福音という名の魔薬

 第七話「鋼鉄娘襲来」

 レイがシンジの家に足繁く通うようになってから、
 つまり、零号機の起動成功から数日後。
 2−Aの朝のホームルームに変化が訪れていた。
「起立! 礼! 着席!」
 いつものようにクラス委員を務めるヒカリの声が教室中に響く。
 しかし、いつもと同じであったのはそこまでであった。
「霧島……マナです。よろしくお願いします。」
 教壇の上、担任の老教師の隣にショートカットの転校生が居たのだ。
「よろしゅう!」
 即座に大きな声で応じたトウジにあちこちで笑いが漏れる。
「ハイ、宜しく。霧島さんの席は……碇君の横の席に座って下さい。」
 しかし、老教師は慌てず騒がず話を進めていく。
 ただ、その決定は……
『う、羨ましい……』
 クラスの女子一同の羨望を集める事となったのである。
「いかりくん……ね?(写真では彼で良いはずだけど……)」
 迷わずシンジの隣の席に座ったマナは、念の為に確認を取ろうとする。
「え? ……う、うん。」
 いきなり話しかけられると思ってなかったシンジだが、マナの方に顔を向けて肯く。
「かわいい♪(綺麗な目……何か奥に輝きを秘めていそう……)」
 シンジは何と返して良いのか咄嗟には思い浮かばず、ただ、曖昧な照れ笑いを浮かべていた。
「よろしくね、碇くん。」
「うん。よろしく。」
 挨拶には何とか対応できはしたが。

 授業中もマナのアプローチは積極的に続けられたが、老教師は全然注意をしようとせずに、またもやセカンドインパクトの苦労話で授業時間を潰してしまっていた。
「担任の先生が優しそうな人で、私、安心しちゃった。」
 実際、普通の教師であればマナは何度も注意されているはずであった。
「そうだね。」
「良かったら、碇くんの下の名前、教えて。」
「シンジ……碇シンジ。」
「シンジくんね♪」
 背筋を伸ばしてピシッと立ち、姿勢に似合ったビシッとした口調で言う。
「本日わたくし霧島マナは、シンジくんのために午前6時に起きて、この制服を着てまいりました。どう? 似合うかしら♪」
 ……最後は、口調が可愛く崩れたが。
「うん……」
 ただ、この瞬間……
 教室の気温が急に3度は下がった錯覚にマナは襲われた。
『『『『『この女は敵よ!!』』』』』
 そう。この時、マナは教室に居る人間の半数以上を敵に回したのだ。
「ねぇ、この学校って屋上出られるの?」
 しかし、めげずにアプローチを続けるマナ。
「まあ……」
「私、シンジくんといっしょに眺めたいな。」
「え……」
 戸惑うシンジの横から、援護射撃がやってきた。
「なんや。そないな風にセンセを誘うちゅうことは、もしかして霧島ってセンセの事が好きなんか?」
 ただ、それは誤爆のきらいが濃厚であったが……。
「センセって誰の事?」
「シンジの事や。」
「それなら、そうよ(……任務が無かったら……ううん、それは言いっこなし……)。」
『『『『『なにやってるのよ、馬鹿ジャージ!』』』』』
 ヒカリをも含む女子一同に心の声で非難されまくるトウジ。
「え? ええっ!(まさか……エヴァが作用してるの? でも、他の人には効いてないみたいだし……)」
 いきなりの告白に困惑するシンジ。
「シンジくん屋上行こう。」
「うん。」
 ただ、押しの弱さは困惑中でも健在で、シンジは積極的なマナにあっさり押し切られ、屋上に連れ立って向かったのであった……。
 シンジ達を追いかけようとした者もいたが、次の授業が後2分だったので、どうせすぐ戻って来るだろうと思い止まった。
 それが間違いであるとも気付かずに……。


「綺麗ねぇ。」
 屋上から街の方を見てマナが発した第一声に、
「第3新東京市、別名『使徒』専用迎撃要塞都市って呼ばれているんだ。」
 シンジがいつか……いや、つい先日に自分が受けた説明を伝える。
「ちがう。」
 しかし、マナが見ていたのは街ではなかった。
「え?」
「山よ。」
「山?」
「ビルの向こうの山、緑が残ってる。」
「……風景なんてゆっくり見たこと無かったよ。引っ越してから色々あったから。」
 シンジは、この街に来てから遠くの風景より近くにいる人を見るので精一杯だった事を改めて噛み締めた。
 ……別に嫌では無い……というか、この街に来る前の生活と比べたら、文句を言ったらバチが当たりそうな毎日であったが。
 人によったら、わざわざ比較しなくてもバチを当ててくれそうなのは、この際アッチに置いておく。
「シンジくん、エヴァのパイロットだもんね……」
「知ってるの?」
「ほめてくれる?」
 何故それを……というシンジの視線は、マナの笑顔で力を失った。
「え……、そ、そうだね。」
 更に、
 キーンコーンカーンコーン キンコンカンコーン♪
 駄目押しで授業開始のチャイムが鳴った。
「あ……もう戻らなきゃ。」
「どうせ間に合わないでしょ。なら、シンジくんといっしょにここにいたいな。」
「そ、そんなわけには…」
 真面目に授業を受けようとするシンジであったが、
「駄目?」
 上目遣いでじいっと見つめてくる女の子のお願いに
「う……うん……。」
 抗し切る事はできなかった。
 つくづく押しの弱い性格である。
 二人の間にしばし横たわった沈黙を破って、ポツリと呟くマナ。
「私ね、自分が生き残った人間なのに、何もできないのが悔しい。羨ましいのよ、シンジくんが……(私、もうパイロットとしては役立たずになっちゃったのに、シンジくんはエヴァのパイロットとして立派な戦果を残してる。凄く、羨ましくて……尊敬できる。)」
 思わず洩れたのであろう本音に、シンジも真剣に答える。
「僕なんてたいした事無いよ。みんながいるから何とかやってこれたんだ。」
 謙遜抜きで、シンジはそう思っていた。
 綾波が……ハルナが……ヒカリがいなかったら、冗談抜きで今頃は逃げ出して布団に包まって震えていただろう事は、自分の事だからこそ良く分かっていたのだ。
「みんなか……(みんな……待ってて……この仕事が終わったら……)」
 シンジの返事に共感するモノを感じつつ、マナは5日前の事を思い返していた。


「霧島三士、入ります!」
 自分達のミーティングルームよりも二桁は多いだろう金額で整えられているのだろう高級士官用の執務室に呼ばれたマナは、緊張でコチコチになりながらも何とか敬礼する。
「身体の方はどうだ?」
「はっ。快調であります。ただ……トライデントのパイロットは、もう無理だと……。」
 戦略自衛隊の軍服姿のマナは、そこで顔を暗くする。
「そうか。では、別の任務がある。やってくれるな?」
「はっ。」
 上官は、先にマナの逃げ道を塞いでから任務の説明を始めた。
 すなわち……
「この碇シンジという人物を拉致してくれば良いのですか?」
 写真を渡されたマナが怪訝な顔を浮かべる。
 どう見ても普通の少年にしか見えないのだ。……顔は美形の方の部類だが。
 ちなみに、この写真はケンスケが被写体に無断で販売していた物のウチの一枚である。
「この基地に招待するだけだ。秘密裏に、強引な手段を使ってでもな。」
 もっとも、幾ら言葉を誤魔化しても、秘密漏洩防止の為に事前に相手を説得するのを禁じられていては拉致誘拐とさほど変わりは無い。
「それは……」
「この任務に成功すれば、トライデント計画の予算も充分確保できる。パイロットの安全性という懸案の解決やテストパイロット全員に充分な医療処置を行き渡らせる事もできるようになるだろう。」
 だから飴をチラつかせる。
 相手の良心に訴えかけ、別の良心をマヒさせるために……。
「分かりました。」
 案の定、マナは陥落した。
 現状のトライデントは、毎月数人ほど内臓をやられて引退するテストパイロットがいるという惨憺たる有様で、しかも、その全員がマナと同年代ぐらいの少年少女なのだ。
 更に、そうなってしまうと最低限のレベルの治療しか施して貰えないため、衰弱して死んでいく者が後を絶えないのだ。マナが生き残れたのは、かなり幸運な部類と言える。
 しかし、その状況も予算さえ充分に確保できれば生残率を大幅に向上できるだろうとはみんなが分かっていた。
 ただ、その予算が捻出できないと説明されていただけで。
 何せ必要額が怪我人一人当たり数十億円以上になりかねないという金額なのだ。
 自覚症状が出るほど症状が進んでいると普通の治療では間に合わない可能性が高く、そうなると最先端のクローニング技術を使う必要があるので法外な治療費になってしまうと説明されていた。
 そんな高額の金が、そうおいそれと出せる訳も無い。
 しかも、テストパイロットとしては、もう使い物にならなくなった人間に……であればなおさらに。
 だから仕方ないと諦め、内臓をやられた仲間のことを『運が無かった』と思い、せめて命だけは助かるよう祈るのだ。
 だが、その現状が改善されようとしているのだ。
 少年一人をここに連れて来るだけで。
「助手を連れていっても構わん。成功を祈る。」
「はっ。」
 勇んで退出したマナを見送った男の副官が、上官に向かっておもねる。
「なるほど。一月前にテストパイロットを“引退”したあの娘にちゃんとした治療を施した上、例の用途に使わなかったのはこの為ですか、神崎二佐。」
「なに、薬漬けにして犯るのは何時でもできる。それより、今はアレをスパイに使ってATフィールドとかの秘密を知るのが先決だ。」
 そう言って、神崎と呼ばれた男は嫌な笑いを浮かべた。
『今は別の小娘を味わってる最中だしな。……そうだな、今のが飽きたら……いや、先に今のヤツの妹も戴いてしまおう。最初は姉の前で犯すのが良いな。』
 頭の中で毒々しく汚らわしい妄想を弄びながら、先日に第3新東京立第壱中学校の某端末をハッキングして得られた資料の束を机の上にバサッと乱雑に置く。
「調査によれば、使徒撃退にあのサードチルドレンが何らかのカタチで関与しているのは明白だからな。なに、ガキ一匹ぐらい、ちょっと締め上げれば何でも吐くだろう。」
 その後は、用済みになったマナを、今まで用済みになった少女たちと同じように一発で中毒になるほどの麻薬を注射してから思い切り……
 そう考える神崎二佐の顔は邪悪に歪んでいた。
 ついでに言うと、マナにああいうエサをちらつかせはしたが、予算が増額されてもテストパイロットの医療費なんかに回す気は、この男には欠片も無かったのであった。


