ホワイトデーは日本オリジナルのイベントデーだ。
バレンタインが流行り始めた頃、お返しの日としてとある会社が立ち上げた企画。
ホワイトデーの白ですら、砂糖の白からきているという説もある。
そう、ただお返しすればいいだけだ。
なのに、烈のホワイトデーは、今年に限ってそれはXデーとなっていた。
「好きだよ、烈兄貴」
バレンタインに送られたのはチョコだけではなく、豪からの爆弾発言。
同性に、しかも実の兄への告白。
大真面目に、全くの迷いのない眼で、豪は言ってくれた。

「はぁ…」

もう数店のお菓子売り場を回っただろうか。
ホワイトデーのお返しとして何を買えばいいのかさえ、わからなかった。
オーソドックスに返すなら、クッキー、マシュマロ、キャンディのどれかだろう。
いや、買うだけならまだいい。問題は、返事をすることだ。
歩きながらふと上を見上げると、眼に痛いくらいの濃い青空が広がっていた。
しばらく見つめているうちに、当人の顔が思い浮かぶと、聞こえないように呟く。
「…なんで僕なんだよ、豪」
こんな濃い青空に良く似ている眼の色で、そんなことを言わなくてもいいのに。
言うなら僕じゃなくて、もっと可愛い女の子にいえばいいのに、きっと喜ぶ。
濃い空に眼を細め、下を向くと烈はまた歩き出した。
なぜ自分がこんなに豪への返事に戸惑うのか、それは自分が一番良く知っていた。
豪があの眼の色で言うときは、偽りも冗談も通じない。
けれど、だからといって「ダメだ」ときっぱりと断れないのか、それがよく、わからなかった。


Sweet splinters


「豪、烈の様子が何か変だと思わないかい?」
「え?」
漫画雑誌を読んでいた豪は、良江に呼ばれて顔を上げた。
「烈兄貴、なにか変なところがあったのか?」
「最近よくため息をついているし、帰りもどこかに寄ってるみたいなんだよ」
「ふ〜ん、烈兄貴がね…」
一瞬眉を寄せて、横にあるカレンダーをふと見る。そして、そうか、と言わんばかりに頷いた。
「豪?」
「ホワイトデーが近いからお返しの品選んでるんじゃないのか?兄貴そういうところ真面目だから」
そう言うと、雑誌に視線を戻した。
「なるほど。豪にしては勘がいいじゃないか」
「まぁね」
ならすぐ帰ってくるし、14日が終われば心配ないね、と言い、良江はキッチンに戻っていった。
「……」
豪は雑誌を投げ出して、じいっとカレンダーを見る。
烈はホワイトデーにお返しとしていろいろしている。大抵は1000円のたくさん入ったクッキーを昼休みと委員会終了後に振舞う、というのが烈の返し方だった。
あげた人全員に返すのはいくら自分より小遣いが多い烈でも不可能だということを知っているからだ。
今年は30個を越えている。その方法でさえ多いだろう。そしてさらに今年は、自分あてのお返しがある。
ちゃんとお返しをする、と烈は言ってくれたのだから。
(ごめん烈兄貴。だけど…)
困っているんだと思う。弟から告白されるなんて、兄にとっては青天の霹靂、寝耳に水。
冗談で返せないほどの勢いを持って、告げた言葉は戸惑い以外のなにものでもない。
それでも、機会があるのならきちんと言うべきことは言っておきたかった。
もう弟としての眼で烈を見続けることが、無理になってきたことを。
だからどうしたい、と具体的に言えることはない。
答えが出るまではあと十数時間。きっと兄貴は困りながらも受け入れてくれる。
それが、わかってるくせにこうして心待ちにしているのは、やっぱりずるいことなんだろう。
「ただいま」
「あ、帰ってきた」
ぱたぱたとスリッパが叩く音を響かせて、鞄を肩に提げた烈がリビングに顔を出した。
その瞬間、顔がこわばる。
「烈兄貴、お帰り」
「あ、うん…ただいま」
「……」
視線が右往左往している。困ってるのが分かる。ただし、自分にしか分からない程度に、だ。
「烈、おかえり。ご飯できたから鞄置いてきなさい」
「わかった、ありがとう」
そのまま、またぱたぱたと音を立てていってしまう。
豪はそれを見送っている。その間、一度も烈から目線をはずさなかった。
足音が階段を上る音に変わったころ、キッチンでは良江が盛り付けをしていた。
それをじっと見て、ふと豪は口を開いた。
「…なぁ母ちゃん。もし烈兄貴に好きな人ができたら、どうすると思う?」
一瞬、何を言っているのかわからない、という顔をして箸を止めた。
「なんだいいきなり。そうだねぇ、烈に好きな人ができたら…」
「できたら?」
「私よりも先に、豪に言うんじゃないかと思うんだよ」
思考時間、およそ5秒で叩き出された母親の回答だった。
「な、なんで?」
「お前の方が恋愛経験豊富そうだし、なによりね、お前だからこそ言いそうな気がするんだよ」
「俺だから…?だってそんな恋愛経験豊富ってわけじゃないぜ」
「わかってるよ、烈とお前じゃ恋愛だって正反対でいきそうだからね」
「じゃあなんで」
そうだね、としばらく考えていたが、良江はうん、と頷いた。
「それは自分で考えな」
「母ちゃんのケチ」
豪が膨れっ面をすると、烈がリビングに戻ってきた。
「何か話してたの?」
「なんでもないよ、烈。豪、そういうことだからこの話は終わり」
「…わかったよ」
「なんのこと?」
「なんでもない」
ふいっと向こうを向いてしまう豪に、烈は苦笑するだけだった。




