Connected splinters 坂道が多いこの街は、人が多いけれど住宅街がほとんどで、結構住みやすい土地だった。 スーパーにだって歩いていける距離だ。 家の前に立って、ドアの鍵を開ける。そこには誰も居ない。はずだった。 「あ、おかえり〜」 「……」 表情が固まる。 「なんだよ、烈兄貴」 買い物袋を落として、目の前の男を、いや、弟を…いや、恋人を睨みつけた。 「いつからここにいた?」 「30分くらい前」 「学校は?」 「今日は卒業式で半日、明日から春休み」 「……」 なるほど、それで制服のままこっちへ来たってわけか。 「母ちゃんにも連絡とってあるし、2,3日はいてもいいってさ」 先手を取られた。僕は眉を寄せる。 「お前、こういうときは準備がいいな」 「当然!」 髪を揺らして振り返って、豪は笑う。 母さんが心配してるから、の口上は利かなくなった。 まぁ、それでも構わなかったのだけど。豪にずっと会うのも、二日ぶりだったんだから。 高校を卒業した僕は、春から大学へ行くために、一人暮らしをすることになった。 まだ大学は始まっていないけど、一足早くこっちで暮らしている。 豪はいままで学校があって土曜しかこっちに来なかったけれど、今日、はじめて平日にやってきた。 まだがらんとした部屋の中、壁にもたれて座っていた。 「遠距離恋愛かぁ…」 雑誌を見ながら豪は呟く。 「1年たったらこっちに住む気なんだろ?」 「まぁな」 そのために、ちょっとだけ部屋は広めに取ったんだから。 買ってきたものを冷蔵庫に詰めて、座ると、豪はそばに寄ってきた。 「なんか、悔しいな…兄貴だけ、大人になっていくみてーで」 「豪…」 「あと1年たてば一緒になるけど、1年って結構長いんだよな」 「……」 ぱらぱらと雑誌をめくって、そして閉じた。 「大丈夫だって、頑張って勉強して、兄貴と一緒の大学入るから…学部は違うかもしれねーけど」 「ああ」 「せっかく兄貴が払ってる高い家賃、無駄にはしねーよ」 「…そうだな、頑張れよ」 「おう!」 でも制服のままで来た。豪は明日どうするのだろうか。 そんなことをぼんやりと思いながらも、豪の決意に嬉しくなって笑った。 久しぶりに、今日は一緒に眠るんだろう。 子供っぽいといわれても仕方ないけれど、やっぱり楽しみにしてる自分に気がついた。 一人きりの夜を小さいころから過ごして、豪の思いに気づいてからは、時折二人きりで眠るようになって。 また、一人に戻った。 豪は自分が大学に行くのを知ったそのときは、酷く怒って泣いた。 「どうしてそんなことするのか」と。 僕は謝るしかなかった。怒り返しても決意は変えられなかったから。 僕の視界に映る世界を、豪一人だけのものにすることはできなかった。 「本当に好きなんだ。それだけは本当なんだ」 何度も言い続けた。 豪はようやく納得してくれた。 その日の夜のこと。 偶然にも、その日は、母さんも父さんも、家を空けていたのだ。 光のような豪の煌きに差した、深い影を見つけた夜だった。 眠りの淵へ墜ちる。 眠ろうとするけれど、完全に眠ったわけでもなく、現実と夢の境を漂う。 視界は暗い。 瞼の裏で、極彩色がちらちらするけれど、ただ暗い。 「…烈兄貴」 「……」 声が聞こえて、うっすらと目を開く。夢の境から、現実へと引き戻された。 「…豪」 いつものように、たまに、二人で眠る夜。 いつもと違うのは、この家にいるのは、僕たち二人だけだということだ。 母さんも父さんも昼まで帰ってこない。 「ごめん、起こした?」 「…ああ……どうした?」 「……」 言われて、豪は少し目を伏せた。 「ごう…?」 言葉よりも、行動だった。 突然、豪の腕で背中を覆い、気がつく暇もなく、抱きしめられていた。 「……もう、いいのかな」 「……」 「こんなチャンス、もう二度とないかもしれない…一度だけでいいんだ」 豪らしくもない。 そう思った。 きつく締め詰める温もりが痛い。 うまく言葉に出せない。このまま眠ってしまえば、豪は諦めるかもしれない。 けれど、この温もりから離れられない。それどころか、心地いいと思ってしまう。 「……いいよ」 うつろに目を開けたまま、僕は答えた。 