眠れる雛鳥のように



そろそろ、雪が降るかな…。
白く染まった息を吐いて、烈は心の中だけでつぶやいた。
口元ぎりぎりまでマフラーで覆い、家路を急ぐ。
12月前半、そろそろ雪が降り出してもおかしくない。
「あいつは、先に帰ってるんだろうな」
冷たい空気の中を歩きながら、ぼんやりと豪のことを思い出していた。

「あ、兄貴、今帰り?」
「ああ…」
ちょうど靴を履き替えていこうとしたときに、豪と会った。
豪はまだ補習と手伝いがあるらしいが、カバンはそのまま持っていた。
「兄貴さ、今日手袋忘れて行っただろ?」
「あ…」
そういえば、今日はたまたま忘れてしまっていた。
手が冷たかった。それを忘れるように走って、ようやく学校にたどり着いたのだ。
「はい、これ」
朱色の手袋を、豪は差し出す。
「あ…」
「これから気をつけろよ」
にこ、と豪が笑って、それから一瞬でかあっと赤くなったかと思うと、ばかばた駆け出していった。

「なんだったんだろ…?」
特に、何もしてなかったんだけどな。
烈はひとり考える。
確かに、豪にしてはかなり珍しい表情だったな、とは思ったけど。

「これから、気をつけろよ」

そう言った豪の表情は柔らかく、強気すらも鳴りを顰めた表情だったからだ。
「あんな、顔、はじめてかもしれない…」
たかが手袋渡す程度で。
はぁ、とため息をついた。白い息が空気に舞う。
(なんだろ、この気持ち)
思い出したらなんか変な気分になってきた。
嬉しいような、そんな気持ち。
(やめとこう、豪にはあとでお礼言っておけばいいんだし)
烈は早足で家にたどり着いた。
「ただいまー」
「おかえり、今ご飯の支度してるから、少しそこで待ってなさい」
「わかった」
カバンを置いて居間にいくと、そこにはこたつがどん、と部屋のど真ん中に鎮座していた。
「あれ、こたつ出したんだ」
「ああ、今日寒かったからね出したんだよ」
「へぇー」
母親が台所にいるので、こたつの電源は切られていた。
かばんを部屋において、スイッチを入れてこたつに潜り込む。
すぐに足元がぼんやりとした熱に温められた。
「結構冷えてたんだな…」
ぼんやりと烈はそう思った。
こたつの真ん中にはみかんの入った籠が置かれているが、今は晩御飯の直前でみかんを食べることはしなかった。
体がじんわりと温められてくると、とたんに、ふっと眠気が押し寄せる。
仰向けに倒れてしまうと、もうダメだった。
「……あ、起きてないと、いけない、のに…」
ご飯あるし、豪も帰ってくるし…。

しかし、もう無理だった。

温かみにさらわれて、意識が遠くなってゆく。


+++++++++++


「ただいまー、ってあれ?」
帰ってくる早々、居間を占拠したこたつ。
そして。
「……くぅ……くぅ……」
仰向けのまま、目を閉じて寝息を立てる烈の姿だった。
「…烈兄貴……」
赤い髪がカーペットの上に散らばる。
テーブルの上には、畳まれた朱色の手袋が置いてあった。
(しっかし、珍しいな…)
こう、烈兄貴が全部投げ出して眠っているのは。
こたつに入って眠ってしまうと風邪を引いてしまうのは知っている。だからめったなことはない限り烈はこたつでは眠らない。
わざわざ部屋に入ってベッドで寝てしまうほどだ。
それなのに。
「兄貴、疲れてたのかな…」
仕方ないように笑うと、カバンを置いて、豪は烈の隣にもぐりこんだ。
「…う…ん……」
何かを感じ取ったのか、烈が身じろぎした。普段めったに見られない、烈の寝姿。
思わず、笑みが零れる。

さっき、烈に手袋を渡したとき。
自分がした表情に、思わず駆け出してしまった。
本人すらも想像すらしてなかった声色を出してしまったこと。
しかも表情も。鏡を見てないけど、たぶんへんな表情だったはずだ。烈がぽかんとしてたくらいだから。
でも、そんな表情をしたのは。

