彼岸花 〜冥瞬戦国絵巻 群雄割拠の戦国時代、常勝軍団と謳われた一団があった。 国の規模こそ小さいけれど総大将を中心に良くまとまった国だった。 しかしそれでも世継ぎ問題から内乱がおこり、兵の数は減ってしまったのだ。 その際、総大将は残りの武将達を集め、軍を率いて戦い抜くことを決めた。 総大将の名は城戸沙織――若干13歳の姫武将であった。 さて、その沙織のそばには彼女の腹心とも呼べる五人の武将がいた。 みな少年だったが、戦場での功は青年武将に勝るとも劣らない。 智将の紫龍、猛将の一輝、美将の氷河、勇将の星矢、そしてもうひとりの姫武将である瞬の五人だ。 五人は常に戦場ではぐれてひとり敵陣に突っ込んでは捕らえられる沙織を救いにいく羽目になっていたわけでして。 「どうしよう、また沙織さんひとりで敵陣に突っ込んだよ?」 薄紅色の甲冑を身にまとうのは姫武将の瞬。 嘶く馬をどうどうと落ち着かせ、くるりと周囲を見回す。 これまで冥王軍と小競り合いを続けていたが、今日は勢い余って敵陣のど真ん中に突っ込んでしまった。 しまったと思ったときにはもう遅い。瞬は馬の鼻先を返して退路を開こうとしたのだが、沙織は好機と叫んで、白い愛馬でぱかぱかと敵陣をまっすぐに突き抜けて行ったのだ。 紫龍が頭痛でもするかのように頭を抱えている。 「とにかく早く沙織さんを助けに行かなきゃだろ!?」 天馬と名づけた白馬に跨ろうとした星矢を紫龍が止める。 「むやみに敵陣に突っ込んでいっても沙織お嬢さんの二の舞だぞ?」 氷河も淡々と意見を述べる。ちなみに一輝は妹である瞬が危機に陥らないと出てこないので今は戦場にいない。 「とにかく、総大将の沙織さんがいないと聖域軍はまとまらないよ。私が身代わりになって助けに行くから」 身代わりを買って出た瞬に星矢も氷河も紫龍もいい顔をしなかった。 もともと女の子なのだ、甲冑を着て戦場に出ることはない。それなのに、沙織さんだって同じだといって彼女は戦場に立つ――争うことが嫌いなのに。 あからさまな反対意見に瞬は語調を強めた。 「私じゃ、身代わりの価値もないかもしれないけれど……でも、行かなくちゃ」 「お前ひとりをやらない、俺もついてく!」 というわけで星矢と瞬に先に立ってもらい、紫龍と氷河で後を追うことになった。 そして彼らの目論見どおり、瞬と沙織を交換することで話がついたのである。 「あ、あの……」 「なんだ?」 夜の帳が下りた冥王の軍陣。瞬は総大将である冥王ハーデスのそばに置かれていた。 敵将でありながらもなかなかの厚遇である。 身繕いをしてもらい、湯まで使わせてもらって、瞬はさっぱりとした姿で冥王の横にいる。 冥王はご機嫌で、瞬の問いに答えてくれた。 「いやにあっさり沙織さんを帰してくださいましたね……私には人質の価値などないと思っていましたから」 すると冥王はそんなことかと酒を煽った。 「いや、実は当初は人質として使おうと思っておったのだが、あれが敵陣に単機突っ込むことは有名だったし、なにより我侭でな。余の待遇が気に入らぬとぎゃーぎゃー喚くのだ」 「はぁ……」 心当たりのある瞬はただ呟くようにしか答えられない。 聖域内ではともかく敵陣にあっても我侭放題だったとは、よく殺されなかったなと瞬は変に感心せざるを得ない。 冥王は続ける。 「その点、そなたのほうがそばにおいていて楽しいし、目の保養にもなる。そなたも有名だぞ? 戦場を駆け抜ける紅い姫武将としてな」 「え、そうなんですか?」 戦果の乏しい瞬にはそんな噂を聞くのは初めてで、ただただ驚かざるをえない。 敵陣にいる以上、いろんなことを掴んで逝かなければと思っていた瞬にとって本当に驚きの連続だ。 