福音という名の魔薬
第伍話「雨、逃げ出す前後」 第四使徒戦終了から、およそ3時間。 鈴原トウジと相田ケンスケは、古典的な方法にて強制的に目覚めさせられた。 すなわち、頭から冷水をぶっかけられたのである。 「ぶわっ! 冷てっ!」 「うわっ!」 ほぼ零度の水の冷たさに悲鳴を上げて飛び起きようとする二人であったが、未然に身動きを封じられていたので無様な芋虫の如く床を転げ回る破目になってしまった。 そう。 すでに両手両足は縛られた上に指を一本ずつコードで念入りに結び合わされていた。 また、両手首と首を繋いで結んでる紐すらあった。 武器になりそうなモノや記録を録る事のできる道具は全て取り上げられ、彼らの周囲は強面の黒服を着た人垣が蟻の這い出る隙間も無いほどに固めていた。 『この連中って……もしかして、ネルフの保安諜報部? なら逃げようとしても無駄だよな。相手はプロなんだから、分が悪過ぎるよ。』 ケンスケは周囲を一瞥すると早々に抵抗を諦めたが、トウジの方は諦める気配は無くうんうん唸りっ放しだ。 そこへ、黒い壁を割って紅一点が舞い込んで来た。 「ようやくお目覚めのようね、鈴原トウジ君、相田ケンスケ君。」 「お、お前は誰じゃい!?」 「私は葛城ミサト。特務機関ネルフの作戦部長よ。」 その一言に反応したのはケンスケの方だった。 「さ、作戦部長! 作戦部長殿ともあろう御方が何の御用でありましょうか?」 過剰な敬意の表現に口元を薄く苦笑させ、ミサトは彼らの罪状を読み上げる。 「あなたたちは戦闘妨害及びシェルター内に避難していた人を危険にさらした罪で我々ネルフが拘束させてもらったわ。」 「なんやて!?」 『……そう来たか。まあ、しょうがないね。』 驚くトウジと何かを悟ったケンスケ。 ここらへんの反応の差は知識の差でもある。 「戦闘の妨害ちゅうのは分かるけど、何でシェルターに逃げてる連中のことまで言われるんじゃ。」 トウジの質問を聞いたミサトが、盛大な溜息をつく。 「……呆れた。まだ解ってなかったの。ま、解ってたらやんないだろうけどね。」 「どういうこっちゃ! 分かるように説明せんかい!」 「それが人にモノを聞く態度じゃないとは思うけど、まあいいわ。いい、あなたたちは外に出る時に隔壁全部開けっ放しにしてったでしょ?」 「そ、それがどうかしたんか!?」 トウジはともかく、ケンスケは気付いたようで顔色が青くなっている。 「運が良かったわね、あなたたち。もしエヴァが落ちる位置が100m……いえ、50mシェルターのある方にずれてたら大変な事になったわよ。」 「た、大変な事ってなんや?」 「落ちた時の衝撃波がシェルターの中を荒れ狂って……地獄になったわね。」 本来、シェルターは爆風対策が施してあるので、入り口の一つにエヴァ・パペットがまともに落下したとしても避難して来た民間人に被害が出るような事態はあまり考えられない。普通なら核爆弾やN2兵器級の攻撃でなければビクともしないのだ。 しかし、何重にも設置された隔壁や外部扉を開け放してしまった状態では話が違う。 爆風や衝撃波が狭い通路を駆け抜け、内部で荒れ狂う恐れがあるのだ。 つまり、最悪……シェルター内に居た全員が死ぬという事態すら有り得たのだ。 さすがに事態を理解したトウジも横のケンスケと一緒に青くなっている。 「解ってもらえたようね。……そういう訳だから、あなた方はしばらく拘束させてもらうわ。悪く思わないでね。」 サッとミサトが手を上げると、黒服の男達が二人の腕を持って持ち上げた。 「ちょ、ちょい待たんかい!」 「止めなよ、トウジ。抵抗するだけ無駄だよ。」 わめくトウジを諦め顔のケンスケがたしなめるが、 「そうやない! ワイは転校生のことが知りたいんや! パイロットだっちゅうに何であないな事しとんのや? それに、今どうしてるん?」 トウジは血相を変えて大声を上げる。 トウジの真剣な目を見たミサトは、溜息を一つついてこう言った。 「今から話すことは重要機密だから他人に漏らすと死刑も有り得るわよ。……それでも聞きたい?」 「おう! 勿論や!」 「は、はい。勿論です!」 即答に満足したミサトは、機密情報を話し出した。 ただし、あくまでも非常時には外部に漏れても仕方ないと判断される機密レベルの情報までにしようと用心していたが。 「まず、シンジ君だけど……生死の境をさ迷ってるわ。鈴原トウジ君、あなたが負わせた怪我のせいでね。」 「な、なんやて……そんな……ワイは……」 ロボットが無人だったこと、シンジが生身で戦っていたことを自分の目で見て、シンジを殴ったのが丸っきりの筋違いだったと知ったトウジは、己の犯した間違いの結果にブルブル震えていた。 「今は手術中よ。もし、手術が上手くいったとしても今夜が山だとか言ってたわね。」 すっかり覇気を失った二人に、ミサトが宣告する。 「もしシンジ君が死んだら、あなた方二人を殺すわ。覚悟しといてね。」 それを聞いてケンスケも、恐怖でガチガチと歯を鳴らしている。……今更だが。 「質問は以上で良いかしら?」 ミサトは、できればこれ以上聞いて欲しくないな〜と思いながら、質問を切り上げようとする。 しかし、 「ま、まだ転校生がああしとる訳を聞いとらん。何故や?」 元気が削げ落ちた声で、それでもハッキリと質問するトウジ。 「(はぁ。ここまでショック与えとけば言わなくて済むと思ったんだけどなぁ……。)エヴァンゲリオン……エヴァってのは対使徒迎撃戦闘チームの呼称なのよ。」 その態度に、ミサトは遂にカードの一枚を使う事を決意した。 「パイロットっていうのは、シンジ君みたいに使徒との戦闘に役立つ特殊な能力を身につけた子のことを指す言葉なの。」 非常時の情報操作用に策定された問答集の一部を。 「え?」 「シンジ君の能力は『囮』。目で見えるぐらい近くにいる使徒の注意を自分に向ける事ができるの。」 ケンスケの眼の奥で何かが光る。 自分が知らない事実に、困惑しつつも知識欲を満足させているようだ。 ただ、その眼光は未だ濡れていた眼鏡によって巧妙に隠されていた。……不幸にも。 「それって……転校生自身はめっちゃ危ないやないか!」 「そう。危ないわね。でも、解ったでしょ? エヴァ・チームの生身で戦う戦士は、シンジ君の能力にちなんでパイロット……水先案内人って意味の名前になったのよ。……さすがに『囮』って名前じゃ可哀想だし、私達も希望が持てる名前にしたかったの。『勝利への水先案内人』ってね。」 淡々と話すミサトの言葉は、見えないムチとなってトウジを責め立てた。 「この前のロボット事件の時も、転校生が戦ってたんか?」 「ええ。シンジ君、瓦礫が当たって倒れてた小さい女の子を助けようとして……助けられなかったって凄く落ち込んでたわ。とても見てられないぐらいね。」 「なんやて……ホンマかそれは!?」 「ホントよ。」 ミサトの言ってる事は一部誇張と解釈の間違いや意図的に隠蔽された情報はあるが、おおむね事実そのままである。 その事実が持つ現実味が、トウジの背筋をズズンと打ち据えた。 「そうか、そうやったんか……(ワイは馬鹿や! ワイはなんちゅう事をしてしまったんや!! 転校生に、どう詫びたらええんか分からんわ!!!)。」 顔を伏せ、気力全てを使い果たした感のあるトウジと、従順に頭を垂れたままのケンスケを見やって…… 「訊きたい事はもう終わりね。…………連れてって。」 ミサトは保安部の猛者に命じて、二人の馬鹿を独房へと連行させたのであった。 その3日後、 「釈放よ。」 トウジとケンスケの二人が収容されている独房に、ミサトが福音を告げに訪れた。 取り敢えず独房から出された二人は、殺風景な部屋に集められ、そう聞かされたのだ。 「釈放やて!? それじゃ、転校生は!?」 「何とか助かったわ。」 『ホッ。