福音という名の魔薬
第四話「誤解と曙光」 「おはよう、ミサト。調子はどう?」 インカムから聞こえてくるのは、親友のリツコの声。 「もう慣れたわよ。悪くないわ。」 そして、ここは発令所の特設操縦席ではなく、初号機パペットと名付けられているロボット兵器のコクピット…エントリープラグ…の中であった。 「それは結構。エヴァの出現位置、非常用電源、兵装ビルの配置、回収スポット、全部頭に入っているわね。」 「あ〜、多分ね。」 「では、もう一度おさらいするわ。通常、エヴァ・パペットは有線からの電力供給で稼動しています。非常時に体内電池に切り替えると蓄電容量の関係でフルで1分、ゲインを利用してもせいぜい5分しか稼動できないの。……これが私達の科学の限界って訳。おわかりね。」 「そんなの言われなくったって分かってるわよ。」 「なら、自陣の配置ぐらいちゃんと覚えておいてね、ミサト。」 「わ、分かったわよ。」 「では、昨日の続き……インダクションモード、始めるわよ。」 リツコの宣言と共に、コンソールに残り5分を表わす分数表示が現れ、急速にその数字を減らしていく。 と、同時に手に持った銃を使徒に向けて構える初号機。 「目標をセンターに入れて……スイッチオン。」 リツコの指示通り、自動追尾照準の照星が敵…サキエルの姿をした化け物…を補足したところでトリガーを引く。 が、弾道は敵の頭上をただ通り過ぎて行く。 「落ち着いて。目標をセンターに…」 「落ち着いてって…もしかして照準プログラム、古いの使ってんじゃないでしょうね。」 「何を馬鹿なこと言ってるの、ミサト。」 「とか何とか言って、これがエヴァを使っての最初の試射実験でしょ。例え空砲でも。反動が計算より強いなんて良くあることよ。」 「……まさか、ミサト……」 「そう。練習用パレットガンの反動、実物で撃った時の計測値に合わせて再調整しといたわ。報告は出しといたはずだけど……。」 「先輩、射撃管制システムの微調整、スケジュールが明日になってます!」 「なんですって! ……仕方ないわ。テストは中…」 「リツコ、照準……二度ほど上にしてくんない?」 「根拠は?」 「勘……よ。」 「分かったわ。…………これで良いはずよ。」 ミサトの求めに応じ、キーボードを素早く叩いて照準プログラムのパラメータに微調整を加えるリツコ。 「さぁて、目標をセンターに入れて……スイッチオン!」 今度こそは見事に着弾し、ミサトの前から敵は消えた。 どうやら、敵と見えていたのは画面に映された標的であったらしい。 「おっし、命中!」 「呆れた。ホントに当てるなんて……」 「さあ、どんどん行くわよ! 次出して。」 「分かったわ。」 言葉通り次々現れては、次々に撃ち倒されていく使徒モドキの映像。 そして、巨大な実験室の中でミサトの操縦に合わせて動く巨大な人形…巨大ロボット…が、手にしたライフルの銃口からマズルフラッシュを閃かせる。 各部に繋がれたコードが、パペットと言うよりマリオネット(操り人形)を想起させる風情だが、今回の実験では遠隔操縦ではなくちゃんと人が乗っている。 「時間だわ。上がって、ミサト。」 「了解。ね、いつになったらコレに乗って出撃できるわけ?」 「今、改良中よ。これでも第三使徒戦の時よりも操縦者の保護能力は上がってるのよ。」 「ねえ、ドイツの弐号機みたいにLCLを使わないってできないの? このくそ不味い液体浸けにしてるから上手くいかないんでしょ?」 ミサトはドイツのネルフ支部にも出入りしてた事があるので、それぐらいの知識は持ち合わせていた。 「向こうは向こうで不具合が出てるらしいわ。必死に隠してるみたいだけど。」 しかし、リツコはMAGIを使ってそれ以上の情報を収集していた。 ドイツの弐号機も、まだ普通の人間が乗りこなせる代物ではないと……。 「ふ〜ん。じゃ、できるだけ早くよろしく〜。」 そう言い残して、ミサトはさっさとシャワーを浴びに行った。 「先輩……」 「マヤ。実験結果がまとめ終わったら、エントリープラグの搭乗者保護案、新規プランの追試に入るわよ。」 リツコの目には不屈の科学者魂が宿り、未踏の境地へ挑む気概に満ち溢れていた。 「あ、はい。」 その雰囲気に引っ張られて、実験室に詰めていた技術部スタッフの士気も大いに盛り上がっていくのであった……。 第3新東京市の迎撃戦闘能力の要とも言える汎用人型支援戦闘兵器エヴァンゲリオン・パペットを本来予定されていたモノへと少しでも近付ける為に……。 「こんばんは、シンちゃん。調子はどう?」 学校帰りの僕に気さくに挨拶してくるのは、隣人の葛城ミサトさん。 以前に一日だけ同居してた時の家事分担表を借金の証文のように振りかざして朝夕の御飯をたかりに来るズボラな人である。 ついでに言えば、ネルフの作戦部長だとかで、僕の“戦闘”訓練なんかも仕事らしい。 「慣れました。悪くないと思います。」 「そう。お邪魔するわよ。」 「…………どうぞ。」 僕は正直言ってミサトさんが僕の部屋に入って来るのは好きじゃない。 「おかえりなさい、おにいちゃん♪ それと、いらっしゃい。」 ハルナにお願いしてせっかく毎回挨拶してもらっているのに、ミサトさんはこれまた毎回ムッツリと無視するので雰囲気が悪くなるからだ。 「ところで、ハルナの方には挨拶しないんですか?」 「ああ。良いのよ、あの使徒娘なんかどうでも。」 もう2週間以上は経ったのに、依然としてミサトさんのハルナに対する態度は冷たい。 ……何か使徒に個人的な恨みでもあるんだろうか。 ハルナは好き好んで使徒に取り憑かれた訳じゃないのにな。 むしろ、僕のせいなのに……。 落ち込む僕の前に、何か黄土色をした物体が差し出される。 「じゃあ、今日はこれ、お願いね。」 「え? これ?」 「そ、これで縛るの。やってみて。」 主語が省略されているけど、毎回の事なので僕達には分かる。 この荒縄でハルナを縛り上げてから色々するのが、今日の訓練内容らしい。 「そ、そんな……」 口では言いながらも、頭は勝手に想像してる。 手足を縛られて動けないハルナをムチャクチャに汚す場面を……って、そんな事しなくても、ちょっとお願いすれば激しくヤっても許してくれるのに。 「いいから、さっさとやる!」 「おにいちゃん……」 立ち尽くす僕に、ミサトさんの罵声が更に飛ぶ。 「あんたねぇ! そんな中途半端な気持ちでやられちゃ迷惑なのよ! そんなに嫌ならここから出て行きなさい!」 「……そんな事、できる訳ないじゃないですか。僕がいなくなったら使徒は…」 「レイに戦って貰うわよ。」 「え?」 「(考えてみれば、それなら使徒を殺せるわね。