「霧島さん?」
 マナは、心配そうに自分の顔を覗き込むシンジの声で回想の世界から戻って来た。
「え? あ、なに、シンジくん?」
「具合、大丈夫?」
「ご、ごめんね。ちょっと考え事しちゃって……」
「そうなんだ。ところで、聞いて良いかな?」
「何を?」
「今の時期に転校してきた理由。もう一学期も残り少ないでしょ?」
 今週末の土曜日が一学期の終業式である。
 こういう場合、二学期から転校して来る方が普通である。
「お世話になってるトコの都合で急に決まったの。」
「そうなんだ。僕も父さんの勝手な都合で呼ばれたんだ。」
 互いに自分ではどうにもならない保護者の都合で振り回されている者同士、奇妙な連帯感がそこにはあった。
「そう……」
 しばし考えたマナは、ある事を決意した。
「見て」
 と、取り出したのは赤い石の嵌まったペンダントだ。
「このペンダントは?」
「私がシンジくんに付けてあげるの(もし、私が任務に失敗しちゃった時でも何かを残せるように……)。」
「え、あ、その……」
 首に両手を回すマナにうろたえるシンジ。
「動かないで。くすぐったいけど我慢してね……。」
 至近距離にまで近付いた顔を意識せずに作業を続けるマナ。
 こういう時は、意識を別に集中してる者の方が圧倒的に分が良い。
「ハイ、付いたわ。」
「ありがとう……」
 ただ、照れつつも笑顔で礼を言うシンジの顔の前で我に返ったマナの顔も一瞬で真紅に染まる。
 そのまま吸い込まれそうな感じでキスしようとしていた自分の身体の手綱を何とか引き締めて、マナは何とかシンジから離れる。
『な、なに今の……。』
 砂鉄が磁石に引きつけられるように、凄く自然に引き寄せられたのだ。
 早鐘を打つ自分の心臓を手で押え、深呼吸で落ち着こうとするマナ。
「霧島さん、具合、大丈夫?」
 しかし、全然上手くいかない。
「(本当に…任務抜きで好きになっちゃったのかも……)だ、大丈夫。それより……」
 心配そうな視線を注いでくるシンジから目を離せず、マナは別の話題に逃げ出した。
「何?」
「放課後、街を案内してくれる? こっちに引っ越してきたばかりだから、どこに何があるのか全然分からなくて困ってるの。」
 シンジはちょっと考えたが、今日はレイの零号機の実戦向け改装に関する会議が行なわれる為、午後の訓練がお休みになっていたのを思い出した。
「うん、いいよ。ちょうど用事も無いし。」
 当事者のレイ本人はともかく、直接関係が無いシンジの出席は要請されていないのだ。
 ……マナが誘ってくるまでは、空いた時間で葛城家の清掃作業をしようと思っていたのだが、そっちの方は今更緊急性は無い。……あまり放っておいたら新種の蟲が湧きそうな現状ではあるが、それは考えない事にする。
「良かった。よろしくねシンジくん(これ以上深入りする前に作戦を実行しないと、私、シンジくんを基地に連れていけなくなっちゃいそう……)。」
 それに、ネルフの保安諜報部の警戒が予想以上に厳しくて、潜入している仲間や偽造した自分の経歴が露見する危険が時間が経てば経つほど増大するといった事情もある。
 マナは二重三重の意味で作戦を急ぐ必要性をヒシヒシと感じていたのだった。


 一方その頃……
 2−Aの教室では女子生徒一同16人全員が気を揉んでいた。
 特に
『碇君……霧島さんといっしょに屋上に行ったまま……二人きり!? しまったわ!』
 今頃になって事態のヤバさに気付いて愕然とするヒカリと、
『碇君、戻って来ない。……多分、あの転校生といっしょ……なにか胸がモヤモヤとしてくる……これはなに?』
 自分の気持ちを上手く把握できないレイ……シンジのお手付き二人が殊更に深刻な表情を浮かべていた。
 ややあって、退屈な授業とストレスに堪えかねたレイが、
「先生、気分が悪いので保健室に行きます。」
 教師の話が途切れた隙に宣言する。
「そうか……じゃあ誰か……」
「はい、私が。」
 クラス委員で責任感が強いヒカリが同行を申し出るが、
「いい。一人で行けるわ。」
 レイは一秒で断ってスックと立ち上がり、教室を出た。
 その足が向かうは保健室……ではなく、シンジがいると思われる屋上であった……。


 シンジを誘う事に成功したマナは、さっそく身の置き所に困っていた。
 シンジと屋上でまったり過ごすのは居心地が良いのだが、あまりに居心地が良過ぎてシンジを連れ去る作戦に支障が出るのじゃないかと心配になってきたのだ。
 さりとて、次の授業まではまだだいぶあるし、急に邪険にする訳にもいかない。
 顔や態度に出さないように散々悩んだ挙句、現状維持するしかないとの結論に達したマナは、シンジの横に並んで風景に見入っていた。
 ……時々ちらちらと少年の横顔に視線を我知らず向けつつも。
 そんなぎこちない、でも居心地の良い空気を掻き乱し、屋上の扉がバタンと開いた。
「な、なに?」
「えっ!?」
 飛び上がって驚くシンジと身構えつつ振り返るマナの前に立っていたのは、日の光よりも月光が似合いそうな硬質の美貌を持った少女であった。
「何をしてたの?」
 抑揚の無い静かな声は、聞きようによっては怒りを押し殺しているようにも聞こえる。
 心にやましい気分が無いでも無かったマナは、思わず一歩後退った。
 が、肝心のシンジの方は、
「霧島さんと風景を見てただけだよ(何で不機嫌なんだろう、綾波。)。」
 何の気負いも無く、そう言ってのけた。
 つくづく鈍い男である。
「そう……(碇君の目、嘘を言ってない綺麗な目……)」
 シンジと視線を合わせた二人は、シンジが本気で風景を見てただけだと認識していると知って、レイは安堵し、マナは複雑な思いを抱いた。
 その複雑な思いを問いかけにする直前に、レイの方が先に口火を切った。
「碇君、私とネルフに付き合って。」
「ネルフにって……もしかして、今日の会議に僕も立ち会って欲しいって事?」
 省略し過ぎな発言ではあるが、シンジはこの頃レイとの会話に慣れてきたので、何とか意図を読み取れるようになっていた。
 それでも、まだまだ確認が必要なレベルではあったが。
「そう。」
「ごめん。今日は霧島さんに付き合うって約束しちゃってるんだ。」
 本当に申し訳無さそうに謝るシンジに、
「そう。……私は用済みなのね。」
 それでもポツンと寂しそうに呟くレイ。
「ち、違うよ! 今回は霧島さんと先に約束しちゃってるからだから……今度埋め合せするって事で良い?」
「約束……新しい絆……分かったわ。」
 必死のフォローは実を結び、レイは自虐モードからあっさりと復帰した。
『ほっ、良かった。』
 自分との絆が危うくなっている訳では無いと知ってホッとしたのであろう。
 ちなみに、マナの方は下手な口出しをして放課後のお出かけが潰れたらと考え、シンジに救いの手を伸ばせないでいた。
「碇君、保健室連れてって。」
 次なるレイの発言もまた唐突だった。
「え? 綾波……」
 会話の脈絡が掴めなくて困惑するシンジだが、
「連れてって。」
「今すぐ?」
「そう。」
「分かった。」
 別に断る理由は無かった。
「行きましょ。」
「あ、ちょっと綾波……霧島さん、また後で。」
 レイに腕を引っ張られ、屋上から強引に連れ去られるシンジには、ドナドナが似合い過ぎるほど良く似合っていた。……ようにマナには見えた。

 シンジがレイに連れていかれたのは、例のシンジ用の部屋だった。
「ここって……」
「碇君、前に『保健室にいく』と言ってここに連れて来た。」
「い、いや……その……」
「違うの?」
「うん。実は……」
「そう。……入って。」
「え?」
「碇君『埋め合せ』してくれると言った。」
「え、え?」
 混乱しつつも、手はIDカードに伸び、しっかりロックを外していた。
 妙に押しの強いレイに引きずられる格好で部屋に入ったシンジは、結局のところ放課後までの時間を其処で過ごす事となったのであった。
 お昼休みに様子を見に来たヒカリも途中参加して……。
 彼女らの穴にシンジのナニを埋め、身体を合わせたのである。


 エッチな時間割を特別な教室で自主的に学習していたシンジたち3人は、帰りのホームルームが終わるのに合わせて教室に戻って来ていた。
 教室に置きっぱなしにしていた荷物の類を回収する必要があった事と、
「霧島さん、屋上ではごめん。」
 シンジがマナに街を案内する約束をしていた事が主な理由である。
「シンジくん、もう帰ったんじゃ……ううん、気にしないで。」
 マナは、シンジが教室に戻って来ない理由を既に帰ったからだと誤解していた。
 ……本当ならシンジの後を尾行して何処に行くのかを確認する気だったが、影からシンジ達を見守る視線が複数あるのに気付いて自重したのだ。
 ただでさえシンジに急接近すると言う目立つ行動をとっているのだ。
 この上、怪しまれてしまっては作戦の成功はおぼつかない。
 そう考えて、いざとなれば今日のところは諦める覚悟もできていたのだが、どうやら今回は幸運の女神がマナの味方をしてくれたらしい。
「それじゃ……」
「行こう、シンジくん♪」
 弾んだ声でシンジの腕を握り、マナはそのまま下校していく。
 ネルフの会議で同行できないレイと、クラス委員会で同行できないヒカリに、いや2年A組の全員に凄い目で見送られて……。
『う、後でフォローしておかないとなぁ……』
 シンジは、そう考えつつ右腕を引っ張られて連れられて行ったのだった……。


「碇、そろそろ時間だぞ。」
「冬月先生、もうそんな時間ですか。」
 無駄に広々としているように見える薄暗いネルフ総司令官公務室に、冬月がゲンドウを呼びに来た。
「珍しいな、お前がレイに関する会議の時間も忘れているとは……。」
 言いつつゲンドウが見ている映像を冬月も見る。
 そこには、戦略自衛隊の実弾演習の光景が映し出されていた。
「そう言えば今日だったな。」
 参加部隊が一個大隊の地上軍とヘリや重攻撃機30機あまりと言う規模の実戦部隊が、第3新東京の郊外で実弾演習を行なうと通達があったのは3日前の事であった。
 使徒迎撃を行なう際、主戦場になると思われる第3新東京周辺の地形などに戦自部隊が慣れていた方が望ましい……という理屈を付けられては、ネルフの側から制止する事も出来ない。
 ただ、その理由が額面通りなら問題無いのだが、これだけの規模の戦力がその気になれば現状のネルフ本部にであれば深甚なダメージを与え得るのだ。
 兵装ビルによる迎撃網は未完成、エヴァ・パペットは一機だけ、最大戦力の零号機は改修作業中、対人設備もテロや暴徒を阻止できる程度のレベル止まり……
 とてもじゃないが、まだまだ軍隊を相手にできる防備では無かった。
 何せ、第3新東京の本来の仮想敵は『使徒』なのだから……。
「それで、何か手を打つのか?」
「問題無い。連中は未だここには手を出せんよ(表立ってはな……)。」
 使徒が何時攻めて来るか分からない現状で、その使徒を迎撃する為の組織であるネルフに攻撃を大々的に仕掛け……使徒迎撃のノウハウの奪取に失敗したなら、日本という国家は世界中から責められて地上から消え去りかねない。
 そんな危険を犯す馬鹿は、流石にそうそう多くは無い……はずだ。
「そうか……。しかし、念の為、警戒レベルを上げておいた方が良くは無いか?」
「既に『使徒襲来に備え、30秒以内に全ての迎撃システムを起動できるように』と通達を出してある。これ以上は必要無い。」
「シンジ君とレイはどうする?」
「問題無い。既に充分な数のガードを付けてある。」
 ゲンドウも冬月も、シンジの誘拐が有り得るとは考慮してはいたが、現に計画されているとまでは気付いていなかった。
 その為に彼等の想定を覆すほどの乱暴な手段が用意されている事も……。