「なぁ、烈兄貴」
眠っている烈は気づかない。投げ出された腕を取り、豪は自分の胸の前に持ってくる。
「最近、変なんだ、俺」
兄貴が近づくと変な鼓動がする。
どきどきするし、どう表現していいかわからない焦燥感のような、幸せの感覚のような。
(たぶん、この感情の名前を、俺は知ってる)
だけど…
(これ、烈兄貴にしてもいいの、かな……)
漠然とした不安だった。
もし、豪の想像通りの思いなら、それは本来女の子に向ける感情であって、兄である烈にする感情なんだろうか。
「…わから、ないんだ……」
寝転んだ視線の向こうに、烈は目を閉じている。
「なぁ、兄貴、ちゃんと兄貴に言ったら答えをくれる?」

たずねても、烈からは答えがなかった。
「まぁ、いいや…、俺も、眠く…なってきた、し……」
うとうろとした表情で、烈を見ていた。
やがて、視界が完全になくなって、それでも眠りに落ちるまで、指先に温もりが伝わってきた。


+++++++++++


「…う、ん……」
なんだか、少し寒い。
そんな寒さに、少し目を開ける。
「…!」
豪が、眼前にいた。
(な、なんで豪が……)
どうやら眠っているらしく、くぅくぅと寝息を立てていた。
「そ、そうか僕…」
帰ってすぐこたつにはいって、そして、寝ちゃったんだ。
母さんの姿はない。どうやらどこかに行ってしまったらしい。
「ごう…」
動こうと思っても、動けなかった。
豪が、自分の手をしっかり握り締めて、眠っていたから。
「ごう…」
もう一度、呼んでみる。
豪はんん、と少し動くと、ゆっくりと瞼を開けた。
「……!」
一瞬、どきりとしてしまった。
こんな至近距離で、まどろんだ豪の顔を、見たことがなかった。
「……れつ、あにき」
夢か現かわかってない表情で、豪は微笑む。
蕩けそうな笑み、というのはこんな表情なんだろうか、と烈はどこか冷静に思った。
それくらい、豪の微笑は綺麗で、思いがけず動けなかった。
指先から、怖いくらいの温かさが伝わる。
「……だよ」
唇だけで紡がれる言葉。聞こえなくても伝わってくる。
心からの言葉だ。
(あ…)
動かない…、動けない…。
心臓の鼓動が動きを早めてるのがわかる、けれど理由がわからない…。
「……」
そして、もう一度瞳は閉じられる。
今度はするりと指も離れる。
「…!!」
ばっ、と起き上がって、あたりを見渡してみた。
(な、なんだったんだ。今の…!)
豪があんなのも、あんな言葉も言うのも…何もかも信じられない。
「……」
恐る恐る後ろを向いてみるが、何もない。
いつもどおり馬鹿面晒して寝てる豪だ。
「おい、豪!」
思わず頬を引っ張る。
「い、いってー…」
呻きながら豪が目を覚ました。

「いきなり何するんだよ烈兄貴…」
「いつもの豪だ…」
「は?なに言ってるんだよ兄貴」
「いや、なんでもない…」

さっきのは、夢だ。豪の寝言だ。

そう思うことにした。
「まったく、なんでお前が隣で寝てるんだよ」
言うと、豪は一瞬そっぽを向いて、そして呟いた。
「…兄貴が…」
「ん?」

「兄貴があんまりにもマヌケ面で寝てるからいたずらしようと思ったんだよ」
「お前な……」

それで寝たのか。それはあんまりにも不自然だ。
だけど、それを烈は指摘したりしなかった。
1つ、ため息を吐く。
さっきのは、全部忘れよう。豪も覚えていないだろうし。

「…今日はありがとな、手袋もってきてくれて」
「ああ、気にすんなよ」
そういって、二人は笑った。

「じゃ、晩御飯食べようぜ、俺腹減った」
「俺もー」

立ち上がって、キッチンへ向かう。
その向こうには、冷めた料理が待っている。

けれど、烈と豪には、何かが繋がっていた。


「さっきのことは、忘れよう…」
「兄貴には、内緒にしておこう…」


思いは絡んだまま、今は眠りにつく。
「美味いな、兄貴」
「ああ」

この二人が、お互いの思いに気づくのは、もう少し、先の話になる。
その間に、二人がまるで卵を温めるように思いを秘めたままでいることを、まだこのときは誰も知らない。





こたつ+片思い=ツンデレ?
という話。

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