そんな瞬の手を、冥王がそっと握ってきた。 「瞬、余はそなたが好きだ」 「……はい?」 「初めて戦場でまみえた時から、そなたを思い出さぬ日などない。余は今、とても幸せだ」 「え、あの、ちょっ……きゃあっ」 いうなり冥王は瞬を自分の胸に抱きこんだ。袖の布がさっと瞬の頬を包む。 武将のそれとは思えない、細くて綺麗な冥王の指先。 「あ……」 「これからもそなたは丁重に扱わせてもらう。戦国一愛らしい姫武将だからな」 「私はあなたの寝首をかくかも知れませんよ?」 瞬がきっと彼を睨みすえると冥王は声を上げて笑う。 「――楽しみだ」 冥王はそっと瞬を抱き、そのまま横たえる。 覆いかぶさってきた冥王を慌てて押し返しながら、瞬は彼から逃げようとした。しかしハーデスは彼女を逃がす気など毛頭なく、しっかりと抱き締める。 「な、何を」 「何って、寝首をかくのだろう? そんな状況になるためにはやはり段階を踏まねばならん」 「はい?」 「故に夜伽を」 言い終わる前に瞬の平手がハーデスの頬を直撃する。 それだけでも殺されるには十分だったのだが、何故かハーデスは涙目で逃げ出した瞬の背中を楽しそうに見送っていた。 「可愛い……」 本当に何故なのかはわからない。 ただ冥王が瞬をひどく気に入り、それが故に両軍の和議がなったことは確実だ。 それも、そう長くもなかったのだが。 死者の亡骸を獣から守るために根に毒を持つ彼岸花が墓地に多く植えられるという。 冥王軍が支配するこの土地には彼岸花が多い。 墓地が多いというわけでもないのに何故この花が多いのだろう。 それは地形を見ればわかった。 この地域には獣の住まう山が多いのだ。おそらく農作物を守っているのだろう。 そんな実用をさておいても、彼岸花は造形的にはとても美しい花だ。 ハーデスの館の庭先にも植えられていて、冥王はそれを好んでいるともいう。 相変わらず単身で敵陣のど真ん中に突っ込んでいった総大将・沙織の生命を救うべく、瞬は身代わりを買って出た。今は人質として冥王の館で暮らしている。 人質といっても一介の武将、しかも沙織とは縁者でもなんでもない小娘としては破格の厚遇だ。 彼女が身につけている綺麗な小袖はハーデスが直々に選んだものらしい。 出来れば薄紅色の甲冑を着て戦場にいたい――大事な人を守るために。 戦場を駆け巡る薄紅色の甲冑。 首が飛ぶたびに吹き出す血はまるで彼岸花のよう。それでも彼女だけは凛と白く。 そして彼女が通り過ぎたあとはまるで竜巻が通ったあとのように無残だという噂。 「とてもそのようには見えませぬが……」 今は人質暮らしなので瞬は甲冑は着ていない。 瞬の身の回りの世話をしているパンドラが対の間からそっと見ていても、瞬はとても大人しい少女に見えるようだ。それがいざ戦場に出れば風神が乗り移ったかのような奮迅ぶりというから、人というものはわからない。一緒に観察していたハーデスがふふっと笑った。 「あれでも、戦は嫌いなんだそうだ。想いと行動が一緒にならぬ歯がゆさを感じておろうに」 いつか太平の世が来ると信じるからこそ、戦場に身を置く覚悟も出来た。 もともと瞬は親がいない。兄とふたりで戦場の真っ只中に捨てられていたのを沙織の祖父である光政に拾われたのだ。そこで彼女は兄や星矢たちとともに育てられ、7歳のときにケフェウス家に養女に入った。まだ 13歳だったダイダロスが当主のその家で、瞬は彼の妹として再び養育される。 しかしまた不幸が彼女を襲った。 光政没後に起こった内乱によって兄とも父とも慕ったダイダロスは反逆の汚名を着せられ、重臣のサガによって討ち取られている。