これで僕らが銃殺される事は無さそうだね。』 「よ、よかった〜! ホンマ、良かった〜!」 簡潔に告げたミサトの言葉に、あからさまに緊張を解いたケンスケと文字通り涙を流して喜びに浸るトウジ。 「と、ところで転校生の病院ってどこや!? 教えてくれへんか?」 土下座しかねない勢いですがってくるトウジをいなしながら、ミサトはことさらに冷たい口調で返す。 「どういう顔して行くわけ? まさか、改めて痛めつけようって気じゃ?」 「違います! そんな訳あらへんがな! ワイは……ワイは、転校生に謝らなきゃならんのじゃ! お願いします! 教えて下さい!」 必死の形相を浮かべるトウジに幾分好意的な目を向け、それでもミサトはこう言った。 「見舞いなんて必要ないわよ。それに……もし、見舞いに行ったとしても会ってくれないでしょうね。」 「そ、そんな……」 「トウジ、もう諦めなよ……」 ミサトの言葉に、トウジの肩がガクンと落ち、悄然となる。 「だって、明日中に退院が決まってるもの。シンジ君。」 愕然としているトウジに、茶目っ気たっぷりに微笑みを浮かべたミサトが爆弾を放り投げるまで……であったが。 「は?」 ポカンと口を開けて凍りつくトウジ。普段は切り換えが早いケンスケの頭も、いきなりの事態の変化についていけていない。 「もしかしたら、明日のうちに学校にも顔出すかもね。シンジ君、随分と学校のみんなを気にしてたから……。」 「て、転校生の怪我って、そないに簡単に治るもんなのか?」 「そんな訳ないわ。本当はまだ入院してた方が良いんだけど、通院でもなんとかなるぐらいに回復したから……本人の希望を優先したのよ。」 それくらいの我が侭は許してあげないとね。ミサトは被保護者の強情な主張を思い浮かべて苦笑した。 「そうなんですか。……迷惑かけて、えろうすんまへんでした。」 「すいませんでした。」 頭を下げて謝意を示すトウジに便乗してケンスケも頭を下げる。 「もうしないでね、こんな事は。……家まで送らせるわ。」 パチンと指を鳴らしたミサトが呼んだ保安諜報部の黒服達がトウジとケンスケの両脇を固めた上、前後に護衛と監視を兼ねた要員が二人ずつ……計六人が配置に着く。 その物々しい編成は、これが送迎では無く連行である事を無言で主張していた……。 この後、家まで連行した黒服に詳しい事情を聞いた二人の親が、二人にこっぴどい雷を落としたのは書くまでも無い事であろう……。 翌朝、トウジとケンスケを学校で待っていたものは…… クラスの女子たちの責めるような視線の集中砲火であった。 トウジは白眼視は覚悟して、 ケンスケは自分一人が後でトウジとは別の日に学校に来た時のことが怖くて、 結果的に一緒にやってきていたのだ。 息詰まるようなホームルームと緊迫感に満ちた午前中の授業が終わり、 トウジはクラスの女子を中心とした有志一同に呼び出され、堂々とついて行った。 なお、ケンスケは身の危険を察知して、昼休みが始まるやいなやこそこそと逃げ出していたりする。 「なんや、ワイに用か?」 「委員長から聞いたわ。碇君を怪我させたのって鈴原よね。」 代表者格の女子が、断定的にトウジを指差す。 すでにヒカリを問い詰めて事情を聞き知っているので、おおいに強気だ。 「ああ、そうや。」 「『ああ、そうや。』ですって! あんた、開き直るのもいい加減にしなさいよ!」 それに、人数の勢いというものもある。 俄然、糾弾の響きはシビアなものとなった。 「開き直ってるつもりや無い。ワイも自分が悪いとは思うてんねんからな。ただ、それ以外に答えようがなかっただけや。」 しかし、トウジは静かに受け答える。腹を決めた者の潔さで。 「じゃあ、私達が言いたい事も解るわよね。」 手に手に獲物を持って周囲を囲む女子達の真ん中に 「ああ。好きにせい。」 どっかと腕組みしてあぐらをかくトウジ。 『なにされるんでも……せめて転校生には謝っておきたいよな。』 もはや、自分が殺される事ですらも想定をし始めたというのに、トウジは静かにその時を待った。 リンチが始まる時を。 トウジは、その全てを黙って受け入れる事でシンジへの贖罪の一部にしようとしていたのだ。 時が止まる…… ただ静かに座っているトウジに気圧された女の子たちが自らを鼓舞して殴りかかろうとした時、彼女らにとっては意外な人物がそれを止めた。 「暴力は、良くないと思うよ。」 ギプスで固めた左手を吊った、困り顔のシンジであった。 「え? シンジ様?」 「碇君? どうしてここに?」 「もう退院できたんですか?」 他にも口々にシンジに質問を浴びせるが、残念ながら聖徳太子と言うわけでもないので流石に対応し切れない。 「みんな、心配かけてごめん……。ところで、どうして鈴原君がこんなことに?」 「そ、それは鈴原が碇君に怪我させたっていうから……」 急に雲行きが怪しくなって、しどろもどろになる代表格の女子。 しきりに回りを見回すが、シンジに嫌われるのが嫌なのか誰も助けようとは…… 「シンジ様、ごめんなさい! シンジ様に鈴原君が暴行を加えたとか聞いて、いてもたってもいられず……」 いや、人垣から女の子が一人泣きそうになりながら出てきてペコペコ頭を下げている。 それを見て、シンジは心から嬉しそうに笑みを浮かべた。 「田中さん、能代さん、それにみんなも……ありがとう。」 ちなみに、代表格の子が田中さん、しきりに頭を下げている子が能代さん…である。 「でも、鈴原君を許してあげてくれないかな。妹さんの事を思うあまりの事だったんだろうし……(殴られる筋合いも一応あるしね……)。」 ばつが悪そうに……でも、にっこりと笑って言うシンジに、 「「「「碇君……」」」」 「……転校生…………おんしは……」 一同が思わず見とれてしまった。 トウジでさえも見惚れてしまうほどの笑顔である。 それを見た女の子たちには危うく失神しかける娘すら出てしまうほどであった。 しばらくの硬直ののち、真っ先に再起動したのは、やはりトウジだった。 「転校生……いや、センセ! あんなにどついたりして悪かった! ワイの事もどついてくれ!」 正座に座り直したトウジは、文字通り地面に額を擦りつけながら土下座した。 「え、そんな。そんな事できないよ。」 困り顔になるシンジに、 「頼む。せやないとワイの気が済まん。」 顔を上げて真剣な視線をシンジと合わせるトウジ。 しかし、シンジの返事はトウジの予測を超えていた。 「ごめん……まだ身体が本調子じゃなくて……あんまり激しい動きするのって、お医者さんに止められてるんだ。」 「なんやて……?」 「うん。だから、ごめん。」 逆に謝るシンジに、トウジの罪悪感がいや増しに増す。 「センセが謝る事あらへん。……せやったら、しゃ〜ないか。センセに無理させるのもアレだしな。」 自分が傷めつけた怪我を自分のこだわりで悪化させてしまうのは嫌なのか、ここは流石に引き下がるトウジ。 「そや。ワイに何かできる事あるか! 何でもやるで!」 それは、殴られておあいこという発想の代償行為だったのかもしれない。 しかし、トウジはそれが意外と良い考えなのに気付いた。 シンジの返事を聞くまでは。 「じゃあ、友達になってくれないかな。」 「へ? そんな事でええんか?」 「うん。僕、向こうの学校で友達いなかったから……」 はにかむシンジを見た女子達の心の中で 『ジャージ、殺す! ……ううっ、うらやましい。』 という声にならない叫びが轟いていたが、シンジは全然気付いていなかった。 「わ、わかった。これからよろしゅうな、センセ。ワイの事はトウジでええで(こりゃ、センセの友達ってのも大変そうやなぁ……)。」 「よろしく、トウジ。……みんな、そろそろ教室戻らないと5時間目の授業始まっちゃうんじゃない?」 シンジの声でようやく今の時間に気付いた女の子たちが大慌てで教室に戻って行く。 