Encounter's Field
いつからか、それがそうだと認識はしていたけれど。僕はそれを見ないふりをしてた。 「はい、兄貴。失恋記念に」 豪はそう言って、こっそりレモン味のカクテルを僕にくれる。 「サンキュ」 豪は19歳。僕は20歳。 本来は豪はお酒飲めない年齢なんだけど、先輩に買ってきてもらったりして、持ってることが多い。 自分では飲まない。 それは僕にくれるものだ。失恋するたびに。豪はそうしてカクテルを1つくれる。 豪曰く「ひとつ大人になった記念」らしい。 生意気な口を利くけれど、自分らしくない愚痴すらこぼしても文句1ついわず聞いてくれる。 だから、それに文句を言うつもりはない。 「豪はカフェオレ?」 「そ、文句あるか?」 「べーつにぃ」 間延びした言葉遣いで言うと、豪は大笑いして、ペットボトルのカフェラテを掲げた。 「今度こそ、兄貴にいい恋愛ができますように」 「お前もな」 鈍い音がして、カクテルを一気に飲み込んだ。 僕がこうして豪にカクテルをおごってもらうのは、これで4度目だ。 「自分を見てくれない。自分を通して誰か別の人を見てる」 今回、自分を振った女の子は、そう言った。 それを言われた感想は「鋭い」だった。 活発すぎて、たまにミスもして、自分が何かとフォローしてうまくいくような関係。 友達の延長としての恋人。 それのどこが悪いのかと思っていたけれど、自分を見てくれないと言われたら、返す言葉も無かった。 「友達に戻りたいと思うけど、辛いからもう連絡もしないね」 彼女は、そうして去っていった。 また一人に戻った。そうして、今は豪と一緒にいる。 豪の渡すカクテルは傷薬みたいだった。少し染みて痛い。けれど痛みを乗り越えれば、傷が少しずつ癒えていくのがわかるから。 「今回は何て言われた?」 豪はふっと笑いながら尋ねた。 「んー、自分を見てくれない、ってさ。そう言われた」 「あ、兄貴もなんだ」 少し意外そうな顔をして豪は言う。 「兄貴も、って?」 「俺も言われたことある。元カノに”私のことちゃんと見てない!”って泣きながら言われた」 「……」 豪も、恋愛くらいはした。それは知ってる。 けれど今はいない。まだ探してる最中だ。 元カノも何人か見たことがある。みんな活発そうで可愛い子が多かった。 豪から振ったり、振られたり。 どうやら、僕も豪も、恋愛はそんなに上手くないようだ。 いつも誰かを傷つけてばかり。 それでも誰かを求めてるのは、寂しがりだということを、自分で自覚してるから。 友達ならたくさんいる。 どうしてそれで満足できないんだろうと何度も思った。誰か一人に特別な何かを求めなくても、と。 うだうだ悩んでいても、何も始まらない。だから悩んだまま、次に手を出すんだろう。 「なぁ、豪…」 「ん?」 「豪は…それ言われてどうだったんだ?」 「へ、うーん…今度は彼女のことちゃんと見てよう、って思った」 「そっか…」 豪らしいといえば、そうなのかもしれない。 半分くらいに減ったカクテルを、また飲んだ。 何も言わない。何にも言いたくないときくらいある。 それは豪もわかってる。 こういうとき、弟の存在は貴重だった。 何でも知ってるからこそ、余計な言葉は要らない。 同性だから、自分の悩みも、同じ視点で見てくれる。 正反対だって言われる兄弟でも、どこか兄弟だな、って感じるときがある。 ちびちびカフェオレを飲みながら、豪は重い口を開いた。 「本当のこというとさ」 「ん?」 「兄貴が失恋してくれて、嬉しいって思ってる」 「…へ?」 豪は苦笑気味に、僕を見た。 なんだか、瞳の色が違う気がした。気配が違うって言うのか。 まるで…好きな人に見るような。 「俺…こうしてる時間が一番好きなんだよな…なんていうんだろ、兄貴と一緒にいるのが」 「豪…?」 振り切るように、豪が軽く首を振った。 「なんでだろ…、俺、一生彼女できないかもな」 そう言って、豪はボトルを抱えたまま、うずくまった。 こんなに不安定な豪を見ることは、めったにないから、そうとう落ち込んでるんだ。 「心配するな、お前ならきっといい彼女がみつかるって」 「兄貴…」 「俺も、お前に自慢できるような彼女ができるように頑張るから」 「あ…、うん」 豪は何か言いたそうに口を開いたが、やがて頷く。 「ほら」 コップにカクテルを注いで、差し出した。 「兄貴…?」 「お前がそんなに落ち込んでるなんて、何かあるんだろ?一杯なら俺が許す」 「法律違反だぜ?兄貴」 「じゃあばれないようにしておけ」 「なんだよ、それ…」 豪は笑って、それでもコップを手に取った。 「サンキュ、兄貴」 「ま、お前も悩むときくらいあるだろ」 「まぁな」 ぐいっと一気に飲み干した。