鬼畜魔王ランス伝

   第51話 「訣別」

 オロチが細切れの肉片と化してから、どれほどの時が経っただろうか。
 一向に動こうとしないランスに同行者たちから不安げな声がかけられるが、それでも返事がない。死んでいるのでない事は見れば分かる。ただ、視線をオロチの死骸に向けて身動きひとつしていないだけだ。
 その重い沈黙に耐え切れない者がいた。
 玉櫛風華だ。
 ランスは彼女を助ける為オロチと戦い、そして、動かなくなったのだ。
「ランス様っ! 私が…私が…貴方様に頼まなければ……私が犠牲になっていれば…」
 眼から涙をポタポタとこぼし、ヨロヨロと歩み寄ろうとした風華の行く手をムサシボウの巨体が塞いだ。
「風華殿。ココハ、ソレガシ等の棟梁タルランス様ヲ信ジテ御待チアレ。」
「でも……」
「ランス様ナラ、大丈夫。アノ御方ニおろち如キガ何カデキル訳アリマセン。」
 全身傷だらけ……所々に血を滲ませながらも揺るがぬ姿勢と、あくまでランスを信じる言は、風華のみならずその場の全員に感銘を与えた。
 すると、その言葉に答えた訳ではないのだろうが、オロチの死骸のあちこちが淡く光りはじめた。人工の明かりの中では良く見えないほどに淡い光を。
「明かりを消せ、早く。」
「はい、魔王様。」
 久しぶりに聞いたランスの肉声を喜びながら、まじしゃんは辺りを照明していたミニ太陽を消した。
 ……それでも、辺りは暗くならなかった。
 オロチの死骸から音も無く静かに浮かび上がったたくさんの光る球が、辺りをうっすらと照らしていたからだ。まるで、蛍火の如くに。
「ランス様……これは……」
 何かをはばかるようにそっと、しかし、この静寂に満ちた空間では良く通る声で風華は訊ねた。メリムは眼を丸くして何やらメモを取っている。
「オロチに食われていた魂が解放された……いや、俺様が解放してやったんだ。」
「え……」
 静かな魂の群舞は、ゆっくりと天に消えてゆく御魂が増えると共に終わりに近付いて行く。そして、最後の蛍火は風華の眼前で一瞬止まった後、フウッと掻き消えた。
「姉…様……」
 それが、誰のモノだったのかを悟って風華の涙はいよいよ止まらなくなった。
 それを見て困り果てた顔のランスが自分の頭をガシガシと掻く。
「ええい泣くな! 泣かれると俺様も、あの千漣って子も困る。」
「えっ。」
 驚きで涙は一瞬止まりはしたが、いつまたぶり返さないとも限らない顔に、ランスは溜息をつきながら説明をする事にした。ガラではないと分かっているだけに出来ればしたくなかった説明を。……延々と泣かれる方が嫌だというだけの理由で。
「俺様は女の子に泣かれるのはベッドの上以外では御免だ。それと、あの姉さんって人はこの世の見納めに風華ちゃんの顔見に来たんだろ。だのに、風華ちゃんがいつまでも泣いてちゃ未練が残って幽霊になりかねないだろ。」
 それを聞いて、何とか泣くのを止めようとする風華。だが、それでもしゃくり上げるのを止められない風華を見て、ランスは泣くだけ泣かないと止まらない事を悟った。
「ああ、もういい。泣きたいだけ泣け。俺様の胸でいいなら貸してやるから。」
 しばらく迷った風華ではあったが、
「……はい。」
 結局ランスに縋り付いて泣き出した。
 声を殺して、目元を拭う手もずぶ濡れになるまで。