レイのエヴァの能力はシンジ君のとは違うし)やらないの?」 「そんな事できる訳ないじゃないですか、彼女に全部押し付けるなんて。でも……」 「やりたくないの?」 「そりゃそうでしょう。第一僕には向いてませんよ、そういうの。だけど、ハルナや綾波やリツコさ…」 「いい加減にしなさいよ! 人の事なんて関係無いでしょ! 嫌ならここから出て行きなさい! エヴァやあたし達の事は全部忘れて、元の生活に戻りなさい! ……あんたみたいな気持ちで戦われると迷惑よっ!」 言葉の鞭に打ち据えられた僕を庇うように、ハルナが前に出る。 「おにいちゃん、いじめる、ゆるさない。」 その目には涙が、その手には眩い光が…… 「ハルナ! 駄目っ!」 慌てて僕が後ろから抱き締めると、集束された光はあっさり霧散した。 「おにいちゃん……」 「気持ちは嬉しいけど、ハルナがそれでミサトさんを攻撃するのはマズイよ(下手したら死んじゃうし……)。」 しかし、そんな仲裁も空しく 「やる気! この使徒娘!」 ミサトさんの方も拳銃を素早く引き抜いて、撃つ! 撃つ! 撃つ! 「……って、ミサトさんも止めて下さい!」 先制の3発は全てハルナのATフィールドで弾かれ、残りは僕が壁になって庇ってるので撃てなくなった。……いや、銃口は下ろしてない。 ピーピーピー そんなミサトさんを止めたのは、僕じゃなくて無骨な電子音だった。 「はい、葛城ですが……って、リツコ何の用!?」 対峙している僕やハルナに隙を見せるのが嫌なのか、僕らに拳銃を突き付けたまま携帯電話をかけているミサトさんは、何だかとても滑稽に見えた。 「正気なのっ……て。そりゃ、正気よ。……何ですって?! 分かったわよ! 行けばいいんでしょ、行けば!」 不快感を露わにして、 「今日の訓練は中止よ。ったく、リツコのヤツ……」 と言い残して去って行ったミサトさんに、僕はかけるべき言葉を見つける事ができなかった。ハルナに辛く当たるのさえ無ければ悪い人じゃないんだけどなぁ……。 「おにいちゃん、どこにもいかないよね?」 「うん。ハルナを置いて行ったりしないよ。」 「うんっ♪」 甘いキスと抱擁の後、 「えとね、もし……もしもね……おにいちゃんがしたいなら……い、いいよ。」 顔を真っ赤にして言うハルナに、僕はドキッとなった。 そりゃ、確かに興味はあるからだ。……僕も一応男だし。 ……結局、その日の夜は緊縛プレイのお勉強会になった。 「ミサト、あなた何考えてるの。」 「リツコこそ、何で呼び出したのよ。」 ジオフロントにある研究室の一角で、二人は向き合っていた。 一人はスチール椅子に座ったまま、 もう一人は息せき切って駆け込んで来たままの姿勢で。 「銃声がしたとの通報があったのと強度のATフィールドの反応を探知したので呼び出したのよ。」 「あっちゃ〜、マズったわぁ。」 「で、何があったのミサト。」 実際には仕掛けてあった隠しカメラと盗聴器によって状況は全てバレバレであったのだが、リツコは敢えて直接聞いておく事にした。 「シンジ君がね、訓練を渋ったのよ。で、やる気無いなら出てけって言ったら口論になっちゃって……」 ちなみに、今回の訓練内容はシンジの攻撃性を高めようと言う趣旨であって、この際気に食わない使徒娘を間接的にでも痛めつけようという意図ではない……と、ミサトは自分を思い切り誤魔化していた。 「なるほどね……。」 「あの子にとって戦場に出るのが苦痛でしかないのなら、もう戦わない方が良いわ。絶対死ぬもの。」 軍人上がりのミサトからすると、シンジはどう見ても兵士や戦士に向いた性格をしていないので、危なっかしくて戦場に出したくないのだ。 「でも、パイロットは必要よ。」 ただ……実際のところ、綾波レイがまだ戦列に復帰していない以上、シンジは今のところ唯一の有効な対使徒戦力である。 そう簡単に手放す訳にもいかない。 ましてや、今回の件に関してはミサトの方に問題があるとリツコは考えていた。 彼女の目から見た場合、シンジに特に問題があるとは思えなかったのだから……。 「とにかく、シンジ君との仲を修復しておくこと。できなければ、ミサトにはシンジ君の技術指導から外れて貰うわ。」 「な! 何よそれ!?」 「……これで何回目だと思ってるの、ミサト。いい加減にしないと幾らシンジ君でも『ゴメン』の一言じゃ勘弁してくれなくなるわよ(今日は発砲までしちゃったしね。)。」 「う…………わ、分かったわよ。謝ってくれば良いんでしょ!」 地団駄を踏み鳴らしつつ出て行くミサトと入れ替わりで入って来たマヤが、その様子を見て感想をポツリと漏らす。 「しかし、よく戦ってくれる気になってくれましたね、シンジ君。」 「人の言う事にはおとなしく従う。それがあの子の処世術でないの(一応、限度はあるみたいだけどね。)。」 監視カメラが写したシンジの寝室の映像を見ながら、リツコは薄く苦笑した。 そこには年若い男女がミサトの残してきた荒縄を使って悪戦苦闘している姿が映し出されていたからである。 翌日の朝。 葛城家の電話が音高く鳴り響き、家主を惰眠から引き摺り出した。 「はい、もしもし。」 それでも、布団に頭から潜ったまま受話器を取るところなど、とても他人には見せられない。 「なんだ、リツコか〜。」 「どう? 彼氏とは上手く仲直りできた?」 左手にコーヒー、右手に受話器を持ったリツコは、半ばからかい、半ば心配の混じりあった声で訊ねてきた。 「あ〜。シンジ君ねぇ。……挨拶しようとしたら、もう学校に行ってたみたい。夜は夜でドアにチェーンかけてたから声かけそびれたし。」 「呆れた。もう諦めるつもり?」 「そんな訳無いわよ。今度はシンジ君が帰って来る時間で待つわ。」 「それは結構。……ところで、彼の様子は?」 「転校して2週間、相変わらずよ。未だに誰からも電話がかかって来ないのよね。」 「電話?」 「必須アイテムだから随分前に携帯渡したんだけどね。自分で使ったり、誰からもかかってきた様子、無いのよ。あいつ、ひょっとして友達いないんじゃないかしら。」 「シンジ君って、どうも友達を作るのには不向きな性格かもしれないわね。」 「そうね。シンジ君が身構えずに話す相手、あの使徒娘以外に見た事がないわ。」 一方その頃、シンジは教室の扉をくぐっていた。 「おはよう、碇君。」 「おはよう、シンジ君。」 「お、おはよう。」 シンジは戸惑いつつも挨拶して来る女子たちに笑顔で挨拶し、男性陣の少なからぬ敵意の視線を感じつつ、教室の中ほどにある自分の席に着く。 着席する前に、まだギプスで固定した右腕を吊った状態で窓の外を見てるレイの方をちらりと見てから……。 