背教者の槍と魔女の釜 前編


条約確認のために訪れた山荘で、インテグラはイスカリオテ課長マクスウェルと
一つのテーブルを囲んでいた。間にはワインのグラスとボトルがおかれている。

「貴女には同情しているのですよ……」
いきなり言われた言葉に驚いて仇敵を顔を見ると、
彼はいつものように歪んだ微笑みを浮かべながらゆっくりと近づいてきた。

「似たような立場でしょう、我々は。
 周りには理解されず、ただ重荷を背負って、暗い地の底で地上の平和を守るために
 日々戦い続ける。しかしそれは誰にも認められることはなく、また見られてはならない」
「ふん。なにを今更」
だが彼の目の中に浮かぶ光を見て、インテグラは身動きが取れなくなった。
そのままマクスウェルは顔を近づけ、唇が触れ合い、また遠ざかっていく。
何が行われたのか理解したのは全てが終わり、男が元のように席に着いてからのことだった。

驚くべきか怒るべきかもわからず、ただ呆然と今の行為の意味をはかりかねて男の顔を見る。
彼は相変わらず笑みを浮かべていた。ガラス窓から入ってくる柔らかな光の中で、
その顔はやけに優しげに見え、インテグラは思わず魂が身から離れようとするのを感じた。

彼女は卓上のグラスを手に取った。中には赤黒いワインが注がれている。
「毒入りかと思ったが……本当に毒でも入っていたようだな」
「これは心外。我らにとって葡萄酒はキリストの血、それが毒だとしたら」
マクスウェルは再びインテグラにすっと顔を近づけた。
「あなたが魔のモノなのでしょう。ヘルシング卿」

「ふん」
ぐっとグラスをあおって中身を飲み干した。
むせ返るような香気が口の中を包み、喉を滑り落ちていく。
確かにこれは毒なのかもしれないなと思った。目の前の仇敵の顔は、本当に美しく見えたから。

マクスウェルは慣れた手つきで瓶から新たな毒を彼女のグラスに注ぐ。
「酔わせて協定の内容を有利に運ぼうとしても無駄だぞ」
目の前の男は自らもグラスを取り上げて、目の前にかかげてみせる。
「どうせもう内容は決まっているのです。私も貴女も定められたレールの上を走るだけ」
彼もまた、一息でグラスを飲み干した。
「そのような生に疑問を挟むことすら許されない。それが我々」

「そうだな……」
インテグラは目の前の男に向かって手を伸ばした。マクスウェルは身じろぎせず、
興味深げな視線でただじっと彼女の目を見つめている。
顎をつかんでひきよせた。口づける。先ほど男のほうからされたよりも深く。
お互い目を開けたまま、じっと見つめ合いながら、彼らは舌と舌を絡み合わせ続けた。

長い口づけの後、口の周りに溢れた唾液を舌でぬぐいながら、インテグラは言う。
「私はやられっぱなしは嫌いなんだ」
「それでこそヘルシング卿」
マクスウェルはナフキンで口元をぬぐいながら答えた。

「そのような貴女はとてもセクシャルで」
立ち上がる。
「挑発的で」
テーブルを回り込み、インテグラの背後に立つ。
「征服欲をそそられる。組み敷いてみたいと思わせる……」

髪に触れた手はやがてゆっくりと首筋を落ちてきた。今日の彼は手袋をしていない。
インテグラも自分の白い手袋を外した。先ほど注がれたワインをまた一息で飲み干す。
確かにこれは毒なのだろうなと思った。私は魔のモノなのかもしれない。
ならば……挑戦に乗ってやろう。組み敷かれるのはどちらか、試してみるのも面白い。

彼女は立ち上がり、彼らは自然と視線を交わしあい、そのまま隣室へと足を運んだ。
もつれ合うようにベットに倒れ込む。
インテグラの手が、マクスウェルの固く結ばれた司教服の襟のボタンを外した。
マクスウェルの手が、インテグラの赤いリボンタイを外す。
彼らは競い合うようにお互いの服の留め金を外していった。まるで心の留め金をも外すように。

貞操を守るかのように、幾重にもかさなった司教服の下から表れたマクスウェルの肌は白く、
傷一つとてなかった。その上をインテグラの褐色の手が撫でる。
「裏切り者の名を背負い、神の栄光の影で無数の屍を積み上げ、その手を血で染める……」
冷たい青の瞳がじっと13課局長の顔を見つめる。
「それなのにお前の肌は白い。皮肉だな」