「ところで、どこから案内しようか?」
「スーパーが良いかな。コンビニだと物が高くって……」
「うん、分かった。」
 シンジは知らなかった。
 既にシンジが良く行く場所は調査し尽くされ、道順もだいたい把握されている事を。
 ゆえに、マナの発言は、仲間が待ち伏せている場所へとシンジを誘い出す為のモノである事を。
 そうして、しばらく歩いていくと……
 突然、曲がり角の塀の向こうからジープが二人の前に飛び出してきて、止まった。
「マナ!」
 叫ぶやいなやジープの上に設置された連射式榴弾発射機から、閃光弾、催眠ガス弾、煙幕弾、そして通常の榴弾と焼夷弾を周囲にばら撒くムサシ。
 シンジを護衛している保安部の猛者たちもそれぞれ反撃を試みるが、何分煙幕に紛れているので精密射撃ができず、せっかく命中した弾も着込んでいるボディアーマーや防弾仕様の軍用ジープの装甲で楽々と防がれてしまっている。
 そして、最初に自分を呼ぶ声を合図に眼を閉じたマナは、念のためにポケットに忍ばせておいたスタンガンをシンジの手の甲に押し付ける。
 バチッ
 マナがぐったりしたシンジの身体を繋いだ手を頼りに引き寄せて、ジープの後部座席にいっしょに滑り込むと、運転席に座るケイタはジープのアクセルを乱暴に踏みしめた。
 この間も、ムサシは周囲の敵がいそうな処に弾を乱雑にバラ撒き続け、シンジ奪還の糸口を掴ませない。
 さすがに黒服たちに発車する軍用ジープを生身で防ぎ止める術は無く、上司に現状を報告するより仕方が無かったのだった……。


「碇、保安部からの連絡によると、シンジ君をさらわれたそうだ。」
 携帯電話に入った緊急連絡を聞いた冬月が、渋い顔で告げた。
「なんだと?」
 その言葉に、ゲンドウは、両手を口の前で組む…いわゆるゲンドウポーズを崩さぬままで反応する。
「あと、戦自から戦略自衛隊病院の警備車両一台がテロリストらしき一味に強奪されたと連絡が入った。」
「そうか。サードの現在位置は?」
 ゲンドウの表情はまるっきり読み取れない。
 発する言葉にも感情がまるでこもっていない。
「誘拐犯はシンジ君を連れたまま北北西に向けて逃走中。既に道路を封鎖していた保安部の車とパトカーが5台、対戦車ロケットの餌食になったよ。」
 道を塞ぐ位置にバリケード代わりに置かれた車が吹き飛ばされただけなので、幸いにして死者はまだ出ていないが、このままでは時間の問題かもしれない。
 重軽傷者の方は容赦無く量産され続けているのだから。
「封鎖線を下げさせろ。」
「良いのか、それで?」
「止められない封鎖線に意味は無い。損害を受けるだけ無駄だ。」
「そうか……」
 溜息をつくが、冬月にも上手い救出案がある訳でもない。
「それに、どうせ連中にはサードは使いこなせんよ(万一の為に、計画をレイに切り替える準備はしておいた方が良いだろうがな。)。」
 ニヤリと嫌な笑みを浮かべたゲンドウの視線の先には、弾薬の浪費を熱心に続ける戦略自衛隊の演習の様子が映し出されていたのであった。


 シンジがスタンガンの影響から回復すると、景色が一定方向に向かって流れていた。
「……こ、ここは?」
 身体に感じる風が、屋内ではなさそうだと言うのを知らせてくれるのと同時に、頭の下側に柔らかで気持ちの良い感触のものがあるのが分かる。
「ごめんなさい、シンジくん。ちゃんと説明せずに強引に連れ出したりして……」
「え?」
 すぐ上から降ってきた声に、シンジの鼓動は大きく高鳴った。
「霧島さん……どうして……」
 答えるべき言葉が見つからず困惑するマナと、変形の膝枕をされているのに気付いて困惑気味のシンジ。
 奇妙なまでの居心地の悪さがそこにあった。
「着いたぞ、マナ。」
 ぶっきらぼうな声が、音高いブレーキの音が、微妙な沈黙を引き裂いて目的地に着いたのを告げる。
 そこは、戦自の臨時の演習地と化している第3新東京郊外であった。
「立て。」
 思い切り不機嫌そうな声と共に、ムサシがシンジの腕を持ってマナから引き剥がす。
「ちょっと、ムサシ。そんなに乱暴にしなくても……」
 しかし、この場にいるムサシやケイタには、シンジへ同情しようとする気はまるで起きない。『問答無用で銃弾を撃ち込まないだけ有難いと思え!』ってな感じの意見が顔に大写しで描かれていたが、さすがにマナの手前口にできない。
「行くぞ。」
 物問いたげな視線を黙殺して、ムサシとケイタがシンジの両腕をガッチリと固めてひきずっていく。
 どうやら、二人には、シンジに詳しい事情の説明を受ける時間の余裕を与える気は毛頭無いようだ。
「……ごめんなさい。」
 マナの謝罪は、真摯ではあったが空しく響いた。
 如何なる理由があろうと、彼女こそがシンジの拉致に最も貢献してしまったのだから。

「連行してきたか?」
 10人もの武装兵士に付き添われて、シンジを戦自の野戦司令部にまで引きずってきた二人と、他にどうする事もできずに後ろをトボトボついてきていたマナに、やたら偉そうな態度の戦自の士官が声をかけると、
「「はっ!!」」
 ムサシとケイタと
「「「「「はっ!!」」」」」
 連行して来た兵士達の返答が合唱される。
 しかし、その士官が
「ご苦労。良く脱走兵を捕まえ、人質を救出してくれた。」
 と言った途端、事態は急変した。
 ムサシとケイタの鳩尾と後頭部に兵士達の持つライフルの銃床が振り下ろされ、マナにも何人かが飛び掛ったのだ。
 付け焼刃とはいえどスパイとしての訓練を受けていたマナは何とか奇襲をかわすのに成功した。だが、シンジを捕まえていたムサシとケイタは、その事が逆に自らの身を縛る枷となり、あえなく轟沈……シンジは行動の自由を取り戻した。
「ムサシ! ケイタ!」
 悲痛な悲鳴を上げるものの、マナとて他の戦自兵士の攻撃を捌くので手一杯だ。
 守りに徹している今ですら長くは持たないと自覚していた。 
「話が違うわ!!」
 叫ぶマナと
「何の事だ? 我々に罪を着せようとしても無駄だぞ、脱走兵。」
 口元に厭味な笑みを浮かべる戦自士官。
 この二人を見比べたシンジは、マナの前に駆け込んだ。
「うっ!!」
「シンジくん!!」
 マナを狙った攻撃の幾つかを身体で防いで、それでもシンジは何とか立っていた。
 予想外の障害で攻撃が途切れた隙に、マナは二人の兵士の急所に手加減抜きの蹴りを見舞った。生命に別状は無いだろうが、運が悪ければ男としては死んだかもしれない……。
 色めき立ち、拳銃を抜く戦自兵たち。
 マナを捕まえた後に待ってるお楽しみを捨ててでも我が身を守ろうと殺気が剥き出しになるが、それでもシンジもマナも怯まない。
 そんな様子を見て士官から叱責混じりの命令が飛ぶ。
「くっ、サードチルドレンには傷をつけるな!」
 マナとシンジの二人、しかも武装解除されて無いので拳銃ぐらいは持っているであろう相手を傷つけずに捕獲せよと言うのだ。
 しかし、上官の命令は絶対である。
 兵士達は溜息をつきながら、銃の安全装置にかけた指を泣く泣く外した。
 この間も、戦自士官…神崎二佐…の頭の中では様々な打算が駆け巡っていた。
『くっ、ここで銃撃戦になっては私やサードが危険になる。私は逃げれば良いが、サードは霧島三士を庇う位置にいる限り危険だ。……そして、ここまでやっておいてサード、いや使徒撃退法が手に入らなかったら私は破滅だ。……仕方ない。』
 こうなったら、得意の口先三寸で相手を丸め込むしかない。
 なに、いざとなれば餌は目の前にある。
「碇シンジ君。君が何を誤解しているのか知らないが、これはシンジ君を保護する為の行動なんだ。そこを退いてくれんかね?」
「嫌です!!(あなた方の方がよっぽど怪し過ぎます!)」
 即答で拒否し、マナを庇って立つシンジの姿に、
「シンジくん……ありがとう……」
 マナの口から感謝の言葉が漏れる。
「そんなに、その脱走兵が良いのかね?」
 シンジは全く動じない。
「それなら、その霧島三士をくれてやるから、おとなしく我々に同行して欲しい。」
「「え?」」
 まるで物を投げ渡すかのような物言い。
 明らかにそういう行為に慣れているのであろう口調に、シンジの頭はかえって冷えた。
 また、“同行”であって“協力”でない事もシンジには引っかかって聞こえた。
 つまりは、友好的協力で得られない成果をも欲しているに違いないと踏んだのである。
「マナだけじゃなくて、そこの二人の身柄も預かれるなら。」
 熟考した末の返事は、条件付ながらも承諾であった。
「……欲張りだな。まあ、良かろう。ただし、その代わり色々協力してもらうぞ。」
 それには返事をせず、シンジは構えを解いた。
「シンジくん……」
「大丈夫、僕に任せて。」
 マナの心配そうな声に精一杯の虚勢で応えて、シンジは言う。
「それで、どこに連れて行く気ですか?」
 と。


 実弾演習を終えて御殿場の戦略自衛隊基地に戻る車列の一台に、シンジの姿はあった。
 装甲兵員輸送車の中に、持っていた装備類も洗いざらい取り上げられて、監視付き、手錠付きで載せられたシンジ達は、それでもそれ以上の危害は加えられていなかった。
「ねえ、シンジくん。どうして庇ってくれたの?」
「黙って見てられなかったんだ……僕なんかじゃどうにもならないかもしれないけど。」
「そんな事無い! シンジくんがいなかったら、今頃私達……」
 震えるマナの肩を抱くのは手錠が邪魔で出来ないが、せめてもと考えてシンジは身を寄せた。
「よければ、どういう事情なのか説明して貰える?」
 耳元で囁くシンジに、もはや秘密にしておく理由は無い。
 口止めをした上官の命令は、既に効力を失ったのだから。
「仲間を……シンジくんを連れてくれば仲間を助けてもらえるって言われたの……」
 簡潔過ぎる説明だが、まさにそういう趣旨の命令であった。
「そうだったんだ……」
 ただ、第3新東京から御殿場までは遠くない。直線距離でせいぜい10kmほどだ。
 従って、
「着いたぞ、降りろ。」
 車内で詳しい説明をしている暇など、まるでなかったのだった。
 しかし、戦自……神崎二佐たちにとっても、時間は残されていなかったのだった。


