赤眼のぬいぐるみ




”部屋の掃除が終わらない、兄貴助けてー”


「まったく、部屋の掃除くらい自分でしろよ…」
烈はスーパーの袋を持ちながらぼやいた。
そういう内容のメールが届いたのは、クリスマスも終わり、12月の終わりかけた日のことだった。
大学生になって自分と同じく一人暮らしをはじめた豪。
年末年始は実家に帰るが、その間に部屋の掃除でもしようと思ったのだろう。その心意気だけは褒めてももいいと思っていたが、なぜ、自分を頼る。
そして、なぜ自分はそれを承諾し、あまつさえ食料調達しているのだろうか。
(兄貴の性か……)
自分で考えて頭痛がしそうだった。
あの豪の部屋だから、散らかっているに間違いない。
「ま、たまにはいいか」
年越しは実家で過ごす。豪と騒げるのも、考えてみれば久しぶりだ。
去年はこちらが忙しくてほとんど会うことがなかった。やっと環境に慣れた今年は豪が自立。
お互いバイト三昧のため、携帯でメールすることが精一杯だった。
何をしていたのかも、少し気になる。思いっきり良いかもしれないな。と考えを変えることにした。
アパートの2階の1室に、その目的地がある。チャイムを押すと、すぐに部屋の主が出てきた。
「兄貴、久しぶり」
「ああ、久しぶりだな」
思いっきり嬉しそうに笑う。目線をあわせるために豪の目を見る。
また身長伸びた感じだ。いつまで成長期が続くんだ。この男は。
お邪魔します、と形式だけの敬語で部屋に入ると、確かに散らかっていた。
服からプリントからマンガ本まで。それでも自分である程度やっていたのか、足の踏み場はとりあえず確保できるようだ。
黒のセーターにジーンズ。見てくれだけはいい男にかもしれないが、実際は子供のときとあんまり変わっていないことを一体何人が知っているだろうか。
「まったく、部屋の掃除くらい自分でやれよ」
「悪い悪い、自分でも片付かなくなっちまって」
「まったく、バイト料出せよ」
「そのお金出すし、晩飯作るからそれで勘弁してくれよ」
「しょうがないな」
「サンキュ」
財布から2千円を渡され、豪は置いたスーパーの袋をそのまま冷蔵庫に放り込んだ。
「兄貴はそっちのゲームと本頼む」
「わかった」
そこには、毎週買っているのだろう週刊誌が山積みになっていた。
「……」
「兄貴?」
「これは捨てていいのか」
買っているのはどうやらジャ○プらしい。週刊だから月約4冊、さらにコミックスが棚に詰められている。
「ああ…コミックスは捨てないでくれよ」
「じゃあ週刊誌は全部処分だな」
「…うん」
烈の知らない豪の部屋は、その趣味である漫画とゲームでいっぱいだった。
いつの間にこんなに、と思ったが、よくよく見ると実家から持ってきた漫画もある。
続きを埋めるように買っているようだ。あとは名前さえも聞いたことが無いマイナーな漫画もある。
一年でよくここまで集められたものだ。
「豪…バイト代はもっと有効に使え」
「え?」
「どれくらいバイト代これにつぎ込んでいるんだ」
「う〜ん…もらい物と古本屋が多いよ」
「そうなのか?」
「うん、棚が空っぽなのが嫌だったから」
「……」
だからいらない漫画を引き取って棚に埋めたのか。
豪ならやりかねない、と烈は額に手を当てた。
「ちゃんとお礼言ったか」
「うん、言った」
「よし」
ビニールテープで雑誌を纏め上げる。ざっと50冊。
それからコミックスの上にたまった埃を丁寧に払っていく。相当古い本もある。よくよく見ると漫画以外の本もある。
ハードカバーの本、作者は全て同じ人だ。
「……?」
豪はハードカバーの本なんて好んで読まない。それなのにその作者の本ばかり5冊。
これも貰ったのだろうか、と不思議に思いながらもそれを放置した。
隣の棚にはDVDとCDケースが並んでいる。
「…はぁ……」
貰いすぎだ馬鹿豪、と一瞬隣の部屋でごみを片付けている豪を睨んだ。
しかし豪はそれを見ていない。
片づけを頼まれた以上、やるべきことはやらなければならない。
(仕方ないか)
床に詰まれたCDを見ると、自分も買っていたCDを見つけて、思わず笑みをもらした。
それを棚に収めて、ざっとごみを拾うと大体のものは片付く。
メインに使っているのは豪は掃除をしている部屋で、学校のプリントも全部豪が片付けている。
あとは、隅を掃けば終わりだ。
立ち上がると、豪が突然顔を出した。
「そうだ兄貴」
「何だよ」
「その部屋の隅に、棚があるよな」
「ああ」
流し台の傍に、小さな引き出しつきの箪笥があった。上にはWGPの写真と、腕に収まるほどのぬいぐるみが飾られている。
豪にはあまり似合わない、赤い目のうさぎのぬいぐるみ。
無機質な赤い目がじっと烈を見つめていた。
「その棚だけは、絶対に触らないでくれ、掃除も俺がする」
「あ、ああ…」
声色からして、本当に触って欲しくないものらしい。