昼休みも、もう残り僅かなのだ。 こうして、トウジへのリンチは未然に防がれた。 しかし、シンジに自然に話しかけられる立場を手に入れた彼には、以後、女の子たちからの嫉妬の視線がよく向けられる事になる。 ただ、シンジもトウジも基本的にそういう部分では鈍い方なので、さして深刻な問題にはならなかったのであった……。 シンジが教室に入って来たのは、授業開始ギリギリであった。 「「「「「「碇君!!!」」」」」」 「「「「「「碇!!!」」」」」」 先に戻っていた女子から話が伝わっていたのか、教室中が歓迎ムードに染まっていた。 何せ生死が危ぶまれるほどの大怪我を押して正体不明の化け物…使徒…と戦い、みんなの命を守ったヒーローが退院して来たのである。 その活躍に、いつもは敵意がふんだんに込められた視線を送ってくる男子生徒達も、惜しみなく歓迎の意を表わしていた。……もっとも、彼等の態度に敵意が戻るまで、そう何日もかからないであろうが。 いつもは我関せずを通しているレイでさえ、ちらとシンジの方を見たぐらいだ。 「ありがとう、みんな……」 感涙にむせぶシンジは、新たな力を貰った気分になって自分の席についたのだった。 この騒ぎに紛れてこっそり戻って来たケンスケを誰一人として気にせずに……。 シンジの学業復帰最初の授業は…… また、セカンドインパクトの苦労話だった。 となると当然……シンジの端末には通信が割り込んで来る事になる。 通信というよりチャットと呼んだ方が良いかもしれない。 チャットとは通信端末を使った会話……みたいなもので、基本的に参加者全員が発言内容を見られるのが普通の通信やメールと違うところである。 ただ、今日の質問は機密事項に触れるものが多くて、シンジはそんな質問が出るたびにただただ謝り続けていた。 そのシンジを横目で見つつ、ケンスケは頭の中でまとめたエヴァやシンジに関する事項や、最近の生写真の売り上げの出納簿(ちなみにシンジを写したモノが爆発的に売り上げを伸ばしている)を端末に打ち込み、学校の通信回線をこっそり借用して自宅のパソコンへとそのデータを転送した。 今回のチャットのログ(記録)と共に……。 「ただいま。」 「おかえり、おにいちゃん。」 通学復帰第一日目も無事終わり、 「あ、あの……お、おじゃまします。」 「ヒカリおねえちゃん、いらっしゃい。」 シンジはヒカリを伴ってコンフォート17にある自宅へと帰りついていた。 なお、委員長という立場を利用してシンジの付き添いの座をまんまと勝ち取ったヒカリに対して『こんな事なら委員長なんか押しつけず、自分がやっとけば良かった』……などという声も上がったりはしたが、現職の委員長が展開する正論には誰も対抗できず、渋々話がまとまったのである。 もっとも、ヒカリが買って出なかった場合、誰がシンジと帰るかを争って絶対に揉めたであろうが……。 「ヒカリ、夕食食べて行くよね。」 さっそく台所に向かおうとするシンジを、 「う、うん……あ、待って、私がするから。碇君は休んでて。」 ヒカリが制止して代わりに向かおうとする。 が、そこで、 ピンポーン と呼び鈴が鳴った。 と思ったら、ガチャリとドアが開いた。 「おかえり、シンジ君。お邪魔して良いかしら?」 ちゃっかり自分用の食器を携えたミサトとペンペンであった。 「いいですけど……。」 ミサトの姿に嘆息を隠し切れないシンジの後ろから、 「いらっしゃい。」 挨拶してくるハルナに 「お邪魔するわよ、ハルナちゃん。こんばんは、洞木さん。」 今日はちゃんとした挨拶を返すミサト。 「こんばんは。」 それにつられてヒカリも挨拶を交す。 ……数日前では見られなかった光景に、シンジはホッとする空気を感じていた。 「ところで葛城さん。その食器はなんですか?」 「ああ、これ。私用の食器。この家の客用食器は洞木さんが使うんじゃないかと思って持って来たのよ。」 ちなみに、シンジが入院する前は、客用食器はほとんどミサト専用になりかけていた。 「そ、そうなんですか……」 シンジの病室での会話から多少は事情を知っていたヒカリであったが、まさかここまでとは思っていなかったので思わず絶句してしまった。 「あ、そうそう。今日の訓練だけど……」 「葛城さん! シンジ君は怪我してるんですよ!」 ヒカリが容赦無いミサトを睨み、ハルナがシンジを庇う位置に立つ。 「わ〜てるわ。だから、シンジ君の負担が少ない方法でヤるわよ。」 「え?」 しかし、にっこりと笑ったミサトの笑顔に鋭鋒をかわされて、二人の気勢は削がれた。 「二人とも、夕食の支度をエプロンでやるのよ。」 「ええっ?」 更に続けられたミサトの言葉は、シンジを含めた三人にはチンプンカンプンだった。 食事の支度ならエプロンをつけるのは当たり前…… 「ただし、エプロン以外の服は着ちゃ駄目よ。」 あまりの爆弾発言に、三人は塩の柱と化したかのように凍りついた。 「さ、脱いだ脱いだ。」 「えと、どうしよう碇君……。」 「お、おにいちゃん……みたい?」 ミサトに促されて、狼狽しつつも御伺いを立てる二人。 咽喉が鳴る音が、生唾を飲み込む音がする。 「うん。見たい……かな。」 「じゃあ、決まりね。あ、二人だけってのもアレだから……」 シンジは自分も裸にさせられるのかと覚悟したが、そうではなかった。 「私もするわね、裸エプロン。」 「み…み…み…み…み…ミサトさんっ!」 「あ、エプロン、シンジ君の借りるわね。」 うろたえるシンジを尻目に、さっさと着衣を脱ぎ捨てるミサト。それに負けじと着ているモノを脱ぎ捨てる使徒っ娘二人。 「あ、あと……手、出したかったら出しても良いわよ。好きな時にね。」 ハルナに持ってきて貰ったエプロンを身に着けながらミサトが落とした爆弾は、シンジの頭の中をしばしの間真っ白……いや、真っピンクに染め上げてしまったのであった。 目に三人の美女と美少女の艶姿を焼きつけつつ……。 ボーッと3つの桃が揺れ動く様を見ながら、シンジは3週間ほど前にあった出来事をぼんやりと思い返していた。 「ちょ、調教……って何ですか!?」 目の前に居る金髪黒眉の美女の説明に、妖しい吸引力を感じながら腰を浮かせかけるシンジ。 ちなみに、今のこの部屋に、いつもはリツコの影の如く付き従っている伊吹マヤの姿は無い。 もし、彼女が居たならボソリと 「……不潔。」 と呟く声が聞こえたであろう。 「シンジ君の最重要の訓練メニューよ。」 顔色を全く変えずに告げるリツコに、 「く、訓練って…もっと他の事をするんじゃないんですか?」 戸惑いを隠せないシンジ。 「勿論、銃の撃ち方やバイクの運転の仕方とか色々覚えてもらう事は多いけど……それがシンジ君にとって最も重要な訓練なのよ。その成果こそが使徒迎撃の成否のカギを握っていると言っても良いわ。」 ただ、リツコの真剣な顔は変わらない。 その態度にシンジも段々と落ち着きを取り戻す。 「それで……具体的には、どんな事をしたら良いんですか?」 「そうね。具体的な訓練メニューは私とミサトが考えるわ。ただ……」 「ただ……?」 「シンジ君は、女の子を躾る手管を覚えて、それを実践すれば良いのよ。」 「え? そんな……」 淫靡な口調に引き込まれそうになりながらも、辛うじて正気を保とうとするシンジに、 「念入りに身体に肉欲を刻み込んで、じっくりと快楽漬けにして、シンジ君に依存するようにするの。シンジ君無しでは生きていけないほどにね。」 慎重に淫らな毒を流し込むリツコ。 ゆっくりと警戒感を持たれない速度で両手を伸ばし、シンジに触れる。 右手は頬に。 左手は胸板に。 そっと、優しく。 「リ、リツコさん……何を……」 「女の……いえ、ヒトの牝の扱い方、教えてあげるわ。優しくね(あの人の子供だからかしら、それともシンジ君のエヴァが発動してるの? ……今はどうでも良いわね。)