「……っ……姫っ……力を、抜いて……」
つい漏らした懇願は、おそらく届かなかった。
姫は嬌声をあげながら大きく身を震わせ、同時に強く僕を締めつけた。
間に合った――情けなく安堵した途端、自分を抑えられなくなる。枕元に置いた両腕で上体を支えなおしつつ、腰を打ちつける。
僕にすがりつく姫は、無我夢中の様相。こちらの動きに合わせて巧みに腰を揺らす。
細い指が僕の背中で、肩胛骨の下あたりにきつく食いこんでいた。
姫の家は大きな一戸建てだ。
両親は仕事で家を空けがち、今週は弟もサークル合宿で不在。
そんな状況で招かれて、下心を抱かなかったと言えば大嘘になる。
行為のあと、二人で無人のリビングに降りると、姫は僕にソファを勧めて台所へと消えた。
この空間で一人になるのは初めてだ。居心地の悪さを覚えながらあたりを見まわす。
品のある調度、数々の珍しい置物。家族写真もたくさん飾ってある。
改めて、彼女が恵まれた環境で育ったことを実感する。僕とは大違いだ。
ふと、テレビボードの一角に目が留まった。
値の張りそうな液晶テレビの脇に、きちんと立てて並べられた三枚のDVDトールケース。背表紙に、黄色い勲章マークが入っている。
ブートキャンプのDVD――ジーンが数回で飽きて、僕の部屋に転がしていったものと同じだ。こんなところでも現物にお目にかかるとは、ずいぶん売れているらしい。姫の弟のものだろうか。
視線をめぐらせれば、窓際のコートハンガーに、これまた見覚えのある物体がかかっている。赤いゴムバンド――ウェイトが取り外しできる、進化したタイプ。
強烈な違和感を覚えて、大足でコートハンガーへと歩み寄った。
断りなく触れるのは気が咎めたが、どうしても確かめたかった。そっとゴムバンドを取りあげる。
肘の高さでグリップを持ち、輪の方を垂らした。先端が僕のくるぶしより上でぶらぶらと揺れるのを見てとり、すぐさまバンドを元の位置に戻した。
「リオウ、飲み物は、やっぱり冷たい方がいいわよね?」
窓辺に背を向けたとき、姫がそう言って台所から顔を覗かせた。
「え、ああ……、うん、夏、だしね」
返答はしどろもどろで、それを誤魔化すように手伝いを申し出た。
姫から二つのグラスが乗ったトレイを受け取る。蛍光灯の白い光が華奢な腕に、くっきりとした線形の陰影をつけていた。
彼女の弟は、僕とあまり身長が変わらない――正確には、僕より少し高い。あんなに短く調節したバンドでは、相当な負荷がかかるはずだ。ジーンももう少し長くして使っていたように思う。だが彼女なら……あれがちょうど良い長さなのかもしれない。
肩胛骨の下あたりが、ずきりと打ち身のような痛みを訴えた。誤ってトレイを落とさないよう、急いで意識を背中からそらした。
ソファ前のローテーブルにグラスを並べると、二リットルのペットボトルを左右の手に一本ずつ持って姫がやってきた。
片方はミネラルウォーター。もう一方は……白が基調のラベル、白っぽい液体――脂肪燃焼系のスポーツドリンク。
「ごめんなさい、今、冷たい飲み物はこれしかなくて……」
「……ありがとう、君と同じのでいいよ」
「そう? じゃあ、こっちにしましょう。甘くて美味しいのよ。リオウは飲んだこと、ある?」
姫はにっこり笑って、満タンに近いボトルを、丸めた雑誌かなにかのように軽々と掲げてみせる。
肩胛骨の下あたりが、再び疼きはじめていた。
―end―