願うは平穏な一日を。



2月14日。世が世なら、バレンタインデーと呼ばれる日。
この日はレースがなかったので、ビクトリーズメンバーは土屋研究所に全員集まり、セッティングをしていた。
「烈兄貴、烈兄貴、俺こんなセッティングしてみたんだけど、ちょっと見てくれないか?」
「またかよ豪。お前のセッティングはかっ飛びじゃなくてぶっ飛びだ、って何度も言ってるじゃないか」
「うるせーな、マグナムは、かっ飛びが命なんだよ」
烈がため息をついた。豪が烈を呼ぶのは、これで3度目だ。
最近豪はセッティングを根本から見直す方向に行ったらしく、時折烈を呼ぶ。
烈のほうは、豪が勝手にやってしまうよりは自分がたまに見ていた方が安心もできるため、めんどくさいと思いながらもちょくちょく見に行っていた。
それでも、2回目よりは幾分かましだ。
そう、烈は思った。
しかしだ。かっ飛びが信条で、ストレート重視も理解できる。それでも、自分が監修に入る以上、下手なものは作らせたくない。という烈のプライドがそこにはあった。
「あのな、豪。どんな美味しいおやつでも、同じもの1品じゃ飽きるだろ」
「な、何言ってるんだよ」
「お前のセッティングのたとえ話。言うなら…あまーいパフェを10杯連続で出されるようなもの」
「はぁ?」
「要するに、味も見ただけでわかるし、中身も知っている。飽きられるってこと」
「…俺のセッティングに飽きた、っていうのかよ」
「攻略法がわかってしまうってことだ。野球選手だって、ストレート重視でもいろいろな球を投げられるだろう」
「あ、ああ…」
「それは、ストレート一本でいけば、相手に打たれるから。あとはテクニックだけど。お前にはそういうの期待してないから…」
「悪かったな」
豪がふてくされると、烈は悪かった、ちょっと言い過ぎた。と謝った。
「そうだな…。高速重視はそのままで構わないから。もうちょっとコーナー綺麗に曲がれるようにしろ。連続コーナーではコースアウトしないことが条件」
「えー、そんな無茶な」
「お前は世界のトップレーサーなんだぞ?なんとかなるだろう?」
「兄貴の鬼ー」
あはは、と笑いながら。烈は部屋を出ていった。
「ふう…」
部屋の扉を閉め、ミーティングルームに入ると烈はため息をついた。
「お疲れ。どう?豪くんの調子は」
そう言って入ってきたのはJだった。
手には温かいほうじ茶が淹れてあり、1つを烈に渡す。
「ありがと、Jくん。豪は…まだまだ、かな?でもいい感じ」
「豪くんが烈くんに見てくれって言うの、はじめてだっけ?」
「一度、豪に”特訓してくれ”って言われたことはあるよ。まだセイバーの時に。それ以来かな」
「ずいぶん懐かしそうに言うんだね」
「いろいろあったからね」
烈は苦笑して、ほうじ茶を飲む。香ばしさと温かさが体に染みわたっていくようだった。
「あー。おいしい。Jくんって何でもできるんだね」
「土屋博士の差し入れでね。結構作ってたから」
「へぇー」
Jの意外な特技を知り、烈は嬉しそうに笑った。
「リョウくんと二郎丸くんは?」
「買い物にいったよ。藤吉くんは、チイコちゃんに呼ばれて留守」
「チイコちゃんに?」
「ダシに使われたのかもね」
Jは苦笑した。
「ダシって…」
「あれ、烈くん気がついてなかった?今日、バレンタインデーなんだよ」
「あ…、そう、だっけ」
言われて呆然とした。すっかりといっていいほど忘れていた。

「あっち」
そうJに言われて、烈は指の指す方向を向いた。
見ると、段ボールがいくつか置かれている。
「あれがどうかしたの?今日の昼に置いてあったのみたけど…」
「中身、全部チョコレートなんだ」
「ええ!?」
烈が駆け寄ってみると、確かに赤やら緑やら、色とりどりの箱が並んでいた。
「ホントだ…」
「そっちはビクトリーズ全員へってやつ。烈くんあてのは…そのうち来るんじゃないかな」
ちらりと窓を見て、意味深な笑みでいい、Jはお茶を啜った。
「そのうちって…」