。」 話をしている間にすっかり出来上がってしまったリツコに、研究室の仮眠用ベッドに流されるまま押し倒されてしまったシンジは、この後数時間に渡って個人授業を強制的に受講させられたのであった。 様々な技巧の知識と引き換えに、授業料として色々搾り取られて…… 淫靡な回想の世界から戻って来ると、現実でも淫靡な光景が繰り広げられていた。 既に下半身の息子はズボンを痛いほど押し上げ、シンジに劣情をさっさと解放するように訴えかけているが、まだ身体のあちこちに残っている鈍い痛みが短絡的な行動を思い止まらせている。 ま、ここまで無防備な格好の美女や美少女を見て何とも思わないようであれば、既に男として問題だとも言えたが。 その時、ふと光るものがシンジの目に止まった。 「ヒカリ……濡れてない?」 「ひゃっ!」 ドキッとしたヒカリは、思わず包丁を自分の指に一直線に…… ガチィィィィン! どう聞いても包丁で指を切ったとは思えない音を立て、振り下ろされた刃は、 「だ、大丈夫、ヒカリ!?」 見事に欠けた。 血相を変えて駆け付けるシンジ。 しかし、切りつけたヒカリの指に毛ほどの傷も見当たらなかった。 『そういえば、あの使徒ってパレットガン効かなかったんだっけ。とすると、もしかしてこの娘ってタングステンカーバイトより硬くて数千度の熱にも平気なのかしら……』 思わず呆れつつも、ハルナという前例の事を考えてミサトはいささか怯んだ。 『シンジ君がその気になったら、ネルフ本部を壊滅できるかもしれないわね。』 そんな事態にならない為にもシンジ君とは仲良くしよう……と、ミサトは改めて打算を巡らせたのであった。 シンジに対して抱いている好意や保護欲とは、また別に……。 『う……これじゃ、どんな味か分かんないや……』 砂をかむ心地のシンジと一緒に食卓を囲むのは、ハルナ、ヒカリ、ミサト……シンジを入れて四人であった。 ちなみに、ペンペンは居間の片隅でマイペースにお食事を続けている。 なお、どうしてシンジが食事の味も分からないような事態になっているかと言うと、夕食も裸エプロンのままで食べようとミサトが言い出したからである。 「えと……美味しい?(うう……碇君の顔がまともに見れないよう……)」 「う、うん……(味なんて分かんないけど、不味いと言うよりは良いかな……)」 嬉し恥ずかし新婚夫婦のようにぎこちない会話を続けるヒカリとシンジの横で、 「ぷっはぁ〜♪ やっぱ、これがないとねぇ。」 順調に缶ビールの山を築いていくミサト。 そして、 料理を一口食べた途端に、そのままの姿勢で凍りついてるハルナ。 ……どうやら、不幸にもスカ(ミサトが手伝った料理)を口にしてしまったらしい。 実はシンジやヒカリの料理にもミサトお手製の地雷料理は含まれているのだが、味もロクに分からない緊張状態に置かれている為に今の所は助かっていたりする。 それでも、ものの3分もすると…… 「大丈夫、ハルナ? 具合が悪いの?」 箸を口に入れたままで固まっている不自然さに、今のシンジでも気がついた。 「そうよね〜。新顔の娘だけじゃなくて、ちゃんと今までの娘も気にかけてあげないと可哀想よね〜。」 早くも出来上がってるんじゃないかって調子のミサトのからかいを無視して、さっそく介抱を始めようと手を取ったら…… 「あ、おにいちゃん……」 何とか我に返るハルナ。 「どうしたの、ハルナ。」 「うん。このおりょうりたべたら、なんかきがとおくなって……」 見た目は普通のホウレンソウのおひたしであるが、改めて言われて見ると何となく瘴気をまとってるかに見える。 「じゃあ。」 意を決して一口分を口にする。 と…… しなびたホウレンソウを腐った肉汁に漬けたモノに、サッカリンとラー油とバニラエッセンスを混ぜてコールタールで仕上げたものをかけたような味がした……。 つまり、とことん不味い。 「こ、これ……って……」 危うくお花畑に永住しそうになったシンジは、やっとのことでかすれた声を出す。 どうやら、ハルナが凍りついた理由を身をもって味わってしまったようだ。 「それ、ミサトおねえちゃんがつくったのだよ。」 顔色を蒼ざめさせたまま、ハルナがそう指摘する。 「そう。じゃあ、他の料理は大丈夫なのかな?」 「わかんない……」 不安そうに食卓を見つめるハルナに、シンジは一肌脱ぐことにした。 すなわち、 毒見……もとい、味見である。 シンジが意を決して全品を一口ずつ食べてみた結果、ミサトの手が入っていない料理はちゃんと美味しいと判明した。 しかし、同時に自分の分の“それ”も半分は残っている事に気付かされてしまった。 『逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ……』 保護者という事になっている近所のお姉さんがビールを飲むピッチを上げている横で、自分に必死に暗示をかけて食べるシンジ。 しかし、ミサトの手料理の威力はシンジの精神力と生命力を確実に挫いていく。 「おにいちゃん、のこしちゃだめかな?」 そんな中、ハルナが言った一言はシンジにとって福音そのものだった。 「(そうか。その手があった。)うん、いいよ。今日だけ特別にね。」 普段は食べ物を残すって行為に良い顔をしないのだが、今回は別格である。 「碇君、それって葛城さんが可哀想なんじゃ……」 「じゃあ、これ、食べてみてよ。……止めといた方が良いと思うけど。」 何とか弁護しようとするヒカリに、シンジが例の皿を指差す。 「う……(これ、本当に料理かしら……)」 ゆっくりと変色し始め、とうとう見た目にもエグさ爆発加減が滲み出始めた“それ”を見て怯んだヒカリであったが、 『見た目で判断しちゃ可哀想よね。』 半ば引っ込みがつかなくなって、それを口にした……ら、途端に白目を剥いてひっくり返ってしまった。 「わぁ! 危ないっ!」 倒れるヒカリをギプスで固めた左手まで動員して抱き止めると、その衝撃でヒカリが我に返る。 「え、碇君……私、何を……」 どうやら食べた前後の記憶が飛んだらしいが、他は何ともなさそうなのにホッとしたシンジであったが、折り重なって床に座り込んでいる姿に 「おっ、シンちゃん、さっそく始めてるわね。いいわよ、どんどんやっちゃいなさい。」 すっかり誤解したミサトが、シンジたちを肴に飲み直しにかかる。 もう何を言ってもミサトの誤解を解くのは無駄だと諦めたシンジは、せめてこれだけは言っておく事にした。 「ミサトさん……お願いですから、もうウチで料理しないで下さいね。」 と。 その後、訓練は場所を寝室に移して続けられた。 「おにいちゃん、おかたづけおわったよ。」 食器の後片付けは、シンジの相手をしていない方が担当すると言う事で事前に話がまとまっている。今回の場合、シンジがなし崩しにヒカリと始めてしまったので、後片付けはハルナが担当だ。 「ありがと、ハルナ。」 傷に障らないようにそっと抱き締めて頭を撫でると、目を閉じてうっとりするハルナ。 夜は、まだ始まったばかりであった……。 訓練は、夜10時までの門限があるヒカリを家に帰し、夜を徹して行なわれた。 いつもなら起床時間を告げる目覚まし時計の音が、淫猥な訓練の終了を知らせてくる。 「はい、今夜はここまで。」 ミサトの宣言に 「ここまで……って、もう朝ですよ。」 呆れた声で返事するシンジだが、 「そうね。身体洗ってきたら? 学校、遅刻するわよ。」 ミサトは平然と受け答えた。 「……はい(僕、寝てないんだけどなぁ……)。」 それでも、学校を休もうとまでは思わず、身体にこびりついた諸々の体液を洗い落としにシンジは風呂場へと向かう。 夢うつつのハルナの膝裏と脇の下に手を添え、抱き上げて。 「じゃあ、おやすみなさい。」 そんなシンジ達に一声かけて、ミサトは自室へと帰って行くのだった……。 