の意に賛同することにしたのだ。
そこで王が出会ったのが妲己だった。
子供たちをつれてお忍びで行ったおもちゃやさんできびきび働いていた妲己に、王が一目惚れしたのがきっかけだった。
最初はいやがっていた妲己も王の説得に心動かされ、后となることを決めた。
そこから北伯侯による妲己への嫌がらせが始まったのだ。
彼は自分の姪を王妃にし、政権を握ることをもくろんでいたのに、どこの者ともしれぬ妲己が王妃になったことでその夢は絶たれた。
ならば今度は妲己を傀儡にしようとしたのだが東西の伯侯に帝王学を学び、脇をがっちり固められていたので北伯侯には手の出しようがなかった。
そこで見つけたのが伽陵だ。
後はこれまでみてきたとおり。彼は彼女から家族を奪い、妲己を幽閉し、そして王妃として送り込んだ。さらに偽の命令書を乱発して私服を肥やし、妲己の廃位を企むに至る。
しかしすべては見抜かれていた。これ以上打つ手はないと悟った彼は、ただ逃げることしか思いつかなかった。
悪人としても、為政者としても、彼はだめな男だった。



鹿台に立てこもった北伯侯を追って、ゾロリは呂望と共に潜入した。
建設途中なので明かりも少ない。
ぽっかりと開いた天井からは少し陰った空が見えた。
「望ちゃん、ここは」
「わしの愛騎を呼ぶとしようかのう」
別階への階段は見あたらず、ただ壁のまわりにくるっと螺旋状に足場があるだけだ。
ちまちま登っていては面倒と、呂望が呼んだのは白くて丸い、ふわふわと浮くカバさん。
呂望はご主人と明るい声を出すカバの頬をなでた。
「わしの愛騎、四不象じゃ。スープーと呼んでおる」
「ほえー」
プッペが何か感じ取ったのか、ふっとスープーに近づいた。
「精霊さんだっピ?」
プッペがそう問うとスープーはぶわっと目を潤ませた。
「ご主人! わかってくれる人がいたっス!」
スープーは思わずプッペの手を取り、ぶんぶんと振りあげている。いつもは白いカバ扱いされていて、自分が精霊獣であるとわかってくれる存在は少ないのだという。もっともプッペをして人と呼んでいいかは別問題だが。
「さて、北伯侯はどこに行ったんだと思う?」
「上か下か、それが問題だな」
地下なら抜け穴を掘っている可能性もある。上なら飛んで逃げることも可能だ。
考えているとイシシがねえっと声を上げた。
「二手に別れるだよ、ゾロリせんせ」
「んだ! おらたちちっこいからどんなところでも入り込めるから下を探すだ!」
ちっこさでは負けないプッペも双子に同調して頷いた。
ゾロリがどうしようと言う前に、彼らは適切な判断をしていた。確かに複数の選択肢があって決めかねる場合にはどちらにも当たってみる、という計画は正しい。
「おまえたち」
一緒にいたいと駄々をこねるかと思えば、こうやって独自に行動することも厭わない弟子たち。いつの間にか、大きく頼れる存在になっていた。
「せんせ!」
「ゾロリせんせ!」
「――よし、じゃあ下の探索はおまえたちに任せた!」
「ラジャッ!」
元気よく安全に任務遂行。
彼らのお守りに天化をつけて、呂望とスープー、そしてゾロリは上を目指した。
スープーの背中に呂望とゾロリが乗り込んで、ふわりと浮いた。かと思うとスープーは壁を舐めるようにくるりと旋回し、徐々にスピードと高度をあげていく。
「ふわー、すごいなぁ」
空飛ぶメカやほうきには何度か乗ったことがあるが、カバは始めてだ。
「スープー君、大丈夫か? 俺、重くないつもりだけど」
いつもは呂望しか乗せないだろう彼にゾロリが問うと、スープーはぴるるるっと空を駆ける。
「大丈夫っスよ! 女の子二人くらいなら重くないっス!」
「女の子ねぇ」
イマイチ女の子だという自覚の薄いゾロリ。
呂望とは頭一個分ほど背丈が、オレンジ一個分胸の大きさが違う。ゾロリの方が大きいのだ。
「どーせわしは背も小さいし胸もないから軽いよーだ」
スタイルのいいゾロリと比べれば幼児体型の呂望。
すねる気持ちも分かるが今はそれどころじゃない。
「望ちゃん、早くあの豚野郎を捜さなくちゃ」
「おお、そうじゃった」
北伯侯をすでに豚呼ばわり。
特にゾロリはろくな思い出を持たない。なんせ愛人になれと迫られたのだ。思い出してもぞっとする。
呂望とゾロリはスープーに乗って、丹念に上方を探してみた。しかし豚のぶの字も見つからない。
「おかしいのう」
「もしかして下かな」