「わかった、こっちは終わったから…、流し場をすればいいか?」
「頼む」

自分の知らない部屋、知らないものを片付けている豪。
豪の部屋にただ1つ存在しているぬいぐるみ。
それが何を意味しているのか、まだ烈にはわからなかった。




◆         ◆          ◆



「兄貴ありがと、助かった」
「…で、晩御飯がこれか………」
「美味しそうだろ」
目の前には、美味しそうに煮える鍋。
豪樹から教わったという特製レシピだと豪は胸を張っていた。
「…いや、なんでもない……」
何を期待していたんだろう。豪の普段の料理がどんな味なのか見てみたかったことに、いまさらになって烈は気づいた。
鍋で煮えてしまえば、たいてい一緒の味だ。
「食べようぜ、今日は兄貴泊まってくの?」
「あ…そうだな」
時計を見ると、時刻は8時を指している。確かに今帰れば間に合うだろうが…。
「泊まってけば?ちゃんと戸締りしてきたんだろ」
「…いいのか?」
「いいって、たまには一緒に寝ようぜ」
「……なんか、お前が言うと意味が違って聞こえるんだけど」
「そうか?」
くす、と口の端を上げて微笑む豪には、何故か艶を含んでいるようにも見える。
そんなことはない、と烈は心の中だけで首を降った。豪はそんなことはお構いなしに鍋の蓋を開けた。
野菜と肉がバランスよく入った美味しそうな食材が踊っていた。。
「じゃ、食べようぜ」
「いただきます」
無理矢理アウトドア用のコンロをコタツの上に置いたその食事はそれでも美味しかった。豪樹から教えてもらったというレシピ
は確かに普通に調味した鍋と違っている。
「美味しいな」
「だろだろ、豪樹からこれマスターするの1週間掛かったんだ」
「1週間!?」
鍋に、一週間……烈からしたら信じられないことだ。
「よくやるよ、お前…」
「ありがとな」
褒め言葉じゃないんだけどな、と言いたかったが、それはやめておいた。
この味を出すために努力した、その価値は認めていいと思う。
部屋は2人かがりで4時間掛かった。
本当に隅々まで掃除してしまったから。たいていのものには触ることが出来たが、ただ一つ、あの箪笥だけは豪は絶対に触らせようとせず。烈は浴槽を磨いている間に中身と上を整理したらしく、烈が今その箪 笥を見ると綺麗になった赤い眼のうさぎのぬいぐるみがまたじっと見ている。
「…な、豪」
「ん……」
「あの棚、触るなって…何が入っているんだ」
「……」
急に、豪の箸の手が止まった。
じっ、と真剣な眼差しで烈を見つめる。その視線に気おされそうになる。
「聞きたい?」
「……聞きたい」
負けじと見つめ返すと、豪はふっと真剣な表情を崩した。
「ま、これだけ手伝ってもらったんだし、兄貴だから言ってもいいかな、だけど」
「だけど?」
「これで俺に勝てたらな」
冷蔵庫から一緒に取り出されたのは、見慣れた缶だった。
「……酒か」
あ、レモン味もある、好きなんだよなこれ。と烈はそれを見ながら場違いなことを思った。
「チューハイ3本。飲みきれたら教えてやるよ」
「そういうことか」
「飲めるのかよ」
「ビール以外なら飲める」
「…マジ?」
ビールだけはあのまずさに耐えられないけど、それ以外なら。
20歳過ぎると飲みたくないと思っていてもまわりの状況で飲まされてしまうんだ。これが。
一本目、まずはカシス味のチューハイを手に取る。
くいと一気に飲み干す姿に、豪が目を見開いた。
「…さすがに一気飲みは無理か」
「烈兄貴…」
とても複雑そうな顔を見ながら、その味を堪能する。豪、以外にチューハイの選ぶセンスあるな、さすが弟。
どこか気持ちが舞い上がってる自分を感じながら、もう一度その缶を手に取った。
手に取りながら人差し指だけを豪に向ける。
「豪、お前も飲め、俺が許可する」
命令口調で言い切ると、豪はきょとんとした表情で一瞬見つめ、そして。
「よっしゃ、飲もうぜ、勝負だ烈兄貴」
適当に缶を掴むと乾杯、とばかりに缶をぶつけた。