そして、本日も昨夜に引き続きエッチな特訓が行なわれようとしていた。 「ミサトさん……今日は休もうよ。僕、全然寝れなくて……。」 「二日や三日寝なかったところで人間死なないわ。」 シンジの泣き言を二秒で却下するミサト。まさにコーチの鬼だ。 「そんなぁ……」 ちなみに、ヒカリは自宅に帰ってから、ミサトとハルナはシンジが学校に行っている間に寝ているので睡眠不足なのはシンジだけである。 「そうね、そこまで言うなら……場所を移すわよ。」 「場所を移すって……どこへ?」 「い・い・と・こ・ろ♪ 車で行くから、シンジ君は車内で少しは寝られるわね。」 素朴な疑問に答えず、笑顔を浮かべるミサト。 「さ、夕飯食べたらレッツゴーよ。」 言い知れぬ不安を抱えながら、シンジはハルナとヒカリが用意してくれている夕食を待つのであった。 夕食を食べ終え、すっかりピカピカに修理された青いアルピーヌ・ルノーで運ばれた先は……。 「み、ミサトさん。ここってジオフロントじゃ……」 「そうよ〜。今回の目的地はここだもの。」 「わぁ〜、すっご〜い。」 ハルナがカートレイン上からの景観に目を奪われ、 「えっ、それって……」 ヒカリの顔と声に今日の訓練場所についての不安がありありと出る。 「大丈夫。ちゃんと人気のないとこ選んでるから。」 それはそれで問題のある発言を口にしつつミサトが一行を導いた先は…… ジオフロント内に点在する森の一つであった。 「ここなら、思う存分やっても滅多に他人には見られないわよ。」 「め、滅多に……ですか?」 「ええ。ごく稀にホテル代ケチるヤツが逢引きしに来るぐらいかな。問題無いわよ。」 「ええっ!」 驚く三人。……まあ、無理もないが。 「い、碇君……本当にこんな所で……するの?」 恥ずかしさと不安に震え始めているヒカリは、何故だか太股をもじもじと擦り合せだしている。 「お、おにいちゃんがしたいなら……いいよ。」 また、真っ赤になって上目遣いで見上げるハルナの目は早くも潤み始めていた。 声にならない声を飲み込むシンジに駄目押しをするべく、ミサトがシンジの背後に廻り込み耳元で囁く。 「シンジ君、訓練教官の言う事には従いなさい。そ・れ・に、ココをこんなに硬くしてたらシたいって言ってるようなもんよね。」 右手でシンジの息子をズボンの上から撫でると、既にあらぬ想像で充血して硬くなってる感触がする。 「ほら。二人もオッケーみたいなんだから、女の子に恥をかかせない! ……それとも、お姉さんの方が良いのかな〜。駄目よ、こんな可愛い恋人が二人もいるのに。」 「ミ、ミ、ミ、ミ、ミ、ミサトさんっ!!」 「そうね。二人ともKOされちゃったら考えたげる。さ、イってらっしゃい。」 二人に向かってシンジを両手で押し出すミサトの声は、何故だか嬉しげに弾んでいたのだった。 それから数時間後…… 「スティックを穴に入れてピストン……スティックを穴に入れてピストン……」 「駄目よ。そんな単調な動きじゃ。ちゃんと変化をつけてあげないと。」 疲労と寝不足で判断力が鈍ってきたシンジを、ミサトが容赦なくしごく。 今シンジが貫いているのはハルナで、先程から立て続けに何度も何度も達せられている為、ちょっとした刺激にも喘ぎ声を返すが意味のある言葉を言う余裕は無さそうだ。 ちなみに、ヒカリの方は制服姿のまま中に数発放たれて失神し、先程からペタンと座り込んだ姿勢のまま動かない。……胸が軽く上下してるので、一応息はあるみたいだが。 「み、ミサトさん……もう休ませて……」 ようやくハルナも気持ち良く眠りの世界へと送り込んだシンジは、自分も眠らせてくれと懇願する。なにせ、昨日の朝起きてから今に至るまで合計30分ほどしか仮眠していないのだ。さすがに無理もない。 「何を言ってるのよ、シンジ君。この訓練は必要な事なのよ。ハルナちゃんも気絶したから、二人が回復するまで私がお相手するわ(正直、ここまで上達が早いとは思ってなかったけどね。もう二人も失神させるなんて……女たらしの素質充分ってとこね。)。」 しかし、ミサトは容赦無い。 ミサトの基準でシンジに必要と思えるモノをできるだけ早期に叩き込む為、訓練の間は鬼となる覚悟を決めていたのだから。 「そ、そんな……」 外でする事に対する嫌悪感の軽減と持久力の養成。そして、各種技巧の向上。ミサトが立てた特訓メニューは着実に成果を顕しつつあった。 ただし、まだ怪我が癒えていないシンジの体力と精神力を確実に削り落としつつ……。 なお、シンジがこの晩ミサトをKOできなかった事を付記しておく。 翌朝…… 気持ちの良い日差しと共に、ヒカリは目覚めた。 「ん……んん……えっ、ここは……」 目の焦点も合わないが、記憶も奇妙にぼやけて今いる場所すら思い出せない。 「あ、こっちも起きたわね。」 「おはよう、おにいちゃん♪」 「おはよう、ヒカリ、ハルナ(何か太陽が黄色いや……)。」 あれから一睡もしてないのが分かるやつれた顔で、それでも弱々しく笑みを浮かべるシンジ。まあ、常人ならとっくに腎虚でポックリ逝っていてもおかしくない運動量であっただけに、まだ倒れていないだけ凄いのであるが。 「お、おはようシンジ君。……大丈夫?」 ヒカリの心配に 「まだ大丈夫……だと思う。」 空元気で答えてふらふらと立ち上がるシンジは、ジオフロントの人工照明を見上げて大事な事にはたと気付いた。 「そういえば、もう言っても遅いと思うけど……家に帰らなくて大丈夫だったの?」 ヒカリには門限があった事を。 「あ!」 言われて初めて愕然となるヒカリであったが、 「大丈夫よ。洞木さんの家の方には、ネルフの仕事で遅くなった時は私が責任を持って預かるって言ってあるから。」 助け舟を出したのはミサトであった。 ……ま、こうなる原因を作ったのもミサトであるが。 なお、表向きにはヒカリはネルフに徴用され、勤務している事になっている。 ……ヒカリの親が娘の“勤務”の実態を知ったら、泡を吹いて怒るのか、それとも娘の人生は娘のものだとか言って放任するのか……どちらになるかは分からないが。 少なくともヒカリの親が期待した責任をミサトが果たしていないのは明白である。 「そうなんですか、ありがとうございます。」 ……ここにいる全員がそんな事など全く気にしていないが。 「とにかく、大急ぎで家に戻るわよ。さすがにそのままの格好で学校に行く訳にはいかないでしょ?」 考えるまでも無く、そんな真似ができるはずも無い。 一行は慌ててミサトの車に乗り込み、帰路を急いだのだった……。 「さて、さっさとお風呂に入ってらっしゃい。遅刻するわよ。」 三十路直前だというのに、シンジからナニかを吸い取って肌の色艶を増したミサトが機嫌良く促す。 「え、えとミサトさん?」 ハルナとヒカリを先に風呂に入らせて、シンジはミサトを呼び止めた。 「なぁに、シンジ君。」 「今日の訓練……中止か早上がりってできないですか?」 おずおずと述べるシンジの懇願を 「駄目よ。この訓練はシンジ君に必要なんだから。」 ばっさりと却下するミサト。 文字通り倒れる寸前までやる気なのだ。軍隊式で。 「そ、そんな……」 ただ、愕然と廊下にへたり込む寸前のシンジを見て流石に可哀想になったのか、ミサトは一肌脱ぐ事にした。 「そうね……今日は水曜日だから、夕食は私が作るわ。」 同居してた時に作った家事当番表では、確かにそういう順番である。 「あ、ミサトさんっ!」 恐るべき発言が脳に届き、解読するまでに要した時間は、シンジから事態に対処するべき時間的余裕を容赦無く奪い取った。 「今夜はカレーよ。楽しみにしといて。」 それだけは必死に止めようとするシンジの前で、葛城家のドアは閉ざされた。 無情にも……。 「どうしよう……」 なす術も無く立ち尽くす以外にシンジに出来る事は無かった。 