「烈兄貴!大変だ!」
ばたん!と大仰に扉を開いて、豪が叫んだ。
「なんだよ豪!ドアを開けるならノックをしてからにしろ!」
「それどこじゃねーんだよ!外見ろよ外!うわ来た!」
「なんだよ…」
烈は仕方なくといった様子で外を見た。そして。

硬直した。

「な、なんだ、ありゃ…」
目の前に、巨大な茶色の塊があった。
よくよく見ると、それは人の形をしており、まるでお祭りの際に使うはりぼて人形のようだった。
こっちに、向かってきている。
「よく見てみろよ。あれ、烈兄貴だぜ」
豪は呆然とした表情でつぶやいた。
「まさか、そんな」
その茶色の塊をもう一度見てみた。帽子に、服。ご丁寧に足もとにミニ四駆型のチョコレート…ソニックまである。
「烈くんー」
直後、叫びながらこちらへ向かってくる声。
「藤吉か。またあのお嬢様だな…」
やれやれ、と豪がため息をついた。
「烈くん、このままだとあのチョコ、この研究所にぶつかるから、外に出ていたほうがいいと思うよ」
「あ、うん…そうだね」
「俺も行く」
そういうと、3人は外に出た。
タイミングよく、必死な表情の藤吉が3人の前にやってくる。
「烈くんごめんでゲス。チイコと止められなかったでゲス…」
「いったいどうしたの?」
「巨大烈様チョコを作る、っていって3日間こもった結果でゲス」
「すげーな、どれくらいチョコ使ってるんだあれ」
「わてにも想像つかないでゲス」
そう言う間にも、”巨大烈様チョコ”はこちらへ向かってきていた。
「どうするんだ?烈兄貴」
「どうするって言われても…食べきれないよ…」
「そういう問題…?」
どこか諦め状態で呟く烈にJは軽くつっこみを入れた。

「烈さまー、おひさしぶりですわー」

「元凶が来たな」
真顔で豪が呟いた。
「おい、豪」
「チイコ!いったいこんなチョコどうしたんでゲスか!」
颯爽とリムジンで登場したチイコはツン、とした表情を藤吉に向けた。
「お兄様には関係ありませんわ。私のポケットマネーならこれくらいできますもの」
「……」
さすがの藤吉も黙ってしまった。
そして烈に向きなおり、お嬢様らしく、スカートの裾を広げてお辞儀をした。
「烈様、ハッピーバレンタイン。ですわ」
「あ、ありがとう…」
引きつる烈とは対照的に、にこ、と可愛らしい笑みを浮かべたチイコは。ばっ、と手を広げた。
「烈さま、どうぞ。わたくしの愛情チョコ、受け取ってくださいですわー」
「うわあ…」
笑顔を貼り付けた巨大烈様チョコが、烈の前にずん。と立ちはだかっていた。
あまりに巨大な威圧感。世界のレーサー相手にしてきた烈でさえ、硬直するほどだった。
「烈兄貴、逃げろ!」
「…!」
豪の一声で我に返った烈は、巨大チョコの脇を潜り抜け、門のほうへ走っていった。
「みんなごめん!これは僕がひきつけるから!」
そう叫びつつ、烈は必死で走っていく。
「あーん、烈様まってくださいですわー、烈様チョコ、方向転換!全速力で追いかけるですわー!」
チイコは手に持ったリモコンを掲げると、ボタンを押した。
ぐううん、と鈍い音を立て、足元のキャタピラはそのままに、ぐるりと烈様チョコが反対方向を向く。
チイコはソニックの隣へ飛び乗った。
「烈様、逃がしませんですわ!」
「ひええーーー!」
狭いところへ行けば烈は逃げられるが、間違いなく烈様チョコは近隣民家に激突する。
かといって、そのまま烈様チョコに生き埋めになるのも嫌だった。
(ど、どうすればいいんだよ…!)
烈にとってはバレンタインは嬉しくもあれば大変な日だった。
毎年、毎年。
低学年のときも、なぜか人よりたくさんチョコをもらえて、同じクラスの男子生徒からやっかみをうけたり。
(そしてこれは豪も含まれる)
本気のチョコをいくつかもらえて、もはや呪いのレベルだろうチョコをもらったり。
おかげで、烈は人の好意を悪意受けることなく避ける手腕が上がってしまっていた。