それから、ホームルームが始まるまでは目をつぶって物思いに耽るのがこの頃のシンジの日課であった。 ゆえに気付いていなかった。 「相変わらず碇君って素敵よね……。」 「物静かで、神秘的で……。」 などと女の子たちに評されているとは。 そして、シンジのファンになった女の子たち同士で、抜け駆け防止の紳士協定が密かに締結されているという事を。 碇シンジ。 女顔の美少年であるが、内向的な性格が災いしてパッとしない見映えだった。 しかし、エヴァンゲリオン初号機の服用によって女性に対する蠱惑的な吸引力を備えた今では、充分神秘的な美少年で通用するようになっているのだ。 今までは減点材料だった内向的な性格も、物静かという便利な言葉で処理され、シンジの魅力の一翼を担っていた。 そして、なによりも…… 「え、えと……放課後、カラオケに行きませんか?」 根回しに成功した女の子グループの一つがシンジを誘おうとするが、 「ありがとう。でも、ごめんね。今日も用事があるんだ。」 本当にすまなそうに、でも嬉しそうに向けられる笑顔で、女の子たちの心を鷲掴みにしてしまうのだ。……恐ろしい事に意識してやっている訳じゃないが。 今では、その笑顔が見たくて駄目元で誘ってるフシもあるぐらい、シンジの人気は転校して来て以来赤丸急上昇中だったのである……。 手に持ったカメラのファインダーの中で戦自の重攻撃機のプラモデルを舞わせていた少年 相田ケンスケが、その向こうに立つ人影に気付いて一人遊びを止める。 「なぁに、委員長。」 人影は、学級日誌を両手で胸に抱えた少女 洞木ヒカリであった。 「昨日のプリント、届けてくれた?」 「え、あ……あぁ。なんかトウジのウチ、留守みたいでさ。」 机の中の紙を奥に押し込みつつ、身体ごと顔を逸らす。……見る人が見れば一発でバレバレの反応である。 「相田君、鈴原と仲良いんでしょ。2週間も休んで心配じゃないの?」 当然ながら、ヒカリにも分かったようだ。言葉には責めるような険が混じっている。 「大怪我でもしたのかなぁ。」 「え、例のロボット事件で? テレビじゃ一人もいなかったって。」 「まさか。鷹巣山の爆心地、見たろ。入間や小松だけじゃなくて、三沢や九州の部隊まで出動してんだよ。……絶対、10人や20人じゃ済まないよ。死人だって……」 事実ではあろうが無神経な発言を遮るように、音高く教室の扉が開かれた。 「トウジ。」 「鈴原。」 目付きの悪い黒ジャージの男は、ケンスケの前の机に鞄を投げ置くと 「なんや、随分減ったみたいやなぁ。」 ケンスケの机に座りつつ正直な感想を漏らした。 「疎開だよ、疎開。みんな転校しちゃったよ。街中であれだけ派手に、戦争されちゃあねぇ。」 自分の机に座る親友に、事情を説明するケンスケ。 「喜んでるのはお前だけやろなぁ。生のドンパチ見れるよってに。」 「まぁね。トウジはどうしてたの。こんなに休んじゃってさぁ。この間の騒ぎで、巻き添えでも食ったの。」 「妹のやつがな。」 返事は重々しく苦いものに染まっていた。 それを感じ取り、ケンスケのカメラを弄る手も止まる。 「妹のやつがガレキの下敷きになってもうて……死んじまってもうたんや。」 「え?」 「うちんとこ、おとんもおじいも研究所勤めやろ。今職場を離れる訳にはいかんしな。ワイがおらんと、あいつの葬式もロクにできへんのや。」 トウジの発言のあまりの衝撃に、辺りが静まりかえる。 「しっかし、あのロボットのパイロットはホンマにヘボやな! 無茶苦茶腹立つわ! 味方が暴れてどないするちゅうんじゃ。」 「それなんだけど……聞いた、転校生の噂?」 「転校生?」 「ほら、あいつ。」 ケンスケが顎をしゃくって指す先には、勿論シンジがいる。 しかし、不幸な事にこの時シンジはイヤホンで音楽を聴いていてトウジ達の会話を聞いていなかった。……もし、小耳に挟んでいれば、この後の災難を避けられたかもしれないが、それは結果論でしかない。 「トウジが休んでいる間に転入して来た奴なんだけど……あの事件の後にだよ。変だと思わない?」 余計な入れ知恵は、老教師が教室に入って来るのと同時に打ち切られた。 あくまでも、一時的にではあったが……。 退屈な授業中。 本当に退屈な授業中。 数学の授業の筈であったのが、 何時の間にかセカンドインパクト時代の苦労話へとすりかわっていた。 しかも、もう何度も繰り返している話だ。 当然の帰結として、 生徒一同はだらけ切って先生の話など聞かず、 一部の真面目で几帳面な人間以外は内職に精を出していた。 教材の端末……いわゆるノートパソコンと呼ばれる類のものの一つ。 教科書代わりのそれの画面に、通信が割り込んできているのにシンジは気付いた。 その内容は、 [碇くんがあのロボットのパイロットというのはホント? :Y/N] であった。 ハッとして教室中を見回すと、女子の一人が手を振り、別の女子がキーボードをリズミカルにタイプする。 [ホントなんでしょ? :Y/N] 恐らく、その女子が打ち込んだであろう質問がシンジの端末に届く。 その質問に、シンジは良く考えた上でNOと“正直に”答えた。 しかし、 [なんだ、残念。] とかいう返事が続いたかと思えば、 [あのロボットのパイロットなんでしょ? :Y/N] だの、 [ここだけの話だから教えてよ? :Y/N] と何故かしつこく続くが、その全てにシンジはことごとく“NO”と返事する。 そうして、このイタチごっこにシンジがいい加減疲れてきた頃…… [碇くんがエヴァンゲリオンのパイロットというのはホント? :Y/N] と言う質問が来たので、これにはシンジはちょっと考えた末……YESと答えた。 「「「「「ええ〜〜っ!!!!!」」」」」 途端に驚きに沸き返る教室内。 「ちょっと、みんな! まだ授業中でしょう! 席に着いて下さい!」 騒ぐみんなを静かにさせようと立ち上がるヒカリ、 マイペースで思い出話を続ける先生、 頬杖をつき、無関心を決め込むレイ、 その他の者のほとんどは、シンジを取り囲むように集まっていた。 ヒカリの制止はあんまり効いてない。 「ねぇねぇ、どうやって選ばれたの?」 「僕にも良く分からないんだ。」 「ねぇ、テストとかあったの?」 「いきなり実戦だった。」 「怖くなかった?」 「そりゃ、怖かったし、今でも怖いよ。」 「操縦席ってどんなの?」 「いや、あの……そゆの秘密で……」 矢継ぎ早に浴びせられる質問に、答えられる範囲で丁寧に答えるシンジ。 その人垣の陰で、ケンスケが耳をそばだて、ほくそ笑みながら、飛び交う情報の中で耳寄りなものを選んで一生懸命自分の端末に打ち込んでいる。 