黄昏の賢者 後編 てなわけで旅の途中、いつものように空腹でぶっ倒れたおたたち一行は呂望ちゃんたちに拾われて事なきを得たかのように見えただよー。 だども、そのお礼と引き替えにゾロリせんせはなんとスパイのアルバイトを引き受けることになっただー。 せんせが侵入したお城にいた王妃様はせんせのお友達なんだども、実はそっくりさんが入れ替わってただよ! 本物の王妃様は地下牢にいただ。 なしてそんなところにいたかというと、北伯侯とかいう悪いおっさんに捕まってただ。 それを助けたのはボクだっピ。 ちょっとプッペは引っ込んでて。おらたちあんまし出番ないだから。 で、ゾロリせんせはいつものようにまさかのわははで王妃様を助けだし、悪いおっさんを追いつめるだども!? というわけで『黄昏の賢者』後編が はーじまーるよー! 以上、担当はイシシとノシシとプッペでした。 地下の隠し部屋の探索を終え、地上にでてきた飛虎と天化が目撃したのはわらわらと外に出ていく兵士たちの姿だった。 彼らの姿を見つけた兵士の一人が急いで近づいてくる。 「武成王様、大変です! 北伯侯――殿が、ゾロリさんを人質にして最上階に!」 「なんだと!?」 報告を聞いた一同が色めきたつ。 呂望と一緒にいたはずの彼女がなぜと、そればかりが巡る。 「せんせー!」 「おらたちが今行くだよー!」 小さな足でぐわーっと駆け出すイシシとノシシ。彼の後を追おうとしたプッペがある人を見つけ、そちらに向かって走り出した。 そのころゾロリは北伯侯の脂ぎった腕の中に捕らえられていた。なんのことはない、最上階に向かう足場をひいひい言いながら走っていたこの豚野郎を見つけ、飛びついたまではよかったのだが、彼が隠し持っていた短剣を喉元に突きつけられ、動けなくなっていたのだ。 「ゾロリどの!」 呂望の呼びかけに、北伯侯がにいっと唇をゆがめる。 「そうか、東西と南の珠を着けておったゆえ、どこぞの諸侯の娘と思っておったが、おまえが悪名高いかいけつゾロリだったか」 「おまえに言われたくないね」 諸侯の娘でないのなら人質の価値はないかもしれない。しかし無関係の人間を巻き込んで死なせたとなれば各諸侯の、特に西伯侯の責任は重大だ。 使える、と北伯侯は思った。 それが最大の間違いだと知らずに。 近づこうとする呂望と四不象に来るなと喚き、彼はなおゾロリの喉元に剣をひらめかす。 「来るな! 来れば殺すぞ!!」 「くそっ」 流石の呂望も手が出せない。 ゾロリはこの国の者ではないが、だからといって死なせていいはずがない。 彼女を死なせたくはないが、北伯侯を逃がすわけにも行かなくて。 どうしようかと考えあぐねている呂望の視界にひららっと薄紫色の布が見えた。 王貴人だ。彼女はこれまた先祖より伝来の飛翔羽衣を持っていて、その羽衣に織り込まれた毒蛾の粉で相手を麻痺させることもできる。 その貴人がプッペをつれて飛んでいる。 北伯侯に気づかれぬようそっと飛んできた彼女はプッペと顔を見合わせる。貴人はせーのっと囁くと、なんと北伯侯に向かってプッペを投げつけた。 「ゾロリさーん」 なんだと北伯侯が振り返る。 飛んできた石人形に驚いた彼は思わずゾロリを突き飛ばす。今だと呂望と貴人が彼に飛びかかった。 プッペも参戦し、ぽかぽかと可愛い腕を振る。 さすがにプッペに叩かれれば痛いのだろう、北伯侯はかまわず暴れる。しかし彼女らは強かったし、プッペは重たかった。 呂望も貴人も伊達に秘書として仕えているわけではないのだ。見目はもちろんのこと、権謀数術にたけ、武術に優れていなくては到底つとまらない。 そうこうしているうちに兵士があがってきて北伯侯に縄を打つ。連行されていく男を見送って、ゾロリはふうと息をついた。 プッペが振り返ると、ゾロリが静かに立っていた。 「ゾロリさん!」 プッペは迷わず彼女の足に抱きついた。そしてふと顔を上げると、逆光であるがゆえに彼女がいっそう輝いて見えた。ゾロリは利き腕の右手ではなく、左手でプッペをなでる。見れば彼女の右腕には傷があり、うっすらとだが血が滲んでいた。 プッペの顔が泣きそうに歪む。 「ゾロリさん、怪我――」 もしかしてさっきボクがつっこんできたときに? ボクのせいなのと縋るプッペにゾロリは大丈夫だよと笑って見せた。 「掠り傷だから、下で手当してもらうよ」 ゾロリがそういって一歩踏み出したそのとき。 「――え?」 視界がぐらりと揺らいだ。 足は宙に、背は大地に向かって引っ張られて。 彼女より先に金属のパイプや板が落ちていく。 泣いているプッペの顔、叫んでいる呂望の声、なにもかもが遠くて。 不思議と声も出なかった――高いところから、落ちているのに。先ほどの乱闘で足場の留め金が緩み、ゾロリと一緒に落ちていったのだ。 下では早く何かを持ってこいと叫んでいる。 呂望も貴人も飛び立つが、追いつかない。 