豪の体が一瞬驚いて震えたのがわかった。 「…抱きたいんだろ?」 「ああ…」 薄らぐ意識と視界の最中で、それでも豪はしっかりと言う。 服を脱がされていくけれど、それに抵抗すらしなかった。 豪の肌って、けっこう綺麗だったんだな、と少々感慨深げに思った。 怖ささえ、まどろみの前には敵わない。 慄きは、爪弾きの心地よさの前に崩れ落ちる。 初めて自分以外の存在から与えられた快楽は、引き裂かれそうな痛みと、蕩けるような優しさが混ざっていた。 泣いていたんだろうか。たぶん、笑っていたような気もする。 境界線を超えて繋がる。溺れてしまう、息ができない。薄目を開けると、豪にいきなり、吐息と唾液を注がれた。 言葉以上に、豪の感情が伝わってくる。 たどり着く結末がここだろうと予感してたとはいえ、こんなものだったとは。 痛いし、苦しいし、泣きたくなったけれど。 豪はできるかぎり精一杯、僕を気遣った。 それがわかるから、声を上げないようにして、精一杯のことをした。 それから先は、よく覚えてない。 気がついたら、豪の手を繋いで寝ていた。 「あの時は、兄貴すごかったもんな」 「っつ…」 思い出しそうになって、顔を背ける。 「別に照れなくてもいいじゃねぇかよ」 「気持ちの問題だ」 「はいはい」 世間一般からすればとんでもなく危なくて未来がない恋だったけれど、みつからなければ普通に楽しいものだった。 「ほら、有りものでいいならこれ食え」 「え、いいのか?」 「ああ、せっかく来たんだしな」 「サンキュ」 そういいながら、惣菜とご飯とデザートを食べていた。 これじゃ僕の3日分の食事は豪と僕のの1日分の食事に消えるだろう。 「俺の食事代、お前が払ってくれるんだろうな?」 「え…あ……出世払いってことで」 「出世ってお前…」 まぁまぁ、を手を振りながら、ご飯を食べ続ける豪は、見ていてなんだか微笑ましいものでもあった。 誰も気兼ねすることなく過ごせる日々に豪がひとたび入ってしまうと、全部豪のペースになってしまう。 時にその手綱を引いてコントロールしながら、兄貴の威厳を見せつけて、遊ぶ。 テレビを見るよりも、ずっと面白く、苦いような恋は、1年後には遠距離恋愛になった。 遠距離恋愛と言っても、電車で2時間くらいしかかからないような場所なのだけど。 夜が訪れれば、二人だけの空間になる。 3日いなかったのを埋めるかのように、豪はとことん僕を求めてくる。 まるで獣か吸血鬼だ。素肌に触れ、食われそうになる。 抱かれるのが嫌なわけじゃない。 ただ、翌朝疲れるし、一緒に居るだけでそれでもいいと、リミットを決めている。 それ以上踏み込まない。欲望とのせめぎ合いになるが、眠ってしまえばそれまでだ。 欲望と眠りの限界点を突破してはじめて、豪に身体をすべて許している。 「…なぁ、烈兄貴」 「ん?」 横を向けば、豪は隣にいる。豪は今日は抱く気が無いらしく、ただ二人で眠っているだけだ。 見つめてくる眼はどこまでも青い。 豆電球の橙の光を受けて、その眼に光がゆらゆらと揺れる。 体は十分大人に近づいているはずなのに、小学生のあのときのまま、不安なのか、尋ねているのか、判別しがたい表情をした。 「兄貴は、寂しいとか思ったりしないのか?」 「どうなんだろうな…戻った、って感じだ」 「戻った…」 「もともと一人で寝てたって言っただろ?」 「……」 笑って見せると、豪は憮然とした表情で返す。 「お前はどうだったんだ?」 「…俺は……」 一度何か言おうとして口を開いて、そして閉じた。 「教えてやんねーよ」 「そっか」 きっと、寂しかったと面と向かっていえないんだろう。聞いてきた時点で寂しかったんだろうから、それ以上は追求しない。 弟のプライドを守るのも、兄貴の役目だ。 「お前も、こんなにでっかくなったんだな…」 「……」 「前までは、俺の背よりも小さかったくせに」 「中学2年で追い越した」 「そうだっけ?」 「そう。頑張ったんだぜ俺。毎日牛乳飲んで、走り回って…兄貴よりでっかくなりたかった」 それは望みどおりになった。豪の背は、僕より5cm高い。 「僕も、それなりに頑張ったつもりだったんだけどな。なんでこんなに違ったんだろ?」 