鬼畜魔王ランス伝

   第102話 「晴れ間の兆し」

 ランスがカオルを介抱し、
 ナギとミルが健太郎を捕獲している間に、
 サテラは思いがけないモノとの対面を果たしていた。
「お……お前……まさか………イシス……なのか?」
 確かめた途端に夢が覚めてしまうのではないかと心配しながら恐る恐る訊ねた自らの創造主にイシスは黙って頷いた。
「イシス! イシス……イシス! 良かった……良かった。」
 飛びついて抱き締めたガーディアンの、シーザーとは違う抱き心地が確かに相手がイシスなんだと……これが夢ではないと教えてくれる。
「今まで……今までどこにいたんだ!? 心配したんだぞ!」
 感極まってポロポロ涙をこぼし始めたサテラにシーザーと二人してうろたえながら、イシスは不慣れな言葉を必死で紡ぎ出す。
「ワカラナイ、クライトコロ。キヅイタラ、ランストイッショニドウクツニイタ。」
「ランスと……って、ああ〜〜!! 転送事故!」
 自分の身代わりに異空間に封印された筈のイシスが何故ここにいるのかの理由がいまいち分からなかったのだが、説明を聞いたサテラは何とか正解に辿りついた。
「そうか……じゃ、ランスに感謝しないとな。」
 涙で顔をグシャグシャにしながら満面の笑みを浮かべるサテラを見て、シーザーもイシスもどうして良いか分からぬほど狼狽する。
 これが悲しみの涙であるなら、流させたヤツを即時殲滅する場面なのだが……どうやらそうでは無いらしいので、どうして良いか判断ができないのだ。
 ようやく涙が止まったと判断したところで、イシスがサテラに質問をぶつけてくる。
「ランスハ、サテラサマノシュジンナノカ?」
「そうだ。ランスはサテラの主である魔王で……サテラのいい人だ。」
 誇らしげにうっとりと答えるサテラの言葉を聞いて、イシスは確認しておきたかった事の全てを知った。つまり、ランスの命令を聞いた事が間違っていなかった……もっと言えば自らにとっての絶対者であるサテラの意に反する行為ではないと追認されたのである。
 この短い問答でイシスが密かに抱いていた心配はすっかり晴れ、思う存分再会の喜びに浸ったのであった。

「おい、サテラ。俺様のお土産は気に入ったか?」
 そんな良いムードをぶち壊すようにズカズカやって来たのは、極度の緊張から解放された安心感からウトウトとし始めたカオルを床に寝かせて寄って来たランスであった。
「あっ、ランスありがとう。イシスを連れて来てくれて……」
 そう言いながら、サテラは喜色満面でランスに抱きつく。
「がはははは。ところで、頼みがあるんだが……」
「何だ、ランス。何でもやるぞ。」
 すっかり舞い上がったサテラは、内容を聞く前に承知してしまった。
 元々魔人は魔王の言う事に絶対服従しなければならないのだが、今のサテラは強制力なぞ働かせる余地がないほどやる気に満ち溢れていたりする。
「がははは、それはな……」
 ランスは手に持った水晶球と玄関ホールの一角を差し示し、
「アレをコレと交換しとけ。」
 と言い放った。
 ランスの視線の先には、何時の間にかあっさりと封印されてしまっていた健太郎が封じられた水晶球と、陳列ケースの上で二つに割れてしまった水晶球があった。
「うん、わかった。……って、ええっ!」
 ただ石を交換するだけならば簡単なのだが、辛うじて機能を維持している魔法陣の再設定も行なわねばならないので、良く考えると大仕事だ。ちょっとだけ後悔しかけるが、
「無理そうなら、他のヤツに替わって貰うぞ。」
 口元を皮肉に歪めたランスにこう言われては、サテラとて引っ込みはつかない。
「見てろ、ランス。完璧にやってやる!」
 目に炎を燃え立たせ、さっそく作業に入るサテラは辞書から他人の助けを借りると言う言葉を引き損ねた。
 その結果、作業時間が思いのほか延びてしまい、請け負った仕事が終わる頃には空は白み始めており、サテラは疲れで床にへたり込んでしまったのだった……。


 でっぷりと肥った威厳もへったくれもない冴えない中年男……だった人間が誰を伽に呼ぼうか独りで迷っている最中、彼が纏っている強力なカリスマを与えたモノが彼の私室を訪れた。
「ムーララルー。」
 呼ばれた男は大陸最大の教団ALICE教の法王、ムーララルー。
「何でしょう、レダ様。」
 呼んだモノは神の御使いたるエンジェルナイトのレダである。
 通例通りに『降臨の間』で呼び出されるのを待つのではなく、自分からムーララルーの私室に現れ出でたのは、今回の用件が緊急だという事を示していた。
「魔王が戻って来た。」
 レダは、用件をただ一言だけ伝えるとすぐに帰ってしまった。
「お知らせ下さってありがとうございます、レダ様。」
 ムーララルーはレダが消えた虚空に深々と礼をすると、ベグドランを召し出した。
 何の変哲も無い宗教番組に見せかけて、大陸各地に散っている工作員たちに計画が第2プランに移行した事を知らせる目的が隠された放送をさせるべく……。
 この魔法ビジョン放送の意味を理解したAL教関係者は、即座に予め指示されていた行動に移った。
 ある者は密かに用意していた隠れ家に潜伏し、ある者はゼスや中立を守っている自由都市へと脱出を始め、ある者は今回の騒乱にAL教が組織的に関与している物的証拠を手早く隠滅した。
 そう。蜂起した一般民衆や決起した自由都市軍と運命を共にするどころか、さっさと自分達だけ逃げ出したのだ。
 もっとも、民衆蜂起の中心人物や強力な後援者であるAL教の神官が消えた事で、反乱そのものがあっさり瓦解して却って戦争被害が減るだろう事と、証拠の隠滅によって教団組織への反撃を行なう口実を未然に葬り去った事は確かであった。