このままではゾロリは地面に叩きつけられてしまう。大怪我くらいで済めばいいが下手をすると死なせてしまうことになる。 真っ逆様に落ちていくゾロリを誰もが驚愕と困惑で見守る。 「ゾロリ殿!!」 「ゾロリさああああああん!!」 「せんせー!!」 地面まであと20メートルほどまで迫る。 もうだめだと誰もが諦めかけたそのとき。 ぐんと鈍いエンジン音とともにやってきた赤い鳥がゾロリを掠めていった。 もう少しで地上という、そのときに間一髪。 やっと現場に駆けつけてきた姫昌があれはと呟く。 その鳥は真っ赤に塗られた飛行機だった。 ゾロリはその左の翼にうまく乗り、少々の打ち身だけで済んだのだ。 「あたたたた」 みんなが心配する中、飛行機は着陸のために少し高度を上げた。ゾロリは助けてくれた飛行機のパイロットに礼を言おうとコックピットをのぞき込む。一人乗りのそれはコックピットというより運転席の感覚に近い。 そして日に焼けたのか老いたのか、少しくすんだ狐の耳が上空の風に泳いだ。 その耳に覚えがある。 「大丈夫かい、お嬢さん」 「――またあんたに助けてもらったな」 着陸態勢に入った飛行機の翼にしっかり掴まり、ゾロリはしかしパイロットを見つめる。 幼い頃ずっと見つめていたパパと、後ろ姿がそっくりだな、と。 くるっと旋回して、赤い飛行機は広い場所に止まる。ゾロリがするりと降りると、彼は気をつけてと言っただけでまた大空に駆け上ってしまった。 それはいつもながら、あまりにも短すぎる邂逅。 でも今日は初めて声をかけてくれた。 立つ鳥の羽ばたきに金色の髪が激しく揺れる。その尾翼をゾロリはいつまでも見つめていた。 そして彼女は駆け寄ってくる小さな足音に、髪を押さえながら振り返る。 「せんせー」 にっこり笑顔で近づいてくる影は3つ。 ゾロリもあでやかに微笑んで彼らを迎えた。 「イシシ、ノシシ、プッペ」 「んだー」 「んだよー」 「ピっ!」 ゾロリは屈んで3人の頬をなでた。よく頑張った双子の肌はしっとりと汗ばんでいる。 「せんせ、大丈夫だか?」 「腕、痛くないだか?」 ノシシがそっとゾロリの右手を撫でた。 ものすごく心配しているのだろう、今にも泣きそうに見つめてくるから、ゾロリは左腕でみんなを抱きしめる。 「大丈夫だよ、心配すんな」 そうして、黄昏に決別する。 早く手当してもらってと言う双子とプッペに手を引かれ、ゾロリはみんなのところに戻っていった。 「バカだよ、お前は」 ほんとバカだと重ねて言う彼に、男は自嘲気味に笑った。 「バカでも構わないよ。飛ばない狐はただの狐だ」 「そういって女房子供泣かしたんだろ」 「少なくとも娘は泣かなかったな」 まだ小さかったから、自分がいなくなることなんてきっとわからずにいたのだろう。 きれいな場所を見つけたらきっと教えてねと、母の腕に抱かれて無邪気に笑っていたから。 その娘もずいぶん大きくなって、冒険のまねごとなんてはじめている。 「蛙の子は蛙ってことさ」 「お前ら狐だろう」 「揚げ足を取るなよ」 お前は昔からそういうやつだと、いやそうに、でも懐かしそうに彼は言う。 飛行機に乗ろうとした彼を、男が腕をつかんで引き留めた。 「娘さんに会わなくていいのか?」 男がそういうと彼はただ小さく笑って首を振った。 「今更どの面下げてパパだなんて言えるかよ」 「お父さんだよって言えばいいだろう」 「そういう問題じゃないだろ」 パパだろうがお父さんだろうが意味するところは同じ。 彼はひらひらと手を振った。 「いいんだ。今じゃなくてもさ」 「そんなこと言って」 男はほんとにバカだと畳みかける。 死んだ妻にそっくりになってきた娘の顔を思い浮かべながら、彼は飛行機のエンジンをかけた。 切なく唸る機械の音、風になぶられる黒髪をそのままに、男は諦めにも似たため息をついた。 「どっちもどっちなんだろうな、お前ら」 「そういうことだ」 「――また来いよ」 BON VOYAGEと拳をつきあわせる。 そうして赤い飛行機は黄昏の中に溶けていった。 橙色に染まる町並み、子供たちが飛行機が飛んでいると追いかけていく。 あの歓声を取り戻してくれたのは。 「……そう、バカでもないのかもな」 あの父娘は。 男は彼の飛行機が見えなくなるまでずっと見送っていた。 「やれやれ」 黄昏に賢者が一人。 黒豹の耳と尻尾が優しく揺れていた。 北伯侯が護送の途中に逃亡したという知らせを受けたのはそれから数日後のことだった。 ゾロリはまだ旅だってはいなかった。傷のこともあって、特に王妃から留まるように勧められていたのだ。 こりゃ大変だとゾロリは妲己の元に向かう。王宮にいる妲己の部屋に行くと、彼女は困ったように頭を抱えているように見えた。 「姐さん、逃げられたって?」 「そうなの。突然馬車から転がり落ちてそのまま逃げちゃったって。