■闇に惑う心を抱いて■


−4−


「……でかい」

 用意してあった着替えのパジャマを着て嘆息する。
 ぶかぶかだった。
 とりあえず、袖と裾だけは折っておいた。
 深々と溜息をつく。
 男はひとり暮らしのようだし、それならこれは男の服というわけで……。
 なんか、悔しい。


 リビングに戻って時計を見ると、既に日付が変わっていた。
 俺はどこで寝れば良いんだろう?
 やっぱり、ソファか?
「なあ、俺、どこで寝れば良いんだよ?」
 ソファに座って何かの書類を熱心に見ている男に、声をかける。
「あ? ああ……寝室で寝ろよ」
 恐らく仕事に関する書類だろう。
 書類から目を離すと、それだけ言ってリビングを出ようとする。
「おい、どこ行くんだよ」
 俺は慌てて呼び止めた。
 寝室で寝ろと言われても、困る。
 そりゃ、こいつが勝手に連れてきたんだから寝室で寝たって良いかもしれない。
 けれど。
 俺はそこまで図々しくない。
 今の状況は全くもって不本意だけれど、一応ここはこいつの部屋なんだし。
「……風呂。別に気にすることないぞ。俺も寝室で寝るし」
 男は振り返りもせずにそう答えると、さっさと浴室へ行ってしまった。
 そっか、風呂か。
 じゃ、こいつが風呂から出て来てからソファで寝ると言おう。
 と、納得しかけた俺は、その後に続いた言葉を思い出す。
 さっき、何て言った?
 寝室で寝るとか言わなかったか?
 俺も寝室で寝るんだよな?
 い、一緒に寝るって事か!?
 それとも、ベッドが2つあるとか……。
 いや、ひとり暮らしなのにベッドが2つあるわけないか……。
 ……じゃあ、やっぱり一緒に……?
「冗談じゃねえ……」
 苛立ったように呟く。
 俺はソファで寝る。
 そう決めた。
 誰が、あんな奴と一緒に寝るもんか!
 落ち着かない気分で、男が風呂から出てくるのを待った。



「俺はソファで寝るからな!」
 男がリビングに入ってくるのを認めると、俺は大声で怒鳴った。
「掛け布団はひとつしかないぞ」
「えっ」
「俺の分しかない」
「……だったら、泊まれなんて言うなよっ」
「ないものは仕方ないだろ。ほら、さっさと行くぞ」
「だから! 俺はソファで寝るって! 掛け布団ぐらいなくても……」
「今、11月だぞ。風邪引くだろ」
「風邪くらい俺はっ」
「…………」
 男は、俺にも聞こえるくらい盛大な溜息をついた。
 そして。
「何すんだよっ。降ろせっ」
 またも俺は、男に抱え上げられてしまった。
「うるさい。お前がさっさとしないから悪い」
「だから俺はソファで!」
「もう着いた」
 男の言うとおり、もう俺たちは寝室に着いてしまっていた。



 そこには当然ながら、ベッドはひとつしかなかった。
 ということは、やっぱり、そこに寝るしかないというわけで……。
 俺はベッドに降ろされた途端に、ここから出ようとした。
 けれど、男がそれを阻む。
 俺は仕方なく、ベッドの半分部分に潜り込んだ。
 男には背を向けて、寝転ぶ。
 はっきり言って狭かった。
 少しでも動けば、男に当たる。
 何で、俺はこんなところで窮屈な思いをして寝てるんだろう……。
 俺、今日1日で何回、「何で」って思ったんだろう……。
 ……はあ。
 全然、眠たくない。
 目を閉じてても、眠りは訪れない。
 後ろで寝ている男を気にしているからなのか、何なのか……とにかく、一瞬たりとも眠気は襲ってこなかった。
 それに、寝返りも打てない。
 さっき言ったとおり、男が俺に何もしてこないことが唯一の救いかもしれない。



