「リオウ……」
それは久しぶりに――本当に久しぶりに見た、穏やかな笑顔。
なにも変わらない。違うのは服装だけ。涼しげな目も優しい口元も、みんな以前のまま。
手を伸ばせば、未だ困惑の色を浮かべている、その頬にだって触れられる。なのに腕は、あと少しのところまでしか上がらず……ぶるぶると震えて、ぷつりと力が抜けてしまった。
「……取引と言われたとき……」
身体の脇に落ちた手が、リオウの両手に包まれる。
「初めて知りました。想いを寄せる相手から、ああいった取引を持ちかけられることが、辛いことなのだと……」
「……え?」
大切なことを言われたような気がする。なのに、指の一本一本を確かめるように触れられて、意識が奪われた隙に考えがとんでいってしまう。
リオウは、まるで花を愛でるような目をしている。その先にあるのが自分の手だなんて、信じられない光景――呆然と眺めていたら、そのままの目で真っ直ぐに見上げられた。
「取引でしかないのだと。そうでもなければ求めたりはしないのだと。そう言われているようにも、受け取れるでしょう?」
――この人は……なにを言っているの?
眼前の笑顔に、窓辺で俯いた後ろ姿が重なる。皮肉のつもりかと聞いた、あのときのリオウは、そんなことを――?
君が欲しいからと言われたとき、私はそれを疑った。思い返してみれば、ああいう形で求められたことを、悲しんでいたかもしれない。もしあの言葉を素直に信じていたら、私はリオウの手をとっていたのかしら。
あの「欲しいから」は、軽い気持ちや戯れから出たものではなかったのかしら。本気で私を……。
がくりと首が折れて、痛いほど鎖骨に顎が食いこんだ。
肩が震える。息が激しく乱れる。
リオウの手を握りしめて、自分のほうへ引き寄せようとした。……力が足りなかった。
抱きしめてほしいと思った。彼の両手を封じているのは私で、だからそれは叶わないのだと、遅れて気がついた。
「ごめん、君を責めたわけじゃないんだ」
狼狽するリオウに言葉を返せず、ただ首を振った。
しゃくりあげて、堪えきれずに上体を折ったら、頭になにかが触れた。はじめはそっと、やがて軽く押しつけるように。
「酷いことを言ってごめん……傷つけてごめん……」
抑えた声が染みいってくる。やっぱり私は、ただ首を振ることしかできなかった。
受け止めてもらえたんだ、きっと。取り戻すことができるんだ、彼との時間を。朦朧としてしまう意識の中で、その幸せを噛み締めていた。
夢見心地は、けれどあまり長くは続かなかった。
ああ、とリオウが声を漏らす。
「姫、お食事の時間ではありませんか?」
「え?」
顔を上げて耳を澄ませば、ドアの向こうでかすかに、食器が鳴る音。
「そうだわ……そろそろ夕食とお薬……」
リオウの手がするりと抜けていく。
縋るような声をあげそうになって、慌てて息を飲みこんだ。
「そんな顔しないで。また来ます」
「……本当に、来てね?」
「ええ」
「一人になれる時は外で待ってるわ。見つけたらいつでも来て」
「姫……あまり怖がらせたくはないけれど、ここもそれほど安全ではないんです。せめて中にいてください。林も……あまり奥までは入らない方がいい」
リオウはくすりと笑って、ジーンみたいなヤツが来ると困るから、と付け加えた。それから、僕達のこと黙っていて、と。
「大丈夫ですよ。僕は、ここのことは良くわかってます」
それは過言でも自信過剰でもなかったらしい。ドアがノックされたのは、窓をわずかに開けた隙間からリオウが出て行った、その直後のことだった。
―end―