 サテラにひょいと水晶球を渡したランスは、
「良くやった、ミル。ご苦労さん、ナギ。」
 健太郎を捕縛した功労者達の頭をガシガシと撫で撫でした。
「う〜〜。」
 子供にするような扱いと取って不満気な声を漏らすミルと喉をゴロゴロ鳴らさんばかりに目を細めるナギは対照的であったが、次いで唇を順々に奪われるに至って艶っぽい吐息を仲良く唱和させる。
 そして、ランスは手を服の隙間にやらしく滑り込ませようとしたが、ドスドスいう足音を聞いて手を止めた。
「ちっ、今回はここまでだな。」
「え〜、そんなのないよ〜。」
 実に不満そうなミルの声が漏れ、ナギの恨めしそうな視線が無言で突き刺さるが、
「あいつらの手当ての方が先だ。ああいうのを放っておくと素直に楽しめないからな。」
 顎をしゃくってセルとカオルを指し示しながら言われては、流石に無理を通すのも躊躇われた。二人ともかなりの重傷……特に、セルの方は致命傷と言ってもいいぐらい酷い怪我だったからだ。
「魔王様、連れて参りました。」
「ランスおにいちゃん、何か用なの?」
 ドカドカとやって来たのは、リトルに乗ったシルキィとその手のひらの上に乗せられて運ばれて来たウェンリーナーであった。
 ウェンリーナーのお腹は軽く膨らんでおり、そこに命が宿っているという事を静かに自己主張している。……もっとも、産まれてくるのは“ランスの娘”ではなく新たな女の子モンスターだという噂が広まっていた為もあってか、ウェンリーナーにあからさまな嫉妬が向けられると言うような動きはなかった。
「セルさんとカオル……あと、ここに倒れている連中で未だ助かりそうな奴がいたら治してやって欲しいんだが、頼めるか?」
「うん、わかった。ぷいぷいヒーリング! 元気になぁれ。」
 明るく答えたウェンリーナーの全身が眩く光り出し、周囲を柔らかな光が部屋の隅々まで照らしていく。
 蒼白になっていたセルの顔に血色が戻り、傷口の痛みに軽くうなされていたカオルの寝息が安らかになり、壁に激突させられて倒れていたデカントが一体起き上がってきた。
「がははは、まだ生きてるのがいやがったか。」
 心なしか嬉しそうな声がかけられると、デカントは恐縮して膝を着いた。
「まあ、あの馬鹿相手によく生き残った。褒めてやる。」
 ランスは、念の為『未だ助かりそうな奴がいたら〜』と言ったものの、幾ら魔剣や聖刀が無い健太郎が相手とは言え、一般モンスターたちに生き残りが居ると予想していなかったのだ。
 お褒めを頂いたデカントの頭がますます下がり、しまいには床に当たってゴンという鈍い音を響かせる。だが、そのデカントは土下座の姿勢のまま微動だにしない。
『今は試してるほど時間無いし面倒だけど、男なんぞ後で探すのはもっと面倒だ。……男モンスター如きをわざわざ覚えておく気もないしな。まあ、見込みはありそうだし、今は力も唸るほど余ってるから、ちょっとはくれてやってもいいかな。』
 と考えたランスは、こうのたまった。
「ところで、俺様に絶対の忠誠を誓う気があるんなら……使徒にしてやっても良いぞ。」
 魔王が口にした破格の申し出に、
「喜んで。」
 デカントは破顔しながら面を上げる。
 こうして、男の子モンスターの使徒第二号、デカントのギガースが誕生した。
 無敵特性を持つ魔人ですら手を焼き、普通のモンスターにとっては遭遇そのものが死を意味するほどの化け物“小川健太郎”と交戦して、まがりなりにも生き残る事ができた強者として……。
 ちなみに、彼は健太郎がカオルに中出しするのを辛くも防いだあのデカントであったのだが、そこまではランスは知らなかった。


