由美江編:Lv2「キッチンの死闘」


店じまいの時間になった。
僕はケーキ工房とショーウィンドウの片付け、由美江はレジの点検精算。
売上金額を確認し、売上金を封筒につめて事務所のイリューシン店長の所まで持っていく。
すると店長はその封筒を金庫に仕舞う。これが一日の仕事の終了の風景だ。
「二人ともご苦労様。私はまだ仕事が残っているから、先に帰っていいわよ」
にこにこ微笑みながら、店長はそう言ってくれた。

僕と由美江は暗くなった歩道の上を並んで歩いていた。
いくら木刀小町、セーラー服美少女狂戦士と言われる由美江でも、女の子を夜に一人で帰すわけにはいかない。
最初、この「並んで帰る」習慣にドキドキしたものだった。
クラスの皆に見られたらどうしよう。冷やかされはしないだろうか?
噂になんかなったら、彼女に殴られはしまいか?
だが結論から言えばそれは杞憂というやつだった。
クラスメートと遭遇したことは何度もある。だが一度も噂に上ったことがない。
理由はただ一つ。これは僕が耳にしたことなので事実だ。

『あの由美江に限ってそんなわけねーって! 恋愛感情持ってるかも怪しい。
第一、ありゃ人を殴り倒すために生まれて来た様なもんだろ?』

それは偏見だ。僕が証人になってもいい。
二人で帰るとき、いつも繰り返される会話は妹の由美子の話だ。
彼女が誰かに恋しているそうだ。
そこで僕に男の心理というやつを質問してくるのだ。妹によきアドバイスをするために。
人を殴り倒すだけの女の子はそんな話はしない。絶対に。

いつもは由美江から口火を切るが、今日は僕から話しかけた。
「今日、帰りにハインケルとアンデルセンに会ったよ」
「そう」
「あの後、ハインケルとケンカしたんだって?」
「そんな大袈裟なモンじゃない。ハイは怒ってた?」
「ううん、気にしてなかったみたいだよ。ところでバイトはどうするって怒ってたみたいだけど」
「お前がいなかったら、私一人であの店長の相手をしないとならんだろ。ただ、それだけ。他意はない」

それから少し無言の時間が流れた。
だが不意に由美江が口を開く。
「ハイの写真な、生着替えは無理でも水着か体操服の写真ぐらい貰ってきてやるよ」
「えっ、でも」
「遠慮するなって、私が頼めばそれぐらいハイもやってくれるさ。ダメなら隠し撮りすればいい。うれしいだろ」
僕はうつむきながら歩いていた。そんな僕の顔を由美江が覗き込む。
「うれしくないのか?」
「いいよ、別に。あれは冗談だったんだから」
「冗談、か。なら、いいや」
急に由美江の足取りが軽くなりだした。

彼女の家の前に着く。僕の家は当の昔に通り過ぎた。また元来た道をたどることになる。
「あ、しまった! 店に財布を忘れてきちゃったよ。
いっけね〜 母さんから貰った一週間分の食費も入ってたのに… 取りに戻らないと」
「ばっかプゥ〜 わたしを半日以上悩ませるからそうなるんだ」
「悩むって、なに?」
「な、なんでもない。それより取りに行くなら早いほうがいい。今なら店長がまだいるかもしれない」
「そうするよ。じゃ、おやすみ。また明日ね」

僕は駆け足でその場を離れた。
少し時間がかかったが、なんとか間にあいそうだ。
店にはまだ明かりが点いている。イリューシン店長もまだ仕事中だろう。

 #

裏口にまわると、なんと扉が少し開いていた。
「物騒だなぁ。イリューシンさんでもこういうことあるんだ」
僕はその扉から中に入り、着替え室に向う。ついでに店長に戸締りの注意をしておかないと…

「なんだこりゃ? どうしてこんなものがいっぱい…」
ケーキ工房の中にダンボール箱がごちゃごちゃ並び、机の上に変なプラスチックや機材が積まれていた。
「C4プラスチック爆薬と電気信管よ、それ」
背後から声がした。イリューシン店長だ。
でも様子が変だ。今まで決して見た事のない冷たい表情で僕を睨みつける。
それになんだ、爆薬って。なんの冗談なんだ?
「忘れ物はこれかしら? こんなはした金のために現世からさようなら、とは冴えない最後ね」
「冗談はやめてください店長。そのお財布がないとっガハっ!?」
イリューシン店長の靴底が僕のみぞおちにめり込む。…今日二度目の不幸だ。
「悪いわね、○○君。私本職は国際テロリストなのよ。冗談じゃなくね。
見てはいけないものを見てしまった者がどうなるかは、古代ギリシャの時代からただひとつ…」
床に崩れ落ちる僕の髪を掴んで彼女は言った。僕の右手に刃の鋭いナイフを突き刺しながら。
「があっ!?」
「死んでもらうしかないわね、○○君!」

