彼女と刃(前編)


私は刃が好きだった。
なぜかしら? 理由はよく分からない。
男の子はみんな一時期ナイフを集めたがるわね。私の弟もそうだった。
そのナイフは彼の健全な成長と共に扉の奥にしまいこまれたのだけど、
私はもっと成長し、遅い初潮を迎えたころからそのナイフを取り出すようになったの。
最初はその金属の、冴え冴えとした輝きを見るだけで満足だったわ。
でもそのうち何かを切りたくなった。自然な事よね?
だから最初は紙や木、そんなものを切ってみたんだけどつまらなかった。
でも生き物を切れるほど私は残酷ではなかったの。その時はまだね。
それでもいつしか自分の肌の上に刃をあてて、その冷たい感触と
ちょっとでも動かしたら切れるっていうドキドキを楽しむようになった。
手や太股や、時々は乳房にも。
冷たい金属がだんだん私の熱で温まっていって、
そうしたら肌から刃物を外して、そっと指で暖かい刃を撫でていたわ。
愛おしかった。まるで自分の一部みたいだった。

そのうち、あるアクシデントが起こったの。そうアクシデント。でもそれで私は死んでしまった。
夜の街で私を噛んだ男が居たわ。私の首筋に牙を立てたの。そして私の血を吸った。
死んでしまうくらいに。そして死んだ私は路地の奥に置き去りにして去っていった。
目覚めた私は、もう人じゃなかったわ。
だって夜が明けてくるにつれて体中が痛くてたまらなかったんですもの。
必死に家に帰って、窓を全部閉め切って、
それでもかすかに差し込む光が痛くてテープで完全に隙間をふさいだわ。
本当に混乱して訳が分からなかった。
だからナイフを取り出したの。いつものように、落ち着くために。
自分の腕に当ててみた。でもね、手が震えて切れてしまったのよ。
今までも時々はあった事故。でも、そこから先が今までとは違った。
切った先から傷はふさがったわ。驚いて私はもう一度切った。やっぱりふさがったの。
私は思わず夢中で切り続けた。うすくうすく自分の皮を剥ぐように。
何故かしら。そうね、色んな意味で一線越えちゃってたのよね。
やっぱり切ってみたかったし。でも傷なんて嫌だったし。
でも今は傷が残ることなく好きなだけ切れる。私、やっぱり切ることが好きだったのね。
刃自体も好きだけど。それを振るうことも。刃ってそのためにあるんですものね。

気が付くと、さすがにナイフにはべっとり血が付いていたわ。傷はないのに。
そうしたら今度は別の感覚が沸いてきたの。
血、なんていい匂いなのかしら。思わずナイフについた血を舐めていた。
そのせいで舌がツウゥと切れてしまったけれど、気にならなかった。
傷はすぐふさがるし、なにより余分に血が喉に流れ込んだんですもの。
その感覚? 説明するのは難しいわね。
とても甘かった。頭がしびれるようだった。すごいわ、どんな麻薬もかなわない。
私が自分を切ることで味わっていた感覚も、かなわない。
でもね、一つの問題はその感覚がすぐ消えてしまうことだったの。
こんなのじゃ全然足りない。
本能的に薄々理由にも気がつき始めていた。自分の血だからだわ。自分の血じゃダメなのよ。

最初に家に帰ってきたのは母だった。
私は日光の痛みに耐えながら母に自分の部屋まで来てもらって、ちょっとお話したの。
ナイフを背中に隠したままね。
そうしていつもどおり口論になった。その頃、私と母は仲が悪かったのよ。
彼女は私のことがあまり好きじゃなかったのね。
私も彼女のことがあまり好きじゃなかった。理由はないわ。ただそういう時期だっただけ。
娘が大人になると、母とはライバルになるのよ。心理学の本に書いてあった気がする。

