堕天の選択
 



「後悔とか、してないのかよ?」
豪がそう問いかけてきたことがある。
場所は、ベッドの上。
まどろみの中で、不安そうに瞳を揺らして、僕に問いかけてきたことがある。
そうとうときが、たまにあった。
心当たりはある。たぶん僕のほうにも問題あるから気にしてるんだろう。
はじまりは、いつでも豪のほうだった。
こういう夜を過ごすことも、すべての発端となった告白も。
だから、不安になるのだろうと思うのだけれど。
「そんなこと」
腕を伸ばして、豪をぎゅっと、頭を抱えるように抱きしめる。
「なにす…るんだよ…!」
いきなりの行為にばたばたと手を振る、お構い無しに腕の中に抱え込む。
「…ごめん」
降り落ちるような言葉に、豪は動きを止めて、静かにされるままになった。
「なんで、烈兄貴が謝るんだよ」
「……なんでもない」
「全部、俺からはじめたのに、さ…」
そうじゃないんだ。
僕がいいたいのはそんなことじゃない。肌を重ねることも、口付けをすることも、後悔など一度だってしてない。
「……ごめん」
「だから…なんでだよ…」
「……」
もう、僕も豪も戻れないことも、わかってる。
行く先は途方も無く暗い方向しかみえないことも知ってて、それでも、僕は。
豪を、独り占めしたいと望んでいる。
それはつまり。もう、この行為を止めようとするものが何一つないってこと。

ごめん、豪。
そう呟くのは、誰のためでもなく自分のため。
お前が大好きだよ。
だから、僕はお前に謝り続けるんだろう。



◆    ◆    ◆



水の中というのは、不思議だ。
ゴーグルがないから、視界がすべてぼやけてる。
視線だけ上を見上げれば、ライトの光がゆらゆらとゆがんでみえ、下を見れば水色で塗られた底がみえる。
だって、ここはプールの中。
夜にプールに入るなんて、滅多な事じゃできない。
藤吉に頼んだんだけどな。
水の中は嫌いじゃない。泳げないわけじゃないし。走ることとどっちかって言われたら、走ることを選ぶかもしれないけど…
1人きりで水の中に沈みたくなるときだってある。
ただ、下手な場所で考え事をすると兄貴に感づかれるから、こういう場所くらいしか、思いつかなかった。
最近、兄貴の様子がおかしい。
俺が兄貴に”告白”し、”事に及んで”からそろそろ半年になる。
最初こそお互いに抵抗があって、一苦労したりした。それもだんだんと慣れていった。
感じているときは切なそうに声を上げてくれる。言葉よりも、通常の体温よりも温まっていく身体でそれがわかる。
衝動に任せて酷くしたことさえある、兄貴はその時に限って俺の手を握り締めて離さなかった。
痛かったはずのなのに。苦しかったはずなのに。
「まったく、お前は……」
烈兄貴はそれだけしか言わなかった。
そのときにわかったんだ。俺は兄貴を愛しても、いいんだと。それを認めてくれたんだと。
自分から全て初めておいて、わかったというのは不思議なものだけど、わかった。という感覚。
人から見れば、おそらく異端。どうしようもない。
何が悪いっていうんだろう。まぁ、人の道から微妙に外れているかもれないけど、それはそれだ。
それから、しばらくして…

やばいな、息が続かなくなってきた。
一回上にあがるか。
水面に顔をあげる。髪が纏わりついてかきあげてみる。
塩素が目にしみて、少し目が痛かった。
「何してるのかと思ったら、本当に夜にプール入ってたのか」
「…烈兄貴?」
振り向いたらプールに脚を浸して苦笑しているような笑みを浮かべた兄貴が、そこにいた。
「なんでここに?」
「母さんから聞いて」
「なんだ…」
軽く泳いで、兄貴の前に行ってみる、兄貴は泣きそう、そんな微妙な表情をしている。
微笑んでいるのはわかる、その意図が読めない。
「豪」
「…?」
「なんで、今日に限って…俺に言わなかった?」
「え…?」
そりゃ、兄貴に感づかれたくなかったから、プールに行くこと、言わなかったけど…。
泳いでプールサイドまで泳いでいくと、相変わらずに、真意が見えない笑みを作ったまま、こっちを見ている。
「ま、夜にプール独占なんて、滅多なことじゃ出来ないからな。邪魔して悪かった」
「別に、そんなんじゃねぇよ」
「そう、なのか…?」
そうだって、と笑ってみる。烈兄貴はそれだけで、意味深なあの笑みを崩した。
「たださ、ちょっと考え事したかった」
「考え事…?」
「俺だって、たまには悩みたくなるんだよ」
「……それって…俺のこと?」
「まぁ、そんなところかな」
「……」
微妙な表情ってことは、たぶん自分でも俺の悩み事の原因、わかってるんだな。