「どう見る?」
 カスタムの街にある病院の一室のベットに寝かされていた全身包帯だらけの男が、枕元で看病していた女に問い掛ける。
「どうって……自由都市連合軍の勝ち目の事かい?」
「ああ。勝ち目があるようなら俺達も……」
 瞳を燃やして拳を握り込もうとする筋肉男を、
「やめときな。」
 女は冷静な一言で瞬時に制した。
「せっかく治ってきたってのに、また悪化させる気なのかい?」
 口調こそ優しいが、目は全然笑っていない。
 真冬のラング・バウに吹き荒ぶ寒波が突き刺さるように全身に染み透る錯覚に襲われたパットンは、ガタガタ震えて縮こまった。
「でも……よ……このまま黙って見ているのも……」
 それでも、未練断ち難く呟くパットンの主張に、
「もし仮にあいつらの作戦が上手くいっていて魔王が異世界に追放されていたとしても、連中の勝ち目は3割もありゃ良い方だね。」
 ハンティは、バッサリと引導を渡した。
 リーザスと自由都市では兵の地力が違うし、兵を支える国力も段違いだ。しかも、持久戦になればリーザス側は他国からの援軍も当てにできる。かと言って、速攻で攻め落とそうにも『難攻不落の宮殿』と言われるほどのリーザス城を短期間で陥落させるには、それこそ魔人の手でも借りない事には望み薄である。
「それに……もし、あの侍女が言ってる通り魔王が健在なら、連中の勝ち目なんて更々ないね。」
 そうは言ったのだが、ハンティはランスの生存を疑っていなかった。
 ……あくまで根拠も何も無い勘に過ぎないのだが、ハンティはマリスが手配した公式発表に罠の匂いが隠されている事を敏感に嗅ぎ分けていたのだ。
 ゼス王国にも動く気配は無く、ヘルマンで大々的な反乱が起きている気配も無い。
 自由都市連合がリーザスに勝つ見込みは小さく、更には勝利できた後の展望を持っているかどうかすら怪しい。
「おっ…おう、分かった。」
 徹底的に論破されたパットンは、むすっと黙り込んだ。
 しかし、どう思われようとも、ハンティとしては、ここまで悪条件が揃っている今回の動乱に大事なパットンを関らせる気は欠片ほどもなかったのだった。
 例え、怪我が癒えていたとしても。


 負傷がすっかり癒えたセルの連行をナギに、ウェンリーナーを自室に送るのをシルキィに、使徒になった直後で自力で動けないギガースを適当な部屋に放り込むのをミルに、後の始末をサテラに任せたランスは、カオルを腕に抱いて魔王城の執務室へと向かった。
 玄関ホールに健太郎を迎撃しに出向いて来なかった連中がどうしているか気になったからである。
 だが、そこまで行くまでもなく二人分は判明した。
 廊下にギッシリと隙無く防御陣が敷かれており、その列の先頭に油断無く身構えているアールコートの姿があったのだ。
「がはははは、出迎えご苦労。」
「王様……。」
 彼女は、一番見たい人物の姿を視界の中に認めると会釈をし……そのまま俯いた。
「ランス様、お帰りなさいませ。」
 さらに、廊下に居並ぶ魔物達を掻き分けて駆け込んで来たホーネットが、俯いたままのアールコートの隣に立って挨拶をする。
「で、どうした? こんな所で雁首並べて……。」
「あっ…はい……健太郎殿の封印が解けたと聞いて、城内への侵入を阻止しようと……」
 結果的には不要であったものの、アールコートの行動は最悪の事態が起こるのを防ぐ役に立つ措置であった。説明を聞いたランスの口元が笑みを浮かべる。
「がははは、ご苦労。で……」
 ランスの眼が向けられると、息を整え終えたホーネットは改めて促されるまでもなく答えを口に出した。
「はい。どうやら事態が鎮静化したようなので、お出迎えに参りました。」
 ホーネットの台詞は日和っていたようにも聞こえるが、さにあらず。
 魔王不在時の留守居役を務める彼女は、緊急時にはランスの女達の保護や軍兵の手配などを行なわねばならず、初動段階で前線に出て来て活躍する訳にもいかないのだ。
「がははは、そうか。他の連中は?」
 それを了解しているランスは、誤解する事無く満足げな笑みを浮かべた。
「マリア殿がチューリップ5号の発進体勢を維持したままで待機中、メナド殿とキサラ殿はケッセルリンク殿からの要請でカラー族の救援に向かっております。あと、魔王城にいる兵はいつでも全軍が出撃できます。」
「よし、じゃあ3時間後に出かけるとマリアに伝えとけ。後の連中は待機だ。」
「承知致しました、魔王様。」
 急場で知っておきたい情報をあらかた知ったランスは、簡単な指示を出すと自らの寝室がある方へと目的地を変更した。
 カオルを腕に抱いたままで……。


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 セルさんの怪我は、肋骨を含む数カ所の骨折、心臓と肺を含む内臓に傷(一部の臓器は破裂)、首の骨にヒビ……ってぐらいのモンです。
 カオルの方の怪我はと言うと、両足が単純骨折、左肘脱臼、右鎖骨骨折、頚椎損傷、あとは殴打による内出血が多数ってとこですね。
 ……好き放題やってるなぁ、ヤツも(苦笑)。
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