「未確認飛行物体発見!」
 サード・チルドレン碇シンジの誘拐を契機に臨戦体勢に突入していたネルフ本部の発令所に別種の緊張が走った。
「目標は強羅絶対防衛線の北を進攻中。」
 モニターに青い正八面体の形状の飛行物体が映し出され、
「パターン・ブルー 使徒です!」
 青葉がいつもの報告を行なう。
「戦自からの報告は!?」
 ミサトの問いに、
「まだありません!」
 日向が緊張した声で答える。
「ったく、あいつらときたら……ん? 日向君、使徒の予想進路を出して。」
 モニターを注視していたミサトは、ふとある事に気付いた。
「あ、はい。……これです。」
 モニターを分割して表示された地図には、使徒が一直線に第3新東京の北へと向かっている予想経路が大写しされていた。
「こっちに来ようとしてる訳じゃなさそうね…………まさか……」
 ミサトには、使徒が第3新東京以外の場所へと向かっていく理由に一つだけ心当たりがあった。
「司令! エヴァ・パペット初号機、並びにエヴァ零号機の出撃許可をお願いします!」
 その理由とは、連れ去られたシンジの事であった。
「許可できんな。」
「司令!」
「我々の管轄は第3新東京市に限定される。その外で活動するなら、何であれ日本政府の許可が要る。今の時点で動く事はできんよ。」
 責めるようなミサトの視線にも動ぜず沈黙を守るゲンドウの代わりに、冬月が事情を説明する。
「(それなら……)初号機パペットをキャリアーに積んで! 零号機はケイジで待機。戦自に指揮権の委譲を要請して!」
「指揮権委譲、拒否されました!」
 日向の報告がミサトの怒りを点火する。 
「なんですってぇ〜!! 相手は使徒なのよ! 優先権はこっちにあるはずよ!」
「かまわん。やらせておけ。」
 熱くなったミサトの頭から冷水を浴びせるが如く、ゲンドウは手を口の前で組んだまま平然と言い切った。
「でも、司令!」
「どうせ連中の手には負えんよ。出撃準備は進めておけ。」
「はっ!」
 納得はいかないまでも、組織の長の明確な方針を受け取ったミサトは、敬礼をして引き下がった。
 ここで食い下がるよりも先にやらねばならない事は幾らでもあるのだから。


「未確認飛行物体接近中! 使徒と思われます!」
 戦略自衛隊の御殿場基地。
 N爆雷の直撃にも耐え得るように設計された地下司令室に、オペレーターの報告が響き渡った。
「神崎二佐! ネルフに応援要請を!」
 悲鳴混じりの進言に、この場の最上位である神崎二佐は、不敵な笑みを浮かべた。
「何の為にサードチルドレンを連れて来させたと思ってる?」
「「「おお〜!!」」」
 感嘆が司令室に響くのを心地好く聞きながら、神崎二佐は命令を次々と下す。
「全軍迎撃態勢! 航空部隊は順次攻撃開始! N地雷起爆用意! サードチルドレンをここに連れて来い!」
 取り返しがつかない命令を……

 その後の5分間……
「航空部隊、歯が立ちません!」
「N地雷、効果がありません!」
「戦車部隊、半数がやられました!」
 絶望的な報告が次々届く中、
「サードチルドレンを連れて来ました。」
 明るい話題がようやくやって来た。
 シンジ達がやって来たのだ。
「ごくろう(ちっ、サードチルドレンだけで良いのに脱走兵どもまで……)。」
 シンジがマナ達と引き離されるのに強硬に抵抗した為、兵士達は仕方なくマナ達も一緒に連れて来たのであった。シンジが彼等を全く信用していない事が窺える。
「何が起こってるんですか?」
 シンジの問いに、
「使徒だ。」
 神崎二佐が苦々しく答える。
「そこで、お前にはアレを迎撃してもらう。できるな?」
 有無を言わせぬ口調で迫る戦自士官と司令室に満ちた期待感に、シンジは敢えて反対する気は無かった。……反対したら、どんな目に遭わされるか知れたものじゃない雰囲気を読み取ったからだ。
「良いですけど……」
「おお、そうか!」
「でも、このままじゃ無理ですよ。」
 承諾した事で盛り上がった雰囲気に自ら水をさすシンジ。
「何だと!」
「装備も取られたままだし、手錠かけられたままだし……」
 言われてみれば、全くもってその通りである。
「分かった、直ぐに返す!」
 神崎二佐は、目でシンジの手錠を外すよう合図すると、近くにいたオペレーターに解析室に運び込ませていたシンジの持ち物を持って来させるように命令した。
「僕のだけじゃなくて、マナたちのも外して貰えますか?」
 手錠を外されたシンジは、そう要求する。
「駄目だ。それが使徒撃退と何の関係がある?」
 にべも無い神崎二佐の返答であったが、
「僕がやる気になります。」
 と言われて、ちょっとだけ考えた。
「(まあ、ここでやらないとか言われると面倒だから、手錠を外してから、どこか……パイロット用の住居区画に閉じ込めておけばいいか。)よかろう。」
 兵士達の厳重な警戒の下、マナたちの手錠もまた外された。
 ただ、何時でも銃を向けられる状態下に置かれていたが。
「お持ちしました!」
 どんどん味方がやられていく状況の中、唯一と言っても良い希望にすがるべく、兵士は全力ダッシュで司令室に駆け込んで来た。
「ご苦労!」
 箱に入った装備類を押しつけるようにシンジに差し出し、
「さあ、これで良いな! さっそく出撃だ!」
 口角泡を立てて言い募る神崎二佐を他所に、シンジは返却された装備を確認する。
 ……ガス式拳銃……専用LCL弾の装填された弾倉1個……ナイフ……携帯電話……
「通信機ってありますか?」
「通信機だと?」
「戦自の皆さんに連絡できるようなヤツです。」
「分かった、すぐ用意させる。」
 シンジの更なる要求にも、神崎二佐は唯々諾々と従った。
 もはや、躊躇っている時間的余裕などないのだ。
 通信兵が司令室の常備品のトランシーバーの通信周波数を手早く合わせて持って来る。
「マナ達は安全な場所に避難してて。」
「分かった。」
 マナの返事を確認したシンジは、最後に司令室に詰めている要員が最も嫌がるであろう要求を発した。
「……外に案内してくれますか?」
 安全と信じる司令室から誰かが出て行かねばならない、しかし至極もっともな要求を。


 貧乏くじを引かされた兵士に案内され、シンジは御殿場基地の外に出た。
 ……ら、頭上を正八面体の巨大な飛行物体が占め、筒状のものを地面に突き刺している光景が嫌でも視界の大部分を占領した。
 戦車部隊の反撃を目に見えるほど強力な六角形の壁で弾き、強力なビームでしたたかに焼き尽くす。
 それは、さながら強力な空中要塞のような使徒であった。
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 横の兵士が使徒の圧倒的な存在感に気圧されて錯乱しながら基地内に這い戻るのを横目に、シンジはLCL弾の一発をナイフで割って中身を口にした。
「使徒のATフィールドを短時間無効化します。合図したら全力で攻撃して下さい。」
 通信機に向かって叫ぶと、
「ちょっと待て! 今うちの切り札を出す!」
 使徒退治に実戦力も必要だと知った神崎二佐は、とうとう切り札を切ることにした。
「トライデントを出せ! 3機ともだ!」
「し、しかし……テストパイロットの搭乗は間に合いません。」
 テストパイロットの少年少女達は、逃亡や外部との接触を阻止する為にそこらの刑務所も真っ青な収容施設に入れられていた。
 つまり、そこからトライデントの格納庫まで連れていくにも結構な時間がかかると言うことなのだ。
「なら、正パイロットを乗せろ!(今使わずに何時使う!)」
「はっ!」
 元々、少年少女をトライデントのテストパイロットにしている理由は、成長期で内臓などがデリケートな彼等が無事に扱えるようになればパイロットの安全性に問題無いと言えるようになる……という生きた計測機器としてであり、正規のパイロットは現役の自衛官から選抜され、じっくりとシミュレーターで訓練を積んでいたのだ。
 この状況では神崎二佐で無くとも出撃させたくなるってものであった。
 例え捨て駒になる危険が高かったとしても……。
「トライデント、甲、乙、丙、発進準備良し!」
 元々、ネルフのエヴァ・パペットが襲撃して来た時に返り討ちにするべく万全の迎撃準備を整えていただけあって、発進準備は1分もせずに終了した。
「発進! ……サード、やれ!」
 悲鳴一歩手前の命令がトランシーバーのスピーカーを震わせるのを聞くと、シンジは手に持った拳銃を頭上の使徒へと向けた。
 人間相手に使っても当たり所が悪くなければたいした怪我もしないような非殺傷武器。
 それの引き金を、
 シンジは、
 静かに引いた。
 パシャ
 戦車砲も、巡航ミサイルも、果てはN地雷の爆風さえ防ぎ止めたATフィールドはシンジの放つガス銃の弾をあっさりと見逃した。
 戦場に静寂が満ちる。
 敵味方の攻撃が途切れ、動きが止まる……。
 そんな中、
「今です。」
 通信機に告げたシンジの声が戦自の逆襲の狼煙となった。
 3機のトライデントの機首にある大口径機関砲が、搭載している多数のミサイルが、
 しぶとく残存している戦車の主砲が、
 歩兵たちの持つ対戦車ミサイルが、
 第五の使徒へと四方八方から襲いかかった。
「やったぁ!!」
 ……爆煙と歓声が晴れた後、所々傷付いてはいるものの健在な使徒が再び威容を見せつけた時、人々の口からは溜息だけが漏れた。
「何をやってる! どんどん攻撃しろ!」
 指揮官の神崎二佐を除いては。
 通信機の向こう側から聞こえてくる叱咤に兵士達は我を取り戻し、手にした兵器を叩き込む事に夢中になった。
 再び激しい爆煙に包まれる第五使徒ラミエル。
 だが……
 しかし……
 今度はしっかりとATフィールドを張り巡らせ、ラミエルは全くの無傷であった。
「なんだと! 何をやっているサードチルドレン!」
 文句に対する返事は、
「装備が足りないんですよ。これ以上は無理です。」
 司令室に居る連中にとって絶望とも言える言葉だった。
 実際、今回はプラグスーツとLCL錠剤が無いせいで通常のATフィールドの中和ができなかったので、使徒の注意を逸らしてATフィールドを張り忘れさせるという手法で無効化したのだ。
 そんな奇手が二度も三度も通用する筈が無い。
「なんてことだ……。」
 ラミエルの加粒子砲が再び火を吹き、散発的に抵抗しながら逃げ惑う3機のオモチャをあっさりと溶けた金属の塊にしてしまった瞬間、戦略自衛隊御殿場駐留部隊の士気は完全に崩壊した。
 が、ラミエルの攻撃は止まらない。
 基地内の変電施設に一発、
 ミサイルを飛ばしてきた連中がいたところに一発、
 我先にと殺到している出入り口前の混雑に向けて一発、
 原形を留めている戦車や装甲車の残骸らしきものらへんに一発、
 とにかく、自分に向けて攻撃して来た連中がいる場所の全てにビームの雨を容赦無く降らせていた。
 ……例外は、シンジがいる足元の建物ぐらいなものであった。
「サード! おいこら何とかしろ! うわぁぁ!」
 プツンと音を立て、通信はいきなり途絶えた。
 何度目になるか数えるのも面倒になった加粒子砲の砲撃の後で。


 その頃、マナは……
「せいっ!」
 自分達を収容所へと護送してきた兵士をムサシとケイタといっしょに叩き伏せ終えたところであった。
「ムサシとケイタはみんなをお願い。」
 兵士たちの持っていた武器を残らず没収しながら、マナはその中から拳銃一丁だけを自分用にして後はムサシたちに持たせた。
「マナは?」
「シンジくんを助けに行く(何ができるか分かんないけど……)。」
 銃のスライドを引いて初弾を薬室に装填し、マナは駆け出した。
 自分が後にしてきた建物に向かって。