「そして貴女の肌は混血の色をしていて、傷だらけだ」
彼女の下でいつものように余裕の笑みをたやさず、
マクスウェルはあらわになったインテグラの乳房をなで上げた。
「化物を使役し化物と戦う魔女、異教徒を守護するためにその異教の教えにすら背いた女……」
「ふん」

「美しい……」
その言葉にインテグラは目を見開く。その隙に背徳の言葉を口にした男は、
くるりと体制を入れ替えて、彼女の上に身体を重ねた。
口元に皮肉な笑みをたたえたまま、自らの髪を一つに縛っている紐をほどく。
冷たいプラチナブロンドの髪がふぁさっと広がった。
緩やかなカーブのかかった髪がマクスウェルの白い顔を彩る。

インテグラは思わず息を飲んだ。
――美しい。
先ほど彼が口にした言葉をそのまま返してしまいそうだった。
半分はこの世を、もう半分はこの世ならざるものを見つめている大きな瞳、
ひいでた額から伸びる鼻筋、いくつもの毒と血の指令をつむぎだす口。
だが、柔らかな金の髪に縁取られた彼の顔は、まるでラファエロの描く天使のようで……。

その顔に凄惨な笑みが浮かぶ。
「インテグラル・ヘルシング。我が仇敵」
ぱしっと腕がインテグラの顔のすぐ横に振り下ろされた。
彼女は瞬きもせず、ただマクスウェルの顔を見つめ返す。
「貴女を誰にも渡したくはない」
ゆっくりと顔が降りてくる。冷たい口づけ。
「いつか我が手で殺したい。だが今は……」

インテグラは彼の金の髪を一房手に取って、それに口づけした。
始めて男は意外そうな顔をする。
「むなしいとは思わないのか? マクスウェル」
眼鏡を外した。
「お前は美しく、傷一つない。私とは違って光の中を歩くことも出来るだろうに……」

「いや、できないね」
言葉はきっぱりとしていた。
「なぜなら私は好きだからさ。異教徒共の悲鳴が、血が」
「私の悲鳴を聞きたいか?」
「聞きたいな、インテグラ・ヘルシング」

インテグラはパシッとその傲慢な笑みをたたえた頬を叩く。
マクスウェルは顔色一つ変えず、むしろ前にもまして凄惨な笑みを浮かべ、
彼女の頬を叩き返した。
「くっ」
細い腕から繰り出される意外と強い衝撃に、
彼の望みどおり悲鳴をあげてしまわないよう歯を噛みしめる。

その顔はますますマクスウェルの嗜虐欲をあおるものだった。
まったくこの女は魔女だと思う。憎しみの表情すら魅惑的で、男をたぶらかす。
左手ではインテグラの顎を押さえつけたまま、マクスウェルは身体を下へと移動させた。
乳房に歯を立て、乱暴に突起を吸う。褐色の身体がびくんとはねる。

「感じやすいのだね、インテグラ・ヘルシング。お前は心も体も感じやすい。
 その身で化物共と戦うのは辛いだろう。憎しみに身を晒し、内にも化物を抱え、
 どうやって正気を保っていられるのか私には分からないよ。いや、もう正気ではないのかもな」

確かに私は正気ではないのだろう。確かに私は今、この男の愛撫に感じているのだから。
インテグラはそう思いながら口を開いた。
「マクスウェル、お前は氷のようだ。冷たく固く尖った氷。
 だが、お前が冷たいのはそうしていないと溶けてしまうからだ。
 水となり、気体となり、蒸発して消えてしまう」

「忌々しい女だ」
マクスウェルは吐き捨てた。そしてより一層強く乳房を吸いながら、右手をさらに下へと伸ばす。
「私はお前のそういう所が一番嫌いだ。どんな状況下にあっても、決して己を失わない。
 闇に囲まれていながら闇に埋没することはない。なぜだ? なぜそうしていられる?」

淡い繁みの中の突起へと指をかけた。すでにそこは湿り始めている。
「この口で、今まで何人の男をくわえ込んできたのだ? 
 取り澄ました顔をして。己を処女だと言い張って」
んんっとインテグラは息を飲み、マクスウェルのものをつかみ返した。
すでにそれは固く怒張している。
「お前こそ、司教服をまといながら何人の女を犯してきた? ユダの司祭」

「魔女め」
「背教者め」
互いに交わす言葉は敵意に満ちた愛のささやきだった。
彼らは今、確かに相手の中に己を見ていた。

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