「どうしよう……」 このまま座していては死を待つばかりと言っても過言ではない。 「どうしよう……」 いや、答えは決まっているようなものだ。 「とにかく、僕もお風呂に入ろう。」 何をするにせよ、話はそれからだ。 風呂で生乾きの体液を洗い流し終えた三人は、リビングに集まっていた。 「しばらくここを出ようと思ってるんだ。」 シンジは唐突に本題を切り出す。 「えっ?」 「おにいちゃん、ハルナをおいてくの?」 驚くヒカリと泣き出す寸前のハルナにたじたじとなりながら、 「ち、違うよ。一緒に来たいんだったら連れてくつもりだし。」 慌ててフォローを入れるシンジ。 「もしかして、この頃の訓練? 家出の理由。」 「実はそれだけじゃなくて……」 ミサトが今日の夕食にカレーを振舞うつもりだとの情報を聞いた二人も、シンジと同様に顔を青くする。 特にヒカリは、先日食べてしまったホウレンソウのおひたし…ぽいモノの記憶が生々しく蘇って、危うく倒れてしまいそうになってしまう。 「どうしよう……」 「どうしよう、おにいちゃん。」 不安な目で見つめてくる二人を優しく見返し、シンジは自分が達した結論を口にする。 「逃げるしか、ないよ。しばらく。ハルナとヒカリはどうする? 一緒に来る?」 「えっ、碇君……」 「おにいちゃんといっしょにいく♪」 戸惑うヒカリを余所に、ハルナは即答する。 「じゃあ、着替えとかまとめといて。数日分ぐらい。」 「うん、わかった。」 パタパタと自室に駆け去るハルナの足音を聞きつつ、ヒカリは自分の意見を述べる。 「わ、私は……学校があるし、コダマおねえちゃんやノゾミの世話もしなきゃならないから……ごめんなさい。」 「ごめん。ヒカリを責める気はないんだ。……何かして欲しい事はある?」 うっすら涙を浮かべたヒカリを、大慌てで宥めようとするシンジ。 「キス、して欲しいかな。」 「キス?」 「まだ、して貰った事ないから……」 別のとこでは散々繋がってた癖に、実はキスはまだだった事にシンジも赤面する。 「だ、駄目ならいいんだけ…きゃっ。」 手を振って取り消そうとするヒカリの肩を抱き寄せ、口付けを交わすシンジ。 ただ、時間が時間なので濃厚なのは避け、触れ合うだけのもので抑えた。 ……下手に濃厚なのをすると、そのままなし崩しに1ラウンド目に突入してしまいそうな気がしたからだ。 「連絡するまで、ここには来ない方が良いよ。」 自分の分の荷物をまとめ、テーブルの上にミサト宛ての書き置きを残したシンジは、律儀にまだ待っていたヒカリにそう言った。 「でも……」 「確かヒカリも携帯持ってたよね。後で連絡先教えるよ。」 「碇君の携帯は?」 シンジの携帯の電話番号は、特に親しい人間に緊急連絡用として教えてあるのだ。 「置いてく。番号、ミサトさんも知ってるから。」 「……分かった。気をつけてね。」 「うん。じゃあ、いってきます。」 「おねえちゃん、バイバイ。」 「いってらっしゃい、碇君。」 名残を惜しみつつ、三人は二人と一人になって別れた。 陰で護衛する保安諜報部の部局員たちに多大な苦労を強いつつ……。 第3新東京市民の足となっている環状線電車を降り、シンジはまずコンビニでプリペイド式携帯電話と封筒と便箋とボールペンを調達した。 そのまま大手有名ハンバーガー屋系のファーストフード店へ行き、朝食を食べながら手紙を書く。 「おにいちゃん、これからどうするの?」 自分の分のハンバーガーを既に平らげたハルナが訊いてくる。 「うん。リツコさんに手紙を出して、ヒカリにメールを送った後は、どこか適当なとこで寝るつもりだったけど……それだとハルナがヒマだよね。」 「ううん。ハルナもねむいからちょうどいいよ、おにいちゃん。」 気を遣ってくれる妹以上の女の子に思わず頬が緩む。 「じゃあ、どこか良いとこ探そうか。」 そうして、僕が選んだのは、郊外の自然公園だった。 深呼吸すると空気が美味しい、あんまり整備されてない公園だ。 背負い鞄を枕代わりにして芝生にごろんと寝転ぶと、今までの疲れが手足の先から流れ出て行くような気がする。 「ハルナもおいでよ。」 「うん、おにいちゃん。」 大の字になった僕の腕を枕にして、ハルナがちょこんと僕に寄り添う。 「おやすみ、おにいちゃん。」 「おやすみ、ハルナ。」 セカンドインパクト以来変わらぬ真夏の日差しの暑さ、そんな中でくっついてくる人肌の熱さの不快感よりも、今感じてる重みを心地好く感じながら僕は目を閉じた。 ……ただ、僕は知らなかった。 僕に寄り添って眠るハルナのATフィールドが薮蚊や野犬などの害から僕達を守っている事を。 僕は知らなかった。 僕達がネルフの諜報部員によって密かに監視されていた事を。 僕は知らなかった。 僕を監視しているのは、実はネルフの諜報部員だけではなかったという事を……。 「先輩っ!」 一通の手紙を手に研究室の一つにマヤが入って来る。 「なに、マヤ。今検査中よ、後にしてちょうだい。」 言葉通り、今、検査用ベッドの上ではレイが医療用センサーにかけられていた。 サーチレーザーが患者の身体をくまなくスキャニングし、チェックする機材である。 「あの……シンジ君からの手紙なんですが……」 そう聞いて、リツコの手が一瞬止まる。 「(何かしら。何にしてもミサトに言い難い事ではあるでしょうけど……)いいわ。読み上げてくれる?」 しかし、検査モニターから目を離さず、リツコは冷静に答える。 「はい、先輩。」 検閲済みの判が押された速達郵便の封筒から出した便箋に書かれている事をマヤが読み上げると、流石のリツコも頭を抱えたくなった。 「呆れた。何をやっているのかしら……。」 「本当ですね。これじゃ、シンジ君が倒れてしまいますよ。」 そこには、 『毎晩寝ないで特訓させられているので、怪我が治るまで身を隠します。緊急の時はこの電話番号宛に連絡して下さい。×××−××××−××××。』 と記されていたからだ。 「連絡先を教えたら身を隠した事にならないんじゃないですか、先輩。」 素朴な疑問を口にするマヤに、 「多分、シンジ君はミサトか訓練かのどちらかから逃げているんだと思うわ(いったい何があったのかしら、シンジ君に……)。」 頭の中でありそうな仮設を組み立てて開陳するリツコ。 『後で訊いてみないといけないわね。』 レイの怪我がどの程度癒えているかを検査し終えたら、さっそくミサトに電話して詳しい事情を把握しようとリツコは思い立った。 そして、更なる頭痛を覚える事になるのだった……。 シンジが目覚めたのは、そろそろ日も落ちようかという時刻であった。 凝り固まった身体をほぐしていると、ここ数日間が嘘のように身体が軽くなっていく。 やはり、病み上がりの身体で昨夜までのハードな訓練をこなしていたのは、かなりの負担だったようだ。 いや、本来なら入院している方が良いぐらいの怪我を負っている人間に徹夜で運動させるなど、常軌を逸していると非難されても仕方が無い。……病院に逆戻りしなかっただけでも凄いと云える。 「夕御飯でも食べに行こうか。」 「えとね、おにいちゃん。」 優しく微笑むシンジに、言い淀むハルナ。 「…………なに?」 純粋に不思議そうにしているシンジを見て、ハルナも意を決して言う。 「シンジおにいちゃん。トウジおにいちゃんにあってきていい?」 と。 シンジとしてもハルナのたっての希望であるなら、かなえてあげたいと思う。だが、 「ちょっと、それは……」 しかし、トウジの妹であるハルナは公式には死んだ身である。それがいきなり成長した姿で目の前に現れたら……どんな事態になるか分からない。 「トウジおにいちゃんをとっちめにいくの。」 更に続いた台詞は、もっと物騒な意味合いを孕んでおり、シンジの当惑を深めていく。 ハルナがちょっと本気を出せば、人間どころか高層ビルも真っ二つにできるからだ。 