それで自分を傷つけた、と知っていても手放したくなかったんだ。
だってそれは本当に好きな人からもらったもの。
言葉一つだってくれやしないから、これだけが証だったんだ。

そう思ったら、その痕もすごく大切なものに見えた。


蒼の下の紅


「兄貴のプレゼント、決まらねぇ…」
退屈でたまらない、数学の参考書を開きながらふと豪は呟く。
その声に、傍で教科書を見ていた2人が顔を上げた。
「へー、お前の兄貴の誕生日って4月なんだ」
「ああ、10日」
4月の第2週。暖冬と雨の少なさのおかげで桜も開花時間が長引き、未だ散る花びらの数は少なく、桃色の絨毯はできてはいない。
しかし時間が止まるはずも無く。
同じクラスに進級した友人2人を道連れに進級早々テストという悲劇を回避するがために、豪は珍しく教室でノートにペンを走らせていた。
「誕生日ってさ、意外と当人が忘れていたりするよな」
「そうそう、年取るとますますそうなる」
「…兄貴は1つ上だけなんだけど」
ふてくされるように答えた豪に友人2人は悪い悪いと、茶化した。
たぶん、2人は豪の兄と聞いて3歳くらい年上で自立しているとでも思っていたのだろう。
もちろん、この2人には豪と烈の関係など知る由も無いだろう。バレンタインにもらえない、と嘆いていた相手であることも。
思って入ればいい、それが意味することが何か。ここまで来てようやく豪は知ったのだった。

それは、誰にもいえない、ということだ。

何処まで行っても、それは2人だけの関係で終わらせなければならず、他人に知られてはならない。
こればっかりは、自分だけの問題ですまない。
1番に迷惑がかかるのは、自分ではなく烈になってしまうのだから。
「(まー、こいつらに言うつもりも無いんだけどな)」
言ったところで冗談だと思うだろうし、信じられたら友人関係の崩壊。どっちにしろ、あまりいい方向にいかない道など、選べるなら行かないほうがいい。
「お前、その兄貴誕生日にプレゼントやるつもりなのか?」
「んー、まぁな。毎年なんだかんだでもらってるから」
「へぇ、家なんておめでとうの一言で済んじまうからな」
「……普通は、そんなものなのか?」
豪が不思議そうに問いかけると、友人の2人は顔を見合わせた。
「普通は、そうなんじゃないのか?」
「ふーん…」
「ま、お前の家がそういうルールなんだからいいんじゃねぇの?毎年ケーキ買ってる家だってあるだろうしな」
そういうものだろう、と豪はどこかで納得していた。
「まだ決めてないんだよな、プレゼント」
烈の好みは知っているが、さすがに手料理を作る柄も出ない。
何が好きかと聞かれると、絵葉書集めと読書と、パソコンいじることが多く、他にたまにショッピングとか。
下手なものは買いたくない。なにより烈にあげるものなのだ。
「お前は去年、なに貰ったんだ?」
「…音楽プレイヤー」
2人は結構機能的なものだな。と関心した。
「兄貴って欲しいものあると自分で貯金して買うタイプだからさ、いまさら俺が買うもの、なんてないんだよな」
「それは建設的な兄貴だな」
「ああ…」
そういう性格になったのは、たぶん自分の兄貴だから。生まれつき、という可能性もあったが、8割がたはたぶん自分だ。
「じゃあさ、ベルトとかその辺買えばいいじゃねーのか」
「ベルト?」
「小物系ならサイズ気にすることも無いしな」
豪は僅かに目を見開いた。
無意識に、カッターの下に隠した、それに、触れる。
硬い、石の感触。
何かが閃くように、イメージが廻った。
「そうか、その手があったな!」
「豪…?」
「プレゼント決まった。今年はそれにする」
じゃ、そういうことで。と帰ろうとした瞬間、むんずと腕を掴まれた。
「なんだよ、俺は用事ができて…」
「お前さ、ホワイトデーでもそれ使って帰ろうとしたよな」
「今日は禁止、全員終わるまできっちり付き合ってもらうからな」
「え……」
にや、と同じような含み笑いを2人が浮かべている。
「あのあと、俺達が先生に怒られたのは知ってるよな」
「あ…あの時は授業中で、今は放課後だろ!」
「でも禁止」
「お前の尻拭いなんて1度でごめんだ」
「つーか反省しろ」
言葉の乱舞に、豪の顔がどんどん青くなっていく。
3分後。
豪は泣く泣く必死で問題を解いていた。
プレゼントで悩んでいて、問題解くのを放っておくんじゃなかった。と心の底から後悔しながら。