ガチャン! バサッ!
「勝手なこと言ってんじゃねえぞ、おばさん! ○○から離れろ、それ以上傷一つつけてみろ、殺すぞ」
かわされたが、テロリストに卵を投げつけフライパンを構えた由美江がそこにいた。
僕は痛むみぞおちを押さえ、必死に息を吸い込み叫んだ。手の傷などどうでもいい。
「ダメだ、逃げろ由美江っ」
「そういう訳にはいかねーんだよ、お前を見捨てるわけには」
「そうね、私も困るわ。二人にはここで死んでもらわないと」
酷薄な笑みを浮べてイリューシンはナイフに舌をはわせた。

新しく乱入した敵手にむかってイリューシンが突っ込む。
「勇気のあるお嬢さん、でもフライパンで一体何をしようというのかしら!?」
「ぶちのめす!」
フライパン片手にナイフの攻勢を防いだり受け流したりしているが、どうみても由美江の劣勢だった。
剣道で県下に敵無し、全国区でもトップ10は楽勝な由美江だが、それはあくまでも競技の話だ。
相手はスポーツの愛好家ではない。冷たいテロリストだ。
「由美江っ! これ!」
やっとの思いで掃除用具入れからモップを取り出し、先を引き抜いて柄だけを由美江に投げて渡す。
「サンキュー! 助かった!」
フライパンを投げ捨てて、由美江はモップの柄を正眼に構えた。
だが、その棒の先が小刻みに揺れている。

「あらあら、怖いのかしらお嬢さん? 震えてるわよさっきから。
私、子供のチャンバラごっこに付き合ってあげられるほど暇じゃ」
「やかましいっ! 震えてるんじゃない! 怒ってんだバカ!
血だ、○○の血がついている。てめえ、この倍以上の血を流させてやるからな、覚悟しろ!」

ヒュォッ カツン
空を裂く音ともに由美江の黒く艶やかに美しく、長い髪が幾本か宙を舞った。
ナイフが由美江の後ろの壁に突き刺さっている。
「威勢のいいこと。でも彼の心配をする前に自分の心配をしたらどう?」
イリューシンは輝くナイフを何本も手にし嗜虐的な音色の発言をした。
僕の背中に冷たいものが走る。
由美江が少しだけ、しかし確実に後ずさりした。
あの由美江が、だ。仕方が無い、今まで命のやりとりなんてした事がないのだから。
ヒュォ ビュッ シュパッ
残忍な女テロリストの手から銀色の閃光が放たれる。
由美江は自分を狙うナイフを可能な限りモップの柄で叩き落としたが、全ては無理だった。
かわし損ねた何本かが彼女の服を切り裂く。
「褒めてあげるわ、由美江ちゃん。本当は刺してやるつもりなのに、
服を切り裂かれる程度で避けるなんて大したもんよ」
「そいつはどうも!」
反撃に転じて突っ込もうとした由美江の足元に再びナイフが突き刺さり、牽制する。
一体こいつは何本ナイフを隠し持ってるんだ…

「ねぇ由美江ちゃん、どうしてここにバイトに来たのかしら。
ここに来なければ、死なずにすんだのにね。
もう最後なんだから○○君の前で言っちゃいなさいよ」
「てめえには関係ねえっ!」
「おおこわっ、じゃ、私が代弁してあげるわね。
大好きな、とても大好きな○○君と少しでも一緒にいたいから、あなたは私に頭を下げて頼み込んだ」

えっ!?

由美江は少しうつむいて、しかし、しっかりとイリューシンを見据えながら口を開いた。
「どうして、そう思うんだよ」
「ふふっ、女の勘よ」

由美江はキッと顔をあげ、イリューシンを正面から睨み大声で叫んだ。
「ああそうだよ! 悪かったな! それがどうした!?
アタシは○○が好きだ! 初めて出会ったその時から、ずっとだ!
一目惚れってやつだッ! 恥ずかしいが、事実だ! 自分に嘘はつけねーんだよっ!
だからアタシはここに来た。てめえの様な人でなしに頭まで下げてな!
だから許さない、てめえを許さない。○○を傷つけた、貴様だけは!」
「由美江!」
知らなかった。彼女が僕のことを想ってくれていたなんて知らなかった。
知っていれば、知っていれば……僕だって―――