 目覚めたら、世界は敵に満ちていた。
 世界にはリリンが溢れ、同族はどこにもいない。
 既に目覚めた者達は、わたしの同胞ではない。
 未だ目覚めていない者達も、わたしの同胞ではない。
 全てが敵だ。
 わたしを生み出したアダム以外には……。
 だから、行く。
 リリスの元へ。
 このリリンの世界を消し去り、わたしの同胞が溢れる世界にする為に。
 もう独りは嫌だ。
 もうたくさんだ。

 リリスの気配を辿って行くと、不思議な気配に気が付いた。
 リリスでもリリンでもアダムでも無い。
 微弱な……でも、とても惹かれる気配。
 わたしは、無意識にそちらの方へと進路を変更していた。

 リリンがうるさい。
 リリンの敵意が、わたしに向けて次々と放たれる。
 だから拒絶する。
 だからわたしも敵意を向ける。
 わたしに攻撃したリリンなぞ、一足先に消え去れ。
 わたしがあの不思議な気配のところに行くのを邪魔するな。
 ……この地下か。
 わたしは、迷わず自らの一部を下ろし、地面を掘り進み始めた。
 ……しかし、
 不思議な気配の持ち主は、自分からわたしの前に出て来てくれた。
 見れば見るほど不思議な気配だ。
 リリンに見えるが、どことなく父アダムの匂いがする。
 わたしに敵意を向けて来ない。
 かの者から何かが放たれた。
 それは、敵意を持たぬ物。
 だから、わたしは壁を作らず受け入れた。
 パシャ
 わたしにかけられた液体が届けてくれたのは、たった一つのメッセージ。
『僕と一緒に生きよう。』
 馬鹿な! そんな事が!
 この世界を首尾良く消し去れたとしても、どの道消え去らねばならないわたしとか!
 だが、それは、とてもとても魅力的な誘いであった。
 何故か、使徒としての本能も、それを否定しない、魅力的な誘いであった。
 ……物思いに耽ろうとしたわたしを、リリン達がまたも邪魔をする。
 うるさい! 消えろ! 邪魔をするな!
 わたしは、敵意を向けてきたリリンを消し去るのにしばし夢中になった。
 ただ、足元に居る“彼”に危害が加わらないよう細心の注意を払う。
 リリンの攻撃が下火になると、思う余裕も出て来る。
 彼の言う様に彼と一緒に生きられたら、どんなに素敵だろうかと。
 ただ、わたしの身体と彼の身体は違い過ぎる。
 一つになるどころか、触れ合う事さえ容易ではあるまい。
 それは辛い。
 何とか手段を……。
 そう思っていたら、身体の奥から湧き上がる本能が、わたしに手段を教えてくれた。
 そうか、リリンの身体を使えば良いのか。
 彼がリリンのオスの形態を取っているから、わたしが使うのはメスだな。
 わたしは、リリンたちを吹き飛ばす前に、使える身体があるかどうか探す事にした。
 それから何度も加粒子砲を撃ったが、遂に理想的なリリンが見つかった。
 メスである上、どうやら彼に好意を抱いているらしい。
 素晴らしい!
 わたしは、わたしの一部を大地から引き抜き、静かにそのリリンの上へと移動した。


「戦自から指揮権委譲されました!」
 ネルフの第一発令所に待ちに待った知らせがようやく届く。
 使徒撃退の要であるサードチルドレンを連れ去った手前、基地一つが壊滅するまで自分達には手に負えないと認められなかったのだろう。
 意味も無く面子にこだわった結果、戦略自衛隊御殿場基地とその駐留部隊に致命的な損害を受ける羽目になったのは、まさに自業自得である。
 そして、遂に、ゲンドウは重い口を開いた。
「発進!」
「「「「「はっ!」」」」」
 発令所の中に、
 通信回線越しに、
 緊張感がひた走る。
「エヴァ・キャリアー発進!」
 ミサトの乗ったエヴァ・パペットを載せた巨大なトレーラーが、停車していた場所から速やかに動き出す。
 ……この時の為に、既に地表にまで上げておいたのだ。
 敵使徒が砲撃戦を得意とする使徒だと観測の結果分かったので、EVA専用長距離輸送機“ウィングキャリアー”が危険過ぎて使えない関係上生じる時間的なロスを少しでも補う為の処置である。
「間に合ってくれるといいけど……シンジ君、無事でいて。」
 ミサトの願いと人類の叡智が生み出したネルフ最強の迎撃兵器を載せ、キャリアーは第3新東京市の端で道路を外れ一直線に戦自基地へと向かって行くのであった。


「シンジくん!」
 拳銃を手にシンジに駆け寄ろうとするマナの上に、
「霧島さん、避けて!!」
 第五使徒ラミエルのシールドドリルが、勢い良く降って来た。
 ペシャ
 ……嫌な音を立て、霧島マナだったモノは使徒の下頂部から伸びる柱状のものと地面との隙間から赤黒い液体を広げていく。
『うわ、まずい……うっ、彼に敵意が芽生え始めてる……うう、早く何とかしないと。』
 ラミエルは、不器用な自分に歯噛みしながら必要な手順を急いで進めていく。
 今更、彼から敵意をぶつけられるのに自分は耐えられそうも無い。
『もう独りになるのは嫌だ。やっと見つけた敵ではない他者を、わたしのせいで敵にしてしまうのは嫌だ。』
 潰してしまったリリンの肉体に入り込み、自らの生命力を与えて破損部分を急いで修復する。……リリンの魂を感じる。どうやら修復は何とか間に合ったようだ。
 これで良い。
『あとは……このリリンに任せると、しよう。』
 第五使徒ラミエルと呼ばれしモノは、意識の主導権を身体の本来の主に委ねた。
 本能がそうした方が良いと命じるままに……。

 潰れた人体に巨大な飛行物体が吸い込まれ、わきゃわきゃと再生されていくというある意味シュールな光景を目の当たりにして、流石のシンジの思考も停止していた。
「え……ええっと……」
 ただ、血塗れのマナを見た身体の方は、ごく自然に介抱するべく歩を進めていた。
 ……使徒に潰されたのが嘘のように綺麗に治っている。
 これも使徒の力なのだろうか?
 シンジが使徒に抱きそうになっていた敵意はどこかに霧散し、ただマナが心配な気持ちだけが残った。
「だ、大丈夫?」
「うん……」
 ぼうっとした眼差しながらマナの声がハッキリしているのに、シンジはちょっとだけ安心した。
「良かった……」
 和み始めた雰囲気をぶち壊す闖入者が横合いからシンジに蹴りをかましたのは、その直後であった。
「マナっ!!」
 走り込む勢いも加えた手加減抜きのキックはシンジの脇腹を抉るが、この時あるを見越して用意された防弾・防刃・防衝撃素材で作られた特殊学生服がシンジへのダメージを最小限に抑え込む。
「い、いきなりなにを……」
 それでも肺の中の空気を押し出されて咽ぶシンジに、更なる追撃が走る。
「よくもマナに!」
 目を血走せたムサシの振り上げたライフルがシンジの頭上に振り下ろされる。
「ご、誤解……」
 が、その人の頭なぞ柘榴のように砕けるであろう一撃は……
 シンジの頭に達する前に、突如出現した六角形の壁によって阻まれた。
「うわっ!」
 更に、その壁を叩きつけられたムサシは、軽々と空中を遊泳する。
 ただ、人間の身体は空を飛ぶようにはできておらず、当然のことながら鈍い音を立てて落下した。
「ム、ムサシ?」
 ATフィールドで反射的にシンジを襲った相手を突き飛ばしたマナは、相手がテストパイロット仲間……いや、親友と呼んでも良い相手であった事に驚いて立ち上がろうとするが、まだまだ全然身体が言う事を聞いてくれない。
「まだ立つのは無理だと思うよ。」
「でも……」
 優しく諭すシンジに涙混じりに反論しようとして言葉を無くすマナ。
 危うく殺されかけたシンジに、殺そうとした当の本人であるムサシを心配する気持ちを分かってという方が無茶だと感じたのだ。
「……どうしてもって言うなら、捕まってて。」
 しかし、シンジはマナの予想を超えてお人好しであった。
 戸惑うマナを何とか両手で抱き上げたシンジは、そのままお姫様抱っこでムサシの元へと運び、足で簡単に瓦礫を退けた所に慎重に降ろした。
 座り込む姿勢になるように足から降ろされたマナは、手を伸ばしてムサシの脈を取る。
「良かった。まだ息がある……」
「直ぐ手当てしなきゃならなさそうな傷はある?」
 言いつつ、シンジは自分でもムサシの身体の状態を目で探る。
「無いみたい……」
「じゃあ、そっとしておいた方が良いと思う。頭打ってたら動かすとマズイって聞いた事があるし。」
「うん……」
 マナの返事に微妙な熱がこもっているのに、シンジはようやく気が付いた。
「霧島さんの方こそ大丈夫? 具合、悪くない?」
「大丈夫……シンジくんがいるもの……」
 段々ろれつが回らなくなってきた上、身体が熱っぽくなってきたのを見て、シンジはようやくマナの身に起こっている事について見当がついた。
「(もしかして……それなら、ここに居続けるのはマズイかな……)どう、立てる?」
 両足どころか全身に力が入らず、立ち上がろうとしたマナは腰砕けになってシンジの腕の中に倒れ込んだ。
「無理……みたい。」
 もたれかかるマナを抱え直して、シンジはもう一度しっかりと抱き上げた。
「どこか休める場所まで行こう。」
「えと……ムサシはどうするの?」
 それは、息が荒くなり始めたマナの最後の理性の抵抗だったのかもしれない。
「ここに置いていくしかないよ。僕一人じゃ一度に二人は運べないし。」
「うん……分かった。」
 ただ、後回しにした方が良いと冷静に納得させられた事で、今のマナの思考の優先事項は全てシンジの事へと切り替わった。
「じゃ、行くよ、霧島さん。」
「ね、マナって呼んでくれる?」
「え?」
「だって、『霧島さん』だなんて他人行儀なんだもん。」
 耳元で甘く囁かれる女の子のささやかな要求。
「ま……マナ。」
 照れ臭くはあったが、シンジはそれを断ろうとまでは思わなかった。
「なあに、シンジくん。」
「そろそろ移動しよう?」
「待って! ……その前に、キス、してくれる?(どうしたんだろう、今、無性にして欲しい……)」
 胸の奥から湧き上がる衝動を言葉にするマナに、シンジは戸惑いながらも前回までの使徒戦を思い返していた。
『やっぱり、するしかないんだろうなぁ。今回は、使徒が霧島さん……マナから出ていっちゃったら、そのまま死んじゃいそうだし……』
 唇を触れ合わすだけのキス。
 それでも、雷に打たれたかの如く、ピクンと跳ねるマナの身体。
「続きは、別のところで……ね。」
「うん。早く行こう、シンジくん。」
 どんどん昂ぶりだしたマナの頭の中は、これから与えられるであろう刺激と温もりへの期待感と自分を抱き締めてくれている相手への言い知れぬ愛しさだけに占められていったのだった……。