◆     ◆      ◆



「烈兄貴、もう1本ちょうだい♪」
「ダメだ」
「兄貴ぃー」
勝者はどうやら烈のようだった。豪はどうやら酒にめっぽう弱かったらしい。
烈がその勝利条件の3本を飲み終えるころ、豪は4本飲んでいて、そうなっていた。
「お前、酒飲むと甘えるんだな」
「へ…甘えてませんよ」
そういうと豪はひく、と一回しゃっくりすると、にこにこと小学生の時のような蕩けた笑みを見せた。
「兄貴って、酒強いんだな」
「お前が弱すぎるんだよ」
「へーい……」
(しばらくは酒禁止かな)
ため息をつく烈をよそに、豪は半分夢の中にいるような表情だった。
「豪、いい加減教えてくれよ、あの箪笥、一体何が入ってるんだ」
聞くと、ぴくと反応して目を開けた。
「ん〜教えて欲しい?」
「それさっきも言ったぞ。チューハイ3本ちゃんと飲んだんだから教えろ」
「じゃあ自分で見ろよ、動きたくねぇ」
「お前な…」
かくん、と首を下げた。どうやら眠いのか、それとも本気でいいっているのか、もう烈には分からない。
「じゃあ見るからな」
ぼんやりしている豪をよそに、ぬいぐるみの下の引き出しを開けた。
一番に目に付くのは大量の写真だった。全て豪と別の女の子が写っている。
あとはアクセサリーが少々。指輪もある。
2段目の引き出しにはミニ四駆のパーツと、マグナム。
こちらも写真があり、これはWGPのものらしい。
「豪、なんだよこれ」
はぁ、と一つ、豪は息を吐いた。
「んー、捨てられないものー」
「捨てられないもの?」
「女だったら捨ててはっきりするかもしれないけどさ、俺捨てられないんだよ」
「なんだよそれ…」
「でもうさぎは別。兄貴思い出すから」
「俺はうさぎか…」
うさぎのぬいぐるみと烈の共通点は唯一つ、赤い目ということだけだ。
つまり、あの箪笥に入っていたのは豪の思い出の品々、失恋もの含み。だから見られたくなかった。ということか。
(ま、それなら、納得かな…)
その部屋の押入れから毛布を持ってくると、豪は相変わらず赤い顔をして蕩けた目をしていた。
完全に酔いが回って眠り寸前の表情。しかし飲みかけの缶をくいっと飲み干すと、烈に微笑む。
「でも、兄貴に見られて良かったよ、ずっと一人でうじうじしてるの俺の性分じゃないし、明日には捨てるよ」
「豪…」
「あーあ、こういうところなんか兄貴に見られたくなかったのに」
にこ、と目を細めて烈に笑った。
その笑みは本気なのか、酒が入ってるための笑みなのか、もう烈には判別がつかなくなっていた。
赤眼のうさぎは、おそらくその彼女からもらったものなんだろう。
しかし、豪がいつのまに彼女を作って失恋していたとは。
「ばーか、お前がおねしょしてたときから知ってるんだぞ、いまさら失恋のこと隠してどうするんだよ」
「…それもそうか」
ごめん、と口だけで言うと豪は目を閉じた。
「ベッドまで行けそうか?」
「ん…無理っぽい」
はぁ、と一つため息を吐いた。これじゃどちらが部屋の主か分からない。
「ほら、これかけて寝ろ」
毛布を投げると、豪はおおよそ歳らしくない柔らかい笑みを見せた。
「兄貴、一緒に寝よー」
「なんで俺が一緒に寝るんだよ」
「泊まってくって言っただろ」
「…まぁそうだな」
「へへ、兄貴と一緒に寝るの何年ぶりだろ」
「さぁな」
こたつの中で2人、普通なら違和感があるだろうこの状況を、豪も烈も何故か違和感なく身体を横たえる。
「なー兄貴、兄貴は恋人いないの?」
「そうだなぁ…いたらこんな状況、許されないだろうな」
「そっか」
目を閉じて微笑む豪に、思わず笑ってしまうのは兄貴だからなんだろうか。
たぶん、この表情は自分しか見られないからだろうか。
「兄貴ー、来年も来てくれよ」
「なんだよ、また掃除手伝わせるのか」

「そうじゃなくて…まぁいいや。おやすみ」

「……豪?」
起き上がって見ると、豪はすでに眠っていた。
「……」
寝顔は幼い頃と同じく、あどけなさが残る。
来年になったら、豪はまた恋人を作ってるかもしれない。
そして自分もどうしてるかは、わからない。

ただ、またこうしていればいいな、と烈はぼんやりとながらそう思った。



来年の冬、烈はとある事情でここに住むことなるのだが、それはまだ、先の話。


 



長いこと物語を書いていなかったので不発気味です。
本当は「薄闇と透明に至る蝶々」の前話のつもりでしたが、時期的にあわないため、これはこれでまた別の話。

 

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