呂望の腰に手を回したまま、ゾロリは下を覗き込む。
下の方ではイシシたちが西伯侯の手勢とともに北伯侯を探し回っていた。
地べたを這い回り、ふんふんと鼻を鳴らしながら、二人は何かを探し回った。特に目当てとなる物体があるわけではないのでなかなか難しいらしい。
「ノシシ、あっただが?」
「いんにゃ、見つからないだー」
そういって立ち上がろうとしたノシシがなにかにつまづいて転んだ。それを天化があわてて抱き上げる。
「大丈夫さ?」
「あはは、大丈夫だよ。あれっ?」
ノシシがつまづいた何かを、一緒にいた飛虎が拾い上げた。
「なんだこりゃ」
「リモコン?」
受け取った天化がぽちっと押してみるとどこかで小さく機械がうなるような音が聞こえてきた。それとほとんど同時に西軍の数人がうわっと声を上げて飛び退いているのが見えた。
「なんだなんだ?」
「足下が急に」
いきなりびっくりしたなあもうと、兵士が声を上げる。よく見ると床材の下から扉が現れた。
「これ、もしかして隠し通路!?」
飛虎の声にみんながわっと集まってくる。
ここを通って逃げたのならきっとどこかに逃げ仰せているに違いない。
「行くぞ!」
「おう!」
西軍と東軍が合同で中に入っていく。その後ろ姿を見送って、イシシとノシシは天を仰いだ。まだ天井のできあがっていない鹿台、ゾロリの姿は見えない。
せんせはどこまで行ったんだろうと不安がよぎる。
でもと、二人はみんなが入っていった扉を見つめる。
下は自分たちで大丈夫だと言った手前、最後までちゃんとやらなくちゃ。
二人は顔を見合わせて頷く。
「よーし、行くだよー!」
「おうっ!」
プッペも一緒にとことこと。
奈落へ向かうようにぽっかりと空いた穴に、三人は勇んで駆けだしていこうとして。
「おおっ?」
「ほおっ?」
「ピ?」
三人そろって蹴躓き、叫び声をあげながらごろごろと転がっていく。
先に侵入していた大人たちが転がってきた三人に驚いて思わず道を開けてしまう。振り返った飛虎がイシシとノシシを捕まえてくれたが、プッペだけは勢いがつきすぎていて手が届かなかった。プッペは本件二回目のローリングストーンとなり、またしても奥の部屋の扉を小鳥のような叫び声と共にぶち破った。
今度は迎えてくれる住人はいなかった。
代わりにプッペの石頭の上に何かがこつんと落ちてきた。
「ピ?」
落ちてきたそれをプッペは手に取ってみる。
それは彼が敬愛してやまない煌めく人と同じ色を持った延べ棒だった。おばけのプッペにはそれがなんなのかわからない。彼が首を傾げていると、後を追ってきた飛虎と天化が駆け寄ってきた。
「プッペ君、大丈夫か!?」
「大丈夫だっピ。それよりこれ……」
プッペが延べ棒をおずおずと差し出す。
とたん、プッペの背後に同じものがたくさん転がり落ちてきた。飛虎がこれはと目を見張る。
これらは金の延べ棒、ほかにも宝石や紙幣の束、それに伽陵を脅して作らせた偽の命令書もでてきた。
飛虎は不正の証拠を探していた。二重帳簿は簡単に見つけることができたのだが、横領した金品がどこに行ったのかまでは突き止められずにいたのだ。ゾロリが悪党は高いところがと示唆しなければ見逃していたかもしれない。
彼は配下の者に命じてこれらの金品をすべて運び出させた。あとでリストを作成するようだ。
周囲を見回して、イシシとノシシはほおっとため息をつく。これだけあれば、お宝を探す冒険が大好きなゾロリせんせが喜ぶだろうと思う。だけどこれはお宝じゃない。みんなが一生懸命働いて稼いだお金をよくない方法で集めたものだ。
これじゃだめだなと、イシシとノシシは手を握りあう。
やがて大人たちが荷物を運び出していると、今度は天化が声を上げた。
「お、親父! こんなところに抜け穴が!」
「なにっ!?」
天化が棚を勢いよく押し退けると、よりいっそう大きな広場に出た。小さなゴンドラ風のエレベーターがあって、すでに上まで上りきっているようだ。
「くそっ、やっぱり上だったか」
「でも上には望ちゃんもゾロリせんせもいるだよ」
「そうだな」
そうだ、最後まであきらめてはいけない。
荷物の運び出しを部下に任せ、飛虎は双子たちをつれて再び地上、そして階上へととって返した。



遥かなる天空は雲を張り巡らす
王国の運命は金色の狐に託された






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