その学校の校門で、誰が立っているのかなど、豪には知る由も無い。。





「補習、でもしてるのかな、あいつは……」
呟いた言葉の後に、ため息が漏れた。
まだ明るいとはいえ、そろそろ帰らないと、不審に思われてしまう。
会いたいと思っているくせに、たぶん会ったら逃げてしまうだろうと、自分で分かっている。
それでも、こうして校舎を見上げている自分は滑稽だ。
烈は、本気でそう思っていた。
(こうなったのも、みんな豪のせいだ)
それだけは確信できる。これが始まったのは、豪にあのラピスラズリをあげてからなのだ。
金属のチェーンにリング状の加工された青い宝石。
あれから、豪は毎日毎日そのラピスラズリを身に着けている。まるでお守りでもしているかのように。
それこそ、風呂くらいしか、外しているのを見たことが無いのだ。
制服のカッターの下に、それをつけて、ばれないようにしているものの、普段着はどこでも外さない。
小学生のときのゴーグルを彷彿とさせるくらいだ。
それだけなら、まだよかった。
問題は自分の心境だ。
豪は自分がこっちをじっと見ていると、似合うかと問いかけるがごとく微笑みかける。
たまったものじゃない。そして、ふとしたときに思い出す。
まるで、見せつけられているようなのだ。
自分は豪が好きということを認めてしまったと。

それを認めたくないわけじゃない。思っているだけでいいといったのは豪だ。
答えを言葉でいえなくて形にしたは自分だ。
あのラピスラズリは自分が送ったもの。
それが豪の首に巻かれてるってことが、自分が豪を…心なしか、拘束しているような気分になる。
浮かぶ感情を、まだ烈は言葉に表現できない。
見えなくても、見えていても、それがあるということ。
息が詰まるようだ。
「………」
まだ消えない校舎の電灯を見つめ、烈はその場からくるりと背を向けた。






◆        ◆        ◆





珍しく、豪が日曜の昼間から寝顔を晒している。
友達と遊ぶ約束も昨日に済ませて、日曜の今日は午前中から出かけていた。どこに行くとも言わずに出かけた豪を見送りつつ、カレンダーを見て納得がいった。
たぶん、自分のプレゼントを買いに行ったのだ。明後日が10日だから。
そういえば、誕生日だった、ということをいまさらに思い出した。

そして、知らないうちに帰ってきたと思えば、早々に寝ている。
「…まったく、柄にも無いことするからだ」
まだ少し暖房をしまうには寒い季節。私服のまま、ベッドで仰向けに寝ている。
間抜けな寝顔を晒していれば、それこそ、例の緊張感も、何も無い。
傍にはいつも持ち歩いているかばんが1つ。袋が入っていた。
「……?」
何か買ったのだろう、とは思うが、またくだらないものだろうと、烈は気にも留めなかった。
上着は椅子の背もたれに掛けられている。まだ床に放り出さないだけましかなとは思う。暑かったのかわからないが、シャツが半分くらいボタンが取れている。
今日は法事で両親がいない。昼は2人で適当に食べておけ、と言われていた。
しかし豪はそのことを聞いていなかったのだ。
「豪、起きろー」
「ん…」
身じろぎはするものの、まだ目を開ける様子は無かった。
「………」
近くで蹴り飛ばそうかも思ったが、それはさすがにやめて、手で揺する。
そのときに見えたもの。
確かに、いつも着けていたラピスラズリだったのだが。
その下にあったものに、烈の表情は凍りついた。
「何だよ、烈兄貴…」
身体半分寝返りを打って、豪はぼんやりと烈を見ていた。
寝ぼけ眼で烈の表情を覗き込むと、烈は表情を強張らせて、じっとある一点を見ている。
その先を見て、しまった、と慌てて起き上がり、ボタンの外れたシャツを掴んだ。
そっぽを向いて、隠すように背を向けると、烈は眉をきつく寄せる。
「見せろ、豪」
「……」
冷たい声で言っても、豪は答えない。
「それ、知っててずっと着けてたのか」
ぎゅ、と掴む指の力が強くなる。
「……」
「こんなにひどくなっても、外さない気だったのか」
「……」
「豪!」
びく、と豪の身体が跳ねた。
しばらく俯いた末に、縋るような眼をして烈を見つめる。
「…ごめん、兄貴に言ったら絶対外せって言うと思ったから」
「見せてみろ」
「……」
指の力を緩めて、腕をおろした。
半分取れかけたシャツはそのままに、首後ろに手を回して、金色のチェーンを外す。
豪の膝の上に落ちたラピスラズリ。
しかし、豪の首には別の”首飾り”がついていた。
首から胸上までの赤すぎて紫じみた1つの筋。
酷すぎて、見るだけも痛々しさが見える。
繋がれていない首輪のように。ラピスラズリがついていた先端だけがその輪を切っていたのだった。
「これ、金属アレルギーってやつだろ」
困ったような笑みで、烈を見る。
「知ってたのか?」
「半月ほどしてな、赤い痕がついたからたぶんそうかなって思った」
「なんで、そのときに着けるのやめなかったんだ。そうしたらこんな……」
「だって、烈兄貴がくれたんだぜ、着けたかった」
つけたかった、って…そんなになってまでか。
確かに値段は高いものだった、豪がいつもつけてくれて嬉しいとは思った。
しかし、そうまでして着けて欲しいとは微塵も思わない。