そして、そんなシンジを見つめる暗い瞳があった……。 バキッ! 拳が肉を抉る音が校舎裏で響く。 痛そうに見ているのは相田ケンスケ。 「転校生。ワシはお前を殴らないかん。殴っとかな気が済まへんのや。」 拳をしごいているのは鈴原トウジ。 そして、左の頬を殴られ倒れているのは、碇シンジであった。 「悪いね。この前の騒ぎでコイツの妹さん死んじゃったらしくてね。ま、そういう事だから。」 シンジをここに連れて来たケンスケが、言い訳を並べ立ててこの場を立ち去る。 自分が引き起こした事の結果も見ずに。 「キサマが! キサマが! キサマ! この! ちくしょう!」 胴に蹴り、右肩に蹴り、顔を庇う左腕を顔ごと踏み潰し、ガスガスと憑かれたように蹴りをシンジの腹に見舞い続ける。 ……もう、完全に殺す気だ。 いや、もし殺す気が無くても、このまま続けていればシンジは死ぬだろう。 その凶行を止めたのはケンスケではなく、通りかかったヒカリであった。 「ちょっと! 鈴原、何やってるの!」 まぁ、彼女がここに来ているのはトウジを捜しにであるので偶然ではないが、この場面に出くわしたのは偶然であった。 「止めるな委員長! ワイは、ワイはな!」 「だからって、それ以上やったら死んじゃうじゃないの! やりすぎよ。」 さすがに“死”と言う単語にギョッとなって足が止まるトウジ。 「かはっ。」 トウジが退いた事でやっとマトモに息ができるようになったシンジが吐血する。 どうやら内臓のどこかを傷つけたらしい。 「ちょ、ちょっと、大丈夫、碇君。」 何とか介抱しようとするヒカリであったが、あいにく時期が悪かった。 「非常召集。先、行くから。」 今のシンジよりは怪我の程度は軽いものの、それでも包帯が痛々しいレイが何時の間にかやって来て、シンジに一声かけて駆け出して行ったからだ。 「くっ……」 「だ、駄目よ。寝てないと。」 「寝てられないんだ、行か…ないと……」 ふらふらになりながらも歩き去るシンジを、流石のトウジも殴る事ができなかった。 何かに気圧されたように。 待機していた保安部の車でネルフ本部に移送されたシンジは、そこでリツコからできる限りの応急手当てを受けていた。 「痛み止めの効果は30分。折れた左腕はプラグスーツの上から添え木を当ててあるから動かすのには支障は無いはずよ。ただし、あんまり重いモノは持たないようにね。」 とは言っても、気休め程度でしかないが。 「はい。」 「本当に良いのね(零号機の凍結が未だ解除されてないから、戦ってくれるのはありがたいけど。)。」 「いいんです。綾波だって怪我してるんだし。なら僕の方が……。」 「分かったわ。じゃ、後はミサトに作戦を聞いてちょうだい。」 「はい。」 リフトに乗りながら、シンジは回線を発令所に繋いだ。 「ミサトさん。」 感情の起伏の無いフラットな声でマイクに囁く。 「あ、ああ、シンジ君か。なに?」 「作戦、聞いておきたいんですが。」 「あ〜、作戦ね……今回はBプラン、シンジ君で敵のATフィールドを中和して攻撃……で行くわ。シンジ君への指示は日向君に任せてあるから、彼の指示に従って動いて。」 「はい。」 「あと、……生きて帰って来て。」 最後の命令は、すがるような懇願にシンジには聞こえた。 「非戦闘員、及び民間人は?」 「既に退避完了との報告が入っております。」 しかし、あるイレギュラーが蠢き始めていたのを発令所では誰も知らなかった。 第334地下避難所。 第壱中学校の生徒は、主にここに避難して来ていた。 「ええい、まただ。」 「また、文字だけなんか?」 「報道管制って奴だよ。僕ら民間人には見せてくれないんだ。こんなビックイベントだっていうのに。」 そして、シンジを殴り倒した男に、校舎裏に呼び出した男が愚痴をこぼしていた。 命懸けの戦争をイベントなどとのたまう無神経さで……。 「碇司令の居ぬ間に、第四の使徒襲来。意外と早かったわね。」 ミサトがモニターに映った使徒を見て呟く。 「前は15年のブランク。今回はたったの3週間ですからね。」 日向が仕事の手を休めず応じる。 「こっちの都合はおかまいなしか。女性に嫌われるタイプね。」 ミサトは、エヴァンゲリオン・パペット初号機の最終チェックを発令所の特設操縦席で行ないながら、総合の作戦指揮を続ける合間に軽口を叩く。 山腹に作られたミサイル陣地やロープウェイに偽装した対空砲が激しく火を吹くが、 「対空迎撃システムで少しでも足止めできた?」 ミサトの問いにマヤが答える。 「稼働率48%では無理です。」 今の戦力では、足止めどころか敵のATフィールド強度すら割り出せないと。 「税金の無駄使いだな。」 思わず漏れる冬月の本音。 しかし、勿論撃たない訳にはいかないのだ。 通常の攻撃が効かないという事を確認することも重要だからである。 「委員会から、再びエヴァンゲリオンの発進要請が来ています。」 「うるさい奴らね。言われなくても出撃させるわよ。」 エヴァンゲリオン・パペットとエヴァンゲリオン・パイロット。 福音の名を冠されたロボットと人間が、共に発進の準備を終える。 人類を守る最後の剣となる為に。 その頃、あるシェルターの中では、 痺れを切らしたミリタリーマニアがいよいよ行動に移ろうとしていた。 「ねぇ。ちょっと二人で話があるんだけど。」 「なんや。」 「ちょっと、な。」 「ちっ、しゃあないなぁ。」 押し切られたトウジは、 「委員長。ワシら二人、便所や。」 ケンスケがこの場を離れる言い訳作りに荷担してしまった。 「もう。ちゃんと済ませときなさいよ。」 そして、まんまと怪しまれずに密談できる場所に移動した。 それは、人気の無い男子便所である。 「で、なんや?」 「死ぬまでに一度だけでも見たいんだ。」 「上のドンパチか?」 「今度いつまた、敵が来てくれるか分かんないし。」 「ケンスケ、お前なぁ。」 呆れて二の句も継げないトウジに、 「この時を逃しては、あるいは永久に…」 野太い声を作るケンスケ。 「なあ、頼むよ。ロック外すの手伝ってくれ。」 「外に出たら死んでまうで。」 友人の常識的な忠告を、 「ここに居たって分かんないよ。どうせ死ぬなら、見てからが良い。」 己の好奇心と欲望に任せて論破しにかかる。 「アホ。何の為にネルフがおるんじゃ。」 「そのネルフの決戦兵器って何なんだよ。あの転校生のロボットだよ。この前もあいつが俺達を守ったんだ。それをあんな風に殴ったりして。それも、あんなに。」 後になって頭が少し冷えると、さすがのトウジでもやり過ぎたと思わないでもないので鋭い指摘にグゥの音も出ない。 「あいつがロボットに乗らないなんて言い出したら、俺達死ぬぞ。