時の森のソワレ 白い雪の降る鮮やかな世界で出会ったふたり 未来の俺たちはいったいなにをしていますか? ガオンは固まっていた。 自分が見舞われている今の状況が全く理解できずに。とにかく状況を整理しようと必死に記憶をたどる。 まず、旅に出た。 作りたい物を探すはずの旅も今では恋しい狐に出会えないかと、そっちばかりに心が向く。 小春日和というには時期的にまだ早かったのだが、それでも今日はいい天気、休息もかねて木の下に刹那の宿をとったのだ。 「そうだ、それだけだったはずだ……」 仮眠を取ったのはほんの10分程度だったはず。 それなのに、なんだこれは。 ガオンは自分の膝の上にいる、当年とって1歳程度の子供を見つめた。 子供は自分と同じ狼の耳と尻尾を持っている。髪はさらさらに柔らかそうな金色。瞳は愛くるしいほどに円らで黒いが、角度によってはダークブルーにも見える。 着ている物はといえば結構上質なもので、その辺の子供とも思えない。 しかしなんだってこの子は自分の膝の上にいるのか。 迷子か、捨て子か。 どちらにしても自分には関係ないはずの子供。 置いていこうかとも思ったが、流石にそれは憚られるものがあった。 「まったく、一体なんなんだ……」 「なんなんでしょーねぇ。その子」 背中から聞こえてきた声にガオンの背中がびくっと揺れた。おそるおそる振り返ると、その声の主も木に背中を預けているのか、金色の尻尾しか見えなかった。 けれど、ガオンにはそれが誰だかわかっていた。 機嫌の悪いときの、低い声とともに。 ガオンはその子を抱きかかえて声の主の下に走った。 「誤解だ! 目が覚めたらこの子が私の膝の上に! 誓って知らない子供だ!」 「俺まだ何にも言ってないけど」 必死の弁明が面白かったのか、声の主はくすりと笑う。 鮮やかな金の髪と狐の耳、白磁の頬が美しい彼女こそ、悪名高きかいけつゾロリだ。 彼女は笑いながらガオンから子を抱きうけた。 「可愛い子だなー。名前は?」 「いや、知らない子だから」 ガオンがそういうとゾロリはむっと表情を変える。 「確認しろよー。服の端にタグとかついてんだろーが」 これだから王子様はとぶつぶつ言いながらゾロリはその子のおしりのポケットに入っているネームタグを見つけた。 「あ、迷子札」 綺麗な山吹色の袋に入れられているそれはクレジットカードほどの大きさだった。多分GPS機能もついているだろう。 「名前はエルンスト……エルくんね」 「男の子なのか」 「お前ねぇ、テンパるにも程があるぞ」 ゾロリにたしなめられてガオンは唇をかんでそっぽ向いた。王子様はこういう世俗やら気遣いに疎い。 「それ以上の情報はないなー。親御さんの名前とか分かればいいのに」 「そういえば双子は? プッペ君もいないようだが」 「あいつらはおつかい中。で、どうすんの?」 さりげなく話をそらしたのにあっという間に戻された。 子供はゾロリにだっこされてご機嫌に笑っている。 そして無遠慮にゾロリの乳房を着物の上からぺちぺち触っている。 「どうするって、こういう場合はどうすればいい?」 「警察に届けるの!」 ゾロリがはいと子供を差し出す。 迷子にせよ捨て子にせよ、それが世間の常識と言うものだ。ガオンは子供を受け取りかけて、思い直したように手を引っ込めた。 「君が届けてくれないか」 「俺に捕まれって?」 「……そうだった」 王女のように振る舞い、有能に見える彼女も本業は怪傑。泣く子も黙るかどうかは知らないが、警察関連の人間にとっては結構な有名人である。 警察に出向くのは自首に等しい。 「忘れてたよ、君がかいけつゾロリだってことを」 「おう、思い出してもらえてよかった」 だからひとりで連れていけとゾロリはガオンにエルを抱かせようとした。 とたん、エルがいやいやするように暴れながら泣き出した。 「えー、ガオンはいやなのかー?」 ゾロリの問いに呼応するようにエルは彼女にすがりつく。絶対に離れないとばかりに彼女の胸元の布をぎゅっと握っていた。 