のちにその汚名は雪がれたが、それでも家名は途絶えてしまい、ダイダロスももういない。彼女はまた愛する人を失ったのだ。 そのころになると兄も行方不明となり、瞬は沙織を頼って彼女の侍女となる。 沙織を守ると称して戦に出始めたのもちょうどその頃からだ。 「というわけだ」 「よくお調べになりましたね……」 驚くパンドラにハーデスはこれが愛の力だと言ってのけた。 さすがに兜の表飾りに『愛』なんてデカデカと書かなかったが、そのうちより画数の多い『瞬命』とか書きそうでイヤだ。 「まあ、あのアテナよりは扱い良かろう。面倒を見てやってくれ」 「御意にございますが……」 「なんだ、反論があるなら御意とか言うな」 ごもっとも。 パンドラはいいえと首を横に振った。 「ハーデス様の御下命ですから、このパンドラ、誠心誠意お仕えしますがその……」 「何だ、言ってみるがいい」 「あのように一日じーっとしておりますので、どうにもお世話の仕様がなく……」 ハーデスが『戦国一可愛い姫武将』と評する瞬。彼女自身は人質なのだという自覚があるのか、冥王軍に攻撃する口実を与えないように部屋に篭ってじっとしているのだという。 沙織とはえらい違いだ。 それはいかんとハーデスは中庭を飛び越えて瞬の部屋に突撃した。 「瞬、庭くらいなら歩き回ってよいと言ったではないか。そなたは客人なのだぞ。まあ、ゆくゆくは想い人となって、それから余の奥になってくれればと思っておるが……」 「は、はあ……」 いきなり入ってきてわけのわからないことを言うハーデスに、瞬はおもいっきり引いた。 それはどんな未来絵図なんだろうと少しあっけに取られながらも、瞬はお散歩しようと差し出されたハーデスの手を取る。 「いいんですか?」 「なにが」 「私が間諜だと思いません?」 瞬がそう問うと、ハーデスはただかんらと笑い出した。 「そなたは間諜できるほど器用ではあるまい」 行くぞと手を引かれ、瞬はからころと下駄を鳴らしてついていく。 季節は実りの秋――稲刈りの時期なのでどこの国でも戦は少しお休みだ。 故国でも今頃稲や麦を刈り取っているのだろうか。 「国に帰りたいか」 「帰りたい……帰って兄上や沙織さんに会いたい、みんなに会いたい……」 戻ることはもはや叶わぬだろう、懐かしい山野を思い、瞬は寂しさで顔を伏せた。 どんなハーデスが慰めてくれても消せない望郷の思い。 戦場を駆けているときはまだ良かった――これが太平に繋がると信じたから。 薄紅色の姫武将、今は冥王の手の中。 「そなたの望みならなんでも叶えてやりたいが帰すわけにはいかぬ。まだ共寝もしておらぬのだぞ?」 「しません! そんなことっ」 ぷいとそむけた顔がほんの少し朱に染まる。 可愛いなと思う、その唇で冗談だと言いながら、ハーデスは紅に染まりゆく自国の山野を見つめていた。 「そうだ、そなたに見せたいものがある」 「え、なんですか?」 「ふふ、ついてこい」 そう言うとハーデスはまた瞬の手を引き、館に戻っていく。 正門を通り過ぎるときも門番たちの顔はどこかにこやかで、まるで微笑ましいものでも見ているかのようだ。 そんな扱いに瞬も流石に面食らう。 ずんずん進んでいくと広間に出た。そこで数名の侍女たちが綺麗な着物を広げている。 沙織のそれに勝るとも劣らない、豪奢な品々に瞬はまた驚きを隠せない。 「あの、これは」 「そなたのために選んだのだ。いつかそなたと、今のように一つ屋根の下に暮らせると思ってな」 するりと部屋に入り、飾られている錦や絹に手を触れる。 侍女達はハーデスの指示により、ふたりだけを残して退室していった。 