◆    ◆    ◆



”どうしてみんな、俺にチョコをくれるんだろ”
”…それは、俺へのあてつけかよ兄貴”
複雑な表情をした豪に烈はそういう意味じゃない、と返した。
”くれるのは、嬉しいんだけどさ。俺はたいしたお返しもできてない。告白も断ることしかできないんだ”
”受ければいいんじゃねーのか”
”お前さ、いきなり知らない子から好きですって言われて、簡単に付き合えるか?”
”んーそれが可愛い子なら考えるかも”
見た目なのか、と小突いた烈に、だってそれしか判断しようががないじゃないか、と返すと確かに、と烈は頷く。
”僕は無理だな、たぶん。どう接すればいいのかわからないんだと思う”
”こう、一緒に帰ったり、キスしたりするんじゃねーのか?”
”そういうもの、なのかな”
チョコが入った箱を開けて、トリュフチョコを口に放り込む。
豪もその隣にあった同じものを口に運んだ。
”むしろその女の子に問いたいね、兄貴のどこが気に入って付き合って欲しい、って言ったのか”
”…豪?”
”烈兄貴の悩んでることって、言うほうにも同じことじゃねえのか。烈兄貴なんて学校で思いっきり猫かぶってるだろ”
それだけ見て付き合ってくださいって言ってるようなもんだぜ、とチョコをもう一つ。
”普段は大人しい優等生だけど、俺に対してだけ暴力的だとか、たまに啖呵きるとか”
”…チョコあげないぞ、豪”
”悪かったって…ま、とにかくさ。兄貴が気にすることじゃないと思うぜ”
”え…”
そう言った豪に、烈は珍しく不安そうな顔を見せた。


◆    ◆    ◆



「……6時限目まで寝てるなよ、豪」
「あー……」
豪がぼんやりと顔を上げると、クラスの男共がにやにやと笑っていた。
「授業は?」
「さっきチャイムが鳴ったところ。お前今日はよく寝てたな。寝不足か?」
「よくわかんねぇ」
さっきのは、夢か、と豪は軽く頭を振った。
(去年のバレンタインだっけ、あの話)
そういえば、今年も似たようなことを言っていたっけ。烈はもてるくせに、恋愛とはなんなのか、がいまいちよくわかってないらしい。
ラブソングを聴いて不思議そうな顔をたまにするのはそのせいなのか。
未だぼーっとしている豪に、今日は特に寝不足らしいな。と言われて苦笑するしかなかった。
「お前、髪ぼさぼさだぞ、ブラシ持ってないのか」
「一応、持ってる」
鞄から取り出して髪をほどくとそれを置いてブラシで梳く。
豪の髪は肩よりも少し長く、ほどいて後ろだけ見れば、女の子のようにも見えなくもないが、体格で一発でわかってしまう。
たまに女子に遊ばれることもある。それでも豪は適度に切っているだけで完全にショートにはしない。
「あんまり伸ばすと、また先生に言われるから、そろそろ切ろ」
「そういえば、なんでお前髪伸ばしてるんだ?」
「…なんでだろ、覚えてない」
(そういえば、中学生のとき兄貴に言われたような言われてなかったような)
「な、今日何日だっけ」
「14日だぜ」
「そっか」
うなじより少し上にゴムをきつく巻くと、鞄を持って立ち上がった。
「ごめん、今日はもう帰る」
「豪?」
「ホームルームどうするんだよ」
「早退したって言っておいてくれ」


考えてみれば、ガキのころから兄貴と一緒だったんだよな、とぼんやりと歩きながら思った。
兄貴にしてみれば、自分がが生まれるまでの1年とちょっとは1人だったと思うが、やっぱり俺と一緒にいた時間のほうがどう見ても長い。
だから、兄貴のいうどういう人間だからわからないから付き合えないというのは完全にない。
それこそ、弱点まで知っている。蛾嫌いとかお化け嫌いとか。
その兄貴に好きだ、と告白したのは1月前のことだ。
好きだ、って思うのは間違ってるとは思ってないが、困るだろうな、くらいは考えた。
常識ではあまりないけど、あまりないだけでないわけじゃない。
(まぁ、兄弟でってことは俺も聞いたことないけどな)
なんとかなるさ、と軽い気持ちだ。そういえば母ちゃんが烈は好きな人ができたら自分に相談する、と。
(あれが、そうだったのかな)
去年のバレンタインの兄貴の愚痴みたいなもの。
あの調子で、好きな人ができたんだ、って言われたら、信じてしまうだろう。
その前に自分が怒りそうなものだが。