それでね、刺したわ。
心臓のあたりをね、滅多突き。その時のナイフは刃が短かったし、
なにより私そんなことをしたの始めてだったんですもの。当然よね。
だけど母はずいぶん痛い思いをしたと思う。ぎゃあぎゃあ悲鳴をあげていたわ。
だから喉も切った。もうそのころにはナイフは血と脂がびっしりついていて、
吸血鬼としての筋力で無理矢理切り裂いたようなものなんだけどね。
ガリジャリガリってそんな感じ。
そう、私は吸血鬼になっていたの。
母の血を夢中ですすったわ。美味しかった。私自身の血よりずっと。
母の恐怖や驚きや悲しみ、それから怒り、頭の中に流れ込んできた。気持ちよかった。
全てを捨てる感触ね。人じゃなくなる感触。人じゃないことを受け入れる感触。
私、案外あっさりと吸血鬼になっちゃったのよね。

そうやって父も、最後には弟も殺した。
幸い弟はいくつもナイフをコレクションしていたからね、なんとかなったの。
もう、最後のほうでは刃こぼれしたり、曲がっちゃったナイフが
部屋中に転がっていたけどね。
牙で血を吸わないで刃物で切り裂く吸血鬼なんておかしいかしら?
でも私はそういう吸血鬼として夜の街に出たのよ。家族の血を飲み尽くしてから。

夜の街に出た私は、たった一本残ったナイフを手に街へ出たの。
最初はあの男を捜すつもりだったわ。私を吸血鬼にしてくれたあの男。だって家族の仇でしょ?

でもいないのよね。うるさいネオンと男と女。
以前はネオンの輝きって好きだったけど、今の私にはうっとうしくて仕方なかったわ。
そのうち誰かに肩を掴まれた。あっちへ行こうって誘っている。楽しそうね。
私はポケットの中のナイフを握りしめた。
ああ、これって弟が一番大切にしていたものなのよね。
だからこれだけは手を出さなかったのに。でも仕方ないわよね。弟はもう居ないもの。
路地の裏で男は私の体に手を回し、キスをしてきた。体をすり合わせながら
私の胸を服越しに揉んで、次は服を開いて直に揉んできた。
私も彼の背中に手を回したわ。右手には抜き身のナイフを持っていたけどね。
そっと撫でまわしたの。ナイフで、彼の背中を。

彼は怪訝そうにしたけれど、私は振り向かせなかった。
自分から舌を絡めて紅い瞳でにっこりと笑った。
吸血鬼の紅い瞳って人をたぶらかすっていうけど本当ね。
彼はそれで発情したみたいだった。いえ、発情していたのは私かしら。
私はナイフで彼の体を撫でることが楽しくて、彼が私のスカートに手を突っ込んで
パンティを引きずり降ろそうが気にならなかった。
そのまま壁の出っ張りに腰を引っかけさせて、挿入してきてもね。
始めてだったんだけど痛くなかったわ。いえ、ちょっとは痛かったかしら。
私はそれより彼の背中に夢中だった。ナイフでそっと撫でるの。
次は少し刃を立てて撫でてみるの。すっと衣服が切れる手応えがあったわ。
「あぁ……」
私はその手応えが嬉しくて声を上げた。彼は何かと誤解したみたいだった。
どんどん腰を動かしてくるの。そうね、そっちも気持ちいいわね。
「あぁ、、うぅん、、、あんっ」
私は嬌声をあげながら思っていた、そんなに揺さぶると危ないじゃない、切れるわよって。
でもいいか。ナイフを動かし続けたわ。紅い瞳で彼を捕まえながら。振り向いちゃダメよ。
頭の中で思うだけで通じたわ。彼、行為に夢中だった。