本気で悩んでたんだ。
兄貴は俺に抱かれてから、ときおり、俺を抱きしめて、「ごめん」と謝ってくる。
理由もいわず、ただ謝るだけ。心からの謝罪の言葉だとわかるような震える声。
時間にして約1分もない。
「なんでもない」ならそんなことさえしない。

やがて諦めたように、兄貴は息を吐いてぽつりと口を開いた。
「いつだって、諦められると思ってたんだ」
「諦める?」
「豪がそのことを持ちかけて、抱かれるまでは」
「……!」
兄貴がストレートに”抱かれる”って口にした。
たぶん、はじめてだ。
「まだ豪には好きな人って感覚が無くって、身近にいた俺にたまたまベクトルが向いただけなんだって、そう思ってた」
「……」
「豪に好きな人ができた、っていつか言われたら、あっさり”そうか、よかったな”って断ち切れるようにしておこうって思ってた」
「烈兄貴…」
それは俺を思ってのことだ、だって、俺以上に常識人な兄貴はそう思わないとダメだって思ってたんだろう。
「だけど、な…」
「……」
「だんだんと、そう思えないようになってたんだ」
兄貴が指をさす、自分の足元へ来いと。
大人しく行ってみる。手を伸ばして、俺の髪の中に指をいれてきた。
塩素が含まれた水でずぶ濡れの髪の中に、お構いなしに。
「烈兄貴」
「ごめんな、豪」
「だから、何を……?」

「……お前を誰にも渡したくない」

「…!」
次に自覚したときには、キスされてた。
しかも、普通じゃない。
「ふ…んんっ……」
舌まで入れてくるってどういうことだ!?
なんか髪の中にある指が爪を立てて掴もうとしてる。足は付いてるから支えられるけど。
そうじゃなくて、兄貴のほうだ。
プールサイドに座った状態で前かがみになったんだ。
下手したら、落ちる!
「んっ…!」
やばいな、こうなったら…
俺は兄貴の頭を掴んだ。そして、一気に後ろへ下がった。
「…!」
兄貴の赤い目が見開かれた。そして。

気がついたときは、また水の中だった。
泡が視界いっぱいにひろがる。暗い水色の、泡音の世界。
その中で、一際目立つ、赤い髪。いきなりだったから、鼻と口を手で塞いでいる。
あまっている方の手を掴むと、兄貴は気がついたのか、俺のほうを向いた。
ぎゅっと、結ばれている指。
身体を引き寄せて、兄貴は自分から、もう片方の指を結んだ。
言葉なんて、出せるはずも無かった。
ただ、滲んだ視界の向こうにお互いがいるのがわかって、お互いに微笑んでいるのだと。
それだけが、確かだった。




◆    ◆    ◆



なんでだろうと、自問しても、よくわからない。
たまには、僕だって全てさらけ出して本音を言いたくなる時だってある。
それが豪だった、それだけだ。
もともと身体の方は隅々まで知られてしまっているわけだし。
自分で言ってしまうのもなんだけど。

後悔はしてない。
豪は…わからないけど。たぶん今は大丈夫だ。
あれから、何か変わったのか。自問してみてもわからない。
ただ、一つ変わったことは、豪に謝ることをやめた。

いつか、豪が自分に飽きてしまっても、豪がいつ戻りたくなっても、鎖を繋ぎ止めて、離さないことを決めている。

それは血の繋がりでできた呪いだ。
「烈兄貴」
「何だ?」
「……また、兄貴からしてくれよ?」
「…また、な」

三日月の闇の深夜。
そうして、豪に微笑んでみせる。
そして、豪の微笑をみる。

これが、僕が決めた、選択だ。


 



→咲さんからのリクエスト「堕天の選択」
 AQUALOVERS -DEEP into the night-をイメージソングとして書いています。
 「水+烈兄貴が豪にめろめろ」がテーマ。

 



 

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