 ムサシボウは、そんな皆から多少離れて襲い来る魔物たちを一人で撃退していた。
 満身創痍のまま、静穏を乱さぬよう極力音を立てずに。


 ゼス王国貴族院。ここに所属する者は、ほぼ例外無く高位の魔法使いである。
 その大多数を占める老魔法使いの多くは「不老不死」の言葉に惹かれ、闘神都市へと赴いた。そこで何が待っているかも知らずに……
 そこで彼らを待っていたものは、各々の実力に合わせて等級化し、手際良く処置して行く特殊なミイラ職人たちだったのだ。
 下はルストから、ロンメル、ゲーリング、クレッチマー、ガーランド、ゲッペルス、ヒムラー、そして、最強格のヒトラーと、闘将の中でも『魔法使い型』と呼ばれるタイプへと改造されていく彼等のおかげで、人類軍の総合戦力は更に高まった。
 来るべき開戦の日に向けて。
 ゼス王国の幹部たちは、それが一日でも遅い事を願っていた。
 未だ空戦部隊を調達するアテがない闘神都市を見上げて。


 ランスがそれを発見したのは、小一時間後。ようやく風華が泣き止んでからだった。
「ん……」
 通路に仁王立ちになって荒い息を押し隠しているムサシボウと、おびただしい数の魔物の死体に。いかなランスの知覚能力といえども、オロチの残留神気が晴れるまでは感知能力はどうしても落ちる。泣いていた風華に気を取られていたので尚更である。
「オオ、ランス様……移動ナサレマスカ。」
 満身創痍で、返事をするのでさえ大儀そうなムサシボウの様子を見て、ランスの激しい叱責が飛んだ。
「馬鹿! 辛いなら辛いと言え、この馬鹿っ! 全く、そんな事だから俺様がいらん苦労する事になるじゃねえか。……シィル!」
「はいぃぃ。痛いの痛いの飛んでけ〜〜〜!!」
 すかさず回復魔法を唱える魔剣シィル。この辺のコンビネーションは流石だ。
「あの……」
「ん……何だ、風華ちゃん。」
「私も初歩の回復魔法ぐらいなら使えるのですが、協力した方がよろしいでしょうか。」
「そうか。よし、協力してやれ。」
「はい。」
 シィルと風華がかけた回復魔法によって、ムサシボウの負傷は見る見るうちに癒えていく。元々の基礎体力が高い事も手伝って、全身の負傷……取り分けランスと戦った時の傷が致命傷になる前に治療を受けた事が幸いし、一命を取り止めたのだ。
 それどころか、ランスと戦う前の状態まで体力が回復した。
 ひとえに、生命力が強い魔物ならではと言えよう。
 オロチの残した気も晴れ、一行を襲う魔物もいなくなったところでランスは長崎の街への帰還を提案した。
 まずは、あの神社へと向けて。


「どういう事だ、これは!」
 モスの迷宮地下46階。ここでは、世界で最も危険な剣士…小川健太郎…が、天の御使い…エンジェルナイトのニア…を相手に喚き立てていた。
「これが“暗黒神の鎧”って訳じゃないだろうな!」
 それは、手に乗るほどの大きさの卵型の青い石とでもいうような形状をしていた。何処からどう見ても鎧なんかには見えない。
「確かに違います。ですが……」
 冷静に対応するニアではあったが、健太郎がカオスを手にじりじりにじり寄って来るとなれば話は別だ。盛大に冷や汗を流しながら弁明を試みる。
「私の力では、神の力が宿るアイテムの位置は分かっても、それが何なのかは見てみないと分からないのです。」
「それで?」
 ゆっくりと正眼の位置にまで持ち上げられていくカオスの切先が、正確にニアを指向してゆく。一片の情け容赦も無しに。
「これは……“スーパーの卵”と呼ばれているアイテムで……我が神プランナー様が人間を強化する為に3個だけ製作したもの……でございます。」
「ふーーーん。」
 健太郎の眼は笑っていない。それはもう見事に。
 ニアは、この場を逃れる為にアイテムを作動させた。まがりなりにも神の末席に連なる彼女であるからには、この程度の事は造作もない。
<ぱかっ>
 床の上で卵が割れ、白い霧が健太郎を覆った。
「うわっ!」
 ニアがどきどきして成り行きを見守る間に、さあっと霧が晴れた。その中に立っていた健太郎は、霧が晴れた後もまだ呆然と立っていた。
「凄い……何だ……この溢れるパワーは……」
 自分の手を見つめて呟く健太郎に、ニアはここが説得時だと悟った。ここで説得できなければ確実に自分が殺される。
「これが、プランナー様が作られた傑作“スーパーの卵”の効力でございます。」
「でも、余計な回り道には違いないだろ?」
 改めてチャキッとカオスを構え直した健太郎に内心恐怖しながらも、外見的には冷静なフリをして意見を述べる。チロチロと肌を刺す殺気にもメゲずに。
「いえ、もしかしたら……魔王が予想以上に力を付けたので、健太郎様を当初の計画より強化する必要が生じたのかもしれません。」
 健太郎の濁った目がニアの目を探るように睨みつける。そこに、嘘を言っている気配がないのを確かめると妥協する事にした。今回の件では、通常のレベルアップでは得られない程に大幅な戦力強化がなされたからだ。
「わかった。ただ、二度はないよ。」
 その抜き身の刃のような殺気をぶつけられたニアは、文字通り神に祈った。次こそは目的の物を下されますように……と。