(ああ、もう!普通のバレンタインを過ごしたい!)

毎年毎年、烈が思うことだった。
そんな複雑な思いを抱えつつ、烈様チョコから広い場所を駆け回っていた。
「どうする?豪くん」
「俺に聞くか?」
すっかり部外者扱いのJ、豪、藤吉の3人は、逃げ回る烈と烈さまチョコを眺めていた。
「こういう状況に一番強いのは、やっぱり豪くんかな、って」
Jは笑顔で答えた。
「豪くん、なんか手はないでゲスか?」
「うーん…要はさ、あのリモコン奪えば、いいわけだろう?」
豪が指差したのは、チイコが手に持つリモコンだった。
「そうでゲスな」
しばらく顎を指に当て考えていた豪だったが、はっとしたように後ろを向いた。
やがて、ぱちん、と指を鳴らした。
「……いいぜ、なんとかしてやるよ」
「ほんとゲスか?」
「さすが豪くん」
「烈兄貴に、たまには貸しを作らないとな」

にや、と豪は笑った。


「さ、さすがに疲れてきた…」
さっきから30分ほど全速力で走ったり隠れたりしてきた。
こちらは人力であるのに対し、向こうはキャタピラだ。
「烈様ー、どこですのー?」
チイコは必死でこちらを探していた。
「……ど、どうしよう…」
「助けてやろうか烈兄貴?」
「豪!?」
よっ、と研究所の1階の窓から飛び降りた豪は、自信満々ににやにや笑っていた。
「お前、なんでここにいるんだ、逃げろっていっただろ」
「お嬢様を止める方法を思いついたからな」
「え?」
豪は1個の箱を取り出した。
それは先ほどミーティングルームに届いたバレンタインのチョコレートが入った箱。
リボンを解き、中身を出した。手のひらサイズほどのハート型のミルクチョコが1枚。
「ちょっとこれ食ってみろよ」
「はぁ?」
「いいから?」
豪の真意はわからないが、言われるがままチョコを取り、チョコを割ろうとする。
「ああ、割っちゃダメだぜ兄貴、そのままかぶりつくんだ」
「なんでだよ」
「いいから」
「……」
不振そうな顔をしたまま、烈は3口ほど、ハート型の板チョコにかぶりついた。
「OK、ありがと烈兄貴、これでお嬢様を止められるぜ」
チョコを奪うと、にこりと豪は笑った。
「それじゃ、兄貴もうちょっとあのお嬢様と遊んでてくれ。あとで止めてやるから」
それじゃーな、と言うと、ひらりと豪は駆けて行ってしまった。
「ちょっと、豪ー!」
意味がわからないまま、行ってしまった豪に烈は思わず声を上げる。

「見つけましたですわー!!」
「うわあ、きたー!」

「烈様、受け取ってくださいですわー!」
「そんなには無理だよ!」
「遠慮なさらずにー」
どこかのギャグアニメのように、逃げ回る。
「今度は逃がしませんですわー」
えい、とチイコは小さいチョコレートをばらまいた。
「わあ!」
前も後ろもチョコで塞がれ、烈はとうとう追い詰められる。