困ったわぁん」 言いつつ、あんまり困ったように見えない妲己にゾロリはふふふと笑う。 「そんなこと言って姐さん、細工は流々だろ?」 「ゾロリちゃんこそ、仕掛けをご覧じろでしょ」 「まあねー」 正式な裁判にかけるためになんとしてもあの豚野郎を生かして捕らえなくてはならない。 美貌の狐たちの手は確実に北伯侯にせまっていた。 最初に北伯侯がたどり着いたのは某王国だった。 彼が亡命保護を申し出ると、騎士団の団長だという男が応対に出てきた。そして王からの言葉を伝える。 「我が国はあなたの亡命保護申請を棄却いたします。速やかに退去されたし」 「な、なんですと!?」 椅子を蹴立てて立ち上がり、口角から泡をとばす彼の周囲には屈強な男たち。北伯侯の言葉尻はだんだんと小さくなり、彼はすごすごと国を後にした。 次に向かったのはヘレネグリーシア聖国。三人の王が並び立つこの国の誰か一人でもいいから庇護を受けられれば。 望みをかけ、彼は再び保護を申請した。 しかしまたしても却下され、再び国外への退去を命じられる。 王の傍らにいた幼い妃が少しかわいそうじゃないかといったが、ふたりの王はそろってそんなことはないと断じた。 「あの方の頼みならば、聞かないわけにはまいりませんものね」 「そうだぞ」 黒髪の狼王が優しい妃をなでなでなで。くすぐったいと笑う少女の顔がきらきらしている。銀色の狐王がくすくす笑った。 はじめから賛成していた二人の結婚、今はとても幸せそうで。 夫の手をほどき、妃がでもと唇に指を当てた。 「でも、うちで逮捕して引き渡した方がよかったんじゃ」 妃がそういうとまたしても夫が優しいなあと言った。 犯罪者にとって逃げ切れぬと知りながら逃げ回ることは予期せぬ苦痛なのだ。 ゾロリも妲己も彼を簡単に許す気はないらしい、だからこそ追っ手にはのんびり追わせて、北伯侯がいく先々で保護を拒否させているのだ。 夫と狐王に言われて妃はああと頷いた。 そんでもって北伯侯はというと、今度は深い森に囲まれた魔法の国を訪れた。 そう、あの魔法の国である。 亡命保護申請は一応、受理はされた。しかしやはり拒否された。 「なせだ! なぜこんなに拒否されまくるのだ!」 「そうですね、そろそろお教えしておいていいでしょう」 そういうと対応に出ていたロジャーがスライドを下げた。 映し出されたのは脂下がりまくりの北伯侯の顔。 華陽の名を呼び、執拗に愛人になれと迫っている。醜聞には違いないので小さくなる北伯侯だが、彼にだって言い分はある。もっともその言い分は彼が政治家に向かないということをよりいっそう露呈してくれるのだが。 「こ、この女は華陽と名乗ってはいるが、その実はかいけつゾロリという女悪党で」 「ええ、知っていますよ」 ロジャーはしれっと言った。 魔法の国にとって、そしてロジャー個人にとってその金色の狐は忘れようったって忘れられない存在だ。 あっさりと認めたロジャーに対し、ならば話は早いと北伯侯は腰を浮かす。 しかし彼の想像を、ロジャーはやはりあっさりと裏切ってくれた。 「ゾロリはこの魔法の国にとっては悪党どころか大恩人なんですよ。ゆえに、その恩人に対しこのような不埒な振る舞いをなさる方を保護するわけにはいかぬと、全会一致で決定いたしました」 もっとも魔法の国は何も知らずに政治犯を匿うほどおとぎの国ではないのだ。 そう、これまで北伯侯が保護を求めた国はすべてゾロリがほとんど偶然のうちになした事象の恩恵にあずかっている。 たとえば最初に行った国の騎士団の団長。 彼の妻はサラ姫という人だ。彼女は自分の恋に自信を持てとゾロリに諭され、その言を受け入れて父王を説得。めでたく意中の男性と御成婚と相成った。 娘の幸せな姿を見た父王は力になってくれたというゾロリに何かあったら恩返しをと考えていたという。 それはヘレネグリーシア聖国でも同じこと。 黒狼の冥王は聖王の侍女だった瞬に恋をし、接しているうちに瞬もまた冥王を好きになっていた。 こちらはイシシとノシシの後押しでゴールインしたわけだが、聖王が姫時代にゾロリと知り合いだったということでこれまた国を挙げてゾロリのサポートを極秘だが表明している。 魔法の国にいたっては言わずもがな。 そんなわけで北伯侯はいろんな国や組織を転々とすることになる。 道々、得体の知れぬ者共に追い回されたがこれももちろん、ゾロリせんせを師匠を仰ぐ妖怪学校のみなさんによるもの。 タイミングよく彼らが実習のいい素材はないかとゾロリに尋ねてきたものだから、彼女はいいのがいると紹介したようだ。 そんな中、豚野郎こと北伯侯が命からがらたどり着いたのは港町。 北伯侯は海を渡って逃げようと、そこにいた船に声をかけた。 「おおい、金はいくらでも出すから、乗せてくれんかー!」 「って言ってやすけど、どうしやすか?」 子分のだみ声に自らエンジンを点検していた船長が顔を覗かせた。 