「魔弾の射手」 前編


秋の夕暮れ、屋上でリップは弓を組み立てていた。
少佐先生にはこれを機にもっと高級な物を買ってやろうかと言われたけれど、断った。
短い期間ではまず使い慣れた弓が一番だ。それにこれだって充分に高級なのだ。
…そう、本来ならリップはこんなものを手にすることができなかった。
そのほうがよかったのに。そう思うと涙が出るから、ただ作業に集中しようとした。
アーチェリーの複雑な弓を組み立て、防具を身につけていく。
ここは第3校舎の屋上で、小さな広場をはさんで正面にちょうど体育館がある。
アルミの目立たないドアがあって、それは地下の教職員専用駐車場に続いているらしい。
放課後、帰り際にそこを通過するインテグラ先生を狙えと言われた。
この位置から、その扉ははっきり正面に見える。
ライトに明るく照らされて、あたりに遮蔽物は何もない。

距離はそう、ここは五階の屋上で高さは15mくらいで、
第三校舎と体育館とでは約50mくらい離れているだろうか。
リップの立っている位置から扉まで、直線距離では70mといったところ。
アーチェリー競技の最長射程は90m、それより短い。距離的な問題は何もなかった。
ただこんなに高低差があるのは初めてだったけど、
学校の外の、もっと人通りの少ない、同じ高さの建物で練習させてもらった。
その時、最初の一発で的の中心を撃ち抜いた彼女に対して
シュレ生徒会長はとても嬉しそうに笑ってみせたものだった。
そして背後には大尉先生が居た。
相変わらず何も言ってくれなかったけれど、それでも分かってしまった。
リップはまだ大尉先生のことが好きだと。
少佐教頭に従っているのも、きっと何か理由があるんだと思ってしまう。
これだって、きっとなにか理由があるのだ。リップなどにはわからない正当な理由が。

まだ時間には早いけれど、そっと弓をつがえ扉を狙ってみた。

「秋の夜半の み空澄みて 月のひかり 清く白く
雁の群の 近く来るよ 一つ二つ 五つ七つ

家をはなれ 国を出でて ひとり遠く 学ぶわが身
親を思う 思いしげし 雁の声に 月の影に」

ウェーバー作曲の魔弾の射手から、佐々木信綱が作詞して文部省唱歌になった曲。
リップの大好きな、静かな曲だった。いつも歌詞を呟くだけで心が静かになれた。

狙わなくてはならない対象のことを頭にイメージする。
インテグラ先生。背が高い。いつもハイヒールをはいているからなおさらそう見える。
でもそのヒールが回避を難しくするはずだ。まず狙うのは足。それで動けなくなったら、
上半身にもう一発。かすめるだけ。本当に、かすめるだけ。
アーカードさん。彼は難しい。やはり長身だけれど、動きに予想の付かないところがある。
やっぱりまず足を狙うべきだろう。それから腕を。彼は危険だ。反撃してくるかもしれない。
インテグラ先生より、もうちょっと思い切って内側を狙わなくては。
彼女の頭はだんだん射手としてのものになっていった。

この屋上にはこちら側から鍵をかけてある。
射撃が終わったら、鍵を開けて校舎内に逃げ込めばいい。
その先、隠れる教室も指定してあった。
臆病なリップはここに来るまでその道順を何度も何度も頭で復習したものだったけど、
弓を構えた今となってはそれよりも標的のことが気になって仕方なかった。

普段の二人の動きが頭の中で再生される。動きの癖、緩急、歩くテンポ。

インテグラ先生はいつも早足だ。それにいつもまっすぐ前を向いて堂々と歩く。
先生が迷ったところなんてみたことない。反対に私は迷ってばかりだ。
先生は月のような人。私はその影。どんなに頑張っても先生みたいにはなれない。
同じ女なのに。大尉先生だって、インテグラ先生みたいな人に告白されたら…。
そんなことを考えてしまって、あわててスカートのポケットの中の定期入れを握りしめた。
そこにはバレンタインデーにもらったエーデルワイスの写真が挟んである。
いつもこっそり眺めては、幸せな気分になれた。でも今は、集中の邪魔だ。
邪魔になる。また余計なことを考えてしまう。開くのはやめておいた。