 まだ無事なところが多い建物の扉をくぐり、幾つかの部屋を物色した後に見つけた応接室のソファーに、シンジはマナを抱いたまま腰掛けた。
 そのまま太股の上にマナを座らせ、後ろからうなじに息を吹きかける。
「ゃ……シンジくん……」
 甘い声で囁かれては本気で嫌がっているようには聞こえない。
「マナの胸、張りがあって良いよ。」
 小ぶりの乳房を両手で包み込み、力を入れ過ぎないよう気を付けながらじっくりゆっくり揉み解す。
「やだ……小さいから触らないで……」
 頭を振って嫌がるそぶりは見せるものの、マナの身体はどんどん熱さを増していく。
 あまつさえ、更に身体から力を抜いてシンジに身を任せたりしてる事からも、マナが本当に言いたい事はだいたい読み取れる。
 その口と態度の乖離に、シンジは閨の師と言うべきリツコの教えの一つを思い出した。
『女にはね、優しくされるよりも、強引にされたり虐められたりするのを好む人もいるのよ。大事なのは、相手がどういう性向なのかを見抜いて、それに応じた愛し方をしてあげる事なの。』
 と言う言葉を……
「(リツコさん……これなんですね。)マナ、太股を跨ぐように座って。」
 身体に力が入らないはずなのに、マナはのろのろとシンジの膝に座り直した。
「これで…いい、シンジくん……」
 荒くなりだした息の合間に立てた御伺いに、
「うん。御褒美に……」
 シンジは上等の御褒美を差し出した。
 マナが乗っている太股を上下させたのだ。
 それによって、マナのうなじ、背筋、両胸、そして大事なところが刺激されてしまう。
「あ! あっあっ……」
 だが、5回ほど動いたところで太股の上下は止め、再び胸への固執に戻った。
「マナのここ、コリコリしてて良い感じだね。」
 繊細なタッチで人差し指と中指に胸の突起を挟んでぷにぷに爪弾いたり、
「マナの味がする……」
 後ろからうなじに舌を滑らせたり、
「や…やだ……あんっ」
 胸を触っていた手を下の方に走らせ、大事なところの中でも最も敏感な新芽に衣類の上から少しだけ触れてまた手を戻したり……
 マナが高まるように、でも決して極みには達しないように慎重に“演奏”するシンジ。
 いつしかマナがお尻をシンジの太股に擦りつけだしたのも計算に入れて慎重に……。
「お、お願い……シンジくん……助けて……」
「助けてって、どういう風に助けて欲しいの?」
 知らない人間には純粋な疑問に聞こえるかもしれない口調。
「い…じわ……る……」
 でも、それはマナの身体の芯からより深い悦楽を掘り起こす。
「言ってくれないとわかんないよ?」
「ああ……」
 ある種の絶望とある種の踏ん切りの元に、マナは自分から哀願する。
「お願い……お願いです……動いて………私をシンジくんのモノにして下さい。」
 言い切ったマナの目には、陶酔感が浮かんでいた。
「良く言えたね。じゃあ、まず……」
 シンジは右手で下を、左手で胸を、舌でうなじを愛撫しながら、自らの太股をゆっくり上下させる。
 開発途上の肉体は、それでも敏感な反応を見せ、ほどなくシンジのズボンに熱い飛沫をふんだんに浴びせかけた。
「凄い量……マナっていやらしい娘なんだね。」
「……ごめんなさい。」
 普段の明るさも身体の火照りも鳴りをひそめ、しゅんとした風情のマナの耳元に
「でも、僕だけにいやらしくなる娘って素敵だと思うよ。」
 甘く囁いてキスをすると、それだけでマナの身体に再点火されて目がトロンとなる。
 血だの何だので凄い事になってる壱中の女子制服のスカートはそのままに、その下の濡れて用をなさなくなった下着を指に引っ掛けて下ろすと、女の子特有のムワッとした香りが立ち込める。
「じゃあ、いくよ。……いい?」
 自分もズボンから黒光りを帯び始めた肉槍だけを出し、穂先を擦りつけながら狙いを定めていく。
「……うん。」
 マナの初めてを、シンジの肉の凶器が貫き通す。
 直ぐにでも挿入できるほど出来上がっていた女体をさんざんじらせて高めた官能もさることながら、一つに繋がったという事実そのものが彼女の中で大きなうねりとなって理性を飲み込んでいく。
 初めてを破られた痛みは、心と体が生み出した圧倒的な快楽の波にさらわれ、全く意識されることはなかった。
「あ……あ……シンジ……シンジくん……」
 処女特有のキツイ絞め付けに長くない事を悟ったシンジは、ゆっくりと動き出す。
 後ろからマナの控えめなバストを揉みしだきながら、可能な限りゆっくり出来る限り大きく腰を上下させる。
 口の端からよだれを垂らしながら、酸欠の金魚のように口をパクパクさせるマナの目が一杯に見開かれたのは、次の瞬間だった。
「シンジ君、無事!」
 拳銃片手に勇ましく、戦場の女神よろしくキリリとした美貌のミサトがドアを蹴破って乱入してきてしまったのだ。
「「!!!」」
 その瞬間、思い切り高めてきたシンジとマナの悦楽は暴発した。
「あ…ああ……シンジくんが……シンジくんが私の中に……」
「う、マナ……(変な癖、つかなきゃ良いけど……)」
 お腹の中で噴き出す温かいモノを感じ、マナは笑顔を浮かべつつ気を失った。 
「あ〜。ちょっち、マズかったみたいね……。」
 あまりの間の悪さに、拳銃と肩をガックリと下ろして落ち込むミサトに、恥ずかしさで急降下していたシンジは慌てて場を取り繕う。
「そ、そんな事無いですよ。ミサトさんは僕を助けに来てくれたんだし。」
「ありがと。ところで、その子が新しい娘?」
 さすがに使徒戦も3回目だとミサトにも事情の見当はつく。
「あ、はい。霧島……マナっていうんです。」
「ふぅん……大事にしてあげなさいよ(私が倒せなかったのは悔しいけどね……)。」
「はいっ。」
 シンジの明るい笑顔を見たミサトは、使徒への復讐心を使徒と融合した女の子には向けないように努めてきた最近の自分の特訓の成果に、我知らず会心の笑みを漏らした。
 そして……
 マナの中のラミエルは、
『ここが……シンジの腕の中が、幾星霜もの間孤独に耐えてきた我の終の棲家……ここにいられる限り、我はこの娘とシンジに我が全てを捧げよう……』
 そう思いつつ、マナの心の中へと溶けていったのだった……。


「ところでミサトさん。」
「ん、なに?」
 情事の跡を片付けるのも後回しに、シンジは言う。
「マナの仲間が捕まってるみたいなんです。助けるの手伝ってくれますか?」
「分かったわ。」
 シンジの頼みを聞いたミサトは、通信機にかけていた指を止めた。
『使徒殲滅を確認する前なら、全部ネルフの特務権限で押し切れるから……ね。』
 自分の拳銃の残弾を頭の中で改めて確認して顔をしかめる。
 8発しかない。
 操縦者の護身用武器だから仕方ないとはいえ、本格的な戦闘を行なうにはいささか心もとない。
 でも、そんな事はおくびにも出さず強がる。
「さて……と、行きましょうか。」
「はい。」
 気を失ったままのマナをおんぶして、ミサトの後に続くシンジ。
 こうして戦略自衛隊御殿場基地内即席探険隊が結成された。
 それはもう酷く泥縄に……。

 そして、この探険隊は最初から大きな不安要因を抱えていた。
 ……そう。
 先導する葛城ミサトの“方向オンチ”である。
「ミサトさ〜ん、こっちじゃないような気がしますけど……。」
「あたしのカンはこっちで良いって言ってるのよ。」
 そして、実際にどこに仲間が囚われているか知っているマナがすやすやお休みしているのも事態悪化に拍車をかけていた。
 助かるのは、一切の抵抗が無い事だ。
 ただ、それは他の人間と会わないという事の結果で……それは道を訊ける相手に会えないという事でもあった……。
 そんな道行きの途中、
「あ、ミサトさん!」
 シンジは見覚えのある場所を発見した。
「なに、シンちゃん。」
「この階段下っていくと、ここの司令部に行けるんですよ。」
「シンちゃんナイスっ! じゃ、さっそく行きましょ。」
 ようやく目的地になりそうな場所への道筋が明らかになった事で、うんざりし始めていたミサトの顔も明るくなる。
 歩く先に気を配りながら、ミサトはシンジが見つけた階段を降りる。
 全身を来るべき戦闘に備えて緊張させて……。