トウジにはあいつの戦いを見守る義務があるんじゃないのか?」 「しゃあないなぁ。お前ホンマ自分の欲望に素直なやっちゃなぁ。」 扇動に乗せられ、遂に承諾してしまったトウジに、笑いかけるケンスケ。 しかし、彼等がいかに迷惑な行動をしようとしているかを、トウジはまったく自覚していなかったのだった……。 発令所から、リフトで待機しているシンジの元へ通信が入る。 「シンジ君。出撃、良いわね。」 「はい。」 「作戦はさっきも言った通りプランB。シンジ君はATフィールドの中和と自分の身を守る事を考えて。」 「はい。」 出撃前の打ち合せだ。これを怠るとロクな事にならない危険がある。 「リフトで一緒に運ぶスクーター、運転の方は大丈夫?」 「大丈夫だと思います。訓練でやりましたから。」 リツコが念の為に確認を入れておく。スクーターとはいえど徒歩とは移動速度が雲泥の差だからだ。 「LCL錠剤は飲んだ?」 「はい、さっき飲みました。」 ちなみに、LCL錠剤とはシンジ達パイロットに投与されているエヴァを人為的に活性化させる為の薬である。 「じゃあ、行くわよシンジ君。……発進!」 ミサトの号令でエヴァンゲリオン・パペットとシンジが地上に向けて撃ち出される。 その頃、シェルターの扉を開けっぱなしにしたまま、眺めの良い席を求めて神社の石段を駆け上がる二人の馬鹿が居た。 小高い山になっている神社の一角に陣取ってカメラを向けているケンスケ達の視界の中で、ビル街の合間を浮遊する謎の巨大生物……使徒が直立する。 「凄い! これぞ苦労の甲斐もあったというもの。」 嬉々として戦場をカメラに収めるケンスケが、耳寄りな音をキャッチする。 「おっ、待ってました。」 ネルフの決戦兵器と公表されている巨大ロボットの出撃である。 ビルの側面がシャッターとなって開き、中から紫の鬼武者とでもいう外観の巨大な人型兵器が歩み出る。 そして、ケンスケ達の位置からでは見えない場所にシンジも出撃した。 「シンジ君、使徒に正対して待機しててくれないか。」 「はい。」 日向の指示におとなしく頷くシンジ。 「行くわよ。」 そして、ミサトの手で初号機は今戦端を切った。 リフトの出口となっていたビルからパレットガンを持って踊り出ると、目見当で使徒に向かって一斉射。 徹甲弾・成形炸薬弾・粘着榴弾のミックスカクテルで、10発に1発は曳光弾も混じっているなんて凝った構成の弾頭だ。 しかし…… 「効いてない!? リツコ、敵のATフィールドは中和できてる?」 背部からまともに直撃しているのに、使徒には一向に効いてるようには見えなかった。 「ええ。シンジ君がちゃんと中和してくれてるわよ。」 「とすると、銃で適当に撃っても効かない訳か……っと!」 ミサトは画面に光るものを認めた途端に初号機に回避させるが、間に合わずにライフルの先端を横のリフトビルごと切り飛ばされてしまった。 「くっ! 動きが鈍いったら。」 転倒のオマケ付きで。 「なんや、もうやられとるで。」 「大丈夫。」 自分達が居る場所が観客席だと信じて疑ってない少年たちは、プロレス観戦さながらの気楽さだ。 ただ、カメラの中の世界に没入しているケンスケと違い、ある程度喧嘩慣れしているトウジの方は今の状況のきな臭さに気付き始めている……かなり手遅れに近いが。 「予備のライフルを出すわ、ミサト。」 武器庫ビルの一つのシャッターが開き、その中に用意されているライフル……パレットガンが取り出せるようになる。 「サンキュー、リツコ。」 すかさずそれを引っ掴む初号機。そのまま後ろに飛び上がって振り下ろされるムチを避ける。 「シンジ君は右の道を進んでくれ。曲がり道と止まる場所はこっちで指示する。」 「はい。」 ビルに遮られて視界から使徒を見失ったシンジが、移動を開始する。 その間にも、使徒はゆっくりと初号機との間合いを詰めて来る。 「シンジ君を追いかけないのね。興味が無いのかしら。」 「さあねぇ。邪魔者を片付けてからゆっくりって気なんじゃないの?」 リツコの分析に半分軽口で答えておいて、ミサトはライフルで牽制射撃を続ける。 牽制なのは、ATフィールドを中和していないから他にやりようがないのだ。 「312番と405番の兵装ビル、スタンバっておいて。」 「了解、兵装ビル、スタンバイ。」 ミサトの指示で、オペレーターの一人が指示された兵装ビルを即座に使用可能な状態で待機させる。 「(なるほど、ミサトさんはあの作戦を……それなら、シンジ君の位置は)シンジ君、そこを左だ。」 「はい。」 そして、ミサトの作戦の意図を汲み取った日向も、シンジを作戦に最適な位置へと誘導する。 「そこだ、シンジ君。中和を。」 「はい。」 厳しい訓練は何もベッドの上でだけ行なわれた訳ではない。 日向の指示に従い、左へと現れ出でた(シンジにはそう見えた)使徒に対し、すかさずATフィールドの中和を試みる。 「今よ! 312番、405番全弾発射!」 そう言いつつ、自分もパレットガンを一連射浴びせ、使徒の足を止める。 そこに二基の兵装ビルから発射されたミサイルの束が白い噴煙をたなびかせて……直撃した。 「873番のロードシールド緊急展開!」 言いつつ、日向はそのスイッチを自分で押し込んだ。 ミサイルの初弾が着弾したのと同時に、道路が斜めにせり上がってシンジを守る盾となり、爆風を上へと押し流す。 「ようっし、これなら使徒も……って……くっ!」 しかし、使徒の頑強さは予想以上だった。 数十発のミサイルの雨を平気で潜り抜け、エヴァ・パペットの足をムチで掴んだかと思うと、一息に投げ捨てたのだ。 「爆煙で全然見えなかった……ちっ、コントロールまで切れてる。」 初号機パペットの操縦は今のところ有線で行なっている為、投げ捨てられた時に断線してしまったようであった。 「ケーブルが切断されたのね。無線操縦に切り替えるわ。」 しかし、その窮地をリツコが救った。 「無線操縦……あんた、何時の間に……」 「『こんな事もあろうかと』科学者の心得よ。」 無線操縦用の操縦システムを密かに追加していたのだ。 「初号機、内臓電源に切り替わりました。」 ミサトの操縦席の横に5分から減って行くタイマーが表示される。 「活動限界まで後4分53秒。」 オペレーター達の指示を聞きつつ、ミサトは初号機を立たせようとする。 だが……見てしまった。 「シンジ君のクラスメイト!」 初号機の指の間で震えている二人を。 画像から一発で照会できた、二人の身元を。 「何故こんなところに!?」 更に、ミサトもリツコも通信回線がオープンになっているのにも気付かず、思わず口に出してしまっていた。 