汚い身形の男がなにやらぎゃーぎゃー叫んでいる。 「海賊船だって知ってて言ってやがるのかね」 「お頭、姐さんからファックスが来てます」 「ああん?」 通信係のジャンが持ってきた紙を船長は乱暴にひったくる。一瞥し、彼は鼻で笑い飛ばした。 「はっ、いいだろう。あいつを乗せてやんな」 「いいんですかい?」 「あいつがそうしろって言ってるんだ。金ももらえるみたいだし、いいじゃねーか」 船長がふっと投げ捨てたファックスを子分が拾う。 そこには姐さんの直筆でこう書いてあった。 “親愛なるタイガー様(笑) この豚野郎を見つけたらどっかの海に放り出しておいてね☆ お代は豚野郎からもらってください” 最後の署名の横にぶちゅーっとキスマーク。 なるほどお頭が笑うはずだと子分は仲間たちを集めた。 美味しいカレーを作ってくれる姐さんとは随分ご無沙汰だが、今回はまた面白い事件を持ち込んでくれた。 「おおい、姐さんが面白いもん持ってきてくれたぞ!」 「おおー」 なんだなんだと上がる声、タイガーは一人苦笑する。 「ところでお前ら」 「はい?」 「いつからあいつを姐さんって呼んでるんだ?」 隣にいたジャンを一瞥し、タイガーは腕を組んで妙に盛り上がる子分たちを見る。ジャンはあははと笑った。 「なんとなくですよ」 「……そうかい、なんとなくか」 瞳に写るのは碧い海、出航だとタイガーが叫ぶと子分たちはおーっと声を上げた。 そして北伯侯は。 「な、何をする!」 折角乗り込んだのに数時間もしないうちに彼はタイガーの子分たちに脇を抑えられていた。 タイガーは金貨の入った袋をじゃらっと投げては手で受ける。 隻眼にして隻腕の船長はにいっと口角を歪めた。 「悪いがここで降りてもらうぜ」 「な、なんだと! 金は払っただろうが!」 ちゃんと働けという横柄な北伯侯の態度が彼の運命を決めた。 お頭に無礼な態度をとるのは許せないと、子分たちはここが海のど真ん中であるにも関わらず、北伯侯を放り投げた。 綺麗な放物線を描いて飛んでいく北伯侯を眺め、子分の一人がたーまやーと叫んで一同の笑いを買っていた。 タイガーはふんと鼻を鳴らす。 「これっぽっちじゃ、行きがけの駄賃にもならねーぜ」 こういうときの手向けの花はなんと言ったかなあと、船長は澄み渡る青い空を見上げるのだった。 かの豚野郎さんの長所をひとつ上げるとすれば、悪運が強いことかもしれない。 海のど真ん中に放り出されたにもかかわらず、彼はしぶとく生きていた。 そして放浪を始めて最後となる――ことはまだ知らないのだが――国にたどり着く。 美しい湖の上に浮かぶこれまた美しいその城こそ、実はゾロリといちばん因縁が深い王子の居城だったりする。 北伯侯が諦め半分で亡命保護を申請すると、なんと王子自らが応対に出てくれた。 ダーティーブロンドの髪にサファイアブルーの瞳。 どこからどうみても非の打ち所のない純正貴公子を前に北伯侯はただただ平伏するばかり。 「ふむ、殷夏国の大臣、北伯侯殿ですか」 「はい、ガオン王子殿」 そこで彼はかいけつゾロリという女悪党によって身に覚えのない罪を着せられて国を追われたのだと言い立てた。 彼は自分が国を逃げ出してどれくらい経ったのかすっかり忘れているようだ。 自身の罪で、しかも護送中に逃亡、自ら国を出奔してきたことはすでにガオンの耳に入っている。 それに。 狼の誇りが、彼の中で唸りをあげた。 だがそれを表には出さず、彼は北伯侯の亡命保護申請を許諾する。 「いいでしょう、気が済むまでわが国にお留まりください」 「ほ、本当でございますか!?」 「嘘などついてなんになります。丁重におもてなしさせていただきますよ」 ご案内しろといわれたメイドさんが北伯侯を案内した。 彼が部屋から退室するとガオンは亡命保護申請書を暖炉の中に放り投げた。 それは彼の怒りと共に炎となって燃え上がる。 ガオンは知っているのだ――そう、何もかも。 蒼玉の瞳が薄氷色に変わるとき、彼は本物の狼になるのだ。 北伯侯が最初に通された部屋は貴賓室だった。普段は王族や縁者しか入れない部屋である。 客室の準備が出来るまでここで待っていてほしいとのことだった。供される酒も高級なもの。 やっとたどり着いた安住の地、この国に居続けてなに不自由なく暮らすのも悪くはないと、彼は似たりとほくそ笑む。しかしそんな甘い考えだったから、彼は傀儡だったはずの伽陵をして『微妙に詰めが甘い』などと評されるのだ。 まもなく別のメイドさんがやってきて、部屋の用意が整ったと知らせてきた。 彼は横柄に立ち上がるとメイドさんに案内されるままに歩んでいった。 メイドさんは途中で男性に変わり、そして衛兵に代わった。 そして最上階にいた彼はどんどんと下に降ろされていく。 