そうして、泣きそうになりながらも笑った。 ぽんぽんと豪を慰めるように髪の毛を撫でる。 いつもだったら怒りそうなことも、このときばっかりは照れくさそうに笑ってくれる。 たぶんこんな表情を見せるのは兄貴である僕だけだ。 そして、そんな表情が、一番好きだったりする。 でもダメなんだろうな。僕は一番大切な豪のそばに、ずっといられるなんてことはできない。 いつか、別の女の子にこの表情を、誰かに見せるんだろう。 片思いの気持ちというか、父親の気持ちに近いのか、よくわからないけど。 ◆ ◆ ◆ 兄貴はたぶん、わかってない。 俺は一生彼女なんてできそうもない。 いつもいつでも、彼女を作るときに、兄貴の面影を求めてしまう。 でも兄貴はそれを知らない。 知ったときに思うのは、罪悪感とどうしようもない切なさだ。 それを彼女から突きつけられるか、俺が自分で気づくか。 差はそれだけしかない。 兄貴が好きだ。 ただそれだけ。それだけなのに。手を伸ばしても届かない。 告げたら拒絶されるのは目に見えてる。 だからそばにいるけど告げられない。代わりの人をただ求める。 そして違いに気づく。相手に見抜かれる。 相手にも悪いと思ってる。けどどうしても…烈兄貴だけは言っちゃいけないと、そう思ってる。 だけど、兄貴もそうだったなんて思わなかった。 カクテルは3本目に突入している。兄貴が限界だと思ってる本数だ。 顔は薄紅色に染まり、少し瞳が揺らいでいる。けどまだ意識はある。酔ったことないけど、たぶん今が一番気分がいい時なんだろうと思った。 「兄貴はさ、なんでだと思うんだ?」 「へ?」 「兄貴は…いったい彼女を通して誰を見てるんだよ?」 「え…」 意外そうな、顔をした。 「僕は、そんな…誰を見てるとかそんなの一度も」 「…本当に?」 「……」 こく、とうなずいた。 「なぁ、兄貴」 「…?」 「兄貴は、もう少し自分の事知ったほうがいいぜ」 「へ?」 「俺は、少なくとも知ってるつもりで付き合ってるけど。兄貴はたぶん自覚ないだろ」 「豪…何を言ってるんだ……?」 本気で何を言ってるのかわからない、といった表情だ。 酔っ払ってて思考力は低下気味。ここで少し試してみるほかないと、俺は行動に出た。 「手を出して」 「ん…」 おとなしく手を出した兄貴に、その掌を重ねた。少しずらして、指の間に指を入れて、絡めた。 「豪?」 「…気持ち悪い?」 「いや、別に…」 「やっぱりな」 俺は笑うしかなかった。兄貴もたぶん、俺と同じ理由で振られてる。 兄貴は無自覚で、俺は意識してる。 それだけの違いだった。 「兄貴はさ、きっと俺を見てるんだ」 「…へ?」 「もう一度、ゆっくり思い出してみな。兄貴は、誰を見てた?」 「…僕は……」 目を閉じた。 「彼女を、ちゃんとみてたつもりだ…だけど、いつのまにか、彼女に豪を重ねてた」 「…うん」 酔った勢いで少し考えはふらついて、倒れこんだ兄貴を俺は支えた。 「ダメなんだよな…、俺もきっと一生彼女できないよ」 そう言って胸に顔をうずめていた。なんとなく、瞳が潤んでる気がした。 「いっそのこと、お前が彼女になるか?豪…」 「烈兄貴…」 しばらくそうして兄貴は身体を預けていたが、やがて。自分で身体を支えて起き上がった。 「冗談だよ」 そう言って兄貴らしく、悪戯っぽい目で微笑んだ。 「弟の幸せを望むのが兄貴の役目。だからダメ」 「兄貴…」 「悪かったな、かっこ悪いところ見せて」 肩をすくめた。酒の酔いが少し冷めてきたらしい。 「かっこ悪いところなら何度も見ただろ?だから気にすんなって」 「そうだな」 お酒も限界。時間ももう2時を過ぎていた。 明日は休みだけど、昼まで寝てるわけもいかないから、もうそろそろお開きの時間だ。 「な、兄貴」 「ん?」 ずいと前に乗り出して、押し倒してみた。 何だろう、という表情でおとなしく仰向けのまま兄貴は俺を見つめてくる。 態勢はかなりヤバい状態なのだけど、兄貴は気にしてないみたいだった。 「もし、よかったら……」 「ん?」 「俺の彼女にならねぇ?」 きょとん、とした表情のまま、その言葉を聞いていた。 硝子のような紅い瞳が俺を捉える。 「もし、そんなことになったら…」 「なったら」 「すごく、危険な恋になりそうだな」 「スリル満点だな」 お互いくすくす笑いながら、それでもそのまま拒絶したりすることはなかった。 「でも」 「ん?」 「俺は、お前の彼女にはならないからな」 「じゃあ、何に?」 「さぁ、コイビトってやつでいいんじゃないかな。たぶんだけど」 |
lilicoさんリクエスト
お互い片思い(最後ハッピーエンド)です。
ダメと知っているから求めない兄弟二人。という構想に落ち着きました。
差し上げたSSの中でもおきにいりの1つ。