「さっきまでおとなしくガオンにだっこされてたのに」 「やっぱり女性の方がいいんだろう」 任せたとばかりに微笑むガオンにゾロリも仕返しを忘れない。 「おまえの隠し子説、捨てたわけじゃないからな」 よしよしとエルをあやすゾロリの言葉はガオンの胸をえぐる。 「だから! 私の子供じゃないって!」 第一身に覚えがないとガオンは言い張る。 「ほー、どうだかねぇ」 エルはどうみても狼の血統だ。ゾロリが生んでいない以上、ガオンの隠し子である可能性は十分にある。 ガオンへの不信は募っても子供のかわいさは別物らしい、ゾロリは胸に抱いた子へ優しい笑顔を見せている。 「とにかく警察な。おまえも一緒に来い」 「……君を逮捕されるわけにはいかないか」 おつかいから戻ってきた双子とプッペにも事情を話し、一行は一番近い警察に向かった。 道中、ガオンとゾロリは子供のことでずーっと揉めていた。やっぱりガオンの隠し子説は今のところもっとも有力な説で、それで始終ゾロリの機嫌が悪い。 ほかの女との間に子供がいる、という仮説は彼女の嫉妬を煽っている。嫉妬されるほど愛されていると思えばそれはそれで嬉しいが、やっぱり身に覚えがないから、誤解を解くところからはじめなくてはならない。 ゾロリの腕の中の子はといえばべたーっとゾロリにくっついて嬉しそうに笑っている。 (あれー、この子……) ゾロリのそばを歩いていたプッペが首を傾げた。 この子から、普通に人にはわからないにおいがする。 プッペはその事実を告げようかどうか迷っていた。ゾロリの機嫌があまりにもよろしくないからだ。 (どうしようっピ……) この子から、ゾロリとガオン、二人のにおいが均等にするだなんて。 警察署の前までわーわーぎゃーぎゃーと喧嘩しながら、一行はなんとかたどり着いた。 「じゃ、この子預けてくるからちょっと待っててな」 「はーい」 双子とプッペは素直に返事をして、警察署に入っていく二人を見送った。 「まったく……」 「えーと、迷子課は」 「こっち」 警察内部の案内板を見ながら、ゾロリが指さす。ガオンもそれに従って彼女の指に自分のそれを並べた。 それを見つめてエルがにこっと笑う。 「さ、行こう」 「ああ」 ふたりはエルを抱いて迷子課に向かった。 中に入ると迷子や、迷子を迎えにきた親御さんがいた。と言っても数組いるだけで基本的には静かだった。 ゾロリが係りのおばちゃんに話しかける。 「あのー、迷子を拾ったんですけど」 「ああ、ありがとうねー。そこに座って」 言われるまま席に着くと、おばちゃんはゾロリに張り付いているエルをみた。 「その子?」 「はい、実は知人が木の下にいたのを拾ったとかで」 「そちらの方?」 おばちゃんが視線でガオンを示す。ガオンはゾロリに睨まれて彼女の横に座った。 「木の下にいたこの子を、私が見つけました。それで彼女に付き添ってもらってここへ」 「そうでしたか。では手続きを」 迷子拾得書を書いてもらおうとおばちゃんが書類箱へ手を伸ばしたとき。 「ままー」 「……へ?」 エルがゾロリに向かって伸び上がり、その柔らかな頬に手を触れさせた。そのままさらに伸び上がってすりすりと頬ずりさえする。 「え、ちょっと」 エルはゾロリの頬に満足すると今度はガオンに手を伸ばす。 「ぱぱー」 「……は?」 今度はガオンにだっこしてもらうのとばかりに腕と足をばたつかせた。仕方なくガオンが抱き受けるとエルは嬉しそうに彼の腕に収まった。 「あんたたち……」 おばちゃんの声にドスがかかる。 ゾロリがおそるおそるそちらを見ると、おばちゃんは笑顔をひきつらせていた。 「その子、迷子じゃないでしょう?」 「いや、正真正銘の迷子で」 どうかしらとおばちゃんはエルに話しかけた。 「エル君、エル君のママは?」 「ままー」 エルは問答無用にゾロリを指した。ついでにこっちがパパとガオンを指す。 決定的だ。 ゾロリとガオンの必死の説明も空しく、おばちゃんは二人を追い出しにかかる。 「うちは託児所じゃありません!」 子供自慢ならよそでやれと、ふたりはぽーんと部屋を出された。 「何故だ!?」 「ガオンがパパなのはともかく、俺がママなのが納得いかない!」 