「お、おい、随分と遠いんだな」 「はい、しかしあなた様のお部屋までもうまもなくでございますので」 そういうと衛兵は重い扉を開け、その向こうにいた男と二言三言話している。男は承諾したとばかりに頷いて、北伯侯を見た。 「どうぞ、お部屋はこちらとのことです」 「ってここは地下牢ではないか!」 北伯侯は回れ右をして帰ろうとする。しかし彼の背後にはすでに衛兵隊がいて逃げられなくなっていた。 どういうことだと叫びまくる北伯侯だったが、その声も空しく彼は牢番の男にずるずると引き摺られていく。 「な、なにをする!」 「なにをって王子のご命令通りにアンタをもてなすのさ」 「な、なんだと!?」 アンタがゾロリ様を可愛がろうとしたようにな。その言葉はしっかり飲み込んで、彼は北伯侯を一番奥の牢獄に放り込んだ。そしてそこにいたのは先住民ではなく、微妙に屈強なおじいちゃんたち。 彼らは『ゾロリちゃんを孫娘にしたい屈強なおじいちゃんの会』のメンバーだった。 みんなゾロリにマッサージ機を作ってもらって以来、大ファンになっていた。なかには隠居した大臣もいる。 おじいちゃんたちは昔取った杵柄とばかりに指をばきばき鳴らしている。 さあ、イッツおもてなしターイム! おじいちゃんたちは北伯侯をそりゃあもう、おなかいっぱいもてなしたという。 北伯侯がガオンの城から逃げ出したという知らせを受けたのはそれから2日後のことだった。 「そっか、ありがとう。うん、あとはこっちで。わかってるって、むちゃはしないよ」 じゃあねの最後に軽くキスをして、ゾロリは電話を切った。 ふうと息を吐き、背後の妲己を振り返る。 「北伯侯がこっちに戻ってきてるって」 「でしょうね。あれだけの国に亡命保護を拒否されればもう戻るしか道はないわね」 悪くすれば野垂れ死にするしかないが、彼にそれが出来るだけの気概があるとは思えない。それに死なれては裁判が出来ないので、妲己はここで逮捕のための軍を差し向けた。 彼が捉えられるのは時間の問題だろう。 弓張月ののぼる空を見上げ、ゾロリは欄干に腰掛けた。 「ゾロリちゃん」 「ん?」 「腕、見せて」 「……いいよ」 草色の旅装束だったゾロリは右腕を中に入れ、静かに片袖を落とした。 さらしに包まれた豊かな乳房、日焼けのあとを感じさせない白い肌、月光に揺らめく金色の髪。 妲己はゾロリの腕にそっと触れた。 「痛くない?」 「呂望ちゃんの薬草がよかったんだろ。傷はもう塞がってるし」 「でも痕にしたくないわん」 そういうと妲己はゾロリの右腕に口づけた。そして自分の右手を翳す。 するとゾロリの傷はみるみるうちに薄くなり、やがて消えていった。触れば瘡蓋も感じない。 すっかり綺麗になった腕を見、ゾロリは苦笑する。 「ありがとう、姐さん」 「――いつまで続けるつもりなの」 妲己の問いに、着物を戻していたゾロリの手が止まる。 闇を模した漆黒の瞳がくるりと金の光を弾いて揺れた。 「わかっているんでしょう、ゾロリちゃん」 「わかってるよ」 我らは狐、闇と刻を騙る金色の獣。運命の誰かに出会うまで荒野を流離う。 誰なのか、どんな運命なのか知らぬまま。 もそっと腕を通し、ゾロリは静かに目を閉じる。 「ゾロリちゃん」 「姐さん」 妲己の声を遮るようにゾロリの声が凛として響く。上げられた顔に妲己ははっとした。 あまりにも切なくて、でも優しい表情。 この子はいつの間にこんなに鮮やかに笑うようになったのだろう。 ゾロリは柔らかい唇を開いた。 「俺はね、今結構幸せなんだ。イシシがいて、ノシシがいて、プッペがいて。いろんな友達や仲間がいて。旅をしているけど、ぜんぜん寂しくないんだ」 「でもときどきおかなすかせて倒れるんでしょう?」 「そりゃあまあ、そんなときも無きにしも非ず?」 えへっと笑ってみせるゾロリに、二の句が告げなくて。妲己は諦めたようにため息をついた。 「まあいいわ。でもこれだけは約束して」 「なに」 妲己はそっとゾロリの手をとり、きゅっと握った。 見つめる妲己の瞳は紅玉色に煌いて。 「必ず幸せになって。これはゾロリちゃんを愛するみんなの願いよ」 「姐さん……」 祈るように目を伏せた妲己をゆるりと抱きしめてゾロリは微笑んだ。 「ありがとう、姐さん」 生まれてきた意味と、死んでいく理由をその手に握り締めて。 かくしてあまたの国や地域を追い出された北伯侯は這々の体で自国へと逃げ帰ることとなった。 そのほうがなんぼかましだという結論に達したのだ。 彼は待ち受けていた自国の衛兵隊によって国境付近で発見、改めて逮捕された。 「そのときの彼はイヤに安心しきった顔をしていたそうだよ」 姫昌の言葉に呂望がはははと笑った。 ウサギの耳が嬉しそうにぴょこんと立っているのを見て、姫昌も微笑する。 彼はゆっくり立ち上がると呂望をそっと抱き寄せた。 逞しい男の腕に抱かれ、呂望は呟くのが精一杯だった。 