「体質ってやつじゃないのか?」 「体質か、それならしょうがないか…」 豪の髪が真っ青で、僕の髪が真っ赤になってしまったのも体質なら、しょうがないと言い切るしかなかった。 「俺は、そのままの兄貴のほうがよかったな」 「何だよ」 「ガタイがいい兄貴なんて、想像できねーもん」 「……」 確かに、似合わないかもしれないけど、そんな言い方は無いだろうと、思った。 「兄貴は、そのまんまでいいんだ。俺にたまに暴力的で、面倒見がよくて、優しいとか言われてて、啖呵きってる星馬烈でいいんだ」 「ひどい言い方だな」 「弟から見た分析だぜ、当たってる」 僕は、苦笑するしかなかった。 薄眼で見た世界に、豪がいる。 青い髪が、夜と同化しているようだった。 切れと言っても、なぜか切ろうとせず、いつのまにか僕も言うのを諦めて、それでも一定の長さで切りそろえられている。 もう慣れてしまって、ぼさぼさになったらちゃんと梳くぐらいはしろ、とブラシを持たせたこともあった。 使っているのかは、わからないけれど。 とても、その髪は綺麗だと思った。 「豪…」 「ん?」 「なんでもない、おやすみ」 何を言おうとしたのか、自分でも、よくわからなかった。 ◆ ◆ ◆ 全部投げ出して、烈兄貴のところへ行けたら、どんなにか楽だっただろうか。 毎朝、こんな朝日が訪れることが永遠に続けばいい。 そんなことを思っても、叶えられるはずもなく。 ただの夢に終わった。 「……」 朝起きたら、兄貴が隣で寝てた。 鳥がちゅんちゅん鳴いている。漫画でありがちな光景だが、ただ添い寝しただけだ。 まぁ、抱けば気持ちいいのはそうなんだけど、兄貴にとっては俺がいることで安眠できるらしい。 抱いたら安眠どころじゃないもんな。 兄貴は起きる様子が全くない。 「おーい、烈兄貴?」 「ん…」 ゆさぶると、兄貴はやっと目を覚ました。 「…あれ……豪……おはよう」 「おはよー」 まだ半分寝ている。兄貴は寝起きが悪いほうだ。兄貴自身それを知っているから、割と早めに起きる。 眠い目をこすりながら、冷蔵庫を指差した。 「野菜ジュース、持ってこい」 「……」 朝っぱらから甘い会話もなく、命令。 「…どうした?」 どうして動かないのか、とそういう意味で聞いている。俺の意思はまったく気に留めていない。 「取って来る」 それに応じてしまう俺。逆らったら枕で殴られる。たぶん。 その日は外に出て、この街の周囲を散策した。 制服のままだったから、服を買っておけと言い放って、兄貴は最低限の服を買ってくれた。 兄貴の私服は、俺にはきついから。 「まったく、今度は一回家に帰ってきてからこっちに来い」 「へーい」 気のない返事をしたら、はたかれた。 それでも、お金を出してくれた。私服のセンスにいちいちつっこまれたりしたけど、すごく気に入った。 道を歩いていくと、一軒の店の前で、兄貴は足を止めた。 「……」 「どうしたんだよ兄貴」 「あれ」 兄貴が指を刺した。すごく、見覚えのあるものがそこにあった。 「バンガードソニックだ」 「ここ模型屋?」 「おもちゃ屋みたいだな。これがあるってことは模型も取り扱ってるんだろ」 「入ってみようか」 「そうだな」 バンガードソニックとビクトリーマグナムが市販されたことは知っていたけど、まさかこんなところで見るとは思わなかった。 「いらっしゃい」 「なぁなぁ、ミニ四駆まだある?」 「ああ、あるよ。そっちのコーナーね」 「サンキュー」 兄貴は苦笑いをしながらもそれをとめない。 「まだあったんだな…」 今でこそ、箱の中で眠ってるけど。まだ生まれてすらいないそれを見ると、また、作りたくなってくる 「作りたいのか?」 「兄貴?」 横で、にやにやしながら笑っていた。 「道具ならあるんだ、家に」 「持ってきてたのか!」 「ソニックもね」 引越しの荷物の中に、こっそり紛れ込ませていたらしい。 ソニックにいたっては、自分の手でカバンに入れてこっちへ来たという。 「置いていくなんて、できなかったんだ」 「俺は置いてったのに…」 「ソニックに嫉妬か、情けない」 「う…悪かったな」 兄貴とソニックの絆は十分にわかってるけど、それでも、ちょっと悔しい。 「まぁいいさ。