「え、えと……それはマズイんじゃないかな。その姿だとハルナだって分かんないかもだし、もし分かったとしても色々とマズイことになると思うよ。」 混乱してるにしては筋道だった説明ができて、シンジは内心ホッとした。 「だめなの?」 「今はまだ……ね。」 「そうなんだ……」 今にも泣き出しそうなハルナを見て後悔したシンジは、妥協案を出す事にした。 「会うのは駄目だけど……手紙ぐらいなら良いかな。」 「え? ホント?」 「うん。トウジとは友達になったから、折を見て渡してあげる。」 「シンジおにいちゃん、だいすきっ♪」 満面の笑顔で抱きついてくるハルナのキュロットスカートの中に無意識に伸ばそうとしていた手(最近の特訓のせいで反射的に手が出そうになってしまっているのだ)を背中に回し、シンジ達はしばしの抱擁を楽しんだのだった。 『『『やってられるか、けっ。』』』 と内心呟いている隠れた見物客に熱々ぶりを見せつけながら。 しとしとと降り始めた雨を避ける為に終夜放映の映画館で一夜を過ごした二人は、バスで街を離れて大湧谷へとやって来た。 本当なら遊園地とかにでも行きたいところであるが、あいにく使徒迎撃用要塞都市にそういう場所は無かったのだ。 山の中腹からの眺望を一通り楽しんだ後、 「ねえ、おにいちゃん。これからどこいくの?」 「そうだね……もし、良さそうなとこが見つかったら温泉とか良いかもね。」 野原を二人で散策するシンジ達の視界に、奇妙な踊りを踊る人物が現れた。 「おにいちゃん、アレなに?」 声をひそめ、シンジの蔭に隠れるハルナの指差す先には……モデルガンを持って一人戦争映画ごっこに浸り込んでいる眼鏡の少年がいる。 『……他人のふりして立ち去ろうかな。邪魔しちゃ悪いし。』 ハルナを促してこの場を去ろうとしたのだが、 「(転校生……)碇!」 シンジに気付いたケンスケが気さくに話しかけてきたので、仕方なく足を止めた。 「なに?」 すると、ケンスケの方もシンジの後ろでおずおずと様子を窺っている女の子がいるのに気付いた。 「(うわ、可愛い。誰だこの子……)碇、もしかしてデート中か?」 「い、いや、そそそ…そんな事は無いんだけど……」 ズバリと核心に切り込む質問にしどろもどろになるシンジ。 「おにいちゃん、これってデートじゃなかったの?」 あまつさえ、ハルナまでが駄目押し発言を行なってシンジを余計に慌てさせる。 「とにかく、こんなとこじゃなんだから、こっち来いよ。そっちの彼女もさ。」 混乱しているシンジの手を引っ張るように連れて行くケンスケ。 「う、うん……わかった。」 ここで逃げて傷口を広げるよりは……と、シンジは覚悟を決めてケンスケの招待に応じる事にしたのだった。 「ほら、飲めよ。インスタントだけど。」 ケンスケが張ったテントのそばで、焚き火で沸かしたお湯で入れたコーヒーを勧めるケンスケ。ちなみに、彼の手にもステンレスのマグカップがある。 「「ありがとう。」」 紙コップに注がれたそれを受け取り、声を揃えて礼を言うシンジとハルナ。 「ところで、良かったらそっちの子を紹介してもらえないか?」 「うん。この子は、僕の従妹で……(確か、戸籍ではそうなってたはず)」 勿論、偽造の戸籍だが。 「すずはらハルナです。よろしく。」 ペコリと頭を下げると、紙コップに向かってフーフーと冷ます作業に戻る。 「鈴原……あ、ごめん。友達の妹と同じ名前だったからさ。俺は相田ケンスケ。ケンスケでいいよ。」 シンジにではなくハルナに向かって言うと、ハルナはちょっぴり恨みがましい目を向けてシンジの方に擦り寄る。 そして、シンジは、 『相田君って鋭そうだから、迂闊な発言は控えよう……』 と、思い決めたのだった。 「そういえば、昨日から碇が休んでるのはネルフの仕事なのか? それともデートか?」 口数少ない二人から話題を引き出し、場を盛り上げようとケンスケが孤軍奮闘する。 「あ、え…え…ええと……うん、ネルフの仕事の方……かな(ハルナの世話はネルフの仕事でもあるから嘘じゃないし……)。」 「俺達があのロボットで避難した後、どうやって使徒を倒したんだ?」 「は、発表されてる通りだよ。」 「そんな事ないだろ? 第一、あれだけの大きさのものの死体が忽然と消えるなんて信じられないよ。爆発した訳でも無いのに(思ってた通り、これは転校生に何かあるみたいだな……)。」 それに釣られて、シンジも重い口を開いて様々な事について漏らす。 ただ、質・量ともにケンスケの知識欲を満足させるモノでは有り得なかったが……。 「まったく羨ましいよ。そんな可愛い従妹がいる上に、対使徒迎撃チーム エヴァンゲリオン部隊のパイロットだなんて。一度で良いから俺もやってみたい!」 流石にミリタリーオタクで英雄願望の強いケンスケである。使徒と生身で戦う任務の過酷さを考えもせず、ただ格好良いというだけでやってみたいとのたまう点は、シェルターの一件で彼が懲りた訳では無い事を示していた。 「止めた方が良いよ。危ないし、訓練とか色々大変だから。」 「シェルターの中だって危険な事には変わりないさ。ただ、ちょっとだけマシってだけでね……。それなら、一度やってみたい。」 目をキラキラさせて熱弁を振るうケンスケに、シンジは言うべき言葉を失った。 『一度で済まないと思うけどなぁ……生き残れたら。』 もはや理解できない生物を見る目でケンスケを見つめるシンジ。 そして、そんな彼らを囲むように10人の黒服の男達が現れた。 「碇シンジ君だね。」 黒服の一人が進み出て、言う。 「はい。」 黒服の素性を悟ったシンジは素直に肯定する。……否定したところで意味無いし。 受け答えする間に、他の黒服は四方を囲むように展開していた。 「ネルフ保安諜報部の者だ。保安条例第8項の適用により、君達を本部まで連行する。いいね。」 内心汗をかきつつ高圧的に出た黒服の努力は、 「はい。……行くよ、ハルナ。ごめん、相田君。」 「うん、おにいちゃん……」 幸いにもシンジの穏便な同行というカタチで報われた。 何せ……ハルナを同伴している為、シンジがその気になりさえすれば彼等の命なぞ一瞬で刈り取れてしまうのだ。 わざわざ威圧的な態度に出ている理由を誤解されてしまったら、最悪全滅する危険すらある。黒服達は内心大きく息をついた。 「ケンスケでいいって、うわっ!(ほ、本物のピストルだ……)」 そして、その理由である人物に前後左右から拳銃の銃口が向けられていた。 ケンスケが反射的に玩具のライフルを手に立ち上がっていたからだ。 「相田ケンスケだな。君も同行してもらう。」 ケンスケの手からモデルガンのライフルが地面に落下する。 「はい(向こうはプロだし、既に囲まれてる。勝ち目は無いね。)。」 いかにもらしい計算で自らの損害を抑えにかかるケンスケ。 後の始末に2人を残して、黒服達はシンジ達3人を連行していくのだった……。 折悪しく降り始めた夕立の中を……。 NERVと車体の側面と上部に白く描かれた黒塗りのセダン。 保安諜報部の専用車に、シンジたち二人とケンスケは分けて乗せられていた。 「手荒な真似をして済まなかった。」 後部座席にシンジたちが乗っている車の助手席に乗っている男が謝罪する。 ちなみに、この男はシンジたちを連行すると言った人物であった。 「いえ、助かりました。」 シンジが感謝すると同時に、車内に張り詰めていた緊張感は霧散した。 「どういうこと、おにいちゃん?」 身構えていたハルナが、普通にシンジに寄り添う姿勢に戻ったからだ。 「うん。このおじさん達は、僕が答えに困ってるのを見かねて助けに来てくれたんだよ。そうですよね?」 諜報部員たちに、それに反対する理由も利益もなかった。 「あ、ああ、そうだ。」 「ところで、本当にネルフ本部に行くんですか?」 「そうだ。