そうなれば、 「シンジ君、態勢を立て直す。いったん最寄りのリフトに戻ってくれ。」 日向の退却指示もシンジの耳には届かず、シンジは初号機パペットが居る方へとひたすら急いでスクーターを走らせるのであった。 そして、不幸はまだ続く。 「遅いわね、鈴原と相田君。いつまでトイレに行っているつもりかしら……。」 まとめ役としての責任感が強過ぎるきらいのある少女が、 「ああっ!」 なかなか戻って来ないトウジとケンスケを探しに行った途中で、遂に見つけてしまったのだ。 本来なら閉じていなければならない地上への出口が、わずかに開いている所を。 「まさか、相田君と鈴原……(もし、そうなら連れ戻さなくっちゃ)。」 本当は直ぐにでも他の人間に知らせるべきであり、明らかに判断ミスであるのだが、この時のヒカリには気付けなかった。 皮肉にも、持ち前の責任感の強さのせいで……。 倒れているエヴァ・パペットに覆い被さるように使徒が現れ、そのムチを振るう。 ミサトは左腕で何とかムチを受け止めてしのぐ。 しかし…… 「くっ、子供が邪魔で撃てない!(それに、今は撃っても無駄だしね。)」 反撃ができず防戦一方。 やられるのは、時間の問題であった。 「なんで戦わんのや。」 「僕らがここに居るから? 自由に動けないんだ!」 更に、右のムチもライフルを捨てて受け止める。 「初号機、活動限界まであと3分28秒。」 オペレーターの無慈悲な宣告が、初号機の残り寿命を知らせる。 このままの状況なら、長くてもそれ以上経てば破壊されるのは明白だ。 しかし、転機は訪れる。 パスパスパスパス 気の抜けたシャンパンの栓の如き音を立てて、シンジは右手に構えた拳銃を使徒に向けて連射する。 とうとうシンジの駆るスクーターも神社の境内に到着したのだ。 「シンジ君!?」 「ミサトさん、その二人を早く!」 「いえ、ここは私が食い止めるわ。シンジ君こそ早く二人を連れて逃げなさい!」 スクーターに乗った同級生と、巨大ロボット(を操縦する女性)のやり取りを、ケンスケとトウジは呆気にとられて見守っていた。 「敵を引きつけるのは、僕の方が得意です。」 「……そうね、お願いするわ。」 折れたのはミサトの方が先だった。ここで言い争いをしていても不毛だと正しい結論を得たのだ。 「シンジ君。操縦席を開けるから、二人を誘導してやって。二人を乗せたら、初号機を基地に回収するわ。」 「はい。」 淀みのない返事。シンジがミサトの指示に納得している証拠である。 ただ、リツコの反応は違った。 「許可のない民間人をエントリープラグに乗せられると思っているの!?」 重要機密の塊に、部外者が乗り込む事を嫌ったのだ。 「私が許可します。」 「越権行為よ、葛城一尉!」 睨みつけるリツコ。 しかし、ミサトも一歩も引かない。 「関節部を現状でホールド、エントリープラグ排出、活動限界はあと3分か……。」 手早く必要な処置を終わらせ、外部スピーカーを通して呼びかける。 「そこの二人! 乗って、早く!」 ミサトの命令口調と、近くで見ると満身創痍のシンジの誘導の迫力に負け、トウジとケンスケはおとなしくエヴァ・パペットの操縦席へと登っていったのだった。 だが、 「あれって、鈴原と相田君…………何故?」 二人の馬鹿を連れ戻しに来た少女が石段の下からその情景を見ていた事など、今は誰も気付いていなかったのだった。 「ぶっ……水やないか。」 「カメラ、カメラが……」 コクピットに充満しているLCLに浸かった二人の馬鹿は、 「初号機再起動、LCL圧縮濃度を限界まで上げて。」 「……なるほどね(それなら、急いで回収すれば大きな問題にはならないわね。)。」 ミサトの冷静な指示と 「よいせっ!」 エヴァ・パペットの足で使徒を蹴り離した時の反動によってコクピットがシェイクされた事で、見事に気絶させられてしまったのだった。 これは、高濃度のLCLを肺に取り込むと酸素中毒に近い状態になって気絶するという性質(今までの実験の結果判明している)を利用した作戦であった。 「ミサトさん! 早く退避を!」 シンジが手に持った拳銃を撃ちながら、乗ってきたスクーターのある場所まで走る。 「了解、シンジ君。回収ルート34番で戻るわ。」 初号機パペットが山の東側のエレベータに回り込むが、使徒はシンジの思惑通り追って行こうとしない。 しかし、計算外の事も起こった。 ドゲシャッ! 使徒の光鞭が、シンジの目の前でスクーターを押し潰したのだ。 衝撃波がシンジを吹き飛ばし、坂を転げ落ちさせる。 「うっ……ううっ…………」 「シンジ君っ!!」 ミサトが叫ぶが、今はどうする事もできない。 残りの稼働時間は1分を切っているし、余計な客を乗せているため激しい戦闘機動ができないのだ。 畳みかけるように、事態は更なる進展を遂げる。 「碇君! しっかりして!」 石段の下にいた洞木ヒカリが、シンジの惨状を見かねて助けに来てしまったのである。 「ほ、洞木さん……どうしてここ……いや、それより早く逃げて!」 何とか身を起こして、まだ手に拳銃があるのを確認する。 「で、でも……。」 「いいから。僕がアレの注意を引くから、早くシェルターに!」 満身創痍で見るからに痛そうなのに、それでも自分より相手を気遣うシンジの姿勢に、ヒカリはこんな時だというのに……いや、こんな時だからなのか、ドキッとするものを感じていた。 同時に、ここまで健気に皆を守ろうとする人を死にそうになるまで、いや殺そうとしていたトウジへの想いがどこか冷めていくのを感じていた。 「碇君も気をつけて。」 それだけ言って駆け出したヒカリの背後で、パスパスと言う銃声が聞こえる。 「おぉぉぉぉぉ!」 石段をヒカリとは逆に駆け上がりつつ、残弾を残らず使徒に向けて撃ち放つ。 ちなみに、シンジの持つ拳銃は液状のLCLが詰まったカプセルを撃ち出すガス銃で、非殺傷武器である。シンジ特有のATフィールドの効果を及ぼし易くする効能があるらしく、この状況では最適の弾頭だ。 少なくとも、相手の注意を引きつける役には立つ。 とは言っても、 使徒のムチは二本。 「きゃぁぁぁぁぁ!」 「洞木さんっ! うわっ!」 シェルター入り口の前で後ろを振り返って止まったせいでヒカリはムチに掴まり、 そのヒカリに気を取られてシンジもまた捕獲されてしまった。 「ここからが本番ね。」 「リツコ。そのオジン臭い言い方、何とかならない?」 「あら失礼ね、葛城一尉。そちらこそ何を考えているのかしら。」 揶揄した筈があっさり切り返されて、ミサトは矛先を抵抗できない連中へと向けた。 「ケイジ待機の保安部要員、至急初号機パペット内の子供二人を拘束して。」 