アーカードさん、彼は難しい。それに怖い。
「おそらく二人は一緒に現れるだろう」と少佐先生は言っていた。
何故なのかはわからないけど、そもそも今回はわからないことだらけなのだから仕方ない。
「まずインテグラ先生を狙えば、彼は先生を守ることに全力を挙げるはずだ」
だからこちらに向かってくる心配はないと。
でも、なぜアーカードさんが先生を守るんだろう。あの人は誰にも興味がないはずなのに。
けれど二人一緒に現れるのだから、なにか関係があるのだろう。
やっぱりアーカードさんも先生のことが好きなのかな。
アーカードさんはきっと、私のことなんて眼中にもないだろうに。名前すら覚えていないかも。

リップは頭を振った。集中が乱れている。

アーカードさんは確かに動きが難しい。だけど彼にも弱点はある。まず先生のことが一つ。
それにあの人は自分の強さに絶対的な自信を持っている。だからあえて隙を作っている。
最初の一発をわざと受けることを楽しんでいるふしがある。大切なのは、最初の一射だ。

狙いは定まった。

秋の夕暮れは早く、あたりは徐々に闇に包まれていった。
空には月が出ていた。
「月のひかり 清く白く 雁の群の 近く来るよ…」
リップは歌をつぶやいた。

インテグラはいつものように用事を終え、教室を出た。
足早に駐車場の入り口へと向かう。いつもと変わらぬ無駄のない迷いのない動きだった。
明るく照らされた駐車場入り口のドアに鍵を差し込む。まわらない。
彼女は少し眉をひそめた。
その時、背後から風切り音がした。
さくっ。近くの地面に矢が突き刺さる。

「外した…」
リップにはそれがショックだった。
標的は驚いた顔でこちらの方を見ている。
しかしこの屋上には明かりがないから分からないだろう。
「今度は外さないわ…」

「リップ?」
そう呟いた矢先に二本目の矢が降ってきた。
今度は狙いあまたずインテグラの足を深くえぐった。
「くっ」
さすがに立っていることが出来ず、崩れ込む。その肩を三本目の矢がかすめた。

リップは二射目、三射目には満足だった。まったく狙いどおりだった。
「一つ二つ 五つ七つ…」
まだ標的は残っている。

「インテグラっ」
珍しく顔色を変えて駆け寄ってきたアーカードにむかってインテグラは叫んだ。
「明かりに入るな! 気をつけろ、バカッ」

アーカードさんが走ってくる。やっぱり二人には何か関係があるんだ。
そう思う一方で、彼が扉を照らす明かりの中に完全に入ったのを待った。そして、撃った。

アーカードはインテグラの声を聞いてとっさに身をよじる。
その腰を矢がかすめた。白いシャツに血がにじむ。
「彼女を止めろ、アーカードっ」
インテグラの叫びも半分しか耳に届いていなかった。
「あそこかぁっ!」
アーカードは一路第三校舎屋上目指して駆けだした。
その右肩を一本の矢がかすめる。彼は気にせずそのままの速度で走り続けた。

アーカードさんが暗がりの部分に入る。これでは当たらない。
リップはもう逃げることを忘れていた。自分が射手として標的を撃ったこと、人に血を流させたこと、
後戻りできない気持ちとなんともいえない高揚が彼女を包んでいた。
第三校舎入り口には鍵がかかっている。どうするだろう。そうだ非常階段だ。

アーカードは非常階段の柵を乗り越え、鉄の階段を駆け上がった。
カンカンカンという音を頼りに、リップは矢をつがえる。
完全に射手の状態になった彼女にとって、もはや暗闇は問題ではなかった。
音で狙う。
「私はリップヴァーン・ウィンクル…魔弾の射手」
ヒュッ。駆け上がってくる音はまだ変わらない。
ヒュッ。駆け上がってくる音が一時止まった。当たったのだ。
「家をはなれ 国を出でて ひとり遠く 学ぶわが身…」
リップは一息ついた。アーチェリーの矢は1ダースを基本とする。あと5本。
もう少し近づけてから撃った方がいい。
カンカンカン、音は確実に近づいてくる。それでも、もう怖くなかった。