「いや、私だって父親じゃない!」 じゃあいったい何なんだと迷子課の前で再び喧嘩。 ドアの隙間からおばちゃんが睨みつけていたのに気がついて、二人はそそくさと警察を後にした。 「引き取ってもらえなかっただか?」 「そうなんだよ。これからどうしよう……」 ガオンはこのままゾロリに子供を預けて城に帰ることもできる。しかし今エルはガオンの腕の中にいてすこーっと寝息をたてている。大体からしてここで逃げるわけにもいかなかった。 そのとき、イシシがそうだと声を上げた。 「せんせ、その子魔法の国に連れていったらどうだか? 魔法で身元を探してもらうだよ!」 イシシの発案にそっかと明るい声を出すゾロリ。 以前同じように捨てられていたエディを拾ったとき、彼女はその子を魔法の国へ連れていった。そこで数日面倒を見、訪ねてきた親御さんに彼を引き渡している。 「イシシ、えらーい」 ゾロリはイシシを抱きしめてその頬にご褒美とばかりに口づけた。 「えへへー、褒められただよ」 「あー、いいだなー」 でれでれのイシシとそれを羨ましがるノシシに優しい苦笑をこぼし、ゾロリはガオンからエルを抱きとった。 「というわけだから、魔法の国に行こう」 「当然、私もだね」 「当然」 車を出してねといたずらっぽいウインク。ガオンはもう諦めた。我が子でないことさえ立証できればと、それだけしか願わなかった。 ガオンの運転する車に乗って魔法の国へ。 到着すると鮮やかな色彩に覆われた町並みが目に入る。久しぶりに来るこの街には、いろいろな思い出がある。 「とりあえず情報局にいくか。ロジャーもそこにいるだろ」 「ロジャーって、エージェントの?」 「そう。今は情報局副局長だけどな」 魔法の森の封印解除から犯人逮捕に至るまでの功績を鑑みて、ロジャーはエージェントのチームリーダーから副局長という地位に出世していた。 「ゾロリ、私は情報局に行ったことはないんだが」 「大丈夫、俺が顔パスだから」 行こうねーと向けた優しい顔はエルへのもの。 ゾロリの先導に従って一行は情報局への道を歩きだした。 そして到着すると、ロジャー自らゾロリたちを迎えてくれた。 「久しぶりだな、ゾロリ」 「よぉ。ロジャー」 「また面倒事か? 今度はなにをやらかした?」 よくよく聞けば彼女は警察に追われるたびに治外法権を利用して逃げ込んでいるという。 それはガオンの知らないゾロリの一面だった。 それとも知らず、ロジャーはゾロリと話し続ける。 「私もそうそう庇いきれないぞ、ゾロリ」 「いや、今日はそうじゃないんだ。ちょっと調べてほしいことがあって」 「調べてほしいこと?」 「そ」 そういったゾロリの胸に抱かれた赤子とそばにいたガオンを見て、ロジャーはああと複雑な表情で得心した。 「お、おめでとうと言うべきなのかな?」 「いや、違うから。そういう誤解を解くために来たんだ……」 大体日数がいろいろあわないだろうというと、ロジャーはそうかと納得した。 「その子の身元を調べればいいんだな」 「頼むわ」 エルはロジャーを見つめてうー? と小首を傾げる。 そして不安そうにゾロリを振り返った。 「大丈夫だよ。このお兄ちゃんは怖くないからね」 「う」 ゾロリにそう言われて納得したのか、エルはロジャーに手を伸ばす。だっこを要求しているのだ。 「抱っこしてやって。たぶん泣かないから」 以前エディを抱っこしたときはそれはもう大泣きされたものだ。ロジャーはおずおずとエルを抱きとった。 エルには未知の感覚だったはずだが、慣れるとそこも悪くなかったらしい、きゃっきゃと歓声を上げはじめた。 「初めて子供に懐かれたよ」 「そりゃよかったな」 早速調べようとロジャーがエルに手をかざした。 「プッペ君にはわかるだろう」 指名されてプッペは刹那驚いたが、気を取り直してうんと頷いた。ロジャーに変わってプッペが説明する。 「子供の頃は誰でも、二つのにおいを持ってるっピ」 「におい?」 「科学的には遺伝要素とでも言うんだろうな。両親の遺伝子をほぼ半数ずつ受け継いでいる。