命令は滞り無く遂行された。対象に抵抗する能力が残って無いのだから当たり前だが。 「医療的処置を優先して。でも、身体検査はしっかり頼むわよ。」 そこまで言ってミサトは目を画面に戻したが、そこにはシンジの姿は映ってなかった。 「どういう事、これ?」 「シンジ君がそこの茂みに連れ込んだのよ。茂みの中にまではカメラを設置してなかったから……」 「な〜るほど。シンちゃんやるぅ。」 口笛でも吹きかねない様子にリツコも切れかける。 「ミサト、笑い事じゃないのよ!(このままだと貴重な資料が取れないじゃないの。)」 「初めての娘に気がねしたんでしょ。褒めても良いと思うわ。……使徒の波動パターン検知には問題無いんでしょ?」 「はい。現在パターンは青。使徒のままです。」 すかさず青葉が答える。 「なら問題無いわ。初号機パペットの再出動、できる?」 「10分もあれば充電だけなら終わるわ。」 「無茶です先輩! 一回全力出撃したら細かい損傷がどれほど出てることか!」 使徒との戦闘のように激しい負担を強いる用法を巨大ロボットに行わせた場合、どんなに丈夫な部品でも磨耗したり破損したりするのは避けられない。 そこで、エヴァ・パペットは一度の全力出撃をしたらオーバーホールを行って各部の痛んだ部品コンポーネントを新品に取り替える……という運用法を前提とする事で、部品に過度の冗長性を持たせずに済ませられるようになり、コスト削減と生産性向上を実現していたのであった。 マヤの反対は、この設計原則を踏み越える危険を冒す事への警鐘である。 しかし、 「10分か……ならすぐに始めて。」 「分かったわ。」 マヤの抗議など何処吹く風で再出撃の用意を整えるミサトとリツコ。 二人は、これが常に万全の態勢で戦う事ができるなどと期待してはいけない戦いだと良く理解しているのだ。 不測の事態に備えて、今動かせる自軍最強の兵器の用意をしながら、ミサトとリツコはシンジの勝利を祈っていたのであった。 それぞれの理由によって。 碇君が茂みの中に私を押し込んだ。 「キャアッ!」 思わず反射的に悲鳴を漏らしてしまったけど、何故だか本気で拒絶する気が起きない。 どうしてだろうか。 頭の中でそんな事を考えているうちに、碇君は私から身体を離していた。 「え?」 このまま押し倒されて、いやらしくて不潔な事をされると思い込んでた頭が、一瞬フリーズした。 「具合、大丈夫? どこも痛くない?」 本気で心配そうに私の顔を覗き込んで来る碇君の目に全然やましさが見えず、かえって私の方が心苦しくなっちゃった。 だって、シェルターから出てはいけないって決まりを破ったのは私達の方なのに、 私なんかより碇君の方がよっぽど酷い怪我してるのに、 それでも、まず私の方を心配してくれてるんだ。 そう想った時、自分の身体の中で蠢くモノを感じた。 何か、自分の中に碇君を求めてる部分が隠れてるみたい。 「碇君の方こそ、そんな怪我で大丈夫なの?」 碇君は腕時計をチラリと見てから、 「あと10分ぐらいは大丈夫。痛み止めが効いてるから。」 と答えてくれた。 それを聞いた私の顔が自分でも分かるぐらい蒼ざめる。 「え、……駄目じゃないの! ちゃんと寝てなきゃ!」 「寝てられないんだ。守らなきゃならないから。」 「守るって何を! 死んじゃったらなんにもならないでしょ!」 「僕の居場所を(僕にとって大事な人達を)。」 碇君の目の輝きは、とても綺麗で眩しかった。 トクンと心臓が鳴る。 え、私が好きだったのは鈴原のはずじゃ…… でも、もう鈴原の顔を思い浮かべても好きだとは思えない。 幾ら妹さんの事があっても、こんなに優しい人を殺そうとするなんて……。 キュッと心臓が痛む。 私って、碇君にどう思われてるんだろう。 「ごめん、洞木さん。僕、君を守れなかった。」 「守れなかったって? 私、生きてるのに。そ、そういえばあの化け物は?」 「あの化け物……使徒は、今洞木さんの中にいるんだ。」 「え、ええ〜〜!! ヤ、ヤダそんなの!」 もしかして、身体が妙に熱っぽいのってそのせい? 「このまま放っておくと洞木さんの心はその使徒に乗っ取られてしまうらしいんだ。」 「お、お願い、助けて!」 「助け方は二通りあると思う。僕が洞木さんを抱くか、僕が死ぬかのどっちか。」 「え? なんで? なんで碇君が死ねば私が助かるの? どうして?」 私があの時振り向いたのがいけないのに。そう思うと胸が痛む。何故? 「あの使徒ってのは僕に接触したくて人間に取り憑くらしいんだ。だから、僕を殺せば多分出てくと思う。」 「そ、そんな……碇君を死なすだなんて……。でも、どうしてそこまで話したの? 普通なら私を抱けば助かるって言うだけでしょ?」 ちょっと気を抜けば、今にも吐息が桃色に染まってしまいそう。 おかしくなったのかな、私。碇君が私を抱くって言ってくれただけでこんなになるなんて……。 「洞木さんに嘘、つきたくなかったんだ。」 そこで限界。もう立ってられないぐらいフラフラになってる。 崩れ落ちる私を、華奢だけど力強い腕が支えてくれた。 その瞬間、全身を痺れさせて何かが頭の天辺から足の爪先までを貫いてイったような気がした。 「洞木さん。僕に任せて、いいね。」 コクリと肯くと、碇君は私に立ち木に両手を付くように言って、私のスカートを捲り上げた。 足から下着が抜き取られるのが分かる。 碇君の息遣いが分かる。 そして、 「やぁ……」 碇君の舌の感触を感じる。 「ぃゃ……そんなところ舐めないでぇ!!」 口ではそう言いつつ、もっと舐め易くなるように腰を突き出してる私。 何だか自分の身体じゃないみたい。 「ふ、不潔よ〜〜!!」 「全然そんな事無いよ。凄く綺麗だよ。」 私、ソバカス顔なのに、そんな綺麗じゃないのに。 混乱する私に何か熱いモノが触れた。 「いい、洞木さん?」 何かは聞かなくても分かる。 「やだ。ヒカリって言って。」 「え?」 この返事には碇君も面食らったみたいで動きが止まっちゃってる。 ちょっと可愛いかも。 「うち……家族多いから……だから……」 「じゃあ、いくよヒカリ。」 次の問いに首肯した瞬間、お腹を何かが割り裂いてきた。 物凄く痛くて苦しくて、でも甘い疼きが湧いて来るモノが。 それと同時に、二つの心が私の中に流れ込んで来る。 私の中にいるモノの心と、碇君の心が。 それは、とても寂しい記憶、それはとても寂しい想い出。 寂しい思いをしてきたからこそ、寂しくしている誰かを暖めたくなる想い。 寂しい思いをしてきたからこそ、誰かに暖めてもらいたくなる気持ち。 甘い痺れに恍惚となりつつ、下腹部に注入される熱いモノを感じ、私の意識は光に溶けていってしまったのだった……。 