何か不都合でもあるか?」 相手の方が基本的に立場も戦力も上なので、黒服もシンジが不都合だと答えれば適当な場所まで送り届けるだけにしようと思い決めていた。 「いえ。……良ければ、僕がいない間に起こったこと教えて貰えますか?」 「分かった(さっきといい、今といい……敵に回すと厄介なタイプだな。)。」 元々の性格か、それとも訓練が良かったのか、まずは冷静に現状把握を試みるシンジの姿勢に黒服達がシンジを見る目が変わる。 「そうだな……葛城一尉が管理責任を問われて拘束されている他には、目立った事件は無いな。」 「え? ミサトさんが?」 それは、シンジにとっては寝耳に水であった。自分が逃げたせいで迷惑を被った人間がいるという事実は。 「そうだ。」 「教えてくれてありがとうございました。」 一言礼を言ってから、シンジは考え込む。 『リツコさんとか……父さんに謝って何とかしてもらうしか無いかな。父さんは……話、聞いてくれないかもしれないけど。』 ミサトを助ける為の手段を。 その頃、ケンスケは…… 両手首を縛られた上、強面の諜報部員二人に挟まれて後部座席に乗せられ、生きた心地がしていなかった。 しかも、何を話しかけても無言である。 ネルフ本部までの1時間あまりの道行きを、ケンスケは全身を冷や汗で濡らしつつ過ごしたのだった。 更に……現地に残してきたテントやカメラやモデルガンなどケンスケの趣味のアイテム類は、全て没収される事に決まっていた。 まさに踏んだり蹴ったりであるが、機密情報を不用意に漏らした代償としては、これでもまだ軽い方と言えるのであった……。 何せ、ケンスケが拘束される数時間前に、ケンスケの使用しているコンピュータに隠されていた機密情報の記録が何者かによってハッキングされていたと、MAGIによる学校のセキュリティの定期診断によって判明したのだから……。 「ミサトさん!」 暗い独房の中、一人座る女性にシンジはドア越しに呼びかけた。 「なに、シンジ君。私の事、笑いに来たの?」 自嘲の笑みを漏らすミサトの姿に、シンジの胸は掻き毟られるように痛んだ。 「釈放よ、ミサト。」 そんな恨み言を引き裂いて、独房の扉が開く。 シンジの後ろには、リツコと保安部の要員一人がいたのだ。 「釈放? いまさら私に何をやらせようというのよ。」 「ごめんなさい、ミサトさん。僕、ミサトさんの事まで考えが及ばなくて……」 腐るミサトの態度に涙を流すシンジの肩に手を置いて、慰めるリツコ。 「シンジ君が悪い訳じゃないわ。むしろ、逆。」 「なに! リツコは私が悪いって言うの!?」 「そうよ。」 「何故!?」 逆切れして詰め寄るミサトに、 「無茶なスケジュール、抗議の却下、おまけにミサトの手料理を食べさせようとしたんですって。そりゃ、逃げ出して当然よ。」 リツコは冷静に言葉の槍を突き刺す。 「う……」 何気に酷い事を言われてもいるが、確かに事実である。 「わ、私はシンジ君のためを思って……」 思い切り腰砕けになったミサトが、それでも抗弁しようとする。 「シンジ君の体調……本来なら入院してなくちゃいけないぐらい酷いのよ。そんな状態の時に不眠不休で特訓するなんて、あなたシンジ君を殺す気なの?」 が、そうまで言われては、この方面で活路を見出すのは困難だ。 「うう……そうだ! そういえば、何故シンジ君は拘束されてないの? 私の命令を無視したっていうのに(私だけ独房入りは不公平よ。私が入らされたんだから、シンジ君にも入って貰わないと……)。」 追い詰められそうになったミサトが別の局面に活路を見出そうとするが、 「ミサト、それ本気で言ってるの?」 それは自ら墓穴を掘るのに等しい発言であった。 「だから、どうしてよ。」 「はぁ……。シンジ君は非常時の連絡先は私に教えてくれてたし、病み上がりだから静養したかったと言う理由も考え合わせると……シンジ君の方に責める余地はないわ。」 溜息をつきつつ、リツコは一から説明した。 「それに、シンジ君はあなたの部下って訳じゃないのよ、ミサト。」 「何でよ! 私は作戦部長で一尉、シンジ君は……」 そこで、ミサトははたと気が付いた。 「パイロットで……階級は……何だっけ? 三士? それとも二等兵?」 シンジの階級を知らないという事を。 「階級は無いわ。ついでに言うと軍属でも無いわよ。ネルフに所属しては貰っているけどね。」 「何ですって! そんな子を戦場に出してきたって言うの!」 「そうよ。それと、シンジ君のネルフ内での役職はパイロット兼A計画管理責任者……私とほぼ同格よ。」 「「ええっ!!!」」 驚きの声を上げたシンジとミサトは、 「ど、どういう事ですかリツコさん!?(僕が知らないうちにそんな役職についてるなんて……相変わらず僕には何にも教えてくれないんだね、父さん。)」 「それってどういう事よ!(リツコと同等って事は、私と立場はほぼ同格じゃない!)」 それぞれにリツコに質問を飛ばす。 「A計画と言うのはシンジ君が今まで使徒を倒してきた方法の事で、使徒と融合した女の子たちの面倒を見るのがA計画管理責任者の職務……つまりは、現在シンジ君のやっている事よ。私も今回の事で知ったんだけど。」 ちなみに、この役職自体はシンジがハルナを引き取った時に用意されていた。だが、子供に過分な役職を与えるのに反対する空気もあって、関係者にも通達が伏せられていた。 本人にも秘密でゲンドウが用意していた役職であるから、ミサトやリツコが知らなかったとしても無理はないといえる。……問題ではあるが。 「それでも、作戦指揮と訓練に関しては私に命令権があるはずよ!」 既にミサトにも事態は読めているのであろうが、引っ込みがつかなくなって主張すべきと思われる所は主張しようとする。……悪足掻きとも言う。 「今回は作戦指揮は関係無いし、訓練については私にも発言権があるわ。その私がミサトの訓練内容が不適切だと認めた以上、この件に関してもシンジ君に問題無いわ。」 しかし、今回の議論もミサトにとことん分が悪かった。 「くっ……。」 ここまでハッキリと逃げ道を塞がれると、流石のミサトでも自己正当化できる余地はもはや無かった。 「本来なら降格か減棒ものだけど、シンジ君が庇ってくれたおかげで何とかなったのよ。あとでお礼でも言っておく事ね(あのまま訓練を続けてシンジ君が身体を壊してしまった時に使徒が襲撃して来たら……クビどころの問題じゃ済まなかったけどね。)。」 返す言葉も無くむっつりと黙り込んだミサトが、保安部の人間から拳銃などの装備を返却され、立ち上がる。 そのまま独房を出てシンジの横を通り過ぎる時に、 「情け無いわね。シンジ君に助けられるなんて……(助けてるつもりだったのに、こんな事になるなんて……)」 と、自嘲の笑みを漏らす。 「ミサトさんは色々僕を助けてくれたし、今回の事だって……僕の事考えてくれたんですよね? なら、助けるのは当然じゃないですか。……僕のせいで迷惑かけたんだし。」 どうやら、ミサトがビシバシ訓練してきたせいで、シンジの方が一足先に大人の考え方を身に付けてきているようだ。……まあ、元々の資質もあるのだろうが。 それを聞いて、ミサトが俯いた顔を上げて振り返る。 「シンジ君……ただいま。」 ぎこちなく微笑むミサトに、シンジもぎこちない……でも、満面の笑顔を返した。 「おかえりなさい、ミサトさん。」 と。 福音という名の魔薬 第伍話 終幕 TV版だと4話に当たる話なんですが……凄い違いですね(汗)。ヤマアラシのジレンマなんて影も形も無いかも(笑)。 あと、今回もきのとさん、峯田さん、【ラグナロック】さんに見直しへの協力や助言をいただいております。どうもありがとうございました。 |
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