瞬にはそれらに触れることさえ禁忌のような気がして、部屋に入ることすら出来ない。 「こら、何をしている。そなたのだぞ」 「い、いえ、私には」 けれど傍らに袖を通すこともなく飾られたままの綾の小袖もまた、瞬の女性を呼び覚ます。 瞬はハーデスに促され、部屋に入った。 「あ、あの」 「さて、アテナはそなたに綾のひとつも恩賞にやらなんだと見える」 くくくと小さく笑いながら、ハーデスは手ずから小袖を取ると、ふわりと瞬の肩に着せ掛けた。 亜麻色の髪に、白く美しい肌。 なるほど戦場で散らせるには惜しい花だ。 「袖を通してみよ。遠慮は要らぬ」 「私を懐柔してどうするつもりですか? 何をされても情報を流したりはしませんよ」 「そんなことは期待しておらぬ。そなたはただ余のそばにいればよい」 「そんな私に何の価値があると?」 瞬が厳しくハーデスを見つめると、彼はまた苦笑した。 「言ったであろう。戦場でそなたを一目見たときから惚れたのだと」 「で、でもそれだけなのに」 「それだけでいいのだ」 言うなりハーデスは瞬を抱きしめ、その唇を奪った。 「!」 口吸いは、瞬の魂さえ奪うかのような錯覚を覚える。 「い、いやっ」 「ふふ、可愛いな」 やがてハーデスは仕事だからと瞬のそばを離れた。 彼がいなくなってから、瞬はぺたりとそこに座り込む。 戦場のど真ん中で惚れた腫れただのと、よくもまあ言えたものだ。 得体の知れぬ感情を我が身とともに抱きながら、瞬はぽろぽろと涙をこぼす。 かわりに冥王手ずから選んだという紅色の綾の小袖に身を包み、ちょこんと座っている。 「い、いや……」 これ以上私に触れないで。 瞬は我が身を抱いて泣いた。 私に触れたら、みんな死んじゃうから。 ダイダロスも――そして、ハーデスも。 死んでほしくないと、思ってしまったとき。 血が噴出し首が飛ぶ阿鼻叫喚の戦場で、彼女は再び冥王と相対する。 燃え盛る城をあとに、黒銀の甲冑の男は振り返る 彼岸花が咲き乱れるその丘で、彼はただ一人 真紅に染まる世界を見た 侍の世に親王位など虚構に等しい。 先帝の皇子に生まれながら兄らによる姦計に陥り、都から遠い遠いこの地まで落ち延びてきた。 幸い、斎宮だった姉に助けられ、生命こそ無事だった。 けれどあの雅な世界がもう届かないという苛立ちが彼の国を大きく育てる一助となっていた。 気がついたら戦国でも珍しい、皇族出身の武将が統治する国家になっていた。 多くの家臣に傅かれ、彼は善政を敷き、他国からの侵入にも屈することなく撃退してきた。 「それも、もう終わりだな」 隣国の聖域との小競り合いは長く続いた。 一時は総大将を捕らえた事もあったが、姫武将と交換し、和議を結んでいたのに。 ハーデスの中にどんな心変わりがあったのかは分からない。 ある日突然、ハーデスは瞬を沙織の元に返すと言い出した。 駕籠に載せられ、丁重に故国に帰されるそのときの瞬の切なそうな顔を、ハーデスは今このときも忘れない。 あれはきっと、少しでも心を寄せてくれていたからだろうと、自分勝手に解釈して。 姫武将を解放し、故国に帰してすぐ、冥王は聖域に総攻撃を仕掛けたのだ。 双方に多大な犠牲が出た。 しかし数で劣る聖域軍が死に物狂いの猛攻を見せ、冥王城は落城の憂き目を見る。 都にいた頃から仕えてくれていた武将のほとんどが討ち死にし、パンドラもまた、もはやこれまでと冥王自ら手にかけた。 冥王に従っていた二人の勇将も、アテナの腹心達に討ち取られる。 ひとり落ち延びたハーデスは城のすぐ脇にある小高い丘に立っていた。 振り返れば城は紅蓮に染まり、その焔は天を焦がす勢いだ。 