すみません、これください」 「あいよ、あれ。どこかで見たような顔だね」 「え…」 俺と兄貴を見ながら、店主が首をひねる。 「たぶん、気のせいだな。すまないね」 「……」 あの店主が俺たちのことに気づくのは、たぶんすぐなんだろうな。 「豪」 「ん?」 「…明日には、家に帰れ」 紙袋を提げながら、兄貴はそう言った。 「烈兄貴…」 「俺も、ちゃんと自分の方向決める。少し考えたいんだ」 「…わかった」 そう言われたら、嫌とは言えなかった。 わがままを言うには、年月が経っていて、少しばかり無遠慮さが足りなかった。 ◆ ◆ ◆ 2度目の夜は、豪に抱かれた。 「一度だけでいい」と言った豪の言葉は、嘘になってしまったわけだけど、僕はそれに文句だけ言って大人しく身を委ねた。 素のままの豪は、凶暴な獣の眼をしていた。そしてたぶん、自分もそんな眼をしていた。 喰らい、喰われる。そんな関係だ。 前とは違う。眠りに混じるわけでもなく、本気でお互いを手に入れようとしていた。 豪の本能を誘い出すと、醜い欲望を自分の中から引きずり出された。 痛みと引き換えに、身体を貫く激しさを。 こんなことされても、やっぱり、僕は豪が好きなんだな。とそう思った。 髪を振り乱して、少しだけ泣いた。 「…れつ」 名前で、豪が呼びかける。 あまり動かない舌で、呼び返す。 「なぁ、豪…」 「ん…?」 「今から言うこと、誰にも言わないし、怒らないでくれるか?」 じっと見つめて言うと、豪は閉じて頷いた。 「…本当は、離れたくなんか、なかったんだ。ただ、豪がいないと生きていけなくなりそうな自分が、嫌だったんだ」 一人で立てなくなるのが、怖かった。 もし、支えを失ってしまって一人で立てなくなってしまったら、それこそ、星馬烈は完全に豪のものになってしまう。 それだけは、どうしても避けたかった。 誰だって、未来は危ういものだけど、危うい未来の果てに、自分の感情で豪を引きずるようなことだけはしたくなった。 「烈兄貴」 呼び方が、元に戻った。 お互いの苦い液を身体の奥深くに留めて、べたついた身体をそのまま横たえる。 「…また、休みになったらこっちに来ていい?」 「ああ」 「兄貴も、たまには戻ってくるよな」 「…ああ」 「…浮気とかするなよ?」 「お前もな」 「どうしても…辛くなったら」 「…またこうするかもしれないな」 豪の質問はすごくわかりやすかったから、答えるのも簡単だった。 手を繋ぐ。そして離れる。 けれど見えないものはそこにある。 その首には、うっすらとしした傷痕と、青いラピスラズリがかけられていた。 「じゃ、またな。烈兄貴」 「ああ、お前もな」 出かけないのに、少しでも見送りたくてわざわざ切符を買ってしまっていた。 どこかのドラマじゃないのにな。 紙袋に制服を入れ、豪は手を振った。 「あ、そうだ、烈兄貴」 不意に、投げられたものを受け止めた。 手の中には、綺麗なラピスラズリ。豪はこの1年ずっと身につけ、傷まで残した思いの強い品だ。 「お前これ…!」 「それ、兄貴に1年預けておく!絶対返しに行く!」 「豪…」 豪なりの自立の決意だったのかもしれない。 自分と同じ場所へ行く、という形ある決意、その表明だったのかもしれない。 電車がもうすぐやってくる。 「じゃ、お前もこれをもっていけ」 自分の首から、ガーネットを外した。豪が、誕生日にくれた品だ。もともと豪が選んだものだけど、その間にたくさん思いがこめられている。 返せるのなら、これくらいしかなかった。 「烈兄貴」 「返しに来いよ」 「ああ!」 まったく、永遠の別れってわけでもないのに、なんであいつ、泣きそうな顔してるんだろうな。 見ていてこっちが恥ずかしい。 豪を乗せて走っていった電車を見送ると、ホームには誰もいなくなっていた。 手の中には、青いラピスラズリ。 豪が置いていったものはこれだけじゃないけど、これだけはずっと持っていようと思った。 ラピスラズリを首にかけて、服の中へ。 カバンを持って、下へ続く階段を一気に駆け下りた。 タイミングを見計らったように、携帯の着信音が鳴る。 僕はその相手を知っている。 電話に出たら、やっぱりお前も依存症なんだと、笑ってやろうと思った。 |