身体の中にしこっていたモノが自分に溶け混ざっていくのを心地好く感じながら……。 「あはは……限界みたいだ。」 「ちょっと、何言ってるのよ碇君!」 初めての場所にしてはだいぶ難がある神社の境内で事後の余韻に浸っていたシンジは、痛み止めが切れたせいで苦痛に歪んだ顔で、それでも精一杯微笑んだ。 「大丈夫。痛み止めが切れただけだから。」 それから、シンジは頭に装備してるインターフェースで発令所へと連絡を入れた。 「ミサトさん、使徒は?」 「大丈夫、やっつけたわよ。今救助班がそっちに向かってるわ。」 「分かりました。後、お願いします。」 自分がやるべき役目が終わった事を聞いて気が抜けたシンジは、そのまま睡魔の手に自らを委ねる事にしたのだった。 心配そうに縋り付くヒカリの髪を優しく手ですきながら……。 「また、この天井か。」 広くて白い病室、 ガランとした部屋の真ん中にポツンとあるベッド。 しかし、今回は前回と違うモノが居た。 「あ、おにいちゃん、おはよう♪」 既にシンジの家族となっているも同然の鈴原ハルナと、 「おはよう、碇君。」 恐らく新たにシンジの管轄になるであろう少女 洞木ヒカリである。 「お、おはよう。」 ベッドの横に居座って動かなかったのだろう。ハルナの髪に妙な寝癖がついているのをシンジはどこかがくすぐったい感じで見つめていた。 「そういえば、洞木さん……ヒカリは、学校どうしたの?」 何の気無しの質問だったが、ヒカリは傍目から見てもバレバレなぐらいうろたえた。 「あ、え、え〜と。私は、精密検査が必要って事になってるから……。」 口実を作って学校を休むなんて事などとは無縁の人生を送ってきていたのだろう。 「そう。本当に大丈夫?」 「大丈夫よ。私は、どこも悪くないから。」 実際の話、ヒカリはある一点を除けば傷一つない。 もっとも、その傷付いた場所というのは…… 他でもないシンジの手によってなされたところである。 「碇君こそ、どこか痛いところ無い?」 「大丈夫。もう、かなり楽になってるよ。」 「そう。良かった……。」 病室にゆったりとした空気が広がっていくが、その空気を掻き乱す者が現れた。 「失礼して良いかしら、シンジ君。」 戸口から顔を覗かせているのは、葛城ミサトであった。 「……どうぞ。」 ミサトが入室してから室内にわだかまってしまった居心地の悪さ、 薄氷を踏むような沈黙を破ったのは、シンジの方からだった。 「ところで、今日は何しに来たんですか?」 あんまり友好的とは言えない問いを、 「そうね。聞きたいだろう事を教えにと……謝りにね。」 今日のミサトはサラリと受け止めた。 「え?」 「まずは、連絡事項から。洞木ヒカリ嬢は、今日付けでシンジ君の管轄下に入るわ。今回は戸籍の操作が必要無いから、今まで通りの暮らしをして貰っても構わないわ。」 「それは、僕が決める事じゃ…」 「シンジ君が決める事よ。もし、彼女に任せるというなら、任せるという判断をするのはシンジ君なのよ。」 「はい。」 ある意味正論なので、シンジは反論せず首肯する。 「鈴原トウジ君と相田ケンスケ君。彼等は一応釈放が決まってるけど、シンジ君次第で家庭裁判所に送致する事もこっちで拘束する事もできるわ。」 「え、おにいちゃんなにかやったんですか!?」 ハルナが猛然と、ヒカリも興味深げに迫って来るのに苦笑を返して、ミサトはことさら事務的に告げる。 「シンジ君の怪我、実は鈴原君と相田君のせいなの。主犯は鈴原君、従犯は相田君。」 実際の使徒戦で負った怪我はほんの軽傷でしかなく、入院が必要なのは全部トウジにやられた傷だというのは皮肉であったかもしれない。 「ごめんなさい、シンジおにいちゃん……トウジおにいちゃんがひどいことして……。」 「と、トウジおにいちゃん?」 「え? すると……まさか……ハルナって鈴原の妹のハルナちゃん?」 「きづかなかったんですか? ヒカリおねえちゃん。」 ここで謎が繋がった。 「そ、そうなんだ…………あはは……。」 「で、どうするのシンジ君。」 冷や汗を流して苦笑いを浮かべているシンジに最終判断を促すミサト。 「もういいです。分かってもらえれば(本当の事知っても殴られてただろうし。)。」 息を止めて答えを待っていた二人もホゥと息をつく。 「じゃあ、もう一つの話題に移るわ。」 言いざまに身構えるミサトに他の面々の緊張もいや増すが、 次なるミサトの行動は、上半身を30度ほど前に倒す事だった。 「ごめんなさい、ハルナさん。」 鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔のハルナ。 「そして……ごめんね、シンジ君。ごめんで許される問題じゃないかもしれないけど。」 ミサトの珍しく本気で神妙な声に、シンジの表情も和らいでいく。 「いいです、もう。気にしてませんから。」 「ところで、シンジ君。ちょっと昔話に付き合ってくれない?」 「はい。良いですけど……。」 シンジは後の二人を見るが、二人とも異存はなさそうなので話を促す。 「15年前のセカンドインパクトって知ってるわよね。」 「はい。」 「実は、あれ、使徒の仕業なのよ。」 「え?」 それは本当ですか? と聞こうとしたが、シンジはミサトのこれ以上無いほど真剣な目に声を無くした。 「私は、その時そこにいた。私の父もね。……そして、私が唯一の生存者。」 実際には、葛城観測隊の生存者にはゲンドウも含まれるのだが、セカンドインパクトが起きた後の生存者はミサトだけだった。 ゲンドウはその前日に帰国の途についていたのだから。 「これが私が使徒を憎む訳よ。」 「そうだったんですか……。」 「正直、使徒への憎しみは消えそうにないけど、あなた方の事は好きになるように努力するわ。だから……よろしくね、ハルナちゃん、洞木さん。」 「あ、はい。よろしくお願いします。」 「よろしくおねがいします。」 張り詰めた空気が軽くなったのを見届けて、シンジは笑顔でこう言った。 「今度からミサトさんの御飯、材料費貰いますからね。」 と。 福音という名の魔薬 第四話 終幕 シャムシエル戦閉幕です。いや、手強かったですね。 あと、今回もきのとさん、峯田さん、【ラグナロック】さんに見直しへの協力や助言をいただいております。どうもありがとうございました。 ☆突発薬エヴァ用語集 ゲイン:節電モード。 インダクションモード:誘導様式。コンピュータで機体を制御し、半自動で動かす。 |
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