彼のものが私の中を出たり入ったりする。ぬるぬるしていて気持ちいい。
私のナイフが彼の背中を行ったり来たりする。少しずつ服が切れていって気持ちいい。
「はあっ、、ああっ、うんっ」
彼は何故だか素早く終わらせようとしていたんだけど、
嫌よまだ限界を迎えないで。私まだ貴方を切っていないのよ。
そう思ったから、すうっと肩の上から右手を抜いて、彼の頬にナイフを当てて見せたの。
ふふっ、その時の彼の顔は見物だったわね。
吸血鬼に噛まれた時の私も、そんな顔をしていたのかしら。
でも逃さない。私の左手は彼の背中を捕まえて、両足は腰を捕まえて、
あそこは彼のものを捕まえていたんですもの。逃げられないわ。
紅い瞳でじっと彼を見つめて言ったの。続きをしましょうって。ナイフはもう一回背中に戻してね。
彼はなんだかがくがくした動きで続けたわ。
そんなにがくがくしていると本当に切れるわよ、もう、しょうがないコね。
とうとうナイフが直に背中にあたった。彼は恐怖に目を見開いたけれど、もう止められない。
「あぁ、いいわ、気持ちいいの、もっとして、して、して」
私は笑いながらそう言った。彼は一生懸命動いたわ。
私はそっちの気持ちよさにも酔いしれながら、彼の肌にあたるナイフの感覚を楽しんでいた。
吸血鬼って感覚も鋭敏になるのね。少なくとも私はそうだった。
見なくてもナイフが彼の体毛をそり落とす感覚がはっきり分かったわ。でもまだ切らないの。
他人を切っちゃダメでしょ。

さっきはあれだけイキそうになっていたのに、今度はダメなのね。うまくいかないものね。
少し体勢を変えてみましょうか。私は彼にそう言ったの。
彼は情けなく腰から地面に崩れ落ちたわ。その上に私は乗って、仕方ないから自分で動いた。
ナイフが怖いのね。じゃあ見せてあげる。
「うぅん、、、ああ、、はあっ」
腰を動かしながら、はだけられた自分の胸に刃を走らせる。
ツウッと赤い筋が入って血が流れ、すぐに傷はふさがるの。ね、平気でしょ?
でも彼はそうじゃなかったみたい。何か叫ぼうとした。声を出さないで、私は目でそう言った。
彼はだらしなく大きな口をあけたまま、声を出せずにただ涙を鼻水を垂れ流して。
ああいやだ。なさけない。もういいわ。
私はそれより自分で楽しむことにした。
乳房の上にナイフをすべらせる、ヘソの上を刃を立ててなでてみる。首筋をそっと切り裂く。
「はあ、、、はああっ、、、、うぅん」
腰は動かし続けていたわ。こんな状態でも役に立つのねって感動しながら。
本能的危機に対して勃起する、だったかしら。まあ、たしかに、今は、危機よね。

「うふん、、はぁん」
私は暗がりの中で遠くのネオンに浮かび上がる、もう人じゃない青白い自分の体と、
そこに走っては消えていく赤い線と、それが残すかすかな血液に酔いしれていた。
やっぱり自分の血でも、吸血鬼は血に酔うのね。
どんどん止められなくなっていく。気が付いたら私の胸は真っ赤で
血が彼の上にもしたたり落ちていたわ。傷自体はもうないのにね。面白いわね。
手で自分の胸をさっと拭って舐めたわ。やっぱり自分の血ってイマイチだけど、でも美味しい。
「あぁ、、、はあぁあ、、うう、、、あぁぁん」
そうやって血まみれの腕を指を舐めながら、
もう一つの衝動も私を突き上げていた。これが達するってことなのね。
「あっ、、ああっ、、、うんっ、、いいわっ、、、いいのぉっ」
私は夢中で腰を振り、髪を振り乱し、ナイフで自分の体を切った。
達する瞬間、私はナイフを振り下ろしたわ。なにか遠くで悲鳴が聞こえた。

ざわざわした声が近づいてくる。嫌だわ、私まだ余韻に浸っていたいのに。
それに服だってはだけたままだし。パンティは後ろに転がっているし。
でも、そうね、逃げなきゃね。私はもう人じゃないんですもの。
彼の体からナイフを引き抜いた。その血を舐める。美味しかったわ。ありがとう。
ちゃんと心臓にぶつかったのね。練習の成果かしら。三人も使ったものね。
じゃあね、またね。
私は体を引き抜いて、服をかき合わせ、走って逃げたわ。
体が軽い。もう人じゃないんですもの。
手にした血まみれのナイフをアイスキャンディの様に舐めながら、愉快でたまらなかった。
だって、もう人じゃないんですもの。

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