「あ……」 「やっと、だね」 囁かれた言葉の意味を正確に察し、呂望は上目遣いに彼を見つめた。 「姫昌――」 応えるように姫昌は呂望の頬を両手でゆっくり掴む。 近づく二人の影を蝋燭のか弱い明かりだけが照らしていた。 そしてゾロリ一行は再び旅路に戻ることにした。 西伯侯に呂望、飛虎に妲己など、今回の事件に関わったみんなが見送りにきてくれた。 妲己が寂しそうにゾロリの手を取った。 「行っちゃうのん、ゾロリちゃん?」 「ああ、やっぱり俺には旅しかないからさ」 明るい声、屈託のない笑顔。 煌めく金の髪がさらりと揺れた。 イシシとノシシは呂望と握手している。旅のお供にとたくさんお菓子が詰まった袋をもらってご機嫌だ。 プッペは王貴人に捕まっていた。どうも貴人のほうが別れ難いようである。 「き、貴人さん……」 「プッペくん……」 ぎゅっと抱きしめられ、しくしく泣かれれば流石にプッペも困惑しようというもの。 「ゾロリさぁん」 助けを求められたゾロリは妲己とともに貴人を説得、一緒に写真を撮り、こんなこともあろうかと昨夜のうちに作っておいたプッペフィギュアを渡して、彼はようやく解放された。 「いろいろすまんかったな、ゾロリ殿」 「いやいや。呂望ちゃんこそ」 ゾロリの耳がイタズラっぽくぴんと跳ねる。 姫昌さんと幸せになとゾロリが囁くと呂望はぼっと頬を赤らめた。 「な、なんでそれを」 「んー」 それは恋をしている女ならではの直感。同じ匂いは敏感にかぎとれるものらしい。そも、このふたりが恋仲なのは見ていればわかろうというもの。 「ま、なんとなくかな」 そういって小首を傾げるゾロリを妲己が意味深く見つめる。 さて名残惜しいがと、ゾロリは旅合羽を翻した。 「行くぞ、イシシ、ノシシ、プッペ!」 「はーい!」 「ピっ!」 颯爽と歩いていく、風と同じ色の狐。 その後ろ姿を見送って、妲己が頭を下げる――ありがとう、と。 恋する狐は狼のもとへ。 「んー、疲れたぁ」 「ずいぶんご活躍だったようだね、ゾロリ」 すらっとした手足を投げ出し、ロングソファのど真ん中で背もたれに背中を預けていたゾロリの肩や腕をガオンが揉んでいた。彼はやんごとなき王子様のはずであるが。 ゾロリはうっとりと目を閉じた。 「あーん、気持ちいいー」 「調子に乗るんじゃない」 ぽかっと頭をはたかれて、ゾロリは痛てっと身を竦める。 「もー、なにすんだよ」 抗議の声を上げるゾロリの前に立ち、ガオンは指を突きつけた。 「スパイごっこはいいだろうけどね、私がどれだけ心配したかわかるかい?」 「そ、それは」 彼の剣幕にゾロリはマッサージの余韻もそこそこに足ごとソファの上に身を縮めた。 北伯侯に関する依頼をしたとき、ガオンは快く引き受けてくれた。ゾロリは安心したが、ガオンは逆だった。その実情を知るにつけ、彼の中の狼が牙をむき、爪を研ぎ始める。 愛する女性が危険なことをしている、ほかの男に言い寄られている。そのすべてが許せない。 ガオンはゾロリの前に片膝を突き、その手を取った。 その手が思いのほか優しくて、ゾロリは少し身を乗り出す。 「ガオン……」 「あの男になにかされなかったかい?」 薄氷色の瞳が少しだけ和らいだように見えた。 ゾロリはガオンの不安を癒すかのように微笑んで、優しい声色でいった。 「大丈夫だって。ちゃんと逃げたのは知ってるだろ?」 俺にはおまえだけなんだよとゾロリは上目遣いにガオンを見つめる。 しかし彼の薄氷色の瞳はその冷たさを完全には解かない。 無駄だと知りつつ、ゾロリはおずおずと問うてみる。 「――怒ってる?」 「当たり前だろう、そんなこともわからないかい?」 「うー」 ゾロリにしてみればイタズラや、警察に追われて逃げ回ることなんて日常茶飯事。大したことじゃないのだけれど、ガオンにはそうじゃない。 信じてほしい、信じている。 そう願いながら、けれどその通りにできないそれぞれの生き方。 愛しているから信じるし、でも不安にもなるし。 握り合った手はそのままに、ゾロリはガオンに顔を近づける。 「キスしたら、信じられる?」 「さあ、足りないかもしれないが」 ガオンはやっと笑ってくれた。 彼はソファの上に片膝を乗り上げるとキスをするように近づいておきながら、しかし、ゾロリの耳を甘くかんだ。 「ひゃんっ」 キスだったはずなのにとゾロリはガオンの胸を押した。 「な、なにすんだよ!」 「キスじゃ足りないといっただろう」 王子様は狼、ときどきサディスト。 やだやだと暴れてみてもあんまり意味もない。 「ガ、ガオン……」 「なんだい?」 いやなんだいじゃなくてと言う前にガオンの手はゾロリの着物の合わせ目を撫でていた。 彼がなにをしようとしているのか、いやなほどわかる。 「ちょ、ちょっと待てガオン!?」 「待たないよ」 ゾロリは身を竦め、息を詰める。 