成長するにつれてやがて自分のものとして精製していくんだが」 「その精製が終わるまでは、お母さんとお父さん両方のにおいがするっピ」 出生直後は母親のそれが強いが、日が経つと父親のにおいも出てくる。成長するにつれてそのにおいは徐々に一個のものとしてブレンドされてくるという。 それは魔法使いやおばけといった種類の存在には分かりやすいらしい。 「じゃあ、プッペにはわかるの?」 ゾロリが問うと、プッペは小さくうんと頷いた。 「でも、かすかにしかわからなくて」 「なんだ、そっか」 「それを魔法で確認するよ」 どこからどう見ても狼の血統に見えるが。 ロジャーはかざした手に魔力を込めた。この子の遺伝的なにおいを解析するために。 しかしどんなに魔力を込め、時間をかけてもこの子の遺伝情報を得ることはできなかった。 「そんな、バカな……」 「どうしたんだ、ロジャー」 不安になったゾロリが彼に駆け寄る。額に汗を見せるロジャーからエルを抱きとった。 「ゾロリ、その子は何者なんだ」 「だからそれを調べてほしくて」 「その子は、この世のものじゃないぞ……!」 ロジャーの言葉が一同の胸に重くのし掛かる。この子は確かにここに存在しているのに、この世のものじゃないというのはどういうことだろう。 「魔法が通じない。魔力も感じない幼子なのに……魔法が弾かれるような感じだ」 「それが、この子がこの世のものじゃない理由?」 「魔法使いの私にはそう感じられた」 「そんな……」 こんなに可愛いのに、この子はこの世に認められない存在なの? 「おばけの類、ということか」 ガオンの問いにロジャーはいいやと首を振る。 「いや、そういう事じゃない。この子は確かにふつうの子供だ、それなのに」 どういうことなんだと自問しかけたロジャーの言葉を遮って、天から声が降ってきた。 (その子のことは、私が説明しましょう) ゾロリがあっと声を上げる。 この柔らかな女性の声には聞き覚えがあった。 「ナジョーか!」 (そのとおりです、ゾロリさん) きらきらと虹色の光を放ちながら、その女性はしとやかにたおやかな、透き通る姿を一同の前に見せた。 彼女こそ、めったに姿を見せぬ魔法の森の守護精霊。その名をナジョーという。 姿を作り終えたナジョーはゾロリをみとめてにこりと笑った。 「お久しぶりです、ゾロリさん」 「久しぶりー。元気だった?」 「はい。私はかわりありませんわ。それよりそのお子さまのことなんですけど」 旧交を温めるまもなく、ゾロリはそうだったとエルを抱きなおした。 ナジョーはにこりと微笑む。 「そのお子さまはそちらのガオンさんのお子です」 ナジョーの指摘に一同ばっとガオンを見る。ガオンはなにが起こったのかわからず、思わず自分を指さした。 「わ、私?」 「ほー、やっぱりそうかぁ」 「ちょっと待ってくれ、いくらその子が私と同じ狼だからって短絡的すぎないか!?」 「往生際が悪いぞ、ガオン」 認知しろよなとゾロリが迫る。その唇を軽くかみしめながら。いたたまれない空気の中、ナジョーは続く言葉を忘れなかった。 「で、その子の母親なんですけれど」 「ん、母親」 そうだそれが大事だとガオンは気を取り直す。 父親は自分だと言われても相手の女性に心当たりがない以上、信じられない。 「は、母親は誰なんだ」 「母親は、ゾロリさんです」 にこっと笑顔を絶やさないナジョーを前に、今度はゾロリが固まった。 「え? 俺? あれ? 生んだっけ?」 「ちょっと待ってくれ、訳が分からない。父親が私で、母親がゾロリ?」 「はい、そうです」 「……覚えがないんだけど」 「正確に言うと、3年後のお二人がその子のご両親です」 もう少し詳しい話は彼らにお願いしましょうと、ナジョーは客人をその場に招き入れた。 彼らはとても明るく、その場に入ってきた。 ひとりはとても高貴そうな眼差しの、鈍金色の髪をした男。もうひとりは腰まで伸びた金髪を鮮やかに揺らしている女性。 男は狼で、女は狐だった。 部屋に入ってくるなり、女はあーっと声を上げた。 「エルだ! やっぱりここにいたぁ!」 女性はぱたぱたとゾロリに近づくと腕の中のエルをよしよしと撫でた。