バレンタイン。起源はともかくとしてすることは決まっている。
すなわち「意中の男性へ女性がチョコを送る」ということだ。 最近ではそういうときにしか売りに出さないようなチョコまであって、義理チョコさえ選ぶのに苦労する。
デパートに行けば、特設コーナーがあるのが常識だろう。
特にバレンタインなどは人が多い。
そして、そのコーナーには大抵女性しかいない。普通はそうである。
しかし、その場所は違っていた。
「どれにしよっかなぁ…」
一人、男性がいた。一般女性より頭ひとつ分高いその身長ですぐにわかってしまう。
本人も隠す気がないのかレジ係の視線も全く気にすることなく、チョコを眺めている。店内のほかの女性達は自分のチョコを選んではいるものの、異端者であるその男性に時折見つめていた。
すらりとした長身にカジュアルな服を身を包み、青い長髪を一束ねにし、青い眼をしている。
自分のペースで棚を覗き込み、値段とチョコを交互に見ていくと、やがてチョコを手に取る。
「これください」
1個800円はするであろう綺麗な包装紙とリボンがついたブランドチョコを置いて、その男性はにっこりと微笑んだ。


Small splinters


バレンタイン当日の星馬家の朝。
今日は早朝練習が無いらしく、珍しく家族全員が食卓にそろうことになった。
朝のニュースでさえ、芸能人のチョコの行方を追うコーナーが放送されている。
味噌汁を啜りながらなんてこともないように豪がたずねた。
「兄貴、今年はいくつもらえると思う?」
「そうだな…」
視線を宙に浮かべて、烈は指折り数えていく。
烈本人がもらえると思っている数は、委員会の女子メンバーその他面識のある女子からもらえそうなという予想で、いきなりもらえるチョコの数は含まれていない。
それは毎年のことだった。
「だいたい8個かな」
烈が答えると、豪はため息をついた。
「……今年は30個以上と見たよ、母ちゃん」
「そうねぇ。豪もここ数年チョコの数が多いから困ったわね」
「まぁ、おやつを余分に買うことが無くていいんじゃないか?」
そういうのは改造だ。改造はここ数年所属の部内からの義理チョコのみで数は決定している。
「まさか、そんな30個ももらえるはずが…」
「……」
冗談で返す烈だったが、豪と良江はじっと烈を見るので烈も黙ってしまった。
「で、でも去年16個だったから一気に増えることはないと思うんだ」
「去年の兄貴の予想、いくつだっけ、母ちゃん」
「確か3つだったわね」
「……二人とも、よく覚えてるね」
「すっげー悔しかったから」
「烈のチョコをもらって食べたら3キロ太ったからね」
理由を聞かされては、烈も黙るしかなかった。
(でも母さんが太ったのは僕のせいじゃないんじゃ…)
と思ったが、烈はあえてそれを言わなかった。

「兄貴、兄貴はチョコ買ったの?」
二人同時に玄関を出ると、豪が烈にたずねた。
「なんだよいきなり、なんで僕がチョコ買わないといけないんだ?」
その答えに一瞬きょとんした表情を見せた豪だったが、すぐに笑った。
「…そうだよな、変なこと言ってごめん」
「変なやつ」
烈は特に気にすることも無く、豪の向かう方向とは反対方向に歩き出した。
烈の高校は豪の高校と正反対の方向にあったからだ。
「本命チョコもらえるといいな、豪」
烈にとっては豪への励ましのつもりだった。毎年烈のもらったチョコに対してうらやましそうにしていたからだ。