「ただいま」
「おかえり」
家に帰ると、珍しく烈のほうが先に帰ってきていた。
豪はホームルームを無視してきたのに、それでも烈の方が早いとは珍しいことだった。
「兄貴?」
「お前のことだから、今日は早く帰るんだろうな、って思ってな。俺の部屋に来い」
「わかった」
制服のままで、烈の後をついて部屋に行くと、ベッドの上に紙袋が1つ置いてあった。
机の上には、プレゼントしたチョコに付いていたコサージュが飾られていた。
「座れよ」
促されるまま、ベッド脇に座る。
「兄貴?」
烈はどこか思いつめた表情をして、立ち尽くしている。
当然なのだろう、とか思うが、視線がまだ彷徨っている。
「えっと…そうだ。それ、バレンタインのお返し」
「あ、ありがとう」
紙袋の中には、箱が2つ入っている。
「開けていい?」
「ああ」
緊張した面持ちで烈がじっとそれをみている。
箱の1つめ。
ラベルを見るとクッキーとある。包みをあけると白と黒のクッキーが入っている。
「すっげー、美味しそう」
「あ、ああ…」
「もう一個もあけるな」
びく、と烈が硬直した。
「…兄貴?」
「気にしないでくれ」
いくらなんでもここまでするか?と思うくらいの戸惑いっぷりだ。
もう一つは長方形の小さい箱だった。
青いリボンをほどいてみてもなにかわからない。
「なんだろ?」
箱を開けてみる。
「兄貴、これ……」
「……」
烈はうつむいたまままともに豪のほうを見ようとしなかった。
青いリングにチェーンをつけたペンダント。
それがもう一つの箱の中身だった。
手にとってその青い石をよく見ると、透明感よりも青みが強い紺色に近い青をしていた。
「これ、結構高かったんじゃないのか?」
「…ラピスラズリだからな」
はぁ、とため息をついた。
そうして、やっと本当に困り顔をしながらも笑みを見せた。
本当にほっとした顔で椅子に座る。
「なぁ、豪」
「なに?」
「あの告白って本気なのか」
「ああ、本気も本気。兄貴の困った顔は見たくないしな。でもここまでされるとなんか…」
俺が照れそうだ、という言葉を呑み込み、まじまじとそのリングをみつめる。
「そっか、俺もまさか豪に告白されるなんて思ってもみなかった」
「だろうな、俺もそう思った」
「ならなんで言ったんだよ」
「え、だって、好きだからに決まってるだろ。兄貴のことなら何でも知ってるつもりだぜ、それでも好きだって言うんだから、本物だろ?」
「まぁ、そうかもしれないけど…だけど……」
それでも、戸惑っているようだ。プレゼントのお返しがリングということはたぶんそういうことだとは思ってはいるが、まだきちんとした返事はもらってない。
「弟が兄貴を好きになるなんて、あんまりないことかもしれないけどさ、ないだけ、なんだろ?」
「豪…」
「これからも好きでいたい、だから兄貴もそう思っていて欲しい」
本当にそれだけなんだと思う。理屈じゃなく兄貴が好きで、好きだから兄貴をどうこうしたいって気もない。
まぁ、触ってみたいな、くらいの気持ちはあるけど。
烈はさっきから驚いた表情で豪をじっと見ている。
さっきまでいろいろ考えていたことが嘘のようだ。
「思ってる…だけでいいのか?」
「烈兄貴?」
「恋人だから、って何にもしなくていいのか?」
確認のように、かみ締めるように、問いただすように、一言だけ。
「まぁ…何かして欲しいって希望は俺にはないぜ。だけど…」
「だけど?」
「もうバレンタインに悩まなくていいとは思うぜ」
好きの思いから告白に発展した最大のきっかけ。誰もが喜ぶはずの毎年のバレンタインのたびに困った顔してチョコをもらってくる。
高校に入ってからなおさらだ。
「来年からは、俺にチョコくれよな」
肩をすくめて笑って見せると、烈はそっちが目的か、といつも通りに豪を小突いた。
「兄貴、返事は?」
「…欲しいのかよ」
「うん、欲しい」
しょうがないな、とため息をついた。
豪をじっとみる。そして、意を決したように
「…お前の返事、受けるよ」
「兄貴、ありがとー」
思わずぎゅうっと抱きしめてしまった。
「うわ、何するんだ豪!」
真っ赤にしながらあたふたしてる烈は完全無視である。

「でも、好きっていってくれないんだ」

耳元で囁いた言葉に、烈は言葉を詰まらせながらも答えた。
「…まだ、言える気がしないんだ」
「じゃあ、いつか言ってくれよな」


「…いつか、な」


けれど、その日は近いような気がした。





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素材通り


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