エルもまま、ままと女性に腕を伸ばす。 男がほうと感心したように近づいてくる。 「君の記憶の確かさには驚くよ。よく4年前のことを覚えていたね」 「そりゃあもう。てか、困ったときの魔法の国だもん」 「あ、そういうことか」 男も自分の記憶をたどっているらしい。 呆然とする一同を前にナジョーだけがやはりのほほんと笑みを絶やさない。 「ナジョー、この人たちもしかして」 「はい。4年後のゾロリさんとガオンさんです」 一瞬の沈黙の後、悲鳴が部屋を揺るがした。 「改めまして」 一同がそれぞれ席に着き、エルの正真正銘の両親が自己紹介をはじめた。 女が男を示して言う――4年後のガオンだと。 男が女を示して言う――4年後のゾロリだと。 「そして長男のエルンスト。今のところ一人息子でーす」 「あーう」 母親の膝の上でエルは元気にお返事をする。 「今の時間から数えて3年後に生んだんだ」 4年後のゾロリがそう教えてくれた。 ガオンも驚愕に彩られた顔で4年後の自分を見つめている。視線に気づいた未来のガオンがふっと穏やかに微笑んでみせた。 「なるほど、未来からきた子なら魔法を弾くはずだ」 「においがかすかなのもそのせいだったっピね」 ガオンとゾロリのにおいがするのも当然だったのだ。 そこにエルに近づいていたイシシとノシシが未来のゾロリに尋ねた。 「んだども、なしてその未来の子供がこんなとこさいるだ」 「んだんだ」 4年前のイシシとノシシを見つめるゾロリの瞳は懐かしさを押し出していた。 「4年前はまだこんなに背が低かったんだなー。と、懐かしがってる場合じゃないな」 質問には答えないとと未来のゾロリが未来のガオンを見つめる。彼はうんと頷いた。 「話せば長くなるんだけど……」 お恥ずかしい話なんですがと、未来の二人は言い置いた。 今から4年後のある日。ぽかぽか陽気の昼下がり。 ゾロリは左腕に息子を抱き、右手でティーセットの乗ったワゴンを押していた。 「パパはがんばってるかなぁ」 「パパ。お仕事」 一歳になったばかりの息子はぼちぼち単語でしゃべり出す。まだ意味はよくわかってはいないだろう。 可愛い息子に優しく微笑みかけ、ゾロリは夫の部屋のドアをノックした。この時間は研究室にいるはずだ。 夫のガオンは王様であると同時に類稀なる科学者でもあった。 「ガオンー、俺ー」 「どうぞー」 入室の許可を得て、ゾロリはドアを開ける。 からからとワゴンを押して、彼女は夫のそばに近づいた。 ガオンは書類から顔を上げる。 「お茶、持ってきたよ」 「ああ、すまないね」 ガオンは見ていたレポートを脇によけると彼女の腕にいた息子を抱き受けた。 「エルも連れてきたのかい」 「たまにはね。エルだってパパが好きだよな?」 「うんっ、パパ好きー」 幼い息子が小さな手を伸ばしてくる。その小さな手を頬で受けて、ガオンは楽しげに笑った。 その間、ゾロリはお茶の用意をしている。 彼が好きなアールグレイと、ゾロリが好きなフルーツたっぷりのロールケーキが今日のおやつ。 「はい、ガオン」 「ありがとう」 差し出されたカップを受け取ってガオンはテーブルの上に置いた。膝の上にはエルがいる。 「エルは温かい牛乳ね」 「にゅーにゅー」 まだうまく牛乳と言えないところも可愛いなあとゾロリはエルを撫でてやる。気をつけてと言われ、受け取ったのはガオンだ。エル専用のミルクカップは温かく、甘い匂いがした。 ゾロリは自分の茶とお菓子を置くと、そばにあったスツールを引き寄せて座る。金の尻尾が楽しげに揺れていた。 「なに作ってたの?」 「ブックラコイータを改良してたんだ」 「お前……立体コピー機作るって言ってたのに」 世界で一冊の聖典・ブックラコイータ。 ガオンはそれの模倣品を作っている。結婚前に2冊持っていたから、このブックラで3冊目のはず。改良に改良を重ねるのはいいが、何故ブックラ……。 呆れてため息をつくゾロリにガオンはかっと頬を赤らめた。 「べ、別にいいじゃないか。息抜きだ」 「まあ、いいけどさぁ」 やれやれと紅茶を口に含む妻を見、ガオンはむっと研究室の隅を指した。 