「ああ、でも一番ほしい人からはやっぱりもらえそうにないや」

「豪?」
「行ってくる」
烈は豪の声色の変化に気づいて振り返ったときには豪はすでに鞄を持って走り出した後だった。
「……?」




◆      ◆     ◆




「はい、星馬くんこれチョコね」
「ありがとう」
手渡しでもらえるチョコは嬉しいものだ。たまに困ったものもあるけれど。
本気でバレンタインデーに告白してくる女の子だ。チョコはもらうけれど、返事はNOとしかいえないからだ。
そのたびに振ってしまうこちらも少しずつ棘が刺さる。
チョコをもらうかどうかは告白してきた彼女に尋ねてチョコだけでももらってほしいと言われたものはもらう。
気にすることは無いはずだけど、やはり気になってしまう。しばらくすればその棘もいつのまにか取れてしまうけれど。
そんな調子で、授業ごとの休憩時間、お昼休みにもらうチョコはどんどん増えてった。
”今年は30個越えるね”
そういった豪と良江の予言はどうやら当たりそうだ。
現在昼休みの時点で24個になっている。大きめの紙袋を用意して正解だったと烈は思った。
「あの、星馬くん」
「なに?」
今度は小柄な女の子だった。同じクラスでも目立たないほうの女の子。
「あの、これ…」
差し出されたのは、小さな紙袋に入ったチョコだった。
「弟の…豪くんのほうに渡してくれませんか?」
「……え?」
意外な要求に、烈はその女の子をまじまじと見つめた。
「えっと、その…直接渡したかったんですけど……塾の試験でどうしても行けなくて…ごめんなさい。星馬くんのチョコも中に入ってるから…」
「……」
紙袋の中には丁寧に包装されたチョコが2つ、1つはレターが挟まっていた。
ということは、豪に渡すチョコは本命チョコってことになるのだろうか。
豪に、本命チョコ。
また、その女の子をじっと見る、顔が仄かに火照っていた。
にぎやかであるはずのバレンタイン、しかし、本気でほしい人からのチョコを待っている、あるいは渡そうとする人の心はそんなものではなく。
期待と不安が、複雑に入り混じっているのだろう。


”一番欲しい人からはやっぱりもらえそうにないや”


そういった豪と、この女の子はどこか同じ雰囲気があったのだ。
「渡すのは構わないよ。だけど…豪はきっと受け取らないと思う」
「…え?」
「本命でほしい人がいるみたいだから。チョコを貰うだけなら、大歓迎なんだろうけどね」
「……」
また、棘が刺さった気がした。
少しだけ笑ってみるものの、なきそうなこの女の子の表情をまともに見られない。
しばらくして、女の子は顔を上げた。
「…いいです。チョコを貰ってくれるだけでも」
「じゃあ、確かに受け取っておくよ。チョコ、ありがとう」
「いいえ、豪くんによろしく伝えてください」
足早に立ち去る女の子に一瞥の視線を投げかけて、その紙袋をじっと見つめた。

(一番貰いたい人…か)

豪にはそんな人がいるという。きっとその人から貰えたら、他の何もかもが忘れられて、幸せな気分になるのだろう。
たとえば今刺さっている棘も綺麗さっぱりなくなってしまうくらい。
烈の中の思い当たる人物を心の中で思い浮かべてみた。
ジュンや、委員会の女生徒、母親。誰からももらってもきっとうれしい。現にもう受け取った人もいる。
けれど、一番もらいたい人という条件をつけると、みんな順不同で一番なんて決められない。
それはいいことだと思っていた。期待をするから期待を裏切られたときの失望は大きい。
けれど、それが叶えられたら何よりの幸せだ。
(いないんだろうな。僕にはそんなひと)
昼休み終了直前に烈が出した答えだった。

それから先の休憩時間も、放課後も、烈は増えていくチョコを受け取った。
どれ1つも無碍にはできず、本命とわかるチョコには丁寧に断りの言葉を言った。
そのとき聞かれたのは「好きな人がいるのか?」という言葉。
それには「ごめんね」と言葉を濁すことしかできなかった。

断るたびに、棘は増えていく。

自分にはこんなに好意を寄せてくれる人がいるのに、言葉でしか返せない。
ホワイトデーというお返しの機会はあるけれど、とても全員には返せない。
紙袋に詰められたチョコは30個を超えていた。
どうして、返ってこないことを知っていてチョコをくれるのだろう。
そのことはうれしい。
でも、誰も烈の一番にはなれない。