「鉄壁の城などありはしないと、余はそう知っていたはずなのにな」 ひとりごち、ハーデスはふと天を仰ぐ。 「ああ、綺麗だ……」 紺色の夜が丘の向こうから迫ってくる。 煌く星は某国の憂いを歌ってくれるだろうか。 刃毀れした刀を支えに、ハーデスは苦笑して見せた。 今頃聖域軍が自分を探しているだろう。 まだ戦えるがこの刀ではいくらも応戦できまい。多勢に無勢にもほどがある。 敵の手にかかるくらいならいっそとハーデスは傷ついた長刀を捨て、脇差を取った。 その場に座り込み、兜の緒を緩める。 「今一度、瞬に会いたかったな……」 彼女に手にかかるならそれもまた良いと、そう思いながら。 ハーデスは己が首に刃を当てる。 「さらばだ、瞬」 彼岸花を植えたのは、いつでも君を思っていたかったから そして 「い、いやああああああ!!」 瞬は丘の上にいる黒銀の男を見つけた。 けれど遅かった。 彼の体がぐらりと傾いだ瞬間、遅かったのだと悟ってしまった。 縺れるように走りながら近づくと、彼はすでに息絶えていた。 彼の白い顔に血飛沫がかかり、流れた血が大地を染めている。 辞世の句も残さずに――最期の言葉も聞けないまま。 ハーデスは自ら命を絶ったのだ。 都を落ち延びてひとり、強大な国を築き上げた男の最期もまた、ひとりきりだった。 がくりと膝をつき、瞬はハーデスの死体を抱き起こして泣いた。 「なんで、なんで死んじゃったの……どうしてっ……」 血に濡れた彼の頬に自分のそれを寄せる。白く眠る彼の血はまだ温かい。 がくがくと体を揺すっても、彼はもう目覚めない。 どんなに揺さぶり、声を上げても死者は帰らない。 薄紅の甲冑がしゃらしゃらと涼やかな音を立てていた。 「私のこと、好きだって言ったのに……言ったのにぃ……」 投降さえしてくれたら、沙織はハーデスを殺さずにおくつもりだと言っていたのだ。 かつて海皇水軍を傘下におさめたときのように、彼にも盟友としての地位を約束するはずだったのに。 それなのに、それなのに。 「どうして……あなたのこと、好きだって言いたかったのに……」 お願い、目を開けて。 抱き締めて、名前を呼んで。 瞬はハーデスの唇に自分の唇を触れさせた。 けれど何の答えもなく、ただ鮮血に唇が染まるだけ。 「ハーデス……ハーデスぅ」 ハーデスの遺体に縋り、瞬は真紅の世界でただひたすら泣き続けていた。 それを、沙織と星矢たちが遠くから見つめていた。 「私はね、もしハーデスが生きていたなら、瞬と娶わせてあげるつもりだったのよ。瞬が彼のそばにいる間に、瞬もまた惹かれているようだったから」 でももうすべてが水泡に帰したのだと、沙織は落胆の思いで目を閉じる。 聖域軍と冥王軍の戦いは聖域軍の勝利で幕を閉じた――多大な犠牲と恋の終わりとともに。 冥王軍との戦からしばらく後、沙織はある寺を訪ねていた。 出迎えてくれた尼僧はにこやかに、でも切なそうに沙織を本堂に案内する。 「どう? 寺の暮らしにはもう慣れた?」 「ええ、私しか居ませんし。今はこうやって静かに暮らせるのがありがたくて」 そう言って静かに笑った尼僧に沙織は涙を禁じえない。 「ごめんなさいね」 「いいえ。誰のせいでもないんです。それが戦国の世の慣わしなんですから」 だから泣かないでと尼僧は沙織の背中をなでた。 「瞬、あなた」 「大丈夫です。私は――」 たった数日、彼の館で過ごした。 あの時間だけ、私達は恋人同士だったと。 ハーデスと冥王軍は聖域軍によって手厚く葬られた。 彼らが埋葬された寺はのちに尼寺となり、ひとりの尼僧が乱世から離れて余生を送ったとされる。 その尼僧がかつての紅姫武将であったことは、ただ歴史のみが知っている。 ≪終≫ |