 神社に戻ったランス一行を待っていた者は……自分の歳も省みず薙刀を持ち出し、気合いの声も高らかに襲いかかって来るじじいだった。
「蛮王覚悟っ!」
 その普通の戦士でも避けられそうな突進を止めたものは、ランスでは無く……
「おじいさま! 止めて下さい!」
 眼前に飛び出した風華であった。
<ドスッ>
 鈍い……音が……した。
 何か金属が肉にめり込むような音が。
 老人が前に構えて突進した薙刀は、
 風華の
 躰を掴んで背後に庇い直したランスではなく、さらにその前に立ちはだかったムサシボウの腹に刺さった。
 切先だけが。
 どうやら、とっさに腹筋を絞めて致命傷を避けたらしい。突進の勢いがあるとはいえども、老人の細腕ではムサシボウに痛打を与える事は不可能であった。
「おい、じじい! 何のつもりだ!」
 老人の喉首を片腕で捻り上げるランス。その老人の手から血に塗れた薙刀がポロッと落ちる。
「……ふ、風華は……お前…に……は……お…ま…えには…渡さん……」
「ふざけるな! オロチは俺様が殺した! 文句は言わさん!」
 更に腕に力を入れて締め上げるランスであったが、
「ランス様っ!」
 風華の叫びで、我にかえった。捨てるように老人を地面に落とす。
「ぐっ…ごふっ……ごふっ………どういう……ことじゃ……」
「ここにいるランス様がオロチを退治して下さったのです。」
 最早、老人には関心を失ったかの如く……実際失ったのだろうが……ムサシボウの治療に向かったランスを指して、風華が断言する。実際にその場を目撃した者だけが出せる確かな言葉で。
「何…じゃと……」
「それだけではなく、今までオロチに食べられていた生け贄の皆様の魂まで安らかに眠れるように尽力して下さったのです。姉様の御魂も……。それなのに……それなのに……おじいさまは……」
 その後の言葉は嗚咽に途切れた。だが、それが老人を賞賛する言葉ではない事だけは確かだ。
「ふ、風華……」
 老人が風華の肩に手をかけるが、その手をやんわりと、だがキッパリと払い除け、風華はハッキリと宣言した。
「私は、ランス様と約束した通りあの方のものになります。そして、ここから出て行きます。おじいさま、今まで育てていただいてありがとうございました。」
 深々と一礼した後には、風華の顔には涙は残ってなかった。
 生け贄としての今までの人生と訣別する覚悟、自分の人生を自分の意志を歩む覚悟がそこにはあった。自分如きを気にかけ、色々と尽力してくれた人のために。


 その夜、ランスは風華を食べた。
 処女の生き血と処女を美味しくいただいたのだ。
 その代わりに彼女はランスの手によって使徒となった。
 他の女の子モンスター達といっしょに。


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 「スーパーの卵」というのは【体力最大+10、攻撃力+5、防御力+5、魔法力+3】というぐらい凄まじい効能で、ごく稀にメリムが見つける事があります。
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