◆    ◆    ◆



「せっかくのバレンタインだっていうのに、浮かない顔してるんだな」
「そうだな、本命チョコもらって断るのがちょっとな。チョコは嬉しいけどそのぶん疲れるよ」
夕食後ののんびりした時間に豪はいたって普通の顔をして烈の部屋にやってきた。
豪がもらったチョコの数は18個、去年よりは多くなったとうれしそうに話していた。本命チョコがあったのかどうかはわからない。
豪は何も話さなかった。
「そんなもんなのか?」
「まぁな。そうだ豪、お前にもあるぞ本命チョコ」
「え、マジ?」
あれだけ渡してほしいと頼まれたのだ、きっと本命だ。
「これだな」
紙袋を渡され、豪は首をかしげていた。
あのときは豪は受け取らない、と勝手に返してしまったけど、豪はどうするのだろう。
「俺のクラスメイトからだ。レター付の方がお前の」
「あ、ありがと…」
「貰えると思ってなかったのか?」
「まぁ…そうなのかな」
少しばかり笑うと、そのリボンに挟まれていたレターを手に取り、じっとそれを眺めている。
「……」
豪は真剣にそれを眼で追う。
「烈兄貴、その子にありがとう、って伝えておいてくれ」
「わかった」
手紙の内容は豪だけしかわからない。烈もたずねる気はなかった。
「お前は貰えたのか?一番欲しい人とやらに」
「いや」
豪は首を振る。でも仕方ない、といった表情をした。答えが最初からわかっていたような。
「残念だったな」
「最初から望み薄だったから気にしてねーよ。だから今年はこっちからやることにしたんだ」
「え…」

「はい、烈兄貴」

赤い薔薇のコサージュがついた黒包装紙のチョコ。
それを、豪が烈に差し出している。なんなのか、一瞬烈にはわからなかった。
「豪?」
「言ったろ?”一番欲しい人から貰えないから自分からやることにした”って」
「……」
あの生意気でやんちゃだった豪が。
いつのまに、こんな表情を見せるようになったのだろう。
少しだけ困ったような笑みを浮かべながらも、次の瞬間には烈を圧倒するような真剣な目つきに変わった。

「好きだよ、烈兄貴」

あんまりにも真剣に言う豪に、どうすればいいのか、烈にはわからなかった。
ただ1つわかったことは、豪のチョコには棘が刺さらなかったということ。
それがどういう意味だったのか。まだ烈にはわかりかねていた。
ただ、それを受け取ってまじまじと見るだけだ。

「豪、そのチョコはどうしたんだ」
「烈兄貴にあげようと思ったから買った。本命チョコ」
「……」

かつて、これほど衝撃的な本命チョコを見たことがない。どんなにもてる人間だって、こんなことをされたことは無いはずだ。
本命チョコ。
しかも実の弟から。
豪はずっと烈をみている。
チョコと豪の表情を交互に見て、烈は眼を閉じた。
とにもかくにも、もらったんだから。お返しはしよう、うん。そうじゃないと文句が飛んできそうだ。
    告白の回答はは後回しだ。

「ありがとう、豪。ちゃんとお返しするな」

「やったー!」
「……」
いままでの豪の表情が一気に変わった。
なんだ、この状況の変化は。さっきまでのしんみりした豪はどこへ行ったんだ。
「豪…」
呆れ顔で見る烈に豪はかつてのいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「だって嬉しいだろ、好きな人からお返し貰えるんだぜ!あ、そのときまでに返事よろしくな」

「……」
    烈はぽかん、とした表情をするしかない。

「豪ー、ちょっときてくれるー?」
烈が硬直している間に豪はそのまま烈の部屋を出て行ってしまった。
硬直が解けたころには、豪がその部屋にいるはずもなく。
ただ、豪がら手渡された「本命チョコ」があるだけだ。
(どうすればいいんだよ…)
こんなあっさり同性に、しかも兄に告白することにもっとこう悩むべきじゃないのか豪。
悩んだからいままでしんみりしてたのか?
冗談なのか?本気で本気なのか豪?!
ぐるぐる心のなかで質問を繰り返してみるものの、答えが返ってくるはずも無く。


棘は吹っ飛んでしまったが、烈の中でとんでもない波紋を立てて、烈のバレンタインは終わりを告げようとしていた。






ホワイトデー編に続く?


素材提供:
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