「……なあ」
 とうとう俺は、眠ることを諦めた。
 返事はないだろうなと思いつつ、声をかける。
「……何だ?」
 ……起きてたのか。
 こいつも眠れないのかな?
 俺は、起きてるならと疑問を投げかけた。
「何で俺が吸血鬼だって解ったんだ? 他にも吸血鬼の知り合いがいるとか?」
「知り合い、か……まあ、そんなもんだ」
 正直、驚いた。
 柏原家以外に吸血鬼の家系があるなんて聞いたこともなかったし。
 ……あ、もしかして、柏原家の者なのかもしれない。
 ちょっと好奇心が生まれた。
「あの、さ。その知り合いって、柏原って名字?」
「……いや。衣笠(きぬがさ)だ」
 ……知らない。
 衣笠なんて。
 ……柏原じゃないのか。
 けれど。
 柏原でないのなら。
 もしかしたら、俺と同じ考えを持っているもしれないと、期待して男に訊ねてみる。
「……そいつは人間の血を吸う?」
 訊いてみてから、ふと思い出した。
 俺が人間の血を吸わないと言った時のことだ。
『……まさか、本気で人間の血を吸いたくないなんて言う吸血鬼がいるなんてな……』
 ということは、その知り合いは、俺とは違うって事だ。
 他の奴らと同じだって事だ。
 俺はがっかりする。
 ……そうだよな、そんな奴、俺以外にいるわけな―――
「いや、吸わない」
「はっ?」
 考えを途中で遮った男の言葉に、俺は素っ頓狂な声を上げてしまった。
 男を凝視する。
「お前と同じ。生まれてから1度も人間の血を吸ったことはない」
 まさか。
 そんな奴が、俺以外にも本当にいるなんて……。
 けれど、だったらあの時の言葉は何なんだ?
「……あれは、他にもそんな奴がいるとは思わなかったから、驚いただけだ」
 と言うわりには抑揚のない声音だったけれど。
 驚いたのは俺も同じだ。
 会いたい。
 そいつに会ってみたい。
 会って話がしたい。
 俺と同じ考えの奴。
 そんなのがいるなんて思わなかったから。
「……吸血鬼が、吸血鬼の血を吸ったら……どうなると思う?」
 意気込んでそいつに会いたいと言おうと思ったら、男が脈絡のないことを訊いてきた。
 俺は訝しげにしながらも、首を横に振った。
 実際、解らないから。
 吸血鬼同士で……なんて、そんなことする奴がいるのか……?
「ど、どうなるんだ……?」
「……さあな」
 かちんときた。
 自分も知らないなら、謎掛けみたいに問うなよな。
 腹が立った俺は、もう寝ようとした。
 さっきから眠ろうとしても眠れなかったけれど、こいつと話してるよりもましだと思って。
 ……けれど、思っただけで、眠れなかった。
 男が、俺に覆い被さるように、俺の上に乗り上がってきたからだ。
「ちょ、何してんだよ。どけよ、どけってば!」
 押し退けようとした俺の手は、簡単に押さえつけられた。
 さっきのキスが蘇ってくる。
 焦って藻掻くけれど、びくともしない。
「おい……っ」
 俺の顔のすぐ近くに、男の顔がある。
 一瞬、硬直する。
 ……けれど、それ以上は近づいて来なかった。
「……どうなるか……知らないから……」
 囁くような声音。
「お前と」
 真剣な瞳。
「俺で」
 あの吸い込まれそうな黒い瞳。
「試して、みようか―――?」
 一瞬、こいつが何を言っているのか解らなくなった。
 慌てて、男の瞳から視線をそらす。
「な、何、言ってるんだよ……?」
 じわじわと、男の言葉の意味が、頭の中に浸透してくる。
「吸血鬼が吸血鬼の血を吸ったらどうなるか……」
 男が、さっき言った言葉を再び繰り返し始める。
「お前と、俺で、試してみようか……」


 ―――ようやく、意味が解った。
 だとしたら。
 だとしたら、こいつは……。

 ゆっくりと男の唇が俺の首筋に降りてくるのを、俺はただ見ていることしかできなかった。



2003/4/4



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