思うだけっていうのは、決して誰も傷つけないはずだ。
もちろん、豪にだってそれは適用される。
それを言葉に言えずに結果こうなった。痕まで付けて、豪を縛りたいなど…思う、はずがない。
はずが、ないんだ。

離れられなくなる。

でも、豪にそんな傷をつけるくらいなら、認めてしまったほうがいいのかもしれない。
たぶん、自分は、豪と同じ感情を抱いていると。
あのもやもやした感情にも勝手に名前をつけてしまえばいい。
”支配欲”であり、”恋心”だと。

「…豪、これからそれは着けるな」
「兄貴!」
必死の顔で頼む豪に、眼をそらす。
「なんで、そんなこと考えなかったんだろうな」
「……」
「ごめん、その傷は俺のせいだ」
「兄貴のせいじゃない、俺が勝手に着けたんだ」
「でも、それは見たくない」
あの状態では、しばらくつけていなければ治るとかそういうレベルではないのかもしれない。
皮膚科にいったりしなければならないのだろうか。
「ラピスラズリの代わりなら、してやるから」
「え……」

あのとき、恥ずかしくていえなかった言葉を。行動を。感情を。

ふっと笑ってみせる。
豪は何をするのか分からないといった表情だ。
上手く出来るだろうか。やったことなんてない。
まぁ、誰が評価するでもないし、構わないか。

「お前が、好きだよ」

「…へ?」
なんだよ、せっかく言ったのにその間抜け面。
あの時は了承の言葉を石としか返せなかった。だから、今度はちゃんと。
「兄貴、今なんて?」
「だから、好きだって言った、これなら外すだろ。それは言葉の代わりとして渡したんだから」
「……」
だから、理解してないような間抜け面すんな、俺が恋した奴だというのに、情けないんだよ。
「なんで、こんな奴好きになったんだろ、お前さ、自分はあっさり言うくせに俺が言えば反応無いのか?」
「……兄貴だって、バレンタインの時硬直してただろ」
やっと硬直から解ければそれかよ。
「……」
「……」
しばらく、沈黙が流れていった。
噴出したのは、どっちだっただろうか。
「あははっ…ばっかみてー」
「お前こそ、ばっかじゃないのか!」
爆笑で終わる告白。なんてムードの無い告白。
シリアスさはどこへやら。

「まさか、兄貴が好きってこのタイミングで言うとは」
「お前そうしないと、それ手放さなかったみたいだからな」
「言い訳、不可抗力、どっち?」
にやっと悪戯っぽい笑みを浮かべて、問いかける。
悩むこともなかった。

「お前の想像に任せるよ」



◆     ◆      ◆




兄貴の告白から2日後。
その日は兄貴の誕生日だ。前々から用意してきたものを渡す時がきた。
「なんだよ、俺に何くれるんだ?」
「へへーん、今回は兄貴にも身に着けてもらおうと思ってさ」
「……」
小さな薄紅色の箱を差し出した。
兄貴がくれたのと一緒、縦が長い長方形の箱だ。
「一緒ってことは…」
「苦労したんだぜ、兄貴がくれたのと同じ店探すの」
「……」
どうやって探したのかは、兄貴には秘密だ。
例のラピスラズリを持って近所の店を探し回ったんだけどな。
そんなことしたら照れまくって殴られるに決まってる。
「開けてくれよ」
「……」
緊張した面持ちで箱を開けると、眼を少しだけ見開いて、分かりにくい微笑み方をした。
本気で嬉しいときは、すぐに表情に出ないものらしい。
兄貴に良く似た赤い色の石。たしか、ガーネット、って言ったっけ。
ラピスラズリと同じく、リング状のものだ。
ルビーでもよかったけど、色としてはこっちのほうが綺麗だと思ったから。
そして、極めつけは。
「チェーン、皮製なんだな」
「ああ、金属よりは切れやすいけど、そっちのほうがいいよな」
俺がアレルギー起こしたから、兄貴がそうなるとも限らない。
だから、プレゼントはそうしようと決めていた。
「あとさ、これ見てよ」
「あ……」
兄貴は目を丸くして、それを見た。
例のラピスラズリ、金属のチェーンだけ外して、皮製のチェーンに変えた。
根元の結び目にある珠飾りは兄貴とおそろいのもの。
「これで、もう着けても大丈夫だろ?」
「…ああ」
そういって、兄貴は俺だけにしか見せないだろう笑みを見せてくれた。


「誕生日、おめでとう。烈兄貴」








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