ガオンの手がするりと胸元を割ろうとしたそのとき、彼の部屋をノックする音があった。 「なんだ、こんな時間に」 ガオンは忌々しそうに舌打ちをし、ゾロリはほおっと息をつく。ちょっとしっとりした耳先を袖で拭いて、ゾロリはドアの向こうを見つめた。 それもほんのちょっとのことで、ガオンはなにやら段ボールを持って戻ってきた。割れ物注意のシールが貼ってある。どんと音を立ててテーブルの上に置かれたそれを、ゾロリはまじまじと見つめた。 「ゾロリ、なぜか君宛てなんだけどね」 「は?」 ゾロリ宛ての荷物がガオンのところに届くのは、実はそう珍しいことではない。二人の仲を知っているごく一部の人間は実際にそうしている。そのほうが確実に彼女の手元に届くからだ。 しかし問題だったのはその差出人だ。 「妲己、とあるんだが」 「妲己姐さん!?」 なんでとゾロリは伝票をのぞき込む。 確かに妲己の名で送られてきているが。 「あれ、俺ガオンのこと妲己姐さんに話したかなー?」 ガオンに電話をしたときも彼の名は出さなかったはずだよなーと記憶をこねる。昔から鋭い姐さんではあったが、それは今でも衰えていないらしい。 考えているゾロリの隣にガオンが腰を下ろした。 「少しばかり重たかったが、中身はなんだい?」 普通に城内に運ばれているところをみると不審物ではないようだが、それにしても気になる。 伝票にはただ『酒』とだけ書かれていた。 「お酒なんかもらってもなぁ」 子供たちには絶対に口にはさせない。お酒は20歳を過ぎてからだ。ゾロリ自身も嫌いではないがそう強い方ではない、すぐに酔ってしまう。 べりべりとガムテープを剥ぎ、箱を開けると。 「うっわー」 ひょいと持ち上げた一升瓶、中身は澄んだ酒と――マムシ。ゆっくりとした液体の流れに乗ってくねくねと動いているかのように見えた。 ひいっと声を上げて退いたガオンに対し、ゾロリは懐かしいなあと目を細める。 「妲己姐さんのおばあちゃんがよく作ってたなぁ、マムシ捕まえてきてなぁ」 ばあちゃん元気かなと、ちょっと恍惚気味に思い出に浸るゾロリに、ガオンは蒼白な顔色を隠せない。 「俺たち子供だったから飲ませてもらえなかったけど、ばあちゃんの話だとこれでいろいろ元気になるんだってさ」 おそらく妲己の祖母はナニの話まではしなかっただろう――そりゃそうだ、子供相手なのだから。 そうだとゾロリは一升瓶を持ったままガオンに向き直った。 「おまえ飲めば? なんか最近いろいろお疲れだって言ってたじゃん?」 「そりゃあまあ、王子様業はいろいろと気苦労があるけれど……」 こんなもの、王宮の食事にだって出ないぞと、ガオンは口の中で呟いた。王子様の感覚からすればゲテモノにもほどがあるといった感じなのだろう。 そんなガオンの心中も知らず、ゾロリは(彼にとって無情にも)瓶のふたを開けた。きゅぽんといい音がする。 「わー、ゾロリ!?」 「別に臭くないぞ? お疲れ王子には必要だって」 先ほどまでの甘い雰囲気はどこへやら。 「せっかく送ってもらったんだし」 「いや、君宛だろう、君が飲むといいよ」 「好き嫌いはよくないぞー」 そういう問題じゃないだろう。早くしまえと言うガオンに飲めと迫るゾロリ。 今夜も月が綺麗です。 「また遊びましたね、妲己」 月を背に、虎に跨る道化はかの魔法使いによく似た声の持ち主だった。 月影だけをみて、妲己はふふっと笑う。 「いいのよん、課程はどうあれ、わらわはこの国を守ったんだもの。それにたまには捕らわれのお姫様だってやってみたかったわん」 「それにしては、白馬の王子もまた姫君だったようですけどね」 やれやれと道化の君は首を横に振る。 長い――そう、妲己とは永い付き合いになるが、彼を持ってしてもときどきわからなくなることがある。 彼女の力を持ってすればあんな小者、瞬殺できたはずなのに。 「だから、わらわは遊んでいるだけなのよ」 「“刻を騙る闇の狐”はそういうのがお好きみたいですからね」 道化の君の言葉に、妲己の瞳がくるんと獣の揺らめきを見せた。とたん彼はふうと息をつく。 「少し言い過ぎましたね、ご容赦を」 「ふふっ、ほかの連中なら殺してるわん」 命拾いしたわねと妲己はほくそ笑む――それは狐の本性とも言うべき壮絶で美麗な笑顔。 「わらわは眷属には優しいのよん」 そのあとの僅かな沈黙。妲己は思い出したかのように言った。 「ところで例の物は」 「ちゃんとお届けしましたよ。彼のところへ」 「そう、ありがとん」 道化の君はその大きな瞳で背後の月を一瞥した。 もう用事は済んだのだ。 「行きましょうか、黒点虎」 「うん」 「また遊びに来てね、申公豹」 「ええ、気が向いたらね」 虎に跨る道化の君・申公豹はくるりと向きを変えると星少ない夜空を流星のように飛んでいった。 一人になった妲己は静かに瞑目する。 旅に生きる恋狐のゾロリは、今どこでなにをしているのだろう。 