アーカードは三階部分を通り過ぎた。矢は一時やんでいる。しかし弾切れだとは思わなかった。
彼の戦闘本能が告げている。この上では敵が、強敵が彼を狙っているということを。

カンカンカン。音が大きくなってきた。もう薄暗がりで姿が見える。
白いシャツというのは便利だ。それに今日は満月。
「親を思う 思いしげし 雁の声に 月の影に…」
ヒュッ。外した。いやかわされた。
「次はそうはいきませんわ…」
ヒュッ。手応えがあった。肉を切る音が聞こえる。あと3本。
しかしもう音はだいぶ近くまで来ている。リップはそっと非常階段から離れた。

アーカードは一気に非常階段の屋上へ出る手すりを乗り越えた。
その先に立っているのは、リップ委員長。
射手の装束に身を固め、矢をつがえた弓をこちらに向けている。
その表情は、おびえて弱気は普段の彼女からは想像もできないものだった。
眼鏡の奥のするどい目つき、なにより全身から放たれる殺気。
こんな身近にこんな奴がいたなんてなあ。アーカードは嬉しかった。心底楽しかった。

リップは少し驚いた。アーカードは満面の笑みをうかべながらこちらに近づいてくる。
距離はもう20mとない。この距離で彼女が的を外すことなどあり得ない。
彼の心臓を射抜こうと思えば、そうできるのだ。なのに、なぜ笑っているの?
問いかけることは射ることだった。
ヒュッ。アーカードは素早く横に動いた。まったく人間の域を超えた反応だ。
でもこの距離でかわしきれるはずなんてない。制服のズボンが大きく裂け、血が流れた。

「リップ!」
足を止めてアーカードは叫んだ。距離約15m。
「何故かなんて聞かないぜ。どうせ少佐だろ」
答えはない。ただ彼女は射るのをやめた。それでもいつでも撃てるように構えたままだ。
それでいい。アーカードは笑った。
「ただなあ、俺は向かってきた奴は徹底的に叩きのめす。それが、誰であっても、だ」
その声は心底楽しそうだった。そして彼は心の底から笑っていた。

リップは始めて恐れを感じた。彼は勝てると思っている。なぜなの、なぜ!?
動揺をおさめるために、またいつもの詩を唱えた。
「秋の夜半の み空澄みて…」
同時にアーカードはリップに向かって駆けだした。
ヒュッ。矢が顔の近くを通り過ぎた。

しかしリップは大切なことを忘れている。アーカードには今や彼女の姿がはっきり見えた。
射る呼吸、タイミングだってわかる。そのわずかな照準の動きも。
姿が見えず一方的に撃たれていたときより、今や彼の方が圧倒的に有利なのだ。
競技しか知らない、実戦を知らないリップにはわからないのだろうが。
もちろん一歩間違えれば矢は彼の心臓を射抜く。
しかしその事実すら、アーカードには楽しくて仕方なかった。

あと1本。もう考えている余裕はない。
リップはただ、これまで何千回、何万回と繰り返してきたように、矢をつがえ弓を引き
標的、つまりアーカードの心臓に照準を合わせ、撃った。
撃った瞬間これは私の最高の射撃だという確信があった。

しかしアーカードはかわして見せた。
矢は確かに彼の左肩に突き刺さった。でもそれは心臓ではなかったのだ。

「弾切れかい、委員長?」
平然とその矢を引き抜いて、アーカードは問いかけた。
「あ、あ、あ、、、」
無意識に空になった矢筒を手で探りながら、リップは言葉をなくしている。
その顔は冷徹な射手から普段の委員長の顔に戻りつつあった。
だからアーカードも委員長と彼女のことを呼んだのだけど。

リップは今更ながらに屋上入り口へと向かって駆けだした。
その後をアーカードが追ってくる。
扉まで後一歩というところで肩をつかまれた。
「俺は、お前を、つかまえた」
勝利感に酔った声と共に、拳で頬を殴り飛ばされる。
小柄なリップの体は大きく宙を舞い、コンクリートの上に落ちた。

「魔弾の射手」後編へ


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