「立体コピー機もちゃんと作っているよ! 見ろ!」 ガオンは膝に抱いていたエルをゾロリに預けるとつかつかと四角い何かに近づいた。そしてかかっていたベルベットを外す。 「どうだ!」 現れたのは2ドアの冷蔵庫。のような形をした機械。 ゾロリの指先がつつっと機械を撫でた。 「ほほー。ずいぶん小型化したなー」 「これでも頑張っているんだけどね」 ゾロリもメカを作る身、夫の作ったという立体コピー機には興味津々だ。 「まあ、立体コピーはまだまだ研究の余地があるけどね」 「小さいものしかコピーできないしなぁ」 「しかも細かい細工ものやレアメタルとなるとね」 「だよなー」 王も王妃も本当にメカ作りが好きだ。二人で制作したものも少なくない。ただし、そのたびに討論という名の口論は絶えなかったが。 「実験はしたの?」 「いや、まだだが?」 「じゃあすぐやろう、今やろう!」 息子を腕にしたまま、ゾロリはわくわくと目を輝かせた。実験をするのはやぶさかではないガオンも機械のスイッチを入れた。起動までにちょっと時間がかかる点にも改良の余地がある。 「で、なにを」 コピーすると尋ねる前にゾロリはずいっとロールケーキを差し出してきた。 「コレ」 「ああ、はいはい」 ゾロリの笑顔があまりにも可愛くて、ガオンはそれを受け取らざるを得なかった。ロールケーキを上の段にセットしてふたを閉じる。 「じゃあ行くよ」 「おうっ」 「おー」 ガオンがスイッチを押す。ゾロリもエルもわくわくとコピーが終わるのを待っていた。 ややあってレンジ系の”チンッ”という音がして開けてみれば、そこには立派なロールケーキが鎮座している。 取り出すとそこにはやっぱりロールケーキ。 「わお! 本物そっくりー」 「こっちの方が本物。君が持っているのがコピーだ」 「食べられる?」 「さあ、そこまでは」 といったのに王妃は自分の身分を忘れていたようだ。エルを椅子の上におろし、ついっとクリームを指で掬ってみた。そして迷わず口に運ぶ。 「こら、ゾロリ」 「んー?」 「君は王妃なんだぞ、なんでもかんでも食べるな!」 「あ、忘れてた。でもこれ食えるぞ」 ゾロリはスポンジも摘んでかじった。ふんわりと柔らかいベージュの生地がおいしかった。 さすがに王たるガオンは口にしなかったが、食べられるとわかるとまじまじとコピーを見つめる。 その、一瞬だった。 ふたりがエルから目を離した、ほんの一瞬。 椅子から降りていたエルンストがよちよちと機械に近づいていたことを、ふたりは知らなかったのだ。 「で、あわてて探したってわけ」 王子の不在に気がついた二人は、研究室はおろか、城中を探し回った。しかし王子は見あたらない。 「まさかとは思うけど……」 「まさかだろ。コピー機で時空を越えちゃった?」 まっさかあと笑う王と王妃。 しかし笑っている場合じゃない。現に一人息子のエルは姿が見えない。そしてコピー機は起動したまま。 万が一時空を越えてしまっている場合は自分たちの手には負えない。 二人はそっくりのスタイルで少し考える。 ぽんと手を打ったのは王妃の方だった。 「そうだ、こういうときこそ魔法の国! そこでエルの行き先も占ってもらおう!」 善は急げとばかりに走り出したゾロリの後を追って、ガオンもまた走り出していた。 「というわけで4年後の俺たちは魔法の国でエルの行き先を尋ねた。そして4年前に飛んでいることを知ったんだ」 「で、こちらのナジョーさんにお願いして魔法で4年前にとばしてもらったってわけだ」 そのあと、未来の二人は闇雲にエルを探すことはしなかった。過去の自分たちがエルを伴ってここに来ることをナジョーから聞いていたからだ。 「来てくれてありがとう。さすが俺たち」 未来のゾロリが席を立ち、今のゾロリの頬に口づけた。 さらりと流れた金の髪に甘い香り。 流石のゾロリも突然のことにぽおっと頬を赤らめていた。未来のゾロリがふふふと笑う。 そして彼女はナジョーに向き直った。 「まだ時間はいいよな?」 「ええ。