「ここね?」
「はい、そうです。」
 司令室のドアは、何と言うか半ば埋まっていた。
 元々が核シェルター並みの強度と密閉度を誇る装甲ドアであるだけに、こうなっては人力で開けるのは無理そうであった。
 恐らくは使徒がドリルで掘削した影響であろう。
「これは、ちょっち無理そうね……」
「ええ……そう思います……」
 半ば瓦礫に埋まった通路で考え込む二人。
「(ここまで地下じゃパペット使って掘る訳にもいかないし……)そうだ!」
「何です、ミサトさん?」
「その子の力を借りれば良いのよ!」
 使えるものは何でも活用すると言えば聞こえは良いが、要は他人頼みである。
 ただ、使徒嫌いのミサトにこんな発想が浮かんで来るほど思考の柔軟さが出て来たという事は言えるかもしれない。
「……なるほど。」
 シンジもハルナ…サキエル…の大暴れは見た事があるのでミサトの言いたい事は良く分かった。
 背中のマナを軽く揺すって起きるよう促す。
「……ん……シンジくぅん……もう朝?」
 甘えた声で寝惚けるマナに、シンジは優しく声をかける。
「違うけど……良ければ起きてくれる?」
「うん、分かった……。」
 マナをおぶったままシンジはしゃがんで、両手で保持していたマナの両足をゆっくりと離す。
「どう、立てる?」
「うん、ありがとう……立てるみたい。」
 はにかんで目を合わせる二人が良い雰囲気を作り上げる前に、ミサトが割り込む。
「私がシンジ君の保護者をやってる葛城ミサト。よろしくね、霧島マナさん。」
「あ、はい。」
 保護者という単語に反応したのか、良い感じのところで邪魔されて険しくなりかけた表情を慌てて取り繕うマナ。
「ところで、あなたにお願いがあるの。あのドアをあなたの力でちゃっちゃと破壊してもらいたいのよ。……できる?」
「そんな! そんなの無理に……あれっ?」
 力一杯否定しようとしたマナの脳裏に、耳慣れない単語が浮かぶ。
『硬質化させた手で切り裂くか、加粒子砲を0.01秒も照射すれば……』
 思いつくとは思えないはずの知識。
 できるとは考えられないはずの方法。
「え? 加粒子砲?」
 しかし、それを思い浮かべたマナの掌は凄まじい光を発した。
「きゃっ!」
「シンジ君、伏せて!」
 とっさに目を腕で庇ったミサトが次に見たものは、丸く撃ち貫かれた装甲ドアだった。
「大丈夫、シンジ君、霧島さん。」
「あ……あ……私……私、どうしちゃったの?」
 使徒と充分に馴染んでから自然に目覚めた訳では無い為か、マナは戸惑いと不安を隠せなかった。
 そんなマナをシンジは優しくしっかりと抱き締めた。
「マナは使徒と一つになったんだ。」
「使徒と?」
「……だから、これからずっといっしょにいられるよ。マナが嫌だって言わない限り。」
 この時、マナの中で何かがほぐれた。
 シンジといっしょにいられる為のものであるなら拒む必要なんて無い……と。
「うん。いっしょにいたい。……ずっと。」
 甘々でラブラブな空間を作ってるお二人さんは放っておいて、ミサトは一足先にドアに開いた穴を潜った。
「うっ!」
 なんと言うか、そこは……。
 物凄まじい惨状を呈していた。
 見渡す限り死体が無造作に転がっている。
 咽喉を手で押えたもの
 銃で撃たれ、血をあちこちに振り撒いてもがいた跡の残るもの
 片手が炭化して無くなってるぐしゃぐしゃなもの
 首が折れ、あらぬ方向に曲っているもの
 どれも苦悶に表情が歪んでいるという共通点がある以外は、死因はまちまちに見える。
「息苦しい……空調が止まってるの? それに……」
 片腕が炭化した死体の腕があった場所に転がる黒ずんだ金属片に、微かにO2 と読める表示があるのをミサトは見つけた。
「なるほどね。……酸素の奪い合いか……。」
 それで、恐らく流れ弾かなんかがボンベに命中して残りの酸素を奪い尽くす爆発と火災が発生したのだろう。
 ミサトが入って来た時に火が消えていたのは、対処が早かったというより燃え広がるほど酸素が残っていなかったと見るべきかもしれない。
「これは……長居はむよ……ん?」
 それでも何か為になるものが無いかと司令部の中をごそごそと漁っていたミサトは、コンピュータ端末が予備電源で辛うじて生き残っているのに気が付いた。
「これっ……て、ここの基地のデータ?」
 この端末からなら捕まってるマナの仲間とやらがどこにいるかも分かるはず。
 そう軽い気持ちで検索をかけたミサトの表情が瞬時に険しく変わる。
 そこには、トライデントのテストパイロットの悲惨な実態が克明に観察され、詳細に記録されていたのだ。
「じょ…冗談じゃないわよ……こんな事って……」
 ミサトが死体を見る目が、使徒の犠牲者から、これでも未だ苦しみ足りない馬鹿者どもに急速にランクダウンした。
 これならシンジがマナの仲間たちを助けたいと言うのも肯ける。
 今、この時、ミサトは本腰を入れてマナの仲間たちを救出しようと心に誓った。
「さて……と。」
 そうと決まれば、これは貴重な情報だ。一言一句たりとも逃せないが、あいにく端末そのものはとてもじゃないが動かせない。
 しかし、ミサトには切り札があった。
 エヴァ・パペット用の外部無線コントローラーである。
 無駄に凝った作りになっているので、パペットの制御用コンピュータとの直通回線やコントローラーと外部のコンピュータを繋ぐ為の接続ケーブルまである。
 ただ、その形状がゲームボーイだってところが少々問題と言えば問題だが……。
「あ、リツコ?」
 一通り接続したところで、ミサトは保留にしてた本部への通信に踏み切った。
「あ、リツコじゃないでしょ! 何処ほっつき歩いてたのよ!」
「ゴメンゴメン……でさ、ちょっちお願いがあるんだけど……」
「何?」
「今パペットに接続してる端末から、データを洗いざらい吸い出して欲しいのよ。」
「また、そんなこ……」
 通信機越しに無茶な要求をしてくる親友に呆れつつ、それでもリツコはデータの概要を眺めて……即座に表情を切り換えた。
「司令、葛城一尉の提案を許可願います。」
 使いようによっては戦自や日本政府に対して強力なカードになると踏んだのである。
「よかろう。」
 ゲンドウが重々しく許可を出したのを確認し、リツコはマヤと共に御殿場基地の端末にかけられていたプロテクトを次々突破してデータを回収していく。
 その中には、トライデントの技術開発データだけではなく、引退したテストパイロットの末路……殺処分された人名のリストや、神崎二佐が“引退”した女性パイロットに麻薬を投与して調教した調教日誌なるものすらあった……。
 後にデータの整理をする際にそれを目の当たりにしてしまったマヤが、吐き気で一日仕事にならなかったというエピソードもあるが、それは後の事である。
 今はただ、発令所もミサトも黙々と為すべき仕事に邁進してたのだった……。

 ラブラブ空間から復帰したお二人さん……シンジとマナは、連れ立って司令室に入って来た。
「うっ……」
 目の前の惨状に顔をしかめるシンジと複雑な表情のマナ。
「ミサトさん……」
「あ、こっちは手が離せないから、良かったら酸素ボンベ持ってきてくれる?」
 空気が悪いところでの作業なだけに、ミサトも気を失わないように必死だ。
「あ、はい。分かりました。行こう、マナ。」
 ミサトに言われて、この司令室跡の息苦しさの理由を正確に理解したシンジは、マナを促して地上へと向かう。
 ここに残っても足を引っ張る……いや、廊下から細々と流れ込む酸素を奪う事になりかねないと危惧して……


 地上に出たシンジたちは、エヴァ・パペットを乗せた大型トレーラーと、それを護衛してきたネルフ保安部の部隊が停車している場所に歩み寄った。
「止まれ! ……サード! …………失礼しましたっ!!」
 その接近を銃を向けて阻止しようとした保安部の兵士が、シンジに気付いて直立不動の姿勢で敬礼した。……シンジのネルフ内での立場の強さが良く分かる反応だ。
「えと……あの建物の地下へミサトさんが酸素ボンベを持ってきて欲しいって言ってたんだけど、頼めるかな?」
「はっ! 承知致しました!」
 ネルフのトップ5に入る重要人物の依頼である。
 それがよほど変なもので無ければ、ネルフの職員に拒否するという文字は無い。
 その傾向は、軍隊を模した組織である保安諜報部で特に顕著であった。
「あと、そこらへんに人が倒れていたら回収して手当てしておいて欲しいんだけど。」
「はっ! 承知致しました!」
 つまり、命じられた用事を行なう為に兵士たちの一部が即座に動き始めたのだ。
「良かった。じゃ、行こうマナ。」
「うん。」
 それを見て後顧の憂いが消えたと感じたシンジとマナは、いよいよマナのパイロット仲間が収容されている建物へと駆け足で突入する事にしたのであった。
 真正面から……。
「ねえ、シンジくん。本当に正面からで良いの?」
「うん。だって……」
 シンジ達が進むに従って、進路上に設置されていた侵入者阻止用の罠や脱走者処理用の罠が、マナが展開したATフィールドによって次々に無力化され、破壊されていく。
「N地雷でも持って来られなきゃ大丈夫だよ。それより早く行こう。」
 身も蓋も無い現実を前に、マナは我が身の事ながら呆れ返りつつ、収容所の分厚く丈夫な鋼の門扉に右手で切りかかった。
 ……常識では歯が立つ訳は無いと思うかもしれないが、超硬質化させた上にATフィールドまで併用した手刀は、ナイフでケーキを切り分けるが如くあっさりと鋼鉄の板をバラバラに切り裂いた。
 門扉の破片が崩れ落ちる音が、マナのこれまでの常識がガラガラと崩れる音と重なって聞こえたような気がした。
「(でも、こういうのも悪くない……かな。)行こう、シンジくん。」
 自分の傍らに好きになった人が居てくれるなら……
 今まで助けたくても助けられなかった仲間たちを救う事ができるのなら……
 これまでの常識なんてどうでも良い。
 マナは、やっとそこまで開き直る事に成功した。
 自分達だけ逃げた看守達の生活区画をシンジと共に駆け抜けながら……。

 結論から言えば、捕虜の救出は成功だった。
 警戒堅固な警備システムの大半や強固な電子ロックは、電気の供給が止まっている現状では高価なゴミ同然だし、
 シリンダー錠やかんぬきなどは、看守が逃げ出してて不在な上に、牢屋の外から救出の手が伸びて来た以上、ささやかな障害にしか過ぎなかった。
 それに、所詮は人間相手を想定した施設である。
 人力ではバーナーで焼き切る必要がある個所でも、バターを切るようにあっさりと切り裂く事ができるマナを相手に5秒と持ち堪えたセキュリティは存在しなかったのだ。
 シンジは、助け出された自分と同年代に近い人々に、自分の名を出して外にいるネルフの人間に助けを求めるよう薦め、
 マナは、シンジが信用できる人物だと言い添えた。
 そうして、どんどん救出しながら奥へ奥へと進んで行く二人は、いつしか空気からして違う区画へと迷い込んだ。
「え……と、どこ、ここ?」
「わからない。……けど、嫌な感じだな。」
 変に据えた臭いが鼻につく空気を不快に感じながら、シンジはそれでも奥を目指す。
 すると、
 獣のようなと言うと獣に失礼なダミ声が途切れ途切れに聞こえて来た。
「何だろう……」
 嫌な予感に背中を押されて足を進めると、声は段々ハッキリと聞こえて来る。
「ちっ、もうくたばりやがった。」
「おいおい、もっと大事に使えよ。神崎サマから払い下げられたヤツは、もうそれしか残ってないんだぞ。」
「どうせ俺達も長くないんだ。その前に楽しめるだけ楽しんでおかないとな。」
 使徒の襲撃を見て自棄になった口だろう。しかし、その行ないは、ただ逃げ出すよりも数段タチが悪かった。
「ま、そりゃそうか。どうせ薬漬けのお人形だしな。」
 マナがギリギリと奥歯を噛み締める音が聞こえる。
「ところで、奥のもやらないか?」
「ん? 神崎サマの今のおもちゃか? あれは……」
「どうせ、こうなったら二佐殿も長くないぜ。」
 その予測はおおむね正しいが、彼等腐れ戦自兵3人は、これから自分達に降りかかるであろう運命についての予測が甘過ぎた。
「そりゃそうか。それなら……おい、俺達は新しいの調達に行くぞ。」
「待て待て。今、こいつ凄い良い絞まりなんだ。」
 俗に言う屍姦である。
「趣味悪いな、お前。先に行くぞ。」
 言いざま一般のテストパイロットの独居房へと向かおうとした兵士は、シンジとマナと目を合わせてしまった。
「な、なんだよ、お前等……脱走は重罪なんだぞ……」
 あまりの怒りに、シンジもマナも言葉が上手く出てこない。
 言葉ってこんなに不便なんだ…と、思った瞬間だった。
「そ、そうだ。そこの、見逃してやるから俺の相手をしろ。」
 状況の読めない馬鹿が異様な視線の圧力に堪えかねて、更に馬鹿な提案をした時が、この馬鹿どもの運命を決定づけた。
「……!!!」
 声にならない絶叫と共に、掌から細かく分散された荷電粒子ビームの粒々を部屋一杯に放つマナ。それは、ただの一撃で部屋の中に居た馬鹿どもの意識を奪わぬまま全身に大火傷を負わせた。ところどころ炭化してる場所もあり、全員間違い無く致命傷だ。
 怒りと悲しみに呆然と立ち尽くすマナをそっとしておいて、シンジは襲われていた女の子の容態を確かめるが……暗い顔で頭を横に振った。
 殺された後に乱暴された上、マナの拡散加粒子砲を幾つか食らってしまっており、下手に動かせないほど遺体の破損が酷い。
 シンジは取り敢えずの処置として、覆い被さっている馬鹿者の身体を足で蹴り剥した。
「がはっ。」
 更に、蹴り転がして充分に離す。
 着衣の全てを奪い去られていた被害者の上に自分のYシャツを被せると、シンジはマナを促してこの不快な部屋を出た。
 死ぬまでもがき苦しむであろう馬鹿どもを振り返りもせずに。
「マナ……」
 何と言って良いか分からないシンジに、小さく
「シンジくん…奥、行こ……。」
 それでもハッキリと答えるマナ。
 運命が少しでもズレたなら、ここにいたのは自分だった。
 そんな確信が、彼女に歩みを止める事を許さない。
 ここで悲嘆に暮れている暇も無いし、自分にはシンジくんがいる。
 そんな思いが、彼女に悲惨な現実を直視する勇気をくれる。
 まだ助けられる人間がいると信じて……。