どうかどうか。 呟く願いは11文字の、そして永遠の命題。 それは背中合わせの永遠にも似て。 もしかしたらもう会うことはないのかもしれない。 だけど捨てられただなんて思いたくないから。 私たちは背中合わせでいよう 大丈夫、世界は丸いから 「……なんてな」 空を見上げる度に思うのは、飛んでいる飛行機が何色なのかということ。 白い飛行機も夕焼けに染まれば赤くなるから。 ジェット飛行機とそれ以外の飛行機は音の違いですぐわかるけれど、ついつい空を見てしまう。 そうやって空を眺めてははっとし、そして自嘲するゾロリをみつめ、プッペはやっぱり不思議そうにゾロリと空を交互に見た。 そして傍らにいる彼女に尋ねてみた。 「空になにかいるっプ?」 きょろきょろと首を回すプッペにゾロリはああと苦笑する。 「空に知り合いがいるんだよ」 「知り合い?」 たぶんな、と呟いたが、それはプッペには聞こえなかった。 代わりにプッペが小鳥のようにピーと鳴いた。 木に寄りかかり、ゾロリは珍しくぼーっとしている。 それがプッペにはなんとなく不思議だった。 ゾロリがぽつりと言った。 「赤い飛行機……」 「え?」 「――赤い飛行機を見かけたら教えてくれな」 「ピ……」 そう言ってゾロリは石人形の頭をなでる。 彼女の手は温かだった。 綺麗な形の唇が静かに言葉を紡ぐ。 「空にね、俺のパパがいるんだ。赤い飛行機に乗っているんだよ」 「パパさん?」 おばけのプッペにはまたわからないこと。 ゾロリはどうして父親と一緒に暮らしていないのだろう。どうして旅に身をおくのだろう。 これだけ綺麗な人なら、結婚だってできるだろうに。 そんなプッペの視線に気がついたのか、ゾロリはプッペをその膝に抱き上げた。 「ピ?」 「いろいろ聞きたそうな顔してるな」 「わかんないことだらけだっピ」 「だろうな」 ゾロリが幼い頃、父親が真っ赤な飛行機に乗って旅立ったまま消息が分からないこと。 そんな父親に変わってゾロリを育てるために働いた母・ゾロリーヌが春の終わりに天国へ行ってしまったこと。 それからゾロリがずっとひとりだということ。 それを全部話したら、プッペはきっと声を上げて泣くだろう。 だから言わない。 代わりにしっかり抱きしめて。 だって寂しくなんかないから。 「プッペ……」 「ん?」 「俺はね、パパもママも遠くにいる。でも寂しくなんかないよ。イシシもノシシもいるし、プッペもいる。友達もたくさんできたしな。だから、寂しくないんだ」 プッペはそっとゾロリを見上げた。 その笑顔には、半分の本当と半分の嘘が見えた。 自分はおばけだから、父母がいないということ、その寂しさがわからない。 けれど寂しくないと言ったはずのゾロリの表情にはわずかな寂寥が浮かんでいる。でも笑顔なんだから、寂しくないと言ったのも本当だろう。 やっぱりわからないやと、プッペはゾロリの胸に顔を埋めた。とくとくと聞こえてくるのはほのかな鼓動、柔らかな感触はどこか優しい気持ちになれた。 そうだと、少し合点が行く。 抱きしめられ、愛されていると実感できれば寂しくないし、どこまでも優しくなれるのだ。 「プッペ」 「なに? ゾロリさん」 「大事なのは、誰しも望まれてこの世界にいるんだってこと。俺も、イシシとノシシも、そしてプッペもな。それさえ忘れなかったら生きていける。幸せになれる」 そして結ばれるだろう誰かと出会うことができる。 それは仲間であり、友であり、恋人であり。 「じゃあ、ゾロリさんは幸せプね」 プッペの言葉にゾロリはそうだなと笑って見せた。 「ああ、とっても幸せだよ」 「えへ、よかったっピ」 はにかむように笑って、プッペは再びゾロリに抱きついた。 おばけの森にいたころは、誰かの存在がこんなに暖かいだなんて思ったことはなかったから。 ゾロリに抱っこされているプッペを目敏く見つけ、ノシシが突進してくる。 「プッペ、離れるだ! そこはおらの場所おおおおおお」 「ピー」 「いいの。今日はプッペを抱っこしたい気分なの」 ノシシに席を譲ろうとしたプッペだったがゾロリの腕から逃げられずにそのまま。柔らかい胸にむにゅと押し付けられている。 甘えん坊で泣き虫なノシシはプッペをはがそうと必死で、イシシは「はいそれま〜でぇよ〜」と呆れている。 「あはははは。いいな、寂しくないから」 すべてはどこかへ辿りつくための歌。 黄昏に賢者がひとり そこに君があわられて 世界は初めて背中合わせになれるのだろうか ≪終≫ ≪幸せの数を求めてみようか≫ ゾロリせんせと封神演義のコラボでした。『黄昏の賢者』は例によってサンホラより。 姫昌様がそれっぽかったのでタイトルはすぐに決まりました。 妲己姐さんがいい人ww もとい、いい狐wwww 書いている俺自身が予想外の展開w 楽しかったです。ご笑覧ありがとうございました。 |