あと6時間ほどは」 「結構あるな」 おいで、と未来のゾロリが今のゾロリに手を差し伸べた。 「え、あの」 「ちょっと話をしよう」 未来のゾロリはひょいとゾロリを立たせて連れていった。もちろんエルも一緒に。 そんな妻ふたりの背中を見送って未来のガオンも笑う。 「じゃあ、私たちも話をしようか。聞きたいことがたくさんありそうだ」 未来のガオンも、今のガオンを促した。 ガオンはゆっくり立ち上がり、未来の自分の背中を見つめていた。 はいと差し出されたのはミルクティーの缶。温かいそれをゾロリは静かに受け取った。 プルタブを持ち上げて開ける。ほんのりと紅茶の匂いがした。 「まだ迷ってるだろー?」 「え」 「ガオンのこと」 未来の自分はエルをあやしながらこともなく言ってみせる。未来の自分はガオンと結婚して子供もできたらしいが、今の自分からはとても想像できなかった。 今の自分にはイシシとノシシがいる。プッペもいる。でもガオンのことは好きだし、非公式とは言え婚約もした。 しかしそれ以上にゾロリには大事な問題があった。 「パパのことは……」 「うん。まだ探してる」 「お城にいて?」 4年経っても、彼女の父親は見つからなかったらしい。ゾロリは諦めたのではなく、別の道をとることにしたらしい。つまり、ガオンと結婚しても父を捜すという方法を。 「ガオンは何にも言わないで、手を貸してくれた」 たったひとりの女の家族を捜すために王族が手を貸すなど、本当ならあり得ない。だけど個人的に探していたときと違って目撃情報は格段に増えたと彼女は言う。 「イシシとノシシは」 「ちゃんと一緒にいるよ。この子のお兄ちゃんをやってくれてる」 膝の上のエルは過去のゾロリも母と認めてだあだあと手を伸ばしてくる。 ゾロリは泣きそうにその手に自分の指を触れさせた。 未来のゾロリは微笑んで見せた。 「子供、可愛いよ。ガオンもね」 あいつはいい男だよと彼女は笑った。その笑顔が余りにも鮮やかで、ゾロリはついつい泣きたくなった。 「いろいろ聞きたいだろうから、一つずつ尋ねてくれるとありがたい」 最初にそう言って、未来のガオンは今のガオンを促した。 「えっと、まず、母上は」 「ご健在だ。ただし現在……4年後の今は退位なさって上王となられた。今は私が王だよ」 上王は先代の王の尊称だ。やはり自分が王位につくのかと、今のガオンの心中は複雑だ。 「ゾロリとは」 「今から1年後に結婚した。エルが生まれたのはさらに2年後のことだよ」 こちらはそろって缶のコーヒーを飲んでいる。 「私はすべてを受け入れたんだ――彼女のすべてを」 双子を、父上を、旅を、そしてかいけつとしての彼女も。 「残りの人生の3分の1でいいからほしいと言った」 「そしたら?」 「泣かれた。そして抱いた」 我ながら……と今のガオンは頭を抱える。確かに今だって泣きじゃくるゾロリを、その身を抱いて慰めてはいるが、それをさらっと言われると何となく恥ずかしい。 「彼女のすべてを受け入れるのは並大抵のことではない、それを覚悟してのことだ」 「ん、だとは思う」 ガオンの返事に未来の彼は笑う。 「今でもいろいろ大変さ。なんせ彼女は何一つ変わらないんだから」 太子妃に、そして王妃になっても。 美しさも優しさも賢明さも、そして無鉄砲なところも。 飲食物に関しては毒味もしないし。 「妊婦なのに平気で木や塀に登るんだ。この前なんか4階から飛び降りかけて」 「4階から!?」 「しかも子供と一緒に」 「子供と一緒に!?」 未来のガオンが乾いた笑みを浮かべて遠くを見ていた。 「なんか、階段を降りるのが面倒だとか言ってね」 もちろんガンガン叱ったよと、未来のガオンは目を閉じた。 「でも、それでも私は――ゾロリを愛した。愛さずにはいられなかった」 そうだろうと問われ、ガオンはまた強く目を閉じる。 自分は狐だけどかまわないのかと、星空の瞳で切なげに見つめてきた彼女を、ガオンは今なお忘れない。 「心は決まっているようだね」 まあ頑張れと、未来のガオンは今のガオンの背中を叩いた。 「さて、と。