忙しなくパソコンの作業に没頭していたMAKUBEXが、ふいに手を止めた。

何事か考えるような顔つきをしてから、改めてパソコンに向かい、作業を中断して何かを検索し始める。

傍らで同じようにパソコンに向かっていた朔羅が、怪訝な視線を向けた。

若干14歳とはいえ、驚異的な頭脳を誇るこの少年が、突然の思いつきで行動することは珍しい。

少し離れた場所で、警護するかのように控えていた十兵衛と笑師も、互いに顔を見合わせる。

それまで恐るべき集中力をもって行っていた作業を止めてまで、MAKUBEXは何を突き止めようとしているのか。

朔羅が一時的に手を止めて、MAKUBEXの側に寄り添った。

MAKUBEXからは、それを拒否する言葉はない。人に見られて困るようなことではないということだろう。それを見て、十兵衛も笑師もMAKUBEXの後ろへ歩み寄った。

MAKUBEXの邪魔にならないようにそっと画面を覗き込んでみると、どうやら裏社会の人物データを調べているようである。

極道のトップやら麻薬の売買人、マッドサイエンティストから連続殺人犯まで、膨大なデータベースには、数え切れないほどの個人データが詰まっている。しかし、これだけのデータベースでさえも、把握できるのは裏社会全体の一角でしかないというのだから、人間が作り出す社会というものは、本当に底知れない。

MAKUBEXがそんな情報を洗い出したということは、何かを警戒しているのだろうか。

ここは無法地帯『無限城』だ。

いつ何が起こるか分からない。

VOLTSの支配が敷かれているとはいえ、外部から大物が入り込んでくれば勢力範囲に変化が生じることもありえる。

しかし、MAKUBEXが警戒しなければならないほどの大物が、この無限城に接触してきたという情報は今のところないはずだった。

MAKUBEXの背後で、3人は息を殺して真剣に画面を見つめ続ける。

自分たちには想像もつかないところで、何か動きがあるのだろうか。コンピュータ並の演算能力を持つMAKUBEXならば、自分たちでは気付かないような些細な変化も見落とさず、小さな断片的な情報からでも大局を見つめることができるだろう。

物凄いスピードで切り替わっていく画面がようやく止まった。

MAKUBEXの口から発せられるであろう言葉を待って、十兵衛と笑師は背筋を正す。

戦闘を伴う命令なら、彼ら2人の担当となるだろう。

画面に映し出された文字を見つめるMAKUBEXに、朔羅が促すように声を掛けた。

「……MAKUBEX…?」

「ああ、やっぱり」

「?」

意外にもその声に緊張感はない。

拍子抜けしたように、3人が軽く目を見開いた。

「どうしたのだ、MAKUBEX」

「MAKUBEXはん?」

皆に声を掛けられて、MAKUBEXもまた驚いたように周りを見回した。

画面に夢中で、3人がぴったりと後ろに貼りついていたのに気がつかなかったらしい。

「え…、ああ。大したことじゃないよ」

MAKUBEXの態度を見る限り、本当に深刻な事態ではないのだろう。朔羅がほっと溜息をつき、十兵衛も肩の力を抜いた。笑師も緊張を解したものの、やはり気になるのか、MAKUBEXに問い掛ける。

「気になるやないですか。何やったんですか?」

「本当に大したことじゃないんだ」

笑顔で答えるMAKUBEXに、それでもまだ3人は釈然としない表情を向けている。こう言われても一度気になってしまったものは、原因がはっきりするまで落ち着かないものだ。