「烈様、受け取ってくださいですわー」

「逆に、烈兄貴からチョコを貰うってのはどうだ?」

突如、チイコの後ろで声がした。
「ご、豪!いつのまにそんなところに…」
「邪魔しないで頂きたいですわ!」
「まぁそういうなよ。お嬢様はこれを受け取っておけって。きっと喜ぶから」
そう言った後の豪の動きは俊敏だった。
一瞬でチイコに近づき、怯ませた隙を突いて、チイコに一口、チョコを食べさせた。
口に甘い味が広がったチイコは驚いて豪を見ている。
「な、何を…!」
「それ、さっき烈兄貴が、かぶりついたチョコだ」
「烈様が…?」
「そう、烈兄貴が。意味はわかるよな?…間接キスだ」

「!!!!!」

チイコの顔が瞬く間に真っ赤に染まった。
「お、おい豪!そんなつもりじゃ…!」
「れ、れつさま、とき、きす……」
「そうだ。キスだ」

極めて冷静に囁く豪。チイコがくるくると目を回す。

「き、きす…きゃーーーー、です、わ……」
「おっと」
こてん、と気を失いそうになり、キャタピラから落ちそうになったチイコを豪が腕を引いて支えた。
リモコンが落下し、烈様チョコは完全に動きを止めた。
「烈兄貴ー!止まったぜー!」
「……」
笑顔で手を振る豪だったが、当の烈は、複雑な気持ちだった。

(どうしよう、これって喜んでいいんだろうか…)

確かに逃げ回ることからは回避できたが。

「これからが大変そうだね」
やはりJはニコニコと笑っていた。
「豪くんよく考えたですな」
戻ってきた豪に、嬉しそうに藤吉が話しかける。
「女子ってそういうのダメっぽいからな…毎年毎年バレンタインで面倒なのは兄貴だけじゃないんだよ」
「…いろいろ、苦労してるんでゲスな」
言葉の裏の豪の苦労を察し、藤吉は同情の視線を送った。


「よっ、と」
チイコが気絶し、研究所の仮眠室に運ばれたあと。烈は巨大烈様チョコの傍にいた。
「……」
夕日に輝くそのチョコは、太陽の光で解け始め、輪郭はすっかり崩れてしまっている。
その解け始めたチョコを、烈はじっと見つめた。先ほどは走っていたので見る機会がなかったからだ。
よくよく見えると、眼の部分は紅いストロベリージャムでできていた。
下のソニックの赤い部分もそうだった。
足元にあるソニックのチョコは烈様チョコの日陰になっていて、ほとんど解けていなかった。
「少しだけなら、もらっておくね」
ソニックのフロント部分を割って取ると、チョコを口に入れる。
「うん、美味しい」
これだけの笑顔を見せるのは珍しい、と思わせるくらいの笑みだった。

「烈、なんだそのチョコは」
振り返ると、少し驚いた表情でキャタピラの上にいる烈を、リョウが見上げていた。
「あ、リョウくんお帰り」
「遅くなってすまない。すごいチョコだな」
「貰ったんだ。自分じゃ食べきれないから、もらってくれないかな」
「ああ、構わないが」
「ありがとう!」

その後、烈様チョコはほとんどリョウの手によって消費された。
食べたのか、配られたのか。
あれだけのチョコを数日間で使い切ったリョウに、「どこかに人脈があるのかな」とJに勘ぐられることになる。


チイコは満足げな表情で帰り、チョコを使い切った数日後。
「まったく、烈兄貴は普通のバレンタインを過ごせないのかよ」
「俺に言うな。不可抗力だ…」
「ま、いいや。助けたんだから、これで兄貴に1つ貸しな」
ミーティングルームで休憩していた烈と豪は、そんな会話をしていた。
「お前に貸しされると、あとで怖いな…でも、今回はお礼を言っておくよ。ありがとな」
「へへ」
鼻をこすって照れる豪に、烈は穏やかな笑みをする。

「ほんと、バレンタインは普通に過ごしたいよ」
「同感同感」

はぁ、と星馬兄弟はそろってため息をついた。






個人的設定:
豪はチイコの扱いが上手い。(特に対烈兄貴時における対応に)
チイコは豪に眼中にないが、豪はチイコが烈に報われないあたり、親近感が少しある。


素材提供:
素材通り




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