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◆◆記憶に残った夢の個人的な記録◆◆

〜〜〜  07.沈黙の恋  〜〜〜 

 いつの時代なのか、それともやはり夢だからなのか、どことなく中世のような気もするが、私にはわからない。
 私の着ているドレスはフランスの宮廷の女性たちのような華やかなものではなく、もう少し清楚な感じだ。夢の中の家には鏡が無かったので、自分の顔がどんな作りなのか、髪の色が何色なのか知ることもできない。
 私がわかっているのは、城のような家にばあやや使用人たちと住んでいること。そして、異国の人々がこの町に攻め入ろうとしていること。頼りになる兄は戦争に借り出され、家には男手が無く、とても不安な日々を過ごしていること。
 私は騎士である兄が家に帰ってきてくれることを切望していた。この町は異国の人々に占領されてしまうのだろうか。逃げるならどこへ? どうすればいい? 使用人たちは解雇して先に逃がした方が良いだろうか? 兄に相談したい。早く兄が帰ってくればいいのに…。
 蝋燭の灯りの中で用意された夕食を取るが、不安のせいで食欲が無い。ばあやが心配そうに私を見ている。私はばあやから視線を外して煉瓦の壁をぼんやりと見つめた。
 その時、使用人の一人が兄が帰ってきたことを興奮した声で告げた。
 私は椅子から立ち上がり、急ぎ足で兄を出迎えた。
 兄はさっきまで戦っていたという様子で、甲冑を着て腰に剣を差し、少し疲れた様子で立っていた。
「遅くなった」
 兄は私を見て言葉少なげに言った。甲冑も金色の髪も、返り血と泥と埃にまみれている。私はかまわず兄に抱きついた。
 しがみついて離れようとしない私を、兄は黙って好きにさせていた。しばらくして、兄がぎこちない仕草で片腕を動かし、私の背中を軽く抱いた。私は甘美な鞭に打たれたように茫然としながら腕に力を込める。兄は、そんな私を一瞬だけ強く抱きしめたあと、ゆっくりと身体を離した。
「もう大丈夫だ。守ってやれる」
 兄はあまり表情を変えずに言った。
 この町が安全になるまでしばらくは家に居られるとのだという。それを聞いて私はとても安堵した。
 気がつくと、兄の後ろに誰かが立っている。兄と同じ騎士のようだ。
「そちらの方は?」
 私が訪ねると、兄は彼のことを親友だと紹介し、共に警護する為に連れて来たのだと説明した。そして、しばらくこの家に泊めるつもりだと付け加えた。
 私は初めて見るこの兄の親友を一目で嫌悪した。
 親友は、私と兄の二人だけの時間をきっと邪魔するだろう。
 私は兄に恋をしていた。近親相姦が罪深いことだとわかっている。兄も決して受け入れてはくれないだろう。だから私は兄に対する自分の想いを胸の奥深くにしまっていた。
 兄と親友は湯を使って身体を洗い、あらためて三人で食事をすることになった。
 親友は饒舌で、無口な兄の代わりに雰囲気を明るくしようと随分気を使ってくれた。しかし、私には雑音にしか聞こえなかった。邪魔者の声だからだ。
 この親友がいなければ、兄と二人で過ごせるのに……。
 親友が悪いわけではない。私が罪深いのだ。兄の親友なのだから、きっと良い人なのだろう。私には彼の視線が迷惑だった。あきらかに私に好意を持っている優しい視線だ。
 食事中、私はなるべく彼と目を合わさないようにしていた。
 やがて食事が済み、兄と親友が別々の部屋で床に着くと、私は燭台を片手に廊下を静かに歩き、兄の部屋の扉を叩いた。
 部屋には兄一人だけで、ベッドに横たわっていた。疲れのせいか身体を起こさずに頭だけを少しもたげて私を見た。
 兄は何も言わない。
「おかえりなさい」と私は燭台を置いて、ベッドの側に跪き、兄の顔を覗き込んだ。
 昔から兄は無口だった。考えていることを言葉にしない性格なので私には兄の気持ちがよくわからないけれど、態度はいつも優しい。
 透き通った宝石のような青い瞳、淡い金色の髪、多くを語らない唇。