3人の考えを感じ取って、MAKUBEXが苦笑しながらパソコンの画面を指差した。

そこには、MAKUBEXが検索した、裏社会における有名人のデータが羅列してある。

どうやら、裏社会ならではの、特殊な仕事を生業としている連中の個人データのようだ。

殺し屋・始末屋・運び屋・夜逃げ屋・横取り屋・護り屋・奪い屋…。

大物から、ただ単に目立つだけの小物まで様々だが、その中に身近な名前が一つあった。

名前の脇に設けられた欄に、注意を促す赤い文字で『超危険』との説明が入っている。

「今日って11月28日だよね」

確認するようにMAKUBEXが聞いた。

画面に浮かぶ文字の中にも『11月28日』という単語が見える。

笑師が不気味なものでも見たかのように呟いた。

「はぁ〜、誕生日でっか。奴さんにもそんなのが…」

笑師の言葉を聞き咎めたのか、厳格な声が飛んだ。

「それは流石に失礼な物言いだぞ、笑師。奴のような人間でも、親がいたはずだし、誕生日くらいあるはずだ」

果たして、どちらがより失礼なことを言っているだろうか。

思い切り突っ込みたい気分になった笑師だが、敢えて言わなかった。おそらく、この時代錯誤のエセ侍は、自分が言ったことの意味を深く考えてなどいない。

「親の顔が見てみたいよねぇ」

更に失礼な台詞が、4人の背後から聞こえた。

「うわっ!」

驚きを隠せない笑師の声が大きく響く。

オーバーアクションで、心臓の辺りを押さえてみせる笑師の隣に、するりと白い人影が入り込んだ。

こうやって、他人を驚かせて楽しむ趣味を持っている者は一人しかいない。

「鏡くん…いつ下りてきたんだい?」

全く気配を感じさせずに近づいてきた鏡に、MAKUBEXは別段驚いた様子も見せない。筧姉弟も落ち着いたものだ。

「ついさっきさ。皆で輪になって楽しそうにしてるから、俺だけ仲間外れの気分を味わっちゃったよ」

これ見よがしに、傷ついた顔をしてみせる。

鏡のこんな行動は、全てが冗談の範疇だ。いちいち反応すると馬鹿を見るのは皆知っているので、気にする者など誰もいない。

「つまらない話題で悪いね、鏡くん」

「ちょっと期待外れだったのは確かだね」

2人の会話に笑師の顔が引きつる。

確かに誕生日を迎えた当の人物は、好ましい人間ではないにせよ、さっきから皆で人の誕生日をネタに雑言の応酬だ。

しかも、それをおかしいと感じているのは自分だけなのか。

「とにかく、これだけなんだ。納得したら皆、持ち場に戻って」

思わぬ一時の歓談を終了させるように、MAKUBEXが周囲をぐるりと見回して言った。

皆がそれぞれにその場を離れようとする。MAKUBEXが再び作業に戻るなら、その邪魔をしてはいけない。

その時、朔羅がぽつりと言った。

「お祝いにケーキでも作ろうかしら?」

「!?」

その場にいた全員が一斉に振り返る。

朔羅に向ける表情は、仲の良いことに、皆同じだ。

てっきり朔羅のような女性は、あの手のタイプが嫌いだろうと思い込んでいたのだが、違ったのだろうか。

まさかとは思うが、朔羅に限って『ちょっと恐そうだけど、あんな男と火遊びしてみたい』だなんてことを考えてたり―――万が一にもそんなことがあったりするのか?

戯言をほざいて食い物にされた女がどれだけいたか、朔羅ならよく理解しているはずだ。

素人娘の手に負えるような男ではない。

周囲の困惑を知ってか知らずか、朔羅は穏やかに言葉を続ける。

「もし良かったら、ケーキの飾りつけを手伝ってもらえると嬉しいのだけれど…」

意外なことに、朔羅の視線は鏡に向けられていた。

困惑の度合いは深まる。

どう考えても、鏡は料理に縁のある人間とは到底思えない。

リンゴの皮むき一つできないだろう。

鏡もそれを自覚しているのか、一瞬あからさまに訝しげな顔をしたが、すぐに朔羅の意図に気がついて、応じるように笑ってみせた。

「ああ…俺のダイヤモンド・ダストでトッピングかい? それは綺麗だね。食べると口と喉と腹の中がズタズタだ。…流石に女性は発想が違う」

笑顔でとんでもないことを語り合う2人に、何気なく十兵衛が続ける。

「あの男は甘い物など食わんだろう」

尤もな指摘に、朔羅がまた新しい考えを述べた。

「じゃあ、お酒はどうかしら?」

「ああ…俺のダイヤモンド・ダストでオリジナルカクテルかい? それも綺麗だね。飲むとやっぱり口と喉と腹の中がズタズタだ。…流石に女性は応用力が違う」

何の抵抗も感じないのか、恐ろしいことを語り合う3人に、MAKUBEXが感激したような声を上げた。

「すごいよ、朔羅。誕生日にケーキとカクテルだなんて。まるでお母さんのやることみたいだね」

年相応の子供のように目を輝かせるMAKUBEXに、朔羅が聖母のような温かい笑顔を向ける。

「…もしもーし、MAKUBEXはん。何か大きな間違いに気付きませんか…?」

血の気の引いた顔で、笑師が囁きかける。

小さな声は、虚しく掻き消されていった。





「そういう話は本人に聞こえねぇようにやりやがれ…」

廊下で苦々しい呟きが漏れる。





その日、時計の針が夜の12時を過ぎるまで、不動は行方を晦ました。



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