そろそろ帰ろうかな」 「城を長く開けるわけにもいかないしな」 やっと見つけた我が子を抱いて、未来のふたりは幸せそうに笑っていた。 「ありがとう、この子を助けてくれて」 「あー、いやぁ」 未来の自分に礼を言われて、今の二人は何となく照れた。 「よろしいですか?」 「はい」 ナジョーが時空を越える術をかける前に。 「せんせ、せんせ」 イシシとノシシが未来のゾロリに駆け寄った。未来の彼女はエルを抱いたまま、彼らにあわせてかがんでくれた。 イシシがこっそりゾロリに問う。 「せんせ、おらたちはどうしてるだか?」 「ちゃんと一緒にいるよ。心配しないで」 左手にエルを、右手にイシシとノシシを。ゾロリはにっこり笑って二人の耳にささやいた。 「俺達をよろしくな」 それは幼い二人のいとけない恋には無情な言葉だったのかもしれない。『俺達』とは明らかにゾロリとガオンを示している。つまり双子の恋は実らぬまま終わることになるのだ。それでも、双子は泣かなかった。 せんせが幸せになるならそれでよかったから。 「……頼むな」 「ありがとだ、せんせ」 「せんせのことはおらたちにまかせるだ!」 「頼んだよ――それじゃあな!」 時空の波は紅く蒼く揺らめいて見えた。3人の体が淡い光に包まれていく。 エルがゾロリの腕の中から手を振った。 大丈夫、また会えるよ。 ゾロリが小さく手を振り返す。 今度は君のパパとママとして――たぶんね。 姿が光に溶けていく。 ガオンとゾロリはそれをずっと見守っていた。 やがて時空のうなりが収まると、ゾロリもガオンもため息をついた。 「なんか、信じられない思いでいっぱいだ」 「俺もだよ」 二人は向かい合うと、突然互いの頬を両手で引っ張りあった。 「ひゃにをふるんだ、ほろひ」 「ふるへー、ふめかほーかあいあめてんだお!」 美男美女の引っ張りあいは見ていて面白い。 「止めないのか?」 ロジャーの問いに双子がやれやれとため息をついた。 「取っ組み合いの喧嘩になったら止めるだ」 「それまでは好きにさせとくだ」 どうせ言っても聞かないんだからと双子は今なお引っ張りあう二人を眺めていた。 身ごもったとわかったのは、夏の盛りだった。 生まれてきたのは春だった。 大仕事をやってのけてくれた妻を、ガオンはお疲れさまとねぎらった。 あれから1年経っている。 「生まれながらに冒険家だね、この子は」 「そりゃ、俺達の子供だもん」 「まさか時空を越えるとは思わなかったが……」 そんな大冒険をしたとも知らず、エルは自分のベッドですやすやと眠っている。戻ってきてから調べたが、コピー機はふつうのコピー機で、時空を越える機能などどこにもなかった。 とにかく偶然が生んだ事象だったことになる。 「とにかく無事でよかったよ」 「本当にね」 このことを覚えてはいないだろう息子の頬を撫で、二人は苦笑する。 「さて、どうするかな、過去の私たちは」 「いつもどおりじゃない? 今の俺達があるから」 「それもそうだな」 それじゃあ私たちもと、ガオンはひょいとゾロリを抱き上げた。 「ふにゃあっ!?」 「久しぶりに、仲良くしようか」 「……そーゆーとこ、昔から変わってないな」 「君もね」 かぷりと耳を噛むときゅっと体を竦めるところなんか。 だけど尻尾が揺れているから。 「愛してるよ、ゾロリ」 「んー、俺も」 呟くような、小さな声。 それがかわいくて、ガオンは小さく笑みを漏らした。 「……痛い」 「それはこっちのセリフだ」 引っ張りあいすぎて真っ赤になった頬を氷で冷やしながら未だに睨み合うゾロリとガオン。 「本当にこのふたり、結婚するんだかねぇ」 「するんでねえの?」 もう勝手にしてくださいと、双子が呆れたようにため息をついた。 我らと、この子の未来に 今はまだ、繋がっていなくとも――いつか。 ゾロリがガオンの求婚を受け入れるのはこれから本当に1年後のことだった。 ≪終≫ ≪お久しぶりですね≫ ひさしぶりのガオゾロ。ご子息登場です。 自分的にはあり得ないくらい楽しかったです。未来のガオンとゾロリは相変わらずですが、こういうふたりであってほしいと思います。 どうも、すみませんでした。 |