 すべてが愛おしい。気が狂うほど好きなのに、私は言葉にも態度にも表せない、表すことはできない。兄を私の罪に引き込んで苦しませてはならない。苦しむのは私だけでいい。
 私は泣きそうになった。そして、兄の胸に頭を乗せた。
「不安なのか」と兄は訊いた。
 私は返事をするかわりに、兄の胸の上で頷いた。
「大丈夫だ」
 兄は私が戦争の不安に怯えていると勘違いしているようだった。私がいつまでも顔を伏せているので、よほど不安なのだと更に勘違いしたのだろう。力強い両手で私の肩を抱いた。
 私の心臓は激しく鳴り始めた。
 時が止まってしまえばいいのに…、この夜が永遠だといいのに……。
 もしもこの世が、法や秩序や言葉すら無い大昔の時代だったら、私たちは愛し合えただろうか? 本能のままに行動しただろうか?
 愛し合う私たちに非難の言葉など無い世界に行きたい……。
 私の閉じた目から、涙がとめどなく溢れた。
 兄はずっと無言のままだ。顔を上げて見た兄は、瞼を閉じている。しばらく見つめていたが兄は少しも動かなかった。多分、眠ってしまったのだろう。
 私はやりきれない想いを抱えたまま部屋を出た。自分の寝室に戻ろうとしたが、きっと寝付けないと思い、そのまま庭に出た。
 春の夜は私の心を少しも慰めてはくれなかった。
「あなたも眠れないのですか?」
 声がして振り向くと、兄の親友が花壇の淵に腰掛けていた。
 私は一瞬、彼に優しく接するべきかどうか迷い、思わせぶりな態度は取ってはいけないと結論を出した。それに従って、私は愛想笑いもせず、何も答えなかった。
「この町が安全になったら、あなたの笑顔も戻りますか?」と彼は再び訊いた。彼も兄と同様に、私が暗い顔をしているのは不安のせいだと勘違いしているらしい。
「私は以前、あなたをお見かけしたことがあります。花のように美しい笑顔でした。本当は、私の方から頼み込んでここに連れて来てもらったのです。あなたに会うために」
 彼は遠まわしに告白している。
 それよりも私は、兄が自分の親友を私の恋愛対象にしようとして仲を取り持ったことに驚きと深い悲しみを感じた。
 側に来た彼が私の前に立ったので、私は初めて彼の顔を正面から見つめた。
 物腰の柔らかい喋り方に似つかわしい穏やかな顔立ち、誠実そうな透き通った夜明け色の瞳。近親相姦などという生臭い罪は、彼からとても遠い所に存在している。
 私が兄に恋していなかったら、彼を好きになったかもしれない。
 薄い青紫色の瞳が私を見つめ、辛抱強く私の言葉を待っている。
 ごめんなさい、あなたの気持ちに答えられない……私は胸の中で呟いた。
 言葉にしてしまえば、彼に「なぜですか」と理由を尋ねられるかもしれない。私にはそれが煩わしかった。
 自分の気持ちを言葉に出すのは、かえって混乱を招くだけだ。
 何も言わない方がいい。黙っていればいい。そうすれば誰も傷つかない。
 私はふと考えた。
 兄が無口なのはなぜか、と。
 兄はどんな気持ちを隠しているのだろう──?
 突然、一つの予感が私の身体を貫いた。
 それは当たっているのか、それともはずれているのか……。
 私は生暖かい夜風に吹かれながら、兄の部屋の窓を見上げて立ちすくんだ。
 窓辺に、寝ているはずの兄の姿が、一瞬だけ見えた。
 私と目が合いそうになったので、咄嗟に隠れたらしかった。兄はずっと暗い部屋の窓から私を見ていたのだ。
 月明かりに照らされた兄の顔はとても恐ろしかった。
 それは私が初めて見るもので、まるで嫉妬に狂ったような目をしていた────。


【あとがき】 この夢の話をダーリンに話したら、兄の親友が登場して惚れられているという設定のところで「また!? その設定の夢、多すぎ〜!」と笑われました。ha ha! それにしても、肌色の煉瓦の手触りや冷たい感触、帰ってきた兄の埃と血の匂いを、目覚めてからも鮮明に覚えていました。


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