 暗い檻の中、私はまた目覚めた。
 自分の中で蠢く渇きが、私に安らかに眠る事を許さない。
 否。
 ここに連れて来られてから、私から安らかな夜は奪われてしまった。
 嬉々とした顔で私の腕に麻薬を注射し、
 毒々しい笑顔で私の純潔を奪い、
 私の服を奪い、
 その代わりと言って本来は大型動物にでも使うのだろう丈夫な革の首輪をはめられ、
 太い鉄の鎖で繋がれ、
 私は囚われてしまった。
 内臓を壊し、もうトライデントに乗れないと分かった時から、
 ……いえ、多分、ここに連れて来られた時から、
 最後はこうなると決められてしまっていたのだ。
 お腹の中を食い荒らす鈍い痛みが、
 不意に甦って来る禁断症状の苦痛が、
 忌み嫌う“麻薬”を欲して叫び出そうとするのを必死に手で押えて止める。
 分かってる。欲しい時に薬を打って貰う方法は。
 ヤツが嬉々として教えていったから。
 それは……
 妹を売り渡すこと。
 妹のスズネに手を出さない代わりに、私はどんな仕打ちにでも耐える。
 それが、あの悪魔と……神崎と交した条件。
 ヤツがこの遊びに飽きない限り、
 私の命が続く限り、
 妹の身は守られる。
 でも、
 もし……
 もしも、ヤツが約束を破ったなら……
 私は、誓ってヤツを殺す。
 例え息絶えたとしても、それだけはやり通してみせる。
 神様。もし、貴方様がおられるのなら、
 せめて、ヤツが心変わりする事が無いように……。
 口元を押えて必死に禁断症状の苦痛をやり過ごす。
 今、口を開くと、身体が勝手に薬を欲しがって馬鹿な事を言い出しそうだから。
 今、一番信用できないもの。
 それは、悲しいかな自分の身体だった……。

 キィィィン

 澄んだ音を立て、そんな物思いは部屋の扉と共に両断された。
「……だ、…誰?」
 逆光で良く見えないが、どうやら二人組みのようだ。
 またヤツが新しい女の子を……
 違う。どう見てもヤツじゃない。
「秋月……さん?」
「……その…声…は……確か……霧島さ…ん?」
 もう遥か彼方に追いやられていたテストパイロット時代の記憶を引っ張り出す。
 ようやく慣れてきた目には、霧島さんが誰か知らない男の子と一緒に立っているのが見えた。
「僕達は、君を助けに来たんだ。……助けて欲しい?」
 私の方をできるだけ見ないように顔を逸らした少年に不快な感じを受けながら、それでもその問いには答える。
「……は…い。できる…もの…な…ら……。」
 ここでいい加減な事を言うと冗談で済まない感じがしたからだ。
 と、そこで私は少年が視線を逸らしている理由に気が付いた。
 私は、今、全裸なのだ。
 少年の横顔が赤くなっているのに気付いて、私もまた久しぶりに赤面した。
「僕ので良かったら、使って。」
 少年が自分のTシャツをいそいそと脱いで手渡してくれる。
「……あ、ありが……と…う。」
 長らく使ってなかった言葉。
 そして、自分の心に未だ、男の人の半裸姿を見ただけでドキドキできる部分があるのかと、少しだけ呆れてしまった。
 貰ったTシャツで前を隠すと、彼はようやくこっちを見てくれた。
 とても綺麗な澄んだ瞳。
 その瞳に覗き込まれた途端、私の身体の中で暴れていた麻薬の猛威があっさりと打ち負かされて退いて行くのが分かる。
「首輪が邪魔だね。取るよ。」
「待って。……これ…を取る…と……警報…が……」
 そうしたら、ヤツは喜んで妹を襲うだろう。
 これを外してはいけないというのもヤツが出した条件の一つなのだから。
「大丈夫。もう大丈夫だから。」
 不思議と惹かれる笑顔。
 この笑顔なら信じられる気がする。
「……はい。お……願い…しま…す。」
 警報は鳴らなかった。
「それじゃ、ここを出る……前に、それ着てもらった方が良いかな。そんなのだけでも、着ないよりは良いだろうし。」
「……は…い。」
「じゃあ、僕は向こう向いてるから。着終わったら教えて。」
 改めて周りを見ると、霧島さんはドアのところで辺りを警戒しているらしい。
 役割分担が逆のような気もするけど、言うようなことでもないと思いつつ貰ったシャツに袖を通す。
「……着…まし…た…け…ど……」
「じゃ、脱出しよう。立てる?」
 言われて両足に力をこめて立ち上がるが、その途端お腹で何かが暴れ出したような激痛が走った。
「くぅっ! ……無理…みたい……で…す。」
 お腹を抱えて屈み込んだ私に、少年が近付いて来る。
「じゃあ僕が運ぶけど、良い?」
 私の顔を覗き込んで訊ねる少年に、私は一言だけ訊いた。
「……その…前……に、私を……助けよ…うと……して…くれる……貴方…の……名…前を……聞かせ…て……。」
「僕は、シンジ。碇シンジ。」
「……シンジさん……お願い…して…良……い?」
 散々汚された汚い身体だけど。その言葉は声に出なかった。
「うん。……マナ、他に人がいそうな牢屋はある?」
 軽々とという訳では無いみたいだけど、それでも力強い両腕に抱き上げられた私は、ここに連れて来られてから初めて心の底からの安らぎを覚えた。
「無いみたい……。」
「じゃあ、外で他のみんなと合流しよう。こっちは、もう部屋が無いみたいだから。」
「分かった。」
 私は、途切れそうになる意識を必死に繋ぎ止めて、シンジさんの腕の中に居るささやかな幸せを満喫していた。
 短い夢に終わるであろう、誰にも言うつもりの無い短い短い夢を……。


「秋月さん! 秋月スズネさんはいますか!?」
 救出されたテストパイロット達、おおよそ30人ぐらいにシンジとマナは呼びかける。
「ん、なに?」
 と、その集団の中から一人の活発な感じの女の子がシンジたちの方に歩み寄って来た。
「え? コトネ?」
 意外なものを見た驚きに一瞬固まる女の子。
「コトネ!!」
 が、自分が見たものがどうやら幻でも何でも無いと分かると、思い切りダッシュでシンジが抱いている姉の元へと駆け寄る。
「……ス…ズネ……良かった……無事?」
「コトネの方こそ、コトネの方こそ大丈夫?」
 首を締め上げかねない勢いで問い詰めるスズネ。シンジなら思わず『大丈夫』と答えてしまいそうな剣幕にも、流石に姉だけあって動ぜず静かに告げた。
「……私は……、も…う……駄目……みた…い。」
 元々が放っておけばもう長くない状態のところに、まともな治療もせずに中毒になるほどの麻薬を投与し、更には性的な虐待を加えたり、ロクでもない環境で過ごさせたり…という何時死んでも無理も無い状態であったのだが、それを妹を守る一念だけで命を支えてきたのだ。
 もう安心だと、
 もう大丈夫だと、
 そう心から信じられた時、彼女…秋月コトネ…の張り詰めていた気力は弛んだ。
 そして、それが……彼女の命の灯を尽きさせ……いや、とっくに尽きていた命を無理に繋ぎ止めていたのを終わらせたのだ。
「……助け…て…くれ……て、妹…に……会わ…せ…て……くれ…て……あり…が…と…う……。妹…を……、スズネ…を……よろ…し……く……」
 シンジに、自分を助けてくれた優しい腕の持ち主に弱々しく微笑んでから、コトネは静かに目を閉じた。
 とても安らいだ笑みを満面に浮かべたまま。

 涙は流さず、でも表情を能面のように消して、シンジは腕の中の少女を目の前にいる彼女の妹へと無言で手渡し、エヴァ・パペット輸送用トレーラーへと向かった。
「シンジくん!」
 心配そうに見つめるマナを、
「大丈夫。みんなのこと、何とか父さんに話してみるから。」
 精一杯の作り笑顔で安心させようとして。
『まだ泣いてるヒマなんてない。それに、泣きたいのは僕よりも妹さんやマナたちの方だろうしね。』
「……シンジくん。」
 両頬を両掌で叩いて気合いを入れ、シンジはトレーラーの横に止められている移動司令車へと入っていく。
 避けられぬ、というか、避けるべきで無い話の為に。
「すみません。通信を父さんの所に繋いで貰えますか?」
「はい。」
 移動司令車の中に待機していたオペレーターの一人が、シンジの指示に従ってネルフ本部の発令所へと通信回線を繋ぐ。
「何の用だ?」
 最初に言葉を発したのは、ゲンドウの方だった。
「父さん……」
 一言発して言葉が止まる。
 そのまま20秒ほどもしただろうか。
「こちらも忙しい。用が無いなら切るぞ。」
 素気無い言葉に押されるように、シンジはようやく用件を切り出せた。
「父さん、ここにいるトライデントのテストパイロット達を助けて欲しいんだ。」
「それに何のメリットがある?」
 しかし、返答は冷たいものだった。
 いや、まだ話を聞く姿勢があるだけマシと言えるかもしれない。
 その態度に、シンジは一所懸命に考え、作戦を捻り出した。
「A計画管理責任者としての進言です。」
「ほう。」
 ゲンドウの表情が、不敵に変わった。
 サングラスと画面越しに感じる視線の圧力に必死に耐え、シンジは意見を続ける。
「彼らを助けなかった場合、僕の職務に重大な支障が出る恐れがあります。」
 しばし、視線が交錯する。
 今度はいつぞやのようにシンジが視線を逸らす事もない。
 そうして、息詰まる緊張が5分ほども続いた時だろうか。
「よかろう。」
 ゲンドウは一言だけ答えて通信を切った。
「ふう。」
 通信が切れた途端、シンジは床にへたり込みながら、気力で堪えていた涙腺に欲しいままに活動させたのだった……。


 その直後のネルフ本部発令所。
「冬月、後を頼む。」
「シンジ君の頼みの件か?」
「ここで出来る話ではないからな。」
 シンジの意見を通してトライデントのテストパイロットを助けるならば、裏取引や裏工作を駆使する必要があるだろうから、確かに発令所で出来る話ではない。
「今回の件、シンジ君の言う通り処理して構わんな。」
 司令席を立つゲンドウの背中に質問をぶつける冬月。
「問題無い(新たな使徒能力者を敵にしない方策だと言うなら、取り引き程度は安い手間だ。今回は良い材料もあるしな。)。」
 それに振り返る手間を取らずいつもの台詞で答えると、ゲンドウは自らの執務室へと立ち去った。

 ……御殿場にいるネルフの移動司令車に、トライデントのテストパイロット全員のネルフへの移籍が伝えられたのは、それから30分後のこととなった。



福音という名の魔薬
第七話 終幕



 な、長い……。うう、前後編にしといた方が良かったかも(苦笑)。これでも削って後回しにした箇所あるのになぁ……。
 あと、今回はきのとさん、峯田さん、【ラグナロック】さん、道化師さんに見直しへの協力や助言をいただいております。どうもありがとうございました。

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読んだ後は是非感想を!! 貴方の一言が作者を育て、また奮起させます

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