なにか汚らわしい物を見た様に、イリューシンは頬を引きつらせていた。
「うわっ 臭い! 青春の匂いというやつかしら?
でも貴方達が嗅ぐのは、汚いヘドロの海の底の匂い。それとも魚のはらわたの匂いかしら?」
くわっと彼女の目が開き口も開く。赤い口蓋が離れた僕にも見えた。
「全く、これだからガキは嫌いなんだ! 激動の世界情勢から目を背け、
つまらぬ恋愛ごっこにうつつをぬかす。だからこの国は腐れ果てているのだ!」
ふりかざす手に、禍々しい光沢を帯びたナイフが煌めく。
「今どき愛だの恋だのと!! おまえら学校と社会を喰い潰すガンだ!!
今だに清い恋愛なんぞを信じている、腐れ女子高生が!!」
「今どきいい恋愛もしてないのかい!?
ケッ 今だにまともな恋愛一つ出来ない、カビ臭ェ 売れ残りのオバサンがよォ!!」
ビュオッ 空を切りイリューシンの黒い影が由美江にぶつかる。
「だまれ!!」
殺気の塊をなんの遠慮もなく由美江にぶつけてイリューシンは切りかかる。
由美江の棒は辛うじて必殺の一撃を食い止めたが、じりじりと押されていた。
まずい、このままでは、何とかしなくては…そうだ!

「くらえっ!」
わざとイリューシンの気を引くように叫び、その袋を大きく弧を描くように投げつけた。
実際問題として、腹と右手を痛めつけられた僕には速球を投げつける余力はない。
「ぬるいわっ!」
振り向きもせずにイリューシンの手が一閃する。ナイフがその袋を虚空で捕らえ、切り裂く。
それがやつの敗北の瞬間だった。

「なっ!? こ、小麦粉っ!? げふぉっ がふぉっ」
たちまち頭から小麦粉をかぶり、粉まみれになるテロリスト。
由美江はそんな彼女の隙を見逃さなかった。
「島原抜刀居合流!! 天山!!」
彼女の一刀がイリューシンの顔を横殴りに薙ぎ、悲鳴を上げてテロリストは床をのたうちまわった。
目を押さえ、大音響の悲鳴をあげて床に倒れこんだイリューシンを、由美江は怒りに燃える瞳で見下した。
手にしたモップの柄を高々と振り上げる。
「ギャーギャーうるせぇんだよ、お前は盛りのついたメス豚か!?
さっさと永遠に黙りやがれこのスベタがっ!」
狂ったように棒の乱打がイリューシンの顔や首に襲い掛かる。
いけない! 由美江は完全に我を忘れている!

「由美江! 由美江! もういいんだ、もういいんだよ! もう終わった!」
僕はまだ痛む体を無理矢理起こし、よろめきながらも由美江の背後から彼女の腕を抑える。
由美江の服が僕の右手の傷のせいでみるみる赤くなる。
だがその赤が彼女を取り戻させた。
まぶしいほどに快活な、僕の由美江を。

「傷っ!? だ、大丈夫か? すぐ手当てしないと…」
「このままでいい。いやいいかな、由美江?」
「このままって、○○、お前…」
「ありがとう。そしてごめん。肝心なときに役に立てなかった」
由美江の手からカタリと音を立てて棒が滑り落ちる。彼女の両手が僕の腕に添えられた。
「そんなことはない、そんなことはない! お前がいなければ私は」
振り向いた由美江のくちびるを僕は素早くふさいだ。
最初は驚き体中を強張らせた由美江も、すぐにその力を抜き、両腕を広げて僕の体を優しく抱き寄せた。
やわらかい、由美江のやわらかい感覚を今、全身で感じている。
こんな時が来るとは、つい半日前まで思いもしなかった。

名残惜しくもあるが、いつまでもそうしているわけにもいかない。
「さ、後片付けをしようか。続きはもういつでも出来るし。大好きだよ、僕も。由美江のことが」
満面の笑みを浮べて由美江は何度もうなずいた。

 #

イリューシン元店長はとっくの昔に意識が無くなっていた。
しかし自称国際テロリストをそのままにしておくのも危ないので、後ろ手に縛り、ついでに足も縛って床に転がしておく。
そんな彼女を由美江が見張っている間、僕は電話をした。もちろん警察に。
さすがに国際指名手配テロリストを捕まえたので、引取りに来てください、
とは言えなかった。悪戯電話にしか聞こえまい。
手短に店長が暴れだし怪我人が出たと、嘘ではないが事実とも違う説明をした。
先方で救急車の手配もしてくれるとのことで、そちらに電話をすることはなかった。

それから由美江のハンカチを借りて右手をグルグル巻きにする。
うわぁ、向こうが見えそうなぐらい穴が開いちゃってたよ…
だが由美江に心配かけまいとひきつった笑みをかえす。
もっとも由美江の様子からすると、あまり成功したとは言い難いが。

由美江と見張りを交代する。彼女は警察が来る前にやっておかないといけない事があった。
イリューシンにびりびりに破かれた服を着替えないと。
「なー○○〜、一緒に着替えるか〜?」
「バカっ!」
「へっへ〜 覗くなよ〜」
いつもの彼女に戻って、僕は安心した。
あ、そうだ、担任のマクスウェル先生にも一応連絡しないと…
僕は再び受話器を手に取った。

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